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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚01章 ~魂の継承者編~
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05 ザックス、出会う!


 創世神殿――大陸の主要都市に必ず一つは存在する創世神を祭る神殿である。逆に言えば、創世神殿のある都市はそれなりの規模と格式と伝統を備えているとみなされる。

 同時に、この場所は冒険者達に『職』と呼ばれる資格を与える場所でもある。

 冒険者たちは『職』につく事によってそれに応じた様々なスキルを身につける。成長の過程で得られる固有スキルの数を大幅に超えるそれが得られる為、これは冒険者にとって必須事項といえた。

 冒険者のマナLVが10に達し、称号が『見習い冒険者』から『初級冒険者』へと変わると、彼らは《初級職》と呼ばれる資格を得る。マナLVが10に達するまでの間、『見習い冒険者』として彼らが扱われるのは、本当に冒険者としてやっていけるのかを見定める期間だというのが通説である。


 ガンツ=ハミッシュの酒場での大宴会の翌朝、遅めの朝食を済ませたザックスは、酒場のマスターであるガンツの推薦状を受け取ってこの場所へと向かった。信仰心とはとんと無縁な彼であったが、さすがに酒の匂いを漂わせながらの訪問はまずいだろう、と大浴場で身を清めた。

 荘厳な石造りの建物の中には彼と同じく、初めての『職』に就こうとする者や『転職クラスチェンジ』を望む者達が列をなしている。ようやく彼の番が回ってきたのは、昼時を大きく過ぎた頃であった。

「こちらへどうぞ」と事務的な微笑みを浮かべた一人の女性がザックスに声をかける。華やかな衣装に身を包んだその姿を目にして、ザックスは彼女が《神殿巫女》と呼ばれる者である事を思い出した。

 彼女に従い、ザックスはとある一室へと足を運ぶ。入ったその場所で、ザックスは思わずうなり声を上げた。

 そこには子供ですら誰もが知る伝説の一幕を描いた壁画があった。異世界から現れた邪神と呼ばれる《破壊神》と対峙する《創世神》――描き手の有無をいわさぬ圧倒的な筆力が、その戦いの激しさの一部始終を壁面に描きとめている。どこか、懐かしく、それでいて恐ろしく猛々しいその圧倒的な光景に、己の目的を忘れて見入るザックスに、声がかけられた。

「気に入られましたか?」

 くすくす、と笑いながらのその声に、ハッとザックスは意識を取り戻した。壁画の足もとの机についた一人の神殿巫女の姿に気付く。その容貌に再び息を呑んだ。

 年の頃はまだ十代半ば、あるいはもっと幼いだろうか? 流れるような美しい銀髪にあどけない笑みを浮かべる彼女の頭には、小ぶりの兎の耳があった。

 サザール大陸には多様な人種で構成される人間族の他にも、亜人と呼ばれる人々が存在する。妖精族や獣人族と呼ばれる人々がそれにあたる。本質的な部分では人と変わらぬものの、特徴的な容姿と独自の思考や慣習は、時に他種族との争いの火種になる事も多い。

 犬族、猫族などに代表される六部族を始めとした多くの種族によって構成される獣人族だが、眼前の少女は、獣人族の中でも、その類い稀な容貌と明晰な頭脳を誇る《兎族》とよばれる種族の出身者であることが見て取れた。

 男女を問わず幼少時のコケティッシュな魅力と成人時の圧倒的な美貌には、誰もが心を奪われる。過去には、一部の不埒な者達によって、人身売買の対象とすらされたと聞く。その明晰な頭脳は国の中枢部でも十分に活用され、人間族が主導権を握る国や自由都市において、獣人族でありながら有能な官僚や政治家として名を馳せる者も多いという。

 欠点と云えば、大抵のものが人間族に比べて長寿を誇る獣人族にしては短命であるということくらいだろう。その類い稀な資質故に、人間族、獣人族を問わず敵も多く、偏見をもって扱う者も少なくない。

「あの……、私の顔に何かついているでしょうか?」

 ザックスの視線に気を悪くしたのだろうか。幼い顔立ちに少しばかりムッとした表情を浮かべて、今度は少し居丈高に振舞おうとする。気を悪くした様子すら可愛らしい絵になるのだから、兎族の魅力とは恐ろしい。

「い、いや、その……すまない。こ、こんな可愛らしい人を見るのは初めてなんで……、その緊張しちまって……」

 しどろもどろに、決して悪意がない事を示そうとするザックスの姿とその言葉に、彼女は一瞬で赤面した。

「こ、こちらこそ、御免なさい。その……、私の外見がこんなせいで、気を悪くされる冒険者の方もいらっしゃるので……」

 創造神殿の巫女といえども、それなりに気苦労があるらしい。まだ巫女服姿が板についていない様子の彼女は、新米巫女といったところなのだろうか。

「初めて『職』に就かれるのですね?」

 ザックスからクナ石の首飾りを受け取った彼女は、そのステータスを確認すると僅かに小首を傾げる。が、直ぐに何事もなかったかのように、説明を始めた。深い瞳の色に魅入られるかのように、ザックスは彼女の顔から視線を外せなかった。

「これからザックス様には初級職に就いて頂くための洗礼を受けて頂きます。洗礼といっても、滝を潜り抜けて頂くだけのきわめて簡単なものですが……」

 小ぶりの耳を時折ぴくりと動かしながら、少女は説明を続ける。

「《初級職》は全部で三種類。戦士、詠唱士、技能士と呼ばれる物です。戦士は主に近接戦闘系のスキルを、詠唱士は主に魔法系のスキルを、技能士はダンジョン探索に欠かせないスキルやレアスキルを覚えていきます。そのほかにはマナLVによって、冒険者個人のもつ潜在的特質から発生する固有スキルというものも存在します。ここで注意すべき点なのですが……」

 僅かに緊張した面持ちになって声を潜めた兎族の少女は、言葉を選ぶように口を開く。その様子に思わず背筋を正した。

「冒険者の方々に職業選択の自由はありません。全ては《創世神》の御意志であって、それを変える事は私達神殿に従事するものにもできないのです」

「つまり、自分の望み通りの職業に就く事は難しい……と?」

 ザックスの言葉に彼女は一つ首肯する。

「《戦士》や《詠唱士》の場合は、大抵これまでの冒険者の方々の適性に応じたものに割り振られます。ただ、盗賊職などの《技能士》系の特殊職をお望みの方が、後々その通りの職に就けるかどうかは難しいのです。よろしいでしょうか……」

 それまでの自身ある口調から一転して、彼女は戸惑うような瞳でザックスを見上げる。『職』はパーティの編成に大きな影響を与える事柄である。現在のパーティを解散せねばならぬ事態にもなりかねず、特定の仲間たちと行動を共にしてきた普通の冒険者達には、厳しい問題となるのだろう。

「いいさ、今のところ、別にこれといった問題もないしな……」

 幸か不幸か、そういった制約のない今のザックスには大きな問題ではなかった。ザックスの答えに巫女の少女は表情を崩し、心から安堵した様子を浮かべる。自身がどうにもできない事に文句を言われたらどうしようか、と内心びくびくしていたのだろうか。まだまだ経験不足らしい彼女が見せた一面に、微笑ましさを覚えた。

「最後に、『経験値の寄進』はいかがされますか?」

「経験値の寄進?」

 聞きなれぬ言葉に首を傾げる。そんなザックスの様子に、少女は再び説明を始めた。

「現在、ザックス様のマナLVは16と示されております。『経験値の寄進』とはこれまでの冒険で得られた経験値によって増加した体内のマナを解放し、マナLVを意図的に落とす行為です」

「なぜそんな面倒くさい事を?」

「マナLVを一度落とした後、再度探索やクエストにおいて経験値を得て再びそのLVに達すると、以前の時よりも高いパラメータを得る事が可能です。もちろん、限界値の個人差はありますが。初級冒険者から中級冒険者へと至る過程は、とても重要な期間ととらえられておりますので、多くの方がそうなされるようです。巷では『経験値売買』と呼ばれる行為と似ておりますが、勿論、神殿に寄進された経験値に相当するマナは、有益な手段で神殿の様々な慈善行為に還元されます」

 にこりと微笑んでぺろりと舌を出す。建て前はともかく、実態は自分のような下っ端巫女には分からないと言っているようだ。金策に困りがちな初級冒険者の資産状況によっては、ここで『寄進』するよりも自由都市内のしかるべき場所で換金化して、今後の探索の資金としたほうが有利ですよ、という心遣いなのだろう。

 その提案は長い目でみれば冒険者にとって有利な行為である事は間違いないようだ。『経験値売買』と云う言葉に少々抵抗があるザックスは、彼女の勧めに従って『寄進』を行う事にした。

「ええと、どのくらい『寄進』できるんだ?」

「短期間で体内からマナを解放する為、一度に余りにも大量のマナを放出すれば、体内のバランスを崩し健康を損なう事もあります。今のザックス様のLVでは『職』に就かれるという事を考慮すると、LV10程度までが妥当であると思われます」

「じゃあ、それで頼む」

あっさりと即断するザックスに少女は微笑んだ。

「ではこちらに手をかざし、マナを込めてください」

 言われるままに、傍らに置かれた『ケル石の結晶』の上にザックスは手をかざす。彼の手の甲に、少女が自身の手を重ねた。

 彼のものよりずっと小さな手のぬくもりに思わずどきりとする。

 彼女が何事か小さく呟くと同時にザックスの手の平から何かが解放され、手の下にあるケル石の結晶に吸収されていく。僅かに上気した顔を上げた彼女はザックスの体調を案じた。

「お身体は……、大丈夫ですか?」

「ん? ああ、なんか頭がすっきりした感じだな」

 マナが解放された瞬間、一瞬倦怠感を覚えたものの、すぐに体内に清涼感が満ちてきた。ザックスは気持ちよさげに座ったままで軽く伸びをする。ふと、傍らのクナ石の首飾りを手に取り、その表示を覗き込む。ザックスのマナLVが再び10に戻った事が示されていた。

 何事もなかったかのようなその姿にかなり驚いた表情を浮かべた少女だったが、直ぐに微笑みを取り戻し、言葉を続けた。

「それではこれから《洗礼の滝》へと向かいます。私についてきて下さい」

「ああ、よろしく頼む」

 少女は立ちあがり、ザックスを先導しながら部屋を出ようと扉に手を掛けた。ふと思い出したように振り返ると彼女は尋ねた。

「あの、どうして冒険者を続けようと思われたのですか?」

「えっ?」

 不意の質問に思考が止まる。戸惑うザックスの姿に少女は慌てて詫びた。

「す、すみません。立ち入った事を聞いてしまって……。ただ……、協会指定案件6号に該当する事件。それは貴方が過去に命を失うなどと云う言葉では語り尽くせない恐ろしい目に遭われたという事。普通だったら冒険者を廃業して別の道を模索するでしょう。でも貴方は冒険者であり続けようとされている。いったいどうしてなのか、そう、疑問に思ったのです」

 いつの間にか食い入るようにザックスに迫っていた少女は、ハッと我に返って赤面し、一歩身を引いた。その姿に気を悪くした様子もなく、ザックスは宙に視線を飛ばした。暫し黙考して、彼は己に言い聞かせるように口を開いた。

「今のオレには冒険者以外に生きる選択肢を思いつかないからな。だから、オレにかけられた訳のわからない呪いをまずはどうにかしなきゃならない。けど、それだけじゃない……。理不尽な状況に一方的に放りこまれた怒りってのもあるだろうな」

「怒り……ですか?」

 少々不穏な言葉に少女は眉を潜める。ザックスは構わず続けた。

「オレを弄んだ理不尽な運命に一矢報いてやりたいってやつだな。でも、なんだかそれだけでもないような気もするな……。俺は、もしかしたら、今の状況を楽しんでいるのかもしれない」

「自身に与えられた困難を楽しんでいる……と?」

「そんな大層なものじゃないさ。嫌な事も怖い事もあるかもしれないが、それでも仲間たちと連れだって目的を完遂して、それを共に喜びあう――たった一度だったけど、俺は初めて過ごしたそんな時間がとても楽しかった。もう一度、あるいは何度でもあんな時間を過ごしてみたい、そんな冒険者の毒に染まり始めているのかもしれないな……」

 すぐ側の少女の瞳に映る己に向かって、ザックスは小さく微笑んだ。状況が悪いなりにも、全てが悪い事ばかりではない。ウルガ達との出会いは、長らく忘れていた勝利と成功の喜びというものを、彼に思い出させていた。

 ザックスの顔を暫し、まじまじと見つめていた少女は、小さく微笑んでザックスの手を取ると、しっかりとした足取りで扉の向こうへと彼をいざなった。

「参りましょう。貴方がこれから見出すであろう何かの為に、私にお手伝いさせてください」

 彼を先導しようとする小さなその手は、温かなぬくもりに満ち溢れていた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「ええっと……」

 戸惑うザックスの隣で巫女の少女も又、顔を少し赤らめて立っている。

《洗礼の滝》――滝と云っても建物の上層から下層に向かって水が落ちていく人工の滝である。

 洗礼着である腰巻だけの姿になって膝まで水に浸かっているザックスの隣には、やはり彼と同じように洗礼着に着替えて膝まで水に浸かった少女の姿があった。このまま二人で《洗礼の滝》を潜り抜ければ儀式は終わりらしい。実に簡単な行為である。

 だが、ザックスの内心の動揺は激しかった。

 原因は彼の傍らに立つ洗礼着姿の少女にあった。

 薄い布切れ一枚に包まれただけの彼女の姿態は、まだまだ凹凸に乏しく年齢相応のものである。だが、水しぶきに濡れた洗礼着を素肌に張り付けたその姿は、まだ若いザックスを動揺させるには十分すぎた。幼いながらも手足のすらりと伸びた容姿の彼女がぴたりと彼に寄り添うことで、ほんのりと伝わる少女のぬくもりと甘い香りが、魔力MAXのパラメータを誇り、ドラゴンの咆哮すら耐えきったザックスの不動心を、著しく掻き毟った。

 洗礼を受ける者は皆このような状況に身を置くのだろうか? ふと思い浮かんだ不謹慎な煩悩に、慌てて首を振る。

 ここは創世神のおひざ元、そして彼女は神事に携わる神殿巫女である。俗っぽい妄念は己の為に懸命に務めを果たそうとしてくれる彼女に対して失礼というもの。内心の動揺を悟られぬように、ザックスはポーカーフェイスを張り付ける。

 互いに終始無言であった二人だが、やがて彼女は、ザックスの先に立って泉に歩み出し、彼を滝へと誘った。

 天井から流れ落ちてくる滝の水は僅かに青白く輝いているように見える。ふと一瞬、立ちくらみを覚え、ザックスの足が止まった。

「大丈夫ですか?」

 心配そうに覗き込むその顔に微笑みを返そうとするが、どこかぎこちなさが残った。

「問題ない。続けよう」

 ぶっきらぼうにザックスは答える。それに従うかのように、少女の両手から差し出された水を口に含んだ。再び取られた彼女の手から何かが流れ込むような感覚を覚え、体中に高揚感が湧いた。手をひかれるがままに、滝の中へと身を進める。

 仄かに青白い輝きを放つ水に全身を浸した瞬間、ザックスの周囲の景色が大きく変貌した。

 どこまでも青く広がる世界――。

 意識すらすべて解放されそうなその世界の中で、ザックスは何者かのおごそかな声を全身で受け止めた。同時に身体の感覚がどんどん消失するような錯覚を覚えた。

 慌てて、何かに縋りつこうとしたザックスは己の左手であったものをしっかりと握る柔らかなぬくもり――少女の手の感覚をしっかりと意識した。とたんに周囲は再び現実へと戻り、傍らの少女と共に滝を潜り抜けていた。

「大丈夫ですか?」

 心配そうに少女はザックスの顔を覗き込む。濡れた薄絹の衣と輝かんばかりの銀色の髪が視界に入り、ザックスは落ち着きを取り戻した。

「妙な声が……、聞こえなかったか? 聞いた事のない言葉で話す……」

 ザックスの言葉に少女はわずかに驚きの表情を浮かべる。だが、それをすぐに消した彼女は静かに首を振った。

 感じたものは只の錯覚であると己を納得させ、ザックスは首元のクナ石の首飾りにマナを込めた。職業欄に《戦士》の表示を確認すると安堵の笑みを浮かべる。

「ありがとう、無事に《戦士》職につけたみたいだ」

 少女は真っ赤になってうつむいている。いつのまにか彼女の両手をしっかりと握りしめ、自身の胸元に引き寄せていた事に気づいた。

「ご、ごめん!」

 慌てて手を離して一歩引いたザックスに、少女は小さくかぶりを振った。少女の小ぶりの兎の耳が忙しなく動いていた。



      ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 着替えを終え、己に礼を言って去っていくザックスの背を見送りながら、少女は小さな自己嫌悪にとらわれていた。

 詩や戯曲のなかにあるような、もっと気の利いた別れの言葉を彼にかけたかった。にも拘わらず、洗礼の導き手という役目を終えた彼女は、ただ時間の流れるままに無言で彼を見送るだけだった。

 ――もっと話をしていたい。

 ――もっとあなたを知ってみたい。

 人として当たり前のように浮かび上がる願いは、なぜか口にする事が阻まれた。神殿巫女としての職務や立場というよりは、心の思うままに行動する事を気恥ずかしく思う彼女の幼さゆえであろう。

 巫女としての潜在能力に優れていても人生経験の少ない彼女は、所詮、十三歳の小娘である。年長の姉巫女たちのように巧みな話術で縁をつなぐ術も知らず、小さな無力感が己の中に湧き上がる。

 ふと、落ち込む小さな背に突如、大きな黒い影が現れ、まだ水にぬれたままの銀色の髪と取りあえず羽織ったガウンに包まれた細身の姿態をしっかりと抱きしめた。

「こらーっ! イ~リ~アっ!」

 イリアと呼ばれた少女の細い姿態をしっかりと抱きしめたのは、彼女の姉巫女の一人だった。可愛い妹分をしっかりと羽交い絞めにした彼女だったが、その腕の力はいつも以上に強かった。

「昼日中のとても忙しい最中というのに、ずいぶんのんびりとした時間を過ごしてくれたようですね、あなたは……」

 僅かにとげのこもった姉巫女の声に小ぶりの耳をピンと立て、丸い尻尾をわっさとふくらませて、少女は慌てて弁解する。

「そ、その、《初級職》の方でしたので、神殿巫女として出来る限りのお務めを果たさせて頂いただけですわ。マリナ姉さま」

 少しばかり、上ずった声で弁解するものの、マリナと呼ばれた姉巫女は僅かに目を細める。

「出来る限りのお務め……ですか。いつから《初級職》の洗礼の見届け役であるはずの神殿巫女が、洗礼者と一緒に滝をくぐる、なんて事をするようになったのかしら。ご丁寧に女性冒険者用の洗礼着にまで着替えて……」

 姉巫女の言葉にイリアの顔が真っ赤になり、小ぶりの兎耳がぴくぴくと忙しなく動き始めた。

「な、なんのことでしょうか? マ、マリナ姉さま。な、何か勘違いをなさっ……フミャア!」

「嘘をつこうとする悪い口はどれかしら? まったく……。これは『お義父様』に報告すべきなのかしらね……」

 少女の両頬をつねって、その言葉を封じたマリナは、イリアの弱点である『お義父様』の威光を持ち出し、巧みに彼女を追い詰めていく。

「そ、それだけは許して……姉さま」

「まったく、あなたは……。神殿巫女が与える《最上級の洗礼》ってのが、どういう意味かよく分かってるでしょうに……。小さなあなたには十年早いですわ。それもあんなどこの馬の骨ともしれない、へっぽこ冒険者に……」

「馬の骨でもへっぽこでもありません! ザックス様で……フミャア!」

 若干、涙目になるイリアのあどけない両頬を抓り上げながら、マリナはあきれ果てる。

「で、そのザックス様にうっかり者のあなたは、きちんと連絡先なりを尋ねたのかしら?」

 その言葉に再び羽交い絞めにされたイリアの耳が一瞬ピンと立ち、直ぐに、しおしおとうなだれた。

「おおかた名前すら教えてないのでしょうね、このオマセさんは……。兎族の女は昔から早熟だって言うけれど、可愛いあなたには、まだ早いわよ。まあ、いいわ。『お義父様』に報告されたくなかったら、今夜、私達の前であなたの『初めて』の一部始終、しっかり告白してもらいましょう」

「私……達?」

 羽交い絞めにされたまま振り向いたイリアの視界には、マリナより僅かに年下の、やはりイリアの姉貴分である巫女達が、ニヤニヤと笑顔を浮かべて立っている。その様子に蒼白になったイリアを今度は優しく抱きしめ、マリナは、諭すように告げた。

「早く身なりを整えていらっしゃいな。あなたの今日のお務めはまだ終わってないのですよ。私達の力を必要とする冒険者は、彼一人じゃないのですから……」

「はい……、姉さま」

 小ぶりの耳をシュンと項垂れさせ、オマセな妹分の背中が扉の向こうへと消えていく。姉巫女達は微笑みを浮かべて愛しいその背中を見送った。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 夕暮れの波止場は人影もまばらだった。

 創世神殿からの帰り道、ザックスは、《ペネロペイヤ》市内のあちらこちらを散策した後に、ふと何気なく波止場へと立ち寄った。波止場に腰掛けて釣りをする者達の中に見知った背中を見つけ、その隣に腰を下ろす。

「よう、爺さん、釣れてるか」

「なんじゃ、お前さんか。あれからどうした? どれ、ちょいと見せてみぃ」

 再び、いつの間にか老人の手の中にザックスの首飾りが握られている。二度目ともなればさほど驚くこともない。ウルガ達と共に行動した事で、この老人が特殊なスキルを持った只者ではない事が理解できた。


名前    ザックス

マナLV  10

体力    67  攻撃力    83 守備力   77

魔力    MAX 魔法攻撃    0 魔法防御  55

智力    48

技能    50

特殊スキル なし

称号    初級冒険者

職業    戦士

敏捷    67

魅力    25

総運値    0 幸運度 MAX 悪運度 MAX

状態    呪い(詳細不明)

備考    協会指定案件6―129号にて生還


武器    鉄の剣

防具    冒険者の服 冒険者のズボン 皮の靴

その他   なし


「ほう、どうやらずいぶん上手い事やったようじゃのう」

 満足気に頷く老人にザックスは憮然と返事をする。

「おかげで死にそうになったけどな……」

 だが、老人の様子は変わらない。

「ふん、それでも今、お前さんはこうしてぴんぴんしておるじゃないか。『終わり良ければすべてよし』ということじゃよ」

「まだ、終わってねえよ。……っていうか、ようやく始まったばかりなんだぜ!」

 その言葉にニヤリと笑みを浮かべ、老人は首飾りをザックスに返した。

「……で、その始まったばかりのお前さんはどうしてここにおるんじゃ? 今のお前さんは食費の切り詰めなんて考える事もないじゃろう?」

 一つため息をつくとザックスは答えた。

「只の趣味だとは思わないのか?」

「お前さんの下手な腕前じゃ、誰もそうは思わんよ。どれ、ワシがいっちょ、特殊スキル《釣り名人》を伝授してやろうか?」

「いらねえよ、そんなもの。……ってか、あるのか、そんな無駄なスキル?」

「何をいうか。過酷な冒険者の旅路に食料の確保は不可欠。糧食をおろそかにするとは、お前さん、まだまだ青いのう」

 ザックスの言葉にかっかっと笑いながら、老人は餌を付け替えた釣り糸を再び垂らした。濃い潮の香を含んだ海からの風は僅かに強いものの、夏の太陽に照りつけられて火照った空気を覚ますには、十分に涼しかった。

 波止場の喧騒の中、二人は並んで釣り糸を垂れる。波間にゆらゆらと浮かぶ浮きを漠然と眺めながら、二人は暫し沈黙した。

 ふと、老人が口を開く。

「昔はのう……、後先考えぬ馬鹿な奴らがそこかしこに溢れておったもんじゃ。そんな奴らがこぞって、あちこちのダンジョンに挑んでいく。帰ってこぬ者も多かったが、それ以上に未知なる場所に挑戦しようとする馬鹿共がやってきた。上級者達が初心者達を積極的に引っ張ってはしっかりと鍛え上げ、強いパーティが生まれ、育って行く……。そんな本物の冒険者達が大いに集って街に活気を作り出しておった」

 並んだ二つの浮きは、変わらぬ様子で波間にゆらゆらと揺れる。

「いつ頃からかのう? 他人の歩いた道を歩み返して満足する、そんな狭量な輩ばかりが蔓延る様になってしもうた。まだ探索されておらん未踏破ダンジョンなどいくらでも存在するのに、やれ詳細な地図だの攻略法だのに頼り、挙句の果てには縄張り争いに嫉妬丸出しの足の引っ張り合いじゃ。リスクを取る事を嫌って、堅実な金儲けばかりに目がくらんだ、そんなケツの穴の小さな奴らばかりで、この街は溢れ返る様になってしもうた。つまらん奴らが作ったつまらんルールの牛耳る世界から、あぶれた者は追い立てられ、こんなところで釣りをしながら来るあてもないチャンスに期待して、無駄な時を過ごし続ける……。情けないのう」

 日没間近の真っ赤な夕日が、その日最後の輝きを空に映している。どこか遠くから聞こえるかのような老人の言葉はザックスの心に深くしみた。その言葉にいかなる想いが込められているのか。今のザックスにその真意を知る事は出来ぬだろう。誰に語るともなく、己に言い聞かせるかのように老人は呟き続ける。

「冒険者なぞ、なったその時から己の命は捨てたようなもの。己が命をチップ代わりにどれだけ広い世界を手にする事が出来るのか――それが醍醐味じゃろうに。どんなに無謀な挑戦であったとしても、そこから生きて帰ってくるのは狭量で賢しらな奴らではなく、馬鹿で気風のよい奴らの方が圧倒的に多かった。時代、といってしまえばそれまでなんじゃろうが……。それでも、ワシにはそう思えんでのう。いつの時代でも変わらぬ真実というものがある。そう思うんじゃよ……」

 さっと引き揚げた針の先には指先大の稚魚がかかっている。しょぼいのう、と呟きながら老人はかかった稚魚を海へと放り込む。当たりのないザックスの浮きは流されるままにゆらゆらと波間に揺れ続けていた。

「気にするな。時代に取り残されたただの爺の戯言じゃよ。希望に満ち溢れた若いお前さんには退屈なだけの、カビの生えたロマンというやつじゃな……」

 再び糸を垂れる。

 老人はそのまま黙りこむ。その隣で一向に当たる様子のない浮きを眺めながら、ザックスは繰り返し寄せる波の音にただ身を任せていた。



2011/07/19 初稿 

2013/11/23 改稿



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