25 アルティナ、激昂す!
「なかなか興味深いお話をされているようで……。歴史と世界の真実ですか……。しかし、ふたを開けると意外とつまらないものかもしれないですよ。所詮人の世など、俗物的な欲望によって価値を決められた物で溢れ返っているだけなのですから……」
円卓に座る3人に突然かけられる声。
人払いされ、静寂に包まれた大書庫で忽然と第三者に呼びかけられたことよりも、その聞き覚えのある声にザックスの全身に鳥肌が立つ。それは、忘れようとしても決して忘れる事の出来ない者のそれだった。
「貴方は……」
ふりかえったアルティナの顔に怒りの表情が浮かぶ。その傍らでは座っていた椅子を蹴り飛ばしたザックスが剣を抜いて身構える。二人の背後には突然の訪問者の見覚えのある姿に青ざめたマリナが呆然と立ち尽くしていた。
3人の様子に構う事もなく、まるで時候の挨拶をするかのような口ぶりで、声の主はいびつな笑みを浮かべた。
「お久しぶり……というのは私にとってあまり適切な言葉ではないのですが……。お元気そうでなによりです、ザックスさん。無事にそちらのエルフのお嬢さんを連れ戻す事ができたようですね……。おや? そちらにいらっしゃる巫女殿にも見覚えがありますね……。たしか以前に一度、どこかの神殿でお会いしたはずでは……」
のんびりとしたその声を遮ったのは、ザックスの怒声だった。
「こんなところに何の用だ。ヒュディウス!」
ザックス達の前に忽然と現れたのは忘れもしない、《杯の魔将》ヒュディウスだった。
「何の用とは御挨拶ですね、ザックスさん。たまたま近くを通りかかった折に貴方方の姿を見かけましたので、こうしてご挨拶に伺ったのですが……」
言葉が終わるや否やヒュディウスに氷刃が襲いかかる。だが、術者の怒気をそのまま形容したかの様な鋭い氷刃は、魔将の姿をあっさりとすり抜け、背後の石の壁に突き立ち凍りつかせた。
「おやおや、お美しいお顔に似合わず、ずいぶんと物騒な御挨拶をなさるお嬢さんだ……」
「ふざけないで! 自分が一体何をやったか忘れたの?」
「さて、何の事やら……。心当たりがありすぎて直ぐには思い出せませんね……」
「ヒュディウス!」
その言葉に激怒したアルティナの指先に今度は炎の弾が浮かぶ。その姿を目にしたザックスは僅かに冷静さを取り戻した。
「ダメだ! アルティナ。あれに何をやっても無駄だ。それにここでそんな術ぶっ放したら、とんでもない事になるぞ!」
「どうしてよ! 目の前にアイツがいるのよ!」
怒りで冷静さを失ったアルティナは暴発寸前である。
「ザックスさんの言うとおりです。あれは実態を持たぬ単なる虚像。本体は別の場所のようです」
二人の背後に佇むマナの流れに敏感な神殿巫女の言葉が、一触即発の空気に水を差した。
宙に浮いた火炎弾を四散させ、ぎりりと歯を食いしばるアルティナを背にしたザックスは、《ミスリルセイバー》の柄を握り締めたまま、眼前の《魔将》を睨みつける。閑散とした室内に緊迫を伴った静寂が流れる。
「《魔将》ヒュディウス……卿でしたね。このような場所に伝説ともいえる貴方のような存在が現れるなど私達には思いもよらぬ事……。きっと最高神殿の長老方がこの事を知れば卒倒することでしょう。例え幻像とはいえ、そのような方がこの場所に現れるからには何か目的がある――私達はそう考えた方がよろしいのでしょうか?」
緊張する三者の間に割って入るかのようにマリナの声が響く。突如として眼前に現れた圧倒的な恐怖の対象ともいえる存在に対して、震える心とは裏腹に彼女の口調は実に落ち着いたものだった。
「くっくっ……。そちらの巫女殿も又お美しいにも拘らず、実に賢く豪胆な方のようですね。でも、お気を付け下さい。魑魅魍魎はびこる伏魔殿とよぶべき神殿組織の中では、昔から、そのような巫女は長生きできないようですから……」
どこか遠くを見るかのように目を細めて《魔将》の幻像は言葉を紡ぐ。その言葉にザックスはさらに緊張感を高めた。パートナーであるアルティナはともかく、彼らの事情に何の関わりもないマリナを巻き込むわけにはいかない……。だが、今の彼らの力ではその望みを十分に果たせるかどうか疑問である。
「目的は……、俺達か?」
ザックスの言葉に《魔将》は小さな笑みを浮かべた。
「いえいえ、私とあなたたちがここで出会ったのは本当に偶然ですよ。もっともこの世に偶然は存在せず、全ては創世神の定めた必然である――そう捉える方もいらっしゃいますが……」
過去、幾度か遭遇した経験を元にすれば、なんとなく彼が真実を口にしているように思える。だが、彼の言を鵜呑みにする訳にもいかない。互いの行く道は決して交わる事はないのだから……。
「回りくどい言い方はやめて欲しいわね。貴方の言葉を鵜呑みにするほど私はお人好しじゃないわ!」
幾分冷静さを取り戻したアルティナの強い口調に対して、ヒュディウスは気分を害したようには見えなかった。
「そうですね、私も長く貴女方と再会の喜びに浸っている訳にはいかないようです」
言葉と同時に彼の姿が僅かにぶれる。どこか頼りなげな輪郭のその姿から察するに、やはりマリナの言うように何らかの目的を持って自分達に近づいてきたと考えるのが妥当だろう。
「実は……」
二人と視線を交わしながらヒュディウスは続けた。
「私は貴方方ではなく、もう一人の方に対して用があるのです」
「もう一人?」
顔を見合わせたザックスとアルティナは、直ぐにその言葉の指し示す事柄に気付いた。
「お前、まさか……」
「ええ、今はこの街の神殿の地下牢に幽閉されているようですね……。私が直接赴くには現状、何かと厄介ですし、如何したものかと考えていたのですが、ちょうどそこに貴方方が現れた……。やはりこれは創世神とやらのお導きというものなのでしょうね……」
ヒュディウスの言うもう一人とは、ザックス達が捕らえたホビットの少年の事に違いない。同じ事件に遭遇した彼の事を、やはりこの《魔将》はザックス達と同様につけ狙っているようだった。
皮肉交じりの言葉を聞き流し、湧きあがる疑問を抑えて、さらにその先の相手の言葉を待つ。ヒュディウスはザックス達に何をさせようとしているのだろうか? その一点に対する疑問にのみ、彼らは集中した。
「アイツに一体、何の用だ?」
「彼に伝言をお願いしたいのですよ……」
「伝言?」
訝しげに尋ねる。
「ええ、『彼女』は生きている。まだ生きて、この街の地下迷宮の最深部で貴方を待っていらっしゃる、と……」
「ちょっと待て、街の地下迷宮って一体何だ? それに『彼女』って一体?」
「おや? 御存知でない……」
ザックスの言葉に、ヒュディウスは僅かにおどけて見せる。
「この王宮の真下には建国以来封印され続けた地下迷宮があるのですよ。貴方方冒険者風に言うならば、『全31階層・中級程度の未踏破ダンジョン』といったところでしょうか……」
思わぬ《魔将》の言葉に三人は顔を見合わせる。この街にそんなものがあったなどとは初耳である。ヒュディウスはさらに続けた。
「実は少々困った事がおこりましてね、しばらく前に私が『彼女』をそこにお連れしたのです」
「待ちなさい、『彼女』って、一体誰の事よ?」
「それについては『彼』にお尋ねください。これは彼と、そしておそらくは、貴女方の問題となることでしょう」
曖昧な《魔将》の答えにアルティナは顔を歪める。結局のところ、有無を言わせずこの魔将は自分達を己の謀略の道具として利用するつもりだ、という真意に気付いた故である。そして今の彼女達にはそれを跳ね返すだけの力はないことにも……。
「先日のそちらのエルフのお嬢さん程ではないですが、それでもさほど彼女に時間は残されていないようです。場所が場所だけに、非常な困難を伴う事を考慮すれば、彼らを見捨てる事も一つの選択肢でしょう。尤も、貴方方が素直にそうなさるかは、甚だ疑問ですが……」
挑発的な笑みを浮かべて見下ろす魔人の姿を二人は睨みつける。それを意に介さぬまま、魔人はゆったりとした仕草で丁寧に一礼すると宙に浮き上がる。
「それでは近いうちに又、あちらでお会いしましょう。それまで御壮健であられますよう……」
くつくつと笑う魔人の輪郭がぶれ始め、やがてその禍々しき姿がその場より完全に消失した。再び静寂が支配する。
急激に張りつめた緊張感から解放された故の安心感からか、ザックスはその場に座り込む。その手の平はじっとりと汗ばみ、自身の緊張の度合いを実感する。彼の傍らに立ちつくしたまま、魔人の消えた空間を睨みつけていたアルティナが忌々し気に呟いた。
「罠よ! そうに決まってるわ!」
「どうかな。奴は嘘を言わない。真実の全てを告げないけどな……」
「ザックス! 貴方、ずいぶん、あいつの事を信じてるのね」
貴方は魔将に味方するのか、とでも咎め立てるかのような視線のアルティナに、ザックスはため息をつく。
「少し、落ちつけよ。奴とはあれから何度か顔を合わせてるから、何となくそう感じるだけだよ」
これまで何度か対峙し、一度は休戦の約定を交わした事もあるザックスに対して、あの運命の日以来、アルティナが直接ヒュディウスと言葉を交わしたのは、これが初めてである。さらに己の進むべき未来が、魔人の手の内にあるかのような態度を示されれば、冷静になれという方が無理であろう。
「何にしても分からぬ事が多すぎます。事情を知る者に速やかに尋ねるのが、最も正しい選択ではないのでしょうか?」
第三者の立場からの冷静なマリナの言葉が、二人にかけられる。
「そうだな……」
「そうね……」
それっきり押し黙ってしまったアルティナは、忌々しげに靴音を立てて席を立つ。ついてこないで、とでも言いたげなその背中をザックスは溜息と共に見送った。どうやら、またもや厄介事が被さってきたらしい……。残された魔人の言葉を思い出しながらその不可解な成行きに、眉をひそめるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
すでに日は西に大きく傾いていた。
薄暗い神殿の地下牢の一室には、一向に進展しない取り調べの様子に、すっかり困惑する二人の尋問官と、彼らの間に挟まれたまま沈黙を貫き通す一人のホビットの少年の姿があった。
少年の体調の回復を待って始められた尋問だったが、いかなる質問にも一切応じようとせずに黙秘し続ける少年がまだ幼い事もあって、手荒な手段の行使は差し控えられていた。
少年が《冒険者》証を持っている事から、彼の身柄は冒険者協会の指導監視下に置かれているのだが、どこからか彼の存在を嗅ぎつけ、その身柄の引き渡しを要求すべく、復讐心に燃えた街の代表者側からの突き上げをやり過ごしているのが現状だった。
一向に尋問に応じようとしない少年の様子に、二人の尋問官は呆れたように顔を見合わせ、日暮れと共にその日の尋問を打ち切り、日を改めようとしていた矢先のことだった。石畳を歩く複数の足音が牢内に木霊し、やがてそれらは彼らのすぐ側までやってきた。
「どうやら、進展はないようじゃな……」
すっかりお手上げ状態の二人の尋問官に声をかけたのは、彼らの上司に当たる冒険者協会協会長である老人だった。
「申し訳ありません、実に頑固に口を閉ざしまして……」
事情を説明しようとする二人を手で制した老人は、彼らに退出を促した。
「ご苦労じゃったのう。少しやり方を変えてみたいんでの、お前さんらは上で食事でもしながら、ゆっくり休んでおるがよい」
老人の後ろに立つ見慣れぬ一団の姿を目にした二人は、顔を見合わせると黙って老人の言葉に従った。
さほど広いと思えぬ牢内に少年と老人、さらに三つの人影が残された。そのうちの一つの大柄な人影が一歩進み出た。
「まだ、この街にいたんだね、クロル……」
沈黙するホビットの少年にそう声をかけたのは、この街の冒険者協会支部長職の肩書を持つアマンダだった。クロルというのがおそらく彼の名前なのだろう。
「知り合いなのか、アマンダ?」
そう声をかけたのは彼女とともにやってきたザックスだった。傍らにはアルティナの姿もある。
「ああ、今年の夏、この街にやってきたこの子達を、暫くウチで面倒見てたんだよ」
「この子、達?」
アルティナの問いにアマンダの顔が歪む。
「そう、クロルと……ラフィーナとね……」
瞬間、少年の肩がピクリと動いた。ラフィーナという言葉に反応したようだった。
「ラフィーナさんって、もしかして……」
はっと何かを思い出したかのようなアルティナの言葉に、アマンダが答えた。
「そう、アンタ達の同期にあたる娘だよ。そしてアンタ達と同じ目に遭った……」
その言葉に二人は顔を見合わせる。あの日生き残ったのはザックス達を含めて5人。日々の忙しさにかまけてその行方についての調査などは先延ばしにしていたため、ザックス達は詳しい事を把握してはいない。元来、人の顔と名前を覚えるのに苦労する性質のザックスは親交のなかった同期の者について、あまり興味をもっていなかったというのが本当のところである。
「死んだんだよ、ラフィーナは! この街の奴らが殺したんだ!」
その瞳に憎悪の色を浮かべてホビットの少年――クロルの声が牢内に響いた。
「一体どういう事だ、きちんと話してくれ」
「キミたちには関係の無い事だよ!」
クロルは再び顔をそむけて、沈黙する。何を言われても受け入れるつもりはない――クロルの姿からはそんな頑なな意思が感じられた。世界の全てに背を向けようとする彼の姿に当惑するザックスとアルティナに、アマンダが僅かに声を落として言った。
「アタシが話してあげるよ。つい数ヶ月前うっ屈したこの街で、夏の終わりに起きた、忌々しいあの日の出来事を……」
そう前置きしてアマンダは語り始める。それはクロルとラフィーナ、《魔将》に襲われながらも生き残り、冒険者を廃業する事を選んだ二人の過ごした短い物語だった。
2012/10/22 初稿