09 ザックス、死す!?
ジル曰く、込み入っているはずの神殿までの道は、ほぼ一本道の実に分かりやすい物だった。
道中、さすがにバツが悪かったのか、ジルはこの街の様々な事情を二人に語って聞かせた。圧倒的弱者である子供ながらの視点は、諍いに翻弄されるこの街の大きな歪みを二人に感じさせずにいられなかった。
荒廃する人心、王都守備の名の元に乱暴狼藉を働く傭兵達、そして街の有力者を次々に襲撃する《鉄機人》と呼ばれる謎の鎧戦士……。明日への希望が持てない話題ばかりのこの街に、『きっとなんとかなるさ』なとど言うのは無責任極まりない言葉でしかない。
聞けば聞くほど暗くなっていくその話題にイリアの表情は厳しい。自身の為にこんな所に島流しに会ってしまったマリナに対しての申し訳なさでいっぱいである、今の彼女の心はそんなところだろう。
支払った案内料に見合うだけの十分な噂話を教えてくれたジルは、「マリナさんに会っていかないのか」というザックスの言葉に僅かに顔を赤らめて「オイラも姉ちゃんも忙しいんだよ」と言い残し逃げるように去って行った。
厳つい門構えの《アテレスタ》大神殿は《ペネロペイヤ》大神殿と同等の規模を誇る大きさだった。
寒空の下、中庭に身を寄せ合って集まる人々の目はやはりどこかうつろで、彼らの放つ空気は重い。そんな彼らの視線を一斉に受けながら、ザックスはイリアとともに早足で建物へと向かって行った。案内役の神官に用件を告げた二人は、丁重に客間へと通される。彼らを出迎えたのはこの神殿の神官長と名乗る男だった。
「遠いところをご苦労様でした。私がこの神殿を預かるアリウスです」
丁寧な神殿礼で二人を迎える。そんな彼に、イリアも又、神殿礼で応えた。
年の頃は30そこそこといったところだろうか? 伝統ある創世神殿の責任者としては若すぎるように思えるが、知的で面長なその顔には、どこか野心的な色が見え隠れする。
「《ペネロペイヤ》大神殿からクエストを依頼されてきた冒険者のザックスです。それと、こちらは……」
イリアの紹介をしようとするザックスの言葉を手のひらで遮って、アリウスは彼らに向かって答えた。
「申し訳ありませんが、そちらの方は創世神殿の関係者であるとお見受けします。ですが、正式な訪問状をお持ちでないところをみると色々と訳ありのご様子。今は貴方の随行人としておいた方がよろしいでしょう」
その言葉にイリアは真っ赤になってうつむいた。どうやら彼女のアテレスタへの訪問はやはり許可を得たものではなかったらしい。
「マリナ殿は今、施術院におります。近頃、子供達の間に奇妙な風邪が流行っていましてね。人をやりましたので直にこちらに来ると思いますが……」
出された薄めの茶に手をつける。やはりここでも物資の欠乏は深刻らしい。
「ところで、道中はいかかでしたか? このような場所にいると、どうもよその都市の事情に疎くなってしまうもので……」
朗らかに笑うアリウスはザックスの語る旅の道中事情から、洗練された話術で必要な情報を引き出し、適確に状況を推察し事態を把握する。その器量には並々ならぬ物が感じられる。
それでいながらも傍らに座るイリアについては決して触れようとはしない。彼女の立場を慮ってのさりげない気遣いなのだろうが、雑談を交わすザックスとアリウスの隣でイリアは一人下を向いていた。
弱々しげな西日が窓から差し込み始めた頃、ようやく3人のいる部屋の扉を叩く音が聞こえた。「どうぞ」という声と共に現れたのは久方ぶりにみるマリナの姿だった。
若干の疲労の色を浮かべた彼女だったが、ザックスの顔を見ていつもの微笑みを浮かべようとする。と、彼の傍らに座るイリアの姿を見るなり彼女の顔色が変わった。初めて見るその厳しい表情にザックスは大きく躊躇う。
しばし無表情でイリアの顔を見つめていた彼女は、何かを押さえつけるかのように一つ大きく息を吐くと、つかつかとイリアの傍らへと歩み寄る。慌てて立ちあがったイリアだったが、その口からは言葉がでない。
「姉さま、あの……」
ようやく、それだけを言うと再び沈黙する。
室内に小さな静寂が訪れる。重苦しい空気を破ったのはマリナだった。
「ここで、何をしているのですか? イリア」
抑揚のない声。このようなマリナの姿を目にするのは初めてである。
「ここで、何をしているのかと聞いているのです! 答えなさい、イリア!」
再び厳しい声が飛んだ。いつも微笑みを絶やさぬといわれるマリナの予期せぬ叱咤に、イリアは気圧される。
「姉さま、私は……、姉さまに謝りたくて……」
瞬間、室内に小さな音が弾けた。マリナの平手がイリアの頬をうち、打たれたイリアはその衝撃に呆然としている。マリナも又、イリアを打った手を押さえ、その肩は小さく震えていた。
「貴女は……、貴女は、巫女の務めを何だと思っているのですか!」
絞り出すようにマリナは続ける。当惑したザックスは、呆然としているイリアをかばってマリナに弁明しようとした。
「ちょっと、待てよ、マリナさん! 彼女はわざわざ……」
「ザックスさんは黙っていて下さい! これは私達神殿内にいる者の問題です」
怒りに震えるマリナによってあっさりと一蹴される。突然の平手打ちにしばし呆然としていたイリアだったが、やがて涙を浮かべながら、たどたどしく弁解する。
「姉さまは、私のせいで、だから……、私は姉さまに……」
だが、その言葉をマリナは遮った。
「その事について貴女の周囲の人たちは貴女に何も言ってはくれませんでしたか? エルシーやルーザ様は貴女に自身のすべき事を指し示してくれなかったのですか?」
その言葉にイリアは沈黙する。
「聞こうとはしなかったのでしょう。そして、自分の頑なな判断だけで行動した。貴女の悪い癖です。おまけにザックスさんまで巻き込んで、こんなところにのこのこやってきて……。貴女達にもしものことがあったら、残された人たちがどう思うか考えつかなかったのですか?」
イリアに反論の余地はない。彼女はただ黙って下を向いていた。そんな彼女にマリナは僅かに語調を落として続けた。
「《ペネロペイヤ》にお帰りなさい。ここにあなたの居場所はありません。巫女であるという自覚があるのなら、己のいるべき場所で己の務めを果たしなさい」
そう言い残すと踵を返して彼女は部屋を出て行った。
マリナが開け放った扉がゆっくりと閉じると共に室内に再び静寂が訪れ、イリアが小さくすすり泣く声だけが響いた。打ちひしがれるイリアに声をかけようとしたザックスだったが、適当な言葉が見つからず途方に暮れる。重苦しさの残る室内で口を開いたのは、それまで黙って成行きを見ていた神官長のアリウスだった。
「大方の事情は察しました。そちらの方、イリアさんは巫女だったのですね……」
「ええ、まあ……。実は……」
「いえ、それ以上の説明は不要です。マリナ殿の降格とこちらへの異動については神殿組織内でも様々な憶測や噂が流れ、非常に微妙な問題なのです。それよりも問題なのはそちらの巫女殿の立場でしょう」
「何かまずい事でも?」
「他神殿への巫女の来訪については、所属神殿の巫女長による訪問状を携えてという事が原則です。それをお持ちでないという事はこの度の来訪はそちらの方の独断という事なのでしょう」
「それじゃ、イリアは処分を受けることに?」
おそるおそるのザックスの問いにアリウスは僅かに微笑んだ。
「建前上はそうなりますが、今回は支援物資の輸送という務めを請け負っておられると解釈すれば、例外的に問題になる事はないでしょう。《ペネロペイヤ》側の巫女長殿の配慮があったということでしょうか。ただし……」
そこで僅かに表情を厳しくする。
「いかなる理由があれ、巫女が任地を勝手に離れる事は重大な規則違反である事に代わりありません。創世神殿内において巫女という立場にある者は、その立ち居振る舞いを厳しく制限され、重い責任を背負わされるのだということを、貴女は今一度理解なされるべきでしょう」
その言葉にうつむいたままのイリアが小さく頷いた。そんな姿をみてアリウスは僅かに表情を崩す。
「……などと年寄りじみた説教をしてしまいましたが、若いうちは失敗などいくらでもあるもの。そしてその大抵は取り返しのつかぬものではありません。過ちを犯した己の姿を見つめ直し、同じ事を繰り返さねばそれでよいのです」
どうやら、イリアに厳重な処分が下されることはないようだ。ほっとしたザックスは傍らのイリアの小さな肩に手を置いた。
「治安が悪い事もありますし、今夜はイリアさんは私の客人としてこの神殿でお預かりしましょう。そういえばまだ物資の引き渡しも終わっていませんでしたね。ザックスさんはいかがされますか」
「オレは一度《アマンダの酒場》に戻って明日また伺います。連れにも報告がありますから……」
「分かりました。では直ぐに彼女の部屋の準備をいたしましょう」
言葉と同時にアリウスは立ちあがる。すっかりしおれてしまったイリアを元気付けるようにザックスはわずかにおどけて声をかけた。
「大丈夫だよ、イリア。明日になればマリナさんの機嫌も直るさ。それでもダメなら、今度はオレも一緒に怒られてやるよ」
その言葉に赤く目を腫らしたイリアが小さく微笑んだ。そんな二人の姿を目にしたアリウスが不意にぽつりと呟いた。
「いつも笑みを絶やすまいとする彼女があんなに感情的になるところを私は初めて目にしました。危険な場所であると知りながらやってきたあなた達は、きっと彼女にとってかけがえのない存在なのでしょうね……。羨ましいものです」
羨ましい――何気ないその言葉がザックスの胸になぜか重く残った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
用意された部屋にイリアを送り届け、質素という言葉が贅沢に見えるほど粗末な食事をふるまわれたザックスが、陰気な空気の充満する神殿を後にしたのは夜が更けはじめた頃だった。
弱々しげな冬の太陽はとっくにはるか西に沈み、代わって月が冷えきった空気をふりまきながら空を照らす。
王宮から外門へと延びる、ぼんやりと光る魔法光のランプに照らされた大通りを歩きながら、ザックスは物思いにふけっていた。
いつも微笑みしか見せなかったマリナの意外な表情。そしてイリアやマリナを縛る神殿巫女という立場の重さ。集団に属する事で守られると同時に失ってしまう事に苦悩する彼女達の姿はずっと昔、まだ《冒険者》になる前の自分の姿を思い出させる。
自由で万能な人間など所詮は夢物語。多かれ少なかれ人は様々なものに縛られ、あるいはしがみつく事で生きて行くしかないのだろう。この絶望的な街に暮らす人々もやはり、そんな何かがあるからこそこの街から離れずにいるのだろうか?
そんな事を考えながら歩くザックスに後ろから近付く者達の姿があった。
「そこの奴、止まれ! 見ない顔だな!」
今日はなにかと呼び止められる事の多い日のようだ。
物思いにふけっていたザックスは、近づいてくる数名の足音を聞き逃していた。
「おい! 待てと言っている。聞こえんのか!」
金属のこすれる物々しい足音にようや気付いたザックスは、背に強い緊張感を覚えながら振り返った。近づいて来た者達の姿を目にするや否や、小さく舌打ちした。
(まずい奴らに会っちまった……)
だが、そんなザックスの心情とは裏腹に、近づいて来た男の一人がザックスの顔を見るなり、親しげな笑みを浮かべた。
「お前、もしかして、同胞か?」
その言葉に周囲の者達が驚きの声を上げ、遥か異国の地で出会ったその顔を見ようと覗き込む。
軽装鎧に身を包み、使いこまれた武具を手にして近づいてきたのは、かつてのザックスの同胞達――フィルメイアの傭兵部隊だった。フィルメイア兵団――大陸のあちらこちらで様々な勢力に雇われる彼らの姿は、冒険者にならなければそうなっていたであろうザックスのもう一つの現在の姿であった。
故郷を離れておよそ二年近く。日に焼けて精悍になったとはいえ、ザックスの容姿には未だにフィルメイア人らしい特徴が残っている。
「こんな異邦で出会うなどとは珍しい。お前、どこの部族の者だ? ここでいったい何をしている?」
懐かしそうな声と共に近づいてきた彼らは、それぞれの出身を示す部族礼をする。互いの出身を示し、部族礼を返す――それがフィルメイアに生まれたものならば誰もが知る仕来りだった。だが、ザックスはそれをしようとはしなかった。否、出来なかった。
「なんだ? お前、なぜ部族礼をしない?」
「いかんな、故郷を離れたからといって仕来りをおろそかにしては、よきフィルメイアとは言えんぞ」
ザックスの無礼に口々に警告を促す彼らだったが、ザックスは彼らの言葉に従おうとはしない。
「悪いが人違いだ。オレはアンタ達の同胞なんかじゃねえ」
そう言い残して足早にその場を立ち去ろうとするザックスの前にさらに一人の男が回り込んだ。
「待て、お前、なぜ逃げようとする。我らフィルメイアの心を忘れたのか?」
故郷を離れ異国の地で暮らす事の多いフィルメイアの人々は、どこそこで何某と言う部族の者にあったという事を互いに伝え合い、その消息を知らせ合う。それは異郷の地を転々とするフィルメイアの人々にとって大切な事だった。そんな仕来りを無視しようとする生意気な若者に一人の男が不審気に尋ねた。
「お前、もしや《脱け人》か?」
《脱け人》――何らかの理由があって出身部族を無断で離れ、異郷の地でひっそりと暮らす者の事である。多くの場合、部族内の掟を破った咎人である事が多い。
「人違いだっていってるだろうが……。しつこいんだよ、あんた達は!」
執拗にザックスに食い下がる周囲の者達にザックスはついに声を荒げた。その態度に周囲の者達が怒りの色を見せ始めた。
「お前、先達へのその無礼な態度は一体何だ! 長く生きるということにはそれだけで価値がある。その事をおろそかにする者はろくなものではないぞ」
「くだらねえ、建て前振り回してんじゃねえ。脳なしほどそうやってテメエに箔をつけてみせたがるもんだ。そして馬鹿な奴ほどそんな言葉を真に受けて下らん過ちを繰り返し続けるのさ」
「貴様!」
ザックスの不用意な一言に周囲の者達は皆怒りの色を隠せない。一触即発状態になった大通りでは通りすがりの人々が慌ててその場を離れ、身を隠そうとしていた。
「お前達、何を騒いでいる」
すでに日は落ちているとはいえ、人目がそれなりにある大通りで小競り合いをする人の輪に、別の集団が近づいた。
「頭!」
中にいた一人の男がそう呼ばれる。おそらく荒くれ者のフィルメイア兵団を束ねる隊長格の男らしい。ますます悪化していく事態にザックスは途方に暮れた。
「何を騒いでいる。一般市民とのいざこざはご法度だと通告したはずだ。この腐った国では俺達のような傭兵は肩身がせまいという事を忘れたのか?」
「ですが、頭。この生意気な若造が仕来りを無視して、俺達に挨拶をしやがらねえんで……」
その言葉に男はザックスの姿をじろりと値踏みする。ウルガ達よりもやや年上に見えるその男は、丁寧に部族礼をすると名乗りを上げた。
「《神眼の部族》出身、フィルメイア第三兵団を預かるブランカだ」
人を束ねる者が持つ独特の空気を身にまとい、実に堂々とした振る舞いだった。
周囲の厳しい視線がザックスに向けられる。大陸中に散らばるフィルメイア兵団の数人しかいない頭目の一人が直々に先に名乗りを上げたのだ。本来ならばザックス如き若造が受けるような扱いではない。男の行為に完全に逃げ場をなくしたザックスは仕方なく腹をくくった。もう2度とするまいと心に誓った部族礼と共に、彼らに名を告げた。
「《翼の部族》出身、ザックスだ」
その言葉とザックスの部族礼に周囲の者達が凍りついた。
「お前……。《翼の部族》の人間だったのか……」
男達の間に緊張が走る。彼らの纏う空気が明らかな敵意と殺意に代わった。
「冗談じゃねえ。こんな奴、今すぐ殺してやる!」
一人の男が進み出て部族礼をすると腰の剣を引き抜いた。その姿に舌打ちをする。《鉤爪の部族》――《翼の部族》と因縁深いその出身の男は明確な殺意をザックスに向けた。
「仕来りを守るのがフィルメイアなら、同胞に武器は向けないんじゃなかったのか?」
「うるせえ、先に武器を向けたのはテメエらだろう。《翼の部族》の人間は同胞なんかじゃねえ、只の裏切り者の咎人だ」
「否定はしないよ」
その言葉に男はさらに激怒する。不意に成行きを見守っていたブランカは静かに告げた。
「剣を収めろ。ここは異国の地であって、フィルメイアの恥部を大っぴらにさらすべき場所ではないぞ」
「冗談じゃねえ、いくら頭の言葉でもこいつだけは従えません。俺達はこいつらに部族の兄弟達を殺されたんだ! 私闘の罰は後でいくらでも受けます。でもこいつを見逃す事だけは絶対に譲れませんぜ!」
周囲の幾人かが男に同調する。そんな彼らの姿にブランカは表情をわずかに歪めた。
「制裁を加えさせてもらう。部族の仲間達の仇だ」
男は引き抜いた剣をザックスに突きつける。同時にザックスの周囲をばらばらと男達が囲んだ。
相手は十数人。皆歴戦の傭兵ではあるが、生憎とこちらは《冒険者》、戦士としての能力のキャパシティはこちらが圧倒的に上のはずである。
《ミスリルセイバー》を抜く事はない。ただ密かに《駿速》《爆力》《全身強化》の補助魔法を三重掛けして彼らの様子を窺う。
「《翼の部族》の咎人に制裁を!」
言葉と同時に男が剣で切りかかる。素早く男に向かって踏み込んだザックスは剣を振り上げた男の腕をからめ取って投げ飛ばし、石畳に叩きつけた。衝撃で悲鳴を上げた男は、全身を貫く激痛に転げまわる。
「ヤロウ、やりやがったな」
ザックスの周囲を囲んだ男達が腰の剣を引き抜き、次々に襲いかかる。《駿速》によって得られたスローモーションの世界の中で、襲いかかる男達の攻撃をいなしながら首筋に拳を叩きこみ、足払いで転がし、急所を蹴りあげる。《爆力》の効果で倍増した膂力で叩きのめされた男たちは次々に地面に倒れ伏す。
単なる若造と侮っていたザックスの予想外の強さに、彼の周囲を囲んでいた歴戦の傭兵達の間に動揺が走った。
「こ、こいつ、《探索者》だ!」
「いや、違う、こいつの首元を見ろ!」
「まさか、じゃあ、《冒険者》……、創世神殿の手先か!」
「成程、そういう事か……」
それまで成行きを静観していたブランカが一歩、歩み出た。
「まだ、故郷の地を離れてそう長くないだろうに、その尋常でない強さはどうやら訳ありのようだな。《冒険者》って奴らを知らない訳ではないが、お前の力はどうも常軌を逸しているようだ」
緊張感をみなぎらせながら歩み出たブランカの姿に、彼の部下達が息を呑む。
「か、頭……」
「下がっていろ。お前達にどうこうできる相手じゃない」
倒れたままの部下達にそう声をかけると再びザックスに向かう。
「お前達の部族がおこした問題については俺も色々と聞いている。正直に言わせてもらえば、愚かな年寄り共の言葉を鵜呑みにして騙され、下らぬ計り事の犠牲になって全てを失ったお前達《翼の部族》の若者に俺は同情している。だがな……」
男の纏う空気が変わる。
「俺も兵団を預かる身だ。こいつらを束ねる身としてこの状況を見過ごす事は出来ない。ましてお前は《冒険者》……。残念ながら創世神殿の手先に成り下がっている元同胞を、このまま放置する事はできない。フィルメイア兵団長の一人として、そして《探索者》として、済まんが俺自身の手で制裁を加えさせてもらう」
「頭!」
差し出されたブランカの手に部下の一人が槍を握らせる。ザックスの眼前で数度それを振りぬき静かに構える。その恐ろしいまでの自然体にザックスの背筋に冷たい物が走る。反射的に腰の《ミスリルセイバー》を引き抜いて、ブランカに向けた。
「頭が槍を構えた。あのガキ……、死んだな」
誰かがぽつりと呟いた。
槍――剣よりもはるかに原始的で歴史の深いその武器は、フィルメイア人にとって特別な意味を持つ。
多数が入り乱れる人間同士の戦場で最も脅威を発揮するその武器を自由自在に扱えるという事は、彼がそれだけの実戦経験を積んでいるという事を示す。その構えを見て反射的に剣を抜かされた――それは、ザックスの本能がブランカの実力を侮るべきでないと判断したということだろう。
だが、いかに歴戦の勇士とはいえ、マナに裏打ちされた冒険者としての力量と補助魔法の効果でアドバンテージはこちらにあるはずである。圧倒的な力とスピードは経験の上に成り立つ技量を駆逐する。負けるわけねえだろう、と己を鼓舞して、ザックスはブランカと向かい合う。
――二人の間の緊張が一気に高まっていく。
先に手を出したのはザックスだった。いかに槍の使い手とはいえ、所詮は長物。間合いを詰めてしまえばこちらの有利は必定。《駿速》の世界の中でブランカの懐に飛び込んだザックスは必殺の一念と共にブランカに突きを打ち込んだ。
「もらった!」
だが、彼の刃がブランカの身体を捉える手ごたえは無く、突き出された切っ先の向こうにあるはずのブランカの姿は無かった。その事実にザックスの心が大きく動揺する。こちらは《瞬速》の世界に身を置いている。《冒険者》でもないブランカがついてこれるはずはない。
不意にザックスの背後に気配が生まれた。圧倒的な殺気を伴ったそれに向き直ったザックスの目に、槍を構えたブランカの姿が映った。すかさず横なぎの一撃を加えようとしたザックスに、迎撃の姿勢をとったブランカがカウンターの一撃を放つ。
「《流星槍》、とくと味わえ!」
言葉と同時に無数の閃光が視界に広がった。次いで、ザックスの左肩口に、右前腕に、そして腹部に強烈な熱が生まれ、激痛と共に身体を駆け巡る。
下腹から力が抜け落ち、傷口から噴き出した血が石畳を濡らした。激しい目眩と共に足元がよろけ、ザックスの身体はその場に崩れ落ちる。
「油断だったな」
地に伏せるザックスにブランカは言い放つ。
「フィルメイアの槍は己の傲慢を戒めるためのもの。かつて天空を馳せた我らの先達が借り物の翼を失い、大地に這いつくばって生きる事を余儀なくされた――そんな彼らが再び誇りと共に立ち上がって生きるために選んだ武器だという事を忘れてしまっていたようだな」
頭の上からかけられるその言葉がどこか遠くに聞こえる。
「自身が《冒険者》であるその力に溺れ、相手の力を正確に測る事を怠った――それが貴様の敗因だ。世界は広い。マナの力で己の力を倍加させる事ができるのは《冒険者》だけではないという事を知っておくべきだったな」
ザックスの返事はない。多量の出血ですでに意識はもうろうとしている。
そんなザックスの姿を見下ろすブランカの顔には僅かに悲しげな色が見えた。
手にした槍を一振りすると伴の者に放り渡す。
「戻るぞ」
その言葉と共に背を向け歩き出そうとした。と、《鉤爪の部族》の男が倒れたザックスによろよろと近づき、見下ろしながらその剣を振り上げた。
「くたばれ!」
ほとんど意識を失っているザックスの頭上に、卑劣な剣の一撃が振り下ろされようとするその瞬間だった。
激しい金属音が石畳を叩きつけ、同時にザックスに剣を振りおろそうとした男の身体が通りの遥か向こうにまで殴り飛ばされた。
「な、なんだ!」
突然の出来事に周囲の男たちが目を見張る。現れたのは大人の身長を軽く超える巨躯をもつ甲冑を着た戦士だった。
「て、鉄機人だ!」
その言葉に兵団に動揺が走る。
彼らの頭であるブランカを護るかのように陣形を組み直すと、手にした武器を現れた《鉄機人》と呼ばれる鎧の戦士に向けた。
そんな兵団に対してまるで倒れ伏したザックスをかばうかのように立ちはだかる鉄機人。
その姿を一瞥したブランカは静かに命令を下した。
「引くぞ」
「頭、しかし、あれは俺達の今夜の獲物だったはず」
だが、その言葉にブランカは耳を貸さなかった。
「今夜は引け。兵団にこれ以上の損害は無意味だ。負傷者を含めたこの人数で、奴とやり合って勝てる自信があるのか?」
その問いに部下達は眉を曇らせる。ブランカの言葉は道理である。だが、そんな困難な状況にこそ熱くなるいつもの彼らしくない言葉に部下達は戸惑いを見せた。
「今夜は引け、命令だ」
短く言い切ると倒れ伏したザックスの姿に僅かに目をやり、そのまま一目散にその場を後にする。
頭目自らが逃げ出したのだから、部下達も従うしかない。波が引いて行くかのように一斉に退却を始めたフィルメイア兵団の傭兵達が立ち去った後には、意識を完全に失って倒れ伏したザックスと《鉄機人》と呼ばれる全身を甲冑で覆った大柄な戦士の姿のみが残された。
2012/03/26 初稿