16 シーポン、唄う!
結局、怒髪天を衝く勢いのアルティナに対して、人生の理不尽さを感じながらも『ド・ゲーザ』なる作法で謝り倒してようやく解放されたのは、それからしばらくたってからだった。慣れぬ奇妙な座り方によってしびれた足の痛みに二人で転げ回ったのは、いつかきっと良い思い出になるはずだ。こんな痛みを二度と味わいたくなければ同じ過ちは繰り返すな……おそらくこれはイステイリアの先人達の大いなる知恵なのであろう。
足のしびれが取れてようやくまともに歩けるようになったザックス達一行は淡く輝く半月の空の下、暗い夜道の中を湖に向かって注意深く歩を進めていた。
「そういや、お前達、どうやってここまで登ってきたんだ? 途中のつり橋は落とされていたはずだろう」
「つり橋? 何よ、それ?」
きょとんとした顔のアルティナにザックスは嫌な予感を覚えた。
「私達は候爵さんから聞きだしたとおりのなだらかな山道を駆けあがってきたんだけど……」
「あの、クソ盗賊……」
どうやらザックス達は初めから彼の手の内で踊っていたらしい。己のマヌケさをわざわざ吹聴する必要もないだろうとザックスは先を急く事にした。
先頭に立ったザックスは、サンズに借りた万能ナイフの輝く刃を松明代わりに掲げている。なんでも途中で立ち寄った《ファンレイヤ》の出店で露店商人から30本4000シルバで買い叩いた冒険者協会推薦の品であるらしい。
『紛い物はそれにふさわしい適正な価格で買い取れば一掃されるものですよ』
というのがサンズの言だが、それを聞いたアルティナが複雑な表情を浮かべたのはザックスにとって謎だった。
「それではちょっと失礼して……」
湖に近づくとサンズはマナの光に輝く数本のナイフを周囲に放り捨てる。刃にぼんやりと湛えられた輝きが暗い湖畔をうっすらと照らし出した。
ひざ下程度の深さの湖の水面には天に煌々と輝く半月が映り、湖の周辺はどこか幻想的な光景に包まれていた。
「なかなか美しい眺めでござるな」
イーブイの言葉が風に乗って周囲に響き渡る。
「どうやら薬草は無事みたいだな」
それなりの広さを持つ湖の中ほどにある小島には見慣れぬ草が辺り一面に生えている。骸骨達に踏み荒らされる事もなく、エルフ娘の放火からも難を逃れたその場所は全くの静寂に包まれていた。
「歩いて渡らなければいけないのかしら……」
周囲を見渡しながらのアルティナの言葉を否定する要素は皆無である。さらに、今のところこの場所に存在するという謎の魔物の気配は全くない。
「仕方ない、行こうか……」
腰の《ミスリルセイバー》の柄を握りながらザックスは歩みはじめる。湖に一歩足を踏み入れた瞬間、何か奇妙な感覚が全身を駆け抜けた。過去に経験のある感覚が全身を駆け抜け、立ちくらみを覚えたザックスは歩みを止めた。
「大丈夫ですか、アルティナさん」
サンズの声に振り向いたその先で、顔色を青くしたアルティナが目の焦点が合わぬままに立ちすくんでいる。
「これは、もしや……」
《吟遊詩人》のシーポンがふらふらと前に歩み出し小島の中ほどに目を凝らした。
「いかんでござる! アルティナ殿、すぐさま《風の結界》を!」
珍しく慌てた様子のイーブイが先を行くザックスとシーポンの肩を掴んで引き戻す。サンズに肩を揺すられて我に返ったアルティナは、慌てて言われたとおりに風の結界を張った。
外界の音が遮断されると同時に、奇妙な不快感がぴたりと収まり彼らは皆顔を見合わせた。
「一体どういう事だ、イーブイ?」
ザックスの問いにイーブイは眉を潜めて答えた。
「『音』でござるよ、ザックス殿。我らは『音』によって操られそうになったのでござる」
「『音』? 俺の耳には何も聞こえなかったぞ」
「それが問題なのでござる。この事についてはシーポンの方がおそらく詳しいでござる」
先ほどから珍しく厳しい表情で何かを考えている様子のシーポンに一同の視線が集まった。暫くのあいだじっと小島の方を眺めていたシーポンだったがやがておもむろに語り始めた。
「私達吟遊詩人の歌声には、極めるべきいくつかの境地というものが存在します。それらの中に《悪魔の旋律》と呼ばれる物があります」
「《悪魔の旋律》?」
「人の耳には直接聞こえないのですが、確かに存在する音階。それを極めれば他者の意識を奪ったり、自由に操ったりする事が可能といわれています。《吟遊詩人》の世界でも滅多にその使い手は現れないといわれる音階です」
「時々新曲と称してシーポンが無意識に発するあの時の声に混じっているでござるよ」
シーポンとの長い付き合いで、イーブイ達にはそれなりに耐性があった為にいち早く異常の正体に気付き、ザックスは難を逃れたのだった。おそらくボイド達はその声につかまって悲劇に巻き込まれた――そう解釈してよいのかもしれない。
「あの場所の中心部にはぼんやりとですが召喚魔法陣が見えます。おそらく近づけば件の魔物が現れることになるでしょう。どうやらここから先は私一人で行かなければならないようです」
「ちょっと待て、シーポン。一人でどうするんだ」
「さすがに薬草の生えたあの場所で戦闘する訳にいかないでしょう。私も初めての試みですが、歌による《調伏》を行ってみようと思います」
「《調伏》?」
聞きなれぬ言葉にザックスは困惑する。イーブイやサンズもどこか厳しい表情で、小島に目を向けている。
「一人じゃ危険だ。俺達も一緒に行こう」
「残念ながらおそらくそれは無理だと思います。この距離でもあれほどはっきりと音による効果が出るくらいです。多分近づけばこの程度の結界ではおそらく持たないでしょう」
「シーポンは大丈夫なのか」
「私には歌があります。歌を武器にする……あまり気の進まぬ事ですが、互いの音を打ち消す効果が私自身を守るはずです。ですが、周囲に身を置けば私達の歌の効果をまともに受け、どうなるかは正直分かりません」
その言葉に一同は沈黙する。しばしの間をおいて口を開いたのはイーブイだった。
「分かり申した。シーポン、ここはお主に任せたでござる」
「そうですね、気をつけて」
サンズがさらに声をかける。
シーポンのよき理解者である二人がそう信じた以上、ザックスも又信じるしかない。
竪琴をホロンと一つ掻きならすと、楽しげな曲を演奏しながらシーポンは湖の中に歩き出す。
その姿が湖の中ほどまで進んだ時だった。小島の魔法陣が一段と輝きその上に魔物の姿が現れた。
「あれは……」
召喚陣の上に現れたのは女性の姿をした魔物だった。出現と同時にその魔物は奇妙な旋律を口ずさむ。
「《セイレーン》……ね」
アルティナの声が結界内に響き渡る。
「《セイレーン》でござるか? こんな場所で……」
その歌声で水上の船や旅人を引き寄せては水中に引きずり込んで行く。船主や水夫には恐れられる魔物である。
モンスターLVこそBランクで、攻撃力はさほどでもないが、音を武器にする以上、出現場所によっては手がつけられなくなる事もあるらしい。
「仕方ないわ。ここは一応、水辺だし……。それにこんなにマナが猛り狂っている場所なら、何が出てきてもおかしくないわ」
アルティナが言うにはこの山のマナの流れは極めて異常な状態にあるらしい。植物や気候もその影響を受けて、このような夏の山と変わらぬ状態を一年中保っているようだ。
湖面の中央に立ち止まったシーポンは、竪琴の曲調をがらりと変えて高らかに歌い始める。生への賛歌、戦いの歌、創世神を称える歌。これまで幾度も耳にしてきた数々の歌を以て、シーポンは《セイレーン》の前に立ち塞がっていた。
《セイレーン》の歌声とシーポンの歌声が激突する様が、湖面に波紋となって描きだされる。
状況は不利だった。
セイレーンのいる小島から水に伝わる波紋に比べて、シーポンの周囲のそれは圧倒的に小さかった。
そんな事など見えていないかのように竪琴を奏でながら一心不乱に唄い続けるシーポンの姿に、後方の結界内のザックスは小さな違和感を覚えた。違和感は徐々に膨らみザックスの心を揺らす。
心の中になにかが引っ掛かりその正体を見出すべく記憶を探る。
ふとザックスの脳裏にエルタイヤで《シーポン》と過ごした日々が思い出された。
そして、その瞬間違和感の正体がはっきりとした。
「違う、シーポン。それではダメだ。そんなやり方は間違ってる!」
ふらふらと前に歩み出そうとしたザックスの肩を慌ててイーブイが掴んだ。
「どうしたでござる、ザックス殿。それ以上前に出ては歌の餌食でござるよ」
「放してくれ、イーブイ。俺はシーポンに伝えなければいけない事がある」
「無茶でござる。ザックス殿。いかに不利な状況であっても、今の我らは黙ってシーポンを信じるしかないでござる」
「そうじゃないんだ、イーブイ。あのままではシーポンは絶対に勝てない。いや、シーポンは勝っちゃいけないんだ」
その言葉にイーブイが目を見張った。次いでサンズがハッと息を飲む。事情の分からぬアルティナはおろおろしているだけである。
「そういう事でござるか……。確かにザックス殿の言う通りでござる」
「シーポンにどうにかして伝えねばなりませんね……」
イーブイとサンズが互いに顔を見合わせる。
「一体どういうことなの、ザックス。私にも分かるように説明してよ」
「ええと、だな……」
戸惑うアルティナになんとか説明を試みようとしたザックスだったが、どうにもうまく言葉が出てこない。感覚的なものを言葉で表現しようとする事にどだい無理があるというものだ。
「とにかく、今はシーポンに彼が間違っている事を伝えなきゃいけないんだ。イーブイ、どうにかならないか」
その言葉にイーブイは眉を曇らせる。
「今のシーポンは完全にトランス状態に入っておるでござる。誰かがすぐ側まで行って直接身体に触れねばおそらく気付く事はないでござろう」
距離にしてわずか50歩程度だが、そこにたどり着くまでには恐ろしく長い時間がかかりそうだ。
「アルティナ殿、風の結界を拙者の盾を中心に作れるでござるか」
「出来ない事はないけど……」
「では、頼むでござる、ザックス殿は拙者の背後にいて下され、なんとかザックス殿をシーポンのところまでお連れ申す」
「待って、それなら私も行くわ。直ぐ近くで理力の続く限り結界にマナを送り続けて強化すればもっと成功の確率は上がるはず」
「かたじけないでござる」
「では私もお供します。残る理力を注ぎ込んでみなさんに回復魔法をかけ続けましょう」
4人で身を寄せ合い、アルティナはイーブイの盾を起点として、風の結界の密度を高めて行く。
「では皆さん、気休め程度にしかなりませんがこちらを使ってください」
サンズからマジック・アイテム《耳栓》を受けとり装着した4人は、魔法障壁の盾を展開したイーブイを先頭に、ザックス、アルティナ、サンズの順に縦に並んで湖の中で歌い続けるシーポンに向かって歩き始める。湖水に膝までつかって歩く4人に、風の結界を通り抜けた容赦のない音の牙が襲いかかった。
「く、くう……」
展開したシールドを支えながら先頭のイーブイが歯を食いしばり、一歩一歩前に進む。一歩進むごとに重くのしかかる音の壁を押し返しながら4人は前に進む。
4人の中で最も耳のよいアルティナはすでに顔面蒼白の状態であり、前を行くザックスの背に寄り掛かりながら、必死で結界に理力を送り続ける。
およそ30歩近く歩いたところで、最初に最後尾のサンズが脱落した。
「す、すみません。私はここまでです。構わず先に進んでください」
堪らずに湖面に手と膝をつく。今日一日ザックスとの無茶な登山と激しい戦闘に付き合い続けた彼女である。限界を迎えるのは不思議ではない。
「サンズさん」
倒れた彼女に手を伸ばそうとするアルティナも、耳を押さえてザックスの背に寄りかかる。
「前に進むでござる」
決して後ろを振り向こうとせぬイーブイの言葉に二人は黙って従った。だが、さらに十歩進んだところでついにイーブイが膝をつく。
「く、くう」
苦悶の表情を浮かべながらもさらに先を進もうとしたイーブイだったが、ついに力尽きた。
「す、済まぬザックス殿、せ、拙者もここまで……」
激しい音と共に水面に倒れ込む。あわてて魔法障壁の籠手を展開させ、そこにアルティナが風の結界を掛け直したが、途端にザックスの身体に凄まじい圧力が襲いかかった。
「イーブイ、あんた、こんな物に耐えていたのか」
圧し掛かるような音の壁を補助魔法を駆使してどうにかこらえたザックスだったが、そのままそこから一歩も動けない。ザックスよりも遥かにマナの加護の小さいはずのイーブイがここまでやってきたのは脅威だった。
後十歩、ほんの僅かな距離があまりに遠くに感じられる。
「ザ、ザックス、ゴメン、わたしも、もう……」
彼の背にもたれかかっていたアルティナも小さく震え始めている。途切れそうな意識の中、最後の気力を振り絞って結界にマナを送り続けているようだ。
そんなアルティナを背負い、しゃにむに足を前に踏み出す。
一歩、そして、さらに一歩。狂乱する音の牙を籠手の障壁で受け止めながらの前進はもはや拷問という言葉すら生温い。ついに力尽きたのかザックスの背の上のアルティナはピクリともしない。どうやら残ったのはザックス一人のようだった。
だが、そんなザックスにも限界は訪れる。
今日一日相当な無茶をしていたツケがついに回ってきたらしい。気絶したアルティナを背負ったまま泉に片膝をつく。
ザックスの直ぐ鼻先で一心不乱に唄い続けるシーポンの生み出す音の波紋は、今やセイレーンの生み出す音の波紋に飲み込まれようとしていた。
「畜生、ここまで来て倒れられるか!」
気合と共に立ち上がる。と、ザックスの籠手に白い手が重ねられ、途端にザックスの魔法障壁の結界が強い輝きを放ち、のしかかる音の圧力が先ほどよりも遥かに小さくなった。
「アルティナ、お、お前……」
気絶したはずのアルティナが再び目を覚まし、結界の強化を行っていた。
「女だって、気合なのよ……」
小さく耳元で呟いた。
「見て……」
アルティナに促されるままに自身の右腕に目をやると、そこにあるウルガの腕輪がぼんやりと明るく光っている。これは何か新しい能力の発現なのだろうか?
「あと少しだ! 」
アルティナを背負ったまま立ち上がったザックスは、倒れ込むかのように残りの数歩をふみだす。そしてついにザックスの腕がシーポンの肩をしっかりと掴んだ……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
突然己の肩を掴まれる感触に驚いたシーポンは、唄い続けながら背後を振り返った。そこに立っていたのは背に相棒のエルフ娘を背負ったまま真っ青な顔をしたザックスの姿だった。
(一体、どうして……)
そんなシーポンの心など意に介さぬようにザックスはシーポンの目を見つめている。次の瞬間、確かに、彼は何事かを呟いた。だが、この状況ではシーポンの耳に聞き取れるわけがない。そのままザックスの身体はシーポンの目の前で倒れ、相棒と共に水に沈んでいった。
(ザックスさん、どうしてこんな無茶を……)
倒れた二人を慌てて引き起こそうとするが、今、歌を止める訳にはいかない。助けを求めようとさらに振り返ったその先には水面に漂うイーブイとサンズの姿がある。
(一体皆さん、どうしたというのですか……)
ここは自分が任されたはずである。過去このような場面は数少ないものの、常に彼はその信頼に十二分に答えてきたはずだった。
(私は信頼されていない?)
だが、その考えは直ぐに打ち消される。長い付き合いである。仲間達との繋がりはもはや疑うべくもない。
(では、どうして……)
この場所までやってくる事が危険である事は分かっていたはず。にも拘らず、彼らはそれを顧みずに自分の元にやってこようとした。それは……。
(何かを伝えたかった……)
そう思い至るとすべてが繋がってゆく。彼らは何かシーポン自身の過ちに気付いたに違いない。そして彼に何かを伝えようとしたのはザックス自身だった。おそらくザックスがその鍵を握っていたのだろう。
(ザックスさん、貴方は一体、何を私に伝えたかったのですか?)
相棒のエルフ娘を守るかのようにして気絶したまま水面にたゆたうザックスの姿を見つめながら、シーポンはザックスと過ごした時間を振り返る。彼との思い出といえば《エルタイヤ》での再会だろう。
《エルタイヤ》の風景が脳裏をよぎる中、ふと、とある光景を思い出す。
言い争う店主と客、間にたったシーポンとザックスによる説得、そして、店主が見失っていたもの……。
(ああ、そうだったのですね……)
ザックスが伝えたかった事が何なのか、今、シーポンにははっきりと分かっていた。改めて周囲を振り返る。自身の歌によって苦しむ仲間達の姿に嫌悪感を覚えた。
(私は、なんと醜い歌を唄っていたのだろう)
眼前に現れた醜悪なセイレーンの姿に負けたくない一心で自身の音を掻きならす。そんな浅ましい音色に魂がこもる訳がない。
自身の奏でる音色が自身だけでなく周囲全ての人を楽しませてこその音楽――それこそがシーポンが目指したものだったはず。
行き着く先はさらにその先。吟遊詩人の究極の境地など所詮結果論でしかない。
大切なのはそこに至るまでに出会った多くの人々と共有する時間である。《調伏》という言葉に惑わされて、眼前にあるものを敵と決めつけて怯え、否定してしまう音楽に安らぎなどあろうはずもない。
そう思い至ったシーポンは唄う事を止め、竪琴を一心不乱に掻きならしながら、セイレーンの詩に耳を傾けた。徐々に自身の心を支配してゆく旋律を、感覚の全てを投げ出して受け止める。それで飲み込まれてしまうならば、己の器量など所詮その程度の物という事である。
どこか悲しげに聞こえるセイレーンの詩に竪琴の音色を合わせながら、自然に浮かび上がる音色を口ずさむ。もはや言葉の体すらなしていないシーポンの歌声とセイレーンの歌声が徐々に調和し、悲しげに聞こえたセイレーンの歌声が少しずつ明るく楽しいものへと変わってゆく。
(そう、私達は共に喜びをわかちあえるのです)
例え魔物と人間であろうとも、音を奏でるその行為は同じ。誰かに己の存在を知ってほしい。それこそが世界中で様々な音を奏でる者達の共通の願いである。
――そして、奇跡が起きた。
湖面で対立していた二つの波紋が一つに合わさると同時に、水面下に眠っていた幾つもの花のつぼみが開く。水面に咲き乱れた花々からは幾つもの光が宙に舞い上がり、暗がりの周囲を明るく照らしていく。幻想的な光景の中、今、完全に一つになった二つの音色がハーモニーとなって周囲に響き渡る。
ふと、自身とともにあった音色が次第に小さくなってゆくのを感じたシーポンが目を開けたその先に見たのは、召喚魔法陣の上で光を放ちながら徐々に消えてゆくセイレーンの姿だった。
――楽しかった、ありがとう……。
消えてゆくその光の中でシーポンはそんな声を聞いたような気がした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
どこか遠くから放たれる柔らかな甘い香りに誘われてザックスは目を覚ました。自身の顔を間近で覗き込むアルティナに驚いたザックスは彼女の膝の上から飛び起きる。
「魔物はどうした?」
周囲をきょろきょろと見回すと、そこには湖面に光の花が咲き乱れるあまりにも幻想的な光景が広がっていた。
「綺麗でしょう?」
アルティナの言葉に素直に頷いた。
「目が覚めたようでござるな」
近づいて来たイーブイがザックスに声をかける。
「一体、どうなってるんだ」
「魔物は無事に《調伏》されたでござるよ。いや、正確には《調和》したのでござるかな」
聞きなれぬ言葉にザックスは不審気な表情を浮かべる。そんなザックスにシーポンが黙ってクナ石を差し出した。シーポンのステータス値の称号欄に《調和者》という見慣れぬ言葉が現れていた。
「正確な事は私にも分からないのです。ただ、心の赴くままに魔物と歌い楽しんだ。その結果がこの光景を生んだのです」
「魔物と共に歌った?」
想像のつかない状況にザックスは当惑する。
「惜しむらくは誰もその状況を見ていなかったということですね。千載一遇の機会を楽しんだのはシーポンただ一人ということでしょうか?」
「まったく惜しい事をしたでござる」
サンズの言葉にイーブイが相槌をうった。
「じゃあ、ここはもう、安全なのかしら」
「暫くは安全でござろうな。ただ、この先もどうかは分からぬでござるが……」
「魔物と共に歌う……、一体どんな歌だったのかしら」
アルティナの問いにシーポンがぽつりと呟いた。
「もしかしたらそれは、錯覚だったのかもしれません。あの魔物はもしかしたら私達の心の鏡、そこに映った像は見る者の心掛け次第でどうにでも映ってしまうと考えた方が現実的なのかもしれません」
「なんだか夢のない話ね……」
「夢を追うのも現実を直視するのも《冒険者》に必要な事でござるよ」
「そうですね……」
「何にせよ、後は薬草を持って帰るだけだな……。いそぎ手分けして薬草を集めよう。夜が明けてすぐに下山すれば、夕方までにはふもとに辿りつけるはずだ」
「分かりました。目的を果たさぬうちはまだまだ気を抜く訳にはいきません。それでは……、景気づけにたった今、思いついた新曲を一つ奏でてみる事にしましょう」
完全な不意打ちだった。
言葉と同時に周囲に恐るべき《悪魔の旋律》が流れる。
もしも白目をむいて倒れた者達と難を逃れた者達との差を問われたならば、それは件の吟遊詩人との付き合いの長さの差である、と答えるべきであろう。
2012/04/04 初稿