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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚03章 ~騒乱の都市編~
71/157

28 アマンダ、語り終える!

 じりじりと照りつける日差しが荒れる《アテレスタ》の街を焼く。時折うっすらと陽炎が立ち昇る石畳の道を、希望の色とは程遠い表情を浮かべた人々がどこか投げ遣りに歩いていく。クロルが《ファンレイヤ》に旅立ってから、およそ一月が経とうとしていた。

 雀の涙程度のクエストをこなして帰ってきた冒険者達の座るテーブルに酒を運んだアマンダに、一人の男が声をかけた。

「なあ、アマンダ、あの小僧、まだ戻らないのか?」

「ん? クロルの事かい? そろそろだとは思うけどねえ。多少の遅れはあるさ。近頃は街道もかなり物騒だからねえ」

「逃げたんじゃねえのか。面倒臭くなってよ」

 その言葉に、アマンダの後ろで料理を運んでいたラフィーナの肩がぴくりと揺れた。

「バカ、おいいでないよ。通り一つ向こうの市場への買い出しを頼まれて、三日間帰ってこなかったアンタなんかと一緒にするんじゃない」

 その言葉に周囲が大爆笑する。無神経な男の頭に盛大にゲンコツを落としたアマンダは、振り返るとラフィーナの肩を優しく叩いた。

 クロルが旅立った後、ラフィーナはクロルに変わってアマンダの手伝いをするようになっていた。

 人と触れ合う事で彼女は本来の優しい笑顔を徐々に取り戻しかけていた。ときおりどこか儚げな笑顔を向ける彼女の存在は、未来に希望が持てそうにない暗い話題に塞ぎ込みがちだった荒くれ者達のひと時の安らぎになっていた。まだまだ頼り無げではあるものの、いずれ時がたてば、彼女本来の元気な姿を取り戻す事になるだろう。

 カウンターに戻ったアマンダは、つい一月前までそこで熱心にグラスを磨いていたホビットの少年の事を思い出していた。

 彼女を守りたい――真摯な願いと共に再び冒険者の道を歩こうとしている彼ならば、きっと無事に試練を乗り越える事ができるだろう。新たな生き方を見つけてこの街を離れていく二人を見送る事が、この先の見えない店を預かる己に残された仕事の一つなのだ――そんな考えに耽りながら、昼の仕込みに入ろうとした矢先だった。

 頑丈な店の扉が荒々しく開け放たれ、物々しい鎧姿の男たちが店内になだれ込んできた。

「なんだ、テメエら!」

 街の警備にあたっている王宮警護団とは違うその装いは、近頃街の有力者たちが雇っている傭兵達のそれであった。彼らの振る舞いは武勇で鳴らしながらも統率されたフィルメイア兵団のそれとは違い、街の者達の評判はすこぶる悪い。その目つきと態度の悪さが退屈に飽き飽きしている冒険者達の闘争心を刺激し、店内は大きく殺気立ち始めた。

「店主殿はどちらかな?」

 一触即発の状態で睨み合う彼らの間を掻きわけて現れたのはアマンダのよく知る人物だった。街の参事の一人であり、『《アテレスタ》自由都市化を目指す市民連合議会』の中心人物の一人である。

「何の用だい?」

 僅かに冷めた声でアマンダは声をかける。一人の人間としては、あまり尊敬も信頼もできない人物である。

「市民会議からの要請でこちらにレイヌ・バルミナ家の御当主が逗留されていらっしゃるという事でその身柄を引き渡して頂きたく参りました。こちらがその要請書です」

 事務的な口調と共に差し出された文面に目を通したアマンダの顔色が変わる。尋常でない文言が並び連ねられたその書面を握る手が大きく震える。

「一体全体、どこのバカがこんな事を言い出したんだい。事実の一切はアタシがきちんと会議に報告したはずだよ!」

「残念ながら会議において貴殿の報告内容は事実と合致しないと認められ、改めて御当主殿に直接問いただすべきであるという決定が下りまして……」

 瞬間、店内でグラスの割れる音が響いた。振り返った一同の視線の先には怯えた表情を浮かべるラフィーナの姿があった。

「冗談じゃない! 今のあの娘はアンタ達の陰険な尋問に耐えられるような精神状態じゃないんだ! それでも連れて行くってのかい!」

「これは会議の決定事項なのですよ、店主殿」

「バカお言いでないよ。この街の冒険者協会支部を預かる者としての報告を無視して、今度は一体どんな愚挙をしでかそうってんだい!」

「非常に言いにくい事ですが……」

 言葉とは裏腹にその表情は冷たい。

「会議ではこの店の現状を鑑み、将来的にこの街の未来を預けうるだけの能力がないという判断が大勢を占めております。冒険者協会本部と折衝の後、いずれ支部の実権は新たな議会によって指名された者達によって統率されることになるでしょう。会議の決定に反意を示される事は、後々のこの店の将来にとってあまり良い選択とは思えないのですが……」

 アマンダにそう言い放った男は堂々とラフィーナの元に歩み寄り、彼女に一枚の紙片を差し出した。

「ラフィーナ・メ・レイヌ・バルミナ卿。御母上様より身柄の保護並びに市民会議への出頭要請が出されております。御同道願います」

 言葉と同時に彼女の両脇に二人の男が立った。怯えた表情のまま抵抗らしい抵抗も出来ずに無言で連れだされようとするラフィーナの姿に、アマンダの店の冒険者達が息巻いた。

「彼女はすでに冒険者を廃業し、貴方方の同業者という立場ではありません。これ以上の妨害を行われるのならば、彼女を拉致監禁したという罪で、この店の廃業及び貴方達の街からの追放処分という事態にもなりかねませんがよろしいのですか?」

 その言葉に一瞬沈黙した一同だったが、参事官の傲慢な態度は彼らの怒りの火に油を注いだ。

 やれるもんならやってみろと、連れ去られようとするラフィーナを引き止めるべく、傭兵達と冒険者達の間で始まった小競り合いの炎は一気に燃え上がろうとしていた。

「やめるんだよ、アンタ達」

 アマンダの制止に彼らの怒りの矛先が彼女へと向く。

「アタシも一緒に行く。だから今は抑えておくれ!」

 冒険者達は不満をこぼしながらもしぶしぶ承知する。

 ラフィーナの肩をしっかりと守るように抱きながらアマンダは荒くれ者達に囲まれて店を出る。すぐさま、数名の冒険者たちが二人の後を追う。傭兵達との間に緊迫した空気を保ちつつ、二人を乗せた馬車は一路、市民公会堂を目指して、うだるような暑さの石畳の上を走っていった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 大陸有数の歴史的建築物としても名を馳せるアテレスタ市民公会堂の大会議場内で行われていたのは、茶番劇としか呼べぬものだった。

 審問場となった大会議場内の真ん中に引き出されたラフィーナには、四方八方から悪意と皮肉のこめられた揶揄が浴びせられ、彼女の側に立つアマンダは、一人その盾となって彼女を庇っていた。

「共に、闘うべきだった仲間を裏切るなんて! ひとでなし! 恥知らず!」

「闘いから逃げるなどとは、義務の放棄ではないか! 臆病者め」

「この街の惨状をどう収拾してくれるのだ! お前たちが頼みだったんだぞ!」

 会場内にいるすべての人々が望み押し付けたラフィーナの役まわりは、『彼女は卑怯な逃亡者である』ということだった。

 アマンダの目から見れば全く理にそぐわぬものの、彼らなりの基準において冒険者として最も適性があるとみなされ選抜された街の代表者達が、尽く全滅した――その事実は騒乱の街に暮らし、僅かな希望に縋ろうとする人々には、決して受け入れられるものではなかった。

 冒険者協会から正当な権限を与えられたアマンダの報告書は、屁理屈ともいえる反論をこじつけられ、握りつぶされていた。代わって会議の中心人物達が、無責任な期待の上に送り出した者達の行方についての報告を待ち望んでいる人々に示したのは、『臆病風に吹かれたラフィーナが街からの援助金を持ち逃げしたのだ』という真っ赤な出鱈目だった。逃げ出した先で資金を使い果たし、嘘の報告と共に恥知らずにもこの街に帰ってきた彼女は、多くの者達の悪意と憎悪にさらされていた。

――いや、違うわね……。

 全ての者達がでっちあげられた事実を信じている訳ではない。明日の生活の為に、有力者たちの多数を占める意見に迎合した方が賢い選択である――そんな打算の上に、彼らはラフィーナが生贄として扱われる事を黙認していた。

 そして、彼らの先頭にたって彼女を糾弾していたのは、あろうことか彼女の母親だった。

「ラフィーナ、今ならまだ間に合います。貴女がここで本当の話さえすればまだ手は打てるのです。これはお金で解決できる問題なのですから……」

 自身の立場と家の名誉の為に会場内の誰よりも声を荒げ、生贄の祭壇にささげた我が子を糾弾し続けるその姿は、滑稽さを通り越して憐れみすら感じさせられる。彼女が並べたてる聖職者もかくありなんというほどの綺麗事と己の身内を公衆の面前で辱めるという行為のギャップに、多くの者達は失笑しつつも皆黙って、その尻馬に乗っていた。流れに乗ればよいだけの彼らには、他人の家庭内事情などどうでもいい事だった。


 いかな正論も圧倒的多数の無知な愚者の前には無力である。議場の真ん中に立ち、その現実にアマンダは打ちのめされかけながらも辛うじて踏ん張っていた。傍らでほとんど反論らしきものをせぬラフィーナを庇いつつ彼女が闘っていたのは、長く《冒険者》の酒場を仕切ってきた者が目にしてきた《冒険者》達の生き様を守る為だった。

 信頼に値する仲間たちと共に困難に挑み何かを勝ち取る――そんなあり方が《冒険者》達にとっては理想とされても、多くの者達はそんな理想的な環境に身を置く事ができる訳ではない。

 様々な現実とぶつかって、葛藤し、苦悩し、裏切られ、それでも何らかの光明を見いだそうと足掻く。カウンターのこちら側に立つ彼女は、カウンターの向こう側にいる彼らの姿を間近で見続けてきた。生きて帰ってこなかった者、逃げ出した者、裏切った者、裏切られた者、《冒険者》である事に疲れ果てて新たな生き方を見つけた者。そのどれもが確かに正しい《冒険者》の姿である。間違った《冒険者》の姿などどこにも存在しない。

 だが、この街の者達はそんな現実を無視して、自分達の都合のよい事ばかりに目を向け、そこに己の無責任な期待を押し付けた。

 彼女の傍らに立っているラフィーナはいわば、そんな者達の犠牲者だった。

『よく帰って来たね、悪かった、私達が間違っていた』

 本来なら彼女と死んだ仲間達に対してそのような言葉をかけるのが筋である。だが、現実は正反対だった。

 不様な敗残者――その役割を押し付ける事で己等の過ちから目を背け、更なる過ちに手を染める。眼前の愚か者たちに何故、創世神は罰を与えないのか――そんな思いがアマンダの脳裏をふと過ぎった。

「そう、これが、私の現実……」

 終始呆然とした様子のまま沈黙を保っていたラフィーナの小さな声が、アマンダの耳に僅かに届いた。

「ええ、そうよ、こんな世界に未練などある訳……ないでしょう」

 まるで見えぬ誰かと会話しているかのようなラフィーナの横顔にアマンダははっと息を飲む。焦点の合わぬ瞳のまま、彼女はただ小さく何かを呟き続けていた。

「全てが……、間違ってたの……。私の全ては……もう……終わっていたのよ……とっくにね……」

 口の端に浮かんだ僅かな笑みにアマンダの背筋がゾクリとする。ラフィーナの顔に浮かんでいたのは全てを諦め、己の死を受け入れようとする者の表情そのものだった。

「しっかりするんだよ、ラフィーナ」

 加減することすら忘れて、アマンダはその両肩を強く握って身体を揺する。

「簡単に諦めるんじゃない。アンタの事を信じる奴はいくらだっている。クロルだって……」

 僅かに彼女の表情が変わった。

「ク……ロ……ル……」

「ああ、そうだよ。今、あの子はアンタの為にもう一度《冒険者》として立ちあがろうとしてるんだ。アンタを守りたいって一心でね……。なのに、当のアンタが投げやりになっちまってどうすんだい?」

 アマンダの言葉は、否、アマンダの叫んだその名がラフィーナの心を大きく揺さぶったのだろう。それまで終始焦点の合わなかった瞳が光を取り戻し、ラフィーナはこの場所で初めてアマンダと視線を合わせた。だが、その顔に浮かんだ表情を目にして、アマンダは言葉を続ける事ができなくなっていた。

 不信、孤独、諦め、絶望。

 死神に取りつかれた者のみが見せるその表情を浮かべた者の心を救いあげるための言葉を、アマンダは持ち合わせてはいなかった。

「これまで……ありがとう、アマンダ。私なんかのせいでこんなに迷惑かけてしまって……」

「ラフィーナ、あんた……」

「でも、もういいの、全部引き渡してしまったから……」

 言葉と同時に彼女の白くか細い両手がアマンダの胸に押し当てられる。そのひやりとした感触よりも、一瞬立ち昇った彼女を取り巻く不気味なマナの気配が、アマンダの身体を硬直させた。

「クロルに伝えて。ありがとう……、そして、さよなら……って」

 その瞬間、奇妙な浮遊感と共にアマンダは意識を失った。次の瞬間、公会堂脇の石畳の路面の上で激しい身体の痛みと共に目を覚ました彼女は、心配げに彼女を取り巻く彼女の店の冒険者達から、公会堂内でおきた惨劇を耳にして呆然としたのだった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 長いアマンダの述懐がようやく終わりに近づいた牢内では、彼女以外に言葉を発するものはなかった。すでに日は徐々に落ちはじめ、天井に面した鉄格子からは夜の闇がひたひたと忍び寄っている。

 アルティナの生み出した魔法光の優しげな輝きが周囲を照らす中、アマンダは表情を変える事もなく淡々と語り続けた。

「アタシが目を覚ましたのは、公会堂前の石畳の上だった。どうやったか知らないけど会議場の窓から外に放り出されて、そのまま気絶していたらしい。そしてそれからしばらくして……」

 そこでアマンダは初めて苦し気に目を閉じる。

「アタシが放り出された議場からは世にも恐ろしい断末魔の叫びが無数に上がり、辺り一帯を震わせたらしい。そして議場内の全ての人たちが……」

 言葉を飲み込み、小さく頭を振る。

「公会堂周辺にいた人々は誰もが立ちすくんでいた。中で何が起きてるか、なんて確かめようとする豪気な奴はいやしない。荒事に慣れてるうちの店の奴らだってね……。あれは人の声じゃなかった……そんな事を言う奴もいたくらいさ。そんな断末魔の叫びが幾つも上がっては消えて行く。人が死んでいくその状況を一つ一つはっきりと知らせるかのように……。それらが途切れてどのくらいたっただろうか。ようやく一人の傭兵が中の様子を見に行ったんだけどね……すぐに狂ったような声を上げて戻ってきた。戦場でむごたらしい死体なんて見慣れてる筈の傭兵がそんな有り様だからね……筆舌にしがたい光景がそこにはあったんだよ」

 小さく彼女は息を吐く。

「議場内にまともな人の姿はなかった。強力な力で捻じ曲げられたような大扉をようやく開いた先には、天井、壁、床、室内のいたるところに生々しい血が飛び散っていた。その血の海の中には原形を全く留めない、すりつぶされたような無数の人間の肉片が転がっている、そんなおぞましい光景が広がっていた。まるで巨大なモンスターが見境なく暴れまわったように……」

 アマンダの大柄な体が小刻みに戦慄いた。

「圧倒的な死の光景を一目見て、アタシは理解した、いや、理解させられたんだね。そこに生きている者なんていない……、あの娘、ラフィーナもそうだってことを……」

 やりきれない思いを吐き出すかのように、アマンダは天井を仰ぎ見る。

「あの夏の惨劇以来、今でもあそこは建物ごと封鎖されたままさ……。今でも死んでいった奴らの怨念の声が夜な夜な響きわたる……、そう言って誰も近づこうとしないくらいだからね……」

「何がどうなって、そうなったのか……なんて、もう考える事すらできなかった。この街に住む誰もね……」

 そしてこの街は、相も変わらずつまらぬ騒乱に明け暮れる日々の繰り返しになった訳さ、と彼女は力なく呟いた。




「クロルがアタシの店に再び姿を現したのは、それから二、三日しての事だった。店の扉を開いたこの子の姿は、誰よりも希望に輝いていた。初めてのミッションを終えて祝杯をあげる見習い冒険者達のようにね。そんなこの子にアタシは……」

 苦しげな表情を浮かべてアマンダは続けた。

「アタシは……、ラフィーナの身に起きた事を、そして彼女が死んだ事を全て話さなければならなかった」

 大きく分厚い掌の平を、ぎりりと握りしめる。

「全てを黙って聞き終えたこの子は何も言わずに出て行った。店の扉を開けて出て行くこの子の背中は今にも消えてしまいそうだった。帰って来た時にはあんなにも輝いていたっていうのに……」

 アマンダの瞳に大粒の涙が浮かぶ。

「ごめんよ、クロル。アタシがもっとしっかりしてれば……、馬鹿共を黙らせるだけの勇気と力がアタシにあれば、あの娘をあんな目に遭わせずにすんだはずなんだ。全ては、アタシの……甘さのせいなんだ」

 崩れ落ちるように膝を突いたアマンダは、顔を抑えて号泣する。彼女の傍らに立っていたアルティナが黙ってその震える肩に手を置いた。空中にほんのりと浮かぶ魔法光の輝きに照らされた暗い牢内の空気をアマンダの嗚咽が揺らした。

「違うよ、アマンダのせいじゃない。全ては、この街の奴らが悪いんだ。ラフィーナを殺したのはこの街のやつらだ!」

 それまでずっと沈黙を保ち続けていたホビットの少年が、吐き出すように叫んだ。そしてさらに後悔の言葉が続く。

「ボクは、あの時、彼女の側を離れるべきじゃなかった。強引にでも故郷に連れて行って、静養させてあげればよかったんだ。調子に乗ってつまらない夢なんか見るんじゃなかった。ボクも同罪だ。ボクが彼女を殺したんだ」

 話を聞く限り、彼にはどうする事も出来なかった現実の理不尽さを己の無力さのせいにして、ずっと苦しんできたのだろう。一見、無関係とも思える多くの人々を傷つける度に、彼自身も又その心を傷つけてきたに違いない。だが、それでも彼はまだ、一度越えたら決して戻ってはこれぬ一線を越えた訳ではない――時として人の醜さを曝け出させることもある闘争の中に身を置いて来たザックスには、そのように感じられた。

 膝をついたまま嗚咽するアマンダの肩越しにアルティナと視線を合わせたザックスは、一つ大きく息を吐くと静かに切りだした。

「彼女は生きているかもしれない……、だとしたら、お前はどうする?」

 その言葉にクロルは一瞬呆けたような表情を浮かべる。だが、直ぐにその瞳に怒りの色を満たすと、ザックスを怒鳴りつけた。

「バカなことを言うなよ! キミたちはあの惨状を目にしたのかい? 室内の至る所に飛び散った無数の肉片すら未だに片づけきれぬままの血と腐臭に満ち満ちた死の光景を!」

 怒りに満ちたクロルの言葉に、ザックスは首を振った。

「確かに俺達はそれを見てはいない。でもな……」

 再びアルティナと視線を合わせる。アマンダの肩に手をおいたまま、彼女は無言で小さく頷いた。

「彼女は生きている、俺達はそんな内容のお前宛ての伝言を預かった」

「誰だよ! そんなふざけた事をいう奴は!」

「お前もよく知っている奴だ。《杯の魔将》ヒュディウス。あの日、俺達を襲った災厄の元凶だ」

 ザックスの言葉にクロルは絶句する。クロルだけではない。終始無言だった老人とすすり泣いていたアマンダもあっけに取られてザックスを凝視する。

「昼間、王宮内のとある場所でオレ達は奴に会った。奴は俺達にこう言った。『彼女』は生きている。まだ生きてこの街の地下迷宮の最深部でお前を待っている、と」

「地下迷宮、じゃと?」

 驚きをかくせぬまま老人が尋ねた。

「ええ、この街の王宮の真下には建国以来、封印され続けた地下迷宮が存在するそうです。冒険者風にいえば『全31階層・中級程度の未踏破ダンジョン』、アイツはそう言っていました。何か心当たりはありませんか」

「初耳じゃな……」

 アルティナの問いに老人は戸惑いの表情を浮かべる。いかに長生きしてきたとはいえ、この街は老人の人生よりも遥かに長い年月を積み重ねている。彼が知らなくても不思議はないだろう。

「あ、アンタ達、《魔将》に出くわしたってのかい。この街で……」

 まだ涙の乾ききらぬまま、アマンダはあっけにとられた様子で尋ねる。

「ああ、昼間、この街の王宮の大書庫に奴はあらわれた。幻像だったけどな……」

「そんな、馬鹿な……」

「別に不思議じゃないさ。奴は以前にも一度神殿に現れて騒ぎをおこしていったことがあるからな……」

 心底はた迷惑な奴だと舌打ちするザックスの姿を、アマンダは驚愕の眼差しで見つめている。

「やれやれ、お前さんらの運命はワシらの常識というものを遥かに逸脱しておるようじゃな……」

 老人の溜息が室内の空気を揺らす。それを境に暫しの間、誰もが黙りこんだ。冷たい風が天井の格子窓を通して彼らを撫でて行く。

「キミは……、キミたちはあんな奴の言う事を信じるのかい。ボク達から全てを奪っていった奴の言葉を……」

 アマンダと同様に信じられないといった表情で、クロルもザックスを見つめている。

「オレだって奴の言葉を全て信じてる訳じゃないさ。でもな……」

 僅かに息をつき己の胸元に揺れるクナ石を握りしめる。

「オレ達は奴から逃げられないんだよ、絶対にな……。奴がかけた正体不明の呪いがある限り、俺達は奴の手の上で踊り続けなきゃならないんだ。お前にだってあるんだろう? オレ達と同じような奴の呪いが……」

 その言葉にクロルは視線を外す。ザックス達と同様に、クロルも又《魔将》の置き土産に縛られている事は疑いようもない。

「アンタも同じ意見なのかい」

 アマンダの質問にアルティナが答えた。

「アマンダさんの話を聞いた後では、ラフィーナさんが生きているなんて事には、私も正直懐疑的よ。でもね……」

 僅かに言葉を切って溜息をつく。

「冷静になって思い出してみると、あいつはおそらく本当の事を言っているんだと思う……。そうやって私達の目の前に小さな希望をぶら下げておきながら、その裏側にずっと大きな絶望を仕掛けて楽しんでいる……そんな底意地の悪さを感じるの……」

「それが分かってて、《魔将》のいうままに踊ろうってのかい? 正気とは思えないよ……」

「私もそう思うわ。バカな選択だって……。でも私達はそれを見過ごす事はできないのよ。かつてザックスが私を助けてくれたように……、今度は私が彼女を助けるために力を尽くしたい。それはラフィーナさんの為というだけではなく、私自身の冒険者としての誇りの為に……」

 アルティナの言葉にアマンダは僅かに目を見開く。やっぱりそういうものなんだね……そうぽつりと呟いた彼女の声を聞き留める者はいなかった。

「いずれにせよ、まずは地下迷宮の入口を探さねばならんじゃろうな。はてさて、どうしたものやら」

 呟きと共に老人は思案する。亀の甲より年の功。存在も不確かな迷宮を見つけるには、やはりこの老人の持つ力を借りるしか手はないだろう。

「ところで、お前さんはどうしたいんじゃ? この若いのらに同行したいというのなら、今の状況を多少なりとも改善する手助けをせん事もないぞ?」

 クロルは暫しうつむいた後で、ぽつりと呟いた。

「ボクには、正直良く分からない。ラフィーナが本当に生きてるんだったら、絶対に助けたい。でも、ボクにはキミたちの言葉は信じられない。それにキミたちと共に行く事だって……」

「強制はしないさ……。只、罪の意識をかけらも持たぬ街の人間にくだらない八つ当たりをするよりは、ずっといいんじゃないか?」

 辛辣な言葉を放ったザックスをクロルは睨みつける。その視線を気にする事もなくザックスは彼に背を向けると、地下牢の入り口に向かって歩き始めた。慌ててアルティナが彼の後を追う。

「ボクはキミの事なんて嫌いだ!」

 クロルの叫びが狭い牢内に木霊する。

「オレもだよ」

 背を向けたままのザックスの答えがクロルの叫びに被さり、やがて消えて行った。




2012/10/26 初稿




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