06 ザックス、教わる!
闘技場――自由都市のほぼ中心部に位置するその場所では、二か月に一度、冒険者同士がその技量を比べあう大会が開かれる。
平凡で退屈な日々を暮らす《ペネロペイヤ》の人々には、大切な娯楽の一つである。冒険者達の中には賞金目当てにそれを専門で行っている者もおり、大会の日には闘技場周辺で様々な催しが行われる。
そのような盛り上がりとは無縁の平日の闘技場内では、冒険者達が集まって自身の技芸の向上に努める様子がそこかしこに見受けられた。さながら修練場といったところであろうか。
その一角において、創世神殿で無事に《戦士》職を授かった翌日のザックスの姿があった。
彼の居場所が闘技場の片隅であったにも拘わらず、なんとなく周囲の視線が気になる。決して自意識過剰な訳だからではなく、一緒にいるエルメラのせいであろう。
整った顔立ちにしっかりと自己主張する豊満な胸とメリハリのある身体のライン、全身からにじみ出る妖艶な褐色の美貌と輝かんばかりの脚線美が、周囲の熱い視線を一身に引き付ける。それらを気にも留めずに彼女はザックスの前に立っていた。昨日の神殿巫女の少女とはまったく正反対の大人の女性の魅力に動揺しながら、ザックスは彼女と向き合っていた。
「手ほどきを始める前に、ちょいとこいつに軽くマナを込めてみな」
ぽいっ、と放り出された球形の物体を慌てて受け止める。手の平より少し大きなそれに言われたとおりにマナを込める事、数秒。球形の物体が少しずつ輝き始めた。エルメラが僅かに感心した様子を示し、傍らで二人の様子を見守っていたダントンがむう、とうなり声を上げる。
「貸しな!」
ザックスからそれを受け取ったエルメラは、「目をつぶって」と小さく呟き、手にしたそれを喧騒の元である周囲のヤジ馬達に向かって放り投げた。床に落ちた途端にその球形の物体は目のくらむかのような光を放ち、まともにその光を浴びたヤジ馬達は悲鳴を上げて、その場を逃げ出した。
やりすぎだぜ、姐さん、というダントンの言葉を無視したエルメラは、輝きを消したそれを拾い上げて向き直った。
「こいつはある能天気な鍛冶屋が作り出した《閃光弾》っていう名の失敗作でね、効果はご覧のとおりさ」
「失敗作?」
「起動させるにはマナを込めなきゃならないんだが、アタシですら一分近くの時間をかけなければならんのに、それをあんたは僅か数秒たらずでやっちまった」
「それっ……て、すごいのか?」
ザックスの問いにエルメラは呆れたような表情を浮かべる。一つため息をつき、再び口を開いた。圧倒的な外見とは裏腹に、終始、面倒臭いという空気を隠そうともしないその姿は、実に彼女らしい。
「あんた、攻撃魔法は使えないんだね?」
「ああ、これっぽっちも才能はないって言われたな。表示も見事に『0』だろ」
あれ、誰に言われたんだっけ、と記憶を探るが、その答えは見つからなかった。
「じゃあ、攻撃補助魔法はどうなんだい?」
「攻撃補助魔法?」
「訓練校で習わなかったのかい」
「そういや、そんな事もあったような……」
さほど時がたっていないはずだが、遥か彼方へと追いやられてしまった記憶を探る。マナの力を使って冒険者の身体を様々な形で強化し、常人では耐えきれぬ巨大なモンスターとの苛烈な戦闘を可能にさせる――攻撃補助魔法の使い手がパーティに一人いれば、近接戦闘を挑む前衛の戦技は格段に広がるという。
生まれた時から武器を振り回す環境で育った身である。魔法の才能はないと言われればあっさりとその道を諦め、自身の長所を伸ばす方へと突き進むのがザックスのやり方。当然、無駄なもの、縁のないものなどに見向きもしない。
「魔力値MAX。アタシ達魔法を使う者から見れば、羨ましい限りだってのに、当の本人にはその自覚が全くないってんだから、創世神も酷な事をするものだね」
「いつから敬虔な信者になったんだよ。姐さんは金の神様の信者だろ? いや、亡者だったかな?」
茶々を入れるダントンにエルメラが険呑な笑みを向ける。結果は分かってるんだから、いい加減にやめれば、と思うザックスだったが、当のダントンはちょっかいを掛けられずにはいられないらしい。無謀な挑戦者が悲鳴をあげて逃げ回る姿に呆れはてる。
「さて、バカは放っといて……」
少し離れたところにダントンを追いやり、エルメラは本題に入った。
「まずは体内のマナを感じ取る事から始めて、それから魔法の感覚を知ってもらおうか」
するりとザックスに向かって踏み出した。
「あ、あのさ……」
戸惑うザックスにエルメラは眉を潜める。
「攻撃補助魔法なんて覚える必要あるのか? 普通、仲間にかけてもらうものだろ」
「それは、あくまでも訓練校での初心者に対するレベルでの話だよ。ダンジョンじゃ、いつも誰もがベストの状態でいるって訳じゃない。自分で出来る事はある程度、自分でやらなきゃならないのさ。中、上級になれば、全ての者が攻撃力強化、身体強化、敏捷性強化のどれかを使いこなすものさ。むしろ、それができなきゃ、冒険者として先はないね。」
「そういうものなのか……」
「まして、アンタはこれから無謀な挑戦をしようって身だ。あっちのバカのせいでね」
少し離れた場所に座りこんでこちらの様子を眺めているダントンを指して、エルメラは続けた。
「人が様々な経験を重ねて何年もかけて身につけようってものを、あんたはほんの僅かな期間で成し遂げなきゃならない。今のアンタに好き嫌いをいっている時間はない。分かってんだろ?」
「あ、ああ」
駆け出しのザックスを彼らに同行させる事にエルメラとウルガは未だに賛成していない。ウルガに至っては、余りに無謀すぎるその計画に関わるつもりはないと宣言し、この場への同行すら拒んでいた。《錬金の迷宮》内で見せたその圧倒的な実力に、一人の戦士として大いに感服していただけに、己の存在が当の彼の眼中にすらないことに、ザックスは少しばかり悔しさを覚えていた。
「あんたに魔法の習得が可能かどうかって事に、別に根拠や可能性が全くないってわけじゃない。ステータス値にある魔力値の表示に誤りがないならね」
これまで、さんざんに振り回されてきたこの無茶苦茶な数値も、レアアイテムを取得した時のように上手く利用できる方法があるというのだろうか? 今一つ確信の持てない様子のザックスに、エルメラが尋ねた。
「あんた、時々体調が酷く悪くなったり、目眩に襲われたりすることはないかい?」
「目眩ならたまにあるぜ」
「それはあんたの魔力値がMAXを示すようになってからじゃ?」
「言われてみれば……」
「そいつはね。マナ酔いって奴だよ」
「マナ酔い?」
「マナを扱うには体内のマナと外界のマナを同調させる事が基本だって訓練校でならったろ? 魔力値が大きくなればなるほど同調できる外界のマナの量も増えていくのさ。だが、それを受け止める今のあんたの身体能力は極めて平凡だ。だからそれを受け止めきれなくなった反動で目眩が起きるのさ。成長のバランスがうまくとれていない初級者から中級者にかけての冒険者にごくまれに見受けられるね」
「じゃあ、俺の身体が強くなれば目眩は起きなくなるのか?」
「簡単に言えばそういう事だね。LVをあげて体力の値が増えない事にはなんともならないさ。ところで《洗礼の滝》はどうだった? あれは濃いマナのこもった神聖水をもろに浴びるから辛かったんじゃないのかい?」
ザックスは洗礼での出来事を手短に語った。初めは何気なく聞いていたエルメラとダントンだったが、すぐに表情を険しくした。
「あんた、その話、あたし達以外の誰かにしたかい?」
妙な迫力の込もるエルメラに気圧され、ザックスは慌てて首を横にふる。
「絶対にするんじゃないよ。場合によっちゃ、あんた、命を狙われることになりかねないよ……」
「へっ……」
エルメラの言葉に唖然とする。最近の若い娘は大胆だな、などと呟くダントンを放置して、エルメラは話を続けた。
「話を戻すよ。基本的なマナの扱いは知ってるね?」
「訓練校で習ったくらいは……」
マナと呼ばれるものは、本来世界のどこにでも存在するが、実際に目に見えるものではない。己の感覚でその存在を感じ取るものである。クナ石を受け取る際の儀式を済まして冒険者になると、初めて僅かに感じられるようになるそれは、体内の治癒能力を上げ、運動神経が少しばかり鋭敏になる。妖精族や獣人族の者たちは、生まれつきこれらを自在に操る者もいるという。
「目をつぶって、ゆっくりと深呼吸しな」
エルメラの言葉に従い、己の体内に感覚を集中する。不意に背に手を置かれ、強烈な異物の塊が体内に侵入したような感覚を覚えた。湧きあがる痛みにザックスの顔が歪む。
「そいつを身体の中から押し出しな!」
エルメラの厳しい声が飛んだ。言われるがままに、呼吸を整え、体内に広がり勢いよく蹂躙し始めた異物を小さくひとまとめにして、呼気ともに吐き出した。脂汗を流してその場にへたり込む。
「おい、姐さん。あまり手荒な事は……」
「あんたは黙ってな、ダントン! ザックス、その痛みを自分で直してみな!」
再び言われるがままに、乱れる呼吸を整えながら傷ついた身体の部位を修復するかの如きイメージを想い浮かべる。しばらくすると身体が軽くなり、呼吸も楽になる。何事もなかったかのように立ちあがったザックスに、エルメラは少し驚いたような表情を浮かべた。
「驚いたね。もっと時間がかかると思ったんだが……。もう何ともないのかい?」
首を縦にふるザックスに、エルメラはそれまでの厳しさを僅かに崩した。
「じゃあ、次だ。マナのコントロールによって自身の身体を強化したり、能力を高める――それが攻撃補助魔法だ。大きく分けて、身体強化、敏捷強化、攻撃力強化、といったものに分けられる」
エルメラは足元の小石を拾い上げる。
「マナで身体の一部を強化する事で、非力な女のあたしでもこのくらいはできる。身体強化は全ての強化系魔法の基本だね」
拾い上げた小石を握りつぶして粉々にする。ぱらぱらとこぼれる小石の破片に唖然としたザックスの眼前からエルメラの姿が消え、突如として彼の背後に現れた。
「今のが、敏捷強化系のスキルLV2の《瞬速》という奴さ。基本的には肉体強化とマナのコントロールだね。優秀な詠唱士系職の補助を受ければこの程度までは可能だが、それ以上は無理だ。自分で会得するしかない。ちょっと力を抜いてみな……」
再びエルメラがザックスの背に手を置く。先程のこともあって、緊張するザックスにエルメラが声音を変えて囁いた。
「大丈夫。今度のは、さっきとは正反対のものさ。心を開いて受け入れてごらん」
大人の女性の香りが鼻腔をくすぐり、背に添えられた手のひらの温かなぬくもりにザックスはどきりとする。
瞬間、世界が揺れた。
驚きの声を上げザックスはその異常な世界を体感する。周囲の全てがゆっくりと動く中、自身だけがいつもと変わらぬ時間の中を過ごす。数歩踏み出して振り返った彼は、意識と現実の距離感の隔たりに大きく戸惑った。
「今のが、敏捷強化系LV1の《加速》だよ。その感覚を忘れずにまずは慣れる事だね」
直ぐに効力が途切れたのか、近づいて来たエルメラは普段通りの動きだった。
「感覚を再現し、イメージする事。それが全ての魔法の基本さ。そこから先の世界は自分で感じ取って作り上げて行くしかない」
僅かに表情を引き締め、彼女は続けた。
「ザックス、あんたの魔法への順応性は普通じゃないよ。最初のは中級職の魔術士でもかなりの時間がかかるものなのに、あんたはわずかな時間でそれをやり遂げちまった。《閃光弾》の時といい、はっきり言って、異常だよ。今のアンタは……」
ザックスの表情が曇った。自分が異常だと言われて喜ぶ人間は少ないだろう。
「だけどね、それは冒険者としては大きな武器になるかもしれない。もしかしたら、あんたの置かれた今の状況を乗り切るための大きな武器にね……。だからそれを大事にしな。そして自分で高めて使いこなすんだ。今のアタシには、その程度のことしか言えないよ」
「あ、ああ」
僅かに淋しげな笑みがエルメラの顔に浮かんだ。己の身体を不思議そうに眺めるザックスを置いて、エルメラはダントンに向かって言った。
「アタシの手ほどきはここまでだよ。あとは言い出しっぺのダントン、あんたがやりな!」
「おいおい、姐さん、そりゃ無責任ってもんだろ。最後まで面倒をみてやるのが『いい女』ってやつじゃないのかよ」
「バカ言ってんじゃない。アタシは面倒見のいいあんたと違って暇じゃないんだ。だいだい魔法ってのは理屈ときっかけさえ与えれば、後は自得するしかないものさ。必要なことはすべて与えた。百聞は一見に如かず、百見は一触に如かずってね。アタシが教えることなんてもう何にもないんだよ」
「何、言ってんだ、姐さん。戦闘以外にも教える事なんていくらでもあるだろ。冒険者生活の裏側のあれこれを年上の女が優しく手ほどき……わっ、危ねっ、何すんだよ!」
突如として空中に現れた火球がダントンを襲う。鮮やかにそれをかわしたダントンの姿にちっと舌打ちをすると、役目は終えたと言わんばかりにエルメラは颯爽とその場を立ち去ってゆく。その後ろ姿を、ザックスは唖然として見送った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
夕食時――。
腹をすかせた冒険者達が一斉に押し寄せ、一日の内で酒場が最も賑わう。
僅かに疲れた表情を浮かべて足を引きずるようにして階段を上ったダントンは、なじみの卓にどっかりと腰を下ろす。注文を聞きに来た大山猫族の看板娘の尻をするりと撫で上げ、その尾でピシャリとはたかれた。
「あの坊やはどうしたんだい?」
先に卓についていたウルガとエルメラの二人とジョッキを合わせたダントンは、ほっと一息ついた様子でぽつりと呟いた。
「あいつなら疲れて宿の自室だ。あの調子だとおそらく朝までぐっすりだな」
目の前の料理に手を伸ばすダントンに、皮肉気な笑みを浮かべてエルメラは続ける。
「現実って奴が、よく分かっただろう?」
だが、その問いにダントンはレンゲン鳥の丸焼きにかぶりつこうとした手を止め、僅かに沈黙すると彼女に言った。
「ああ、そうだな。『事実は物語より奇なり』って言葉を、よーく、思い知らされたよ」
意図の読めないその言葉にウルガとエルメラは顔を見合わせる。二人の様子にかまわずダントンはかぶりついた肉を運ばれてきた麦酒で流し込んで、一息ついた。
話は時を遡る――。
その日の朝食をとっていたウルガ達三人の前に現れたザックスは、その席上で自身の思いついたとある計画を提案した。
それは次の満月の晩での戦いにおいて、彼らを手助けする為の奇妙奇天烈な一手であった。だが、決して実現不可能でないその提案に、ウルガ達三人は複雑な想いを抱える事となった。
しばらくの議論の後、その計画を実現する上でどうしても外せない問題――ザックスの実力の底上げを行うべく、エルメラとダントンは彼を伴って闘技場へと向かった訳である。
「姐さんが行っちまった後であいつと手合わせをしてみたんだが、姐さん達の言うとおり、初めの内は確かに使えるという言葉とは程遠かった」
僅かに言葉に含みを持たせ、ダントンは話を続ける。
「さすがに《フィルメイア》だけあって、一通りの武器の扱いには心得があるらしい。だが、冒険者としての地力と経験の差は如何ともしがたいものだった」
フィルミナ首長国連邦――サザール大陸の南端に位置するいくつかの部族からなる国とも呼べぬ小さな国である。
遠い昔に滅びた大帝国の末裔である彼らは、短い夏と長い冬を過ごすその土地に暮らし、豊かさとは無縁である。若者たちの多くは傭兵あるいは交易者となって大陸の方々へと散って行く。深い赤みを帯びた瞳が特徴的な彼らは《フィルメイア》と呼ばれ、その傭兵団の精強さは他に及ぶものはなく恐れられる。子供の頃から武器の扱いを自然と覚えさせられる環境が、ザックスの冒険者としての戦闘技術の根幹を支えていた。
「しばらくは武器の扱いと力の見定めを行っていたんだが……。そのうちぶつぶつと何やら呟き出してな。休憩の後で再び手合わせを始めたら……」
僅かに言葉を切って、麦酒に口をつける。いつしか話に聞き入っているウルガ達二人にニヤリと笑みを浮かべると、さらに続けた。
「あいつ、《部分強化》を使いやがった」
「なんだって……」
「驚くのはまだ早いぜ、姐さん。それだけじゃないんだ。さらに手合わせを続ける中であの野郎、いろいろと試し出して……。面白かったんでこっちもつき合ってたら、なんと《加速》を使って俺から一本、取りやがった」
「そんなバカなことってあるもんかい! あいつに魔法を教えたのは今日が初めてなんだよ。僅か半日で、身体強化系と敏捷系の強化魔法を二つも習得しちまったっていうのかい」
「事実なんだから仕方ねえだろ。第一、あいつの魔法に対しての異常性ってのは、姐さんの折り紙つきじゃねえか。なんだったら明日、クナ石を見せてもらえよ。特殊スキル欄に《加速》と《部分強化》ってのが、表示されてるから」
ダントンの言葉に二人は絶句する。彼が嘘を言うはずはないのだから、それは事実であるに違いない。
「俺だって目を疑っちまったよ。使うたびに徐々に精度が上がっていく様子はまるで何かを思い出すかのようだった。奴が《戦士職》である事を考えても、こいつは間違いなくあいつ自身の固有スキルだよ」
運ばれてきた料理を平らげながら、ダントンは僅かに嬉しそうな笑みを浮かべていた。
「こいつはもしかしたら、もしかするかもしれねえ。あいつが使えるようになれば、俺達にも希望が湧くってもんだ」
「どうだろうな……」
それまで黙って聞いていたウルガが、初めて口を開いた。
「どんなにスキルを覚えたところで今の奴は唯の駆けだし冒険者だ。みすみす死なせることになるのが落ちだろう」
「分かってるさ、旦那。あいつがせめて自分の身を自分で守れるだけの実力を付けさせるよう、ハードルは高めに設定するつもりだ。旦那と姐さんの二人が納得するぐらいにな」
「そんなに簡単にいくのかい?」
「やってみなけりゃ、分かんねえだろう! やらないうちから駄目だなんて決めつけるのは俺達の流儀じゃなかったはずだ!」
珍しく語気を荒げてダントンは持っていたジョッキを机に叩きつける。陽気なダントンには珍しい激しい口調に、一瞬店内が静まった。再び喧騒が戻りつつある店内の空気を感じながら、エルメラが口を開いた。
「そういって、あたし達はもう何度も取り返しのつかない失敗をしてきたんじゃないのかい」
「分かってるさ、姐さん。でもな……」
いつもの調子を取り戻したダントンが答えた。
「今回は俺達がこの五年間で得られた中で最大のチャンスなんだぜ。もう次はないかもしれない、って分かってるだろ」
二人の視線が下を向く。例え超一流の冒険者であったとしても思うようにならぬ事があるという事はこの数年の経験で身にしみていた。
「二人とも、いつまで奴に縛り付けられてるつもりだい?」
「奴に縛られてるのは、あんただって同じだろ」
「ああ、そうさ。俺は姐さん達とは違った意味で奴を追い続けてきた。『復讐』ってやつでな。でも俺達の奴へのこだわりが、俺達自身だけでなく周囲のやつらにも悪影響を及ぼしてるって事に、旦那も姐さんもうすうす気付いてるはずだぜ。冒険者の先頭に立ち続けてる俺達がいつまでも立ち止まっていれば、後に続く奴らは皆行き先を見失っちまう」
「否定はしないよ」
「それに正直、俺はもう耐えられそうにない。ここできっちり区切りをつけなきゃ、いつまでもずるずると永遠に引きずってしまう、そんな気がするんだ」
「だから、あの駆けだしを犠牲にするのか?」
「やみくもにそうする訳じゃねえ。あくまでもあいつがうまく立ちまわれるようになる事が前提だ。最終的な判断は旦那と姐さんに一任するよ。あいつの力を借りたい、って二人が言わない限り、俺はあいつを連れていくつもりはねえ。ただ、そう出来るよう、時間の許す限り、俺はあいつを鍛えるつもりだ。それだけは譲るつもりはねえ」
三人の視線がぶつかり合う。やがて、諦めたようにエルメラがぽつりと呟いた。
「ダメだといってもやる気なんだろう。それがアンタのやり方だもんね。だったら好きにしな……。でもね、ダントン」
僅かに言葉を区切る。
「あんたが全てを背負い込む必要はないんだ。あたし達はこれまで三人でやってきた。得るものも失うものも三人同じだって事を、忘れないでおくれ」
「分かってるよ、姐さん」
僅かに薄暗い明りの下で3人はジョッキを合わせる。多くの想いを共有してきた三人にとっての決意の証だった。
2011/07/20 初稿
2013/11/23 改稿