12 鉄機人、暴れる!
アマンダの紹介状を受け取って店を後にしたザックス達だったが、そんな彼らに物陰から声をかける者が現れた。
「ちょっと待ちな、《魔将殺し》の兄ちゃん」
その言葉に僅かに警戒の色を示す。自身の経験上、「魔将殺しの……」などという言葉で声をかけてくる見ず知らずの人間にはろくな奴がいないのだが、その男も多分に洩れず怪しげな風采だった。どこか疲れ果てた様子から四十近くにもみえるのだが、実際はもっと若いのかもしれない。首元から僅かに覗くクナ石が、彼が冒険者である事を示している。
「何か用か?」
ザックスの問いに男は怖じる様子もなく答えた。
「ルドル山に登るつもりだってな。そのメンバーで無事に生きて帰るつもりか?」
「ああ、そのつもりだ」
間髪いれずに答えたザックスの言葉に、男は一瞬言葉を詰まらせる。
「悪いが、用が無いなら行かせてもらうぜ。事態は急を要するんだからな」
「ま、待てよ」
先を急ごうとするザックス達の前に男は慌てて回り込む。
「よかったら、俺も同行させてくれないか。こう見えてもマナLV39の《盗賊》だ。そっちのお嬢ちゃんなんかよりも遥かに戦力になるはずだぜ」
「あんたが、か?」
クナ石を指し示しながらの意外な申し出にザックス達は顔を見合わせる。一人でも協力者が多いに越した事はないが、目の前の男は見るからに怪しげである。
「失礼ですが、どうして私達に同行を? この街の冒険者なら《ルドル山》の事情はご存知のはずでしょう?」
サンズの問いに男は僅かに視線を揺るがせる。
「そ、そりゃ、ガキ共の為さ。俺もこの街に暮らす人間だからな。こんな小さなお嬢ちゃんがこの街の為に命をはろうってのに、この街の冒険者が見て見ぬふりをする訳にはいかねえだろ」
「そうですか」
暫し男の目をじっと見つめていたサンズだったが、振り返るとザックスとイリアに言った。
「彼の同行を別に反対するつもりはありません。お二人はいかかですか?」
サンズの問いにイリアは僅かに不安げな様子でザックスを見つめる。一同に注目されたザックスは僅かに黙考した後で答えた。
「仕方ない。今は一人でも協力者が必要な時だからな。ただし、オレ達についてくる以上、勝手な真似は遠慮してもらうがいいか?」
「ああ、分かってる。ボイドだ。よろしくな」
「ザックスだ。後ろの二人はイリアとサンズだ。よろしく頼む」
互いに握手を交わし、先を急ぐ。ザックスを先頭にイリア、ボイド、そして殿にサンズの順で歩き始めた4人の姿は、冷たい風の吹きぬける人気の途絶えた乾いた街角に消えて行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《アテレスタ》から離れておよそ一日半。ザックス達の姿は《ルドル山》を領内に持つワイアード候爵の屋敷前にあった。
神官長のアリウスの手配した三頭の馬にそれぞれ分かれて、彼らはここまでの道のりを急いだ。
「大丈夫か、イリア」
冷たい風の中を馬の息の続くかぎり走り続けてきた道中は、鍛えた《冒険者》であるザックス達にもきついものだった。フィルメイアから離れて以来の騎乗であったザックスの背にしがみついて揺られ続けたイリアの消耗は相当に激しく見える。そんな様子をおくびにも出すまいと気丈にふるまう少女の心配をしながら、彼らは候爵の屋敷の門を叩いた。
出てきた家人の慇懃無礼なふるまいに内心大きく苛立つザックスだったが、イリアが自身の身分を明かし、神殿からの紹介状を出した途端にその態度は一変した。
余りの落差に唖然としながらも館に招き入れられたザックス達だったが、肝心の侯爵はなかなか現れない。《アテレスタ》では決して口にする事の出来ない素材をふんだんに用いた軽食を振舞われながら、刻一刻と過ぎて行く無駄な時間にザックスはいら立っていた。
サンズとイリアは暖かな暖炉の側で肩を寄せ合ってうとうとしており、ボイドは気ままに時間を過ごしている。
ここまで共に同行してきたボイドは積極的にこのクエストを成功に導こうとする気概がある訳でもなく、どこか冷めた態度のその姿は、焦りを覚えるザックスの勘になぜか障った。もっともつまらぬことで諍いを起こす訳にはいかない。自身も含め4人の命を預かるパーティリーダーとしての責任感から生じる気遣いが彼への不満を薄めていた。
(そういや、アルティナには気遣いなんてしたことなかったな……)
良いか悪いかはともかくとして、彼女と共にいるときの奇妙な安心感が懐かしかった。
夕刻近くになって、無為に時間を奪いとられたザックスがいら立ちを隠せなくなってきた頃、ようやく候爵と名乗る壮年の男が彼らの前に現れた。
彼の身なりはさほど派手なものではなかったが、創世神殿の神殿巫女であるイリアにへりくだる姿と3人の冒険者達への慇懃無礼な振る舞いは、間違いなく貴族そのものだった。
時を無駄に過ごさせたことへの詫びもなく、傲慢な態度で尊大に振舞う候爵にザックスはいら立ちを飲み込んで事情を説明して、入山許可を望んだものの、候爵の返答は色よい物ではなかった。
「残念だが、あの山への入山は許可できんな、立ち去るがよい」
「そう言う訳にはいかないな! 誰かが行かなきゃ多くの子供たちが死ぬ事になる。だいたいあんたのところだって他人事じゃないだろうが」
「我が領地の心配なら無用だ。冬の初めのうちにとっくに対策済み。我が領内からはハツカル病で死ぬものは一人としておらん」
「あんた……。薬があるなら《アテレスタ》の人たちに分けようという発想はないのか」
「山がああいう事になって以来、薬草も貴重でな……。さほど量があるわけではない。尤もあったとしてもあのような街に渡すつもりもない。今のあの街に必要なのは大きな嘆きだよ。冒険者」
まるで他人事のその言葉にザックスは舌打ちする。同じ言葉を話しているつもりだが会話が通じない。互いの見ている世界が違いすぎるが故に、そんな気分にさせられるのだろう。
「だったら、せめて、入山許可だけでも頂けませんか。貴方に御迷惑はおかけしません。私達で何とかします」
イリアの言葉に侯爵は小さくため息をつく。
「迷惑はかけない……ですか。貴女方が当屋敷に訪れられた時点でもうすでに十分に迷惑なのですがね、巫女殿」
「そんな……」
沈黙が訪れる。
「仕方ねえ。御貴族様がこうおっしゃられてるんだ。諦めて街に戻る事にしようぜ……」
全くやる気のないボイドの言葉にザックスは怒った。
「バカ言うな、手ぶらで帰られるか。こうなったらこのおっさん、ふん縛って、強硬策にでるしかないな」
その言葉に侯爵は、再びため息をついた。
「まったく、これだから《冒険者》という輩は……。まあ、よろしいでしょう、私も暴力沙汰は困ります。巫女殿と創世神殿に免じて許可は出しましょう。ただし……」
僅かに言葉を切って厳しい視線でイリアを見つめる。
「巫女殿、あなたが人質としてここに残る事が条件です」
その言葉にザックス達が動揺する。
「あんた、一体、何のために……」
「人質は人質。使い方などいくらでもある。取り戻したければ、貴殿らが薬草を持ちかえれば良いだけのこと。持ち帰った薬草の三分の一と引き換えに巫女殿をお返ししよう。尤も、貴殿らが帰ってくる自信があれば……だがな」
互いに睨み合う。対立する二人の視線を遮ったのはイリアの言葉だった。
「分かりました、私がここに残れば、ザックス様達は無条件で山に立ち入る事が出来るのですね」
「ええ」
「では貴方のおっしゃられる通りに致します。候爵様」
「イリア……」
「行ってください、ザックス様。どうやら今の私はこういう形でしか貴方のお役に立てないようです」
少女は小さく寂しく笑う。
暫くの間見つめ合っていた二人だったが、やがてザックスは小さく息を吐く。
「分かった。イリア、ここで待っててくれ。すぐに帰ってくるから」
「はい、ザックス様」
どこか淋しげでありながら、彼女は懸命に笑顔を浮かべる。
「アンタの言うとおりにしよう。だが、イリアにもしものことがあったらアンタを許さない。オレの全力を以てこの屋敷の人間もろともアンタを血祭りに上げてやる。いいな!」
ザックスの言葉を侯爵は鼻で笑った。
「貴様ごときに言われんでも巫女殿は丁重にお預かりする。神殿と事を構えるつもりはさらさらないのでな……。さっさと行ってくたばるがよい。貴様らごとき下種な輩とこれ以上話す事など無いわ」
その言葉を最後に、睨みつけるザックスに対して関心を無くしたかのように侯爵は振舞う。
「ところで。そこの男、貴殿、以前どこかで会った事はないかな?」
ワイアードの言葉が向けられたのはボイドに対してだった。
「人違いだ、悪いが御貴族様に知り合いなんていねえな……」
「そうか」
目を合わせる事もなくプイと横を向いたボイドの横顔を暫し見つめていた候爵だったが、すぐに興味を無くしたかのように目を逸らした。
「それでは巫女殿はこちらへ。冒険者諸君はここで永遠の別れを……」
言葉と同時に踵を返して退出していく。一度だけ振り返ったイリアがそれに続いた。閉じられたドアには即座に施錠される音が響き、ザックス達は別の出口から退出する事を慇懃に命じられた。
「行きましょう。せっかくのイリアさんの厚意を無駄にするわけにはいきません。」
サンズの言葉に促されザックス達は屋敷を後にする。
日が暮れかけた夜道を疾走するザックスは、その背にイリアのぬくもりがない事に淋しさを感じながら《ルドル山》を目指したのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《アテレスタ》市民集会場。
旧王宮の目と鼻の先にあるこの建物に設けられた会談場の中で、多くの者達がいら立ちを隠せぬままに時を過ごそうとしていた。神官長であるアリウスの依頼によって同行したマリナも又、彼の傍らに座って静かに主賓の到来を待ちわびていた。
神殿に運び込まれる子供たちが徐々に増え始め、一人でも看護の手が必要なこの時に、王宮から薬草を調達する為に協力してほしいというアリウスの申し出はマリナの心を揺らした。
自身の目的の為にも王宮官吏たちと接点を作る千載一遇のチャンスといえるのだろうが、苦しむ妹分の側で己の存在のみを頼みとするジルの側を離れる事には心が痛んだ。
そんな彼女に決断させたのはイリアだった。
ザックスに同行して薬草を採りに行く、そのあまりにも突飛な決意に初めは唖然としたマリナだったが、即座に行動に移そうとする妹巫女に感化されてしまったのは、彼女の若さゆえであろう。
イリアの行動を止めて欲しそうなザックスには悪いが、彼女と同世代の少女たちまでもが病に侵され運び込まれる姿を見ては、今の《アテレスタ》の地からイリアが離れる事は正しい選択のように思えた。
決して無理をしない、そう念入りに約束させてジルと共にパーティの出発を見送ったマリナは、己も又己にしかできぬ事をやるべくこの場所に赴いたのだった。絶大な人気を誇る神殿巫女の偶像としての自分が人々の助けとなるならば、それも已むをえないだろう。ぬぐい捨てた筈の過去の栄光に縋らざるを得ないのはなんとも皮肉だった。
集会場周辺は王宮警備兵によって物々しく警護されているものの、ザックスを襲ったフィルメイア兵団の姿は無い。いかに大陸に勇名を馳せる彼らであっても所詮は雇われ者、その信頼の度合いは低いというところだろう。
会談場の中にいる者達のほとんどがこの街に住む富裕層や名士といわれる人々である。創世神殿神官長であるアリウスの呼びかけによって事態を重く見た彼らは、即座に王宮内に居座り続ける官吏たちと交渉すべくこの場を設けたのだった。
ここ暫く頻発する富裕層への襲撃事件を警戒してか、物々しい警備ばかりが目立つ会談場でいつまでたっても現れぬ会談相手にやきもきしながら時を過ごす中、ようやく王宮官吏たちが現れたのは予定の時間から一時間以上たっての事だった。
「なんともみずぼらしい場所であることよな……」
堂々と遅刻したまま、詫びも言わずに横柄に上座についた3人の官吏達は早々に不満を漏らした。
数代前のアテレスタ国王によって建てられた豪勢な建築物として有名な市民公会堂は、夏の終わりに起きた襲撃事件によって今や惨劇の場として敬遠されている。一般市民同士が集まって様々な事を決定するこの場所は、彼ら王宮官吏の済む王宮に比べればはるかにみずぼらしいことは当然である。
即座に彼らの機嫌を直すべく給仕達が会場内に座る前に香り高いクーフェと贅沢な砂糖菓子を置く。騒乱の最中のこの場所で、《ペネロペイヤ》ですら滅多にお目にかかれぬそれを当たり前のように口にする人々の姿は、人の世の不平等さを如実に表していた。
互いを探るかのように当たり障りのない談笑が続く中、ようやく本題に触れたのはしびれを切らした街側の代表者達だった。
「ところで、今年はハツカル病の大罹患期である事はご存知で……?」
その言葉に場内の緊張感が一気に高まる。
「ハツカル病とな? はて、そのような事、初めて聞くな」
眉一つ動かさずにそう告げる官吏達に対して、代表者の側も動揺する様子はない。淡々と事実を彼らに語り続ける。
「現在、当《アテレスタ》内において多くの子供たちがハツカル病に罹患し、苦しんでおります。つきましては例年のとおりに王宮内の薬品庫を開放して薬草の提供をお願いしたいのですが……」
「ふむ、それはゆゆしき問題であるな。だが、困った事に王宮内も折からの人手不足でな、膨大な薬品庫を調べた上での薬草の提供には時間がかかる事になるであろうよ」
「時間が、ですか? いったいどのくらい?」
「早くとも、およそ一月といったところであるな」
「一月だと! バカも休み休みに言え! それでは間に合わぬではないか」
代表者の一人がついに声を荒げた。そんな彼の姿に官吏達は詰まらぬ物を眺めるかのような視線を送っている。なだめようとする周囲の者達をはねつけるかのように彼は続けた。
「貴様らがハツカル病の大罹患期を知らぬ訳はないだろう。周辺の村々からの報告はあったはずだ。意図的に握り潰したのだろう」
「はてさて、覚えがないな。尤も昨今の国内事情を考えればそのような報告をすべき使者が道中、野盗に襲われ我らの元に知らせが届かなかったという事もありうるな。ハツカル病については王宮だけでなく、貴殿らが頼みとする創世神殿も処置を下す事が出来たはず。慈悲深き創世神の加護とやらは《アテレスタ》の民にはなかったのかの?」
その言葉に一同の視線がアリウスとマリナに集中する。数年前の神敵宣言によって国内を混乱させられた事による官吏達の恨みは相当なものである。一同の視線に応えるべくアリウスが立ち上がって返答した。
「残念ながら、貴国先王による神殿の国外追放処分によって当地の事情を知る当時の神官たちは皆余所の地へと移り、当神殿にハツカル病に対する効果的な対処法を知る者はおりません。現在、最高神殿に早馬を走らせ、伺いを立てておりますが、おそらく時間はかかる事でしょう。当神殿内の施術院内にはすでに多くの患者が運び込まれ、事は急を要します。《アテレスタ》住民の為、一刻も早い薬草の提供と病の治療法に詳しい医療官の派遣をお願いしたいのですが……」
「ふむ、それはゆゆしき問題であるな。多くの信者に支持される伝統ある創世神殿も、忌まわしき病の前には無力という事か。死者をも蘇らせたという奇跡の巫女の力も及ばぬのでは、創世『教団』もさぞかし、お困りであろうな」
意図的な間違いに多分の悪意の棘が感じられる。王宮内に閉じこもっていながら、しっかりと情報は集めているらしい。
「薬草はまだ薬品庫に本当にあるんだろうな?」
一人の代表者の言葉に官吏は嘲笑いながら答えた。
「さて、どうかの。あるのかも知れぬし、ないのかも知れぬ。街の住民共の心掛け次第だな」
「貴様……」
「そのような目で睨まれても困るな。我らは所詮官吏であるからのう。王宮と国王直轄地をお守りしながら、新たな国王陛下の誕生をお待ちするのが、その務め。それ以上の事を求められるからにはそれなりの代償が必要であろう?」
甘かった――そんな言葉がぽつりと思い浮かぶ。
ここは病に苦しむ人の命を救済するための話し合いの場ではない。状況を利用しながら取引をするための場なのである。
創世神殿の権威も神殿巫女の微笑みもその事に価値を見出さぬ者には何の効果もない。病気で苦しむ子供達の命すらカードの一つとしてより多くの利益を引き出す為の交換条件とする。時にそれは金や利権、あるいはなんらかの政治的特権を必要とする。それがこの場を支配するルールなのだ。
傍らに座るアリウスの顔に動揺の色は無い。この展開は予想通りという事なのだろう。彼がマリナをこの場に呼んだ真の理由はこのような現実を彼女に見せつける事だったのかもしれない。
微笑み一つでどうにかなるなどと考えていた己の浅はかさが恥ずかしい。そんなマリナの忸怩たる想いなど気にせぬかのようにかみ合わぬ議論は平行線をたどり続ける。
議場内の誰もが薬剤の提供どころか、その保有在庫の存在すらも確かめられぬままに無駄に時を過ごしていく中、小さな異変が生じた。
「何事だ?」
会場の外側で争い合うような声とともに小さく剣戟の音が響く。と、勢いよく扉が開けられ、王宮警護団の鎧に身を包んだ一人の警護兵が室内に飛び込んできた。
「も、申し上げます! 現在当集会場前で《鉄機人》の襲撃を受け、警護中の守備隊がこれと交戦中。守備隊の善戦空しく、すでに一番、及び二番小隊が敗北し、負傷者多数。《鉄機人》はすでにこちらへと向かっており、この場所に現れるのは時間の問題であります。すみやかにこの場をお離れ下さい!」
「《鉄機人》だと!」
その言葉に会場内のほとんどすべての人々が蒼白になる。
ここ二、三カ月、次々に王宮関係者や街の有力者を襲っては重傷を負わせ、いくらかの懸賞金もかかっているという。神出鬼没のその戦士の目的が全く理解できないまま、《アテレスタ》市内の富裕層はいつ来るかも分からぬ襲撃に毎夜のように怯えていた。
「じょ、冗談ではない、こうしてはおれん」
官吏たちが慌てて立ち上がり、会談場内は蜂の巣をつついたような騒ぎとなっていた。
「フィルメイアの田舎者共は一体何をしているのだ! 高い金を払っているというのにこんな時に役に立たんでどうする」
「それは……、ご命令通りに本日の警護は無用という事で、こちらに出払っている王宮守備隊の代わりに、王宮内にて手薄になった場所での警備任務につかせておりますが……」
雇われ者を粗末に扱ったが故に肝心の時に役立たない、自業自得という訳である。
「ええい、逃げるぞ、裏口はどこだ」
眼前の椅子を蹴りつけて慌てて逃げ出そうとしたその時だった。
激しい打撃音と共に室内が大きく揺れ、石造りの壁面に巨大な穴が開いた。崩れた壁石に飲み込まれ、二人の王宮官吏が床に転がった。
濛々と立ち上る煙の中からのっそりと現れたのは、大人の身長を軽く超える身の丈を有する銀灰色の《全身甲冑》の戦士の姿だった。
「て、《鉄機人》!」
現れた《鉄機人》は自身を追って現れた警備兵達をその尋常ならざる膂力で次々に掴み上げては、なんの迷いもなく軽々と壁面に叩きつける。
「マリナ殿、こちらへ」
彼女を自身の背へとかばったアリウスは、パニックに陥る人々達に比べて冷静だった。否、冷静すぎるといってもよい。この若さで神殿神官長の地位に就くのだから、相当な修羅場を潜ってきたのだろう。
己の周囲から全ての警備兵達を排除した《鉄機人》は、その巨躯を震わせながら室内に取り残された人々にゆっくりと近づいて行く。
「控えおろう、我を誰だと思っているかや、このような真似をして只で済むと……アギャ!」
壁石の下敷きから難を逃れた最後の王宮官吏が蹴り飛ばされ、壁面に叩きつけられて、動かなくなる。
ゆっくりと振り返った《鉄機人》は街側の代表者の一人である男に向かって腕を伸ばすとその首を無造作に締め上げる。首を掴まれた男はなんとか逃れようと顔色を変えて暴れるものの、尋常ならざる膂力を誇る《鉄機人》の前には何の効果もない。
このままでは彼は助からない。
その理不尽な事態から推察される暗澹たる未来を予感したマリナは、自身でも予期せぬ行動を起こしていた。
「いけません!」
どうして、そんな事をしてしまったのか? 理解できぬ己の行動にマリナ自身が驚いていた。
男の首を無造作に締め上げる鉄機人の前に思わず飛び出した彼女は、それ以上の暴挙を止めようと制止の声をかける。室内の誰もがその行為に唖然とする中、当の鉄機人は飛び出したマリナを一瞥しただけで、再び男の首を絞めあげた。
「それ以上はいけません! それ以上は……」
だが、彼女の言葉は届かない。じわじわと男の首を締めあげて行く鉄機人の大きな背中からは、なぜか悲しみの波動が強く感じられた。
(止めなければ……)
だが、その想いを実現するにはあまりにも彼女は非力だった。眼前で無慈悲に奪われようとしている一つの命と取り返しのつかぬ過ちを犯そうとしている謎の鎧戦士。
ふと、一人の青年の顔が思い浮かぶ。彼のような力があればこの状況をどうにかできるのだろうに……。
(創世神よ、どうか、御助けを……)
事態を打開するだけの決定力を持たぬ彼女が、神の奇跡の力に縋ろうとしたその時だった。
「目を閉じて!」
反射的にその言葉に従ったマリナの前にまばゆい閃光が生まれる。次いで凄まじい衝突音と共に鉄機人の巨体が反対側の壁際にまで吹き飛んだ。
「やれやれ、遠い道のりを苦労してようやくやってきたというのに、大仰な歓迎じゃのう」
まばゆい閃光が消え去ったあとの室内には、鉄機人に締め上げられていたはずの男の身体を抱え上げた一人の小柄な老人の姿があった。駆け寄った魔術師と吟遊詩人らしき二人に意識を失った男の身体を預けると、老人は壁際に叩きつけられた鉄機人に向き直る。
「ほう、あれをくらって全く堪えぬでござるか……」
さらに室内にはいつのまにかもう一人の冒険者風の男が立っていた。左側頭部で髪をひとくくりにするという奇抜な髪形のその男は、魔法光に輝くシールドを構えたまま老人の前に立ち、よろよろと起き上がろうとする《鉄機人》をけん制する。
「大丈夫?」
さわやかな声と共に差し伸べられた手を取って立ちあがったマリナは、己に手を差し伸べた者の顔を見て小さく驚きの声を上げた。眼前にあったのは見覚えのあるエルフの女性の顔。手を差し述べた側の彼女も僅かに複雑な表情を浮かべてマリナを見つめている。
「ここは、私達に任せて、貴女は負傷者の治療をお願い!」
直ぐに気持ちを切り替えたのか、エルフの女性はマリナにそう告げると立ちあがろうとする《鉄機人》に向き直る。
「マリナ殿、御無事で?」
駆け寄ったアリウスが、マリナの無事を確かめる。
「まったく、あなたらしくもない無茶な事を……」
「申し訳ありません、神官長様、私も無我夢中で……」
「いえ、無事ならばそれでよいのです。それよりもあちらの方々は?」
再び立ちあがった鉄機人と睨みあう5人の姿にアリウスは小さな疑問を述べた。そんな彼に僅かに冷静さを取り戻したマリナは小さな微笑みと共に答えた。
「あそこにいらっしゃるのは冒険者協会協会長殿と、ペネロペイヤの誇る勇敢な冒険者の方々です」
よく知る老人と僅かに見覚えのある冒険者達。その中でもひときわみずみずしい存在感に輝くエルフの女性の姿にマリナは目を奪われた。
戦闘という場面にその身を置きながらも自由闊達に振舞う彼女の姿は、神殿という巨大な枷に縛られた自身にはおそらく一生出来ないことだろう。
「それまでよ! これ以上の貴方の暴挙は絶対に許さないわ!」
マリナの視線の先で、高らかに宣言した彼女とその周囲に控える冒険者達。と、そんな彼らと睨み合っていた《鉄機人》に意外な変化が生まれた。
それまでの冷たい殺意の波動がウソのように消え、明らかな動揺が見て取れた。その動揺は彼の前にたちはだかる冒険者達一行、中でも存在感のあるエルフの女性に向けられているようだ。
動揺を隠せぬまま、《鉄機人》は振り返ると壁に拳を叩きつけ、崩れた壁穴から脱出を図る。
壁石が音を立てて崩れ落ち、それにまぎれて《鉄機人》が通りに降り立った事を示す金属音とともに幾つもの悲鳴が聞こえた。
「追うでござるか」
「いや、放っておけ。それよりもけが人の救出と介抱が先じゃ」
老人の言葉と同時に、冒険者達はすぐさま手分けしてけが人達の様子を確かめる。
「マリナ殿、貴女はあちらの方々を……」
アリウスの指し示す先には呆然としたまま床に座り込んだ王宮官吏たちの姿がある。さほど大きな怪我をしているようには見えないが、そんな彼らを優先せよというアリウスの言葉の真意にマリナは気付いた。
これも又、取引である。
他者の弱みを利用する者は自身も又利用される。そんな輪の中に身を置く事に小さな嫌悪感を覚えながら、マリナは彼らを気遣うように近づいて行った。
2012/03/31 初稿