08 ザックス、涙する!
怒涛のダンジョン単独攻略ツアーから数日がすぎ、ザックスは体力を万全に回復していた。気力をすっかり充実させたザックスは、いよいよダントンからの第二の試練を受けるべく酒場を出発しようとした。その矢先、カウンターの中のガンツが、彼を呼びとめた。
「おい、ザックス、お前あての荷物だ」
受け取った箱の中に入っていたのは高価な装備の品々だった。心当たりのない贈り物に不審の念を抱いたものの、送り主の名を確認してようやく事態を理解した。
五度目の単独踏破成功後、僅かな戦利品をアイテム換金所に持ち込んだその場所で、ザックスは再び換金所内の職員を慌てさせた。
ザックスを敗北寸前まで追い詰めた《カーボンスライム》が残した見慣れぬ鉱石の塊は、鑑定所の《鑑定》の結果、《精霊金》であると判明した。武器防具の調金素材としてはAAランクに分類され、ザックスが持ち込んだ塊は純度が極めて高く、滅多に市場に流通しない事もあり、五万シルバの高値がつけられた。
売却を熱心にすすめる換金所職員の話を聞きながら、ふとダントンとヴォーケンの会話を思い出したザックスは、《精霊金》の塊をヴォーケンの店へと持ち込んだ。
緊迫した空気の充満した店内に恐る恐る入ったザックスが、カウンターの上に何気なく置いた其の塊に、たまたまその場所に居合わせたダントンとヴォーケンの顔はみるみる明るくなり、大いに感謝された。勿論、親方の機嫌が良くなり、とばっちりを食う事のなくなった見習いの少年にも、大いに感謝されたのは言うまでもない。
出会った日からずいぶんと借りのあるダントンに《精霊金》を贈呈する事にしたザックスの行為の返礼が、この贈り物と云う訳である。箱の中に入っていたのは三つの品だった。
《精霊金》製の《賢者の額環》。
装備することでザックスを悩ませるマナ酔いの症状を緩和し、より効率的なマナの運用を可能とするものである。
《魔法銀》製の 《魔法障壁の籠手》。
マナを込める事で左腕に魔法障壁が展開し物理攻撃や魔法攻撃を緩和する優れものである。
《魔法銀》製の剣《ミスリルセイバー》。
すらりとした美しい文様の描かれた刀身の切れ味は、並みの鋼鉄や特殊加工鋼など足元にも及ばず、魔法との相性も抜群によい。いずれはウルガのように炎術を刀身にまとわせての魔法剣も可能となるかもしれない。
時価にして明らかにザックスの渡した鉱石の価格を超えた贈り物に、ザックスは大いに戸惑った。グラスを磨きながらその様子を見守っていたガンツがそっと忠告した。
「お前は職人の誇りを守り、仲間の危機を解決したんだ。こいつは二人からの感謝の印なのさ」
「でも、これは明らかに俺のもらい過ぎのような気がするんだが……」
「所詮、人間関係なんてモノは貸し借りの中からしか生まれないのさ。時として借りっ放し、貸しっ放しなんてこともあるくらいだ。今はたまたま、お前が受けとった物が多いのかもしれないが、やがては巡り巡って、おまえが与える側に回ることだってあるものさ。それが人の縁って奴だ。素直にそいつを受け取って探索の足しにする事が、粋な冒険者の流儀って奴だよ」
「じゃあ、そうさせてもらうよ」
ガンツの言葉に従って装備を調え、ザックスはカウンターを離れようとする。ふと、ある疑問を思い出して彼に尋ねた。
「ところで、今日俺と組む予定の奴らって、この酒場に所属してる奴らなんだろ? なんで待ち合わせ場所がここじゃなくって《転移の扉》の前なんだ?」
何気ないはずのその質問に、ガンツは磨いていたグラスを思わず取り落としそうになる。僅かに動揺の色を見せながら、彼はしどろもどろに返答した。
「ま、まあ、うちの店にもいろんな奴らがいるってことだ。ちょいとばかり、癖が強いが……、決して悪い奴らじゃないから安心して行ってこい」
はぐらかされた感のあるものの、しつこく追及して臍を曲げられるのは困りもの。ザックスは、しぶしぶ了解して酒場を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
自由都市《ペネロペイヤ》から各ダンジョンへのルートを結ぶ《転移の扉》は、《冒険者協会》建物前の広場――《旅立ちの広場》と呼ばれる場所にある。
ダンジョンへと向かう都市内の酒場に所属する冒険者達だけでなく、よその都市から《転移の扉》を通って冒険者達が現れる為、朝のひと時において《旅立ちの広場》には無数の人々が行き交う。彼らを目当てに臨時の朝市が立ち並び、その喧騒はちょっとしたお祭りのようだった。
ガンツ=ハミッシュの酒場を後にしたザックスは、待ち合わせの場所である《旅立ちの広場》の《聖者の像》の足元で、その日共にダンジョンに向かう予定のパーティのメンバー達が現れるのを待っていた。
ダントンからの第二の試練は、彼らのパーティの臨時メンバーとなってダンジョンを踏破する事だった。向かう先が《涙禍の迷宮》などと物騒な名の中級レベルダンジョンである事もあって、ザックスは一抹の不安を感じた。朝市の出店で購入したガイドマップを眺めながら、まだ見ぬメンバー達の到着を待っていた。
ガイドマップによれば《涙禍の迷宮》が初めて踏破されたのは、ウルガ達と踏破した《錬金の迷宮》よりも古い時代であった。にも拘らず、踏破率は異常に低かった。出現モンスターレベルをみても平均的な中級冒険者向けダンジョンでしかない。とはいえ、踏破率の尋常でない低さと踏破後に得られる予想踏破経験値の低さは多くの疑問が残った。
もっとも所詮は出店で買ったガイドマップである。
《ハルキュリムの球根》のようなレアなアイテム情報が載っているわけでもなく、せいぜい観光者向けの読み物程度の情報しかない。ましてやザックスの悪運度MAXのパラメータによって、想定外の強力なモンスターに所構わず出くわしかねず、参考にはなりそうにない。
兎にも角にも、先日までの単独踏破ツアーと違って、今回は仲間もいる。なんとかなるであろうと軽い気持ちで行き交う人々の姿を眺めていた。勿論、ガンツの意味深長な発言は、なるべく考慮しないようにして……。
「失礼ながら、ザックス殿とお見受けするが……」
待ち合わせの時間を少し過ぎ、場所を間違えてしまったかとそろそろ不安になり始めた頃、ようやくザックスに声をかける者が現れた。きょろきょろと周囲を見回すがあたりにそれらしい人影はない。
「こちらでござる。ザックス殿」
再び声をかけられる。ただし、頭上から……。
見上げたザックスは唖然とする。待ち合わせ場所である《聖者の像》の上にはいつの間にか四人の冒険者達が立っていた。
二階建ての建物程度の高さの像の上に立つ四人はザックスが気付いたのを確認するや否や、「やー!」という掛け声と共に像の上から飛び降りた。ぴったりと同じタイミングで着地した四人はすっくと立ち上がり名乗りを上げた。
「我こそは炎の闘士、イーブイ!」
「同じく雷撃の魔術士、デュアル!」
「紅一点、大地のごとき慈愛の僧侶、サンズ」
「風任せにさすらう吟遊詩人、シーポン」
ビシリとポーズを決めた四人の声が唱和する。
「我ら、知る者ぞ知る伝説のパーティ、『ブルポンズ』!!」
ちなみに、そこは人の激しく行き交う天下の往来である。突如始まった寸劇もどきのパフォーマンスに皆、足を止め、徐々に黒山の人だかりとなっていった。そ知らぬふりをする訳にもいかず、ザックスは、恥ずかしさをこらえて挨拶した。
「ザ、ザックスだ、ええと、よっ、よろしく。ブルポンズだっけ?」
「うむ、良きミッションとなる事を祈るでござる」
「新たな仲間に、乾杯!」
「創世神のご加護を……」
「ラーララー」
その日のダンジョン探索は、彼の冒険者人生の中でも一、二を争う恐ろしい事態になりそうな予感がした。
《涙禍の迷宮》――。
このダンジョンをそう名付けた初の踏破者達には、それなりの意図があったのだろう。だが、今のザックスは違った意味で涙していた。ブルポンズ――そう名乗った彼らも又、初級冒険者の頃にダントンに世話になったらしく、その縁で彼はザックスを紹介したらしい。
ガンツ=ハミッシュの酒場の中では、初めて現れた日に大宴会の主賓となったザックスの顔を知らぬ者は、もはやいない。彼が《聖者の像》足元に現れた事を確認して、四人はあの像に登ったらしい。彼らのハッチャケぶりはダンジョンの中でもいかんなく発揮される事となった。
平均レベル23前後の彼らは皆、相応の実力を持っており、個人個人の能力は高い。特に吟遊詩人という珍しい『職』はなかなか貴重で、沈黙に支配されがちな探索行に大いに明るさを与えていた。
パーティを区別する際にはリーダーの名をあげて『誰々のパーティ』と呼ぶのが冒険者達の通例である。人の出入りの激しい冒険者達のパーティに特別な名称をつける事はゲンの悪い行為であると考えられ、忌避されがちだった。そんなジンクスなどお構いなしに自分たちの名から一文字ずつをとって名付けられた《ブルポンズ》の面々は個性豊かであり、そんな彼らとの集団戦闘はいろいろな意味で脅威だった。
「いよいよでござるな。我ら五人の実力、ダンジョンに蔓延る魑魅魍魎共にとくと見せつけてやろう!」
まずはリーダーであるイーブイ。
サザール大陸の東の海に浮かぶイステイリア諸島の勇猛果敢な戦士達の『マゲ』という風習を真似たという彼の髪型は非常に個性的で、長髪を左側頭部でひとまとめにしてくくっている。何かが違うような気もするが、誰もつっこまないところをみるとさほど大きな問題ではないのだろう。
「防御は任せるでござる!」
様々な武器を扱い、多様なスキルが得られる中級職、《闘士》の彼は、《盾攻防術》という珍しいスキルを持っている。使いこまれた小型の《円形盾》にマナを込めると、シールドが展開して魔法障壁が生じた。一行の前に頑丈な防御障壁が生まれる。
このパーティに足りないのは先頭に立ち、戦端を切り開くアタッカーの存在である。
手に入れたばかりの《ミスリルセイバー》の切れ味を確かめるべくザックスは彼らの前に立ち、現れた獰猛な獣型モンスターに向かって剣を抜いた。すらりと抜き放った白銀の刃が中空に弧を描き、両者の間に戦闘時に特有の緊張感がみなぎってゆく。
久しぶりの戦闘の緊張感と背後の同行者達の期待を背に、ザックスの心は高揚する
「ぬおおーーー」
地を揺るがさんばかりの雄叫びが周囲に轟いた。モンスターに斬りかからんと身構えたザックスの傍らから黒い影が飛び出し、モンスターに向かって果敢に突進する。防御役となる事を宣言したはずのイーブイだった。
当の獲物は勢いよく吹き飛ばされ、シールドと壁面に挟みつけられ戦闘不能となっている。すかさず《隠し杭》を打ち込んで、イーブイは止めをさした。
「成敗、御免!」
消滅する光の中で、しっかりとポーズを決めた彼の姿が凛々しく浮かび上がる。その傍らでザックスは呆気に取られていた。
「お・い! 防御はどうした! 防御は!」
すっかり置いてけぼりを食ってしまったザックスのつっこみに、イーブイはハッと我に返る。
「すっ、すまぬっ。つい、いつもの癖で……」
――だが、この程度、彼らにとっては序の口である。
続いて現れたのは小型飛行系モンスターの集団だった。ダンジョン内を自在に飛び回る其の素早さと複数方向からの同時攻撃は、単独攻略において苦戦の連続であった事が思い出される。
「ここは我の出番と見た! 新しき友よ、我が必殺の雷撃術、今こそご覧あれ!」
キザなセリフと共に《魔術士》デュアルが進み出る。魔術士のイメージと大きくかけ離れた大柄な身体にローブをすっぽりと着込んだ彼は、片手の《魔法杖》を対象に向ける。
閉鎖空間であるダンジョン内では、数ある魔法体系の中でも雷撃魔法が最も効果的であるといわれる。だが、習得難易度が高い故にその使い手は少なく、彼はどうやら優れた魔法の才能を持っているらしい。
僅かな時間でマナを集中させ、彼は素早く術を発動させる。
「くらえ、罪深きモンスター共よ。必殺! 爆・裂・連撃波!」
《魔法杖》から生まれたマナの輝きが、空中に爆発を生み出す炎術系の大技となってモンスター達に炸裂した。巻き込まれたモンスター達はあとかたもなく消え去った。だが、それだけに留まらない。ここは閉鎖された空間である。
次々に生まれる爆発の熱波と衝撃はさらに拡大し、通路を伝わってパーティの先頭に立っていたザックスまでをも巻き込んだ。
勿論、イーブイの防御壁によって後ろの四人は全員無事である。
「バカヤロウ! 味方を『必殺』してどうすんだ! 大体、雷撃魔法じゃなかったのかよ!」
只一人巻き込まれて程良く焦げたザックスの叫びが、ダンジョン内に木霊した。
――些細な事故はあったものの、さらに一団は先へと進む。
中級レベルのダンジョンともなれば出現するモンスターたちも多彩な攻撃を仕掛けてくる。パーティの先頭に立つアタッカーが負傷する頻度は大きく、様々な特殊攻撃にさらされる。そのような場面で頼りになるのが、回復呪文を使いこなす術者の存在だった。彼らの存在は高価さゆえに所持数が限られる回復アイテムの消費を大幅に抑え、より長時間の探索にかかせない。
植物系モンスターの毒攻撃に侵され、倒れたザックスの身体を《僧侶》サンズが治療する。治癒魔法とは傷ついた生体の回復能力を術者のマナによって活性、及び促進させるものである。ぼんやりとした温かみがザックスの身体を覆い、効果範囲内のあらゆる要素を活性化させた。当然、ザックスの体内の毒もさらに活性化して――猛毒状態となった。
七転八倒の苦しみにのたうちまわるザックスの悲鳴が、ダンジョン内に轟いた。
「お、お前ら! オレを殺す気か!」
度重なる不慮の事故にザックスはついに雄叫びを上げた。すまなさそうな顔で沈んでしまった三人と怒りに震えるザックスを慰めるかのように《吟遊詩人》シーポンが歩み出た。
「どうか、お怒りを鎮めてください。ザックスさん。皆に悪意はございません。新しい仲間にいいところを見せようと張り切っているのです。アタッカーとして優秀なザックスさんは私達にどうしても必要な存在。この探索で私達の実力をしっかりとアピールして、あわよくば、あなたに正式メンバーに加わって頂こうと、みな奮闘しているのです」
パーティにおけるメンバーの問題は重要な要素である。自身の生存確率を上げるためにも、優秀かつ相性のよいメンバーの確保は必須要件である。
「そ、そうだったのか。それでは仕方ないよな……、まあ、次からは気をつけてくれ」
とある酒場では激しいメンバーの引き抜き合戦の結果、刃傷沙汰にまで至り、協会から資格はく奪処分を受けてしまったという。長い冒険者生活の中、まだまだ駆け出しのザックスには分からぬ苦労もたくさんあったのだろう。大人げなさを反省するザックスと己が不注意を詫び合う同行者達。暗いダンジョン内にほんのりと心暖まる光景が広がった。シーポンが明るく続けた。
「さあさあ、こんなところで立ち止まらず、私達の明るい未来に向かって歩みを進めようではありませぬか。おお、それでは一つ、景気づけに、今思いついた新曲を披露することにいたしましょう」
その言葉に他の三人が顔色を変えた。
「いかん、耳を塞ぐでござる!」
「《風の結界》よ!」
「マジックアイテム《耳栓》!」
辺りに不協和音が鳴り響く。
もはや音楽とすら呼べぬ殺人的な音波がようやく止んだその場所には、分裂気味のパーティの隙を物陰から窺っていたモンスター達と共に白目をむいて気絶するザックスの姿があった。
《涙禍の迷宮》最下層――。
「よ、ようやくたどり着いたか……」
全身が微妙にボロボロになったザックスの後ろには、四人の仲間達がやはり同様の様子で立っていた。
「う、うむ。まさかたった一日でこのダンジョンを踏破することになろうとは……。ザックス殿の存在はもはや我らにとってなくてはならぬもののようでござる」
イーブイの言葉に他の三人が頷いた。そんな四人の様子に乾いた笑いを浮かべて、ザックスはふとそれまでの道中を振り返った。
初めこそ頻発していた不慮の事故だったが、階層が深くなる毎に徐々になりを潜め、パーティの戦闘は回を重ねるごとに洗練された。ザックスの新装備《ミスリルセイバー》の斬れ味は抜群で、いかんなく威力を発揮していた。
だが、最初の頃に深層心理に刷り込まれてしまった不慮の事故への恐怖が、先頭に立っていたザックスを突き動かし、戦闘の早期終結及びパーティの尋常ならざる進行速度に一役買っていた。戦闘ではさほどの活躍がない《吟遊詩人》シーポンの楽曲が連戦連勝でハイテンションになったパーティの背を押し、もはやダンジョン内のいかなるモンスターも彼らの障害とはなりえなかった。第二十三層で遭遇したC級ボスモンスターに至っては、恐怖のあまり逃げ回る始末。さらに、途中遭遇した別パーティの冒険者たちでさえ、自身の縄張りや先有権を主張することなく黙って道を譲った。何かにとりつかれたかのような尋常でない目の色をした五人の姿に、彼らの顔が若干、恐怖にひきつっていたのは気のせいであろう。
「では、行こうか」
最下層前の扉の前に仲間たちと共に立つ。眼前に重々しく立ちふさがる《帰らずの扉》を力を合わせて押し開く――単独攻略ツアーの際に何度も夢想したその瞬間が今、ようやく実現した。何かが違うような気もするが、些細なことと割り切るのが粋な冒険者の作法である。事前の情報では最下層ボスモンスターの攻略は比較的容易であるという。もはや、踏破成功は確定したも同然といえた。
――だが、ここで事態は意外な展開を見せた。ザックスのパラメータ《悪運度MAX》が牙をむき、パーティを思わぬ事態に陥れた……のかどうかは定かではない。
誰もが無言だった。
陽気さが取り柄の『ブルポンズ』だけに、言葉を発する事のない沈黙は違った意味で恐ろしい。
眼前の魔法陣上にはC級ボスモンスターの姿がある。植物系のその小柄な容姿は恐るべきことに――とても、可愛らしかった。
成人の膝下程度の身長のそれは、下半身こそ植物族特有の機能をもっていたものの、上半身はよちよち歩きの人間の赤ん坊そのものだった。あどけない瞳でじっと見つめられて「キャハハ」とご機嫌な声を上げて笑うその姿を見れば、誰もが戦意をなくす。
だが、このモンスターに涙を流させ、これを回収した上で討伐することこそ、このダンジョンの踏破条件である。そうしなければ、当然、踏破経験値も得られない。
「これが《涙禍》の真の意味でござるか……」
イーブイがしみじみと呟いた。
初めての踏破者達は自身の踏破実績の為にこの愛らしいモンスターを殴りつけ涙を流させ、さらに討伐したのだろう。そして、冒険者仲間達から顰蹙とブーイングをくらって、今度は己が涙したに違いない。その後の踏破者達も自身の行為の浅ましさを恥じ入って情報を開示しなかった事が、攻略難度が低いにも拘わらず、低すぎる踏破率につながっていたという訳である。人間の良心を試すダンジョン――それは想像だにせぬ脅威だった。
だが、ザックスは己が未来の為にも何としてもこの試練を越えなければならない。先輩冒険者として様々な修羅場を潜ってきたダントンは、ザックスが冒険者として非情に徹しきる事を試しているに違いない、。
すらりと《ミスリルセイバー》を抜き放ったザックスは、とてつもなく愛らしいモンスターに向かって身構えた。
「ザ、ザックス殿……」
「い、言うな、俺はこの試練を乗り越えなければならないんだ……」
冒険者の道は厳しい、犠牲失くして得られる物はない。偉大な先達によって与えられた過酷な試練にザックスは身を振わせる。血を吐くようなその言葉に誰もが言葉を失った。このダンジョンを踏破するという目的を果たす為、誰かがやらねばならなかった。その責めを皆で負う事こそ、真の仲間としての価値が試されるに違いない。五人の顔に苦いものが浮かぶ。
そして、意を決したザックスはその非情の刃をモンスターに向けて振るった。
――虚空に白銀の非情な閃光が走った。声にならぬ叫びが続く。
だが、斬られたはずのモンスターには傷一つなかった。剣を振り切った姿のまま、その場に崩れるように膝を突いたザックスに、仲間たちが駆け寄る。
「ダメだ、すまない、オレにはやっぱり、無理だ」
「仕方がないでござるよ。ザックス殿。我々は冒険者である前に、人間なのでござる。冒険者の誇りと人間らしさを失っては、凶悪なモンスターと変わらんでござろう。それに我々の事をお忘れか? 我々は『ブルポンズ』でござるよ」
顔を上げたザックスの顔に疑問が浮かぶ。三人の仲間達がそれに答えた。
「要はこの者に涙を流させればよいのでしょう」
「ふっ、ならば簡単な事だ。あの手を使えばよいのだな……」
「ランラララー」
妙に自信ありげな彼らの姿にさらに疑惑の念を強くする。
「一体……、何をするつもりだ」
「拙者達には簡単な事、『悲しみと苦しみの涙』ではなく、『喜びと笑いの涙』を流させればよいのでござる」
「ま、まさか……」
「では、御一同!」
「ふっ、今こそ、我が真実の姿の顕現の時!」
「お任せ下さいませ」
「ラーララーラー」
――ここに、前代未聞のダンジョン最下層における大演芸大会が開催される事となった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《涙禍の迷宮》入口付近にあるダンジョン管理官詰所付近には黒山の人だかりができていた。その日、このダンジョンの真の完全踏破者が現れた事が報告され、周囲はその姿を一目見ようと、ヤジ馬達であふれかえっていた。
囲まれていたのは五人の冒険者の姿だった。言わずと知れたブルポンズとその他一名である。
「今日はザックス殿の独壇場であったな」
「ふっ、あんな隠し玉を持っていたとは……」
「素晴らしい隠し芸でした。私も感動にうち震えました」
「ララーランラン」
最下層部での大演芸大会は白熱し、異様なテンションの中で盛り上がった。そして、他の四人に煽られたザックスの渾身の一芸がモンスターに宝珠《喜びの涙》を流させたのである。
過去の冒険者達が収集した宝珠《悲しみの涙》よりも二ランクも高いアイテムレベルは間違いなく彼らが初の真の完全ダンジョン踏破者である事を証明し、累積して上限に達していた踏破経験値が残らず彼らに割り振られた。同時にザックスのマナLVは20から24へと達し、その称号は《初級冒険者》から《中級冒険者》へと変化していた。
「では、冒険者の皆さま、記念撮影を行いますのでご準備の方、よろしくお願いします」
人の良さそうなダンジョン管理官が埃にまみれた影写具をセットして彼らに呼び掛ける。
「では、御一同! 参ろうか!」
「お、おい、ちょっと待て、まさかお前ら……」
不幸なことにザックスの予感は的中した。影写具の前に立った『ブルポンズ』の面々は高らかに名のりを上げ、ポーズを決める。
「我こそは炎の闘士、イーブイ!」
「同じく雷撃の魔術士、デュアル!」
「紅一点、大地のごとき慈愛の僧侶、サンズ!」
「風任せにさすらう吟遊詩人、シーポン!」
周囲全ての視線がザックスに集中する。その期待に満ちた視線はザックスに退く事を許さなかった。ご丁寧に『ブルポンズ』の面々は中央を開け、ザックスの立ち位置を確保している。
――後はもう、流されるがままだった。
中央に立ったザックスは影写具に背を向け、人差指で天を突き上げながら背中越しに振り返る。
「光速の超戦士、ザックス!」
さらなる五人の声が唱和する。
「我ら、知る者ぞ知る伝説のパーティ、『ザ・ブルポンズ』!」
――その肖像は《涙禍の迷宮》初の完全踏破者として、その後、多くの冒険者達の尊敬と笑いを誘ったという。
2011/07/22 初稿
2013/11/23 改稿