04 ザックス、旅立つ!
入れたてのクーフェの香ばしい香りに満ちた執務室で、ザックスはルーザに勧められるままにその独特の苦みを堪能していた。豆の挽きかたとその炒り方で様々な味わいが楽しめるこの飲み物について、どうやら彼女なりのこだわりがあるらしい。
先日のアルティナの一件で決して初対面という訳ではないのだが、彼女とこのように向き合って話すのは初めての事である。
あらためてその事について礼を述べたザックスに、彼女はにこやかな笑みで応えた。
「さて、依頼の件なのですが……」
傍らに置かれた大きな背負い袋を指し示しながら、そんな言葉で彼女は用件を切り出す。
「これを《アテレスタ》のマリナの元へ届けて欲しいのです」
「これを? 一体何が入ってるんです?」
「この中には医薬品や保存食、衣類や毛布といった支援物資が入っています。知っておられるでしょうが今、《アテレスタ》は騒乱の最中。救済を求めて神殿にやってくる多くの人々が必要とする品々です。尤も十分な量には程遠いのですが……」
「はあ……」
その材質からそれが冒険者達の持ち歩く《袋》と同じ魔法の品である事が窺える。《袋》よりもはるかに大きい事からその容量も大きいのだろう。《袋》の限界収納量については様々な説があるが、空間魔法によって処理されたその品が、見た目の大きさよりもはるかに多い収納量を持つ事だけは確実である。
ザックスは背負い袋を手にとってまじまじと眺める。一都市の人々を救済するだけの物資というのだから、この中には途方もない量のそれらが入っているという事なのだろうか。
そんなザックスの心情を読み取ったかのようにルーザは丁寧な口調で説明する。
「多くの方が誤解されているようですが、《袋》というのは異空間と現実空間の間にある入口あるいは取り出し口のようなものなのです。それを持ち運ぶことで必要な時に必要なものを手にする事ができるのです」
いまいち分かったような分からないような説明であるが、兎にも角にもこれを届ける事でマリナの役に立つ事は間違いないようだ。《ペネロペイヤ》からの支援があるという事実は、そこからやってきた彼女の新天地における立場にも影響を与えうるということだろう。
「こいつをマリナさんに届ける――要するにオレの仕事はそれだけですよね」
「ええ、『権限なき者が無理矢理開けて中の物を取り出そうとするとパックリと吸い込まれる』というトラップが仕掛けてありますので、気を付けてくださいね」
「えっ!」
思わず、手にした背負い袋を放りだす。さすがは創世神殿。物騒な仕掛けによって、運搬者の横領対策もバッチリというところなのだろうか?
だが、事態はザックスの予想の斜め上をいく。
「ウソです」
「はい?」
朗らかな笑みを浮かべたまま、カップに口をつけるルーザの姿をザックスはぽかんと見つめた。
「いけませんね。ここは笑っていただくところだったのですが……。若い人の感性には今一つだったかしら。いやだわ、年はとりたくないものね……」
「おーい……」
ザックスはその場に崩れ落ちる。成程、この人があのマリナを育てたのか、という事を納得した。
そんなザックスの姿を前に、カップを置いたルーザは契約書面を取り出しながら言葉を続けた。
「本当は、これはライアットに頼むつもりだったのだけど、今、彼は《ペネロペイヤ》を離れててね……」
神殿間での物資のやり取りは神官達の務めであるはずだが、特例としてルーザは彼に依頼してきたようだ。おそらくはイリアがザックスに手紙を預け易くするために……。
「分かりました、直ぐに準備の為にオレは一度酒場に戻ります。出立は明日の朝になりますが、構いませんか?」
ルーザの了解を取り付け、契約書面を《袋》に忍ばせて、ザックスは立ちあがる。《アテレスタ》への道中は何かと物騒である。急ぎ、アルティナと相談して対策を練らねばならないだろう。
「そうそう、道中、もしかしたら荷物が少し増える事になるかもしれません。その時はよろしくね、ザックスさん」
朗らかに微笑みながらの意味深長な発言に疑問符を頭に浮かべながら、ザックスはルーザの部屋を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「なあ、ガンツ、アルティナの姿が見あたらないんだが、どこに行ったか知らないか?」
そろそろ夕食時になろうかという時刻の酒場のカウンターで、ブルポンズのメンバーであるサンズと話し合っていたガンツに、ザックスは尋ねた。
「アイツならいねえぞ。単独指名のクエストがあるってんで、今日の昼ごろ出かけて行った。二、三日は戻らねえはずだ。知らなかったのか?」
ガンツの言葉に唖然とする。そんなザックスの姿に呆れたような表情を浮かべてガンツは続けた。
「お前、曲がりなりにもパーティのリーダーなんだから、もうちっとそこらのところ気を使ったらどうなんだ?」
だが、そんな言葉がザックスの耳に届くはずもない。
「あいつは……。次から次へと勝手なことばかりしやがって……。肝心な時にいないってのは、どういうことだよ!」
「おや、ザックスさん。亭主関白で女房を縛りつけるなんて、今時、流行りませんよ」
怒りに震えるザックスに声をかけたのは、ガンツの傍らに立っていたサンズだった。かなり的外れなその言葉にザックスは渋面を浮かべながら返事をした。
「でもよ、いざ、パーティの一大事って時に、当のメンバーが不在だってのは大きな問題じゃないか」
「そんなことはないですよ。私達ブルポンズだって始終一緒に行動している訳ではないのですから……」
「そうはいうけどなぁ……」
サンズの言葉は一理あるものの、どうにも納得がいかない。ここ暫くの様々なすれ違いもあって、ザックスの彼女に対する不満の芽は順調に育ちつつある。
「……で、お前どうしたんだ。確か、神殿からクエストがあったんじゃないのか?」
「ああ、ちょっとばかり《アテレスタ》に行く用事ができちまって、あいつの力が必要だってのに……」
ザックスの言葉に、ガンツとサンズが驚いた表情を浮かべて顔を見合わせる。
「おい、ザックス。《アテレスタ》に行くってどういう事だ?」
尋ねるガンツにルーザとの契約書面を見せながらザックスは説明する。僅かに眉をひそめながらガンツはその内容に目を通した。
「参ったな、あいつがいないとなると、このクエストはオレ一人じゃ少し手に余っちまうな」
《アテレスタ》は自由都市間を結ぶ《転移の扉》では直接繋がっていない。最寄りの自由都市から馬車で十日程度の旅になるのだが、昨今の道中事情を考えると単独行動にはなにかと不安要素が多い。途方に暮れかけたザックスに横合いからサンズが声をかけた。
「では、私が同道しましょうか?」
思わぬ申し出にザックスは驚いた。
ブルポンズの紅一点であるサンズは、参謀兼振り付け担当としてパーティ内でその才能を惜しみなく発揮する。ザックスも又、その犠牲者の一人であるといって過言ではない。
彼らの中で最年長の彼女の正確な年齢は不明だが、さほどこれといった特徴のない十人並みの容姿と朗らかな笑みで人当たりも良いが、だからといって多くの者達に人気があるという訳でもない。もっとも癖だらけのブルポンズの中では一番まともな人間である事は間違いない。
そんな彼女は続ける。
「実は私も、これから《アテレスタ》に行かねばならぬ用事がありまして……。生憎な事にブルポンズのメンバーは数日経たないと戻ってこないようで、どうしたものかと考えていたところなのです」
「あんたもか。一体何の用なんだ?」
ザックスの問いに答えたのはガンツだった。
「急ぎの重要書簡を二通ばかり届けてもらいたくってな。現地の事情を鑑みて、旅慣れたブルポンズならいいだろうと思って引き受けたんだが、ご覧の通りの有様で……」
「そうか……。じゃあ、協力願う事にしようかな」
方々を旅慣れたサンズが同道してくれるのならば心強い。共に夕食を取りながら、旅程の確認と現地の事情についての情報を交換する。盗賊や狼等の襲撃も考慮に入れ、《アテレスタ》に物資を運ぶ隊商や街道街を結ぶ乗り合い馬車を利用した方がいいだろうというサンズの言葉に従い、計画を立てる。尤も予定は狂うのが当たり前。変わりゆく事情には臨機応変に対処せねばならない。
強力な攻撃魔術を扱う事の出来るアルティナの不在に歯がゆい思いをしながら、ザックスは明日の出立に向けて、入念に打ち合わせを行っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
旅立ちの広場では、そろそろ朝の混雑が収まり始めている。冬の最中という事もあって、人々の流れは夏場に比べればまばらだが、それでも転移の扉を利用する冒険者達を目当てに商売に励む露天商人たちの熱意は、冷たい広場に大いに熱気を与えていた。
朝市を物色しながら、旅に必要な物資の調達を行っていた二人だったが、本格的な調達はやはり転移先の都市でのほうがよいだろうという結論に達していた。後はイリアの手紙を携えた神殿からの使いの到着を待つだけである。
だが、約束の時間を過ぎても一向に使者の到着する様子はない。
どうしたものかとサンズと二人で思案している時だった。
フード付きの外套をすっぽりとかぶった小さな人影が、小走りでザックスに向かって近づいてくる様子が目に入る。寒風が吹きすさぶ冬の街中では決して珍しい姿ではないのだが、なぜかその姿はザックスの意識を引いた。
小さな人影は転がるような勢いでザックスの元に辿りつくと大きく肩で息をする。そして開口一番、ザックスに詫びの言葉を述べた。
「御免なさい。ザックス様。遅れてしまいました」
現れたのはイリアだった。昨日使いの者に手紙を預けるように指示したのだが、どうやらイリアは律義に自分で届けに来たらしい。ずいぶんと急いできたのか、その小さな胸を大きく弾ませて乱れた呼吸を整えている。
「構わないさ、それより手紙を預かろう」
だが、ザックスが差し出した手を見てイリアは目を伏せた。どこか思いつめた表情を浮かべたイリアだったが、暫くの沈黙の後、すっくと顔を上げ、思い切った様子でザックスに言った。
「ザックス様、どうか、私を《アテレスタ》に連れて行って下さい!」
その言葉にザックスは驚いた。そんなザックスに食い入るようにイリアは続けた。
「手紙を書こうとしたんです。でも、私……、姉さまになんて書けばいいのか、分かりませんでした。どんなに言葉を並べても、どこか上滑りしてしまって……。だから、私は姉さまに会って話をしたいのです」
「ちょっと待て、イリア。君は《ペネロペイヤ》から勝手に離れていいのか?」
イリアが巫女の禁を犯す事にはならないかという心配が、ザックスの脳裏をよぎる。
「大丈夫です、ルーザ様の許可は頂いてきました」
僅かに視線を揺るがせてイリアは答えた。その姿にザックスは沈黙する。本来ならば、神殿に事の次第を確認してからというのが筋だろう。だが、それでは目の前の少女の望みはかなえられることはない――そんな予感がした。
――オレはどうすべきだろう?
自身への問いかけに答えは直ぐに得られた。
これまでイリアに何度も助けられてきたのだ。そして、彼女の抱える問題はザックス自身にも大きな責任がある。彼女の切実な願いを無碍に断る事は彼の心が許さなかった。
「分かった、一緒に行こう」
その言葉にイリアの顔に笑みが浮かぶ。
「サンズ、申し訳ないんだが、こういう事になっちまった。構わないだろうか?」
同道する彼女に向かってザックスは申し訳なさそうに尋ねた。彼女は気にする様子もなく朗らかな笑みを浮かべて彼に答えた。
「ザックスさんさえよろしいのなら、私は一向に構いませんよ。《ザ・ブルポンズ》の問題は皆で背負うもの。例え相手が神殿であろうともこのルールは決して変わる事はありません」
いともたやすく言い放たれた言葉は、実に心強かった。
「それに同行者が多いほど旅は楽しいものです。イリアさんの旅支度も必要ですから、そろそろ出発いたしましょう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げるイリアの手をとってサンズは歩を進める。二人の後から僅かに遅れて歩くザックスは、ふと別れ際のルーザの言葉を思い出した。
『そうそう、道中、もしかしたら荷物が少し増える事になるかもしれません。その時はよろしくね、ザックスさん』
彼女はこんな状況を想定していたのだろうか?
そんな事を考えながらザックスは、ひと時の旅の道連れ達と共に転移の扉を潜るのだった。
2012/03/17 初稿