34 ザックス、激闘す!
二度目の露営を終えたザックス達一行は第21層内の大広間の扉の前に立っていた。
パーティ内の不協和音から度々おこる小さな諍いは、一時的にではあるがどうにか収まりつつあった。
その混乱を収めるべく試行錯誤するザックスの起死回生の一手は、マリナやイリアを見習って、見よう見真似で浮かべた引きつったぎこちない微笑みだった。そんな彼の涙ぐましい努力に、二人が同情の視線を浮かべて引き下がったというのが真相である。
『リーダーはつらいよ』
《ペネロペイヤ》の劇場施設で一部の熱狂的な信者に支持される演劇のタイトルを思い出しながら、じっくりとその言葉をかみしめる。
じんわりと圧し掛かってくるこれまでに感じた事のない疲労感を覚えながら、ザックスは次のボスの待つ大広間に向かって、仲間達と共に通路を歩んでいく。何事もなく無事に通過させてほしい――密やかな彼の願いも空しく、大広間に踏み込んだ彼らを待ち受けていたのは、理不尽という言葉が可愛らしく感じられる程に異常な光景だった。
「何よ、これ……」
眼前にひろがる状況にアルティナが絶句する。殿についていたライアットの表情はこれまで見たことないほどに厳しい。先頭に立っていたザックスに至っては、広間の空気に一歩身を浸しただけで激しいめまいを覚えた。マナ酔いの症状である。
その場所は構造そのものは通常の大広間とさほど変わらない。だが、床、壁面、天井の数か所に黒々とした大穴がぽっかりと口を広げている。それは唯の穴ではない。底の全く見えないその穴の向こうからは異様なマナの気配が濛々と漂ってくる。
「次元の穴のようなものかしら。あれには絶対、触れない方がいいわね」
厳しい表情で、アルティナがつぶやいた。
「触れたら、どうなるの?」
「どうなるか皆目見当もつかないのが正直なところね、よくて、どこか見知らぬ場所に放り出されるというところかしら」
「悪かったら?」
「想像に任せるわ……」
「厄介だな」
床の一部にも大穴が広がっている以上、足場を気にして戦わねばならぬ状況では、スピードを維持して戦い続けるのは困難極まりない。そしてさらに彼らの前に立ちふさがる難題となっていたのは、この場所を守護するボスモンスターだった。
「あれって、やっぱり……」
「ああ、間違いない。ドラゴンだ……それもかなり高位の」
大広間の中央に座しているのは、小山の大きさほどもある《イエロードラゴン》だった。
かつてバンガス達とともに戦った《ブルードラゴン》に勝るとも劣らぬその堂々たる巨躯から強力なマナの波動を立ち昇らせつつ、静かに地に伏せている。その圧倒的な存在感は侵入者を容易く近づけさせぬ迫力がある。
「あれとやりあわなきゃいけないの?」
クロルの言葉にごくりと息をのむ。あの時と比べても今の戦力は心もとなさすぎる。だが、これを打ち倒さなければ前に進む事はできない。
「やるしかないみたいだな……」
腰の《ミスリルセイバー》を引き抜き数歩前に進む。ライアットが彼の隣に並んだ。と、中央で地に伏せていたドラゴンがぬらりと鎌首をあげ、近づきつつあるザックス達をぎろりと一瞥した。不意にザックスの脳裏に予期せぬ声が響いた。
『ほう、我が《紋章》を備えし者か……』
厳かという形容がふさわしい、どこか聞き覚えのある声。
その声にパーティの誰もが足を止め、驚愕の表情を浮かべる。どうやら声を聞いたのはザックスだけではないらしい。
上層階で出会ったリビングメイルや死霊のように、もともと実態ある存在を起原とする物は例外として、ダンジョン内の召喚陣上でマナによって形作られるモンスターが自由意思を持たぬのは《冒険者》の常識である。例え、ドラゴンとて例外はない。会話の成立などまったくもって論外である。
だが、現実問題として、意思を持ちこちらに語りかけてくるモンスターが眼前に存在する。常識を覆す事態に動揺する仲間達を尻目に、ザックスは一歩前に踏み出し、尋ねた。
「あんた、あの時のドラゴンか?」
しばらく前の記憶を探り、消滅の瞬間のドラゴンの言葉を思い出す。人の話を聞くことなく、言いたい事だけ言って消え去った《ブルードラゴン》は奇妙な《紋章》を残した。厄介事はキミの領分だろうとそれを押し付けたルメーユの判断は、的確だったようだ。この事態に心当たりがあるかのようなザックスの言葉に、仲間たちが怪訝な表情を浮かべる。
『その答えは是であり、否ともいえる。我はあれと同じ只の影。同質異形の存在なり』
理解に苦しむ曖昧な答えである。説明を求めるべく仲間達を振り返るも、ザックスの要求に答えられる者などあろうはずもない。
「若いの。どういう事だ。一体、何が起きている……」
逆にライアットに尋ねられ、彼を納得させるだけの答えを持ち得ないザックスは、首を横に振るだけだった。仕方なく思いつくままにドラゴンに質問する。
「あの《紋章》は一体何だ?」
『答えを知りたくば、我を倒す事だ。力示す者にこそ道は開かれる』
相変わらず、他人の話を聞く気はないらしい。はた迷惑なトカゲである。肉体言語のみが、異種族間を対等と認めさせる唯一の手段であるという実に分かり安い解決方法を提示され、ザックス達の選択する道は一つしかないようだ。
(あのヤロウ、この状況を知ってやがったのか……)
大書庫に現れた陰気な《魔将》の顔を思い浮かべる。してやったりと笑みを浮かべて、今頃どこかでザックス達の奮闘する姿を眺めているのだろうか?
戦闘開始を合図するかの如く、《イエロードラゴン》が大きく咆哮する。
咆哮によって生まれた魔力をともなう衝撃破が周囲の空気共々、ザックス達の心を大きくふるわせる。ドラゴンのまとう闘気とも呼ぶべき物騒な気配が、ザックスの戦士としての本能を刺激し、彼は引き寄せられるように前へと踏み出す。
「結局、やるしかないらしいな」
対ドラゴン戦といえば、本来、名のある上級冒険者パーティ達によって執り行われる名誉ある挑戦である。
愛剣を片手に斬り込んでいくザックスの直ぐ後に、ライアットが続く。二人の勢いに強引に引きずり込まれる形で、アルティナとクロルが参戦し、見習い冒険者一人を含んだ急造パーティによる、無謀な対ドラゴン戦の火ぶたが斬って落とされた。
咆哮と共に生み出される衝撃波の壁が先頭を突っ切るザックスの動きを抑え込み、次いで強力な前足の一撃が襲いかかる。気を抜きさえせねば《瞬速》をかけた身体で難なくかわせるものの、時折、足元にぽっかりと広がる次元の穴の存在が、ザックスの注意を散漫にする。
右側に回り込んだザックスは、逆方向に回り込んだライアットとうまく連携しながら、交互に攻撃を仕掛ける。だが、ドラゴンの固い巨躯にかすり傷一つつけることはできない。
ドラゴンの身体の構造上、体側面の中央部に生まれる死角に身を置いて攻撃を加える《冒険者》二人に対して、《イエロードラゴン》は激しく身を揺らしてその凶悪極まりない顎で威嚇し、強靱な尾を振り回して攻撃する。
まるで千年樹の如き太さの足を大きく踏みつける事で引き起こされる激しい地響きは、巨大な容積を誇る大広間全体を揺るがし、下手をすれば崩落するのではないかとすら思わされる。
揺れる足元を踏ん張ってやり過ごそうとする二人に、さらに容赦のない攻撃が加えられ、見ているものの心胆を確実に寒からしめんかの如き光景が幾度も繰り広げられた。
後方ではアルティナが自身の手持ちの攻撃魔法の全てを使ってどうにか、突破口を切り開こうとするものの、そのどれもがせいぜい牽制程度の効果しか挙げられず、ほとんど無力といえた。ザックスをしてようやくついて行ける程のハイレベルな接近戦にクロルの出番などある訳もなく、時折、牽制にすらならない申し訳程度の《マナ砲》を遠距離から打ち出すばかりで、完全に蚊帳の外だった。
次第に4人の中で最も効果的な攻撃を加えているライアットにドラゴンの注意が集中していく。特殊な効果のある息吹を吐き出す訳ではないものの、そのパワーに任せた攻撃は並みのドラゴンの比ではない。
圧倒的な攻撃をライアットはシールドを使って巧みに受け流しながら、メイスで小さな反撃を加える。ライアットの攻撃に一瞬動きを止める《イエロードラゴン》だったが、大きなダメージを受ける様子はなかった。
「まずいな……」
小さく呟きながら、じりじりと劣勢に追い込まれていく自分達の状況にザックスは舌打ちする。
前回のブルードラゴンと同じく、おそらくSランククラス以上と推定されるその圧倒的な戦闘能力を前に、決して相手を舐めていた訳ではない。ライアットの実力を十分に計算に入れた上で、数値的には中級クラスとはいえ、並の上級冒険者クラスなら決して遜色ないだろうと自負する自分とアルティナの力があれば、五分とはいえなくとも、四分六分程度の戦いは出来るはずだというのが当初の読みだった。いかにドラゴンとはいえ、常に完璧な状態ではありえない。戦闘の過程で攻撃の際に必ず生まれる隙を見出して反撃を加えれば、突破口は見いだせるはずである、そう考えて臨んだ一戦だった。
だが、現実には二人の力はほとんど通用していない。
最大の誤算の一つ目が武器の相性だった。
《イエロードラゴン》の外見から防御力に秀でたモンスターである事は容易く予想され、斬撃を基本とするザックスの攻撃はダメージを与えづらいであろうという見当はついていた。だが補助魔法で身体を強化した上で、あらゆる技を駆使して攻撃を試みたものの、その全てが尽く跳ね返されるという結果は、全くの予想外の事態だった。かつての《盾の魔将》を彷彿とさせる《イエロードラゴン》の防御能力は圧倒的な壁となってザックスの前に立ちはだかっていた。これまで何度も死線を共に潜り抜けてきた愛剣《ミスリルセイバー》の力に、ふと限界を感じる事など初めての事である。
さらにもう一つの大きな誤算がアルティナの力量だった。
対複数戦闘において、先制と止めを引き受ける彼女の力は、ザックス達のパーティにとって欠かすべからざるものである。
圧倒的な理力値を背景に、発動までほとんど時間を要さぬ彼女の攻撃魔法の威力は、これまで彼らの前に立ちふさがった大多数のモンスターに対して有効だった。
だが、《イエロードラゴン》に対してはほとんどその効果はない。体表面のみを僅かに傷つけるだけのその攻撃では、共に戦っているにも拘わらず、戦闘中に彼女の存在感を感じられぬ事など初めての事だった。
当の本人もその自覚があるらしく、ちらりと映った視界の片隅に移った彼女の表情には、悔しげな色がありありと浮かんでいる。
(まずいな……)
このまま時間が経過し続ければ、状況はますます不利に追い込まれる。戦闘の流れを変える為のきっかけを掴まねばならない。
最も効果的な戦術の一つは、やはりオーソドックスな目潰し戦術であろう。ドラゴンの頭に飛び乗り、その頭部を集中的に攻撃するという極めて単純なものだが、その戦術の行使をザックスに躊躇わせているのが、周囲に広がる次元の穴の存在だった。
巨大な体躯を誇るドラゴンがその全身を揺する事で発した力は、身体の末端である頭部や尾に至る過程で何倍にも増幅され、その威力をまともに受ければひとたまりもない。当然足場の悪い頭部に飛び乗っていれば、放り投げられることは必定であり、そのまま次元の穴に落ちかねない。
注意がライアットに向けられている以上、成功の確率は上がるものの、それでも幾度かの失敗が前提のこの戦術を一発勝負として行使するには、余りに分が悪い。どうするか、迷うザックスだったが、彼と同じ事を考え、先にそれを実行に移した者が現れた。
「このヤロー!」
聞き覚えのある甲高い声と共に金属製の鎧が己の直ぐ傍らを走り抜ける音が耳朶を打つ。視線のその先には、蚊帳の外に置かれ続けていた《鉄機人》にのったクロルの突撃する姿があった。
(まずい……)
最悪に近い未来の光景がザックスの脳裏を駆け抜け、その背筋に冷たい悪寒が走った……。
戦況は極めて不利といえた。
凶悪な面構えをしたドラゴンの左側に回り込んだライアットが加え続けた攻撃の成果は着実に上がり、モンスターの注意を予想通りに引き付けられていた。だが、その一方でライアット自身にも予想外の事態は多かった。
「器用な事を……」
小さく呟きつつ、呼吸を整える。長い戦闘の経験から、この戦いが当初の予想をはるかに超えた長いものとなるであろう事を予感していた。時間の経過と共に眼前の《イエロードラゴン》はライアット一人に的を絞り、死角に入りこんだ彼を時計回りに追い立てる。
ドラゴンの身体が描く円のすぐ外側にいるザックスに対して、おそらくドラゴンは体内のマナを集中させることで防御を固め、完全に無視の姿勢をとっていた。より脅威度の高いライアットに対して隙を見せながら顎と尾による攻撃を加え、巧みにこちらの攻撃力を削いでいく。老獪さを感じさせるその戦術はライアットにとって意外なものといえた。巨大化した野生の猛獣にありがちな狩りの技術とは違うもっと別の意識。それは人間と対峙している時に感じられるものと酷似していた。過去、ダンジョン内でドラゴンに出会った事はあれども、このような上級種はライアットとて初めての事である。すでに2度目らしい、若きリーダーの悪運ぶりはどうやら大したものようだ。
いかにライアットが最高のマナLVを誇るとはいえ、ウルガとは違って彼は戦闘専門職ではない。回復という役割を行いつつ同行している彼が、全力で戦えるのはおそらく一度だけ。それは、相手が《魔将》という決して己が許せぬ存在と対峙した時と決めてある。
ここで切り札を行使して全力を尽くせば、この事態を乗り越える事は可能である。だが、おそらくその先はない。この難敵を排除したところでパーティはダンジョンの離脱を余儀なくされるだろう。
自分達の力で難敵からもぎとった勝利ではなく、さらにその代償としてゲストである己がこの先戦力足りえぬ展開は、さらにより困難な状況を強いられる事になる彼らにとっては敗北に等しい。少なくともリーダーの若者は、そう判断する可能性が高い。
自分達の力量の限界を見極めて、一時離脱し準備を整え、再度、挑戦し直す。普通の《冒険者》ならば当然の判断といえる。
だが、彼らに与えられた時間は少ないようだ。再度の挑戦はおそらく意味をなさない。
そして一人の少女の運命を犠牲にせざるを得なくなりかねない判断は、この未熟なパーティのメンバー達の間に取り返しのつかぬ亀裂を生み出すこととなるだろう。
誰の目から見ても無謀な挑戦と思えるこの前途ある若者達を上手く導くよう、協会長である老人は彼にとんでもない厳命を下した。
目に入れても痛くないほどに愛しい愛娘の不始末から起こった一連の騒動への決着は、ずいぶんと高くついたものの、必ずしも不満がある訳ではない。《魔将》との戦いで散っていった戦友の魂を引き継ぐ若者の未来については彼自身も興味あるところであり、彼の判断によって招かれたこの事態も、彼らの置かれた事情を考えれば、それが誤った判断であるとは決して言いきれない。
(だから……)
今はただじっとこらえて状況の推移を見守る。幾度もの死線を乗り越えてきた彼ならば適切な判断を下せるはずだ。その時まで彼は三人の未熟な同行者達の壁となって機会を窺い続けていた。だが、百戦錬磨の彼も完ぺきではない。強大なドラゴンの力に向きあううちに、いつしか彼自身が探索開始直後から不安視していた要素を失念していた事に気付いたのは、その不安要素自らが状況の打開へと無謀な突進を敢行した時だった。
咆哮をあげるドラゴンに向かって突貫する《鉄機人》。クロルの行動は、確かにザックスのイメージ通りの物であり、それは状況を打開するのに最善の一手であるといえた。
だが、それをやり切るにはクロルの技量は余りに未熟すぎる。その事に気づかぬままクロルは、己の中の恐怖を振り払うべく猛然とドラゴンに突進した。
「くたばれ、トカゲ野郎!」
ドラゴンの頭部に飛び乗った《鉄機人》は渾身の左拳の一撃を、その鼻筋に叩きこむ。その一撃を受けたドラゴンの動きが一瞬、止まった。
「やった!」
己の攻撃に初めての手ごたえを感じたクロルは、畳みかけるように次の一撃を放つ。《鉄機人》が左拳を腰だめに構えた瞬間、ドラゴンは大きく首を振る。足場の悪い場所で無理な体勢にあった《鉄機人》はバランスを崩して大きく弾き飛ばされた。
銀白色の鎧が宙を舞う。そしてその落下地点には黒々とした大穴がぽっかりと口を広げていた。
「まずい!」
クロルの危機に気付くや否や、そこから先のザックスの行動はほとんど条件反射だった。宙に浮いた《鉄機人》に対して、《体当たり》で強引に落下地点を変えさせる。目論見どおりに安全な床に転がった仲間の姿に安堵したザックスだったが、その代償は大きかった。
「ザックス!」
アルティナの悲痛な叫びが奔る。
息をのむ仲間達の前で、ザックスの姿は、不気味な顎を広げて獲物を待つかのような黒々と広がる次元の穴に一瞬にして飲み込まれ、彼を飲み込んだ漆黒の穴共々消えていった。
「そんな……」
ザックスが自分の身代わりとなったという事実に、クロルは呆然と佇む。その隙を突くかのように《イエロードラゴン》の強靱な尾の一撃がクロルに襲いかかった。
「下がれ、小さいの!」
間一髪飛び込んだライアットがその右足で《鉄機人》を蹴り飛ばし、左腕の盾でドラゴンの一撃を受け止めた。ぶつかり合う衝撃と同時に、互いのマナの輝きが激しく飛び散った。左腕の円形の盾が大きく変形したものの、ライアットはしっかりとその場で踏ん張り無事のようである。態勢を立て直そうと一時後退する《イエロードラゴン》に合わせてライアットも又後退する。
激しい戦いの中で、一瞬の静寂が訪れる。
床に転がるクロルの元に、アルティナが、さらにライアットが駆けよった。
「どうしよう、ザックスが……」
《鉄機人》の中のクロルの声が震える。美貌のアルティナの顔色も真っ青である。
「もう、だめだ、ボク達、絶対勝てないよ……」
再び防御をしっかりと固め、相手方の様子を窺う《イエロードラゴン》の姿に、クロルは動揺を隠せない。難攻不落の要塞を前にして立ちすくむ兵隊の心境とは今の彼のようなものなのだろう。だが、そんな彼にライアットは発破をかける。
「諦めてはならん、小さいの」
「でも、ザックスがいないんだよ。アイツはボクのせいで、もう……」
「それでも決して諦めてはならん、小さいの」
怯えるクロルにライアットは静かに諭す。
「どんなに絶望的な状況でも、あの若いのは絶対に諦めなかった。そうやってこれまで道を切り開いて来た」
その脳裏に浮かぶのは、神殿内で己の実力以上の敵に、只一人で真っ向から立ち向かう姿だった。
「そうだったわね……」
アルティナが同意する。
「小さいの……。若いのを信じよ。あれは必ず戻ってくる。それまで踏ん張るのだ」
二人の前に立ちはだかったライアットは変形した《円形盾》を床に放り捨て、《袋》に手を入れる。現れたのは初めて目にする白銀色の《大盾》だった。己の身長とさほど変わらぬ大きさの半紡錘型のそれを、ライアットは新たに左腕に装着する。左腕を肩まで覆う腕甲と一体になった巨大な《大盾》は、鮮烈なまでのマナの輝きに満ち溢れている。
「まさか、それって、《神鋼鉄》の……」
驚くクロルの言葉にライアットは沈黙したままだった。
「元気なの……、何かよい手は見つかったか……」
己の攻撃魔法がダメージを全く与えられぬと見るや、アルティナは二人の牽制と援護に切り替えていた。
「ごめんなさい。あれだけ頑丈だと、ほんの数秒足止め出来るくらいしか、今の私には……」
「十分だ。援護を頼む」
言葉と同時にすたすたと、ドラゴンに向かって歩み出す。
「待ってよ、ボクはどうすれば……」
クロルの言葉にライアットは足を止めたものの、決して振り返らなかった。
「それはお前が考える事だ。小さいの。今のお前の取り柄はその発想力だ。ドラゴンにひと泡吹かせるくらいの秘策を期待している」
再び力強く歩み出す。
「この先も《冒険者》であり続けたいならば、今は決して引いてはならん。共にある仲間を信じ、ただ勝利した己の姿のみを目指せ」
白銀に輝く《大盾》と共に威風堂々と《イエロードラゴン》に挑んでゆくその背中は、圧倒的なドラゴンの脅威に怯えるクロルの心に、恐怖とは全く異質な戦慄を覚えさせた。
2012/11/04 初稿