07 アルティナ、危機一髪!
塔内に不気味な咆哮が低く木霊する。
完全に理性を失い狂戦士化したその姿は、当に遥か昔の神話に出てくるミノタウロスという名のモンスターその物だった。遠い昔、とある冒険者パーティによって退治されたというその怪物は、眼前のマイロンと同じような牛族の戦士のなれの果てだったのだろうか。
瀕死の状態にある狼族の男の身体を掴み上げていたマイロンに、駆けつけるや否やアルティナは怒鳴りつける。
「それまでよ! いい加減、弱い者いじめはやめなさい!」
平静の彼らならば激怒するであろう言葉を掛けられて、マイロンの動きが止まった。生きの良い新たな獲物であるアルティナの姿を眼前に舌なめずりする。野卑な仲間たちと異なり、平時は寡黙でどこか孤高の空気をふりまく彼だったが、理性のかけらもない今の姿は醜悪その物だった。ぐったりとなった仲間の身体をマイロンが放り出すと同時に、アルティナは溜めこんでいたマナを解放し、濃密な空気の塊と化した《風塊弾》をマイロンに叩きつけた。
並の戦士くらいならば簡単に弾き飛ばす事の出来るその風術でマイロンを壁に叩きつけ気絶させる事を狙ったのだが、狂化したマイロンはその異様なまでの脚力で耐えきった。同時に彼はアルティナに向かって突進する。頭部の鋭い角でアルティナの身体を狙うが、その突進をアルティナはひらりとかわす。補助魔法《駿速》をかけているとはいえ、その凄まじい突進を寸前でかわすのは背筋が凍る。目標を失ったマイロンは頭から壁に激突し、動きを止めた。
壁石を破壊するほどのその凄まじい激突だったにもかかわらず、マイロンはのっそりと立ち上がり再びアルティナの姿を探す。再び彼女に突進しようとしたその瞬間、アルティナは指先にマナを集中させると《雹結弾》をその足元に放った。バランスを崩され、その場に音をたてて倒れ伏したマイロンだったが、腕力を使って強引に起き上がると、無理矢理足元の氷を引きはがした。皮膚の一部が凍りついたまま強引に引きはがされたにもかかわらず、マイロンは何事もなかったかのようにアルティナに狙いを定めた。
その姿に再び寒気を覚える。
眼前の凶暴な獣はアルティナを殺すつもりのようだ。ふたたび彼女を突き殺すべく突進する。
ぎりぎりのタイミングを狙って再びかわした彼女だったが、その彼女の身体に向かって太い腕が伸びた。強烈な衝撃が彼女の腹部を直撃する。
一瞬意識が飛びかけたアルティナだったが、その腕を抱え込み最後の力を振り絞って、《雷撃》を叩きこんだ。周囲に焦げくさい匂いが充満し、その巨体が音を立てて地に伏した。
激しくせき込みながらその場を離れたアルティナは、壁に寄りかかって立ちあがる。殴られる瞬間、逃げ場をなくしそれをかわせない事を察知した彼女はとっさの判断で腹部にマナを集めて《部分強化》を施していた。少しでも遅れていたら一体今頃どうなっていた事か……
(これで、もう動けないはず)
低レベルの術とはいえ、彼女の膨大な理力によって生み出されたその威力は並の高位魔術師の比ではない。直接触れられた状態で強力な雷撃を叩きこまれたのだからもはや動く事は敵わないはずである。
だが、マイロンの肉体はそんな彼女の予想をはるかに上回っていた。全身をクロコゲにしながらもゆるゆると起き上がろうとするその姿を眺めながらアルティナは完全に肝を冷やした。決して効いていない訳ではないのだから、実戦を積み重ねたものならばここはすかさず同じ攻撃で畳みかけるところである。だが、このような場面での経験が乏しい彼女は完全に動揺した。
「ウソでしょ、どうしよう……」
マイロンを一瞬で殺してしまうだけの強力な術がない訳ではない。彼を気絶させて、獣戦士化を解かなければ意味はない。だが、この状況では彼の命を救う手段は無いに等しい。最悪、彼を殺して仲間達の命だけでも助けねばならぬ羽目になりかねない。
迷う心のまま、ふと、崩れ落ちた壁面に目をやった。激しい衝撃で崩れ落ちた壁面から、通路の向こう側の光が見えたような気がした。
(確かこの区画は塔の外観の壁に面していたわよね……)
ミンの持っていた攻略マップの内容を思いだす。
(だったら、あの手を使ってみるか……)
力技の攻撃魔術とは異なり繊細なマナのコントロールが要求される未完成の術である。だが、圧倒的なタフネスを誇る相手に対して、《駿速》でスピードこそ勝っているものの、万が一にでも掴まれてしまったならばもはや絶望的である。接近戦は避けなければならない。誰の援護もない戦い――ふと、夢の世界で重ね続けた孤独な旅路が脳裏をよぎる。
「お、おい、エルフの姉ちゃん……」
ダメージから僅かに回復した二人の獣人族の男が、離れた場所からアルティナにおそるおそる声をかけた。
「動けない仲間を連れて出来るだけ下がってて。お願い!」
アルティナの有無を言わせぬ強い言葉に、二人は慌てて従った。
(大丈夫、きっとできる……)
一瞬だけ相棒の顔を思い浮かべたアルティナは、よろめきながらも必死に起き上がろうとするマイロンの姿を確認すると、目を閉じ意識を集中する。
使用するのは輝光術。
集めたマナを変換し、輝く糸束をイメージする。さらにそれを使って像を編む。
眼前の敵がいつ襲いかかってくるか分からぬ恐怖感の中で、極限まで意識を集中してイメージによる緻密な作業を繰り返す。
呼吸を忘れ、永遠にも続くかと思われる時間の果てに、彼女の前には自身を模した虚像が生み出された。
(たった一つか……)
未完成の術だけあって、まだまだ複数の像を生み出す事はできないらしい。ようやく立ちあがり化物じみた体力でダメージを回復させつつある凶獣の前で、アルティナの姿をした虚像が自在に宙を踊る。
『ふふっ、どうしたの……』
『私は、こっちよ、捕まえてごらんなさい……』
眼前を踊る光り輝く彼女の虚像に魅了され、手を伸ばしては空を切るその行為に業を煮やしたマイロンは、再び咆哮をあげると虚像に突進する。
繰り返す事数度。
彼女の像に翻弄されるマイロンは何度も突進しては激しく壁面に激突した。凄まじい地響きが区画内を揺るがす中、艶やかに宙を踊る虚像を操るアルティナはいつしか口元に僅かな笑みを浮かべていた。もしもそれを目にした者がいたなら魅了されるに違いない――そんな微笑みを浮かべて、離れた場所から虚像を操るアルティナは、目的の壁面へとマイロンを巧みに誘導した。
2度、3度と激しくマイロンが激突した壁面が崩れ小さな穴が開いた。すでに西に差し掛かり始めた日の光が一筋、仄暗い通路に差し込んだ。
(そろそろね……)
その場所から一度大きくマイロンを引き離したアルティナは、虚像を消すと崩れかけた壁面に背を向け、片手で腰の《袋》を探る。いよいよ最後の難関である。
一つ深呼吸したアルティナは、補助魔法《駿速》を掛け直すと、目標を突然に失って混乱するマイロンに向かって大声で叫んだ。
「どうしたの? 鈍牛さん。私はこっちよ。捕まえて引き裂いてごらんなさいな!」
好戦的な笑みを浮かべて挑発するアルティナに、一声雄叫びをあげたマイロンは、角を突き出し頭から突進する。《駿速》の効果によって感じられるスローモーションの世界の中で、真正面から同じく突進したアルティナは、激突の瞬間、その角に手を掛けひらりと宙に飛び上がりマイロンの頭上を軽やかに飛び越した。目標を失ったマイロンの身体が激しく壁面に叩きつけられ、さらに大きく軋んでひび割れた。
着地と同時に振り返った彼女はマイロンに向かって再度《風塊弾》を放つ。濃密な空気の塊がマイロンの身体を壁面に押し付け、その勢いで、ついに塔の外壁が崩れ始めた。
支えを失ったマイロンの身体が宙をもがく。ここは最上階である20階。いかに獣戦士化しているとはいえ、堕ちてしまえばひとたまりもない。
素早く《袋》から数日前に購入したマジックロープの束を取り出したアルティナはその場にそれを放り出すと、スローモーションの世界の中でロープの片端をマイロンに向かって放り投げ、しっかり握ってマナを込めた。放り投げられたロープの片端は、落下するマイロンの片足にまるで生き物のように絡みつき、彼女のイメージ通りの結び目を作って彼の身体を繋ぎとめる。
(後はこれをどこかに固定して……)
突然、周囲を確認しようとした彼女の両手に、強烈な衝撃が走った。そのままずるずる身体ごと一気に崩れた壁面へと引きずられる。
落下するマイロンの体重は支えるアルティナより遥かに重い。その重さに耐えきれず、華奢な彼女の手のひらはあっという間にすりむけて血まみれになり、まるで焼け火箸を握っているようだった。必死に足を踏ん張ろうとするものの、その効果は皆無に近く、彼女の身体は外壁から転落しかけた。
「も、もう駄目……」
視界に遥か下方の光景が目に入った瞬間、相棒の顔が脳裏をよぎる。
『最後の詰めが甘いんだよ』
呆れたような表情で呟くその姿が、なんだか無性に腹立たしかった。
「こんなときくらい、力を貸してくれたっていいじゃない!」
そんな叫びも空しく彼女の身体が壁面でバランスを崩しかけたその時、がくんと衝撃を受けて勢いが止まった。慌てて振り返ったその先には二人の獣人族の男がロープを支える姿がある。
「す、すまねえ、姉ちゃん。こ、ここからどうすりゃいい」
「ロープの固定先を見つけて……。獣戦士化が解けるまで、彼には悪いけど暫くぶら下がっててもらうわ」
「わ、分かった。仕方ねえよな……」
三人がかりで暴れるマイロンの身体を引き上げる。だが、トラブルはさらに続いた。
「ヤベェぞ! ロープが持ちそうにねえ!」
暴れるマイロンのせいなのか、あるいは不良品を掴まされたのか。伸びきったロープは徐々に擦り切れ始め、もはや持ちそうにない。
「そんなのダメよ!」
ここまできて全てが水泡に帰してしまうのか?
だが、3人の願いもむなしく、伸びきったロープは少しずつ擦り切れてゆく。と、その瞬間、最悪の事態を迎える事に焦りを覚えた彼女達の傍らから、外壁に向かってさらに別のロープの一端が投げこまれ、逆さ吊りになって暴れるマイロンの足に絡みついた。
「ふうー。危機一髪ってところね」
現れたのはミン達三人だった。
「あんた達、この貸しは高いわよ!」
二本のロープを使って6人はマイロンの身体をゆっくりと引き上げて行く。ぎりぎりのところまで引き上げられたマイロンの身体を宙づりにしたまま固定して、彼女達はようやく息をついた。
「急にいなくなるから、びっくりしたじゃない」
「大丈夫? 手を見せて」
ずるずるに擦り剥けたアルティナの手のひらに、ターニャが癒しの魔法をかける。
「……ったく、契約違反よ。私達がお宝を掴むまでがあんたの仕事だってのに……。こんな奴らに手を貸して人助けなんて、お人好しにも程があるわ!」
あきれ果てたミンの言葉にアルティナは下を向く。だが、悪戯っぽい笑みを浮かべてミンは続けた。
「お陰でこいつらには大きな貸しを作る事が出来た訳だし……。どうやって返してもらおうかしら」
アルティナの手を癒したターニャが、さらに倒れている重傷の彼らの仲間達を回復させていく姿に、すっかり面目丸つぶれの男達は言葉もない。壁穴の向こうから聞こえてくるぶら下がったままのマイロンのうなり声が風に乗って通路内に低く響いた。
「ねえ、ちょっと、ミン! こっちきてよ! 壁穴の向こうに通路が見えるんだけど!」
マイロンの暴走で生まれた壁穴を覗き込むジョアンの言葉にミンとアルティナが駆け寄った。
「確か、この壁の向こうって……」
慌てて3人でマップを確かめる。そこはまだ到達できていない最後の区画だった。だが、厚い壁石に僅かに空いた穴は潜り抜けるには余りにも小さすぎた。
「なんか腹が立つわね……、目的地は直ぐそこだってのに……」
忌々しそうに言うミンの言葉に、アルティナはふとある物の存在を思い出した。
「そういえば、こんな物があったんだけど……」
《袋》からツルハシを取り出す。2日目の朝に塔の十階で見つけたスペシャルボックスの景品である。ツルハシを手にした3人は顔を見合わせた。
「これっていいのかしら……。だって、トラップタワーなんでしょ」
「いいんじゃないの。わざわざスペシャルボックスに入れるほどのモノなんだから、どう使っても文句はないでしょう」
ボックス取得の報告にいった際に実行委員だけでなく観客達にまで笑われた事を、ミンはまだ根に持っているらしい。
「でも、これで壁を崩すのは結構ホネよ」
おそらく自分の仕事になるんだろうと予想したドワーフのジョアンがうんざりとした声で言う。だが、そんな彼女にミンは笑って続けた。
「大丈夫! あてはあるから。そうでしょ、あんた達!」
振り返った先には比較的軽傷だった獣人族の二人の男達の姿がある。
「でっかい貸しのほんの一部として、きびきび働いてもらうわよ」
その言葉に二人は顔を見合わせ、大きく肩を落とした。
「分かったよ。あんた達はともかく、そっちのエルフの姉ちゃんは俺達の命の恩人だからな……」
意外と義理がたい性格のようである。しぶしぶとツルハシを受け取った男たちは壁穴に向かう。かくしてミン監督と獣人作業員による突貫穴掘り作業が始まったのである。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
トンテンカンとダンジョン探索に似合わぬ音が響く事、小一時間。ようやく人一人が通れるほどに開いた壁穴を潜ったミン達一行とその従者達総勢6名は、獣戦士化が解けて気絶したまま引き上げられたマイロン達を置いて先へと進んだ。
さほど広くない区画の奥端に見慣れぬ扉が見える。まだ誰も到達していないはずのその場所に眠るだろうお宝の存在に、誰もが胸を躍らせる。と、扉の前で狼族の男が突然足を止めた。
「ちょっと待て!」
「何よ! 今更分け前をよこせ、なんて言い出すんじゃないでしょうね」
「あんたも根に持つなぁ……。安心しろよ、そっちのエルフの恩人さんに誓って、俺達はそんな真似しねえ。あんた達にひっついてるのはリーダーの代わりに、結末を見届けたいだけさ。そんなことよりも……」
目を閉じ、耳を傾ける。一行の中で最も聴覚の鋭い狼族の男はそのまま続けた。
「扉の向こうから誰かの声が聞こえる」
「ウソ! 先を越されたっての!」
慌てて駆け寄ろうとするミンの腕をとって男は続けた。
「そうじゃねえ、なんか様子がおかしいんだ」
その言葉に僅かにいぶかしげな表情を浮かべたミンは、音を一切立てずに扉を細く開くと中の様子を窺った。
中にいたのは二人の男達。その服装から実行委員会の人間だと推察される。
「まったく、こんな茶番に付き合わされて、冒険者共もいい面の皮だぜ」
「空っぽのお宝を巡って大騒動。まあ、これで街も潤うってんだから冒険者さまさまだな」
「寸前まで区画を解放せずに最後の箱にトラップを仕掛けて時間切れ……。また来年いらっしゃい、ってとこか……。台本書いたの、どこの部署のやつらだ?」
「さあな、俺達の仕事は全てが終わった後で、このお宝が入っているはずの空箱を、ありがたそうに運び出すだけなんだから、興味ねえな……」
あまりといえばあまりの話の内容に、聞き耳を立てていた6人の顔色が変わった。
「なかなか面白い事を言ってくれるじゃないの、こいつら……」
冷ややかな笑みを浮かべたミンが立ちあがり、その長い足で力任せに扉を蹴り開ける。それを合図に6人の冒険者達が激しい怒声と共に室内になだれ込んだのだった……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
室内にいた男達をローブでぐるぐる巻きにして実行委員会の元に乗り込んだミン達は、役員席に座る委員会重鎮の老人達と睨み合っていた。
「さて、一連の事態の落とし前、しっかりとつけさせてもらいましょうか……」
「テメエらの仕掛けたトラップのせいで俺たちは、吊り下げられた上に危うく死にかけたんだ!」
ミンと狼族の男の言葉に委員会の担当者達は顔色を変えている。塔の一部が破壊され吊り下げられる冒険者の姿や、その後に拘束された男達を引きずって現れた怒り心頭の姿が観客達の目にさらされる事で、会場内には様々な憶測が流れ始めている。ミン達が偶然に見つけた封鎖区画に通じる転移魔法陣は、仕掛けた者の意図に反して誤って発動した物らしい。
「ふむ、そんな話、我々は聞いていないな。どういう事か担当者を呼びたまえ」
「困りますね、それが事実ならば冒険者協会としても、来年からこの催しに大々的に協力する事はできかねますな……」
実行委員席に座る《ユーテリヤ》市の職員や冒険者協会の役員達が責任をなすりつけ合う中、事情をよく知ると思われる進行を担当する総括責任者が引きずり出されてくる。
激務に追われすっかり憔悴した男の表情は、もはや半泣きだった。
「仕方なかったんです。毎年、催しの規模が際限なく拡大していく一方で、上の人たちは交際費と称してさんざんに使うくせに、見合った予算を十分に出してくれなくって……」
「それを知恵を使ってどうにかするのが貴様ら若い者の仕事だろうが。全く最近の奴らは楽する事ばかり考えおって……」
「毎年挑戦するうちに、旨く攻略の要領を掴む冒険者の方々との知恵比べにも限度がありますし、おまけに景品がケチくさいだの、トラップが子供だましだのと実情も知らずに無責任にさんざん突き上げられて……。冒険者の方々にも怪我人が出ればやれ責任はどうだとか、あっさりアイテムが見つかれば、やる気あるのかとか言われて……。今回の目玉である宝珠の取得にも運搬料に保管料に手数料にとあちこちの業者に次々にむしり取られる有様で……。面倒事を調整してくれるはずの上の方々は役に立つどころか一切頼りになりませんし、お陰で担当者が次々にみんな病気で寝込む有様で……」
その言葉に周囲の年寄り達の顔が大きく歪む。涙ながらの男の話に、彼の同僚と思しき者達からは同情の空気が流れ始め、身勝手な老人達に対しての非難と敵意に変わりつつあった。
どうやらこの楽しげな催しにはずいぶんと生々しい裏話が満載のようだ。予期せぬ成行きにミン達は顔をしかめる。溜息をついた彼女は仕方なく続けた。
「まあ、いいわ。こちらとしてはきちんと払うべきものは払ってもらえれば、この一件を周囲に吹聴して事を荒立てるつもりはないわ!」
「小娘! 我々を脅すつもりか!」
担当者の暴露話にすっかり悪役となった実行委員会重鎮の老人達が声を荒げる。
「何言ってんの! 私達はルールにのっとり正当な勝利者としての報酬を、あるいはあんた達の無責任さが生んだ損害に当然見合うものを要求してるだけよ! ふんぞり返っておいしい思いをしてるだけのあんた達に文句を言われる筋合いはないわ! それが気に入らないって言うんだったら、出るとこに出ましょうか? 冒険者達の間の噂話ってのは、足が速いわよ!」
言葉に詰まる老人達にミンはさらに畳みかける。
「あんた達はどうやら《ユーテリヤ》の将来にも、来年以降の催しの行方にも興味はないらしいけど……。今、問われているのはあんた達にとって大事で仕方がないメンツだって事を忘れないで欲しいわね」
ミンの啖呵に彼らは再び黙りこむ。
どうやら、厄介そうな話はまだまだ続くようだ。その空気に辟易としたアルティナは、事態の解決をミン達に任せ、予めの打ち合わせ通りに不快気な表情を浮かべてその場をそっと離れたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「本当にケチな奴らだったわ」
代替措置としてミンが提案した賞金の支払いを渋る老人達から、不機嫌な顔をして出て行ったエルフをネタに強引に巻き上げた口止め料を手にすると、ミン達は、速やかに《ユーテリヤ》を後にして、最寄りの自由都市のとある酒場に腰を落ち着けていた。迷信深い年寄り達に対して、エルフの呪いの逸話は十分に効果があったらしい。
「カネがないだの前例がないだのと揉めて、さらには責任の所在で揉めて、見苦しいったらありゃしない。挙句の果てには……、もうやめましょう、こんな話。せっかくの料理がまずくなるわ」
そういうとミンはたっぷりと肉汁の詰まったホロホロ牛の炭火焼を一切れ、果実酒とともに口に入れた。それを合図に女四人のテーブルは様々な話題に花が咲く。
穴場のアイテムショップの噂話。
オーダーメイドの防具屋のかしこい利用法。
可愛らしいデザインのマジックアクセサリー。
さらには有名冒険者パーティーの品定め、など。
その話題は尽きる事はない。そんな中でミンがぽつりと言った。
「ねえ、アルティナ。あんた、正式にうちのメンバーにならない? 今のオトコと別れてさ……」
その言葉に思わずせき込んだ。相棒との関係はどうも周囲に大きな誤解を与えているようだ。
「勿論、相手のオトコには私から話すわ。引き抜きの代償としてそれなりの額も支払うつもりよ。この先、冒険者として本気でやって行くつもりなら、女心なんか分からずに理屈の通らない事を平気で喚き散らすオトコ共なんかと組むより、絶対に私達と組むほうがいいわ!」
ミンの言葉にターニャとジョアンが手を止める。どうやら偶然という事ではないらしい。それがミン達の今回のもう一つの目的だったに違いない。
「あんたは冒険者としては人が良すぎるわ。そんなあんたの側には私のようなもっとしっかりした人間がいたほうがいい」
「そうね、考えてもいいわね……。でもね……。私がそうするには絶対に譲れない条件があるの」
「条件? そうよね……。あんたもいろんなものを失っちゃうんだから当然よね。いいわ、どんな事でも飲んでやろうじゃない!」
どんと胸を叩くミンと仲間達の顔を見回したアルティナは、手にした果実酒を一口含むと僅かに微笑んだ。
「私の条件はただ一つだけ。それは……、私と一緒に《魔将》と戦ってくれる事よ」
「えっ」
その一言に、テーブルが凍りついた。
「《魔将》って……、あの《十二魔将》のこと……?」
「ええ。その《魔将》よ」
絶句する3人に微笑みを崩さず、アルティナは続けた。
「貴女達が便利だと考える私の幸運度も底なしの理力値も、元は全て私達に懸けられた正体不明の呪いのせい……。もしも呪いが無くなってしまえば、私達はただの冒険者になってしまうのかもしれない。私達はその事から決して目をそらす事はできない。そして、私達と共に歩む人たちもね……」
グラスの中の水面に相棒の顔が思い浮かぶ。
「そして私達に呪いをかけた魔将は、いつ私達の前に現れるか分からない。現に彼は僅かな期間の間に2度も奴と遭遇してるもの。彼と別れて最初の貴女達とのミッションでそれは起きるかもしれない……。その時は……」
初めての探索の時の地獄と絶望を思い出す。
「今日起きた事なんて子供の遊びだと思えるような事態に、私達は直面する事になるわ。その時、貴女達は彼以上に全力で私と共に戦ってくれるかしら」
真剣なアルティナの言葉を冗談で笑い飛ばす事も出来ず、3人は無言で顔を見合わせる。今日のミン達のように危険な事からは逃げ出す、それは冒険者として当り前のことである。だが、そんな当たり前のことすらできぬのが、今の自分達の状況である事を再認識した。
当惑する3人の様子を眺めながら手にしたグラスを口につけ、再び相棒の顔を思い出す。きっと彼はこんな思いをずっと抱えてきたのだろう。多くの人と関わり、様々な人間関係が生まれる中、ある日唐突に全てが失われ、孤独に追い込まれる。彼は決して口にはしないけれども、その恐さを共有できるからこそ自分達は共にいられるのかもしれない。
「アルティナ、その……、私達は……」
すっかり盛り下がってしまった場の空気を挽回すべく、アルティナはミンの言葉を遮った。
「でもね、今日みたいなのもとても新鮮で楽しかったわ。私だって冒険者なんだから、たまにはこんなクエストを依頼してくれると嬉しいな」
その言葉に3人の顔に明るく花が咲く。
「そ、そうね……。いつもオトコと一緒ばっかりじゃ退屈で窮屈だもの」
「羽を伸ばすのは大切よね」
「だから貴女達、ちょっと誤解してるから……。私と彼の関係は……」
再び姦しく騒ぎ始めるテーブルに新たな料理が運ばれる。暖かな酒場の熱気の中で、むせるほどにたっぷりと香辛料のきいた料理を堪能しながら4人の女冒険者達は歓談する。そんな中、アルティナはふと思った。
(ここ暫くずいぶん言いたい放題で彼の身になって考える事なんてなかったな……。好転せぬ現状に焦ってばかりの私にも非があったのかもしれない……)
こちらから詫びを言うのはなんだか癪だけれども、土産を渡しがてらにもっとゆっくりと話し合う事も必要なのだろう。どんなに焦ったところで今が突然に変わる事など無いのだから……。
翌朝、土産を片手にガンツ=ハミッシュの酒場に上機嫌で帰還したアルティナだったが、当のザックスが彼女を置いて遠く《アテレスタ》の地へと旅立ってしまった事を聞かされ、再び激怒した事は……いうまでもない。
2012/03/22 初稿