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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚03章 ~騒乱の都市編~
83/157

40 クロル、呼びかける!

 決して向こう側へと開かぬ大扉が背後で閉じた事を確認したザックス達は、淡々と大広間に通じる通路内を進む。ここまで来ればもはや立ち止まる事も後戻りもない。ただ前進するのみである。

 通常であれば数パターンのバリエーションはあれど、召喚陣から出現するボスモンスターの種類は大抵決まっている。とはいえ、ここは未踏破迷宮であり、何が現れるかは分からない。だが、上階層でドラゴンとの激闘を制している彼らにとっては、もはやそれ以上に最悪の相手といえば《杯の魔将》ヒュディウスぐらいだろう。


 そろそろ通路が途切れようとしたところでザックスが足を止めた。

「アルティナ、風を……」

 ザックスの言葉に後方を歩く彼女も気付いたのだろう。

「どうやら当たりを引いたみたいね。あまりうれしくないけど……」

 通路の向こうに広がる大広間から聞こえてくるのは複数の羽音だった。この階層にいるのはおそらく虫型のボスモンスター、しかも時折見かけられる小型同系種を引き連れた複数タイプのようだった。通常の単体ボスモンスターに比べて多くの経験が積めるものの、今の状況では単に手間のかかるだけの相手である。スピードが速いものの、風術を扱う術師がいれば、圧倒的なアドバンテージが得られる事もあり、今のザックス達にとって大きな障害とはなりえない。

 風の結界の準備を終えたアルティナを待って、ザックスは大広間内へと踏み込む。ザックス達の侵入に気付いていたのかすでに戦闘態勢に入っているらしく、数匹の小型種が盛んに大きな羽音を立てて宙を舞っている。

「ホーネットだな」

 盛んに宙を舞って威嚇のダンスを踊っているCランクの小型種がそこにいるという事は、中央の召喚陣上にいるのはおそらくAランクの《クイーン・ホーネット》というところだろう。

「手早く片付けるとするか」

《ミスリルセイバー》を引き抜き陽動にでようとしたザックスの腕をアルティナが掴む。

「待って、様子がおかしいわ……私達を見てないみたい」

 意外な言葉に慌てて《ホーネット》達の動向を探るザックスは、それらの攻撃衝動の方向が皆、中央の召喚陣に向かっている事に気づいた。

「見てよ、あれ」

 クロルの指さす方向――部屋の中央にある召喚陣の辺りに、一輪の巨大な白い花が咲いている。花自体が向かって奥側を向いているためにどんなものかは特定できないが、明らかに構造的に矛盾だらけのそれは、植物型のモンスターの一種といえた。

「ボスが2種類なんて、聞いたことないな……」

 振り返ってライアットに確認を取るものの、彼も又、首を振るばかりである。

「なんだか、見覚えのある花だな」

 クロルの言葉を背に聞きながら、ザックスは室内の把握しようと目をこらす。

「左だ!」

 ライアットの言葉に視線を向けたザックスは今、室内で決定的に異常な事態が起きている事を認識した。アルティナ達も又、それを目にして困惑する。

「ボスモンスター同士が喰い合ってるのか?」

 攻撃的なダンスで宙を舞いながら中央の花に近づいた一匹の《ホーネット》が、床から延びた触手らしきものにからめ捕られ、そのまま捕虫葉の一つに取り込まれて消えていく。花の周囲には似たような機能を持つ数本の触手がぬらぬらと地を這い、次の獲物を物色している。

 だが、仲間を食われて怒ったかのように、宙を待っていた十数匹の《ホーネット》達は一斉に中央の花に向かって攻撃を仕掛けた。激しい羽音と共に襲い掛かる《ホーネット》の群れを数本の触手が襲い、鞭のようにしなやかな触手の一撃をうけた数匹が石造りの床の上に転がり、さらに数匹がからめ捕られて捕虫葉の餌食になる。捉えた獲物の捕食に成功すると、さらに床に転がった二匹をからめ取り、捕食する。

「おそらくクイーンはもう……」

 クロルの言葉を瞬時に理解する。中央近くの召喚陣上に咲いた謎の植物の最初の餌食になったのがクイーンだったのだろう。そして、クイーンが喰われる事で小型種は植物を敵と認識し、攻撃を加えているようだ。

 グロテスクな巨大生物同士の戦闘に圧倒される四人の前で、残った《ホーネット》達はさらに果敢に謎の植物に攻撃を加える。と、一匹の《ホーネット》が主茎近くに飛び込み、毒針で攻撃を加えた。

 瞬間、耳を斬り裂くような女の悲鳴が周囲に響き渡る。攻撃を加えた《ホーネット》はすかさず複数の触手によって叩きのめされ、からめ捕られて餌食となる。

「ラフィーナ!」

 クロルの《鉄機人》が飛び出す。あわててザックスがそれを制止する。

「待て、クロル、危ないぞ!」

 だが、クロルは止まろうとはしなかった。ザックスとライアットの二人ががりで、ようやく制止に成功したものの、制止されたままの彼の言葉はパーティに驚愕をもたらした。

「放してよ、ラフィーナだ、今の悲鳴はラフィーナのだよ」

 その一言はパーティを動揺させるのに十分だった。

「どういう事? あそこにラフィーナさんがいるというの?」

「そんな事ある訳が……」

 ザックスの言葉は途中で中断する。ライアットの表情は険しい。パーティ内の誰もが、ある一つの最悪の事態を予想しているのは明らかだった。

 ――《杯の魔将》ヒュディウスはザックス達に言った。私が『彼女』をそこにお連れした、と。

 ――その部屋には通常とは異なる状況が展開していた。ボスが2匹で互いを食い合っている。

 ――強大なモンスター同士のぶつかり合いの中、攻撃を受けたほうの悲鳴がラフィーナの声に似ていた。

 そしてさらにクロルは決定的な一言を呟いた。

「思い出した。あの花はラフィーナの家の庭に咲いていた花だ……ラフィーナとお父さんが好きだった花だ」

「そんな事って……」

 アルティナが絶句する。

モンスターあれが彼女の姿だってのか……」

 誰もが避けていた結論をザックスが口にする。

「そんなバカな事ある訳ないだろ、きっと捕まってるんだ、助けなきゃ……」

 らしくない感情的な結論に縋ったクロルが前に出る。

「行こう、行って助け出すんだ。そして、今度こそ……」

 駆けだしたい衝動を必死で抑えるクロルを先頭にザックス達は続く。未知なる状況への扉が静かに開かれようとしていた。




 最後の《ホーネット》を捕食した巨大植物はさらに次の獲物を探すべく、その触手を伸ばして周囲を索敵する。自身の周囲に獲物が存在しない事を確かめるとそれは触手を収めて、凶悪な形状の捕虫葉を閉じる。まるで眠りについたかのようなその植物の行動と共に大広間内に静寂が広がった。

 動揺を隠せぬパーティの先頭をきってクロルが進む。真実を確かめる事に躊躇しているのか、若干、躊躇い気味の足取りで《鉄機人》は巨大な植物に近づいた。

 彼らが近づくや否や、眠りにつこうとした巨大植物が目をさまし、再び捕虫葉と触手で周囲を警戒する。やがて、クロル達の存在に気付いたのか、部屋の奥を向いていた花弁がゆっくりとこちらを向く。そしてその姿に誰もが驚愕した。

 数枚の花弁の中心部――丁度雌しべにあたる位置に、人間の上半身らしき裸身が見える。まだ若い女性の顔を見知っていたのは、クロルだけではなかった。

「ラフィーナさん……」

 驚愕したままアルティナが、絶句する。その視線をザックスに向けるが、ザックスは首を振った。

 ザックスの目にうつる彼女はまさに人形その物であり、かつての彼の訓練校時代の記憶の中に合致する者は一人としていない。

 しばし、呆然とした一同だったが、クロルが前に進み出る。

「ラフィーナ……、ラフィーナなの?」

《鉄機人》の中からのクロルの呼びかけに、返事はない。花弁の中のそれは全くの無表情であり、人型のオブジェのようにも見える。もっと近づいて確かめようと《鉄機人》がふらふらと近づき、うかつにもその間合いに入った瞬間、外敵を排除するかの如く、その太い触手をしならせる風斬り音と同時に弾き飛ばされた。

「クロル!」

 ゴロゴロと音を立てて転がる《鉄機人》のもとに駆け寄ったザックスに構わず、クロルは胸甲板を開くと《鉄機人》の中から飛び出し、植物に向かって駆けだした。

「無茶だ! クロル!」

 触手の間合いぎりぎりの位置で、ザックスに抑えられたクロルは構わずに大声で叫んだ。

「ラフィーナ! ボクだ! 分からないのかい?」

 花弁のなかの女性に変化はない。近づくクロル達に対して警戒するかのように数本の触手が威嚇する。

 獰猛さのみが感じとられるその動きからは、自身の接近する者が捕食の対象であるか否かを判別しようとするかの如き意思のみが感じとられる。背筋に悪寒を覚えたザックスはクロルを強引に引き摺ってその場を交代する。

「攻撃を仕掛けてみるしかないな」

 アルティナと共に近づいて来たライアットが言った。

「待ってよ、あれは、ラフィーナなんだよ。傷つけないで」

 クロルの抗議にもライアットは表情を変えない。

「小さいの、今の彼女には人としての意識そのものが感じられん。少し乱暴だが強い刺激を与えねば状況はおそらく変わらん」

「でも、ラフィーナなんだよ……あれは、間違いなくそうなんだ」

「今のあれは唯のモンスターだ。小さいの。お前はあの娘をずっとあのままの姿でいさせたいのか?」

「それは……」

 クロルは押し黙る。ライアットはそれっきり何も言わなかった。相変わらず警戒したまま不気味な殺気を放ち続ける巨大植物に目をやったザックスは、やがて決断を下した。

「クロル、《鉄機人》に戻れ! あれに攻撃を加えてみる。お前は、後方で待機して様子を見るんだ。少しでも変化の兆しがあればオレ達に教えてくれ」

「でも……」

「《鉄機人》に戻るんだ。ここからはお前の『機転』が頼りだ。彼女を助けよう!」

 その言葉に暫し逡巡したものの、やがてクロルはとぼとぼと放り出された《鉄機人》の元に戻る。

「悪いな、おっさん……」

 ザックスの言葉にライアットの反応はない。パーティの分裂を防ぐために、あえて厳しい言葉を発してくれたのだろう。

「どうするの、ザックス」

 アルティナの問いに暫し黙考する。やがて、ザックスは一つの結論を下した。

「触手に攻撃を加える。本体への攻撃はなしだ。クロルには酷だが、何かをしかけない事には始まらない」

 リーダーの決定に従いパーティの面々はそれぞれの役割を果たすべく、戦闘態勢に入った。


 ザックス達の置かれた状況は厳しい。

 この手の敵は後衛の魔法攻撃で触手を誘導してダメージを与え、本体に取りついた前衛が近接戦闘によってダメージを与えて行くのがセオリーだが、ラフィーナの安全が優先される以上、そのような戦術をとる事は出来ない。普通の人間の足の太さを優に超える触手の一撃を、最もその攻撃力が高くなる地点で受け止めるという消極的かつリスキーな闘いを挑まざるをえない。ライアットの《円形の盾》とザックスの籠手が発する魔法障壁が、その攻撃を防ぐものの。盾に比べて障壁のマナの量が圧倒的に少ないザックスの防壁は紙同然である。不気味な風切り音と共に伸びきった触手に加えられた《ミスリルセイバー》での渾身の一撃も、加速力と遠心力によって荷重の加わった触手に対しては、わずかにその表面を傷つけるだけであり、大きなダメージとはなりえない。

「ザックス、下がって……」

 見かねたアルティナが《氷結弾》で触手の先端を凍らせその動きを封じる。先端を凍りつかせたまま、力任せに振り回された触手は、逆にその重さを攻撃力に加えて反撃する。床にたたきつけられた氷と共に先端部にダメージが加えられるものの、すぐさま触手は再生していく。

(きりがない……)

 戦術に迷いが生じて僅かに動きを止めたザックスに、大きな隙ができる。

「しまった……」

 触手に足を取られたザックスの身体が凄まじい勢いで宙に引き上げられる。見下ろした先にはグロテスクな捕虫葉が口を開き、生きのよい御馳走ザックスを待ち受けている。

「ザックス!」

 言葉と同時にアルティナの《火炎連弾》が植物本体へと襲いかかる。強い炎が捕虫葉の一部を燃やし、慌ててザックスを放り出した触手が、己にまとわりつく炎を叩いて消す。

 宙に放り出された瞬間、ザックスは無表情のまま悲鳴を上げるラフィーナと一瞬、視線が合った。全く感情が感じられぬはずのその瞳に、僅かに強い拒絶の色を感じ取る。

 床をゴロゴロと転がって慌てて触手の間合いの外へと逃げ出したザックスの背後で、口論が起きた。

「なんて事するんだよ、アルティナ! 本体に攻撃はしないって言ったじゃないか!」

「バカなこと言わないで! ザックスが死んでもいいって言うの? 貴方は!」

「それは……」

 クロルは口ごもる。アルティナに視線で感謝を示したザックスは先ほど感じた己の直感に従い、次の指示を出した。

「攻撃は中止だ。おっさん、一度下がってくれ!」

 ザックスの言葉に従い、ライアットは即座に後退をかける。大きく安全距離をとった四人は巨大植物の状態に注意しつつ、言葉を交わした。

「これ以上の攻撃は無駄だ。やり方を変えよう」

「どうしたの、ザックス?」

アルティナの問いにザックスは視線で答える。

「あれを見てみろよ」

 四人の視線の先には、触手を主茎と花を守るように天井に向け、捕虫葉の口を固く閉ざし、大きく開花していた花弁が少しずつ閉じて彼女の上半身を隠しつつある巨大植物の姿があった。それはあたかも彼女自身が外界の全てを拒絶しているかのように見える。

「このまま攻撃を続けてもおそらくさっきと同じだろう。心を閉ざしたままの彼女を、結局倒さなければいけないはめになる」

「そうね……」

「クロル、何かないか? 彼女が心を開くような思い出とか、好きな物とか。そういうきっかけになりそうなものに心当たりは?」

「そんな事、急に言われても……」

《鉄機人》の中のクロルは言葉に詰まり、黙りこむ。四人の中で最も彼女と接点があったとはいえ、彼はラフィーナの全てを知っている訳ではない。

 この状況、何かに似ている――ザックスは、ふと、そう感じた。

 暫しの黙考の後、クロルがようやく思い出したように呟いた。

「そういえば、歌があったかな……」

「歌?」

「うん、ラフィーナがよく口ずさんでいた曲だよ。お父さんとの思い出だって、言ってた」

「それ、歌えるか?」

「全部は無理だよ。ほんの数フレーズくらいしか覚えていない。それもうろ覚えにしか……」

「それだ! やってみよう!」

「やるって?」

「歌うんだよ。歌って彼女の心を開くんだ」

「ボクが歌うのかい?」

「知ってるのはお前だけだ。他にいないだろ」

「あの時と同じね」

 アルティナの言葉にザックスは首肯する。薬草を取りに行った《ルドル山》でザックス達に同行したシーポンは歌でモンスターと《調和》した。もともと人間であるラフィーナにならきっと届くはずである。

《鉄機人》の中でクロルは暫し逡巡していたものの、やがて彼はザックスの提案に同意した。

「でも、ここから届くかな?」

 本職が歌う事ではないクロルの声量はシーポンと違い限界がある。彼女に歌声を届けるには距離が遠い。接近すれば無防備なクロルの身が危険にさらされる。だが、その問題は意外な形で解決する。

「私が届けてあげる。風を使って……」

 解放の日の屋根の上での奇妙なパフォーマンスの際に使用した拡声現象を応用するつもりらしい。これで、どうやら、作戦は決まったようだった。


 位置についたクロルは《鉄機人》の胸甲板を開けて直接その身をさらし、ライアットとザックスがその左右について障壁を張る。クロルの傍らに立ったアルティナが風の結界を生み出した。

「さっきは御免なさい。彼女を傷つけてしまって……」

 小さな声での彼女の謝罪にクロルは首をふる。

「キミたちは十分ボクの我がままに、付き合ってくれてる。感謝しなければならないのはこっちのほうさ。今は、ラフィーナを助ける事だけ考えよう」

 クロルは目を閉じる。あの夏の日、初めて聞いたラフィーナの歌を思い出す。

 出会ってから共に過ごした初めての本当の仲間との小さな冒険の日々。安宿の隅で語りあった互いの境遇、そして困難な旅路の果てに辿りついた場所に安らぎはなかった事を。アマンダの酒場でもう一度冒険者になる事を決心して旅立ったその日も、彼女はその曲を口ずさんでいた。

 優しく、それでいて、苦い、ほんのひと夏の思い出の日々を繋ぐ彼女の優しい歌。それを思い出して口ずさむ。

 ――始めはたどたどしく。

 記憶の底に眠っていたほんの数フレーズをクロルは不器用に口ずさむ。繰り返すうちに徐々にフレーズは伸びて、繰り返し歌うごとにあの日のラフィーナの優しい微笑みが脳裏に浮かぶ。

 ――ラフィーナ、ボクはここにいる、キミを迎えにきたんだ!

 最後に見た彼女の姿を思い浮かべながら旅立つ自分の背を押してくれた彼女と共に歌う。やがてそこにさらに一つの歌声が加わった。クロルの側で繰り返しそれを聞いていたアルティナが、いつの間にかクロルと共に歌っていた。彼女の歌声が加わる事でたどたどしかったその歌がラフィーナのそれに近づいていく。

 ――ラフィーナ、聞こえる? ボクはここだよ!

 そしてついに、クロルの必死の呼びかけに、閉じかけていた彼女の心を開き始めた……。




 閉じかけた花弁がゆっくりと開く。ふたたび上半身を現したラフィーナの表情に、小さな変化が起こり始めた。

 全くの無表情だった彼女の顔に最初に浮かんだのは小さな迷いだった。そのほんの僅かな変化が、人形にしか見えなかった彼女に人間らしさを宿らせしめ、ザックスの遥か訓練校時代の記憶に彼女の存在が思い浮かんだ。彼女がかつての同期の一人であったいう事実を、己の中でようやく実感する。

 記憶の中の彼女は、いや、彼女とその仲間達はいつも本心の見えぬ表情を浮かべていた。常に何かに縛られたような、見ているだけで窮屈さといら立ちを覚える彼らの振る舞いに、当時のザックスは決して近づかなかった。ふとした時に見せるほんの一瞬の悲しげな笑みが、僅かに記憶の底に焼きつき、それが眼前の彼女の顔とようやく一致するきっかけとなっていた。

「クロル!」

 歌を口ずさむクロルにかけたザックスの呼びかけが、アルティナの風術によって増幅され、ラフィーナのもとへと届いた。花の中の彼女の表情がさらに変化する。わずかに小さく動くその唇の動きをザックスは見逃がさなかった。

「クロル!」

 もう一度呼びかける。今度は意図的にはっきりと。その声に呼びかけられた本人は何事かと驚き、さらにラフィーナが小さな変化を見せた。

「ク……ロ……ル……」

 彼女がそう呟いた事を知ったクロルの表情に明るい色が浮かぶ。

「呼びかけるんだ、彼女に!」

 アルティナの歌声が続く中でザックスに言われるまま、クロルはラフィーナに向かって叫んだ。

「ラフィーナ! ボクだ! クロルだよ! キミを迎えにきたんだ。聞こえてる?」

 その言葉は確実に彼女に届いていた。その表情に次々に感情らしきものが浮かぶ。戸惑い、苦悩、葛藤、嘆き、様々な変遷の果てに、まるでガラス細工のようだった彼女の瞳に光が宿る。

「この曲、知ってる、どうして……」

 アルティナが歌い続ける二人の思い出の曲に暫し、耳を傾けていた彼女だったが、やがてそれに合わせるかのように歌い始めた。頃合いを見計らってアルティナの歌声が小さくなるに連れ、徐々にラフィーナの歌声が大きくなる。

「ラフィーナ……」

 手足のリングを取り外して鉄機人の中から飛び出したクロルが、転がるようにラフィーナに向かって駆けだしていく。反射的に、数本の触手がクロルに向かって襲いかかった。

「危ない、離れろ!」

 飛び出そうとするザックスの腕をライアットが抑える。

「待て、若いの、よく見ろ!」

 ライアットの視線の先にはクロルの直前でその動きを止め、当惑するかのように揺れる触手達の姿がある。歌を口ずさみながらラフィーナは眼前に立つクロルと視線を合わせた。

「ラフィーナ! 分からないの? ボクだ! キミを迎えにきたんだ!」

 必死に彼女に向かってクロルは腕を伸ばす。それを視界に捉えた彼女の収まる白い花が主茎をゆっくりと曲げ、クロルに近づいてゆく。そしてついにクロルの叫びが彼女に届いた。




2012/11/12 初稿




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