36 ライアット、死闘す!
《アテレスタ》地下ダンジョン第20層内の大広間での死闘とも呼ぶべきその戦いは、意外な展開を繰り広げていた。
強大な体躯に闘気をみなぎらせて侵入者に牙をむく《イエロードラゴン》と、《輝く大盾》を手にしてその凶暴極まりない攻撃力に堂々と立ち向かう創世神殿高神官にして《冒険者》ライアット。二つの闘者の魂の叫びを中心に荒れ狂うマナの奔流に反して、室内は奇妙な静寂を保たれている。
マナの光に満ち溢れる《輝く大盾》と共に戦闘を再開したライアットは、再びドラゴンの身体の側面部に張り付いていた。その矮小な存在を弾き飛ばそうとドラゴンが行動を起こす瞬間、押し付けられた《大盾》の接触面から鋭い《寸勁》が体内に直接打ちこまれ、ドラゴンの行動が封じられる。二度三度と繰り返されるうちにそれを嫌って、さらに力ずくで弾き飛ばそうと大きく体勢を崩しかけたドラゴンだったが、そこにアルティナの《氷結弾》が襲いかかる。《氷結弾》は絶妙なコントロールで床と脚部の接地面を凍結させ、ドラゴンの思惑を阻んだ。攻撃に移る前に、足元の氷の束縛を引きはがさねばならなくなったドラゴンの身体を、再びライアットの鋭い《寸勁》の衝撃が抉る。
さらに数度同じ事が繰り返されたのち、両者の攻防は膠着状態に陥っていた。一見、冒険者側の攻勢にみえる戦況だったが、決して彼らが有利な訳ではない。底の全く見えないドラゴンの圧倒的な体力が、その不利を覆し、冒険者達に強い緊張感を強いていた。
自らの身体を相手のそれに密着させたライアットは、目を閉じ相手方の次の出方をうかがう。密着した身体の僅かな力の流れの変化を全身で感じ取り、対象が行動を起こそうとするや否や、速やかに《寸勁》を叩きこみ、その動きを封じる。絶対的なアドバンテージを得る事の出来る闘技であるが、ライアット自身の心身にかかる負担は大きい。
相手の力の変化を感じ取る為に精神を極限まで集中させ、さらに攻撃の一瞬においては全身の力とマナを一点に注ぎ込んで爆発させる。《輝く盾》で己の身を守りつつ、相手の防御能力を無視して体内に直接打撃を浸透させるこの《寸勁》を喰らって、無傷でいられるものなど通常はあり得ない。だが、今、彼の前に立ち塞がっている《イエロードラゴン》に対しては、その行動を封じるのがやっとというところである。
底知れぬ体力のドラゴンに対して、ライアットの心身にかかる負担は、時が立つごとに加速度的に増加していく。
極限までの精神集中は、極度の疲労を呼び込み、全身の力とマナを一点に集中爆発させる《寸勁》は、一撃放たれるごとに己の身体でその反動を受け止めざるをえず、決して多用してよいものではない。
周囲の次元の穴の存在を上手く利用して追い込み、逃げ場をなくさせたドラゴンとの我慢比べは、次第に己の不利となりつつある事を肌で感じとりながらも、ライアットはただ無心に眼前の凶獣の動きに注意を注ぐ。
パーティの精神的支柱であるザックスが戦線を離脱した時点で、ライアットは大きな選択を迫られていた。己の持つ切り札を最大限に行使して速やかにこの状況を収束させるか、あるいは、未熟な同行者達とともにこの状況を乗り切るか。
前者の実現は容易いものの、《跳躍の指輪》を持ったザックスがいない以上、その後は前進も離脱もできぬ状況に陥りかねず、後者に至っては実にこころもとない。にも拘らず、ライアットは後者を選ぶという、理に合わぬ大きな賭けに出ていた。
フリーランスとして多くのパーティと行動を共にしてきた《冒険者》としての勘が、己の実力に遥かに劣るこの未熟な同行者達の可能性にかけさせていた。
場違いな戦場で、自信どころか己のあり方すら見失いつつあるクロルに発破をかけ戦いに引きずり込む、などとらしくない真似までしたのは、ひとえに、一見未熟な同行者達の中に底知れぬ可能性を感じ始めていたからであろう。
彼らの課せられた運命の重さが既存の《冒険者》の常識では測れぬ以上、その困難な道のりを歩くに至って避ける事のできない『強者こそが勝者となる』という単純明快なルールの支配する戦場では、決して逃げてはならないという事をその魂に叩き込まなければならない。どんなに優れた栄光も、当たり前の積み重ねの先にしか存在しない。彼らにとっての当たり前という物が何なのか、それを己自身が実感せねばそこから先の成長はない。
再びドラゴンの反撃の気配を感じ取ったライアットはすかさず《寸勁》を体内の深部に向けて打ち込む。同時に跳ね返ってくる身体への反動を眉一つ動かさずに耐えながら己の息遣いを整える。時がたつごとに、一方的に攻撃を封じられながらも、眼前の凶獣が着実に逆転の手段を構築しつつある事を密着した身体を通して敏感に感じ取る。
――急げ、小さいの……、そう長くは保たんぞ。
彼の背で小さな体を余計に縮こまらせているであろう少年の奮闘と発想力に期待して、彼は忍耐の時を重ねていた。
目の前に広がる圧倒的な力と力のぶつかり合い。
それが語り部の語る物語りであれば、幼い者達はその場所に立つ事に胸ときめかせることであろう。だが、現実にその場に立つ今となっては、貧弱な己の身に過ぎたその状況の中では、手をこまねいて立ちつくすのみである。
(ボクに一体何ができる……)
己よりも遥かにレベルの高いアルティナですらほとんど戦力となっていないこの戦況で、初級冒険者レベルのクロルに戦況を覆すための一撃を放つ事など不可能と言えた。
今のお前の取り柄はその発想力だ――ライアットの残した言葉を反芻するも、手札が全くない状況では思いつくことすらできない。
逃げ出したい、そんな思いがちらりと頭をよぎる。
――こんなの理不尽だ。
――無謀な挑戦なんてバカのする事。
――力のない者が己の非力を認めて逃げるのは、間違ってないはずだ。
非力な己に都合のよい言い訳が次々に脳裏に浮かぶ。逃げ出す事は簡単なのだ。
――それでいいのかい?
もう一人の己が囁いた。
――ボクはどうして冒険者をもう一度目指したんだ?
もう一度冒険者に戻る為に受けた《ファンレイヤ》での試練の一部始終が思い出される。あのとき手にしたのは何だっただろうか? そして、もう一つ、臆病な自分が後先も考えずにこの迷宮にやってきた本当の理由は……。
『この先も《冒険者》であり続けたいならば、今は決して引いてはならん』
今は絶対に逃げてはいけない時なのだ、そう言い残したベテラン冒険者は、遥か前方で己よりも遥かに巨大な敵と向き合っている。
『共にある仲間を信じ、ただ勝利した己の姿のみを目指せ!』
彼はそう言い残した。ちっぽけなクロルの可能性に期待して……。
己の前に立ちふさがる者達に道を譲り続けていては、いつまでたっても前には進めない。いいように喰らいつくされて、破綻の運命が待ち受ける――それが、冒険者が常に直視せねばならぬ現実の一つである。
「だったらせめてアイツに一撃を……」
巨大な顎を開き周囲を威嚇するように咆哮するドラゴンにひと泡吹かせられるような、強い一撃を思い描く。あのライアットのように、その内臓を抉るような……。
そこまで考えた時、クロルの脳裏にふとある光景が浮かんだ。
――これなら……もしかして……。
すぐさま手順を思い描く。
決定的な最終シーンからそこに至るまでの過程を逆算してイメージする。
必要なのは隙だった。クロルが行動を起こす為の僅かな時間を稼ぐために必要な時間。そしてそれを生み出す事の出来る仲間は直ぐ側にいた。僅かに躊躇いを覚えながらも、それでも眼前に立つ彼女に声をかける。
「アルティナ!」
どことなく落ち着かぬ姿勢のまま彼の正面に立って、その美しい顔に似合わぬ渋面を浮かべて戦況を見守っていたもう一人の仲間に呼び掛ける。
「どうしたの?」
彼女は振り返ることなく答える。ライアットと同じくドラゴンの一挙手一投足に注意を払い、彼の援護に全力を注ぐべく集中している彼女にも余裕はない。
「アイツの頭を床に張り付けられる?」
「どうするつもり?」
クロルの質問に暫しの時をおいて、彼女は反問した。
「いい事を思いついたんだ、あのトカゲにひと泡吹かせる為の秘策って奴を……」
その言葉に一瞬、彼女の背筋がピクリと反応する。
「やれるのね?」
振り向くことなく彼女は尋ねる。
「信じてくれる? ボクの事を?」
ここに至るまでさんざんに彼女の行動を妨害した上に、臆病風に吹かれてしっかりと醜態をさらした頼り無い新米冒険者の言葉を彼女は信じてくれるだろうか? 拒絶されるかもしれない、そんな不安がクロルの心を一瞬よぎる。
だが、アルティナの言葉はクロルの予想に反するものだった。僅かに振り返った彼女は、口元に優しい笑みを浮かべた。
「仲間はどんな時でも信じるもの……。私はそう、彼に教えられたわ……」
片手を《袋》に入れて《閃光弾》を取り出した彼女は、瞬時にマナを込めたそれをクロルに放ってよこす。
「準備ができたら合図と同時にドラゴンの鼻先に向かって放り投げて。私達の存在を完全に無視したあのスカしたトカゲにひと泡ふかせてあげましょう」
再び正面を向いた彼女は精神を集中させる。つい先ほどまで浮かんでいた渋面はすっかり消え去り、黄金の髪をたなびかせ、均整のとれた美しい肢体が堂々とドラゴンの正面に立って挑む様は、戯曲の一場面のような錯覚を覚えた。
凛々しいその後ろ姿に心が躍る。信頼し合う仲間と共に挑む冒険とは、これほどに心をときめかせるものだったのか?
初めて体験するその感覚に背中を押されるようにして、クロルの乗る《鉄機人》は《閃光弾》を《イエロードラゴン》に向かって放り投げる。
「喰らえ、トカゲ野郎」
閃光が発すると同時に、ライアットの動向に気を取られたまま動きを止めたドラゴンの頭部に向かって、アルティナが《氷結連弾》を放つ。
予期せぬ方向からの攻撃魔法をまともに受けたドラゴンの頭部は、喉元辺りまで、床面に張り付いた。
力任せに引きはがそうとするものの、溜まりに溜まったアルティナの鬱憤が乗り移ったかのように、氷の束縛はドラゴンの顎にくらいつき離さない。思わぬ事態に大きく咆哮しようとしたドラゴンだったが、その頭上に黒い影――《鉄機人》の姿が浮かんだ。
閃光と同時に、宙空に飛び上がった《鉄機人》はそのまま自重もろともドラゴンの鼻梁に飛び乗った。そしてすかさずさらに左腕で渾身の一撃を叩きこむ。
ミシリという不気味な音が左腕に走る。
強力な打撃を予期せぬ箇所に二度も続けて受けたドラゴンは堪らずに巨大な口を開いて咆哮を上げた。床面と顎を張り付けている氷の塊がバリバリと音を立ててはがれおちるものの、まだ完全ではない。咆哮の瞬間、宙返りをしてその鼻先に飛び降りた《鉄機人が》、閉じつつある上あごを左腕で支え、下あごを踏みつける。
さらにミシミシと耳障りな音が《鉄機人》の全身を駆け巡るのを無視して、右腕の《マナ砲》の砲口を巨大な口の中に向けた。
「これが本命だよ!」
最大威力にまで高めた《マナ砲》の一撃がドラゴンの体内に向かって放たれる。足場の悪さゆえに砲撃の瞬間、体制を崩しながらもそれでも会心の手ごたえを感じ取る。
そのまま飛び下がる《鉄機人》に直接与えられた予期せぬダメージに、ドラゴンの巨体が跳ねるように暴れまわる。直ぐ側にいた、ライアットもその場からあわてて飛び離れて距離を取る。
「やったな、小さいの!」
油断することなくドラゴンの動向に気を配りながらのその言葉に、僅かにクロルは胸をはる。
並みのモンスターならば即死級の《寸勁》を十発以上もくらってダメージが蓄積した体内にまともに《マナ砲》の一撃が加えられたのである。これで無傷でいられるはずがない。我慢比べのようなライアットとの睨み合いの中で受け続けてきたダメージの牙がクロルの一撃で、崩落していく雪崩のように襲いかかっていた。
もはや瀕死といってよいに違いない。
「やった、ボクがやったんだ!」
身体の奥底から頭の天辺までを歓喜と興奮が突き上げる。《鉄機人》の中で踊り出したいような喜びとともにはしゃぐクロルだったが、その傍らに立つライアットはなぜか厳しい表情に戻った。
「まだだ、小さいの、油断してはならん」
暴れまわる巨体が災いして、近づけない。ダメージに苦しむ隙だらけの相手に対して、即座に行動を起こして攻撃を畳みかけ、止めを刺す――近接戦闘技能に優れたザックスがいればそれができただろう。
さらに眼前の《イエロードラゴン》の特殊能力は、《冒険者》達の常識を遥かに逸脱していた。
痛みにのたうちまわりながらも徐々に冷静さを取り戻したドラゴンは、身体を丸めて防御の姿勢に入る。巨大なマナの波動が辺りを震わせるや否や、ドラゴンの周囲に存在した複数の次元の穴が一瞬にして消え去った。
同時にドラゴンを中心にして急激にマナの波動が膨れ上がり、爆発を起こしたかのような衝撃を生み出した。
床に伏せてそれに耐えた3人の前には、一瞬にしてダメージから驚異的な回復してみせたドラゴンの姿があった。決して無傷とは言えぬものの、その状態は限りなく戦闘前のそれに近い。その姿にライアットが舌打ちする。
「そんな……」
「次元の穴を喰らったって……いうの」
常識をはるかに超える圧倒的なドラゴンの実力と能力に、アルティナが立ち尽くす。苦労と我慢を重ねてようやく掴んだチャンスを一瞬にして奪いとられ、振り出しの地点へと再び放り出された精神的ダメージは計り知れない。
ドラゴンが大きく咆哮する。まるで勝ち誇るかのようなその姿と圧倒的な闘気に、アルティナとクロルは気圧された。
――まずいな。
経験不足な同行者達の心が折れつつあるのをひしひしと背中で感じながら、ライアットは凶獣と向きあう。蓄積した疲労とダメージによって乱れる呼吸を隠しながら、立ちふさがる巨大な壁と睨み合う。
――この状況、どうするか。
心の中に生じた迷いにふとライアットは気がついた。
こんな状況下におかれた時は、若い時分なら迷わず前に出ていたはずである。年を重ねる事によって得られる経験と密やかに忍びよる老いが、知らず知らずのうちに自身の思考を停滞させ、無茶とも思える行動からのみ生まれる突破力が失われつつある事を彼は自覚した。
共に闘う仲間たちが心身それぞれにダメージを負い、完全に手詰まりな状況に直面してアルティナも又、冷静さを失いつつあった。
――ザックス……。
ライアットの背後に立つ彼女は、虚空の穴へと消えて行った相棒の顔を思い浮かべていた。
――ゴメン、私達、もう駄目かも知れない。
様々な未練と心残りがあるものの、不思議と思い浮かぶのは、些細なことで言い争う相棒の顔だった。
「早く、戻ってきなさいよ、何してるのよ、貴方は……」
ぽつりと吐き出されたらしくない弱気な言葉に、己の心が折れつつある事を実感する。こんな姿を見せてしまっては共に闘う仲間として、彼に幻滅されてしまうだろう。
――だったらせめて、最後くらいは……。
弱気の虫を蹴り飛ばし、最後の力を振り絞って精神を集中する。ここまでほとんど活躍の場がなかっただけに、せめて一撃あらん限りの力を振り絞った攻撃魔法をその鼻面に叩きつけてやるのが、女の意地というものである。
「見てなさいよ、絶対、後で化けて出てやるんだから……」
――そんなの、御免だね!
一方的なアルティナの恨み事に抗議するかの如く、天井にあった時空の穴の一つが、強く激しく輝き始める。
目も眩まんばかりのその激しい輝きに誰もが目を奪われる中、漆黒の穴の中から生まれた輝きが消えさると同時に、戦いの半ばで早々に退場したはずの《冒険者》の姿が再び宙空に現れたのだった……。
突如として宙空に放り出されたザックスは、見事に着地に失敗してゴロゴロと固い床の上を転がっていた。ドラゴンの鼻先に放り出されてパクリと食いつかれなかった事は、せめてもの救いだろう。
「あの、ドジ猫……」
つい先ほどまでの感謝の念はどこへやら。
アフターサービスのなっていない事に全力で抗議しながら、立ちあがって周囲の状況を確認する。見覚えのある大広間の中にあるのは、見知った仲間達と、相変わらず凶悪な顔つきのドラゴン。それらを結ぶ三角形の頂点の位置にザックスは立っていた。手にした《ドラゴン・キラー》の《小剣》をしっかりと握りしめ、ザックスは慎重に歩みを進めて仲間達と合流する。ドラゴンの意識が己の方に向いている事を感じながら彼は、難なく仲間達と合流した。
「遅いわよ、どこに行っていたのよ!」
「無事だったんだね」
視線だけで返答するザックスの無事な姿に安堵の表情を浮かべる二人の仲間の傍らで、ライアットの表情は相変わらず厳しい。
「おっさん、やっぱり又、手を抜いてたんだな……」
見慣れぬ盾を手にしたライアットの傍らに立って、ドラゴンと向きあう。凶獣の警戒の波動がびりびりとザックスに伝わった。
「若いの、戯言は後だ。状況は相変わらず。いや、むしろ悪いくらいだ。」
「そうでもないさ……」
なぜか自信たっぷりのザックスの言葉にライアットは眉を潜め、仲間達は怪訝な表情を浮かべる。
「この戦いはもう終わりだ。さっさと決着をつけて次に向かうぞ。先はまだ長いんだからな……」
ゆらりと前に進み出る。手の中にある《小剣》のずっしりとした重みを確かめつつ、ザックスは徐々にドラゴンとの距離を詰める。
「どうする気だ、若いの……」
余りにも不用心なザックスの行動に、ライアットはその表情を一層険しくする。
「斬り裂くに決まってるだろ! この《ドラゴン・キラー》で!」
言葉と同時に両手で柄を握り締める。瞬時に補助魔法を用いて己の身体を強化する。
「ちょ、ちょっと待って」
アルティナの制止も聞かずにザックスは一気に走り出して、しっかりと握りしめた《小剣》にマナを込める。戦士としての本能が、己の手の中に眠る強大な力が、眼前のモンスターを確実に打ち倒す事を予感させた。
「くらえ!」
正面から側面の死角へと一瞬にして飛び込み、大上段に振りかぶった《ドラゴン・キラー》をその巨体目掛けて振り下ろす。だが、手ごたえは全くない。結果は当然のごとく……、空振りである。
「へっ?」
己の予想に全く反した成行きにザックスは暫し呆然とする。イメージの中の己はドラゴンを容易く斬り裂き、圧倒的なアドバンテージの元に次の攻撃に移っていたはずである。だが、眼前の凶獣の様子に変化はない。間抜けな闖入者に粛清の一撃を加えるべく、ドラゴンはその尾を振り回す。
無防備になったザックスに襲い掛かる尾の攻撃を、間に入ったライアットが《輝く大盾》でガードし、ザックスの襟首を掴んでそのまま離脱する。追撃しようとするドラゴンの鼻先にアルティナが《氷結連弾》を叩きこんで出鼻をくじき、その動きを止めた。
ライアットに引きずられるままに安全距離にまで後退したザックスは、そのまま有無を言わさず放りだされる。放りだしたライアットの表情は明らかに険しい。
「危ないじゃない、何、考えてるのよ!」
「間抜けすぎるよ、キミ」
復帰の喜びもつかの間、いきなりの大ボケをかましたリーダー、ザックスに対して非難の嵐が湧きおこる。
「ちょっと待て、確かに、竜殺しの武器のはずなんだが……」
手の中の《小剣》をマジマジと見つめる。見た目以上にずしりとした重さのそれからは明らかに濃密な力の波動が感じられる。己の直感は確かにそれがこの状況を切り開く鍵であると告げていた。
「紛い物とか不良品じゃないの?」
アルティナの言葉に思わずどきりとする。どことなくとぼけた《ケット・シー》の事だから、『使用期限切れ』などというオチがあるのかもしれない。
「そうとは限らぬぞ……。あれを見てみよ」
ライアットが指し示す先にはしっかりと防御を固めるドラゴンの姿がある。驚くべき事に防御を固める姿の中に、神経質なまでの警戒心が感じられた。
「若いの、それを一体どうやって手に入れた」
「もらったんだよ、通りすがりの……猫に……」
その言葉に一瞬、言葉を失ったライアットだったが、構わずに尋ねた。
「状況が良く分からぬが、《ドラゴン・キラー》といったな。間違いないのか」
「ああ、渡した本人がそう言ってたぜ……」
どこかとぼけた人柄……もとい猫柄ではあったものの、人を騙して喜ぶ悪意の持ち主のようには思えない。
「ならば、それは《理法の小剣》ではないのか?」
「そういえば、そんな事を言っていたな」
険しかったライアットの表情が、僅かに緩む。
「ならば、話は簡単だ。《解放の言葉》を唱えれば、本来の力が解放されるはずだ」
「《解放の言葉》? なんだ、それ?」
一瞬、周囲の時間が凍る。暫しの時をおいてアルティナが呆れたように尋ねた。
「貴方、もしかして、《解放の言葉》を聞いてこなかったの?」
訳も分からずにきょとんとした顔でアルティナの顔を見つめるザックスの姿に、一同は全てを理解した。
「若いの……」
呆れ果てた視線で天敵に見つめられる。
「なあ、もしかして、その《解放の言葉》とやらがなければ、これは使えないのか?」
ザックスの問いにアルティナがこめかみを押さえながら、答えた。
「当たり前でしょ。他人が封じこんだマナを解放するんだから、鍵がないと開かないに決まってるじゃない。そのままじゃ只のガラクタよ……」
「ど、どうするんだよ……」
無知とは実に恐ろしいものである。王宮書庫での美女二人の指摘を無視して、素振りをしようとしていた己の浅はかさをようやく実感する。困惑する冒険者達に向かってドラゴンが威嚇の咆哮を上げる。そろそろこちらの事情を察して、攻撃に移ろうと考えてもおかしくはない。
どんよりと暗い空気が冒険者達の間に広がる。せっかくの《ドラゴン・キラー》も使用不可能では意味がない。
「あの、ドジ猫……」
おそらく、ザックスに《解放の言葉》を教え忘れたのに違いない。正しい手順を聞かなかったザックスにも落ち度はあれど、 やはり責められるべきは中途半端な物の渡し方をした猫の方であろう。
ザックスの手の中にある《ドラゴン・キラー》を暫しじっと見つめていたクロルが彼に尋ねた。
「あ、あのさ、それって《神鋼鉄》なんだよね……」
「そういえばそうらしいな……」
小さくため息交じりに、ザックスが答えた。
「だったら、すごく乱暴な手段だけど、どうにか出来るかも……」
その言葉に一同が顔を見合わせる。
「時間がない、小さいの、思う通りに述べよ」
その言葉にクロルは頷いた。
「やり方は簡単さ。ザックス、アルティナ、ボクの最大の理力値を活かして、その呪具にマナを無理やり込めるんだ」
「そんなことしたら、これは……」
「おそらく暴走状態になって力が解放されるはずだよ。《神鋼鉄》の強度があればきっと持ちこたえられるはず……だと……思う……」
「はっきりしないんだな……」
「仕方がないだろ。ただ原理としては間違っていないはずだ。一杯に満たした水樽にさらに水を注ぎ込んでその底板を一息に弾き飛ばすようなものなんだから」
どうにも穴だらけな理屈に聞こえるものの、現状、それ以外の良案は浮かびそうにない。
「分かった、それで行こう」
「では俺が抑え役に回ろう」
ザックスが決断するや否や、間髪をいれずにライアットが前に進み出る。左腕の《輝く大盾》がより一層輝きを増し、巨大な魔法防御陣を形成する。その光に呼応するかのように《イエロードラゴン》が突撃をかけた。その圧倒的な攻撃力を、《輝く大盾》でこらえるライアットの表情は厳しい。残された時間はほとんどないと言ってよいだろう。
少し離れた後方ではザックス達3人が最後の賭けに出ていた。差し出しされた《小剣》の柄を握るザックスの手にアルティナのそれが重ねられる。
「もういい加減に飽きたわね。本当にこれで、終わらせましょう……」
彼女の対面に立った《鉄機人》の胸甲板を開いてクロルが手を伸ばす。
「きっとなんとかなるよ……」
どちらかといえば願望に近いその言葉と共に、彼も又、手を重ねる。
「やるぞ!」
ザックスの言葉と同時に3人がマナを込める。
整い満ち足りた静謐の中に無理やり3色の異なった異物を押し込むかの様なイメージが広がり、《小剣》の柄は激しく輝いた。それはあたかも強引に侵入してくる異物に対して激しい拒絶をするかのように見える。圧倒的なマナの気配に視界が揺れ、湧きあがってくる吐き気をこらえて、ザックスは《小剣》の柄に精神を集中する。一番負担がかかっているのは、マナの扱いに最も長けたアルティナであり、クロルも又、少ない体力ながら懸命に己のマナを柄に注ぎ込む。ザックス一人が弱音を吐く訳にはいかなかった。
「頼む、開いてくれ……」
永遠に続くかと思われる時間の中での攻防の末に、先に根負けしたのは《小剣》の方だった。刃らしき個所からぼんやりと一筋の異なる淡い光が漏れ始める。
「もう一息よ!」
アルティナの言葉にさらに精神を集中する。さらに押し込まれた異物のせいか、《小剣》が徐々に熱を帯び始め、ついにその表面に変化が生じた。見た事もない奇妙な文字がぼんやりと浮き上がる。
「ザックス、それ……」
クロルの言葉に目をやれば、彼自身の右腕に嵌められたウルガの腕輪が強く輝いている。左手で無意識にそれにふれたザックスの脳裏に言葉らしきものが浮かび上がった。それが、《解放の言葉》である――ザックスはそう直感した。
「二人とも、十分だ、離れろ!」
一瞬、怪訝な表情を浮かべたアルティナとクロルだったが、直ぐに彼の言葉に従いその場を離れた。
熱く熱せられた柄を両手で握りしめ、ザックスは脳裏に浮かんだ《解放の言葉》をはっきりと口にする。
「牙竜滅砕!」
言葉と同時に、押し込まれた異物をはじき出すかの勢いで激しい光がほとばしる。やがてそれは形をなし、一本の巨大な《大剣》に姿を変える。ザックスの身長を優に超える巨大な光の刃をもつ大剣――《ドラゴン・キラー》が、その場にいる全ての者達の前に真の姿をさらけ出した。
「おっさん、下がってくれ」
ザックスの言葉に防御壁を展開していたライアットが後退する。その顔に濃い疲労の色を浮かべながらも、その表情はどこか明るい。
「決着をつけろ、若いの!」
「言われなくても、そうするよ!」
無尽蔵にも感じられるマナを放出して形成される光の刃が生み出す反動に耐えながら、ザックスは前進する。不思議と心の中に恐怖は感じられない。己の身体も又、呪具の一部になったかのような錯覚を覚えながら、ザックスは《ドラゴン・キラー》の生み出すマナの波動に荒れ狂う《イエロードラゴン》の前に立った。不思議な事に、眼前の《イエロードラゴン》は逃げる事も防御する事もなく、見えぬ鎖に縛られたかのようにザックスの前に立ちはだかっている。
「これで……終わりにしよう……」
言葉と同時に大上段に構えた《ドラゴン・キラー》を全力で振り下ろす。さらに逆袈裟に斬り上げてから身体を回転させて袈裟に振り下ろし、横に薙いだところで、《大剣》そのものを柄ごと《イエロードラゴン》の身体に突き込んだ。
ほとんど手ごたえのないままに終えた一連の動作の最後に突き込まれた《ドラゴン・キラー》の柄が、さらに熱を帯びる。その熱さに驚いてザックスが手を放すや否や、四方に光を放ち、やがてそれは《イエロードラゴン》の身体全体を覆い尽くす。その断末魔の叫びが辺りに轟き渡り、やがてその巨体の全てを飲み込んだ光は《ドラゴン・キラー》もろとも消えていった。同時に室内の全ての次元の穴も消滅する。
再び静寂の訪れたその場所に立っていたのは、死闘の勝利者である、ザックスとその仲間達だった。
「終わったんだよな……」
闘い続けた3人の仲間達は濃い疲労の色を浮かべながらも、頷き合う。
「ザックス、それ……」
アルティナの指摘に目を向けると自身の《袋》がぼんやりと輝いている。慌てて手を突っ込んで取りだしたのは、僅かな熱を伴った謎の《紋章》だった。取り出された《紋章》はザックスの手を離れ、ふわりと宙に浮かぶ。青と黄色の二色の光を伴って輝くその《紋章》から、聞き覚えのある声が脳裏に届いた。
『見事だ、汝に解放者の資格を確かに認めよう。最後の封印を目指すがよい』
相変わらず相手の都合を無視した一方的な言い分である。事情を尋ねようとしたザックスだったが、声は更なる混乱をもたらした。
『忠告を一つ。汝は手段を間違えた。結果は等しくともその事実はいずれ、我らが望まぬ誤った結論を導くこととなろう』
「おい、コラ!」
『修正の余地はある。真実と共に我が前に到達する事を心より祈る』
言葉が途切れると同時に宙に浮いていた紋章から光がゆっくりと消え失せ、やがてカランという音と共に床に転がった。
「いい加減にしろ!」
怒りと共に足元に転がる紋章を蹴り飛ばし、その場に大の字に倒れる。カランコロンと乾いた音を立てながら、《紋章》は広い大広間の床を小気味よく転がってゆく。
「ザックス、いいの?」
「もうこれ以上、つきあいきれるかよ……。あんなのと又、やりたいのか?」
「それもそうね……」
心底疲れた表情を浮かべたアルティナは、彼の傍らに座り込み、《鉄機人》から降りたクロルも腹ばいになって床に突っ伏し、冷たい石の感触に身を任せている。もう指一本動かしたくない、このまま放っておいてくれ、そんな気分なのだろう。少し離れた場所ではライアットが《高級薬滋水》の瓶を開けている。この戦いで一番消耗したのが彼である事は間違いない。
床に転がったまま殺風景な天井を見上げながら、溜息をつく。明らかに無謀ともいえる闘いに無理矢理放りこまれた上に、さらなる無理難題を吹っ掛けられてはたまったものではない。せめて、相応の報酬ぐらいはよこしてほしいものだ……などという考えに至った所で、ふと、とある過去の出来事を思い出し、慌てて身を起こす。
「どうしたの?」
怪訝な表情を浮かべるアルティナにザックスは答えた。
「いや、どこかに換金アイテムが転がっていないかなと思ってさ……」
周囲を見回すものの、それらしき物の姿はない。ザックスが蹴飛ばした《紋章》が少し離れた場所に転がるだけである。
「あれだけの戦闘をした後で、よくすぐにそんな気分になれるわね」
彼女の冷めた視線に、ザックスは決まり悪げに頭を掻く。
「そりゃ、まあ、そうだけど……。前は80万シルバの宝珠だったからな……」
瞬間、アルティナの表情が固まった。しばらくして二人は慌てて周囲を見回した。
「その……、ちょっと探してみようかしら……」
「回収し忘れるのも、間抜けな話だろ」
しばし、視線を合わせていた二人だったが、一斉にくまなく周囲を探し始める。だが、懸命な捜索の甲斐もなく、彼らの労苦に十分に見合うだけの報酬を見つけ出すことは出来なかった。
「あれだけ苦労させられたのに、何もなしかよ……」
「ケチなドラゴンだったのね」
――それもダンジョン探索というものだ。
意気消沈する二人の姿を眺めながら、ライアットの視線が密かに語りかける。
激戦を制して多大な疲労感とともに大広間を後にした一同だったが、放り捨てた筈の謎の《紋章》が再びザックスの《袋》の中に密かに戻っていた事に彼らが気づいたのは、ずっと後の話だった。
2012/11/06 初稿