30 ザックス、旅立つ!
「修復は何時頃、終わりそうだ?」
「……。装甲の歪みはなんとか応急処置出来たけど右腕はダメだ。ボクの技術じゃ切断された魔導靭帯の修復は不可能なんだ」
「だったら、使えないじゃねえか。大体、武器はないのか。この間の戦闘の時も丸腰で暴れ回ってたよな、お前……」
「それは……」
ザックスの問いにクロルは僅かに口ごもる。
「《鉄機人》の能力は搭乗者自身のそれに左右されるんだ。武器の扱いが苦手なボクが乗る以上、今の《鉄機人》は持ち前のパワーで暴れるしか攻撃手段はないんだ……」
その言葉で一連の彼の行動に合点がいく。怪我人の山を無数に築き上げながら、奇跡的に死者が出なかった事は単なる偶然ではないようだ。
「武器も使えない上に、頼みの格闘攻撃も左腕のみ。大丈夫なのか?」
ザックスの言葉にクロルはむっとした様子で答えた。
「代案はあるさ」
わずかに頬を膨らませると、ごそごそと《袋》の中を探り、筒のようなものを取り出した。
「何だよ、それ」
「見ての通り、砲だよ」
「砲?」
聞きなれぬ言葉に首をかしげる。
「正確には《マナ砲》と呼ぶべきものだね。これを切断された下腕部の代わりに取りつけ、魔導靭帯を媒介にしてマナを供給する事で、攻撃魔法と同等の威力を発揮させることができる……はずなんだ」
「はっきりしないな」
「試したことないから、仕方ないだろ!」
「威力も分からないものをいきなり実戦で使うつもりか? 第一、それ、どこで手に入れたんだよ。王宮の宝物庫じゃないのか?」
「違うよ! 少なくとも《鉄機人》は、ボク達の村の物だ」
「どういう事なの?」
「これは死んだボクの師匠の創作物の一つなんだ。もともと体の小さなボク達が森や荒野で様々な力仕事を行えるようにと発明されたものなんだ。扱うボクの理力値が巨大だから、戦闘の場面で圧倒的な優位性を誇れたんだけど、本来は平和的に人の為に役立てられるべきもの。それを人間の商人が騙して奪いとっていったのさ。だからそれを見つけて取り返した。それだけの事だよ。《マナ砲》は迷惑料がわりに拝借しただけさ!」
互いに睨みあう。二人はどうにも反りが合わぬようだ。
「大体、キミ、失礼だよ。訓練校にいた時もそうだったけど……他人の事なんてほとんど眼中にない上に自分より強い奴にしか興味なかったじゃないか」
「そんなこと……ないぞ」
「じゃあ、ボク達の同期で顔と名前が一致している人を何人、あげられる?」
「そのくらい……」
指折り数えるザックスだったが片手の指を閉じた後、その動きはピタリと止まってしまった。その様子にクロルとアルティナはため息をつく。
「3か月近く寝食を共にしてたら、普通、大抵の人の顔と名前くらいは、覚えてるものだよ」
「そんな真似、できるかよ!」
「ゴメン、ザックス、私も大体思い出せるわ……」
アルティナの言葉で一気に形勢不利に追い込まれる。
「し、仕方ないだろ。あの頃は《冒険者》はモンスターと戦うものだってことしか頭になかったから、まだ見ぬ敵とどう戦うかで頭がいっぱいだったんだよ……」
「まったく、こんな薄情な奴だなんて分かってたら、助けるんじゃ……」
うっかり呟きかけたクロルは慌てて口を抑える。その言葉に僅かに顔色を変えたザックスにアルティナが首をかしげた。
「どういうことなの、ザックス?」
暫くして決まり悪げにザックスは答えた。
「この街でオレが死にかけた時、助けてくれたのが、こいつらしいんだ……」
「本当なの、クロル?」
アルティナの問いに暫く沈黙したままだったクロルが、やがてぽつりと言った。
「別に恩を着せるつもりなんてないよ。ただ、あの地獄の中でせっかく生き残ったのに、あんなところで犬死にじゃ、あまりに間抜けだからそうしただけだよ。正直、あの状態で本当に助かるとは思わなかったけど……」
そんな言い方をされると感謝の言葉も素直に表せないものである。微妙に険悪な空気がクロルとザックスの間に再び広がった。二人の間に立ったアルティナが慌てて話題を変えようと試みる。
「そういえば、最後の一人ってどんな人なのかしら……」
「最後の一人?」
「あの日、生き残ったうちの最後の一人のことよ。たしか今は行方不明だとかいう……」
「ああ、そういえば、なんだか聞き覚えのない名前だったな……。状況が状況だけに怖くなって逃げ出したって仕方ないんじゃないか?」
「でも、今回のような事もあるんだし、知らないふりってのも、ないんじゃない? 協会長のお爺さんに頼んで、その行方を捜すべきだと思うけど……」
アルティナの言葉は尤もである。性質の悪い債権取り立て屋のような《魔将》の行動を知った以上、逃げ出した先で最後の一人が《魔将》と接触している可能性は決して否定できない。
「あいつは逃げたりしないよ、絶対に……」
小さな沈黙の中でぽつりとクロルが呟いた。その言葉に二人は顔を見合わせる。
「クロル、あなた、知ってるの、最後の一人の事を?」
「本当かよ……」
驚く二人の顔をまじまじと眺めながらクロルは答えた。
「知ってるも何も……。ザックス、キミが一番知ってる筈じゃないか、アイツの事は……」
「オレが……か?」
予期せぬ答えに戸惑いを覚える。記憶の底に残る5人目の名前と、顔と名の一致する数少ない同期の顔を思い浮かべるがどうにも要領を得ない。ザックスの様子に再び溜息をつきながらクロルは答えた。
「ハオウだよ……」
その言葉にザックスの顔色が変わる。アルティナも又、それが誰かを理解したようだった。
「アイツ……かよ」
それは獣人族でも、気性の荒さで定評のある獅子猫族の男の渾名だった。訓練校時代の彼は、ザックス以上に戦闘能力の高さに固執し、冒険者になった暁には大陸を制覇して統一帝国を作るとまで公言し、同期の間では知らぬ者など無いほどに何かと話題をふりまき続けた男である。戦闘訓練中にフィルメイアであるザックスに何かと突っかかり、ずいぶんと手を焼かされたことを思い出す。苦々しい思い出と共にザックスの記憶の中で『ハオウ』という渾名で定着した彼の顔が思い浮かんだ。
「アイツはボク達の中で最初に目覚めたらしい。そして泣き続けるラフィーナと途方にくれるボクの姿を眺めて鼻で笑っていた。そんなアイツが怖くなって逃げ出したなんて絶対にありえない。だって、自分の置かれた状況にすら笑っていたんだから……」
「だろうな……」
その言葉に深く同意する。ザックスの知る彼ならば、やはりクロルの言葉どおり逃げ出す事などありえない。では、何故、冒険者協会ですら全く足取りがつかめず、行方不明となったのか? その事実に不気味な予感を覚えた。
「何にしても、やっぱり前途多難……なのね」
ぽつりと呟くアルティナの言葉が室内に再び沈黙を呼んだ。天窓から侵入してくる夜の闇の如く、牢内の三人の間に重苦しい空気が広がり始める。
ふと、それらを打ち払うかのように優雅な足音が階上から聞こえてきた。
三人の視線を一斉に集めた足音の主は、微笑みを浮かべたまま、陰気な牢内に軽やかに舞い下りた。
「御三方ともずいぶん打ち解けておられるようですね」
足音の主はマリナだった。そろそろ夕刻の鐘がなるころである。いつも通り食事の支度ができた事を知らせにきたのだろう。
「クロルさん、何か御不便はありませんか?」
彼に襲われた者からしてみれば、今の彼の待遇は言語道断である。厳しい断罪を求める声もちらほらと上がる中で、それらを物ともしない彼の現状は、創世神殿の力の大きさをつくづく感じさせた。
「十分すぎるよ。貴方達には、その……、とても感謝している」
「いえ、これも創世神の御心のまま、ですわ」
マリナはしっかりと本職の神殿巫女を演じている。いや、その姿こそが本来の彼女のはず、とザックスは思い直した。
「おや、ザックスさん、何か失礼な事をお考えではありませんか」
「気のせいだ」
全力速攻で否定する。迂闊なつっこみは命取り、決して敵に回してはならぬ相手である。
「ところでマリナさん、俺達に何か用か?」
「ああ、そうそう、忘れるところでした。ザックスさんにお客様ですよ」
「客? 一体誰だよ」
「行けば分かりますわ」
明らかに面白がっているマリナの様子から、ザックスはそこはかとなく嫌な予感を覚える。とはいえ、嫌だから会いたくないなどという訳にもいかず、しぶしぶ重い腰を上げる。
重い足取りで階上へとむかう階段をザックスが登り始めると、アルティナとクロルに神殿礼をしてマリナがそれに続いた。すっかり帳の降りきった冷たい夜の空気は、まだまだ春の訪れが遠い事を感じさせた。
《アテレスタ》の街が再び活気に満ち始める事で、ここ数日、神殿に訪れる人々の数は目に見えて減り始めていた。腹を満たさぬ信仰よりもその日の糧を得る事の方が重要である……利己的で身勝手な悲しい性故の人々の正直な行動は、日々激務に追われ続けていた神殿内の人々に小さな安息をもたらしていた。
マリナがザックスを誘ったのは、終日、すっかり緊張の空気が緩んだ神殿内の一室だった。
部屋に入ったザックスの目に、簡素な造りのテーブルに着いた見覚えのある神官衣を着た男の背中が映る。その対面には機嫌良さそうな笑みを浮かべる協会長の姿があった。
「久しぶりだな、おっさん、いつ、こっちに来たんだ?」
マリナが言うところのザックスの客人とは《ペネロペイヤ》大神殿高神官であり、イリアの義父であるライアットだった。
ザックスの言葉に振り返る事もなく片手を挙げて、ライアットは応えた。日頃から無愛想なライアットの表情からはその心情を慮る事は難しい。その背に僅かな緊張感を覚えながら、ザックスは協会長に促されてテーブルに着いた。ザックスの目の前には見覚えのある背負い袋が一つ置いてある。神殿間の物資の輸送に使われるそれを背負ってこの街にやってきたのが、さほど日がたっているわけでないにも拘わらず、ずいぶんと昔のように思えた。
「出発の目処はつきそうかの?」
老人の問いにザックスは曖昧に頷く。
「ああ、クロルの作業が終わり次第だから、おそらく明日にはいけると思う」
「必要な物資の方はどうじゃな?」
「それは……」
その問いに言葉を濁す。
今、アテレスタに流れ込みつつある物資のほとんどは、住民達の生活や街の再建の為であり、冒険者にとって必要なものはほとんど入ってきてはいない。いかに必要なものとはいえ、法外な値段のつけられたそれらの前で二の足を踏む日々の続くザックスには、頭の痛い問題だった。
「それを開けてみよ」
苦渋の表情を浮かべるザックスにニヤリと笑みを浮かべた老人は、彼に眼前の背負い袋の中身を確かめるように促した。
言われるがままに袋の中身を確かめようとしたザックスだったが、出発前に巫女長のルーザが飛ばした何気ない冗談を思い出して、一瞬躊躇する。苦笑しながら、中身を確認したザックスの顔に驚きの色が浮かんだ。
《袋》と同じ魔法の品であるその背負い袋の中に入っていたのは、ザックスがあちらこちらの店を探しまわっても入手できなかったダンジョン探索用の必需アイテムの数々であり、リドル山で使いきったはずの《爆片弾》までが補充されている。
同梱されていたガンツの手紙によって、その品々が送られた事を知り、思わず歓喜の声をあげる。
「どうやら、十分、役に立ちそうじゃな……」
その言葉も耳に入らぬかのように中身を確認するザックスの姿に、老人は苦笑いを浮かべる。暫しの興奮から冷めて、彼が落ち着きを取り戻す頃を見計らって老人は彼に改めて尋ねた。
「……で、お前さん方、3人で迷宮に挑むつもりかの?」
「ああ、そうなるな」
協会長の言葉に迷わず首肯する。だが、その返答に協会長の視線が僅かに厳しくなった。
「無事に帰ってこれるかのう?」
「それは……」
《杯の魔将》の言葉を信じるならば、これから挑むのは中級クラスの未踏破迷宮である。未踏破迷宮に挑む故で最大の問題は、先行きが分からないということは経験済みであるが、今回はヒュディウスが事前に目的地を示した為に、その問題はクリアされている。だが、内部情報が全く不明な迷宮に挑むには不安要素がありすぎる。特に《冒険者》としてのクロルの経験不足は大きな問題の一つだった。
「冒険者として無茶をするなとは言わん。じゃがのう、無謀な挑戦というのはあまり勧められんのう」
「でもよ、爺さん、これは俺達自身の問題だからな……。さすがに他の人間の力を借りる訳にもいかないんだよ」
最下層部に待ち受けているのは唯のボスモンスターだけではない。そこには杯の魔将の思惑が絡んでいるはずだ。《魔将》との衝突も想定される以上、アマンダの店の冒険者達の力を借りる事は難しい。
厳しい表情で返答するザックスの様子に一つため息をついた老人は、目を閉じたまま対面に座るライアットに声をかけた。
「ライアットよ。一つ、お主の力をこの若いのに貸してやってはくれんかのう?」
意外な提案に驚いたのはザックスだった。
確かに過去、共に剣の魔将に挑み《魔将殺し》の一人でもあるライアットの協力は実に心強い。回復役としても確かなその腕があれば、ザックス達の道程は3人で進むよりもずっと楽なものになるに違いない。
だが、イリアの義父である彼とあまり反りが合わぬのも又、事実である。これまでも些細なことで度々衝突し、互いにあまりよい感情をもっているわけではない。
現に眼前のライアットは協会長の言葉にも返答せずに、目を閉じ腕を組んだまま、微動だにしない。そんなライアットの態度に困惑するザックスに老人はぽつりと告げる。
「若いの、わしにできる事はここまでじゃ。後はお前さん次第じゃな……」
その言葉でザックスは全てを悟る。誠意を示すのはこちらであり、パーティのリーダーとして仲間達の命を預かる以上、個人的な感情など二の次である。
「頼む、おっさん、オレ達に力を貸してくれ。下手するとあの時よりも厳しい条件になるだろうけど、おっさんの力があれば、オレ達は安心して前に進める。この通りだ」
誠意を込めて頭を下げる。ふと、《剣の魔将》との戦いに赴く前日、ザックスに向かって頭を下げたウルガ達の姿が思い浮かんだ。
「いいだろう」
暫しの沈黙の後、それまで、終始無言だったライアットが目を開くとぽつりと言った。意外にもあっさりと受け入れられた提案に拍子抜けしたものの、同行を決めた彼の言葉は十分に心強い。
「感謝する、おっさん」
立ちあがって握手を求めようとするザックスに応えるべく、ライアットも又、立ち上がる。と、握手を交わすべく差し出されたかと思われたその右手を一瞬、見失うと同時に、ザックスは頬に凄まじい衝撃を受けて周囲の椅子もろとも撥ね飛ばされた。狭い室内に盛大に転倒音が響き渡る。
「何するんだよ、おっさん」
不意の一撃に派手に転倒したまま噛みつくザックスに、ライアットはゆっくりと近づいた。
「人様の大事な娘を勝手に連れ歩いてくれた礼の一部だ。残りの分は探索が終わってから、しっかりと返してやろう」
言葉と同時に手を差し出す。その言葉に唖然としながらも、ライアットの心情を十分に理解したザックスは、しぶしぶその手をとって立ち上がる。
「やれやれ、どいつもこいつもへそ曲りじゃのう……」
一部始終を傍観していた老人は、事前の説得工作の甲斐もなく、眼前で起きた予想通りの結末に小さくため息をついたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ザックス達が迷宮に向かって出発したのはその翌日、夜の帳が下り始める頃であった。
人目を避けて王宮に《鉄機人》を運び込んだザックス達は装備の確認を行うと、ジルに教えられた建物の一角からのびる通路から迷宮の入口へと向かって進んでいった。
大きく年の離れたライアットの同行に、彼の実力を十分に知るアルティナはともかく、クロルは当初、難色を示していた。己の力不足を棚に上げて何かと不満を述べる姿に、人の苦労も知らないで、と呆れ果てるザックスだったが、ホスト側である己がライアットとのゲスト契約を綿密に結んでいない事が発覚し、同行者達に呆れられてしまったのは些細な出来事である。「初めてなんだから、仕方ないだろ」と開き直るザックスだったが、出発前からリーダーとしての株が暴落してしまった事はいうまでもない。
「無事の御帰りを心よりお待ちしております」
神殿巫女マリナの祝福を受けた四人の姿は老人とマリナ、そしてジルに見送られ、地下通路へと消えて行く。《アテレスタ》に封印された迷宮に初めて挑む《冒険者》の門出としては、実にひっそりと質素なものだった。
「兄ちゃん達、大丈夫かな」
通路の奥へと消えて行く四人の姿を見送りながらジルがぽつりと呟いた。不安げな様子の少年の肩にマリナが優しく手を置いた。
「試練はそれを乗り越える事ができる者のみに、訪れるのじゃよ……」
老人の言葉は冷え切った夜風に乗って、優しく散っていくのだった。
2012/10/29 初稿