01 ザックス、皿を洗う!
冷たい風が、照度を落とした明かりの輝く夜の王宮を吹きぬけてゆく。
「うう、寒いぜ」
宝物庫の前で《斧槍》を片手に立ち番をしている二級警備兵の一人がそう呟いて身を震わせた。冬を迎えてすっかり下がった気温に加えて、アンダーウェア越しの《軽装鎧》の重さまでもがずっしりと身に染みる。
「畜生、こっちの待遇も、もう少し良くしてくれねえかな」
「それでも外回りの奴らに比べれば、はるかにましだぜ」
二人が警護しているのは、城塞都市《アテレスタ》にある旧ウォーレン王宮内の第二宝物庫である。
宝物庫といえば聞こえは良いが、単に素人にはガラクタ同然の品々が無造作に放り込まれているだけであり、その実態は《ガラクタ部屋》と呼ばれる通称からも理解できるだろう。
破綻した国家とはいえ、階を別にした場所にある第一宝物庫には未だに様々な財宝が眠っているとされており、なけなしの予算で雇われた彼らよりも待遇のよい一級警備兵達が四六時中、警備している。すでに雑談のネタとしても語り尽してしまった感のある彼らとの待遇の差であるが、それでも失業して、冷たい風の吹く中を職探しに走り回るよりはよいだろう。
『そろそろ北に逃げるかな……』
日々困窮していく《アテレスタ》の人々が、騒乱を嫌い、南北に長い領土のこの国で暖かな気候の北の地を目指して街を脱出していく姿は、今やさほど珍しいものではない。
数年前の国王暗殺に端を発したウォーレン王国の内乱は、あれよあれよという間に国家の崩壊にまで発展し、かつての王都《アテレスタ》は、都市のあちらこちらで頻発する暴力沙汰に多くの市民達が不安な毎日を過ごしている。様々な思惑を秘めた者達の衝突によって起こされる騒乱の日々は長く、本来豊かなはずの《アテレスタ》及び旧ウォーレン王国領は荒廃の一途を辿っていた。
賄賂と不正にまみれてはいるものの、優秀な実務能力を持つ元王国官吏達の働きによって、辛うじて最悪の事態を免れている旧王都《アテレスタ》であったが、問題解決の糸口が見える様子は一向にない。つい一月前も、都市内で最大勢力を誇る『《アテレスタ》自由都市化を目指す市民連合議会』が何者かに襲撃され、多くの死傷者を出したばかりである。出口の見えぬ騒乱は、その都市に暮らす多くの人々に日々最悪のシナリオを予感させていた。
「なあ、今、なんか物音がしなかったか?」
一人の警備兵がふとそんな事を呟いた。
「よせよ、こんなところに誰が来るってんだ。俺だったら、上の第一宝物庫を狙うふりして、偉いさん共の私室を漁るぜ」
「違いない……」
そんな会話で場をやり過ごそうとしたその時だった。
二人が警護する《ガラクタ部屋》の扉の向こう側で、何かが盛大に転がり落ちる音が響いた。即座にそれに反応した二人は、表情を引き締め、背にしていた扉に向かって《斧槍》を構える。
互いに顔を見合わせると、一人の警備兵が鍵を開け、扉を蹴り開いた。拳二つ分程度の大きさの空気穴が複数開けられてはいるものの、室内は密閉状態に近い。真っ暗なその場所からカビ臭い匂いが漂い、ツンと鼻をつく。
もう一人の警備兵が戸口にある仕掛けを作動させると、魔法の光が室内を煌々と照らしだし、散らかり放題の様子が見て取れた。
長柄の《斧槍》を傍らに置いた二人は腰の《鋼鉄の剣》を引き抜くと、警戒しながら室内を探索する。恐ろしいほどに静寂に包まれたその場所を背中合わせになって進みながら、二人は侵入者の存否を窺った。
「おい、見ろよ!」
見れば、宝物庫の片隅の石造りの床に穴が空いている。子供一人がようやく抜けられるかどうかというものだが、明らかに何らかの意図を持って開けられたことに変わりはない。その事実が二人をさらに緊張させる。
いかに《ガラクタ部屋》といえどもここは歴とした王宮内であり、この場所に至ろうとする侵入者に対して魔法による様々な警戒装置が仕掛けてある。それらを一つも作動させることなく、穴をあけて中に侵入する事が出来るというからには、相当の手錬の仕業とみて間違いないだろう。
「どうする?」
「せっかくのチャンスだ。捕まえて特別報酬を頂くとしようや」
報告を第一とするはずの場面で、警備兵としてそれなりのキャリアを持つ彼らがそんな選択をしたのは、ひとえに明日どうなるやも知れぬ王宮の内情を知るが故である。
「よし、分け前はきっちり半分だぜ」
その提案に同意すると、剣を構えたまま、室内の探索を続ける。雑多なガラクタが散乱しているとしか思えぬ室内の捜索は思った以上に手間がかかったものの、収穫はなかった。
互いに別方面から通路を進み、部屋の最奥部にある甲冑の前で再び合流した二人は、顔を合わせるや否や、落胆の色を見せる。
「どういう事だ?」
「分からん。物音の原因は何だ?」
「それならあっちの棚が崩れていたから、多分そいつが原因だろう。問題はなぜ崩れたか、ってことなんだが……」
「侵入者の気配はどこにもないな」
甲冑を背にして再び室内を見渡す。通路の遥か向こうの入口はしっかりと閉じられ、室内にはこの場所からは死角になっている部分もいくつかあるが、人が隠れているような気配はない。
「どうする?」
「そう簡単に諦められるかよ」
「そうだな」
再びその場を離れた二人だったが暫くして、又、同じ場所で合流した時には明らかに落胆の色が見えた。
「どうやら、逃げ出したってところだな」
「俺達の責任になるんじゃねえだろうな」
特別報酬から一転して、クビになるかも知れない事態に、二人は頭を抱える。
「ふざけやがって、こんなガラクタばっかりの部屋に一体何の用だってんだ!」
一人の警備兵が腹立ち紛れに、引き抜いたままの《長剣》を背後の甲冑に叩きつける。静寂に包まれた室内に甲高い金属音が一つ響いた。
「よせ! 壊れちまったらどうするんだ!」
「こんなガラクタ、誰が気にするんだよ!」
大人の平均身長を優に超えるその甲冑は、所謂《全身甲冑》様式であり、継ぎ目の見えにくい装甲には複雑な装飾が施されてある。どのような機能か知らないが、おそらく魔法装飾と呼ばれる類いの物なのだろう。どこかゴーレムという言葉を連想させるその姿は、通常の物よりも体幹部分が少々太めの造りであり、それを着こなすことのできるものはなかなかいそうにない。道理でこんな場所にガラクタとして放りこまれている訳である。
《鉄機人》――足元のタグにそんな銘が記されているそれは、どこかの暇な防具職人が心血を注いで作った趣味爆発、自己満足満載の一点物というところだった。
いら立ちを抑えきれぬ警備兵が再び《鉄機人》を蹴りつけ、甲高い金属音が再び静寂を揺るがす。相棒の暴挙を止めようともう一人の警備兵が割って入ろうとした……その瞬間だった。
彫像の如く立っていた《鉄機人》の右腕が何の前触れもなく、ぐいと伸びて蹴りつけた警備兵の首を掴み、そのまま宙吊りにする。宙吊りにされた警備兵は息苦しさに手足をばたつかせるが、《鉄機人》の腕はびくともしない。
予想だにせぬ事態に言葉を失ったもう一人の警備兵は呆然として、その様子を見つめていた。
そんな彼の眼前で《鉄機人》は持ちあげた相棒の身体を、まるで物を投げ捨てるかのように離れた場所に放り投げた。《軽装鎧》に身を包んだ警備兵の身体が宙を飛び、十歩程度離れた場所に音を立てて落ちた。辛うじて生きてはいるようだが相当のダメージがあるらしく、床を転げ回って苦悶の表情を浮かべている。その姿に我に返った警備兵は、慌てて間合いを取ると《鉄機人》に向かって剣を突きつける。
そんな彼の姿を一瞥したそれは、もはや興味がないかのように彼を無視して動きだした。重量感を感じさせる足音が室内にずしんと響き、自身の機能を確かめるかのように両腕を動かしている。
その姿にパニックを起こした警備兵は、やおら大声を上げると《鉄機人》に向かって斬りかかっていった。上段からの鋭い一閃を左手で無造作に受け止めた《鉄機人》は、驚愕の表情を浮かべる警備兵をその右拳で殴りつける。斬りつけた警備兵の身体はそのまま宙を飛び、棚に激突すると音をたてて崩れ落ちるガラクタとともにそのまま埋もれて行った。
左手に残された剣をその強力な握力でへし折ってその残骸を放り捨てると、《鉄機人》は背後の壁を振り返る。さらに振り上げた右拳を背後の壁面に再び勢いよくぶつけると、凄まじい音を立てて壁が崩れ落ちた。
「なんだ、どうした?」
突如として巨大な音と共に壁が崩れ落ち、その向こうから現れた《鉄機人》の姿に、外回りの警備兵たちが驚きの声を上げる。あちらこちらで呼子が吹き鳴らされ、集まってきた完全武装の警備兵達が周囲を取り巻く中、《鉄機人》は全く動じぬ様子でその場所に立ちつくしている。
「動くな、貴様、ここをどこだと思っている。速やかに武装を解いて縛につけ!」
崩壊した国とはいえ、王宮警備兵達の戦闘の技量は並々ならぬものがある。だが、そんな彼らにまるで関心を示さぬかのような様子で、《鉄機人》はその場で小さく屈伸を始めた。
僅かに躊躇いを見せながらも周囲を取り囲んだ警備兵たちは、手にした《斧槍》を上段に構え、じわじわと間合いを縮めて行く。
「かかれ!」
《鉄機人》が屈みこんだその瞬間をねらって6本の《斧槍》が頭上から襲い掛かかり、激しい打撃音と共に《鉄機人》をその場に押さえつける。いかに《全身甲冑》とはいえ、常人ならばその衝撃で間違いなく気絶しているはずである。
だが、衝撃をものともせずに両手で無造作に頭上の《斧槍》を掴んだそれは、勢いよく立ちあがると同時に振り回し、二人の警備兵を軽々と撥ね飛ばした。
その怪力に顔色を変えた彼らは、構えた《斧槍》を中段に取り、突きの姿勢をとる。多方面からの同時攻撃――緊張した彼らの全身から、殺気がほとばしる。
「やれ!」
命令と同時に一斉に《斧槍》が鋭く突き出される。逃げ場などどこにもない。哀れな獲物は最悪の結末を迎える……かに思われたその瞬間だった。
その場に僅かに身を沈めた《鉄機人》は、その重量を全く感じさせないかのように跳躍すると、取り囲む警備兵達の頭上を軽々と跳び越え、遥か彼方に着地する。
それなりの重量があるはずの《全身甲冑》の非常識な振る舞いに誰もが呆気にとられる中、再び身を沈めたそれは跳躍の姿勢をとると同時に跳び上がり、軽々と王宮の高い塀を越えて冷たい夜の闇の中へと消えて行った。
後に残されたのは、崩れ落ちた壁の側で鈍い輝きの《斧槍》を手にして呆然とした表情を浮かべる警備兵達の姿だけである。
「夢じゃないよな……」
誰かがぽつりと呟いた。その言葉に返事をするものなど……誰もいなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
自由都市《ペネロペイヤ》はすっかり冬の様相を呈している。
冬支度を終えた人々は日増しに厳しくなってくる寒さに身を震わせながら、再び訪れるであろう春の日差しを夢見て、それぞれの家にこもりがちになっていた。
近郊の街や農村からやってくる荷馬車もすっかり数を減らし、通りの様子はどこか閑散としている。日を追うごとに増していく寒さに比例するように《ペネロペイヤ》の街から活気が失われていくのは気のせいという訳ではない。
日増しに活気を失っていく都市の事情は、その場所に暮らす冒険者達の生活にも大きく影響する。
秋の半ばから冬の初めにかけて、冬支度の準備の為に何かと物入りなこの時期には、各々の酒場に毎日山の如くクエストの依頼があふれ、それらを裁くために酒場の店主からそこに所属する冒険者達、さらに店の従業員達までがてんてこ舞いの日々を送っていた。書入れ時のこの時期は、複数のクエストを同時に引き受ける者達も多く、当然といって良いほどに起きるダブルブッキングやクエスト不履行などのトラブルに酒場の中が殺気立ちやすい。
ガンツ=ハミッシュの酒場もその例に洩れず、毎年恒例のこの修羅場に多くの冒険者達が身を投じ、直に訪れるであろうクエスト閑散期に備えていた。特に今年は《踏破者》であるバンガスのパーティを看板にして店の評判がすこぶる良かったためか、舞い込んでくるクエストには良質のものが多かった。
雪がちらちらと舞い始め、《ペネロペイヤ》の冬の寒さが本格的になる頃には、ガンツ=ハミッシュに所属する多くの冒険者達の懐は暖かくなっていたのである。
そんな目の回るような忙しさに店中の者たちが追われていたのは数日前までの事。
寒風が当たり前のように通りを闊歩する頃には、つい先日まで山のように舞い込んできたクエストの依頼もすっかり収まり、閑散期を迎えたガンツ=ハミッシュの酒場にはどこかのんびりとした空気が満ちている。そんな中、そろそろ朝食時を終えようとしているとある一角のテーブルにおいて、熱い舌戦が始まろうとしていた。
「だから、別にいいじゃない。臨時メンバーを雇えば済む事でしょう!」
「お前ねえ……。『私達の初めてのミッションなんだから、出来るだけ外部の人間をいれたくないわ』なんて言ってたのは、どの口だよ!」
「あの時はあの時、今は今よ! 『変化する状況に素早く対応するのが世知辛い人間の世界の常識だ!』なんて偉そうに言ったのは貴方でしょう」
若干詰め気味の一階席のほぼ中央のテーブルに座る一組の男女が、言い争いを始めている。若い青年と同齢程度のエルフの女性――この店で最も新しく、踏破実績皆無の二人だけのパーティの言い争いを、周囲は仲裁するどころかワクワクした様子で傍観している。
「おっ、又、始まったか」
「今日は『青』だな」
「じゃあ、俺は『ピンク』で!」
「いやいや、『白』も清楚で捨てがたい。『白』に今夜の晩飯だ!」
「よし、乗った!」
すでに恒例のレクリエーション行事の一つとなりつつあるこの事態に周囲が期待する中、当の二人の舌戦はさらに過熱していく。
「あせったって仕方ねえだろう。オレ達のパーティは、まだ二人しかいないんだから……」
「いつまでものんびり構えててどうするのよ! クエストの依頼のないこんな時こそ冒険者パーティの本分が試されるのよ!」
「今度は誰に吹き込まれてきたんだ、それ?」
何かとあちらこちらから影響を受けやすい相棒のエルフ娘の言葉に、青年――ザックスはうんざりといった表情をうかべる。
「あっ、又、世間知らずだって馬鹿にして!」
「してねえよ!」
プクリと頬をふくらました相棒のエルフ娘――アルティナの姿にうんざりした様子を見せながら、彼は食後のクーフェを口にする。じんわりとした苦みと引き立て豆の香ばしい香りは近頃のザックスお勧めの一品なのだが、唯一の相棒である彼女にはすこぶる評判が悪い。
「こんな苦い物、よく飲めるわね! 何のおまじないなの?」
果実の搾り汁を好むエルフには受け入れ難い味のようである。二人の間にある異種族間の壁は何気に高く、その意思疎通には何かと隔たりがあるようだ。
パーティの結成後直ぐに目の回るようなクエスト繁忙期を迎えた二人は、換金アイテム収拾や周辺村落からの荷馬車の警護依頼などのクエストを、様々なパーティの臨時メンバーとして引き受け、時を過ごしていた。
各々、《剣士》としてあるいは《魔術士》として相当な腕前の二人はあちらこちらで重宝され、時に単独で、あるいは二人でクエストをこなし、すこぶる忙しい毎日を送っていた。だが、閑散期を迎えてようやく暇になり、己の置かれた状況を振り返ってふとある事に彼らは気付いた。
『自分達のパーティにはまだ踏破実績がない』
パーティの実績評価基準には、クエストの達成率のほかにも様々な物がある。その中で最も大きな物を挙げるならば、やはりダンジョン踏破実績であろう。難易度、踏破時間、などの記録がそのパーティの評価となり、当然店内での発言権が高まると同時に、成績の良いパーティを直接指名しようとする依頼主も多い。
個人としての実績はともかく、未だにパーティとしての実績を持たない『ザックスのパーティ』は、店内での評価は0に近く、その存在を知るのは店内の者だけである。これまでのザックスの特異な経歴やアルティナの冒険者としての異端な出自ばかりが目立つ事によって、当の本人達までもが問題の存在をすっかり忘れてしまっていたという訳である。
閑散期になってようやくこの状況を解決しようと意気込む二人だったが、互いの思い描く方針の違いがさらなる問題へと発展する。
「この際だから、地道に手ごろなところに挑めばいいじゃない」
「今更、初級レベルダンジョンなんて踏破したって意味ないだろ!」
実績のないパーティに所属し、冒険者になってようやく半年になろうかという者の言葉ではないところが恐ろしい。
通常、成長の早いパーティでもようやく中級冒険者になれるかどうかというくらいのこの時期までに、この二人はすでに単独で何度も初級レベルダンジョンをクリアするという驚異的な経歴を持っている。己のパーティによる輝かしい最初の挑戦には、やはりそれなりのところを踏破したいというのがザックスの本音だった。
だが、そんな二人に立ちはだかるのが人数の壁だった。
現在の二人のマナLVは34と25。過去、幾多のパーティの臨時メンバーとしてクエストを受けて踏破した中級レベルダンジョンに挑むには、いくつかの問題があった。
中級レベルダンジョンの周回モンスターの平均レベルはC~E、ボスモンスターはBもしくはCというのが冒険者協会の基準である。一回きりの戦闘においては二人の実力は全く問題ないといえる。だが、二日以上になるその道程において、二人という人数は明らかに不足である。有能な二人の精鋭よりも、凡庸でも5人の平均的な冒険者が力を合わせたパーティの方が有利である――それがダンジョンを踏破するという事だった。
休憩時の周囲の警戒に人員を割けない事や、回復役の不在という問題は彼らにとって大きい。特に回復役が存在しないという事は値段の張る薬滋水の消費を増大させ、せっかくダンジョンを踏破したのに赤字になってしまったという事態を招きかねない。
ウルガ達のように攻撃型の編成でパーティを組むとしても最低3人、ザックスとアルティナの間に立ち、二人をカバーする事の出来る力量を持つもう一人の人間の力が必要だった。問題はその一人をどうするかということだろう。
この半年の間に出来た人間関係を頼りにすれば、人数の問題をクリアする事は可能である。彼らに力を貸そうという人間はいくらでもいるし、実際にそれを申し出てくれている者達も多い。
そんな彼らの申し出に素直に応じる事ができないのは、彼らが独自に抱えるとある問題――彼らにかけられた《杯》の魔将の呪い故だった。二人に同行するという事は、これまでも彼らに幸運と災いを導いてきたその呪いの当時者となりかねない。
勿論、二人の事を知る者達は皆、そんな事は分かった上で協力を申し出ているのであるが、ザックスはそんな彼らから差し伸べられた手を握る事に躊躇いを覚えていた。突如として訪れる予期せぬ事態に協力者を巻き込み失ってしまいかねない――かつて、ウルガ達が抱えた問題に類似する事態に、ザックスも又悩む事となっていた。
結果として、臨時メンバーの協力を仰ぎながら徐々にパーティとしての実績を積み上げ、正式メンバーとなるにふさわしい者を探すという、当たり前の手法に二の足を踏む煮え切らないザックスの姿に、アルティナは大きな不満を抱えていた。
「やってみなければ分からないじゃない。そんな状況にならないうちから考えてたって前に進めないわ」
「幸運度だけがMAXのお前には分からないんだよ!」
彼女の幸運値の恩恵は伊達ではない。
アルティナがガンツ=ハミッシュの酒場に登録されて2カ月近く、すでに彼女はクジ引き荒らしの要注意人物として周辺の商店の店主達に警戒されつつある。そんな彼女には、これまでザックスの抱えてきた背筋の凍るような悪運の恩恵は理解できないのだろう。
だが、そんなザックスの言葉はアルティナにとって禁句であり、「私だって、好きでこうなったんじゃないわ!」という言葉と共に、空になった朝食の皿が次々に投げつけられることとなる。
テーブルを挟んで宙を舞う色とりどりの幾枚もの皿――。
自身に向かって投げつけられるそれらを、補助魔法《駿速》を使って身体強化したザックスが素早く空中で受け止め、元の場所に戻す。再び戻されたそれらを掴んで投げ付けるアルティナと、すばやく受け止めて元に戻すザックス。皿に付着したソースの一滴までもが周囲に飛び散らずに宙を舞い元に戻って行くそのコミカルな様子に、周囲の者達はやんやの喝さいを浴びせる。ここ数日飽きもせずに繰り返されるその光景は、退屈を持て余した彼らの格好の暇つぶしだった。
そんな周囲の盛り上がりを尻目に熱い攻防を繰り返す二人だったが、やがて終焉の時が訪れる。
ふとした拍子に皿の上に残っていた付け合わせのポムルの実が一つ、テーブルからこぼれ落ち、ころころと床を転がっていった。
「まずい!」
宙を舞う最後の皿を元に戻して慌てて攻防を中止したザックスは、転がって行く指先大のポムルの実を拾いに席を立つ。《瞬速》を発動させたまま転がる実を拾い上げたザックスだったが、ふと見上げたその先にあったのはこの店の厨房責任者であり、ガンツの共同経営者であるドワーフのハミッシュの姿だった。
「ザックス……」
ハミッシュは僅かに悲しげな表情を浮かべて、静かに彼の名を呼ぶ。
「料理人としての俺の信条を知っているか?」
「も、もちろんですとも……」
手にしたポムルの実の表面を慌てて拭き取ると、素早く己の口に放り込む。弾力のある外郭の中に封じ込められた甘く粘り気のある果肉を慌てて噛み潰して飲み込んだザックスは、ハミッシュに弁明する。
「ほら、大丈夫、無駄にはならなかった!」
「そ、そうね!」
いつの間にか彼の傍らに青ざめた様子のアルティナが立っている。そんな彼らにハミッシュは続けた。
「俺は料理人として、常日頃から素材の最後の一切れまでも無駄にならぬように注意を払い、魂を込めた料理を出し続けてきたつもりだ」
「そ、そりゃ、あんたの腕はこの店だけでなく街中の誰もが認めてるよ!」
「そ、そうよ!」
こめかみに一筋の汗を垂らしながらザックスとアルティナはハミッシュの言葉に相槌をうつ。
「だが、そんな作る側の気持ちなど全く理解せずに、皿を玩具にする……そんな奴らがこの店にいるとは、悲しい事だとは思わないか?」
ぎろりと睨みつける視線に二人は言葉を失った。彼らの胸の高さ程度しかないドワーフ族のハミッシュだったが、今やその姿は天を覆い尽くさんばかりの迫力で彼らを見下ろしているように感じられる。
「い、いや、まあ、あれはなんというか……。ちょっとした言葉の行き違いで」
「そ、そうよ。ほら、いつもどおり、お皿も一枚も割れていないんだし……」
自分達の座っていたテーブルの様子を指し示しながら二人は交互に弁解する。だが、奇妙に息のあった彼らの言葉など聞こえぬかのようにハミッシュは続けた。
「確か、お前達はミッションが組めなくて困っていたんだったな……。だったら俺が代わりに今日もお前らに相応しい物を見繕ってやろう。ついてこい!」
有無を言わさぬその迫力に顔を見合わせた二人は、肩を落としてハミッシュの後につき従う。厨房に消えて行く3人の姿に周囲の冒険者達は大いに湧きあがった。
暫くの後、朝食時を終えた厨房内では、うず高く積み上げられた皿の山に挑む事となった新米皿洗いザックスの姿があった。同時に、店内ではエプロンメイド姿のアルティナがトレイを抱えて走り回る姿に、冒険者達の喝さいが寄せられた。
多くの者達の予想を裏切り、今日の彼女のコスチュームは新作の『緑』であり、エルフの彼女によく似合っていたのは……実に些細なことだった。
2012/03/14 初稿