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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚03章 ~騒乱の都市編~
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02 マリナ、惑う!




 幼い頃の自身の記憶にわずかに残るのは、両親と思しき二人の人物の言い争う後ろ姿だった。もはや彼らの顔は思い出す事さえ出来ない。

 神殿からの支度金目当てに娘を売り渡そうとする母親らしき人物と、それに反対する父親らしき人物。

 幼いうちに巫女の資質を見出され両親から引き離された彼女は、故郷からはるか離れた地へと送られ、未来の巫女として神殿に預けられた。

『悪い子にしていれば、この場所を追い出されてきっと家に帰れるに違いない』

 子供なりに知恵を振り絞ったのだろう。いろいろな悪戯をして周囲を困らせていたような気がする。それでも一向に変化のない周囲に業を煮やした幼い彼女は、神殿の中庭の植え込みの陰に隠れて時を過ごす事が多くなっていた。

 高い所から丸見えのその場所で、一生懸命に世の理不尽と一人で戦っていたあの頃の思い出は、年を経た今、思い返せばあまりにも滑稽だった。だが、その時の必死な想いだけはなぜか忘れられない。

 そんなある日、幼く小さな世界でこの世全ての悪に立ち向かう毎日を過ごしていた彼女に、好んで近づく者が現れた。

「こんなところで、なにしてるの?」

 植え込みの陰に隠れている彼女の側に一緒に座り込んだのは、幼い彼女よりもさらに幼い兎族の少女だった。無垢な眩しい笑顔を向けて舌足らずな声で懸命に語りかける少女の姿は、閉じかけていた心になぜか深く残った。

「あっちにいってよ!」

 邪険にあつかう彼女の態度にもめげず、幼い兎族の少女は夜討ち朝駈けで彼女の元に日参した。神殿内のどこに隠れていても彼女の事を見つけてしまう少女との根競べについに白旗を上げ、二人はいつしか打ちとけ合っていた。

 何度もケンカと仲直りを繰り返し、気付けば本当の姉妹のようになっていた。少女が『お義父様』と呼ぶ無骨でぶっきらぼうな男に見守られながら、彼女は『家族』と呼ぶべき人のつながりを初めて持てたような気がした。

 己の居場所を見出し、神殿という場所で生きて行く運命を受け入れた彼女の周りには、いつしか一人また一人と似たような境遇の少女が集まり、疑似家族の輪は少しずつ広がっていった。

(私はここでずっと生きて行く事になるのだ……)

 現実を受け入れながらも、心のどこかでは抗いたいと思う気持ちはあったはずだ。自由という言葉に永遠に憧れながら、暖かな牢獄の中で生きて行くために彼女が身につけた武器は『微笑み』だった。

 記憶の底に焼きついた初めて見た妹分の屈託のない笑顔の力がそうさせたのだろう。孤独の壁の中で閉じかけていた自身の心をあっさりと開いたあの輝く笑顔に比べれば、己の微笑みなど所詮作り物でしかない。偽りの微笑みをふりまき、多くの者達の幻想どおりの偶像を演じながら、彼女は時を重ねてきたのだった。




 わずかに寒気を覚えて目を覚ます。

 仮眠の為に横たわっていた長椅子から身を起こしたマリナは、大きく伸びをする。冬にしては珍しく暖かな日差しが窓から差し込み、冷え切った室内の空気に幾ばくかの暖かさをふりまいている。傍らにおかれたグラスに口をつけ、冷えきった水を口に含む。その冷たさに思わず身震いをした彼女は、つい先ほどまで見ていた懐かしい昔の夢を思い出した。

「思えばずいぶん遠くに来たものですね」

 長く暮らした《ペネロペイヤ》を離れて早一月。騒乱の只中にある《アテレスタ》の街は微妙な緊張感が張りつめ、神殿に訪れる者達の顔にはどこか暗い影が浮かぶ。

 ふと、部屋の片隅におかれた木箱に目が行った。

 かつてとある冒険者からの献上品であったその箱の中に、彼女は生活に必要な最低限度の物だけを入れてこの地を訪れていた。《ペネロペイヤ》からの異動にあたって、多くの私物を周囲の者達に分け与え、本当に必要な物だけを選んだつもりだったが、それは僅か木箱一つに収まる程度のものでしかなかった。


 ――木箱一つに収まってしまう自分の人生とは一体何なのだろう?


 こちらに来て以来、事あるごとにそんな考えが浮かんでしまうのは、どこか心の中に隙間ができつつあるからではないのだろうか?

 降格され中級巫女となった彼女がやってきた《アテレスタ》神殿では、巫女の仕事として最も重要な冒険者への《転職の儀》が執り行われる事はなかった。神殿内の洗礼の部屋は神聖水の滝はおろか、泉にすら水は張られておらず、全く手入れされていない状態である。神殿内の誰もがその状況に心を痛めつつも日々の務めに追われ、荒れ果てた室内の様子を見て見ぬふりするだけであった。


 旧王都《アテレスタ》内の一角にある創世神殿は緊迫する都市情勢において微妙な立場に立たされている。

 ウォーレン王国――サザール大陸で500年近い歴史を重ねた3大古王国の一つである。否、あったというべきであろう。

 その長い歴史と壮麗な文化的伝統とは裏腹に、その統治支配制度はすっかり腐敗し、様々な不正が当然のようにまかり通っていた。

 亡国の道をひた走る国にありがちな口先だけの改革の連呼に誰もが希望を見出せぬ中、六年前、とある若き王が即位した事によって滅亡の引き金が引かれたといってもよいだろう。

 政治とは所詮、利権の奪い合いのゲームであり、最も多くの者達にその恩恵を与える物こそが正しい政治である。その本質を見誤って絵空事の清浄な国家再生を夢見る若き王を手玉にとったのは、手練手管を極め尽くした王宮官吏たちだった。

『この国の腐敗が進み続ける原因は、陛下の御威光をないがしろにする私欲にまみれた創世神殿の神官共のせいでございます』

 如何に伝統ある古王国といえども、国内においても熱心な信者が存在する創世神殿の影響力は無視できない。そんな彼らに対抗するには、決して綺麗事はまかり通らぬ政治の世界において、我々王宮官吏も手を汚さねばならないのだ――故意に捻じ曲げた事実を列挙し、神殿こそが諸悪の根源であると吹き込まれた若き王は、当然の如く愚挙を犯した。

 様々な税制特権をはく奪し、王国内からの創世神殿勢力の追放を命じる――その命令は、最高神殿からの怒りを招く事となった。

 度重なる最高神殿からの召喚状を無視したウォーレン王国と彼の王に対して『神敵宣言』がなされたのである。

 この事実に怒りの声を上げたのは、一般市民だけでなくウォーレン王国内の富裕層や貴族達だった。王国の現実を知る彼らは、現在のウォーレン王国が辛うじて保たれているのは創世神殿の権力の恩恵である事を、承知していた。その神殿勢力を排除して、国民の心理的なタガを外してしまえば、後の混乱は火を見るよりも明らかである。

 さらに厄介なことに神殿の『神敵宣言』は周辺諸国や自由都市にも影響を及ぼし、神殿の怒りを買う事を恐れた国々は交易停止宣言及びウォーレン王国民の出入国禁止命令を下した。

 この事態が誤算だったのは王宮官吏たちだった。

 500年近くの歴史を持つ3大古王国に数えられるウォーレン王国に対して、神殿がこうも早急に『神敵宣言』をすることなど予想外だった。様々な駆け引きによる時間稼ぎの末の政治決着を予想していただけに、彼らの混乱は大きかった。だが、一度傲慢になった者達が己の愚かさを反省する事などはあり得ない。この騒動の責任を全て若き王にかぶせ、自身の保身を図ったのである。

 当然、若き王と王宮官吏たちは大きく対立する事となった。

 もはや周囲の誰も信じる事ができずに暴虐な権力を振りかざす王と、彼を巧みに悪役に仕立て上げて、己の立場の正当性を愚かな民衆に訴える官吏達。結果は自ずと知れよう。

 領内の視察先で引き起こされた国王暗殺事件は、国内においては創世神殿の狂信者によるものとされていたが、その実態は彼の王の扱いに苦慮した王宮官吏たちの仕業によるものであるというのがもっぱらの噂である。だが、王の暗殺事件後も国内の混乱は収まらなかった。

 若き王に未だ後継者がいなかったばかりに、国内の富豪や有力貴族の力を後ろ盾に、王族の血統を継ぐと称する者達が次期国王の座を巡って乱立し、国内は大きな騒乱へと発展していった。

 もはや過去へと時間を巻き戻す事ができないことを知る者達の働きにより、創世神殿との和解がなされたものの、未だに騒乱の解決の糸口がみつからないのが現状だった。

 3年前に行われた一部勢力との和解によって、創世神殿は再び《アテレスタ》内において固く閉じていた門戸を開放することとなった。尤もかつてのように国内の様々な場所に大小の神殿を開いた訳ではない。ここ《アテレスタ》においても、本来《ペネロペイヤ》大神殿と同格な建物であるにもかかわらず、派遣された人材は一地方都市の小神殿程度の規模であった。流動的な《アテレスタ》の情勢を様子見しようという最高神殿の意図が窺えた。

 そんな混迷の深まる地にマリナは身を置いていたのである。


 騒乱の只中にある《アテレスタ》神殿には連日多くの人々が訪れていた。

 市場で日々の生活物資に事欠く人々に僅かばかりの食事の配給が施され、神殿内の施術院は常に満員状態である。都市内で起きる暴力沙汰で運び込まれるけが人だけでなく、折しも季節が冬ということもあり、病気を抱えた抵抗力の弱い老人や子供達が途絶えることはない。他人の体内のマナのバランスを調節する能力に優れた巫女達や治癒魔法を扱う神官たちがその力を振るうものの、人材、食糧、医薬品の絶対数の不足は疑うべくもない。必然的に彼らはただ消耗し続けるだけの終わりのない日々を過ごすのだった。

「あ、あのマリナ様……」

 おずおずと扉を叩いて入ってきたのは、マリナより僅かに年長のまだ若い女性神官だった。わずかに戸惑いの色を浮かべながらも彼女は言葉を続ける。

「休憩中のところ申し訳ありません」

「いえ、よいのですよ。それよりもいかがしましたか?」

「実は施術院に新たな患者が運び込まれまして……、マリナ様のお力をお借りするようにと……」

 当の彼女は遠回しに言葉を選んでいるようだが、彼女を使って自身を呼びつけた者からの悪意がそこはかとなく匂わされる。

 この地にやってきて以来、これまでなにかと華やかな話題を振りまいて来たマリナを妙に意識し、事あるごとに彼女の行動をけん制しようとする先任の上級巫女――彼女の顔を思い浮かべながらマリナは小さく苦笑する。

 日々逼迫し続ける状況の中でも、目先の争いに興じる事を好む人間の本質は変わらぬものらしい。上級巫女の職を解かれ、ずいぶんと身軽になったつもりで喜んでいたのだが、なぜか世間の目は変らぬようだ。

「あ、あの……、もしよろしければもう少し休まれてからでも如何かと……。神官長様からもそのようにお達しがありますので……」

 彼女の言葉をきっかけに物思いに耽り始めたマリナの様子に、気を悪くしたものと誤解したのだろうか? 彼女のさりげない心遣いに小さく礼を述べる。

 人手不足の中、施術院の治癒作業においてマリナ達巫女や治癒魔法を扱える神官たちにかかる負担は大きい。オーバーワークになりがちなそんな現状に、この神殿の責任者である若き神官長は常々釘をさす事を忘れない。只でさえ少ない人員の中で施術する側が倒れては元も子もないのである。だが、そんな責任者の意識が修羅場と向き合わねばならぬ現場の者達にまで浸透する事は難しい。

「いえ、もう十分に休ませていただきました。直ぐに参りましょう」

 傍らにある施術用の装束を取り上げながら、彼女は微笑みと共に返答する。慌てて駆け寄った神官が彼女の身支度を手伝った。

「ところで……」

 部屋を出てマリナの後を僅かに遅れて歩く女性神官に、マリナは何気なく尋ねた。

「貴女はどうしてこの地にやってきたのか、窺ってもよろしいでしょうか?」

 彼女が《アテレスタ》の地にやってきたのは3日前の事。最高神殿からの支援物資を携えてやってきた彼女は、3人の同僚と共にこの地に残っていた。皆、自分から志願してのことであると神官長から聞かされていただけに、彼女達の行動の動機に僅かに興味を覚えた。

「そ、それは……」

 振り返ったその先には僅かに頬を赤らめた彼女の姿がある。

「私、以前は最高神殿詰めだったのですが……、いえ、勿論、下っ端の外回り組なのですけど……」

《エルタイヤ》の地の警備任務にあたっていたということであろう。いくつかの例外はあれども、その出自や経歴にかかわらず神官たちが初めに配属されるのは街の治安活動であることが多い。

「どうもあの重苦しい空気になじめなくて……」

「ああ、成程……分かります……」

 二人は思わず顔を見合わせた。はにかんだ笑みを浮かべて彼女は続けた。

「それに、つい先日、マリナ様がこの地に己の意思で向かわれた事を耳にしまして……、たまたまこの地への支援物資配送及び、補充人員の任に志願いたしまして運良く採用された次第で……」

「運良く……ですか?」

「はい」

 わずかに顔を赤らめる。

「実はこの任の応募者はかなりの数に上りまして……、私と同じようにあの重苦しい空気に耐えられない多くの若い神官達がこぞって志願したらしく……。それにマリナ様が自分からこちらに赴いたという噂の影響も大きいようで……」

 今、神官を志す者達の目標は大きく二つに分けられる。

 一つは創世神殿内で高い地位を目指し、手柄を競い合って出世レースに身を投じる者。そしてもう一つはそのような茶番に見向きもせず、自分から地方の小さな神殿へと赴いて布教と日々の務めに励む者である。

 眼前の彼女は初めから最高神殿詰めであったところから、それなりに由緒正しい神官の家柄の出なのであろうが、どうにもあの環境になじめなかったらしい。マリナ自身も陰鬱に感じた最高神殿内の独特の謀略と猜疑に満ちた空気の中で日々を送るよりも、例え困難でも、神官としての職務に意味を見いだせる道を選んだようだ。だが、あるいは……。

「そうでしたか。私もこちらに参って日が浅いものです。共に頑張ってこの困難を乗り越えましょう」

「は、はい。私のようなものでよろしければ、喜んでお手伝いさせていだだきます」

 互いに神殿礼をかわして微笑み合う。彼女に背を向けたマリナは神殿の長い廊下を再び歩み始めた。

(長老方もなかなか、強かなものですね……)

 今回の《アテレスタ》行きによって、彼らの思惑に反する事になった彼女の行動は、明らかに彼らの不快を浴びた筈である。自身の意にそぐわぬ者ならば当然のように組織的に潰しをかけるのが彼らの常套手段である。だが、彼らはそんな彼女の選択をさらに利用する事にしたらしい。意図的に彼女の《アテレスタ》行きの経緯を歪めて漏らす事で、その存在を利用し続けるつもりのようだ。

 当然、彼女を野放しにするつもりはない。最高神殿からの補充人員の中に、あるいは今、背を歩く彼女が監視者である可能性は決して否定できない。言動には十分に注意を払わねばならないということだろう。

(気の置けぬ日々が続きそうなこと……)

 マリナの小さな溜息は石造りの廊下を歩む二人の足音にまぎれて、かき消されていった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 カーテンを閉め切った暗い室内。

 寝台の上には、頭から毛布をかぶって座り込む一つの小さな人影があった。毛布の隙間からぴょこりとはみ出た小ぶりの兎の耳は、持ち主の心情を示すかのように元気なく項垂れている。

《ペネロペイヤ》大神殿巫女寮の自室において、イリアは自身の力ではどうしようもない事態に直面して、途方に暮れていた。


 眠り続けるエルフの姫君を目覚めさせるために消耗しきった彼女は、それから一週間、床に伏せる事になった。まだ身体が成長期とはいえ、限界近くまでマナを消費しきった身体の回復にそれだけの時間がかかった事からも、彼女の心身にかかった負担は想像を絶するものである。

 そんな彼女の事を姉巫女達は皆賞賛し、彼女も大きな仕事をやり遂げた己自身が誇らしかった。何よりも巫女として一つの大きな仕事をやり遂げた達成感は彼女にとって自信の源になりえたといってもよいだろう。

 だが、そんな彼女を蚊帳の外において、彼女を取り巻く周囲の事態は大きく変動しようとしていた。

 姉巫女であるマリナの降格と《アテレスタ》への異動。

 事の次第をイリアが知ったのはマリナが《ペネロペイヤ》の地を去ってからようやくの事だった。旅支度を進めるマリナの様子を、初めはよくある上級巫女としての務めの一環であろうと受け止めていたイリアだったが、事態は彼女の認識よりもはるかに重いものだった。勘のいいイリアに一切の事情を知らせずに通したマリナと周辺の者達の努力は見事だといってよいだろう。だが、それ故に真実を知った時の彼女の動揺は激しかった。

 イリア自身が考えなしに行った無責任な行為をかばったマリナが、身代わりとして降格され、僻地に飛ばされる――姉巫女の輝かしい経歴に傷をつけたまま、何も知らずにのうのうと日々を送っていた己の間抜けさ加減にイリアは大きく憤慨した。

『そうではないわ、イリア。これはマリナ姉さまがあんたをかばったかどうかという単純な問題ではないのよ……』

 姉巫女のエルシーだけでなく神官長であるルーザまでもが、己を責め続けるイリアに何度もそう言って説得したのだが、その言葉は彼女の耳には届かなかった。中級巫女として大きな仕事を成し遂げた彼女だったが、その事に得意になってしまって他の一切が見えなくなっていた――所詮はまだ世間の見えぬ子供なのだという現実が、彼女の心を責め続けた。

 巫女としてどんなに優れた資質をもち、大きな仕事をやり遂げたとしてもそれだけで全てが解決する訳ではない――一人の人間としての器量が問われる場面において、彼女は己の無力さを痛感していた。真に困難を解決するのは時間のみであるという事が理解できるには、彼女はまだ幼すぎた。

 詫びを言いたくとも肝心の相手は直ぐ側にいない。いつも当たり前のように側にいて、彼女の心を支え導き続けた姉巫女の不在に、イリアの心はぽっかりと大きな穴があいたようだった。

 周囲に心配をかけまいとどうにかカラ元気を出して、務めに励む日々が続いたものの、己と周囲を器用にごまかし続ける才能は持ち合わせていないらしく、彼女の表情は日々暗くなっていった。そのうち自分は大きな失敗を犯しそうだという予感がその小さな背にのしかかり、そんな彼女の状態に周囲は手をこまねいていた。マリナの不在――それはイリアを始めとした《ペネロペイヤ》大神殿に携わる多くの者達に、その問題の大きさを突きつけていた。

「姉さま……」

 暗い自室に小さな声がぽつりと響く。

 受け取る相手のない「ごめんなさい」という言葉を何度も心の中で繰り返し、際限なく湧きあがってくる涙が毛布を濡らす。それをかぶって小さく震えるその頼り無い姿はあまりにも孤独に見えた。

 だが、彼女は決して一人ではない。僅かな人生の間に築かれた幾つもの繋がりの糸が、彼女を新たな道へと向かわせる。


――部屋の扉が叩かれそれが指し示されたのは、それからしばらくしての事だった。




2012/03/15 初稿




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