22 アテレスタ、堕つ!
変事は突然訪れた。
開戦当初より解放軍本隊に続々と寄せられる各部隊からの情報には、戦前の予想を大きく覆すものはなかった。
王宮内で繰り広げられる駆け引きの難航とともに、戦況の膠着が当然予想されていたところ、ザックスとブランカの一騎打ちによって大きくそれが動き出した事は、本陣に座る者達から見れば嬉しい誤算だった。
解放軍本陣に座る冒険者協会協会長である老人はザックスの申し出に密かに肝を冷やしたものの、その後の彼の大金星を我が事のように喜んだ。さらに直後のアクシデントを血を流す事のない形でうまく乗り切り、彼らの仕事は老人の期待をはるかに超える物だった。ザックスと彼の仲間たちが、今回の戦の最大の功労者となるであろうことは間違いない。
さらに彼らが、十分に《冒険者》の力を示した事で、王宮解放後暫くはこの街の冒険者協会の面目も保たれる事になるだろう。後はこの街に生きる《冒険者》達次第である。そう考えてほっと一息つこうとした時だった。
中央広場を最初に占拠した部隊から凶報が舞い込んだ。
『《鉄機人》現る!』
その報告によって、それまで緊張感の薄かった本陣内の指揮所は一気に殺伐とした空気に支配された。
(ワシも耄碌したのう)
戦は事が終わるまで分からない。若い頃に身にしみたはずの教訓であるが、やはり時の流れは自身の心に油断を生み出すものらしい。
《鉄機人》――そう呼ばれる謎の戦士がこの街に現れたのは冬の始めの頃だった。王宮から出現したという噂もあるものの、官吏たちがそれを頑なに否定する事で、その背後関係に様々な憶測が流れた。
その後2カ月以上の間、都市内のあちらこちらに現れては、有力者たちに重傷を負わせることでこの街の混乱の加速に一役買っていた。背後関係が全く分からず、被害者の四肢をへし折るなどの残酷な手口を用いながら、決して死者を出さないその手口に、襲われた者達の怯えが却って増幅され、対立していた都市内の有力者たちは互いに疑心暗鬼になっていた。
ハツカル病の発生と終息の騒ぎがなければ、おそらく自由都市連盟の説得工作はもっと長い時間がかかっていただろう。
鉄機人出現の凶報からさらに続々と伝令によってもたらされる前線の状況は、本陣に座る多くの貴族たちの眉を潜めさせた。
ここまでほとんど戦闘せぬまま、ただ部隊を前進させ続けるだけの展開に、指揮官から末端の兵士に至るまでほぼ全員の気分が緩んでいた。
そんな集団の中に突如として現れた《鉄機人》は、敵味方の区別なく周囲の軍勢に対して手当たり次第に攻撃を加え始めたらしい。解放軍の兵たちはそのほとんどが烏合の衆であり、さらにその部隊の大半は領主達によって臨時に招集された領民の若者達である。数の優勢どころか、突然の凶事にパニックをおこした彼らはもはや戦力になりえず足手まといだった。
一部の正規兵達によっての反撃も圧倒的な攻撃力の前に成す術もなく、重傷者の山とパニックで戦線が崩れるのは時間の問題だった。
さらに前線の混乱は本陣指揮所にも波及し、日頃から何かと対立しがちな周辺領主や都市内の有力者達は、疑心暗鬼になりながら互いを牽制し始めた。僅か一体の《鉄機人》によって引き起こされた戦闘は解放軍の分裂にまで発展しかねず、予断を許さぬ状況だった。
眼前で広がる醜い腹の探り合いと、勢い余って始まった領主達の口論を目の当たりにしながら、老人は大きな焦りを感じ始めていた。
(ワシが直接向かうか……)
それは決して不可能な選択肢ではない。だがこの場所を離れた隙にここに座る者達の諍いが激化し、解放軍が分裂してしまっては意味がない。
戦場は生き物だ――生意気な若者のその言葉は前線に立つ者達でなく、後方で指揮する者達にも当てはまる。伝聞のみで事態を推量しながら、事を推し進めねばならぬ彼らにとって疑心暗鬼になる事は圧倒的な大軍を迎え撃つ事よりも恐ろしい。
(結局、あやつらに任せるしかない……のか)
無力じゃのう、とぽつりと呟きながら老人は天を見上げる。一度、彼らに任せてしまえば、最後まで信じて任せるしかない。そしてその全ての責任を黙って背負うのが老人の務めだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
中央広場に到着したザックス達の目に移ったのは惨憺たる光景だった。
隙を突かれ多くの領民兵たちがパニックを起こして逃げ惑う中で、戦闘経験の豊富な者達が隊列を組みなおして《鉄機人》に立ち向かうものの、そんな彼らの抵抗を無造作に撥ね飛ばして、更なる負傷者の山を築いて行く。
「酷いでござるな」
その言葉に誰もが同意する。
「ああ、奴を止める。アルティナ、光を」
その言葉にザックスの意図を察した彼女は《鉄機人》の頭上に光弾を放つ。
鮮やかな輝きが生まれる事で多くの者達の注意がそれ、広場内に小さな静寂が生まれる。
「ここは、俺達《冒険者》が預かる、いったん後退して部隊の再編を!」
アルティナによる風術の力を借りたザックスの叫びが響き渡る。その言葉と同時に動ける者達は蜘蛛の子を散らすように広場を離れて行った。
そんな彼らの姿を鉄機人は追いかけることなく黙って見送っている。少しばかり体幹部の肥大した銀灰色の《全身甲冑》。鉄仮面で覆われたその下の表情は分からない。
武器らしきものを一切持たないそれは、己の拳一つで、解放軍のど真ん中に殴り込み負傷者の山を築いていた。
無人となった広場に堂々と立つ《鉄機人》の姿からはえもいわれぬ怒りと悲しみの波動が感じられる。
この街に到着早々事を構える事になったアルティナ達によればその強さは並々ならぬものの、街で噂されるような冷酷な暗殺者とはとても思えぬ心の脆さを抱えているようだ。
だが、今は戦の最中。一刻も混乱を収め、《アテレスタ》を平定せねばならぬ時である。
時がたつと共に烏合の衆である解放軍の亀裂が大きくなれば、また騒乱の日々に逆戻りである。
補助魔法によって自身を強化したザックスは腰の《ミスリルセイバー》を引き抜いて《鉄機人》に斬りかかる。
《瞬速》の世界にいるザックスの攻撃を《鉄機人》はあっさりとかわした。
「あっちも同じか……」
ブランカの例もある。今更驚くことではない。
再び切りつけて直ぐに後退したザックスの後ろから、アルティナとデュアルの雷撃術がとぶ。二人のそれをまともに受けた《鉄機人》の鎧の表面が奇妙に赤く輝いた。
すかさず、そこにザックスが《体当たり》で襲いかかる。瞬間、《鉄機人》は何事もなかったかのように、それをかわして立ち位置を変えた。目標を見失ったザックスの身体がもんどりうって石畳の上を転がった。
「ウソ、無効化されたの……」
自身の魔法をあっさりと打ち消された事にアルティナが動揺する。
「こっちでござるよ」
言葉と共にイーブイが背後から《体当たり》で襲いかかる。再びあっさりとそれをかわした《鉄機人》はイーブイとのすれ違いざまに軽く彼の身体に触れた。激しい雷撃がイーブイを襲い、そのまま転がったイーブイは石畳の上に転がったままピクリとも動かない。
鎧の表面に赤く奇妙な模様が浮かび上がっていた《鉄機人》だったが、やがてそれも消え、元の銀灰色の《全身甲冑》に戻る。
「まさか、あれって《魔力吸収文様》?」
「何だよ、それ?」
聞きなれぬアルティナの言葉にザックスは尋ねた。緊張と驚きの表情を浮かべながらアルティナが呟いた。
「攻撃魔術を吸収して蓄積し、自身のマナに変換したのよ、今のイーブイさんの時のようにそれを攻撃にも転用できる。私達の魔術は事実上、封じられたも同然よ」
「ウソだろ」
デュアルに担ぎあげられて後退したイーブイは、サンズとイリアによって回復魔法をかけられている。
広場の中央にのっそりと立つ《鉄機人》に対して、事実上、攻撃可能なのはザックス一人となっていた。
手にした《ミスリルセイバー》を構え、鉄機人と向かい合う。
ここまでザックス達に対して、鉄機人は自分から攻撃を仕掛けてきてはいない。まだ、本気ではないという事だろうか?
まだ、手の内が全く見えないその姿からは不気味なものが感じられる。相手の意図を探るためザックスはその大柄な体躯の甲冑に呼び掛けた。
「何の目的があってこんな事をする」
だが、その問いに返事はない。さらに心理的な動揺で揺さぶりをかけようとザックスは続けた。
「この街の多くの人たちが騒乱の終焉を望む、今この大事な時に、なんで邪魔をする。答えろ! この卑怯者!」
その言葉に《鉄機人》がピクリと反応した。ザックスの挑発にあっさりと引っ掛かった《鉄機人》の反応は意外なものだった。
「黙れ、バカヤロウ、何も知らない癖に!」
まだ、幼い子供らしき声。鎧の中から響いてくるようなその声に動揺したのはザックスの方だった。後方のアルティナとブルポンズ達も同様である。
「この街の奴らが何をしたか、何も知らない癖に勝手な事を言うな!」
幼い声。だが、何かを必死に訴えているそんな風にも聞こえる。
「こんな街、滅んでしまえばいい。自分の事しか考えられない街の奴らもみんな死んでしまえばいい! だからそのためにボクは戦っているんだ! キミたちと争うつもりはない。大体、キミたちにはやる事があるはずだ! だったらさっさと《ペネロペイヤ》に帰れよ! これはキミたちには関係のない問題だ! これ以上、ボクの邪魔をするなら、例えキミたちでも許さない!」
「ちょっと、待ってよ、貴方、やっぱり私達の事を知ってるのね。誰なの? 顔を見せてよ!」
「キミたちには関係ないって、言ったはずだ。さっさと消えろよ!」
いら立ち混じりの叫びとともに《鉄機人》は足元に転がる防具を蹴りとばす。とっさに籠手の魔法障壁を展開させて、ザックスは後方のアルティナをかばった。
「関係ない……か。悪いがもう、そういう訳にはいかないんだよ」
ザックスの言葉に《鉄機人》は戸惑いを見せる。
「ど、どうしてさ?」
「オレ達はほんの短い時間だったがこの街で多くの人に出会い、こうして戦にも参加した。本音をぶつけて争ったし、互いに命を掛けあって殺し合いもした。もう「関係ない」って言葉で全てを放り出す事なんてできない。どんなに真実が歪んでいても、一度乗ってしまった流れには最後まで行き着くしかないんだよ」
「…………」
「それにこんなところで立ち止まる訳にはいかない、オレは《冒険者》だからな。欲しい物は自分の手で、それができなきゃ仲間たちと共に。そうやってオレ達はやってきたんだ。それはこれからも変わらない。この街が生まれ変わるきっかけに手を貸し、仲間たちと堂々と《ペネロペイヤ》に帰る――それが今のオレの望む物。自分勝手、大いに結構じゃないか! オレの邪魔をするなら……、例え《魔将》であっても許すつもりはねえ!」
その言葉に《鉄機人》は沈黙する。何かに迷っている、そんな風にも見受けらけたが、彼の返答は違った。
「だったら……、だったら、キミたちはもうボクの敵だ! この街の奴らと一緒に殺してやる!」
言葉と同時にザックスに襲いかかる。
反射的に襲いかかる巨大な体躯の懐に飛び込んで肩口からぶつかったザックスは、上手くバランスを崩して《鉄機人》を石畳の上に転がした。転んだ《鉄機人》はうつ伏せになると同時に四肢を使って跳躍し、そのまま少し離れた場所に地響きを立てて着地した。
(参ったな……)
離れた場所でこちらの隙を窺っているだろう《鉄機人》の様子に気を配りながら、ザックスは戸惑っていた。
アルティナ達の魔術が使えない以上、直接攻撃しかない。直にイーブイが戦線に復帰し、実質2対1の戦闘になるだろう。パワー、スピード共に上級冒険者に匹敵するものの、近接戦闘技術はあまりに稚拙だった。つい今しがたあっさり地面に転んでしまった事からみても、それは明らかである。これまでの戦闘は並の戦士ではかなわない圧倒的な力とスピードに任せて、乗り切ってきたのだろう。
さらに問題なのは中にいる人物の方だった。「殺してやる」などと言いながらも詰めが甘い。自身の中に溢れる負の感情に身を任せて暴れ回っているだけのようだ。だが、まだ理性の最後の一線を越えてはいない。
どこか幼さの見える思考とその声が、戦いに対して冷徹になりがちなザックスの戦意を著しく挫いた。
「ザックス殿、いかがするでござるか」
完全に回復して戦線に復帰したイーブイが、彼の隣りに立つ。
「もう大丈夫なのか」
「面目ない。先ほどは不意をつかれたでござる。手の内が分かれば同じ轍は踏まんでござるよ。相手はどうやら素人のようでござるな」
「さすがに分かるか。じゃあ……」
「ザックス殿が牽制、拙者が止めを、でござるな」
その言葉に頷くと二人は、左右に分かれて近づいて行く。警戒してなかなか仕掛けようとしない《鉄機人》に対して、先に仕掛けたのはザックスだった。
白刃をきらめかせて襲いかかるザックスの剣をその太い両腕でしっかりとガードしながら、鉄機人は小さく身を揺らす。防具の隙間を狙われる事を防ごうとするその試みは実戦の中で思いついたものだろう。だが、ザックスの役割はあくまでも牽制。後方の死角からイーブイの《体当たり》が《鉄機人》に命中する。その場でたたらを踏みながらも《鉄機人》は踏みとどまった。
「効いてる。もう一発だ」
その声と同時にザックスは襲いかかる。イーブイの態勢が整うと同時に飛び下がろうとしたその瞬間だった。
《鉄機人》はあろうことか両腕をブンブンと振り回し、その場をくるくると回転する。子供が駄々をこねて暴れまわるようなその姿は余りに間抜けであるが、その巨体が振り回す凄まじい腕の回転に巻き込まれた二人は、軽々と弾き飛ばされた。
「ザックス、大丈夫?」
駆け寄ってきたアルティナの手を借りながら起き上がる。盾を戦力とするイーブイには深いダメージはないようだ。
とっさに籠手の魔法障壁でダメージを和らげたものの、遠心力のついた太い鋼鉄の腕をぶつけられたダメージは多少なりとも残る。戦いの最中、何かの拍子で調子づいた時の素人の発想は恐ろしい。
「やっぱり、腕の一本ぐらいは仕方がないか……」
その言葉に傍らのアルティナが目を見張る。ザックスの力を十分に知る彼女は、その上での彼の言葉に悲しげな表情を浮かべた。
「そうね、これは戦なんだものね……」
「どうにか隙をつくらないとな……」
《鉄機人》は果敢に襲いかかる二人の実力を冷静に判断しているらしく、防御を主体とした待ちの攻撃姿勢に転じている。突飛な防御法といい、ぎりぎりの実戦経験は少ないのだろうが、それを補ってあまりある観察眼と発想力を持っているようだ。
「私がやるわ」
アルティナの言葉にザックスは驚く。
「大丈夫、貴方は上手く隙をついて頂戴」
すぐさま魔術を発動すべく精神を集中する。魔術使用の際にそのようなそぶりを滅多にみせないアルティナの珍しい姿に、相当な難度の術であることを理解したザックスは、彼女と《敵機人》とを結ぶ線上に立って、無防備な彼女の援護をする。
「行くわ!」
言葉と同時に《鉄機人》の周囲に3つの光の像が生まれる。光像はザックスの姿へと変化して《鉄機人》の周囲を踊り、その視界を翻弄する。
アルティナの意図を理解したザックスは即座に《鉄機人》に襲いかかる。慌てて両腕をふり回しながら防御するものの実態のない虚像にまぎれたザックスの身体を上手く捉える事ができない。
持続時間のさほどないその防御が解けた瞬間、右側の死角へと回ったザックスの《抜刀閃》が、《鉄機人の》右ひじの関節部をあっさりと撥ね飛ばした。
その太い前腕がゴトリと音を立てて地に落ちる。だが、鉄機人に動揺はない。何事もなかったかのように《抜刀閃》の直後の隙だらけのザックスの背中に襲いかかった。
「ザックス殿!」
二人の間に割って入ったイーブイが、魔法光の輝くシールドでガードする。あわてて後退したザックス達と《鉄機人》の間に再び静寂が訪れた。
「どういう事だ?」
腕一本切り落とされれば、もはや戦闘どころの騒ぎではない。だが、当の《鉄機人》には一切動揺はなく切断面からは血すら流れていない。ジワリと薄く赤い光を放つその切断面には、何か不気味なものを感じさせる。
「イーブイ、何かいい考えはないか?」
「手がない訳ではないでござるが……」
イーブイの考えを聞くザックスだったが、即座にその欠点を指摘する。
「そいつはかなり難しいな、一番の問題は動きの速いアイツをどうやって足止めするかだ」
「残念ながら拙者にも、思いつかぬでござる」
これ以上戦いを長引かせる訳にはいかない。こうしている間にも解放軍本隊では分裂の危機が迫っているのかもしれない。
やはり、最悪の手段をとらねばならないのだろうか。
どんよりと嫌な考えに支配されつつあるザックスだったが、意外な伏兵が現れた。
「奴の足止めをすればいいのかい」
聞き覚えのある男の声が背中に響く。その声に振り向く事なくザックスは返事をした。
「なんだ、ようやく屋根から降りてきたのか」
ザックスのつれない態度に男は不満の声を上げる。
「冷たい奴だな。ここは、『お前生きていたのか』、とか『あそこからどうやって生き延びたんだ』とかいって驚くところだろう」
「イリアに聞いてたんでね。まあ、あんたが素直に死ぬようなタマじゃないとは思っていたけどさ、ボイド」
崖下に転落したはずの盗賊の登場に僅かに安堵する。その無事を聞いてはいたものの、やはり実際に姿を見なければ落ち着かぬものだ。
「……で、どういう風の吹きまわしで、オレ達を助けてくれるんだい?」
「なあに、ちょっとした礼がわりさ。お前らのお陰で、この度、晴れて雇い主に首を宣告されてね」
「ちょっと、ザックス、この人、大丈夫なの?」
アルティナが心配げに尋ねる。そんな彼女に構わずボイドは続けた。
「あの山に何があったのか、聞いたぜ。これでオレも気兼ねなくこの稼業から足を洗える。ありがとよ」
「そうか……」
「最後の一仕事として、お前に手を貸してやるよ」
「奴の足止めだぜ。出来るのか?」
「お前とはキャリアが違うんだ。数秒、でいいんだろ?」
「ああ、十分だ」
言葉と同時にイーブイと目を合わせたザックスは、《鉄機人》の左右へとそれぞれ移動して配置につく。
「お嬢ちゃん、悪いが『光』を頼む。目のくらむような強い奴でな……」
アルティナにそう告げるとボイドは真正面から無造作に鉄機人に向かって歩いて行く。警戒の度合いを強める鉄機人に臆することなく正対したボイドはアルティナに合図を送る。
一瞬迷うような表情をザックスに向けたアルティナだったが、彼が頷く事で気を取り直し、ボイドの注文通りの眩しい輝きを空に生み出す。
その輝きに《鉄機人》が躊躇した瞬間、地面にくっきりと映った己の影の中に、ボイドは身を潜めた。すぐさま《鉄機人》の背後の影から現れ、その小剣を石畳にくっきりと映る影に突き刺した。振り向こうとした鉄機人はそのまま身動きが取れず、立ち尽くしている。
特殊スキル《影移り》と《影縛り》――高等闇黒術を使ったボイドは、すかさず叫んだ。
「今だ、やれ!」
言葉と同時にザックスとイーブイが飛びかかる。石畳を蹴りつける強烈な二つの踏み込み音が同時に響き、直後、二人の身体が左右から全く同じタイミングで《鉄機人》に激突した。
金属の砕けるような音と共に、衝撃に耐えきれずにその胸当てがガラリと音を立てて落ちる。
素早く《影縛り》をといてボイドが離れると、《鉄機人》は地響きを立てて仰向けに倒れた。
「これは……」
倒れた鉄機人に駆け寄ったザックス達が目にしたのは意外な光景だった。
子供一人が十分に入るスペースの胴体内にすっぽりと収まっていたのは一人の少年だった。左右から二つの衝撃を同時に受け、完全に気絶している。額と両の手首足首にリングがはめられ、そこから幾つもの線らしきものが胴体内のあちこちに伸びている。
妖精族を示す先のとがった耳を見たボイドがぽつりと言った。
「こいつ、人間じゃねえ。ホビットだな」
ドワーフ、エルフと並ぶ妖精族の種族の一つであるホビットは『大地の住人』とも呼ばれ、その多くは人とは離れた僻地に暮らす。
彼らの生活スタイルは一風変わっており、荒れた土地を百年近くかけて豊かにし、十分な恵みを生み出す森と野原を生み出すと、彼らは又別の荒れ地へと移住し、再び新たな土地を耕す。彼らが去ったその場所に人間達は新たな村を作り、やがて発展して大きな街となっていく。
人と交わる事は少ないものの、妖精族の中でも豊饒をもたらす彼らを、領内に囲い込み手厚く保護しようとする支配者層も少なくない。
その生活スタイルから争い事とは縁遠い種族であるはずの彼らだったが、今ザックス達の目の前の《鉄機人》の胴内で気を失っているのは、まぎれもなくまだ若いホビット族の少年だった。
イリアとサンズが駆け寄り、少年の身体の状態を確認する。
「大丈夫です、大きなけがはありません。彼は気絶してるだけです」
イリアの言葉に、一同は小さく胸をなでおろす。
「気絶してるうちに縛り上げとくか」
《鉄機人》の胴内から無理やり少年の身体を引き起こそうとするボイドを、アルティナが制止した。
「待って、手荒な事はしないで!」
「でもな、お嬢ちゃん、放っておくといつまた目覚めて暴れ出すか、知れないんだぜ。それに早くこいつをどこか別の場所に移さないとどういう事になるか、想像つくだろう」
「そうね、彼のやった事はおそらく許されないでしょうね。でもあまり無茶な事をしないで。彼は私達の知り合いなの」
その言葉に一同が驚きの声をあげる。
「アルティナ、一体、どういう事だ?」
ザックスの問いに、アルティナは悲しげな笑みを浮かべて答えた。
「見覚えがないの? ザックス、彼は私達の同期生よ。そしておそらく、あの日生き残ったうちの一人よ」
「本当かよ」
ザックスはその言葉に愕然とする。
「ザックス殿、これを」
イーブイの指し示す少年の首元にはクナ石の輝きが僅かに覗いて見える。
彼が《冒険者》である事は間違いない
事実を確かめるべく、首元のクナ石に手を伸ばそうとしたその瞬間だった。
ザックス達の背後で複数の明るい光が空に打ち上げられた。次々に連続して打ち上げられる火球は、勢いよく夜空を駆け上がると大きな音とともに弾け、周囲を明るく照らし出す。
一発、二発、さらに三発目が。
暫くの間を置いて再び三発……。
「ついに、終わったのですね……」
サンズの言葉に、一同は事態をようやく理解する。
それは王宮の官吏たちが降伏を認めた事を知らせる為の合図だった。
おそらく、官吏たちの説得工作の為に、王宮に乗り込んだ自由都市連盟の執行役達に同行した魔術士によるものだろう。
広場の周囲にたむろする兵たちだけでなく、大通りに出てきた街の住民たちからも、喜びの声があがる。
この日、五年近くの長きに渡って続いた《アテレスタ》の騒乱は、ついにその終焉を迎えたのだった。
2012/04/12 初稿