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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚04章 ~遊探の旅路編~
87/157

01 ザックス、破産する?

 冒険者にとって最大の敵とは何か?

 多くの者達はまだ倒した事のない強大なボスモンスターの名を挙げるだろう。あるいは過去に苦戦したものを思い浮かべる者も……。だが、ある一定のレベルに達した一部の者は皆、口をそろえたように同じ名を口にする。

 曰く、それは『カネ』である……と。

 仲間と共にミッションを組んでダンジョン探索に挑むパーティのリーダー達にとって、ミッション後の収支は実に頭の痛い問題である。多くのリーダーは自身の所持金を管理すると同時に、パーティ全体の資金の管理と公平な分配も行わねばならない。

 《竜殺し》、《踏破者》、《魔将殺し》……。

 ステータスの称号欄に華々しい冒険者としての経歴を表示させる彼――ザックスも、その例外ではない。



 先日の《貴華の迷宮》攻略時のミッションの収支は、予想通り酷いものだった。

 冒険者協会からの未踏破迷宮踏破報奨金はそのほとんどが冒険者協約に従い、ライアットへのクエスト報酬の支払いとなって消えて行った。マナLV50の冒険者をゲストとして迎えた以上、それは当然のことであり、ドラゴンとの対決や瀕死の状態からの回復処置などを考えれば足りないくらいである。

 さらにガンツから届いた補充物資と失った装備の補てんに対する費用は、ダンジョン内で得られた換金アイテムの総額では補えそうになかった。特に《招春祭》が始まるまでのこの時期は、換金アイテムの相場が大きく冷え込む。ガンツの助言もあって、彼にダンジョン内で取得したほとんどの換金アイテムを直接引き渡すことで、どうにか折半にしてもらったのが実情である。

 頭の痛い金銭問題をどうにか乗り切り、ようやく支給クエストが活発になりはじめる春を迎える目処がついた矢先、彼の目の前には突如として新たな問題が降って湧くこととなった。

『名誉ではメシを食えない』

 かつてとある有名冒険者がしみじみと呟いたというその名言の重みを実感しながら、今、彼はその方面では実に頼り無い仲間たちと共に、この恐るべき強敵と対峙しようとしていた。

 ガンツ=ハミッシュ一階中央席より少し左側、朝食後のその場所は、対ドラゴン戦すら生温い死闘の幕が切って落とされようと……していた。




「さて、事情を説明してもらおうか……」

 食器の片づけられたテーブルの対面に座った二人の仲間の前に二枚の紙片を丁寧に並べると、彼――ザックスはおもむろに尋ねた。その顔には僅かに隈が浮いている。昨夜、この二枚の紙片を小言混じりにガンツに渡されて以来、彼は一晩一睡もできずに、自室の寝台の上で転げ回ることとなった。身に覚えの全くない請求書――しかもその額が自身の常識の範疇を遥かに超えるとなれば、当然のことであろう。

 だが、ザックスの追及にも拘らず、対面に座る二人は平然としたままである。『お腹でも痛いの?』とでも逆に問いたげなその表情に、ザックスの怒りのボルテージが上がっていく。

「アルティナ、一体、これはなんだ?」

 二人の仲間のうち、付き合いの長いほうのエルフ娘にまずは問いただす。育ちの良さゆえか、あるいは種族的なものなのか。もともと金銭感覚の大様な彼女である

 本人は否定するものの、彼女が訓練期間中に残したとされる『お金がないの? だったら蔵から取ってくればいいじゃない』という迷言は、多くの冒険者を目指す若者達に現実の理不尽さを叩きつけ、悲嘆にくれさせたという。

『変な事、言わないで! いくら私でも、そこまでひどくないわよ!』

 ひょんなことでその噂の真偽を確かめようとしたザックスに、彼女が《火炎弾》を片手に憤慨しながら反論したところを見ると、エルフという種族への偏見やその資質へのやっかみからねつ造されたもののようだ。金銭感覚の大様さを自覚している辺りは否めないが……。

 近頃は世知辛い人の世で様々な経験を積み、ようやくそのあたりに信頼感が生まれかけていた筈だった。だが、彼女の仕業と思しき請求書の品書と金額欄には、実に愉快な文字と数字が楽し気に手を取り合って踊っている。

『自由自在・大賢者への道! ドラゴンも真っ青の最強魔法をあなただけの手に・入門初級編』

 それは、とある裏酒場が発行する迷著である。


 サザール大陸では、書物は本来、権威ある者達の手によって手書きで複製される。故に高価である。だが、近年、ドワーフ郷で発明されたドワーフ活版印刷機を使用して発行されたそれは、価格を大幅に引き下げて駆け出しの冒険者達や、攻撃魔法の未熟な詠唱士達にもどうにか手の届く価格帯となった。その為、発行当時は大きな話題となって多くの冒険者たちからの問い合わせが殺到した。特に『入門編』、『初級編』は分かりやすい解説のせいか、効果的な攻撃魔法の運用の模索に悩み続ける見習い冒険者や詠唱士たちの心強い味方となった。だが、物事はそうそう上手くいくものではない。

 売れ行きに気を良くした裏酒場は続いて『中級編』、『上級編』、『応用編』、『達人編』と立て続けに出版したが、これらは続編を望む者達の期待を大いに裏切り、多くの購入者たちを失望させた。

 もともと執筆者がさほど実戦経験のない数名の詠唱士や魔術士であり、より難易度が上がるごとに実戦とはかけ離れた理論を展開することで、愛読者達の不興を買った。所謂『理屈倒れ』という代物である。

 巻数を重ねるごとに、『日々の努力』『たゆまぬ訓練』『臨機応変』『積み重ねが大事』『努力は才能を凌駕する』などという言葉がそこかしこに踊り、『応用編』以降は、手っ取り早く効率性を求める読者層のニーズとは完全にかけ離れ、ついに返品騒ぎとなった。

 さらに書物の価格に大きな影響を与えかねない活版印刷機の存在は、書物の売買で生計を営む書籍商の不興を買い、彼らが神殿にかけ込む事で書物の価格は大きく変動することになった。あのような道具が世間に出まわれば、やがては権威ある神殿の教えまでもが陳腐化させられるであろう――ほとんど屁理屈でしかないその訴えが取り上げられ、神殿と自由都市連合が巨額の税を課したことで、活版印刷機によって作られる書物の値段は倍以上に跳ね上がった。

 泣く子と神殿にはかなわない――苦慮した裏酒場が高価な元手を回収する為に考えだした奇策が、売れ行きの良かった『入門編』と『初級編』を一冊にして内容を付けくわえた増補改訂版の発行である。だが、様々な事情での値段の高騰により当然売り上げは芳しくなかった。さらに『入門編』と『初級編』が一緒になったのならいずれは全部一緒になったものが出るだろうという推測の元、買い控えの動きが高まり、すでに出ていた書物が回し読みや転売されることで、その売れ行きの悪さはさらに値段へと跳ね返った。


 すでに魔術士として十分以上の実力を備えた彼女がそのような物を必要とする理由はどこにもなく、一体全体何を考えているのかと首をかしげずにはいられない。幸いまだ『中・上級編』『応用・達人編』に手を出していないようだったが、彼女の事である。ザックスの予想を裏切る行動に出るのは常に警戒しておかねばならない。

『愛読版』『永久保存版』なる文字の踊る請求書が舞い込めば、彼の憤死は免れないだろう。睡眠不足のせいか、一人、いら立ちを募らせるザックスにアルティナは冷静に答える。

「ダンジョン探索に必要と思える装備やアイテムにかかった費用はパーティ経費としてこっちに回してくれって、そう決めたのは貴方でしょう? 何か問題あるの?」

「ああ、確かにな。でもお前に今更、こんな物が必要とはオレにはどうしても思えないんだが?」

「それを決めるのは私よ!」

 この手の話題ではお約束のやり取りのパターンに嵌りつつある事を自覚しながら、小さな議論が繰り広げられた。

「まあまあ、二人とも落ち着いて。仲間同士些細なことで争って、得られるものなんて何もないよ」

 加入してまだ日の浅い新メンバーであるクロルが、のんびりとした口調で険悪になりつつある空気に水を差す。当事者の、しかも重要参考人でありながら、まるで他人事のようなその口ぶりがザックスの怒りのボルテージをさらに引き上げた。

「クロル! お前の方はもっと性質タチが悪いんだよ!」

 感情の高ぶりを抑えきれずにザックスは思わずドンとテーブルを叩く。その音に一瞬、周囲がしんと静まり返る。

「ちょっと、ザックス、そういう態度はさすがにどうかと思うわよ……」

 アルティナの厳しい視線に、「悪りぃ」と一言、小さくザックスは詫びを入れた。

「いいって、いいって。気にしない、気にしない。そんな事よりもボクがどうかしたのかい?」

 相変わらずマイペースの態度で尋ねるクロルの前に、ザックスはもう一枚の請求書を指し示す。請求書の明細には『相場取引手数料』なる言葉と共に、アルティナのものとは桁数の異なる数字が記されていた。


 冒険者というものは、元来、カネ遣いの荒い生き物である。

 武器・防具、あるいはマジックアイテムや回復薬といったものの値段は一般の人々が生活するレベルで扱われる金額とは桁数が大きく異なる。そのような彼らによって大量の資金が動かされる事も自由都市、あるいは彼らが関わる周辺各国全体にとっては重要である。

 故に、ガンツも浪費がちな彼らの日常に滅多に口出しする事はないのだが、今回の様な場合は別である。相場でひと儲けなどの《冒険者》の本分とは異なるやり方で巨額の儲けを企む輩には、己の分を弁えぬものときつく戒め、時に店を追い出す事もある。昨日は当の本人がどこかへ雲隠れしたままだった為、パーティのリーダーであるザックスが、その事でさんざんガンツに小言を言われたのだった。


 だが、ザックスの剣幕にもクロルは一向に動じた様子はない。

「ああ、もう来たんだ……。早かったな」

 請求書を手に取り内容に素早く目を通すと、腰の《バッグ》にしまいこむ。

「大丈夫、大丈夫。すぐに倍にして返すから……」

 詐欺師の常套句と共にひらひらと手を振って、彼は席を立とうとする。

「ちょっと待て、話はまだ終わってないぞ」

 クロルを引き止め、さらにザックスは続ける。

「お前、最近、一体どこに行ってるんだ? 戦闘訓練も放り出したままで……」

《貴華の迷宮》で《鉄機人》を失ってしまった今のクロルは、マナLVこそ13の初級冒険者である。だがその戦闘力はほとんど皆無であり、見かねたザックスが 彼に武器の扱いの手ほどきをすることとなった。様々な武器を試したものの、残念ながら彼にはどうやら武器を扱う才能が欠片もないらしく、上達はまず見込めない。訓練は僅か三日で中止されることとなった。もしも彼がフィルメイアだったなら、おそらく一年と保たぬであろう。

 それ以来、クロルは朝食の後、ふらりと店からいなくなり、ほとんど一日中姿を見せない。互いの行動を束縛せぬ代りに、朝食と夕食は一緒にとろうというパーティの基本方針すらあっさりと破られ、彼は朝食前に店に戻ってきては再び姿を消す始末である。

 冒険者になって以来、つきまとう特殊な事情を抱える身としては、この先も共にミッションをこなしていく上で彼の存在は必要不可欠である。

 ようやく見つけたにも拘らず、早くも迷走しつつある三人目の仲間との間の不協和音に、リーダーの責任感から生まれる焦りのせいか、尖りがちな言葉で彼を追及する。

「大体、ダンジョン探索に火晶……フガッ」

 最後まで言わせまいと、慌ててクロルがテーブルに身を乗り出して手を伸ばし、ザックスの口を封じる。

「ダッ、ダメだよ。これは『内緒の一大プロジェクト』なんだから。どこで、誰が聞いてるか、分かんないだろ!」

 慌てた様子で周囲を見回し、人差し指を己の口に押し当てる。妙に説得力のあるその行為に目を白黒させるザックスを尻目に彼は続けた。

「それと、《招春祭》までボクはしばらく泊まり込みで戻れないから……それじゃ!」

 言いたい事を言い終えると、今度こそ立ち上がり、そのまますたすたと店を出る。その鮮やかな退場ぶりをザックスは呆気にとられて見送った。

「さてと、それじゃ、私も……」

 クロルに続いてアルティナも又、席を立つ。

「ちょっと待て、アルティナ、話はまだ……」

「ゴメン、ザックス、私、これからクエストなの」

「はい?」

「お向かいの青果店のおばあさんと一緒にしばらく街を離れるから……。多分《招春祭》には戻れると思う。話はその後で聞くわ」

 アルティナが言っているのは、ガルガンディオ三大名物御隠居の一人で、ガンツの店の二軒対面の《ギガント青果店》の老婆のことであろう。一年中、店の奥でゆるゆると舟を漕いでいるその姿は、ガルガンディオ通りの日常の光景となっている。

 軽やかな足取りで扉を開くその端正な後ろ姿を呆然としたまま見送ると、ザックスはがっくりとその場に突っ伏した。新たな仲間を加え、華々しい結果を出して尚、パーティのまとまりのなさは相変わらずらしい。

 冬の始めの書き入れ時を終えた頃は、パーティのメンバーはまだアルティナだけだった。休みを惜しんで二人で幾つものクエストを勤勉にこなすことで、十分に冬を越すだけの余力はあった。クエスト閑散期を利用して、どこか観光地に繰り出そうなどとすら考えていたくらいである。

 だが、人生はどう転ぶか分からない。

 危険にそれなりに見合うだけの報酬を神殿から約束されていたはずの《アテレスタ》への旅路は予想外の出費が重なり、クロルという新たな仲間を迎え、未踏破迷宮にまで挑戦することとなった。その結果が今の状況という訳である。

「ザックス殿……」

 突っ伏したままのザックスの頭上から声をかけたのはイーブイだった。その言葉にふらふらとまるでアンデッドのように身を起こし、ザックスは恨めしげな表情を浮かべて切実に訴えた。

「なあ、イーブイ、何かが決定的に間違ってると思うんだ……。どうしてオレがこんな敗北感に、うちひしがれなければならんのだろう?」

「うむ、その苦労、分かるでござるよ」

 時として金銭の問題は友好的な人間関係を一瞬で破綻に追い込む事もあるだけに、その矢面に立たされるリーダーの苦労は、経験したものでなければ分からない。秋口にガンツ=ハミッシュの店が危機を迎えた際の冒険者達の言葉の意味を、ザックスは今ようやく、しみじみと実感する。一人の頃に憧れ続けた信頼する仲間との冒険は、想像だにしなかった苦労を彼に背負いこませようとしていた。努力した者は報われる――当然であるはずの世の理は所詮、儚い理想論なのであろうか? 《冒険者》となってまだ一年足らず。ダンジョンの中とは勝手の違うルールに翻弄される日々が、これからのザックスを悩ませるのだろう。

「ザックス殿、どんなに追い込まれても裏酒場にだけは、決して駆けこんではならぬでござる」

 イーブイの忠告に素直に頷く。

「あ、ああ……。分かってる」

 切羽詰まった冒険者達の足元をみて、高利で搾りとらんとする阿漕な手口に破綻を迎えた者達も少なくない。

『ご利用は計画的に』

 免罪符の如く看板にそっと書きこまれた無責任きわまる他人事のような一言は、しみじみと人の世の悲哀を実感させる。

 だが、眼前に迫る請求書なるものの凶悪な攻撃から逃れ、一時の解放感という現実逃避に浸ろうとする誘惑に抗う事は想像だにせぬ困難を伴うもの。常に楽な方へと走りがちな弱き人の心を、誰が責められよう。

「いざとなれば拙者が貸すでござるよ」

「そうか、すまんな、助かるよ」

 持つべきものはやはり信頼できる友である。危険な戦場で共に戦い、時に神殿の戒めをもはねつける《ザ・ブルポンズ》の結束は、他の何者にも代えがたい。一つの問題解決策が提示されたことで小さく安堵するザックスだったが、イーブイは、ぼそりと付け加えた。

「利率は冒険者協約の四分の一でよいでござる」

 ――ずっこける。

 世間とは、辛く、厳しく、悲しいほどに世知辛い。どうやら《ザ・ブルポンズ》の結束は、カネという最凶のモンスターの前には力及ばぬものらしい。

「も、もしもの時は……、よろしく頼むよ」

 ふらふらと立ちあがるとザックスはカウンターのガンツの元へと向かった。立ち止まっていてもカネは増える訳ではない。むしろ減り続ける一方である。しかも加速度的に……。

 孤立無援のこの状況で、今はこの難敵に対してただ前進あるのみの精神で挑むべきだった。カウンターのいつもの場所でいつも通りにグラスを磨くガンツの前に赴くと、ザックスは眼前の席にどっしりと腰を下ろす。

「ガンツ、何かいいクエストはないか。《魔将殺し》の称号をもつこのオレが本気の本気、『やる気満々』で受けてやるよ!」

ふと、はじめてこの店でガンツと向き合った日の事を思い出す。あの時無名だったザックスは登録をあっさりと断られ、すごすごと店を退散することになった。

 今の彼はあの時とは違う。

 僅かな期間で華々しい活躍をした彼の実績と力があれば、この程度のピンチの一つや二つ、あっさりと乗り越えられるはずである。多くの仲間達の力を借りて歩んできたその道のりを誇りと共に振り返りつつ、ザックスは自信に満ち溢れた表情でガンツに尋ねた。

だが、現実とはままならぬもの。非情なるガンツの言葉によって、歴史は今、再び繰り返されようとしていた……。

「帰んな……」

 傍らの帳簿を手にする事もなく、グラスを磨き続けるガンツは、にべもなく言い渡す。途端にザックスの額が磨き抜かれたカウンターを叩き、ゴツンと鈍い音が周囲に響いた。

「帰んなって……。一つくらい、なんとかならないのかよ」

 再びアンデッドのごとくゆらゆらと起き上がり、額を赤くしたまま恨めし気にガンツを見上げる。

「バカ言うんじゃない。《招春祭》前のこの時期にまともな物がくる訳ないだろう。第一、そんなものがあったらとっくに他の奴らに回ってるさ」

 店に所属する全ての冒険者が、クエスト閑散期の冬場をうまく乗り切る訳ではない。カネ遣いの荒さが災いし、冬を乗り越える前に手持ちを使いきって金策に困った者達が、とっくにめぼしい物を刈りつくし、残っているのはその日の飯代程度にしかならぬものばかりである。

「ちょっと見せてくれよ」

「コラ、勝手に触るな!」

 ガンツの傍らの帳面に手を伸ばし、ページをめくる。

 ザックスの姿に溜息を一つついて、ガンツはグラスを磨き続ける。金策の為になりふり構わぬその姿は、多くの冒険者達を目にしてきた酒場の店主の立場からすれば、見慣れた光景である。誰もが幾度となく通る道に立つことになった非凡な若き冒険者の悩み苦しむその姿を目の当たりにしながら、グラスを磨くガンツは、いつもと変わらぬこの店の日常の景色へと溶け込んでいた。

 奪いとった帳面を乱暴にめくりながら、ザックスは目の色を変えてクエストを漁る。

 それなりの額の報酬が得られるものには、達成した事を示す赤い線が上書きされるか、現在遂行中のパーティ名が記載されていた。ふとある個所でページをめくる手を止めたザックスは、その内容に目を通すや否や、声をあげた。

「ガンツ、ここに一つ残ってるじゃないかよ!」

「ん? そんなはずはないが……」

 得意げなザックスの姿に眉を潜め、カウンターに身を乗り出したガンツは、その手元を覗き見る。

 ザックスの指し示した先には、そこそこの額の報酬が約束されたクエストが記されており、依頼主欄には「冒険者協会クエスト審査部」と記入されている。その内容にガンツは顔をしかめた。

 様々な曰くつきのそれは協会との付き合いで、つい最近仕方なく引き受けたものだったが、彼はそれを店に所属するどのパーティにも回す事はなかった。春を迎えたら、多少のペナルティーを覚悟して、引受人無しのクエストとして協会へと突き返すつもりだった。

「待て、ザックス! そいつは……審査……」

 ガンツの制止も空しく、遂行中のパーティ欄にはいつの間にかザックスの名がでかでかと朱書されている。《瞬速》を使ったのだろう。羽ペンと帳面をガンツに返却したザックスは、意気揚々とカウンターを離れ、クエストへと向かう。

「まあ、これも勉強か……」

 行動力は大切だが、それだけではどうしようもないのが世の中である。圧倒的な成長値に対して、まだまだ世情に疎い未熟な冒険者の背を、ガンツはため息を一つつきながら見送った。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 そろそろ春を迎える頃とはいえ、まだ風は冷たい。

《ペネロペイヤ》から《エルタイヤ》へと転移したザックスはそこで依頼主と合流し、《エルタイヤ》近郊の村外れのこの場所にやってきたのだった。

 荒涼とした荒れ地のど真ん中で、時折激しい爆発音と共に、濛々と土煙りが立ち昇る。バラバラと落ちてくるこぶし大の石つぶてを、ザックスは慌てて背の大剣を引き抜いて頭の上にかざしてやりすごした。ガツンゴツンと鈍い音を立てて剣にぶつかる土砂の塊を少々複雑な心中で見下ろす。

 二束三文の価値にもならぬ周囲の土地を買い占め、大々的に地術魔法をぶっぱなすのは爽快ではあったが、当の依頼主の胡散臭さは如何ともし難い。彼は《エルタイヤ》最高神殿に付属する学問所の学士だった。

「な、なあ、そんなに派手にやって大丈夫なのか? 目的の物が見つかるどころか粉微塵に砕け散りそうなんだが……」

 行使される度に大きく地面をえぐっていく地術魔法を目の当たりにしながら、ザックスは不安げに尋ねる。

「何を言ってるんだね? ザックス君」

 土埃にまみれてギラギラと怪しく目を輝かせ、壮年の学士は嬉々として土いじりに励んでいる。

「我々が探している《魔導器》は《神鉄鋼オリハルコン》あるいはかの伝説の金属、《緋緋色金ヒヒイロカネ》で作られたと言われているのだ! この程度の魔法で壊れるなど、あるわけないではないか!」

 その昔、魔王によって作られたとか、魔神の躯の欠片であるといわれる《魔導器》の探索及び依頼主の警護というのがクエストの内容だった。常人が聞けばすぐさま顔をしかめるような眉唾な話だったが、かつてウルガから魔王の実在を仄めかされ、その部下と目される《魔将》達と心ならずも懇意な人生を送るザックスには無視できぬ話である。

 とはいえ、当の依頼人からそこはかとなく漂うイカサマ臭が妙に気になるものの、学士なる生業の者にお目にかかるのは初めての事。世の中には、日々の糧にも事欠く厳しい生活に追われる人々がいる一方で、怪しげな研究をして日夜暮らすことのできるような夢見がちな人間というのも存在するらしい。

「報酬は……、本当に大丈夫なんだろうな?」

 訝しげに尋ねるザックスに学士は胸を張って答えた。

「無用な心配だよ。ザックス君。もしもの時は協会に預けてあるクエスト供託金から受け取ればよいではないか。そんな些細な事よりも周囲をよく見張っておいてくれ給え。お宝があると分かればあらゆる手段で奪い取ろうと企む不心得な輩は、いつ現れるか分からぬのだからな」

 人っ子一人通らぬ荒野のど真ん中で、彼は少々危ない表情を浮かべつつ、周囲に隈なく目を配る。

 学士の世界では、手柄を奪い合ったり、足を引っ張り合うというのは日常茶飯事らしい。

 この度の《魔導器》探索も周囲の者に気取られぬよう、隠密に事を運ぶのに相当な苦労を要したらしく、違う街の冒険者であるザックスを雇ったのも、そのような理由からだという。

 自信満々といった風情で彼の問いに答えた学士は、再び土いじりに没頭し始める。ザックスのことなどもはや眼中にないといったその姿に一つため息をつくと、彼は次の魔法に備えて少し離れた場所へと身を移す。すっかり手持無沙汰になり、何気なく手にした大剣をしみじみと眺めた。


 製作者であるヴォーケンによって《地斬剣アース・クラッシュ》と名付けられたそのミスリル製の大剣は、《貴華の迷宮》で失った《ミスリルセイバー》に代わるザックスの新たな武器である。

 彼の体格とほとんど変わらぬその大剣の形状は剣というより斧や鉈に近い。斧剣といった表現がより正確だろう。

 幅広な剣の平を正面に突き立てれば、盾代わりとなってモンスターの強靱な一撃に耐え、パーティの前衛としての装備としてはまずまずの及第点だった。どこかケレン味のあるその外見は、冒険者の間で一時期流行ったスタイルらしく、《魔法銀ミスリル》製であるとはいえ並みの戦士ではとても扱えぬその重さは、マナを駆使する冒険者だからこその武器といえた。

 ヴォーケンの店の裏手の地下倉庫に眠っていたそれを選んだザックスだったが、作り手であるヴォーケンは少々複雑な面持ちであった。ともかく、この剣と何となくフィーリングが合ったザックスは、予備のミスリルセイバーと共に購入し、新たな武器としたのだった。補助魔法《爆力》を行使すれば、並みの剣とほとんど変わらぬスピードで扱え、その一振りは、その名の示す通りに易々と地を割いた。

『オメエ……、何か迷ってんのか?』

地斬剣アース・クラッシュ》を選んだ時に何気なく言ったヴォーケンの言葉が、ふと思い浮かぶ。ヴォーケンの言うところの迷いとは、おそらく《貴華の迷宮》から帰還して以来、心の中にぽっかりと空いた穴の事を指しているのだろう。なぜ、その事に気づかれたのかは分からぬまま、曖昧な笑みでごまかしたザックスだったが、その言葉は奇妙に心に残っている。

 ほとんど運に助けられたといってよい《魔将》との決着と、目的を完全に果たせぬまま後にすることとなった探索の結果には、心残りや気がかりなことも多い。目的を果たす為に挑んだ探索行が、いつも納得のいく結果に終わるとは決して限らないのが、冒険者の常である。


「君……、ザックス君」

 剣を片手にぼんやりともの想いにふけっていたザックスに、学士が呼びかけていた。それまでの傍若無人な様子は心なしかなりを潜め、警戒の表情を浮かべている。

「なんだよ?」

 不意をつかれ、思わず強い口調で答えたザックスは、不安げな学士の視線の先を目で追い、僅かに眉を潜めた。

 ここは荒野のど真ん中。

 誰かに出会うことなど全くないはずだったが、遥か向こうからこちらを目掛けて物々しい一団が迫っていた。その身なりから傭兵、あるいはゴロツキ、もしくは同業者であると推測される。

 偶然通りかかったなどという言葉では絶対に表せないこの状況にザックスは一つため息をつく。お花畑のように見える学士達の世界にも、冒険者達の世界と同じく殺伐とした匂いが感じられた。近づいてくる者達は、彼の発見を横取りして自分のものにしてしまおうという同業者の手先、というのが相場だろう。

 ――どうやら楽な仕事で終わりそうにないな。

 近づいてくる物騒な一団に向かって大剣を片手に立ちはだかる。

「き、君……、ひ、一人で大丈夫なのかい?」

 近づいてくる七人の悪漢らしき者達の姿を横目に、ザックスは自身ありげに答えた。

「大丈夫。大した奴らじゃないようだ。少しばかり痛めつけて追い払ってくるから、アンタはさっさと目的の物を見つけるんだな」

 彼らのたたずまいからその実力を見て取ったザックスは、学士に答えると迫りくる悪漢達に向かって歩み出す。

「そ、そうか。じゃあ頼んだぞ。目先のカネの為ならなんでもするような不逞な輩に言葉など必要ない! 世の為人の為、問答無用でバッサリやってくれ給え!」

 物騒な言葉がザックスの背を押した。荒事と縁遠い者ほど、いざという時、過激になるものだ。

 ようやく近づいて来た彼らが一声発しようとする瞬間をねらって、ザックスは手にした《地斬剣》を一振りして機先を制した。

 人の体幅ほどもある刃から放たれた剣撃で、双方の間に一本の境界線がくっきりと生まれ、濛々と土煙りが立ちこめる。

「感心しねえな。他人のものを横取りしようってのは? 自分の欲しい物は自分の努力で手に入れるってのが、正しい人の道って奴だろう?」

地斬剣アース・クラッシュ》の一振りで真横に切り裂かれた地面と、異様な形状の剣を構えて立ちはだかるザックスの姿に、悪漢達の顔色が変わった。

「な、なんだ、お前。お、俺達にだって分け前を頂く権利くらいあるんだぞ!」

「だから、獲物が欲しけりゃ自分で探せっていってるだろうが。他人の物を横取りってのは……」

「ず、ずるいぞ、テメエ。さては供託金を一人占めしようって魂胆だな! そうはいかねえ。俺達だってカネをもらう権利があるんだ。このままクエスト報酬を踏み倒されて逃げられちゃ困るんだよ!」

「へっ?」

 どうにも話がかみ合わない。

「アンタ達、一体ここに何しに来たんだ?」

 その問いに一人の男が怒りをあらわにして怒鳴りつけるように答えた。

「俺たちゃ、あの詐欺師ヤロウに踏み倒されたクエスト料の回収に来たんだよ!」

 その言葉に一同が頷いた。

「あのウソつき野郎、希少鉱物の鉱脈を掘り当てるとかいってさんざん協力させやがって、出ないと分かった途端に逃げ出しやがった」

「後で報酬と一緒にまとめて払うからなんてさんざんカネ出させて、いざとなったらドロンと消えやがって……」

「お前もかよ、俺もそうだ! あの野郎、絶対に許せねえ!」

 口々に被害を叫ぶ男達の姿と聞いていた話とは全く違う展開に、大剣を片手にしたザックスは唖然とする。

「おい、一体どういう事だよ」

 振り返った彼の視界に映ったのは、慌てふためきながら馬に乗って逃亡を図ろうとする学士の姿だった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



《招春祭》前のこの時期、夕食時の酒場は景気が悪い。

 カネを使い果たした者、《招春祭》に備えて倹約する者、などなど、心もとない冒険者達の懐事情は、酒場の売り上げにも大きく影響する。

 どことなく沈みがちな空気が支配する店内の様子に、カウンターのいつもの場所で店主のガンツは一つため息をつく。

 ――全く、どいつもこいつも、もう少し計画性って言葉を学ぼうとは思わねえのか?

 分かっていてもできぬのが冒険者であることは、彼らとの長年の付き合いで十分に承知している。面白いように毎年繰り返されるおなじみの光景は、春の訪れと共にやってくる好景気の前触れでもある。店に所属する者達の懐事情に気を配りながら上手く彼らを春の景気の波に乗せてやるのが、酒場の店主の腕の見せ所であろう。

 と、店の扉が重々しい音と共に開き、僅か一年足らずですっかり店の常連となった一人の冒険者が疲れ切った足取りで現れた。あまりにも予想通りのその姿に苦笑いを浮かべ、ガンツは彼をカウンターで出迎えた。

「で、首尾はどうだった、ザックス?」

 結果が分かっていたとはいえ、その問いは今の彼には少々酷であろう。当のザックスは精も根も尽き果てた様子でゴツンと音を立ててカウンターに突っ伏した。握られた手からころりと僅かな銀貨が悲しく音を立てて転がった。その日のクエストの報酬は実に微々たるものだった。


 あの後――。

 逃亡を図ろうとした学士を皆で慌てて追いかけ、ようやく捕まえると彼らは徐に事情を問いただした。とはいえ嘘つき呼ばわりされる学士が真実を話すべくもない。仕方なく彼を縛りあげ《エルタイヤ》の冒険者協会へと突き出した先で知りえたのは次のような事情だった。

 どうやら研究者としての身分は確かである彼が、クエスト報酬の支払いを踏み倒したのは一度や二度ではないらしい。中には彼の口車にのってその研究に出資して回収不能となった者もいるようだ。クエスト依頼時の身元保証用の供託金制度を悪用することでいくつものクエストを重複依頼しては同じような事を繰り返したらしい。

『偉大な研究の為ならば多少の犠牲など已むを得ぬ! 諸君らの尊い協力はいつか必ず明日の学問の発展に……』

 世の中には学術的価値のある貴重な遺物を己の手で埋めては掘り返し手柄にする、などというろくでもない奴もいる、そのような者達に比べれば私はまだまだ良心的なのだ――とばかりに傲岸不遜な言葉を吐く学士を、怒りに燃えた債権者たちが次々に踏みつける。しかるべき制裁を加えてようやく溜飲を下ろした一同の次なる興味は、供託金の分配だった。

 とはいえ、その分配方法には冒険者協約の定めがある以上、その内容通りに分配されることになり、ザックスが手に入れたのは紙切れ同然の荒れ地の所有証明書と僅かな銀貨だった。夕食代であっさり消えてしまうクエストの成果は、文字通り骨折り損のくたびれ儲けである。

 世の様々な立場の人々からの依頼を取り扱うクエスト審査部には多くの課が存在し、仕事のいい加減さが売りの冒険者協会にしては珍しく、各課の厳密な査定と手続きを経て、それぞれの酒場にクエストが依頼される。オチャラケ団体も自身の収入に関してだけは、目の色が変わるものらしい。

 依頼主欄に『冒険者協会クエスト審査部』としか書かれぬままに回ってくるものは大抵、依頼人かそのクエスト内容に著しい瑕疵があるというのが相場だった。協会がそれらを断れないのは、様々な社会的力学ゆえの所謂、『大人の事情』というものである。

「まあ、これも勉強だと思ってあきらめることだ」

「分かってたんだったら、先に教えてくれよ」

 ガンツの言葉にザックスは恨めし気に答える。

「何言ってやがる。忠告する前に飛び出して行ったのはお前だろ?」

「そりゃまあ……、そうだけどさ……」

 不貞腐れても後の祭りである。

「こいつでも飲んで、さっさと忘れちまうんだな」

 カウンターに突っ伏したザックスの傍らに、ガンツの奢りの酒が置かれる。再び店の扉の開く音をどこか遠くに聞きながら、ザックスはツンと酒精の香るそれに手を伸ばした。

 当初の問題が解決したわけではない。

 予想外のタイミングで舞い込んできたとんでもない額の請求書の期日は確実に迫りつつある。残された手段はもはや現実逃避しかないのだろうか? 憂鬱な気分で傍らのグラスに口を付けようとした時だった。

「あのー、すみません。こちらにザックスさんという方はいらっしゃるでしょうか」

 突然名を呼ばれ、何気なく振り返ったその先には見知らぬ男の姿がある。どことなく野暮ったい身なりのその男は冒険者とも《ペネロペイヤ》の街の住人にも見えない。

「ザックスはオレだけど、誰だ、アンタ?」

「これは申し遅れました。私……」

 ザックスに声をかけたのは、彼がクエストで訪れた荒れ地の近くにある村の村長だった。

「いやぁ、お探ししました。それにしても懐かしいですね、この空気。ああ、これでも私、昔は冒険者でして……。いや、駆け出しの頃に直ぐにあきらめて、故郷に帰ったんですが……」

「一体、オレに何の用だい?」

 クエストの最中、あの学士がザックスの知らぬところで、なにやら問題を起こしていたのか、と訝しむザックスだったが、村長と名乗った男は意外な申し出をした。

「実は……、ザックスさんのお持ちの荒れ地の所有証明書、それを私どもの村に譲っていただきたいのですが……」

「へっ?」

 人っ子一人訪れぬあのような場所に一体何の価値があるのか。不審の念を浮かべるザックスに村長は続けた。

「ああ、勿論、タダでなどとは申しません。そうですね。十万シルバ程でいかかでしょうか?」

「はい?」

 さらなる申し出に唖然とする。

 債権者達が誰一人見向きもしなかった荒れ地の所有証明所に、突然高額の値段を付けられれば、当然であろう。

「悪いが事情が全く飲み込めない。あの場所に何の価値があるんだ?」

 冒険者達に袋叩きにされている学士の顔が思い浮かぶ。やってきたことはともかく、その研究内容はどうやら本物らしく、彼の持論を証明しうる何かが見つかったとでもいうのだろうか?

 だが、ザックスの問いに対する答えは意外なものだった。

「実はですね。掘り起こされたあの場所から温泉が湧き出しまして。村人の総意でそれを我々の村に引き込もうということになったのです」

 温泉は貴重な観光資源となりうる。豊かさと縁遠い村であれば喉から手が出るほどに欲しがるのは頷ける。《エルタイヤ》の近辺という立地条件は保養地としては十分すぎる。

「成程。そういった事情なら分からんでもない。だが、十万ってのは安いな。どうだ、ザックス。俺に十三万で売らないか。その手の事に詳しい伝手があるんでな、上手くやれば十五万以上の値段で売れるはずだ」

 それまで、黙って聞いていたガンツが横から口を挟む。思いがけぬ彼の合いの手にザックスは再び驚いた。

「ちょ、ちょっと店主さん。隣りから割りこまれるのは困ります」

「なんだ、あんた知らないのか。ここにいるザックスはこの店の誇るあの《魔将殺し》の称号をもつ只一人の冒険者なんだがな……」

「ほ、本当ですか?」

 その言葉に村長は居住まいを正し、慌てて神殿礼をする。田舎の村人にありがちな敬虔な創世神殿の信者であるらしい。ガンツがさらに続けた。

「そんな奴が見つけた温泉なんだから……、そうだな。『魔将殺しの湯』なんて宣伝したら、きっと只の客だけじゃなく、あちこちの冒険者がこぞってアンタのところの村に訪れることになるだろうさ。そう、カネ遣いの荒い冒険者達がこぞってな……」

 ガンツの言いたい事を理解したのだろう。村長の目の色が変わった。

「な、成程。確かにそれならば、ええ……きっと……」

 彼の頭の中には、どんどん豊かになってゆく己の村の姿があるはずだ。冒険者としては鳴かず飛ばずであった彼も、村の経営者としての第二の人生では、栄光の勝者となることも夢ではない。

「わ、分かりました。それでは十八、いや二十万でいかかでしょう。二十万シルバ! どうかこれで私どもに土地をお譲り下さいませ。いえ、ぜひともお願いします」

 その申し出に再び唖然とする。

 つい先ほどまでタダ同然だった紙切れが十万になり、さらに倍額へと変貌した。もはや己の理解不能な状況に当惑して傍らのガンツに助けを求めようとするものの、当の本人は口元に僅かな笑みを浮かべて、素知らぬ顔でいつも通りグラスを拭いている。

「わ。分かった。その値で譲ろう」

 もはや乗りかかった船である。うまくすれば舞い込んできた理不尽な請求書を一掃して、お釣りがくる。土地の現在の所有者であるザックスの同意を得たことですぐさまガンツを立会人とした契約が結ばれ、証書を手にした村長は意気揚々と店を後にした。

 カウンターに座ってその背を見送るザックスだったが、やがてその傍らに立つガンツにぽつりと尋ねる。

「なあ、ガンツ、カネって一体、何なんだろうな?」

 その問いに彼はさらりと答えた。

「ただの道具さ。忠実な召使いなんて言う奴もいるがな。だが、使いこなせぬ奴には性質の悪いモンスターになって容赦なく牙をむく……。せいぜい食われんようにする事だ……」

 理不尽な請求書から始まった一連の事態にさんざん振り回され、もはや疲労困憊のザックスにしてみれば、ダンジョンの中でモンスター相手に剣を振り回している方がずっと性に合っている。

「そうだな。気をつけるよ」

 そろそろ春めいてきたいつもの店内で、しみじみと呟いて手にしたグラスを口にする。

 少しばかり冷え気味の酒の苦みがじわりとザックスの喉に広がり、次いで酒精の熱がゆっくりと胃の腑へと染み落ちていった。




2013/09/28 初稿




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