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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚03章 ~騒乱の都市編~
86/157

43 エピローグ 騒乱の都市

 反省房――そこは、小さな頃に神殿内のあちらこちらで姉達と悪戯をしては、皆で放り込まれて一晩過ごした思い出深い場所である。天井に浮かんだモンスターの影に皆で怯えて震えながら眠った翌朝、似たような形の天井の染みに胸をなでおろして笑いあった事は、今も懐かしい思い出の一つである。

 だが少しだけ大人になってみると、この場所に入れられるという事が以前とは全く意味合いが違う事にイリアは初めて気づいた。

 解錠の音と共に眼前の扉が開き、室内に差し込む眩しい光のシャワーに目を細める。扉を開いてくれた小さな頃からよく知る初老の男に神殿礼をすると、イリアはその場を後にした。

「またおいで。ああ、でも、もう来てはいけないかな……」

 そんな彼の笑顔に背を押されて、イリアは元の生活に戻っていく。身を清めると直ぐに彼女は巫女長であるルーザの元へと赴いた。そろそろ春を予感させる僅かに寒さの緩んだ空気の中を粛々と歩く。己の未熟さから始まった大冒険に幕を引くべく、彼女は責任ある神殿巫女として、その不始末の責めを負わねばならない。


 ノックと共に招き入れられた室内は、クーフェの香ばしい香りが立ち込める。導かれるままにテーブルに着いた彼女の前にそれが出された事にイリアは少し驚いた。これまでは決してなかったことである。

 味はどうですか、と問われたイリアは「苦いです」と正直に答えた。室内に二人の笑い声が響く。すぐさま暖めた果実汁で口直しをすると、暫しの沈黙が訪れた。

「痩せては、いないようですね。全く、あの娘たちときたら……」

 言葉とは裏腹に、ルーザに咎め立てする気配は全くない。ほっと胸をなでおろすと同時に、なんでもお見通しなのだなと彼女の眼力に舌を巻く。

《ペネロペイヤ》に帰還したイリアは直ぐに反省房へと放りこまれることとなった。

 大事になったという訳ではないようだが、それでも通常よりも長めの謹慎期間だったのは、彼女の立場ゆえであろう。高神官ライアットの義娘である彼女の特別扱いは、他の巫女達の手前、後々、彼女への反感を招く事になるだろうという思惑から取られた厳しい措置であったが、当のイリアには知らされてはいない。ただ、謹慎の期間中、毎夜、彼女の姉貴分達がやってきては彼女の身の回りの世話をして帰っていった。房の管理者である初老の男の目を盗んで、とエルシーは言っていたものの、お目こぼしというのが本当のところだろう。身の回りの世話と称して夜毎にやってきた彼女達の目当ては、当然、イリアが体験してきた大冒険の話であり、退屈と娯楽に飢えた神殿巫女の悲しきさがであるといえるかもしれない。

「この度の《アテレスタ》行きで何かを得る事ができましたか、イリア?」

 ルーザの問いに、イリアは暫しの黙考の後に正直に答えた。

「分かりません。もしかしたら、失くしてしまったことばかりだったような気がします」

 マリナに怒られ、大切な人を失いかけ、自身が巫女という名の道具として扱われ、只、無力感ばかりを覚えた――アテレスタで過ごした日々は己が周囲の足手まといになっていた事ばかり思い出される。

 そんな彼女にルーザは微笑みかける。

「また、少し、大人になったようですね……。貴女は……」

「そうでしょうか? 私にはそうは思えないんですが」

 ザックスを始めとして、その仲間であり友人となったアルティナ、マリナ、ブルポンズの面々、そして知り合った多くの人たち、彼らはみな自分達の責任で行動をしている。それに比べれば今のイリアはただ、周囲の人々に守られるだけの存在でしかない。僅かに暗い気持ちになるイリアに、ルーザは続けた。

「確かにあなたの周りにはあなたよりもずっと先を歩き、様々な世界を見知っている人たちはたくさんいるでしょう。ですが、彼らには得られるものがあると同時に、決して得られぬものがあるのです。己の望みをかなえればかなえるほど、逆に得られなくなってしまう、それは得てして身近に当たり前のように転がっているかけがえのないものです」

 イリアの脳裏にたくさんの人々の姿がよぎる。彼らが決して得られぬかけがえのないものとは一体何なのか、今の彼女には見当もつかなかった。

「イリア、人が大人になる為には出来る事を知るのではなく、決して出来ぬ事がある事を知らねばなりません。そして、自分には出来ぬがそれを出来る人がいる、逆にその人には出来ぬが自分にはできることがあるということを……。なんでもできる事は良い事ではありません。それは一見素晴らしい事のように思えますが、自身の世界を縮め続け、やがては孤独を招く事になる。

 出来ぬ事をしらぬままに出来る事ばかりに夢中になり、それを正しいと他者に押し付けることが当然になれば、やがてその積み重ねは大きな矛盾を生み出す事になります。そしてそれに耐えられぬ弱いものから次々に倒れ、最後に己をもつぶしてしまうことでしょう。結局のところ、なんでもできるという事は幻想でしかないのですから……」

 手元のカップに口を付けるとルーザは続ける。

「人は己に出来ぬ事を知った時、はじめて周囲を必要とし、また、必要とされるようになるのです。そして互いに必要とし合う繋がりは、人の世を生きていく上では何よりも強い……。ただね、イリア……。それがいつもそうであるとは限りません、正しいとも限りません。何かの拍子に周囲の環境が大きく変わった時、それは通用しなくなる。《アテレスタ》で神殿巫女という物差しを通して、貴女も気付いたはずです」

 その言葉にイリアはコクリと頷いた。

「そんな時はどうすればよいのでしょうか?」

 未熟な己のはるか先を歩くルーザならきっとその答えを知っているはず、そう期待したイリアに対して、ルーザの答えは意外なものだった。

「分かりません」

「えっ?」

「分からないのです。大人にも分からぬ事はあります、そしてその答えを自分で探さねばなりません。そして辿りついた答えは皆、違うのです。私の答え、貴女の答え、そしてマリナの答えも……」

 アテレスタで神殿巫女として奮闘するマリナ。時折、彼女の存在は《ペネロペイヤ》にいた頃とは比べ物にならないくらいに遠くに感じられる事があった。

「貴女から見ればマリナはずいぶんと先に進んでいるように見えるかもしれません。でも、私からみれば貴女もマリナもまだまだヒヨッコなのです。もしも貴女とマリナの違いがあるとしたら、マリナは己の答えの探し方を知っているということくらいでしょう」

「答えの探し方ですか?」

「ええ、そうです。探し方だけです。決してそれは常に正解に至るものであるとは限りませんが……」

 マリナは誤った道を歩いているのかもしれないということだろうか?

「よくわからなくなりました」

「それでいいのです。聞きかじったくらいで、何でも分かったふりをする事ほど愚かな事は分かりません。他人の言葉を己に張り付けたところで、それは直ぐに剥がれ落ちてしまうもの。剥がれ落ちた後には醜く安直な己の姿が残るだけです。困難にぶつかったとき、貴女が己の人生と共に悩み、苦しめばよいのです。そこから出た答えはおそらく貴女自身にとって正しいものとなるでしょう。時に、それが世の理に反する事となってもね……」

「はい……」

 神妙な面持ちでイリアは答える、ルーザの言葉は重くのしかかるものの、その半分も受け止め切れてはいない事を自覚する。おそらくそれでいいのだろう。答えはこれから自分で探すのだ……そう、己に説いているに違いない。

「これで、貴女は本当の神殿巫女になれましたね」

 ルーザの言葉にイリアは怪訝な表情を浮かべる。そんなイリアにルーザはころころと朗らかに笑って続けた。

「試験を受ければ巫女という資格を得られるかもしれません。日々のお務めや困難な仕事はさらに貴女を飛躍させ、自身をつけるでしょう、でもね……」

 僅かに言葉を切る。

「得意になっていた己が過ちを犯し、自身を失いかけ、その中で逃げることなく答えを探す。神殿巫女とは反省房に入って、初めてなれるものなのですよ」

「なんとなく言いたい事は分かるような気もするのですが……、な、なんだか、全然、納得できません……」

 合点がいかぬイリアの様子に、ルーザは声を上げて笑う。そしてぽつりと呟いた。

「勿論、未熟な者の失敗を十分に受け入れるだけの度量を周囲の環境が備える事が大前提ですが……」

 よく聞き取れなかったイリアが聞き返そうとしたのを差し置いて、ルーザは立ちあがると己の執務机にむかう。

「さて、イリア、只今から貴女には神殿巫女としての務めに復帰してもらいます」

 凛としたルーザの言葉にイリアは背筋を伸ばす。結局のところ今の己にはそれしかないのだということを強く自覚するとともに、小さな喜びが胸に湧き上がる。

「復帰した貴女に最初の仕事なのですが……」

 そう告げると引き出しより鍵を取り出した。イリアもよく知るそれは、神殿巫女寮の一室の鍵である。それに彫りこまれた部屋の番号にイリアの心音が跳ね上がる。それはかつてマリナが使っていたものだった。

「近日中に、新しい巫女がこちらに赴任します。彼女がこれから使うことになる部屋の清掃を、貴女にお願いします」

「は……、はい」

 返事はしたものの、複雑な気分である事には変わりない。その部屋はイリアが神殿巫女になる前から、ずっとマリナが使っていた思い出深い場所だった。使用者がいなくなってしまった今も、巫女寮で暮らす多くの者達にとって、そこはマリナのいた場所のままである。

「あ、あの、ルーザ様。お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「許可します。イリア」

「赴任されてくる巫女とは、一体どのような方なのでしょう?」

 マリナの部屋だった場所で暮らす新しい彼女と、自分はうまく折り合いをつけられるだろうか――そんな疑問がイリアの脳裏をかすめる。そんなイリアの様子を暫く見つめていたルーザだったが、やがて悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。

「新しい巫女は貴方と同じ中級巫女で、《アテレスタ》よりいらっしゃいます」

 その一言で、イリアの顔に明るい花が咲く。

「あの、ルーザ様、もしかして、それって……」

 イリアの疑問にルーザは微笑みで答えた。

「分かりました。すぐに清掃に行ってきます」

 神殿礼もそこそこに、鍵を握ったイリアは脱兎のごとくルーザの部屋を飛び出してゆく。遠ざかってゆく彼女の心情を表すかのような心地良いリズムの足音を耳にしながら、ルーザは己の席につくと、そっと引き出しを開いて3通の手紙を取り出した。

 送り主の違う3通の手紙。そのどれもが《アテレスタ》の神殿内で起きた凶事に関する内容に関する事だった。

 一通は最高神殿より、一通はライアットより、そして最後の一通はマリナからだった。開封済みのマリナの手紙を開いてその文面に再び目を通す。

 いつも冷静な彼女にしては珍しいほどに心情の乱れきったその内容は、《アテレスタ》神殿内に暮らす人々の事件への衝撃の大きさを物語っていた。そして、その文面の中に見え隠れするマリナのらしくない表情に、言葉にはどうしても出来ぬ彼女の想いが見て取れる。ライアットの手紙にもその事が何となしに記されていた。彼が側についている事から大きな心配はないものの、彼女の中に残る傷は早く《ペネロペイヤ》で癒すべきものであろう。

 そして最後の一通。最高神殿からの手紙は実に事務的な内容であった。

 ――マリナの《ペネロペイヤ》への再びの異動。

 事件が起こった事によって神殿内の全ての人間が一人残らず《アテレスタ》から異動となり、大神殿に昇格されるその場所には改めて任命された神官長の元に新しい体制が整えられる事が決まっている。事件後、すぐに姿を消した若き神官長の行方は、杳として知れぬまま、闇へと葬られることになるようだ。

 ――何にしても、今はあの娘の無事の帰還のみを願いましょう……。

 一人の人間に出来る事は限られている。けれどもせめて己の大切なものくらいはどうにか守りたいもの。娘同然の神殿巫女の無事を祈って、ルーザは3通の手紙をそっと引き出しにしまうのだった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



『懐かしい景色』と呼ぶにはさほど時間はたっていないはずである。だが、ようやくたどり着いたその場所に立ち、そこの空気を胸一杯に吸った彼らが最初に感じたのは、やはり懐かしさだった。

「やっと帰ってこれたのね……」

「ああ」

「…………」

 自由都市《ファンレイヤ》より《転移の扉》を潜った3人は、《ペネロペイヤ》の旅立ちの広場に辿りつき、そのような感慨にふけりながら周囲の喧騒を見回していた。

 そこには人間同士が血を流し合う争いの匂いは感じられない。誤解や行き違いから生まれる争いはあれども、それはほんの一時の事であり、ちょっとした通り雨のような争い事も、過ぎ去ってしまえば元の平和な日常がまた顔を覗かせる。

 まだ僅かに寒気が肌を刺すものの、穏やかさを感じさせる街の匂いに心が緩んでいく事が肌で感じられる。広場の片隅に立ってそんな日常の風景を眺めていた3人だったが、旅先での大きな喪失感が、彼らの心から抜け落ちる事はなかった。




《杯の魔将》を何とか撃退して、城塞都市《アテレスタ》の地下に封じられていた未踏破迷宮を踏破した彼らは、無事に地上に戻り、協会長とアマンダ達の出迎えを受けた。

 彼らの功績はすぐさま大きく発表され、再び大きな活躍をした《ザックスのパーティ》の名声は、本人たちの心情とは裏腹に《アテレスタ》中に轟くこととなった。初めてのミッションにおいて《踏破者》の称号を得る事になった彼らの功績は、冒険者協会としても異例の事である。


 未踏破迷宮の踏破者に与えられる迷宮命名権については、その決定までに当事者たちの間でちょっとした議論が沸き起こった。

『屈辱の迷宮』『敗北の迷宮』などなど、迷宮から帰還して以来、すっかり魂の抜けきったリーダー、ザックスの半ばやけっぱちな案に首を縦に振る者はいなかった。廃案に次ぐ廃案の末、ライアットの助言によってこの未踏破迷宮は『貴華の迷宮』と名付けられることでようやく収まりがついた。遥か迷宮の奥深くで失われた者への哀悼の意味がその名に込められている事を、知る者は少ない。だが、この街と《冒険者》が存在する限り、この街の変革の礎になった彼女がいた事は永遠に残り続けるはずである。


 帰る者のいなくなったラフィーナの屋敷では、 残された老執事が一人、屋敷と庭の手入れをしながら主の帰還を今も待ち続けている。迷宮からの帰還後、事の顛末をクロルから聞いた彼は只一言、『それでもお嬢様はいつかきっと帰ってこられます』とだけぽつりと呟いて微笑んだ。冷たい空気の中で、ひっそりと葉の生い茂る低木の前で立ち尽くす老いた彼の背中は、ザックスの中に強く印象に残った。

 次の夏になれば又、いつもの年と同じように、あの清楚な花がさわやかな香りをふりまきながら咲き誇るのだろう。決して帰らぬ主の帰還を出迎えるために……


 冬の初め以来、街の有力者を襲い続けたクロルの処遇は、実にいい加減な決着を迎えた。

 街の者達の興味はいつしか、夜な夜な出没しては街を徘徊し、治安を乱そうとする者に正義の鉄槌を下す謎のリビングメイルの方に移っていた。

 ――《鉄機人》は彼によって討伐された。

 ――実は彼の配下であり、《鉄機人》に襲われていた方が悪人だった

 ――彼こそが《鉄機人》である

 などなど、噂は噂をよび、街に誕生した新たな迷雄のお陰で《鉄機人》の正体については、うやむやになっていた。兎にも角にも神殿と冒険者協会と一部の街の有力者との話し合いにより、クロルの《アテレスタ》からの永久追放という形で、事の一切に決着がついていた。

 ちなみに謎のリビングメイルは時折、アマンダの店に現れ、過ぎ去っていった懐かしき過去と古き漢達の時代をしのんで、店の片隅で献杯する姿が多くの《冒険者》達に目撃されている。『貴華の迷宮』で探索の際に時折、出会う事もあるらしく、冒険者協会のガイドブックにこの街におきる珍現象の一つとして、いずれは登録されることとなるだろう。


 現在、この街の唯一の冒険者の酒場である《アマンダの店》のカウンターでは近頃、小さな店員が一人働き始めたらしい。将来、冒険者になる事を公言している彼は、腰に錆びたナイフを差して荒くれ者達の間を上手く渡りながら、アマンダと共に店の切り盛りに慌ただしい毎日を送っている。

「もしかしたら酒場の店主のほうが向いてるんじゃないか」

 ぽつりと呟いたザックスに、堂々とライバル宣言をするあたり、彼は本気のようだ。

「ライバル宣言は冒険者だからってだけじゃなさそうよ」

というアルティナの言葉の真意は不明であるが……。


 神官長自ら引き起こした凶事で揺れた創世神殿は暫くの間、高神官であるライアットが臨時神官長として事の一切を切り盛りし、無事に後任の神官長に引き継ぎを終えた。事件のあらましは信者達にも一切秘匿され、その詳細を知る者はほんのごく一握りである。帰還後のマリナの様子にザックスは小さな違和感を覚えたものの、神殿を一時閉鎖して全ての神殿関係者が異動となる事で、彼女も又、《ペネロペイヤ》に戻る事になるらしい。ハツカル病の流行の際には正しい対応ができるのか疑問ではあるが、それはこの街の責任者の地位に立つ者の課題なのだろう。ルドル山に再び《セイレーン》が現れぬ事を祈るばかりである。


 そしてウォーレン王国の旧王都であった城塞都市《アテレスタ》は、直に訪れる《招春祭の日》をもって、自由都市《アテレイヤ》と名を変えて新しい門出を祝う事が決まっている。《転移の扉》が開放され、同時に一時閉鎖された《アテレスタ》神殿も《アテレイヤ》大神殿として、再び本来の務めを果たすこととなるようだ。多くの人々が来訪するだろうその新しい名の街でいかなる物語が繰り広げられるかは、創世神のみぞ知るといったところであろう。




 一連の事態の結末を何となく思い返しながら、ザックスは《ペネロペイヤ》の街を行き交う人々をぼんやりと眺めていた。寒さが緩んできたせいか、この街を出発した頃よりも人通りは増えているような気がする。

 帰還して以降、どこか気が抜けたままになってしまった最大の理由は、やはりヒュディウスとの決着がうやむやになったからだろう。多くの人々に踏破の祝福を受ける度に、自分達の探索の結末が、事実とかけ離れていくような気がする事に割り切れぬ思いを抱えていた。

《踏破者》である彼らを政治的に利用しようなどと目論む人々の駆け引きにいい加減嫌気がさしていたのも、3人で早々に《アテレスタ》を離れた理由の一つだった。迷宮の奥でどんな出来事が起ころうとも、それは地上の世界に住む人達には関係のない事である。その事実は冒険者としてのザックスの心に、小さな違和感を生みつつあった。ともあれ、帰還の道中は何事もなく、彼らは今、こうしてこの場所に立っているのである。

「二人とも、この街に帰ってきたんだから、いい加減に元気を出しなさいよ!」

 アルティナの言葉にも、ザックスとクロルは生返事を繰り返すばかりである。そんな二人の様子に溜息を一つつくと、アルティナは続けた。

「この旅で私達、いろんなものを無くしたわね。大切な剣と防具。恩人やお師匠様の形見。そしてかけがえのない人を……」

 その言葉に反応するかのように二人はアルティナの顔を見る。二人の視線を気にする事もなくアルティナは続けた。

「でもね、私達、生きてるじゃない、こうして。そりゃ、ボッコボッコのケチョンケチョンにやられかけちゃったけど……それでも、又、この街に帰ってこれた……」

「アルティナ、キミ……」

「いいじゃない、貴方達は……。なんだかんだ言ってもあいつにキツイのを一撃お見舞い出来たんだから……。私なんてね、全然、相手にもされなかったのよ……」

 その言葉にザックスとクロルは顔を見合わせる。ザックス達と同じく、アルティナも又、帰還後暫くの間は気が抜けたような顔で日々を過ごしていた。あの日の事はつい最近まで、ほとんど口にしなかったくらいである。もしもアルティナが失くしたものがあるとしたらそれは、魔術士としての自信というところだろうか?

「それでもね……」

 僅かに息をつく。

「私達はこうして生きてる。初めての時は一方的にやられ放題だったけど、今回はあいつにひと泡吹かせてなんとか立っている事ができた。だから今回は、このくらいで許しておいてあげましょう」

 その言葉に二人は、思わず噴き出した。

「それ、悪い奴の捨て台詞だぜ……」

 ザックスのつっこみに、アルティナは小さく微笑む。

「私はもうあいつが恐ろしいとは思わない。次にやって勝てるという保証は全くないけど、それでもこの先、あいつに出会う事を心のどこかで恐れる事はないと思う」

「ボクも同じさ……」

「だからね、私達は新しい道を行きましょう、堂々と胸を張って。その道の先にもしも又、あいつが立ちはだかるような事があれば、その時はみんなで闘いましょう。それでいいよね?」

 アルティナの言葉に、ザックスとクロルは頷いた。

 彼らは冒険者である。まだまだ知らぬ事ばかりの世界には、広く様々な出来事が満ち溢れているに違いない。そして一人ではどうしようもない困難にぶつかったとき、今の彼らの傍らには共に闘う仲間達がいる。

「じゃあ、そろそろ帰るか」

「そうね、ガンツ=ハミッシュに……」

「面白い所なんだよね……」

 クロルの問いに、二人は笑顔で答えて歩き出す。

 人間、エルフ、ホビットの風変わりな3人組の姿はやがて、群衆の中へと消えて行く。寒さが僅かに緩んだ街の空気は、そこに暮らす人々の生きる熱気によって、これからさらに緩んでいくのだろう。そして……


 ――暖かな春はもう、すぐそこまで迫っていた。




 ――騒乱の都市編 完――




2012/11/16 初稿




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