05 アルティナ、学ぶ!
冒険者達が転移の扉を潜る時、様々な想いがその胸を去来する。未知との遭遇に対する期待、一攫千金への希望、パーティ全滅の不安、その想いは人それぞれである。
そんな冒険者達の一人として転移の門を潜ったアルティナは、自身の眼前に現れた予想外な光景に暫し呆然としていた。
『ようこそいらっしゃいませ、《ユーテリヤ》へ』
周囲の建物にかかっている色どり豊かな垂れ幕の数々には、全く緊張感のない歓迎の言葉が書き連ねられ、これからダンジョンへと挑もうとする冒険者達の闘争心を根こそぎ奪いとるかのような賑やかなお祭り気分の空気が周囲を埋め尽くしている。
《ペネロペイヤ》よりはるかに小さな規模の自由都市《ユーテリヤ》は、冬の最中でありながらも多くの人々が通りを行き交い活気にあふれている。よく見ればそのほとんどが冒険者達のパーティであり、通りには彼らを目当てに幾つもの出店が立ち並んでいる。
「……。これは、どういうこと……なのかしら?」
想定外の状況に頭の中に疑問符を浮かべながら、アルティナはクエストの依頼主であり共にこの街に訪れた3人の道連れに説明を求めた。
「どうもこうも……、あれ? 言ってなかったっけ?」
あっけらかんとした顔で答えたのはパーティのリーダーである《盗賊》のミンだった。垢抜けたデザインのキュロットから伸びる自慢の脚線美をこれでもかというぐらいに見せつけるその姿に、寒くはないのだろうかと心配になりつつも、アルティナは首を横に振った。
「えー、あんた達、説明しておいてくれなかったの?」
ミンの後ろに控えていた二人の女性冒険者、《僧侶》のターニャと《闘士》でドワーフのジョアンが首を横に振った。頼りなげな仲間達の様子に、はあ、と一つため息をついたミンは、近くの店に場所を変えるとアルティナにクエストの説明を始めた。
アルティナがミン達女性3人のパーティと知り合ったのは、冬の初めの書き入れ時に受けたクエストがきっかけだった。
冒険者になって3年目を迎える彼女達はそれまで組んでいたパーティのメンバー達と仲違いして、ガンツ=ハミッシュの店の再開を機に、その所属を移し替えていた。
店の新顔である彼女達とは立場が似ていた事もあって意気投合したアルティナを、熱心に誘う彼女達の依頼を断り切れず、彼女はこの場所に連れてこられていた。尤も相棒であるザックスとの行き違いによるここ暫くの不仲が、大きな原因でもあったのだが……。
ミン達に連れてこられた《ユーテリヤ》の街はおよそ十年前から始まった年に一度の街おこしイベントの最中であり、あちらこちらからやってきた冒険者達によって、街はちょっとしたお祭り状態だった。ダンジョン踏破のクエストを引き受けたつもりのアルティナはミンからさらなる説明を受けてようやく合点がいった。
「だからね、この街おこしのメインイベントがあの塔の攻略なのよ」
店の窓からは街外れに立っている古ぼけた塔がぼんやりと見えている。
およそ百年近く前、まだ《ユーテリヤ》が自由都市として大いににぎわっていた頃、とある金持ちが道楽で立てたその塔を目当てに、多くの冒険者達が集まっているらしい。
通称トラップタワーと呼ばれるその塔は、通常のダンジョンとは異なりモンスターは一切出現する事はない。代わりに塔の内部にはトラップが山のように仕掛けられ、そのトラップを利用して攻略を進めていく事になるらしい。
「つまり攻略には運頼みの要素が大きいという訳ね」
「そう、私達の目的は主催者によって塔のどこかに隠された時価50万シルバの《宝珠》よ。」
アルティナの言葉にミンは強い視線と共に答えた。その傍らでターニャとジョアンが顔を見合わせる。
どうやら彼女達が必要としているのは《魔術士》としての戦力であるアルティナではなく、幸運度MAX値の冒険者としての彼女のようだ――ミン達の様子から、アルティナは状況を理解する。
「分かったわ」
僅かに淋しさを覚えながらも、アルティナはクエストの内容を理解した。
「踏破開始は明日の朝から。都市主催の開会式の後、三日間の日程で行われるわ。これから私たちは物資の調達と情報収集に行くから、あんたは適当に街を見てて。夕方になったら宿でおちあって、食事をしながら明日の対策を立てましょう」
テキパキと手慣れた様子でパーティの方針を決定したミンの言葉と同時に、3人は席を立つ。いそいそと己の役割を果たしに行く3人の姿を見送りながら、自分も誘ってくれればいいのにという言葉を掛け損ねたアルティナは、一人雑多な街の喧騒の中へと歩を進めたのだった。
見知らぬ街を一人歩く孤独感に苛まれたのはほんの僅かの事。
通りを覆う熱気と物珍しい品々を店先に並べた幾つもの屋台や露店が、好奇心旺盛なアルティナの心を捉え、多くの買い物客達に交じってあちらこちらの店を覗いて歩く。
人間というのは本当に面白いものだ――故郷である里を出て以来、エルフであるアルティナは事あるごとにそう思わされる。
自分達より短い寿命でありながら、彼らは様々な事を考え、物を生み出していく。あるいは、そんな彼らの在り方こそ、彼らがいかなる種族よりも繁栄する原動力となっているのかもしれない。長い時間の中で古い伝統としきたりを忠実に守り、価値観を変えずに生きる妖精族には決して持ち得ない強かさと躍動感に、彼女はいつも驚かされてばかりである。
「見つけたぞ、テメエ。よくも去年はデタラメな攻略マップを売りつけやがったな!」
「おお、お客さん、その節はこちらの手違いで大変迷惑をかけたネ。お詫びといってはなんだが、お客さんだけに安値で今年のマップをお譲りするヨ。ここだけの話、主催者から裏ルートで流れてきた確かなブツだから、お宝を手にするかどうか、後はお客さんの腕次第ネ!」
「また、ニセモンじゃねえだろうな」
「滅相もない。私を信じるヨロシ。アンタには私の澄んだ目がウソつきの目に見えるカ?」
怪しげな会話が行き交う混雑する通りを歩いていたアルティナは、人だかりを作っているとある店を何気なく覗き込んだ。
「さあさあ、次の品はとっておきの一品! 魔法のロープの登場だ!」
人だかりの中心では、愛想笑いを浮かべた出店の商人が自慢の商品の実演販売の真っ最中である。
「こいつはちょいとマナを込めれば、使い手のイメージ通りに結び目を作れる優れ物! たくさんの冒険者達に使われてきたこのダンジョン踏破には欠かせぬ便利な品を買わない手はないよね、お客さん」
グニャグニャと動くロープを器用に操りながらの商人の言葉に、周囲の客達が一斉に「おお」と、どよめいた。
「さらに今なら《ユーテリア》冒険者協会推薦の万能ナイフのおまけつき。抜群の切れ味だけでなく刃先にマナを込めれば松明の代わりになる、とっておきの優れ物! 合わせてたった4000シルバの超お買い得! 30セット限りの早い者勝ちだよ!」
手元の木切れをあっさりと立ち割ったその斬れ味に、再び「おお」とどよめく客達の声で周囲の空気が震え、こぞって品を購入していく。そんな彼らの熱気に乗せられたアルティナも、この機会を逃してはならぬと先を争う人々に交じって、このお買い得商品をしっかりと購入したのだった。
夕刻、再びミン達と合流したアルティナは、とある酒場で翌日の打ち合わせをしていた。
「だからぁー、あんた達はどうしてこう無駄な物ばかり買ってくるのよ!」
テーブルの上には見覚えのある3本のナイフとロープの束が置かれ、購入物資の確認をしていたミンがあきれ果てた様子で、テーブルの向かいで小さくなっている二人の仲間に声をかけた。どうやら彼女達もアルティナと同じような店でそれらを購入してきたらしい。
「だって……、安くてお買い得だって熱心に薦めるから……」
もぞもぞとターニャが返答する。
「みんなものすごい勢いで買ってたし……」
ドワーフのジョアンがさらに続けた。その効果を見せるべく手にしたロープの片端にマナを込めると、昼間の商人の時と同じようにまるで生き物のようにグニャグニャと動いて様々な形を作る。
「あのねえ、あんた達……」
こめかみを押さえながらミンは肩をおとす。
「斬れ過ぎる刃物なんて危なくて使えない上に、ナイフなんて間合いの狭い武器は魔物相手の戦闘には全く役に立たないでしょ! 松明の代用なんていくらでもあるし、輝光術を使えるターニャがいればそんなもの必要ないじゃない! だいたい3年も冒険者やってればロープの結び方なんて嫌でも覚えるでしょ! こんなヒワイなロープ、一体何に使うつもりよ」
その言葉に真っ赤になって二人は下を向く。一人訳の分からぬアルティナは、ぽかんとした表情を浮かべている。
「まったく……、あの手の店の客ってのは、ほとんどサクラなんだから、後で売り主が全部買い戻すに決まってるでしょう。もっともらしい事を一方的に並べ立てて、買いの勢いに一見さんをいかに巻き込むかっていうのが目的だって事くらい常識じゃない!」
そ、そういうものなのか、とミンの傍らに座っていたアルティナは密かに冷や汗を流す。
どうやら彼女の事を世間知らずだとか、金銭感覚があやふやだといつも馬鹿にするここにいない相棒に、また秘密にしなければならない買い物をしてしまったようだ。
つい先日も、ふと訪れた防具屋の片隅で埃をかぶっていたラバースーツセットを、懐かしさに任せて衝動買いしてしまったばかりである。あちらの世界のエルメラと共に訪れた店で見つけたその品と同じ物だからなのだが、そのきわどく大胆すぎるデザインが常用に不向きであることに気付いたのは、購入した店を出てからしばらくしてからだった。
「で、でも、もしかしたら何かの役に立つかも……」
「立たないわよ!」
女四人が、姦しく騒ぎ立てるテーブルは実に賑やかだったが、周囲の空気はそんな彼女達を目立たせる事はない。あちらこちらから集まってきた冒険者達のパーティが、食堂内の各所で明日に備えての作戦会議がてら、麦酒のジョッキを片手に大騒ぎをしていた。一攫千金を目指して様々な夢をもつ人々の熱気は留まる事を知らないようだ。
そんな彼女達のテーブルにジョッキを片手に近づく二人の獣人族の冒険者が現れた。
「なんだ、姉ちゃん達。ずいぶんと景気よく盛り上がってるじゃないか」
「何よ、あんた達! ナンパならお断りよ! 他をあたって頂戴!」
ミンがピシャリと言い放つ。
以前に組んでいたパーティの解散理由が男女間のもつれである事もあり、おなじ轍を踏むまいとする防衛本能からか、彼女の言葉には多分の棘が含まれていた。そんなミンの様子に一人の男が噛みついた。
「あん? ずいぶんと粋がってるじゃねえか。はねっ返りは怪我の元だぜ」
「うるさいわね。あっちに行ってなさいよ。だいたい匂うわよ、あんた達。獣人族だからってお風呂くらい入りなさいよ!」
「なんだと! 匂うのはおまえらのほうだろうが! よく見りゃドワーフにエルフまでいるじゃないか。道理で妖精臭い空気が流れてくる訳だ」
たった二言三言でどうしてここまで険悪になれるのかと思うほどに、彼らの間にとげとげしい空気が満ちて行く。
声をかけてきた男達はどうやら獣人族がメインのパーティであるらしい。対して今のミン達は妖精族が半数を占める。
獣人族と妖精族は相容れない。それはこの世界の常識である。
様々な種族が行き交う自由都市内ではそれなりに互いを尊重し、争いを避けようとはするのだが、何かのはずみで激しい争いになるのはよくあることだ。ガンツ=ハミッシュの酒場でも、この手の争いはご法度というガンツの方針によって、個人レベルではほどほどに良好な関係を築いているものだが、やはり深層心理の部分では種族間の壁は何気に大きい。
リーダーとして妖精族の仲間の尊厳を守る為に、立ちあがって狼族の男達にくってかかるミンと彼らのやり取りに、賑やかだった食堂が次第に静まってゆく。誰もがその先の更なる波乱に向けて、期待の視線を送っている。
「姉ちゃん! あんまり粋がってると怪我するぜ! 絶賛売り出し中の《マイロンのパーティ》って言やぁ、知らぬ者はいねえんだがな」
「知らないわよ! あたしが知らないってことは、あたし達《ミンのパーティ》の敵じゃないって事ね」
負けじとミンが言い返す。
『どっちも聞いた事ねえなぁ』という客達のヤジが飛び、相棒の男が『これから有名になるんだよ』と返す姿に客達が爆笑した。
「ちょっとミン、やめときなよ。私は大丈夫だからさ……」
なりに似合わず争い事は苦手なのか、ドワーフのジョアンがおたおたしながらミンの袖口を引いた。パーティの臨時メンバーであるアルティナも自身の立場上どうしたものかと思案にくれる。自身が災いの種になるならば、降りかかる火の粉は己の手で払うのは当然のことであるが、なにぶん今の彼女は雇われの立場である。
こんな時彼がいたならどうしただろうか?――ふとそんな疑問が彼女の脳裏をよぎった。
僅かに膠着しかけた空気に観客達がヤジを浴びせようとしたその矢先、一人の牛族の男が少し離れたテーブルから立ちあがった。
「お前ら、その辺にしとけ。その元気は明日の為にとっておいたらどうなんだ」
「マイロン……」
おそらく彼らのリーダーなのだろう。
珍しい事もあるものだと、アルティナはふと思う。
獣人族主導のパーティは得てして腕力に物をいわせて統率をとるものが多く、狼族や豹系あるいは獅子系などの猫族がリーダーになりがちなのだが、目の前の彼らは《優しき者》と呼ばれる牛族の男によって統率されているらしい。
マイロンという名の牛族の男の言葉に、ミン達と争っていた二人の狼族の男たちが沈黙する。彼らの姿を尻目にマイロンはミンに向かって言葉を掛けた。
「仲間が失礼した。謝罪する。だが、奴らは俺の仲間だ。その侮辱は俺に対する侮辱である事を忘れるな」
一見、丁重な謝罪の言葉のようではあるが、その裏側には静かな怒りの色がうかがい知れる。
「フン、侮辱されたくなかったら、イヌのしつけはきちんとする事ね」
ミンの言葉に再び彼の仲間たちが色めき立つが、そんな彼女の言葉に取り合おうともせず、ジョアンとアルティナに明らかに侮蔑の色を込めた視線を投げかけたマイロンはそのまま踵を返した。去り際に彼は言い放つ。
「姦しいだけの女共が幅を利かせるようになってしまえば、冒険者の世界も終わりだな」
その言葉に店内の女性冒険者達からブーイングが浴びせられるものの、彼はそれを気にする様子はない。仲間達を従え、堂々と店を後にするその姿に今度は男性冒険者達からの喝さいが浴びせられた。
「あいつら覚えてなさいよ。三日後にはアッといわせてやるんだから!」
ミンの呟きは、嵐がおさまり再び活気が戻って行く店内の喧騒の中にかき消されていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌朝の空は冬にしては珍しく晴れ渡っていた。
いつもは全く人気のない街外れにあるトラップタワーとその周辺の空き地は、150組近くの冒険者パーティとヤジ馬と化すであろう観客達、そしてそんな彼らを相手に商売に励む者達でごった返していた。
《ユーテリヤ》市実行委員会が主催する開会宣言の催しも、数千人規模に膨れ上がった群衆の中ではもはや何が行われているか分からぬ状態であり、放たれる熱気となかなか開始の合図がかからないことへのフラストレーションで会場内は早くも熱くなっていた。
毎年規模を拡大し続けるこのイベントは、戦闘技術に拘わらず上級者にも初心者にも同様に機会が与えられる為に人気を博し、今や参加権を得るだけでも困難なことらしい。幸運にも昨年参加する事のできたミン達の奮闘によって、何とか今年の参加権は確保できたものの収支の総額は完全に赤字だった。今年こそ最高懸賞品を探し当てて昨年の雪辱を果たすのだと息巻く彼女達だったが、周囲には同じような事を考える者たちでいっぱいであり、その競争率は激烈である。
誰もが目の色を変えてお宝と希望の詰まった塔を見上げる中で、アルティナは周囲の空気に飲み込まれそうになりながらも、ミン達とはぐれぬようにすることで精一杯だった。これまでに経験した事のない形のダンジョン攻略に彼女は大きく戸惑っていた。
トラップタワー――様々なトラップが山の如く仕掛けられた塔を、知略を巡らせ攻略していく、というのが一般人のイメージである。だが、その実態はむしろ体力勝負の様相が強い。
開始早々にアルティナ達が強いられたのは際限のない持久走だった。参加番号順に割り振られた入口からのスタートは、混雑こそある程度避ける事は出来たものの、中に入ると魔法陣による転移の連続だった。
全二十層のこの塔は各層毎に無数の区画が作られ、転移魔法陣を利用して次々に進んで行くことになる。その一層は並のダンジョンよりも確実に広い。魔法陣の位置と転移先は毎年変更され、その転移先の区画番号をマップに記しながら上層階へと向かって進んで行くのだが、これが予想以上に困難だった。より上層階へと行くために、時に下層階へと転移する事もあり、その複雑さゆえにパーティのかじ取り役の高い技量が求められる。
一区画に複数の転移魔法陣が作られ、一方通行、人数制限のあるもの、挙句にはランダムに転移先が変化した上に塔の側にある人工の溜め池や泥沼に繋がる事もある。当然、水や泥沼にはまる冒険者達の無様な姿を目当てのヤジ馬達もいる訳で、そんな中を冒険者達は再挑戦することとなった。参加冒険者達の中には仮装して挑む者達もあり、塔外に溢れる観客達の笑い声は冷たい冬の空気を吹き飛ばした。
初日の作業はとにかく低階層部から中階層部への情報集めという事もあって、水に落ちて凍える身体を焚火で暖めながら、冒険者達は再挑戦を繰り返した。初めのうちこそ、頭上に落下してきた障害物にひやりとしたり、冷たい水の中に叩き落されて憤慨していたアルティナも、そのうち場内の異様な空気に染まり始め、ミン達と共にすっかり妙なテンションで再挑戦を繰り返していた。
一日が終わるころにはすっかり汚れきった姿の大量の冒険者達の一団が出来上がり、そんな彼らと観客達を目当てに多くの店が再び繁盛することとなった。
2012/03/20 初稿