10 ザックス、思い出す!
世界の全てが遠くに見えた。
ぼんやりと視界に映るのは青ざめた二人の巫女の姿。兎の耳が特徴的なその少女はなぜか泣いているように見える。
ああ、まだ仲直りができていないのかなと漠然と思うその脳裏に、さらに一人のエルフの姿が浮かんだ。だれもが目を奪われるその端正な顔立ちの彼女は、近頃なぜかいつも自分に対して怒ってばかりのような気がしてならない。たった一人の相棒なんだからもっとうまくやればよかった――なぜか過去形で考えてしまう自分が不思議でならない。
さらに記憶が遡る。
思い出されるのは故郷の山々と痩せた土地。そして忌まわしく悲しい過去の出来事。
もっと違う可能性はなかったのだろうか、そんな事を考えながら思考は深い海の底に沈んで行く。
――眠りたい
だが、眠ってしまったら多分もう二度と目覚めることはできないはずだ――それが分かっていながらも抗いがたい欲求に耐えられずに意識を混沌の海に放り出そうとする。
そんな彼を不意に明るい光が包みこむ。
――暖かい
そのぬくもりは逆らい難い眠りの海に飲み込まれようとしていた彼の意識を激しく揺さぶった。
――死なないで下さい
その強い叫びはさらに意識を覚醒させていく。
まだやらねばならない事がある。
その想いがさらに強い力となって彼の覚醒を促した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
目が覚めて初めに視界に入ったのはイリアの顔だった。さらにその横にはマリナの顔も見える。
寝ているザックスの傍らに並んで座っている二人に、彼は話しかけた。
「どうやら、二人とも仲直りはできたみたいだな」
その言葉に二人はぽかんとした表情で互いに顔を見合わせる。が、直ぐにザックスに向き直ると、マリナが呆れた様子で言った。
「こんなときに何を呑気な事を……。私達が一体どれだけ心配したと思っているのですか」
「心配、って何か、あったのか?」
起き上がろうとして強いめまいを感じた。思わず頭を押さえるザックスの背中を慌ててイリアが支える。
のどがからからに乾き、口の中に何か酷い苦みを覚える。イリアの差し出した水差しの水を一息に飲み干す。しなびた身体に隅々まで行きわたる水の冷たさが心地よい。
「覚えてらっしゃらないのですか、ザックス様?」
心配げに尋ねるイリアの言葉にザックスは記憶を手繰る。
神殿から帰ろうとして、同胞たちに取り囲まれて……。さらに幾つもの記憶がよみがえり、慌てて己の身体を確かめる。身体に傷はない。
「ザックス様は死にかけていらっしゃったのですよ」
イリアの言葉にさらにマリナが被せた。
「まあ、死にかけていたというよりは死んでいたという方が正しい表現ですわね」
「へっ……」
にこにこと笑みを浮かべながら、マリナは物騒な事を言う。
「出血がひどく、体温は低下してすでに呼吸も止まり、心の臓も停止状態。手の施しようがないとはああいう事を言うのですね……」
「それって……、オレの事か?」
「はい」
「……。よく助かったな、オレ……」
「ええ、手元に丁度《神霊薬》がありましたもので……」
「はい?」
なにやらとんでもない名前がさらりと飛んだ。
《神霊薬》――他に並び立つものなどあろうはずのない、秘薬中の秘薬といわれる究極の薬である。その値段は軽く百万シルバを超え、城一つくらいならば軽く買い取れるとも言われている。生成には複数の希少原料を必要とし、その製法を知る者は幻となっている。かつて、ザックスが手にした《ハルキュリムの根》は希少な原料の一つである。
「ルーザ様が送ってくださった支援物資の中に、ペネロペイヤ大神殿預かりのものが一つだけ入っておりまして、たまたま物資の確認をしていたイリアが見つけ出してきたのです」
「そ、そうですか……」
ニコニコと微笑みを浮かべて事情を説明するマリナの前で、ザックスは青ざめる。
おそらくはルーザが危険な地に向かったマリナの為に密かに忍ばせたものだったのだろう。あらゆる傷をたちどころに治癒し死者をも蘇生させると云われる《神霊薬》はそれを所持しているという事だけでも十分な権威であり、新天地でのマリナの立場にも大きな影響を与えるはずである。
そんな物を惜しげもなくザックスの為に使ったというのだから、ザックスは彼女には返しきれない借りを作ってしまったといっても過言ではない。本来ならばどれだけ感謝しても、し足りない場面であるのだが、自身の周りに巧妙に張られた目に見えぬクモの糸にしっかりとからめ捕られてしまった気分になってしまうのは何故なのだろう?
微笑むマリナの顔を正視できなくなったザックスは、思考を放棄して再び横になって毛布を被る。
「大丈夫ですか、どこかお辛い所はありますか」
傍らで心配してくれるイリアには申し訳ないが、眠り直してこのまま時をやり過ごそうと考えたその瞬間、とある一つの事実が思い浮かんだ。
《探索者》――《冒険者》である彼をあっさりと死の淵にまで追い詰めたそれは一体何なのか? 被っていた毛布を再び跳ねのけたザックスは、思い切ってマリナに尋ねる事にした。
「ところでマリナさん、《探索者》って何か知ってるか?」
彼の側を離れようとしていたマリナは、ザックスの言葉を聞くや否や、その動きをぴたりと止めた。
「ザックスさん……。一体それをどこで……」
振り返った彼女の笑みにはほんの僅かだが緊張気味の色が混じっている。そんな彼女にザックスは自身の身に起きた出来事のあらましを掻い摘んで説明する。黙ってそれを聞いていたマリナは、ザックスの話を聞き終えると小さく息をついた。
「どうやらザックスさんには創世神殿の内情について、少し話をしておかねばならぬようですね」
その言葉にイリアが小さく息をのむ。
「姉さま……、それは……」
「イリア、貴女も聞いておきなさい。そろそろ、貴女も事実を正しく知っておかなければなりません」
そんな前置きをして彼女は再びザックスの傍らに座ると、おもむろに語り始めた。
「遠い昔、争いのない平和だったこの世界に滅びをもたらそうとする恐ろしい邪神が現れました。人を喰らい、大地を喰らい、世界を喰らう。その恐るべき脅威と戦った創世神は激しい戦いの末に、邪神の身を四つに砕き、辛うじて勝利を収めました。敗北の瞬間、邪神は引き裂かれた己の身に四つの魂を埋め込み、四大魔王を生み出しました。邪神との戦いにこそ勝ったものの、激しい戦いの中で創世神は偉大な力の大部分を失い、世界への干渉力が弱まったために、この世は争い事が絶えなくなりました。そして今も尚、創世神と邪神の復活をもくろむ四大魔王との戦いは続いています。この話はご存知ですね」
子供ですら誰もが知る創世神話の一節である。頷くザックスにマリナは続けた。
「偉大な力を失った創世神に代わって少しでも世界の安定に尽力する、それが創世神殿に仕える者達にとって最も大切な義務であり、遥か古より続く神殿の先達たちによって伝えられ守られ続けてきたと私達は教えられます。そして、この世に災いをふりまかんとする《四大魔王》や《十二魔将》を討伐し、平和と秩序を復活させる――《冒険者》とは本来そのような役目を背負っていた神官達を育てる為のシステムだったといわれています。ですが……」
僅かにマリナが言葉を切る。
「平凡な日常を営む多くの人たちにとって《邪神》も《魔王》も《魔将》も只の物語の中の存在でしかありません。一部の例外地域を除いて魔物という存在に関わるのはダンジョンに挑む者、つまり冒険者のみであり、日々の生活の中に実害がなければ人々はその脅威を実感する事はできないでしょう。そして、創世神殿も所詮は人の集まりである以上、長い歴史の中で小さな歪みを重ね続け、大きな矛盾をはらんだものになってしまいました。そこから、いつの時代にも必ずそんな組織の犠牲になる、《破門者》と呼ばれる人々が生まれます。多くの場合、彼らは不敬や異端だからそうなるのではなく、敬虔で理想的で熱心であり、教義を忠実に守り世界に貢献しようとするが故に、現実との齟齬に悩み、神殿組織との軋轢を生み出し、その犠牲になっていくのです」
「よくある話だな……」
「はい。およそ百年ほど前、そんな人々が集い、一つの組織が生まれました。《創世教団》――彼らは三大古王国を始めとした創世神殿を良く思わぬ勢力の力を後ろ盾に、長い時間をかけて各地に静かに根を張ってきました。ですが、それは創世神殿の規模に比べればはるかに小さなものに留まっています」
「どうしてだ……」
「理由はいろいろとあります。創世神殿の歴史は二千年とも三千年とも言われており、僅か百年程度では並び立つものではない――そんな風に言われる方もおります。ですが最大の理由はやはり《冒険者》の存在なのでしょう。《創世教団》の者達も又、その教義の実現の為に不可欠な実行力をもつ存在、《探索者》と呼ばれる者達を生み出そうとしてきました。ですが、その存在は多くの失敗例の上に成り立ってきたのです。ザックスさんは《試しの儀》を覚えておられますか?」
「ああ」
簡単にいえば冒険者訓練校の入門試験のようなものである。マナへの適性があるかどうかを調べるのだと無愛想な協会の係が言っていたような気がする。
「《冒険者》になる意思を持ち、マナに適性があると判断された者には、与えられたクナ石と血の契約を交わし、巫女によって体内と外界を通じる道が開かれます。そして、体内に開かれた道を通じて外界からのマナを蓄える事で冒険者は力をつけていく、一種の超人になっていくと考えると分かりやすいかもしれません。ですが、本来持って生れた以上のマナを無理矢理体内に取り込む事になる訳ですから、これは非常に危険な行為でもあります」
「危険……なのか」
「はい、過剰なマナを一度に体内に摂取させてしまえば、肉体だけでなく冒険者の精神に異常を与えることになりかねません。故に道を塞ぐ門、あるいは調整弁のようなものが必要となり、その役目を果たすのがクナ石なのです」
「…………」
「疑問に思った事はありませんか? 体調やその日の気分で移ろいやすい人間の力を決まった数値で示してしまうクナ石の表示に……。実はクナ石に示される数値はその時点での限界値のようなものなのです。その時点で冒険者の肉体と精神が耐えうる値とでもいえばよいのでしょうか……。そしてさらにもう一つ、クナ石の持つ大切な役割が《職》という枠を冒険者に与える事です」
「《職》という枠?」
「本来、人の成長に型などありません。体内に取り込んだマナが冒険者の肉体にどのような効果を与えるかは分からぬものです。戦士向きなのに魔力ばかりが強くなる。魔術師向きなのに腕力ばかりが強くなる。そんな事では抜きんでた実行力を持つ事は出きません。
故にクナ石により創世神の意思によってその人の持って生れた資質から導かれた《職》という枠にはめる事で、成長の方向性をある程度コントロールしているのです」
「へえ、そうだったのか……」
手元にあるクナ石をマジマジと見つめる。マリナはさらに続けた。
「実はこのクナ石の生成法は創世神殿内でも秘伝中の秘伝なのです。一体どんな材料でどのように作られているのかということは、上級巫女であった私も知りません。おそらく知っているのは最高神殿の頭脳である長老会の者達くらいだといわれています」
「つまり、それって……」
「はい、《破門者》達によって創設された《創世教団》ではクナ石の生成ができません。故に彼らは巫女の力によって《探索者》になろうとする者の体内から外界への道を開くのみなのです」
「でも、それは危険な行為なんじゃ……」
「ええ、故に多くの者が精神を病んだり、命を落としていると言われています。私も聞いただけでその実態を見た事はありませんが……。ただ、そのような状況の中で、まれに高い順応性を示すものが現れるのは確かなのです。もともとマナに耐性のある妖精族や獣人族の血を引く者だけでなく、普通の人間の中にも……」
「そういう事か……」
ザックスに直接制裁を加えたブランカは、おそらくそういった類の人間なのだろう。
「じゃあ、彼らは《創世教団》ってところと強い結びつきがあるのか?」
「それが一概にそうも言えないのです」
「へっ?」
「得られた力を如何使うのか? 《探索者》となられる方々は人間相手の戦に使います。故に、ダンジョン踏破や強力なモンスターと戦う事で得られる《冒険者》の成長値に比べればそれははるかに小さい。ゆえに《創世神殿》が目指すところの平和と世界の安定に十分に貢献し実行力とすらなりえず、それ故に彼らの間の結びつきは薄い――そう言われております」
「なんだか曖昧なんだな」
「神殿内では教団については存在しないという事が建て前となっています。だからその事実を詳しく知る者はあまり多くありません。私も又、多くの方々からの聞きかじりでしかありません。二人にはできればこの事は胸に秘めておいて頂きたいのです」
「ああ、分かってるよ、あんたの立場って奴もあるだろうしな」
ザックスの傍らでイリアもこくりと頷いた。
「さて、私はそろそろいかねばなりません。近頃どうも病人が増え始めているようなので……。イリア、後の事はお任せします。ザックスさんが無茶をしないようにきちんと見ているのですよ」
「はい、姉さま……」
出て行く姉巫女を見送ったイリアは再びザックスの傍らに座る。横になったザックスの額に触れて体内のマナの状態を確かめる彼女はそのままぽつりと呟いた。
「ザックス様、一体、何があったのか……よろしければ教えてもらえませんか」
言葉は躊躇いがちであるものの、それでもイリアは思い切った様子でザックスに尋ねた。ザックスの身に起こった事態は自分にも責任がある、そう彼女は考えたのだろうか。
「そうだな……。せっかく神殿の巫女さんが側にいる事だし、懺悔のつもりで聞いてもらおうかな……」
僅かに自嘲的な笑みを浮かべてザックスは呟いた。
「今回の一件はフィルメイアからオレへの、いや、オレの出身部族に対する制裁なのさ」
「制裁? 一体何をなさったのですか?」
尋常ではない言葉にイリアが僅かに緊張の色を浮かべる。
「それを話すには少し長い前置きをしなければならないな」
遠い目をして故郷の山々の風景を思い出しながら、ザックスは静かに話し始めた。
「フィルメイアの歴史は知ってるかい?」
「その昔、伝説の獣《グリフォン》を駆って天空を舞い、サザール大陸の半分を支配していたという事くらいは……」
「でも、その精強ぶりと徐々にエスカレートしていった圧政が創世神殿の怒りを招き、多くの人々の抵抗運動の末、帝国は崩壊し、守り神であるグリフォンを全て失ったフィルメイアは大陸の南端へと追いやられた……」
帝国への抵抗運動をきっかけに生まれた3大古王国創設の英雄達の話は、様々な戯曲になって未だに多くの人々に語り継がれている。
「それ以来、フィルメイアの民は自分達の傲慢さによって、守り神をも失った愚かさを悔い、僅かに残された辺境の地でひっそりと暮らしてきた。フィルメイアの傭兵達が各地を転々として戦いの場に立っているのは、初めは自分達のせいで国や命を失った多くの人々への償いだったなんて言われている」
「はい」
「そんなオレ達の国の冬は厳しい。もともと耕作に適した土地ではないから、十分に人を養っていけるような収穫は得られない。男は幼いうちに親元から引き離されて部族の子供として育てられ、戦いの術を仕込まれて国外を転々とする傭兵団に送られて《戦いの義務》に従事する。一種の口減らしだな……」
ザックスの言葉をイリアは黙って聞いている。
「ひと冬を越せる部族の子供はおよそ九割。必ず一割は冬を越せずに死んでいく。国元を離れるまでにそんな冬を何度も越して俺達は大人になる。傭兵団に送られても《戦いの義務》の中で半数以上は死ぬ。さらに半数は異国の地でそれぞれの居場所を見つけその地に住まう。最終的に《戦いの義務》を終えて国に帰ってくるのは全体の四分の一にも満たない。オレもそんな子供の一人だった。冬を越して翌年の春を迎えたら、多分、傭兵団の一員として大陸のあちこちを転々としていたんだろうな。でも、そうはならなかった、2年前の大干ばつを覚えてるかい?」
その言葉にイリアはコクリと頷いた。大陸の南部を襲った干ばつによって多くの土地で食糧不足の問題が起きていた。
「只ですら厳しい食糧事情なのに大飢饉を迎えてしまえばオレ達の国は持たない。そこで国の部族長たちが集まって、国外からの支援をどうにかとりつけた。だが、それが事件の発端になった」
「何があったのです?」
「飢饉が起きた時、オレ達の国では暗黙の風習がある。口減らしの順番はまず年老いた者からだという事だ。国や部族の伝統を引き継ぐと同時に新たな未来を作り出す若者を犠牲にすれば部族も国も成り立たない。当たり前のことなんだけどな……。だが、オレ達《翼の部族》の年寄り共はその風習に従おうとしなかった。自分達の命惜しさにな……」
「…………」
「己の命惜しさに奴らは一計を案じた。部族会議で割り当てられることになった自分達の援助物資を日頃から何かと対立している《鉤爪の部族》の者達が横取りしようとしている、部族内にそう触れ回った。当然、何も知らないオレ達若い奴らは激怒した。奪いとられようとしている食糧を取り返せ、不正な事をしようとしている《鉤爪の部族》の奴らに鉄槌を、ってね……」
「そんな……」
「部族内の全ての大人達が勇敢な戦士として時をすごしてきた訳じゃない。《戦いの義務》の中で負傷し、足手まといになって故郷に送り返される者達もいれば、戦いの術を覚えられず国元を離れる事を許されない者もいる。そんな奴らの大半は自身の不幸を呪い、嫌な大人として年を重ねて行く。そして部族の伝統や掟を平気で無視するような身勝手な年寄り共になり下がっていく。そんな奴らが考えたのさ……。どうせ《戦いの義務》の中で半数以上が死ぬんだから、それが今であってもいいじゃないかってね。
いつしかオレ達の部族には、戦って失われる事でしか得られないものがあるという事を軽んじる《弱者の論理》が堂々と蔓延る様になってしまった。そしてオレ達はそんな奴らの思惑に気付かずに、奴らの手のひらで踊った。《鉤爪の部族》の食糧輸送隊のルートを教えられたオレ達は彼らを襲撃しようと試みた。全てはオレ達《翼の部族》の正義と未来の為に、ってね。
だが、そんなオレ達の計画を部族の年寄り共はあろうことが相手側の部族に知らせたんだ。空腹に耐えかね、身勝手に暴走したはねっ返りの若者たちが、そちらの部族の援助物資を奪い取ろうと計画している、と」
「酷い……」
「ああ、酷い話だ。当然オレ達は迎え打たれる事になった。奴らに誤算だったのは嵌められたはずのオレ達が逆に戦闘に勝利してしまった事だった。部族の為、正義の為、名誉の為にそう信じて戦いに勝ったオレ達が全てを知ったのは、捕虜にした奴らから真実を聞かされた時だった。だが、時すでに遅く、やってしまった事は取り返しがつかない。帰るべきところを失い、オレ達は奪いとった食糧でなんとかその冬を越した」
「…………」
「春になって事件が国中に知れ渡り、どうにか冬を生き延びたオレ達に部族会議から討伐命令が下された。信じるべきものを失ってしまったオレ達に戦う気力なんて残ってない。みんな散り散りになって逃げていった。後から聞いた話なんだが、部族会議の討伐命令はオレ達だけでなくオレ達を騙した年寄り共にも下されたらしい。おそらく部族そのものが攻め滅ぼされちまったんだろうな……。気付けば一人になっていたオレも、国外への物資輸送船に紛れ込んでなんとか国を出た。こんな国に2度と帰るもんか、そんな気持ちで一杯だった」
すでにイリアに言葉はない。ただ黙ってザックスの話を聞いているだけだった。
「輸送船の中で生きる目的を見失い、途方に暮れて虚ろに時を過ごしていたオレに冒険者への道を示してくれたのは、オレを黙って拾い上げてくれた輸送船の船長だった。『現実って奴がややこしすぎて、自分の力だけじゃどうしようもない時ってのはあるもんさ。そんな時は黙って時間が通り過ぎて行くのを待たなきゃいけないこともある』彼はそんな言葉で道を示してくれた」
イリアがハッと顔を上げる。それはザックスが塞ぎ込むイリアにかけた言葉だった。
「船から降りて彼と別れる時、オレは感謝を込めて部族礼をした。何も持たないオレにはそれしか思いつかなかった。だが、そんなオレに仕来りどおりに返礼する船長の姿に、オレは青くなった。彼はオレ達が戦った《鉤爪の部族》の出身だったんだ。
それ以来、オレは完全にフィルメイアの仕来りを自身の中に封印した。もう2度とフィルメイアである事を誇らない。一人の《冒険者》ザックスとして生きて行くんだってね。でも現実って奴は往々にしてままならいもんだ。後は君も知ってのとおりさ……《冒険者》としてどうにかやっていけるかと思った矢先、初めての探索の最中にあんな事になっちまったんだから……」
イリアはじっとザックスの顔を見つめている。
「オレ、いや、オレ達はただ明日を生き抜くためだけに懸命に戦った。だが、それは結果として多くの人々を不幸にしてしまった。その行いを捌く権限を持つ部族その物が罪を犯して無くなっちまったんだから、オレは咎人とはいえないのだろう。だが、オレを咎人として扱い、その憎しみをぶつけるための憂さ晴らしの道具として扱おうとする者はいる。今回の一件はそんな奴らからの制裁というわけさ……」
語り終えた彼をまっすぐに見つめ続けるイリアの視線に耐えられず、ザックスは視線を落とす。
「イリアはこんな俺の事を……嫌いになっただろう?」
小さくため息をつく。
信じていた物が足元から崩れおちる事で、兄弟同然に育った部族の仲間たちが醜いものを互いにさらけ出してぶつけ合い、散り散りに散って行った。思い出したくもない過去だった。だからこそ彼はこれまでフィルメイアで過ごした時間の事を誰かに語る事はなかった。
話したところで分からない。
フィルメイアの厳しい冬の寒さに身を置いたものでなければ、冬を越す為の切実な生存競争の苦しみを正しく理解できる事はない。勃発した部族抗争は、幸せな場所に暮らす多くの者達の目には愚かな争いとしか映らないだろう。
だが、黙って話を聞いていたイリアの言葉はザックスの予想とは異なるものだった。
「そんな事はありません。私はザックス様が咎人だなんて思っていませんし、これまで幾度も助けていただいた事にとても感謝しています」
「イリア?」
「ザックス様はよく私に助けられたとおっしゃいますが、私だってザックス様に助けられてきたのです。そして私の知るザックス様はいつも堂々と己の運命に立ち向かってこられました。例え過去に何があったとしても、私はそんなザックス様の魂の本質を信じたいと思います。創世神だってきっとお許しになるはずです。だから……」
身を乗り出してイリアは続けた。
「私はザックス様を嫌いになったりいたしません。これまでも、そして、これからも、私は……」
そこまで言ってはっとした表情を浮かべて押し黙る。僅かに頬を赤く染めたイリアは声の調子を落として小さく囁いた。
「ザックス様にとってかけがえのない大切な人たちの一人として……、お側にいたいと思います」
消え入りそうな声でそう言うと真っ赤になってうつむいた。小さな静寂が訪れる。イリアの言葉にザックスは心の中に引っ掛かっていた何かが、ゆっくりと解けて流れ落ちていくように感じられた。
「ありがとう、イリア」
自然にこぼれ落ちたザックスの感謝の言葉が、静かに室内の静寂の中へと消えて行った。
2012/03/27 初稿