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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚03章 ~騒乱の都市編~
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26 クロル、出会う!

 容赦なく石畳をじりじりと照りつける夏の日差しに、行き交う人々は皆うんざりとした表情を浮かべて歩いて行く。

 クロルは己の小さな体を器用に人の波に潜り込ませて、彼を待つ道連れの元へと急いでいた。人間の身長の半分程度しかないホビット族の彼には、足早に歩く人々の波から抜けだす事は若干の困難をともなう。

 ようやく人ごみから抜けだしたクロルは一息つくと、広場の木陰で彼を待っていた道連れの姿を見出し、足早に駆け寄った。ルルルと優しげな旋律の曲を口ずさんでいた彼女は、近づいてきたクロルの姿を認めると小さく右手を上げる。

「待たせてゴメン。乗合馬車が見つかったよ。出発は明日の朝だって。ただ……」

 わずかに言葉を切って彼は続けた。

「2つ目の街道街までだから、そこから又、別の足を探さなきゃならないんだ」

 彼の言葉を黙って聞いていた道連れは、今にも消えそうな儚げな笑みを浮かべて彼に答えた。

「ありがとう、クロル。ごめんね。貴方にばかり面倒な事を押し付けて……」

「別にいいよ、こんな事。ボクには大したことじゃないから」

 照れ隠しに鼻の下をこすりながら、クロルは道連れである彼女――ラフィーナに答えた。不似合いな旅装に身を包んだ彼女の今にも消えそうな微笑みに小さく心がざわめいた。

「それよりも体調は大丈夫? 日差しがキツイし、あまり、無理しちゃダメだよ」

 心配気な彼の頭にそっと白い手が伸びた。

「私は大丈夫よ。クロルは優しいね……」

 まるで子供をあやすかのように彼の頭を優しく撫でるラフィーナの手にされるがまま、彼は不満を言う。

「だから、それは止めてって言ってるだろ、こう見えてもボクは……」

 だが、そんな彼の言葉に構う事もなく、ラフィーナは儚げな微笑みを浮かべて彼の頭を撫で続けている。

「まったく、もう……」

 ようやく撫でるのをやめた彼女の傍らに腰掛け、行き交う人々の姿を眺めながら、途中で立ち寄った屋台で買ってきた包みを広げる。香ばしい生地とソースの匂いがふわりと広がり、ここ暫くの暑さで減退気味だった食欲をそそった。

 小食のラフィーナと二人で分け合いながら、クロルは眼前をいそいそと行き交う人々の流れをぼんやりと眺めていた。人間は目的もなく如何してあんなに早く歩きたがるのだろう――のんびりとした場所で育ったクロルには、常に忙しなく追い立てられるように先を急ぐ人間族の行動は、理解しがたいものがある。

「元気だしなよ、あと二週間程度の辛抱さ。そうしたらキミは無事に家に帰れるんだ」

 クロルの言葉にラフィーナの返事はない。触れ合った部分から伝わる彼女のぬくもりが、ただその存在を彼に感じさせた。

 協会指定案件6―129号。

 その事件に遭遇して全てを失ってしまった二人は、協会に廃業届を出して《冒険者》になる事を諦めたのだった。よそよそしげな空気の充満する建物の中で彼女と知り合ったクロルは、事件のショックに大きく打ちのめされて不安定気味なラフィーナを故郷の《アテレスタ》へ送り届ける事にしたのだった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



《ファンレイヤ》から《アテレスタ》を結ぶ街道街はどこも閑散としていた。ウォーレン王国から押し寄せる難民と関所の役人との押し問答はもはや当たり前の光景であり、街の外の難民キャンプから聞こえる言い争いの声は日常茶飯事だった。

 割高な料金を前払いで要求した安宿の一室をどうにか確保した二人は、あまり周囲と拘わらぬようにして部屋に閉じこもる。トラブルの種はどこにでも転がるものだ。

 翌日の足探しに備えて、早めに床に就いたクロルだったが、寝苦しさで目を覚ます。寝ぼけた頭で見覚えのない暗い室内の様子に目を凝らした。

 闇に慣れてきた視界の中に肉付きのよいラフィーナの豊かな谷間がうっすらと浮かび上がり、そこに顔をうずめかけていた事に気付いたクロルは慌てて離れようとする。と、彼女の異変に気付いた。

 夏の盛りだというのに自身を抱きしめたまま眠る彼女の身体はどこか冷たい。

 不安を覚えたクロルは慌てて彼女を揺り起そうとしたものの、眠る彼女の顔を見てはたと手を止める。

 長いまつげを濡らす涙はそっと一筋の糸となって寝具を濡らし、小さな嗚咽が暗い闇の中へと広がっていた。

「違う……私は……じゃない……」

 擦れるように聞こえる彼女のうわ言と共に、その寝顔に苦しげな表情が浮かぶ。

 彼女の頬に優しく触れる。わずかに熱を持ったクロルの小さな手のひらの感触で彼女はそっと目を覚ました。

「また怖い夢を見たの?」

 クロルの言葉にラフィーナは小さく頷いた。クロルを掻き抱く腕に力が入る。彼女の全身から伝わる小さな戦慄きを感じ取ったクロルは、彼女の望むがままにさせていた。

「大丈夫だよ、ボク達はもう《冒険者》じゃない。あんな目に遭う事なんて一生ないんだから」

「そうだね……」

「みんな死んじゃった中でボク達だけが助かったんだ。きっと運が……」

 そういって慌てて、口ごもる。それはラフィーナにとっては辛い現実を思い起こさせるものだった。

「ゴメン、ラフィーナ」

「大丈夫よ、クロルは優しいね」

 ようやくクロルの身体を抱きしめる腕の力が緩み、代わって彼女の手がその頭を再び撫でる。

「もう、それはやめてって言ってるだろ。これでもボクは十五なんだよ」

「私の方がお姉さんなんだからいいでしょう。黙って言う事を聞きなさい」

 小さな子供に言い含めるかのように軽く顔をしかめる。

 ラフィーナの態度に小さく反発したクロルは、彼女の腕の中からするりと抜けだすと起き上がって寝台の上に腰かけた。小さな沈黙が暗い室内に訪れる。それはクロルにとって退屈なものではなかった。

 やがて彼の小さな背中の後ろでルルルと優しげな旋律の曲が聞こえてくる。出会って以来、もう何度も耳にしたラフィーナの優しげな歌声だった。

暗闇の中で耳を澄ます。遠く儚げなそのメロディーは、種族の異なるクロルの望郷の念を強く揺さぶった。

「いつもよく歌ってるね。なんて曲なの?」

 歌い終えたラフィーナにクロルは尋ねた。

「題名はないの。これは父様が作った曲。まだ周囲のみんなが幸せに笑っていた頃の思い出の曲なの。いつかこの歌に相応しい歌詞を作ってほしい、父様はそういって私にこの曲を残してくれたの」

「そう……」

 過去形で語るという事は彼女の父はもうこの世にはいないのだろう。そんな事をクロルは漠然と考えていた。

「ねえ、クロルは、どうして冒険者になろうとしたの?」

 ラフィーナの声が弱々しく室内に響く。また眠りに落ちた先で悪い夢を見るのは恐ろしいのだろうか?

 他愛もない会話で彼女の気分がまぎれるのならそれもいいだろうと、彼は静かに語りはじめた。

「ボク達ホビットは大地と共に生きる。森を育て大地を耕し、自然の恵みを分け与える事で一族は繁栄していく」

「仲間内で争ったりはしないの?」

「たまにはない訳じゃない。もっともそんな事をしている暇なんてないってのが、本当のところだね。大地や自然は恵みを与えてくれるけど時には残酷にボク達の命や生活を奪っていく。そんな時、ボク達は助け合わなければ生き延びる事なんてできない。人間族のように仲間内で憎しみあうことでつながるようなことをしていたら、大自然の理の中では絶対に生き残ることなんてできないんだ」

 クロルの言葉をラフィーナは無言で聞いていた。

「ボクはそんな村の中で育った。村の中に変わり者のドワーフが一人住んでいてね、小さな頃からボクは彼の打つ鉄の道具やその手で作り出される面白いアイテムに興味津津だった。いつしか彼の事を『師匠』と呼んで、彼の側でよくその真似事をしていたんだ」

「まわりの人たちは何も言わなかったの?」

「ホビットは大らかだからね。一人ぐらい別の事をしていたって文句なんて言われない。退屈で変わり映えのしない日々の生活ではボクの思いつくイタズラは、むしろ気晴らしになっていたくらいさ」

 その言葉にラフィーナは小さく笑った。

「ボク達は百年に一度、荒れ地を実り豊かな土地に変えると、次の荒れ地へと移り住む。そのためにあちらこちらを回る《周回者》と呼ばれる役割を担う人たちによって、ボク達は大陸の端々に散らばった村々と連絡を取り合うんだ」

 懐かしそうに故郷の事を語るクロルの横顔を、ラフィーナは微笑みながら見つめている。

「時折、いろんなお土産と共に村に訪れる《周回者》は子供達にも人気でね。彼らがもたらす話は娯楽の少ない村では重宝されたものさ。でも時々、彼らが難しそうな顔で村の長老と話をする事があった。興味のあったボクは長老の家の床下に潜ってよく盗み聞きをしていたんだ」

「見つからなかったの?」

「そんなヘマするもんか。話を要約すると、今の世界は強い『生』の気配に満ち過ぎているという事らしい」

 その言葉にラフィーナは眉を曇らせる。

「よく分からないわ。それは困る様なことなの?」

「この世界には多くのものが生きている。でもそれは同時に多くのものが死んでいるということ。一つの命が生きるためには他者の命を奪う必要があるのが当たり前。それは動物も植物も同じ。大地の命を吸い取って己を育み、やがて死を迎えたそれは再び大地の命へと返っていく。それは分かるよね?」

 ラフィーナがコクリと頷いた。

「『生』と『死』のバランスがきちんと成り立ってこそ世界は成立する。ボク達ホビットはそのバランスに敏感だからこそ、大地と共に生きられるんだ。だからそのバランスを狂わせるほどの強い『生』の気配はボク達には忌むべきものといえる」

「どうなるの?」

「より強い『生』はそのバランスを取り合うためのより強い『死』を呼びよせる。やがて『生』と『死』の間に成り立っていた微妙なバランスが大きく崩れ、世界に大きな歪みをもたらす事になる。ボクはその元凶を知りたくて村を出たんだ。まあ、他にも探し物があったんだけどね」

「探し物?」

「師匠の形見さ。ボクが村を離れる一年くらい前に師匠は死んだんだ」

「どうしてお亡くなりに?」

「寿命さ。エルフは木に、ドワーフは石に、ボク達ホビットは土へと……。ボクの師匠は寿命を迎えて石になってこの世での役割を終えたんだ」

「その……、ごめんなさい」

「どうして謝るんだい? ボクの師匠は物作りに全力を費やし、穏やかに死んでいった。彼の最期はとても安らかなものだったよ。ただ、そんな彼の遺品をボク達の村を訪れた人間の商人が全部騙し取っていってね……。ボクはそれらの品々を取り返そうと思っているんだ。でもね……あんな事があったから……」

 その言葉と共にクロルの顔に暗い影が浮かぶ。

「目的を果たす為には《冒険者》という選択肢は一番近道だった。でも正直、あんな体験をしてしまうとボクにはもう《冒険者》なんて無理だ。別の選択肢を探すほうが賢いやり方だって思ったんだ」

「そっか……」

 沈んでしまったクロルを励ますように、ラフィーナは横になったまま傍らに座るクロルの手を握る。しばらくの沈黙の後にクロルは彼女に尋ねた。

「ラフィーナはどうして冒険者になろうとしたの」

 直ぐに返答はない。少しばかり間を置いた後、ラフィーナはぽつりと語り始めた。

「私達が貴族だってのは知ってるよね……」

「うん、まあ、一応……」

 ラフィーナ達のパーティは同期生の中でも少しばかり毛色が違っていた。周囲の者達に対してどことなく近寄りがたい空気を放つ彼らは、いつも行動を共にする一方で、仲間内ですらなんとなくよそよそしい関係だった事を、ふと思い出す。

「『三代貴族』っていってね。国に対してなんらかの功績をあげた親や祖父母の代から数えて三代の間だけ、特別な身分として国から俸禄を貰うことができるの」

「なんか羨ましい身分だな……。ボクもなってみたかったな……」

「そうでもないのよ……」

 ぽつりとラフィーナは否定した。

「私達の家には貴族が果たさなければならない幾つもの義務があるの。たとえば戦には率先して参戦しなければならない。決して逃げる事は許されない。お父様はそれで死んでしまったわ。おまけに大抵の三代貴族の家柄は貴族としては最下級。国内に所領を持つ伝統ある家に生まれた貴族達からは、成り上がりものと陰口を叩かれてるわ。私達の家には所領がないからその生活は国頼り。政治や軍事の世界で率先して国王陛下の剣や盾となって忠誠を誓い、国内に独自の所領を持ち抵抗勢力になりがちな伝統と格式ある貴族たちに対しての抑止力になる事で、私達は存在意義が認められるの」

「やっぱり訂正するよ。なんだかとっても面倒臭そうだ」

「もう……、クロルったら」

 小さくラフィーナは微笑んだ。それからしばらくの間彼女は沈黙した。

「そんな私達の生活が大きく変わったのは五年前。国王陛下が亡くなられてからなの。次期国王の地位を巡っていろんな勢力がその候補者を立てては暗殺を繰り返し、その結果、小競り合いが続いたわ。お陰でたくさんの人が死んでいった。3年前に創世神殿が街に戻ってきてからはずいぶんと落ち着いたけど、それでも街は今も荒れている」

 寂しそうに彼女は続けた。

「国頼みだった私達の生活も大きく変わった。俸禄が徐々に削られ、ついには支払いが滞り始めた。国中が混乱して税を満足に取り立てることもできないんだから当然よね。でも私達には死活問題だった。三代貴族の家々が集まって王宮に抗議したけど結果は変わらなかった。私達は新しい生き方を模索しなければならなかったの」

「新しい生き方……ね」

 小さくため息をつく。人と人との関係を保ちながらも、それまでの価値観を全く否定して別の生活を築き上げる。それは言葉で言うほど容易い物ではない。

「その通りよ。度重なる騒乱で国も王都もボロボロなのに新しい可能性なんて早々見つかるものじゃないわ。大抵の家がかつての栄華をなんとか取り戻そうと必死だったにも拘らず、財産を切り崩してその日の糧を得ることで精一杯。そんな私達の前に、街に戻ってきた創世神殿から一つの提案がなされたの」

 ラフィーナは僅かに溜息をついた。

「《アテレスタ》を自由都市連盟に加盟させること。自由都市になったこの街で神殿と冒険者の力を後ろ盾にしてこの街を立て直してみないか……それが神殿からの提案だった」

「冒険者の力?」

「モンスターを倒す事の出来る冒険者の超常的な力は頻発する騒乱に対しての抑止力になる、そう考えたのね。そして私達三代貴族の家々はその提案に乗る事にした、いえ、乗らざるを得なかったの」

「でもそれって、三年近く前の話なんだろ?」

「それからもずいぶんと色々あったみたい。《アテレスタ》の冒険者協会はほとんど実態がなかったし、自由都市化の為には三代貴族だけでなく街の富裕層の協力も必要だった。当然反対する王宮官吏の横やりもあったし、一番の問題は誰を行かせるかってことだった」

 彼女は再びため息をついた。いい思い出ではない、そんな表情を浮かべる。

「もともと《冒険者》の存在を私達の国は低く見ていたし、資質の問題もあったわ。よその家が行くんだったら自分の家も……、そんな考えの人達が争い合うことになった。リスクはとりたくないけど、自由都市化した後の街でおいしい思いをしたいという人たちの打算で満ち溢れていた」

「ラフィーナはどうして《冒険者》に? 正直、あまり荒事に向いているようには思えないんだけど」

「私は……、お母様の意向に逆らえなかったの」

「お母さんの意向?」

「お母様は伝統ある貴族の家から嫁いできた人なの。見栄ばかりが強くてね……。自分と自分の家が落ちぶれていく現実に耐えられなくて、いつも私や家の者達に当たり散らしていた。そんなお母様が良い機会だからと候補者リストに私をねじ込んだの」

「嫌なら嫌だといえばよかったのに……」

「お母様には逆らえないわ。それに祖父の代から仕えてくれた使用人の生活もあるし……」

「…………」

「唯一の望みは私に《冒険者》としての適性がないと示される事。でも創世神の与えた運命は残酷だった。私のマナに対する適性は候補者の中でも一、二を争うものだったの。それを聞いたお母様は狂喜したわ。やっと自分にも運が巡ってきたんだって……」

「そういうのって、なんだか嫌だな……」

 クロルの言葉に彼女の冷たい手が僅かに強く握られた。

「たくさんの人たちの期待と打算を背負って私達は《ペネロペイヤ》に向かった。強い冒険者になって《アテレスタ》に帰る事は私達の義務だった。そんな私達だったからいつもどこかよそよそしい関係だった。与えられた課題をそつなくこなし、周りには仲の良いふりを見せながら互いに腹を探り合う関係。私達の姿は互いに背中を預け合う冒険者の理想像とは程遠いものだった。そんな私達が最後の日までなんとかやってこれたのは、私達の背に圧し掛かる多くの人の打算と期待のお陰ってのが皮肉よね。でも、そんな虚像ウソはあの時、一瞬で壊れてしまった」

 あの時――魔人が現れ、問答無用で全てを焼き払っていったあの出来事を思い出す。クロルの手を握る彼女の力がさらに強くなった。

「仲間と感じた事すらないパーティのメンバーなんてどうでもよかった。ただ自分だけは助かりたい。逃げ惑う人たちの中で私は自分の汚い姿を嫌っていうほど見せつけられた……」

「仕方ないよ。あの時はボクだって無我夢中だったんだから……。当時者にならなければ、あの恐ろしさは分かんないよ」

 握りしめるラフィーナの手を優しく擦る。緊張していたラフィーナの手の力が少しずつ緩んでいった。

「施術院で目が覚めた私に突きつけられたのはさらに決定的な現実だった。悪運度MAX、そして正体不明の呪い。あのステータスを見たとき、心の中でずっと押さえつけていた何かが一気に爆発してしまったの」

 その時の事をクロルは思い出した。対面の寝台の上でクナ石を手に激しく嗚咽する彼女の声で、彼は目覚めたのだった。

「あれを見たとき私は《冒険者》になる事を諦めたわ。もう何もかもが嫌だった。正直に言うとね……、私、《アテレスタ》には帰りたくないんだ。帰っても事情が分からぬ人たちにきっと責められるだけ。私の事を『お帰り』と出迎えてくれる人なんてあの街にはいない。それが私の現実……」

「ラフィーナ……」

「ごめんなさい。貴方にはいろいろと助けてもらったのに帰りたくないなんて……、こんな事言っちゃいけないんだよね。あの街に帰って私は私自身の義務を果たさなければならないんだから……」

 小さく消え入りそうな声で彼女は言う。そんな彼女の様子にクロルは慌てて謝った。

「ボクの方こそ御免ね、ラフィーナ。嫌な事を思い出させて」

「気にしないで。言いだしたのは私なんだから。それにこんなに自分の事を素直に話せたのは、多分、貴方が初めて。もしかしたら仲間ってこういうのをいうのかも……ね」

 その言葉にクロルは僅かに顔を赤らめる。照れ隠しに明後日の方向を向きながら、彼はぶっきらぼうに呟いた。

「まあ、仕方ないからさ。きちんとキミを送っていってあげるよ。あとほんの数日の間だけのパーティだけどさ……」

 そんなクロルの頭にラフィーナの白い手が伸びる。

「クロルは優しいね……」

「だからそれはやめてって、言ってるだろ」

 言葉とは裏腹にクロルが彼女の手を跳ねのける事はなかった。ひんやりとした彼女の手の感触に心地良さを感じながら、クロルは彼女の隣りに再び横になる。

 再び静かな時間が訪れる。

 それが二人にとってほんのひと時の小さく暖かな思い出となる事を、その時の彼らが知る事はなかった。




2012/10/24 初稿




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