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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚03章 ~騒乱の都市編~
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17 ジジイ、説く!




 ザックス達が《アテレスタ》に帰還しておよそ十日がたっていた。この十日間は《アテレスタ》に暮らす人々にとって、大いに不安な日々だったといえるだろう。


 薬草を集め終えたザックス達は交代で仮眠をとった後、夜明けと同時に下山を始めた。アルティナ達の辿ってきたルートを補助魔法《瞬速》を掛けっぱなしの状態で駆け下りるという荒業で半日足らずで下山した彼らは、途中に遭遇した魔物を苦も無く5人がかりで全て一蹴した。

 ふもとに降りた彼らを待っていたのは神殿からの早馬で、ザックス達の集めた薬草を預かった使いの者はこの地の所有者であるワイアード候爵の手の者によって厳重に警護されながら《アテレスタ》への道を急いだ。

 来た時とは正反対のザックス達への応対に首をかしげた彼らだったが、イリアとデュアルの身柄を引き取りにいったその先ですべての事情を把握した。

「どうか、一日も早くお引き取り下さい」

 半泣きになりながら哀願する候爵の姿はもはや痛々しく、その原因はアルティナのハッタリではなく、どうやらデュアルの隠し芸にあったらしい。

 彼に影響された館の男衆が次々に道を踏み外していくその姿に、候爵はひどく頭を痛めていたようだ。豪勢な馬車で丁重に送り出された一行の姿を見送り、そっと祝杯をあげたに違いない。

「すごいものを見てしまいました……」

 帰りの馬車の中で呆然とするイリアに、それが決して世界の全てではないという事を念入りに解くザックスの姿はあまりに滑稽だったが、可愛いイリアに妙な事を吹き込んだ、などとマリナに責められまいと当のザックスは必死だったのである。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 神殿に運び込まれる子供達の数がピークに達し始めた頃にようやくたどり着いた薬草は、この地に住まう老人達の指導に従って煎じられ、病に苦しむ子供達に与えられた。およそ一週間が過ぎて病は終息に向かいつつあるものの、全ての子供たちが無事だった訳ではない。幸運な事にジルの妹分達はみな快方に向かったが、街の子供達のうちのいくらかは、懸命な手当のかいもなく黄泉路へと旅立った。

『王宮官吏はこの街の民を見捨てようとした』

『この街にはもはや希望はない』

『国の再興などもはや夢物語である』

 様々な噂と憶測が飛び交う中で、一部の者達はこの街の混迷の打開に向けて、着々とその準備を進めつつあった。その先頭に立っていたのはアルティナ達と共にこの街に訪れた、冒険者協会協会長と自由都市連盟の最大後援者であるセイムルクシュ商業同盟の執行役達だった。

 以前に、とある事情でとん挫した『《アテレスタ》自由都市化を目指す市民連合議会』を再び立ち上げ、ワイアード候爵を初めとする周辺貴族たちに協力を要請した彼らは、セイムルクシュ商業同盟の執行役達が持ち込んできた大量の物資を餌に次々に都市内の様々な勢力をまとめ始め、王宮に居座る官吏達に圧力をかけ始めた。

 この動きに対して王宮内の官吏達の勢力も二つに割れ始め、未来の主導権と己の立ち位置を巡って水面下で様々な駆け引きが始まっていた。


 5年近くにも渡って騒乱に震えた《アテレスタ》の街は、今、大きな転換点を迎えようとしていた。

 大きく変わろうとしてゆく街の流れに乗り遅れまいとする人々の焦りは、変革への火種となって街の至る所でくすぶり始めていたのである。




 転換点を迎えようとしていたのは《アマンダの酒場》も同様だった。

 ここ数日《アマンダの酒場》では小さな諍いが絶えず起こっていた。その原因はこの街の危機を救ったのがよそから来た《冒険者》であるという事実に、彼らの眠っていた冒険者魂が大きく揺さぶられたせいであろう。

 攻略不能といわれた《ルドル山》から無事に帰還して以来、《アマンダの酒場》に居座る冒険者達の姿に羨望の眼差しを送る一方で、何もすることなくただ指を咥えて傍観していた己の無様さにいら立ちを募らせる者達は少なくなかった。

 だが、長い間無為に時間を過ごしてきたつけは大きく、冒険者としての勘も体力も衰えた彼らは、そのいら立ちを周囲の仲間達にぶつけるしかなかった。


 そんなある日、アマンダの酒場に集ったザックス達は、珍しくシリアスな顔で重要な話を持ちかけてきた老人とともに店内のメインテーブルの一席に座っていた。

 彼らの周囲には飲んだくれたふりをしながらアマンダの酒場の冒険者達が陣取り、聞き耳を立てている。

「……で、俺達に一体何をしろって言うんだよ。爺さん」

「ありていに言えばいくさじゃな」

「おい……」

「正確に言えばいくさをせぬ為のいくさ、あるいは抗争というべきかの……」

 とても正気とは思えぬ言葉をいつものとぼけた調子のままで話す老人の顔をザックスは睨みつけた。

「で、事の次第なんじゃが……」

 さらに話し続けようとした老人の言葉をザックスの怒声が遮った。

「ふざけんな! クソジジイ。テメエ、何考えてやがる」

 ドスンとテーブルを叩いてザックスは立ち上がる。

「なんじゃ、なんじゃ? 藪から棒に……」

「あんた、自分が言っている言葉の意味、分かってんのか?」

「よーく、分かってるつもりじゃよ」

 テーブルを挟んで睨み合う二人に周囲はあたふたとしている。

「ちょっとアンタ、協会長さんに向かってなんて口のきき方を……」

 すっかり慌てふためくアマンダだったが、ザックスは気にも留めずに続けた。

「爺さん、正直、あんたはもうちっとばかりましな年寄りだと思ってたけど、結局は他のやつらとおんなじだな」

「わしを他の奴らと違うと少しでも思うんじゃったら、もうちっとばかりワシの話を聞いてくれんかのう。それともお前さんも他の若者と同じで、自分の都合のいい言葉しか聞こうとせん『バカモノ』なんじゃろうか?」

 互いに睨み合ったまま、一歩も引く様子はない。やがて僅かに息をついたザックスは再び椅子に座り直した。

「いいだろう、あんたの話を聞いてやろうじゃないか」

「助かるのう」

 手元のカップの薄味のクーフェに一口、口をつけると老人は話し始めた。

「今、この街の城壁外にあちこちの周辺貴族領の兵隊たちが陣取っておるのは知っておるな」

 その言葉にこくりと一つ頷いた。

 お陰で《アテレスタ》を離れる事が出来ずに足止めを喰らったザックス達とブルポンズの一行は、イリアを送っていく事も出来ずにこの街に滞在し続けていた。そんな彼らを冒険者協会協会長直属の実働部隊として雇った老人の護衛としてここ数日を過ごしていた。

「明日、遅くとも明日の夕刻頃に奴らはこの街に乗り込んでくる手はずになっておる」

 その言葉に周囲が小さく息をのんだ。

「目的は王宮内に立てこもっておる官吏達に圧力をかける事。そして、この事はワシらやこの街の上層部も了解済みじゃ」

「ずいぶんと急な話だな」

「当然じゃろう。人を集めればそれこそ飛ぶように物と金が消えて行く。さほど余裕のない周辺領主達も必死なんじゃよ」

 ワイアード候爵の顔が思い浮かぶ。彼も又他の周辺領主達と共にこの《アテレスタ》の城壁外で、その手勢を率いて逼迫しつつある状況を観察していた。

「おそらくこの戦は戦にはならんじゃろう。今の段階ですでに大勢は決しておる。王宮内にも目端の利く者はおるからの、今やあの城壁の中も真っ二つに割れ、抗争中じゃ」

 王国復興の望みをどうにか繋ごうとする者と希望のない現状に終止符を打とうとする者――そんなところだろう。

「問題はその後じゃな」

「その後?」

「うむ、王宮が解放されると同時にこの街の一切の決定権は臨時議会に移り、この街はやがて自由都市になる事が決まっておる。その時に誰が主導権を握るか、それが一番の問題なのじゃ」

「…………」

「知っての通り自由都市は創世神殿と、セイムルクシュ商業同盟が主導権を持つ自由都市連盟、そして冒険者協会、この3つの勢力が主導権を握る事で成り立っておる。これ以外の者が主導権を握る事はあり得ない。それは絶対に譲れない原則なんじゃ」

「権力、金、人って訳か」

「察しが早くて助かるのう。創世神殿はお前さんもよく知っての通り、優れた神官長の働きによってこの街に十分に貢献しておる。先だっての病の折には、この街の子供達の為に神殿の総力を以て事にあたった……街の者達にはそう認識されておる。さらに自由都市連盟の者どもはこの街に大量の物資を運び込み、都市内外のあちこちの有力者を懐柔しておる。もはや7割方が陥落しておるようじゃ。あとは冒険者協会……つまりわしらじゃな。自由都市化した後のこの街で大きな顔をするには、今のこの街の冒険者協会はあまりに非力すぎるんじゃ」

 その言葉にアマンダが顔を曇らせた。彼女はこの店の店主であるだけでなく、《アテレスタ》冒険者協会支部長職を兼ねている。

「アマンダ、お前さんが肩を落とす事はない。お前さんはこの五年間十分にやってくれた。様々な問題をかかえながらこの店を維持し続けるのは並々ならぬ事じゃった筈……。元はといえば神殿追放の折に出ていった冒険者の酒場に大きな咎があるんじゃ」

「そういってもらえると助かるよ、協会長さん」

 その言葉に老人は一つ首肯した。

「この街にくる際にワシも少しばかり考える事があってのう。このような事態に備えてお前さんのところのバンガス達のような有名どころのパーティをいくつか呼び寄せようとも思ったんじゃが、ちょっとばかり気が変わってのう」

 意味ありげにアルティナを見つめる老人の視線に彼女は顔を赤くする。

《アテレスタ》に来る道中、イーブイ達と共に自由都市《ファンレイヤ》で何やらひと悶着あったようだが、その話は《ペネロペイヤ》に帰ってからのお楽しみという事になっていた。

「魔将殺しのザックス、色物パーティのブルポンズ。それなりに名を馳せてはおるが、それは支部内での酒場同士の力関係に影響するほどではない」

 おお、そうじゃ、御転婆エルフのアルティナを付け加えねばならんのう、という老人の言葉にアルティナはさらに顔を赤らめた。

「お前さん達も聞いておるじゃろう、ペネロペイヤ支部内のごたごたを……。ガンツの奴ももう少し野心をもってくれたらそれなりにやりやすいんじゃが、これは別の話じゃな。ともかく、よその街の有名パーティを呼び寄せるという事はこれまでこの店で頑張ってきたアマンダの努力が水の泡になってしまうという可能性があるんじゃよ。この街の未来はこの街で生きる者達に……それが自然な流れじゃろう」

 その言葉は周囲に肯定的に受け止められる。

「じゃがのう、それは相応の力量があっての事じゃ。力の無い者に流れを生み出す事は出来ん。ただ不平不満を垂れて混乱を生み出すだけ、それは世の理じゃ。お前さんにも分かるじゃろう」

「まあな……」

「そこでお前さんたちの出番という訳じゃ。パーティとしてもさほど影響力がある訳ではなく、大きな後ろ盾がある訳でもない。ガンツの奴はこの店をずいぶんと助けてきたらしいが、だからといって大きすぎる見返りを求めるような男ではないしのう。まあ奴がそうしたならば、それはそれで面白いんじゃが……。ともかくある程度の実力を備え、そしてしっかりとした団結力をもつお前さん方にこの街の将来の冒険者達の為に、ひと肌脱いでもらいたいんじゃよ……」

「そのために戦に加われって云う訳か」

「そうじゃ」

「断る!」

 ザックスの即断に周囲は大きく揺れた。そんな周囲の動揺を気にせずザックスは続けた。

「爺さん、アンタ、戦を甘く見てるよ。戦場ってのは生き物だ。多くの人間が集まればその空気にのまれて興奮する。例え、戦闘は起こらない、そんな確証があったとしても、あの独特の空気にのまれて暴走する奴ってのは、必ず出てくる。だからこそ指揮命令が徹底され訓練が必要とされるんだぜ」

「さすがに、フィルメイアじゃな」

「関係ねえよ。とにかくいくら冒険者が強いからって、そんな場所に立てば何が起こるか分からない。勢い余ってどんな過ちを起こすかもな。そして何よりも『死』は戦場に立つ全ての者に平等に訪れるんだ」

「よーく、知っておるよ」

「だったら、なおさら分かるだろうが!」

「だからこそ、頼んでおるんじゃよ。そんなお前さんじゃからこそ、この仕事は可能なのだとな……」

「爺さん、あんた……」

「お前さん、戦を知っておるな」

「一度だけ、だけどな……」

「じゃったら、その虚しさもよく知っておるじゃろう? そして一度ついてしまった戦いの流れの中では個人が何をどう考えようと一切無駄であるということも分かっておるじゃろう?」

「ああ」

「人の世も所詮は一緒じゃよ。戦であろうとなかろうと流れの中に身を置けば、それに抗う事は難しい。そしてそんな流れの中で、価値観の違う他者と本当に分かりあう事はさらに難しい。だからこそ、誰をも納得させる実績が必要なんじゃよ。《アテレスタ》の平定に一役買った冒険者――その事実は良くも悪くもお前さんたちの今後に大きな影響を与えるはずじゃ」

「…………」

「先ほどこの街の未来の為になどと言ったが、あんなのは建前じゃ。結局のところ人は己の為にしか動けぬもの。お前さん達にはそれをやり切るだけの力がある、そう見込んだからこそワシはお前さんに問うておるんじゃ。お前さんの目にはワシがお前さんを利用しようとしているように見えるじゃろう。それは事実じゃ。じゃが、これはワシには出来ぬ事。お前さん達若者の仕事なんじゃ。ワシは老人じゃ。老人には老人の役割がある」

 老人の言葉が静かに響いた。

「どうせわしらは死ぬんじゃから――無責任な年寄り共はそんな常套句で逃げる癖に、それでいながら目先の『生』に醜くしがみつく。ワシはそんな老人の在り方は間違っておると思う。ワシら老人がお前さん達若者と共に生きる以上、ワシらにはワシらだからこそできる事をやらねばならんのじゃ。それはお前さんたちから見れば楽をしているように見えるかもしれん。だが、世の中とは様々な人々が様々な役割をそれぞれにこなしてこそ成り立つもの。それができなくなれば隠居して口をつぐんで釣竿を垂れればいい。これは、いつかのお前さんの言葉に対するワシの答えじゃな」

 僅かに言葉を切る。

「後はお前さん達次第じゃ。決めるのはお前さん自身。正直、ワシにもこの選択が正しいかどうかなんぞ、ついぞ分からん。期待をかけた若者達がワシの判断のせいで死んでいった、そんな事は両手の指の数を軽く超える。それが冒険者協会協会長職におる者の現実じゃ。どんなに願いを掛けても最後は結局運任せ。幸運か悪運か……ただそれだけじゃ。本当に……、本当に人の世とは思い通りにならぬ事ばかりじゃ……」

 それっきり老人は黙りこむ。後はザックス達の判断を待つという事なのだろう。


 老人の言葉はザックスの胸に強く響いた。その想いに嘘偽りは感じられない。

 だからといってそれが命をかけるに値するといえるかどうかは分からない。

 この街の為の戦に参加するという事は、他者の為に命を張る事に他ならない。いかに冒険者が危険な場所に身を置くことが当然としても、それはあくまで自分の為の理由に他ならない。

 危険な目に遭いながら薬草を採りに行ったのは、知己であるジルの為に自身がそうしたかったから。あるいは何もしないで子供達の死を傍観しようとしている年寄りたちに対する当てつけでもあった。

 だが、見ず知らずの不特定多数の為に命を張るのはザックスとて躊躇する。戦いを生業にするフィルメイア兵団なら金の為という理由がある。だが、今の《冒険者》ザックスにはそれは理由とはならない。


 店内に重苦しい沈黙の時が流れる。

 その沈黙を破ったのはイーブイだった。

「ザックス殿、拙者はこの戦に加わろうと思うでござる」

「イーブイ……」

「誰かの為でも冒険者の未来の為でもござらん。長年の騒乱でこの縮み切った街がこの戦を乗り越えてどうなるか、拙者は見てみたいのでござる。この戦の後、何年かたってこの街に再び訪れた時、発展したこの街の姿に、『あの時拙者が手を貸したからこそ、今のこの街があるのだ』、などと、そんな自己満足に浸ってみたいのでござる」

 実にイーブイらしい言葉だった。ついで彼の仲間たちが賛同する。

「これぞ、英雄への第一歩。我が道に留まる理由などなし」

「実におもしろそうですね、皆と共にあれば上手くいきそうな気がします」

「ラーララララー。私は未来の為に歌いましょう」

 避けては通れぬ戦である。ならば前に進むためには踏み込むしかない。

「分かったよ。俺も戦おう」

「ザックス、貴方はどうして戦うの?」

アルティナの言葉に僅かに黙考する。しばらくしてある事が思い浮かんだ。堂々と胸をはって口にする。

「オレの理由は唯一つ。みんなで《ペネロペイヤ(うち)》に帰る為だ!」

 瞬間、店内が沈黙した。しばらくしてその沈黙は爆笑の渦と化した。

「ザ、ザックス殿……。そ、それは、あまりにも……」

「聞いた私がバカだったわ……」

「全くじゃのう、ここまでの真面目な話が一瞬で台無しではないか」

「うるせえな、一番、大事な事だろ」

「それは、そうだけど……」

 ようやく笑いを収めた一同の眼前で不貞腐れるザックスだったが、そんな彼の姿に笑みを浮かべて眼前のカップに一口、口をつけた老人は少し改まった顔をして続ける。

「まあ、よいわ。たしかにそれもお前さんの立派な理由の一つじゃろう。さて、後、もう一つ、そっちの御転婆エルフの事なんじゃが……」

「御転婆じゃないわ!」

 すかさずアルティナが反論する。

 一体このエルフ娘は何をやらかしたのか? どうにも聞くのが恐ろしい。帰り道に《ファンレイヤ》に立ち寄ったら指名手配されていたなんて事はないだろうな、とザックスは密かに震えていた。

「ここまで盛り上げておいてなんなんじゃが、お前さんには今回の戦への参加は自重してもらいたいんじゃ……」

 その言葉にアルティナは呆然とする。

「ちょ、ちょっと待ってよ。お爺さん。私はザックスのパートナーなのよ。彼が参加するなら私だって……」

「確かにの。本来ならワシにお前さんを止める権限なぞありはせん。お前さんがエルフじゃなければな」

「そ、それってどういう意味ですか? 私がエルフだからって、そんなのは……」

「じ、爺さん、それはいくら何でも……」

「まあ、聞くがよい。お前さんも冒険者をやってそれなりの時間を過ごしてきたからには、エルフと人間の間の微妙な関係についてはそろそろ理解出来た頃じゃろう。エルフ、ドワーフ、ホビット、数ある妖精族の中でも純粋種のエルフだけは少々別格じゃ。殊にお前さんには立場というものもあるじゃろう」

 その言葉にアルティナは沈黙する。その快活な性格のせいか、ザックスさえすっかり忘れがちな事であるが、彼女はエルフの里において『姫君』と呼ばれる立場におかれている。

「この戦に参加する事で、お前さんにはその気がなくても色々と邪推する者はおる。迷信を信じ、あるいは利用しようとする輩が、おこぼれ目当てに主導権争いを混乱させて、戦の後の不安定な指導者層に対して、どんな因縁をつけるかも分からぬのじゃ」

「そ、そんな……」

「お前さんが器量よしだけでなく、その心根もまっすぐである事は十分に承知しておる。じゃが、今回ばかりは人間同士の争い事に加担するのはやめて欲しいんじゃよ」

「ザ、ザックス……」

 助け船を求めるアルティナに、ザックスは困惑する。

「分かったよ、後で彼女と少し話をしてみる。それで構わないよな」

「じゃあ、お前さんに任せよう。彼女の事はお前さんに預けておるからの……。では、ワシは詳細を詰めねばならんから行くとしよう、追って連絡する。イーブイ、済まんがつきあってくれ」

 言葉と同時に立ちあがる。そのまま席を離れようとした時だった。

「ちょっと待てよ、爺さん。あんた自分の子飼いの奴らにばかり声をかけて俺達の事は無視なのかよ!」

 その言葉に再び空気が緊張する。老人に声をかけたのは《アマンダの酒場》に籍をおくこの街の冒険者の一人だった。声をかけた男を一瞥した老人は、何もなかったかのように歩きはじめる。

「待てって、言ってんだろうが。無視するんじゃねえよ!」

 自身の事を全く相手にしようとしない老人に男は喰ってかかる。

「いい加減におし。協会長さんに失礼じゃないか!」

「でもよ……」

「よいよい。アマンダ」

 割って入るアマンダを制して、男に向き直った老人は静かに尋ねた。

「で、お前さんは、誰なんじゃ?」

「お、俺はこの街の冒険者で……」

「で、お前さんは、誰なんじゃ?」

「あ、あんた、バカにしてんのか!」

「ワシらの話を聞いておったんじゃろう。じゃったら、ワシの言いたい事は分かるはずじゃ。それが分からん阿呆に用なぞないわ」

 そう言い置くと今度こそ、その場を後にする。

 イーブイを連れて鮮やかに立ち去って行くその後ろ姿に、あっけにとられた酒場の男達は口々に毒づいた。

「ふざけんな、テメエ、一体何様だ!」

「協会長様だよ。知らなかったのかい!」

 答えたのはアマンダだった。厳しい表情を浮かべて怒鳴りつけるその様子に、男達は僅かに顔色を変えた。

「まったくアンタ達はホントにボンクラぞろいだね……。この五年間、アンタ達が飲んだくれて過ごしてこれたその一番の恩人に向かって一体、何て言い草だい」

 筋骨隆々のその腕で、ドスンと荒々しくテーブルを叩く。

「あの方はね、この五年間潰れそうなこの店に援助の手を差し伸べて、この街からなんとか冒険者の魂を消さぬようにとやってきてくれたんだ。あの方だけじゃない。あちこちの自由都市の心ある酒場の店主たちがそうやって支えてくれた、その上でこの店はやってこれたんだよ。なのに、アンタ達のその思い上がった言い草は一体何だい」

「ア、アマンダ……」

「この街一番のピンチという時によそ者においしい所をかっさらわれた上に、いざ戦だって時にはブルっちまって、キンタマどっかに落っことして来たのかい?」

「べっ、別にブルってなんかねえぞ、俺達は」

「今もそうさ。礼儀知らずなバカなアンタ達に最後のチャンスが与えられたことも分からずに因縁つけて……。アタシは恥ずかしくって穴があったら入りたいくらいだよ」

「最後のチャンスって、何だよ」

 その言葉に大きくため息をついてアマンダは続けた。

「あの方が何のためにアンタ達に聞かれるのを承知で、こんな場所でこの若い冒険者達に頼みごとをしたと思ってんだい。ボンクラなアンタ達にも分かりやすいように話をかみ砕いてさ……」

「なっ……」

「彼らに命をはってくれとわざわざ頼みごとをしたんだってそうさ。おっしゃられただろう。協会の為だけならもっと良い別の方法もあるって。それをわざわざ避けたのは、変わった後のこの街でも、アンタ達が冒険者としてやっていけるようにっていう計らいだってことにどうして気付かないんだい?」

 その言葉に一同は沈黙する。

「この若い冒険者達ならいざ知らず、本来ならね、アンタ達ごときが気安く話しかけられるような方じゃないんだ。そんな事も分からぬボンクラはこの店から出てお行き!」

「そこまで言わなくてもいいだろう!」

「今、この街は変わろうとしている。いずれは新しい人たちがこの街にやってくるだろう。そしたらアンタ達はどうするんだい?」

「…………」

「全員、ここから出てお行き。そして冷たい街の風に吹かれて一度頭を冷やすんだね。そして考えな! 自分達がどうすべきかってことをね」

 暫しの沈黙が流れる。そして一人また一人と席を立っては扉の向こうに消えてゆく。そして広々とした店内にはザックス達を残して誰もいなくなった。

「悪かったね、ずいぶんと不様な姿を見せちまって……」

「いいのかよ、アマンダ」

「いいさ、あいつらも分かってるんだよ。ただ怖いのさ」

「怖い?」

「冒険者だからね。荒事が怖いってわけじゃないんだよ。ただ、あいつらは結局、この数年間何もやってこなかった。とくにここ最近はね……。それは仕方ない事さ。街がこんなになってるのに希望に輝く奴なんて、それこそ頭がどうかしちまってるだろう? 何かをしなければならない、そんな漠然とした義務感に責められながらもそれを酒でごまかしてきた。結局のところ自信を無くしちまってるだけなのさ」

 僅かに息をつく。

「ここはアタシ達の街。そしてあいつらの街なんだ。アンタ達には悪いけど、よそ者のアンタ達の力を利用して、明日を切り開かなけりゃならない。そして、アタシもね、変わらなきゃいけないんだ。いや、アタシこそが変わらなきゃ、この店も店にいるアイツらも変われない」

 その言葉と共に一瞬見せた厳しい表情に、なぜかガンツのそれが重なった。

「見てみたいのさ。この店にも冒険者が溢れていたあの頃をもう一度ね……。それが守ってやれなかったあの子達への何よりの手向けになるからね……」

「あの子達?」

「いや、こっちの事さ。ところで吟遊詩人さん、悪いが何か景気のいい奴をやっとくれでないかい。暗い気持ちが吹っ飛んで暖かい希望に満ちるような楽しいのをね」

 アマンダの依頼にシーポンの竪琴がホロンと答えた。


 それから暫くの後、冷えかけて閑散としていた店内からは、明日を夢見る冒険者達の小さな笑い声が聞こえてきたのだった。




2012/04/07 初稿




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[良い点] めっちゃ好きです。三年くらい前に見つけて、既に何回も読み返しています。 なろう作品は数百作読んでますが、その中でも五指に入るくらいよく練られた素晴らしいストーリーだと思います! [気になる…
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