26 エピローグ 仲間の絆
上階層から流れ落ちる滝の中に生まれた光は、ただ静かに輝き続けていた。
3人の姿が消えてから、そろそろ半日近くが経過する。直に夜明けを迎える事になるであろうその場所で、彼らの帰還を待ち望む者たちはただひたすらに忍耐の時を重ねていた。
時折強く輝いたかと思えば、直ぐに消えそうになる。まるで人の命の強さと儚さを示しているかのようなその輝きを見守りながら、マリナを始めとした神殿巫女たちは、今にも消えそうな妹分のマナの輝きに、やきもきしながら己の無力さを嘆いていた。
いったいいつになったら決着がつくのか、傍観者達の一部にそのような空気が流れ始めた頃、滝の中の光が一際激しく強く輝いた。次いで爆発するように膨れ上がり、やがてマナの光はそのままあっさりと消え去ってしまった。
不意に滝の裏側に何者かの気配が感じられる。
神殿巫女達は慌てて、そちらへと駆け寄った。
――現れたのは3つの影。
洗礼衣姿のザックスとアルティナ、そしてイリアの姿だった。彼らの無事な姿に誰もが胸をなでおろした。
眠っていたはずのアルティナは、泉の中でザックスに肩を借りながらも己の足で立っていた。ただ、彼女は滝の水に全身をぬらしたまま、激しく嗚咽していた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
そう言葉を繰り返しながら、泣き続ける。そんな彼女にザックスは静かに声を掛けた。
「全ては夢の中の出来事だ。オレ達は無事に皆でこうして帰る事が出来たんだ。もう全て終わったんだよ。いや、違うな。ようやく始まりの時を迎えるんだ」
そう告げると彼女を泉の淵に座らせる。すぐさま神殿巫女の一人が彼女の身体にガウンを掛けた。
「無事に戻られたようですね」
マリナがザックスに声をかける。
「ああ、おかげさんでな」
そう言うと僅かに遅れて彼の後ろに立っていたイリアの方を振り向いた。だが、そこに立っていた彼女の瞳はどこか虚ろだった。
「イリア?」
歩み寄って声を掛けたザックスに彼女は返事をしなかった。代わりに崩れるように彼の腕の中に倒れ込む。
「イリア!」
その華奢な姿態を慌てて抱き上げる。体温の下がったその身体は氷のように冷たかった。
「ごめん……なさい……。とても……疲れました」
ザックスの腕の中でようやくそれだけを呟いた彼女は、僅かに安心したような笑みを浮かべてそのまま目を閉じる。
「ザックスさん、イリアをこちらに!」
珍しく厳しいマリナの声に、慌ててイリアの身体を彼女の下へと運んだ。すぐさまマリナを初めとした3人の巫女達が、イリアの体内のマナの流れを整える。
「大丈夫、マナを使い切って酷く疲労していますが、直に回復するはずです。命に別条はありませんので、ご安心を……」
巫女達の応急処置によってようやく頬に赤みが戻ってきたイリアの姿に安心したマリナが、そうザックスに告げた。
「そうか、よかった」
安心して気が緩んだのか、ザックスは崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
「大丈夫ですか、あなたもずいぶんと消耗しているようですね」
彼の背中に直に手を触れながら、マリナはザックスの体内のマナを調整する。
「ああ、かなり無茶したんでね、それよりオレ達は一体どれくらいあっちにいたんだ?」
「半日くらいですわ」
「半日?」
おどろいて顔を上げる。
周囲を見回せば協会長を初めとして、エルフの3人や神官長などその顔ぶれに変化はない。
「そうか、たった半日しかたってなかったのか」
「ええ、とても長い半日でした……」
別室へと連れて行かれるアルティナと青ざめたライアットに抱えあげられて運ばれて行くイリアの姿を見送りながら、感慨深げに言葉を吐き出した。
あの激しい夏の一カ月は、たったそれだけの時間の中で繰り返された幻想だった事を実感する。
懐かしい人々と出会い共に過ごした様々な思い出を脳裏に描きながら、ふと自身を心配そうにのぞきこむマリナと目があった。
その微笑みをきっかけに、夢の世界で彼女と共に過ごした夜の出来事の一部始終が思い出されると同時に、ザックスは一気に赤面した。
「ザックスさん?」
訝しそうに彼の顔を覗き込むマリナの姿に堪らず、ザックスは目をそらす。
「どうされたのですか?」
「い、いや、いいんだ、べ、別に、大したことじゃない」
うろたえながら明後日の方向を向く。
あちらの世界で共に過ごした夜の事、そして彼女の去り際の『次は逃しません!』という言葉が鮮やかに思い浮かぶ。
(じょ、冗談じゃない、あんな事バレたら何言われるか分かったものじゃ……)
だが、敵は強者だった。悪戯っぽく笑ったマリナがザックスにカマをかける。
「どうやらあちらの世界で私と何かをなさったのでしょうか」
「待て、オレは別に何もしちゃいない、そりゃ、色々とあったけど……」
あっさり自爆してしまったザックスに、マリナは勝者の微笑みを向ける。
「ふふっ、ザックスさんどうやらその話は、おいおい聞かせて頂く事にしましょうね……」
立ちあがると彼女は笑みを浮かべて歩き去る。後にはその場に手をついてどっぷりと落ち込んだザックスが一人とり残された。
「未熟じゃのう」
そんな彼の姿を見た老人がぽつりとそう呟いたかどうかは……定かではない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
全ての構成要素が消え去って『静寂』へと帰ったその場所に、《杯》の魔将ヒュディウスの姿が現れた。
先ほどまでの激しい激突が嘘のように静まり返ったその空間で、彼はその激闘の残滓ともいえるひと振りの剣を拾い上げた。刀身に奇妙な輝きを秘めたその無銘の剣を彼は己の内へとしまいこむ。
多くの矛盾を含みつつ構成された様々な要素は、魔将の絶対的な力の前には何の意味もなさなかった。その事実を受け止められずに拒絶し続ける創造者の意思によって、この虚構の世界は、無限のループを繰り返しながら劣化し続けていた。
創造者の絶望と共に世界の終焉が近づく中、訪れた闖入者は彼の思惑通りに全てをひっくり返して、鮮やかに去って行った。奇跡的な確率の中でそれを実現したその行為は見事というしかないであろう。
「やってくれたわね、《杯》の……」
不意に彼の背後の虚空から声が投げかけられる。その言葉に振り返る事もなくただ一度だけ彼は大きく手を振った。
と、広がっていた『静寂』の空間が、彼を中心に揺らぎ始め、青白い光に包まれた《揺らぎの世界》へと変貌した。途端に彼の眼前に周囲から幾つもの小さな輝きが集まって一つの形をなし、その中心に一人の女の姿が現れた。
すらりとした平凡な外見は、40歳前後の人間の女性のように見える。尤も時の概念を失った彼女にとって、その物差しに余り意味はない。
「礼は言わないわ」
《杯》の魔将によって、『静寂』に支配された《狭間の世界》の大枠が取り去られる事で、《現世》の頸木から解放され、仮初めの死から甦ったのが彼女、《盾》の魔将だった。
「いえいえ、そんなことよりも、まさか貴女ほどの方が、たかが人間風情に後れをとるなんて、思いもしませんでした」
「どの口でそんな事を言うの、貴方は? さんざんにあの人間達に肩入れしておきながら」
「別に肩入れなどしてはおりません、ただ、私は世界の混乱を収めるために最も良き手段を取っただけですよ」
表情を変えずに、彼は答える。
「たしかにそうね。でも、貴方が与えた助言はあの人間には何の意味もなかった。己のやり方を貫いて事態を突破していたものね」
僅かに込められた皮肉にも、彼は笑みを浮かべるだけだった。
「まったく、真に恐ろしいのは千を知る智者ではなく一を貫く愚者のようですね。いやはや人間とは侮れぬものです」
「その人間達の世界である《現世》に貴方はなぜ執着しているの? 時を忘れ、揺らぎの住人となった私達魔将の目から見れば、それはあまりに愚かなこと。下手をすれば己の存在意義が失われ、消滅してしまいかねぬでしょうに……。愚かな選択としか思えないわ」
「別に私は《現世》に執着しているわけではありませんよ。ただ必要だから関わっている。それだけです」
(それが私達からみれば執着しているという事になるのが、分からないようね)
いかに強大な力を誇る魔将とて、元は人間。まだそのころの何かが彼の内でくすぶっているのだろうか?
「まあ、いいでしょう。この場所での私の役目は終わりました。そろそろ場を退かせて頂きますよ、《盾》の」
「そう、できれば、もう二度と会いたくないものだわ、《杯》の」
「それはつれないお言葉で……」
そんな言葉と共に彼は姿を消していく。後には一人《盾》の魔将の姿だけが残された。
敗北と仮初めの死――魔将になった身で、まさか人間にそれを味あわされることなど夢にも思っていなかった。
理屈では理解できる。
彼女を構成する概念は《守護》である。狭間の世界で守護を望むものがいたからこそ、たまたま近くにいた彼女は導かれ、その意思の源を《守護》したのである。
意思の源が彼女の役割を拒否してしまえば、その存在意義は薄れ、価値を失うは自明の理。敗北は必至である。
だが、自身の力に守られた意思の源を変質させるまでの力を、人間風情が生み出した事は驚きだった。
否、弱い人間だからこそ、それは可能であったのかもしれない。理に縛られる世界の存在でありながら、その頸木から自由であり続けようとする彼らの魂が起した奇跡とも呼べるものであろう。
そんな彼らに一体、《杯》は何を望んでいるのだろうか?
彼の言葉を反芻し様々な事柄を類推しながら、彼女は揺れる虚空に身を任せる。
――それは、彼女を求める意思に再び出会うまでの、ひと時の休息であった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
アルティナの目覚めから数日が経過し、《ペネロペイヤ》大神殿で暮らす者達はいつもと変わらぬ務めの日々を送っていた。
だが、そんな神殿内のとある一室において緊迫した空気の中、そこにいる誰もが渋面を浮かべていた。
渦中の中心にいる人物が、あの神殿巫女のマリナである事が原因だった。
「では、度重なる一冒険者への最上級洗礼を最高神殿に無断で執り行ったのは全て、貴方の独断であるという事ですね」
「はい」
「あなた程の方が一体どうして……」
「それが必要であると、私が判断したからです」
「それが、例え上級神殿巫女であったとしても明らかな越権行為であると認識した上で、ですか」
「はい」
その日、《ペネロペイヤ》大神殿にやってきた最高神殿からの3人の審問官によって、マリナは審問会の席上で彼女の巫女としての資質と責任を問われていた。
問題となっていたのは、過去に彼女自身が執り行ったと報告された、二度にわたるザックスへの最上級洗礼が、最高神殿に許可なく彼女の独断で行われたという事であった。
審問会の席には、訪れた3人の審問官のほかに、《ペネロペイヤ》大神殿の神官長、及び、巫女長、さらにライアット達数名の高神官と上級巫女、近隣都市の神官長が一堂に会している。
先日、《ペネロペイヤ》大神殿内でアルティナの目覚めの為に執り行われた儀式については、大神殿の神官長、巫女長が臨時に認可し、又、緊急性が高かったことと、エルフ達への感情的な配慮から不問に付されていた。
だが、そこに至る過程において判明したその事実は見過ごされることなく、当事者として儀式の一切を執り行ったと報告したマリナが糾弾されることとなった。
肯定、中立、否定の立場をとる3人の審問官に対して、ペネロペイヤ神殿の巫女長であるルーザが反論する。
「お待ちください。当事者となった冒険者はかの《魔将殺し》の一人であり、その扱いを巡っては創世神殿内でも意見が割れているはずです」
「それは結果論にすぎん。彼女の2度にわたる行為は、《魔将殺し》以前に行われたものであり、その責めを問われるのは必定!」
「それ以前にもかの冒険者は魔将と遭遇し、創世神殿ですら把握できぬ呪いをその身に受けております。何が起きるか分からぬ以上、最善と思える手段によって事に備えるは智者の務め。
過去になかった事例に対して既存の基準で判断するのはいかがかと……」
「それを判断するのは我ら最高神殿の権威である事をお忘れか?」
その言葉にルーザは押し黙る。
すでに50歳を過ぎ、巫女としてはとっくに力を失っているものの、娘のような神殿巫女達を守る為に、日々巫女長の職務を務める彼女だったが、最高神殿の威光の前には成す術がない。
「結論として、我ら最高神殿は彼の神殿巫女マリナの中級巫女への降格、及び、《ペネロペイヤ》大神殿からの異動が妥当であると考えますが……」
「お待ちください、それは、あまりにも」
食い下がるルーザに、否定の立場に立っていた審問官が伝家の宝刀を切りだした。
「禁を犯した巫女に対して能力を封じ、追放処分とする事も可能なのですよ」
その言葉にルーザは押し黙る。続いて、中立の立場に立っていた審問官が口を開いた。
「事が《魔将殺し》の冒険者に関わりがあり、彼の特異な経歴を考慮すれば、巫女長殿の意見ももっともであろう。
ですが、当該行為に対して最高神殿に窺いを立てなかったという事は決して見過ごす事は出来まい。そう考えれば、軽い処分であると私は考えるが……」
その言葉に反論する者は室内になかった。
続けて肯定の立場に立つ者が述べる。
「彼女の過去の経歴と事情を考慮し、新たな任地については巫女殿の意思を尊重したいというのが我々の総意であります。いかがかな?」
「……創世神の御心のままに」
ルーザはその言葉と共に神殿礼をとって押し黙った。
結局はそういう事なのである。
神殿巫女として絶大な人気と実績を誇るマリナの存在に目をつけた最高神殿の長老たちが、この機会を利用して、彼女を《エルタイヤ》の最高神殿に迎えるためにこの事態を画策したのであろう。
暫くの禊の期間をおいて再び彼女の地位を復権し、《エルタイヤ》の地で創世神殿のアイドルとして彼女の力を十分に利用しようという実に世俗的な判断だった。彼女が新たな任地として最高神殿を選ぶか、あるいは沈黙を保つことで、審問官からの側から彼女の最高神殿行きが宣告される、そんな青写真が彼らの頭の中には描かれているのであろう。
――だが、……である。
当のマリナは彼らの言うなりに踊るようなタマではない事が、最高神殿のお歴々には全く分かっていなかった。この審問会の流れも彼女とルーザの予測通りだった。否、それ以前に、彼女達によってそう仕向けられたものだった。
アルティナの眠りを目覚めさせる奇策を以て、彼女がルーザの下を訪れた時からそれは始まっていたと言っていい。
最も守りたい真実を隠し、わざと穴のあいた台本を最高神殿に報告する事で、事態は彼女達の意図した方向へと動いていた。
――本当にこれでよかったのかしら。
それでもルーザは自分達の仕組んだ筋書きに、一抹の不安を持った。
マリナは聡明であり、いつか巫女の力を失う事になったとしても、高い実務能力を持つ彼女は裏方として、そして行く行くは自身の後釜として大神殿の巫女長の席に収まるだけの力量を持っている。彼女の成長を長く見守ってきた身としては自慢の娘同然とも言えた。
だからこそ、《ペネロペイヤ》大神殿という小さな世界に引きこもらず、広い世界に打って出ようとする彼女の意思には賛成であった。広い見識を持ち、代わりゆく世界の動向に自分なりの物差しを持つ事は、人の上に立つ者の必須事項である。
だが、そんな彼女の希望する行き先が余りにも過酷な場所である事に疑問を持つ。いったい彼女は何を考えているのだろうか?
マリナが自身にも決して明かそうとせぬ目的がある事はうすうす感じている。だが、それを差し引いても彼女が信頼に値する人間であると十分に承知している。
少し離れた場所に座って目を閉じたままのマリナの横顔を見つめながら、ルーザは彼女の先行きに得体の知れない不安を感じていた。
「では、マリナ殿、貴方の赴く任地についてご希望があればおっしゃられよ。創世神の御名において必ずや実現されるでしょう」
審問官の言葉に周囲の視線がマリナに集まった。
ここまで当事者である彼女は最低限度の弁明をした後、一切語らずに黙って目を閉じていた。彼女に対する弁護の一切を巫女長であるルーザに任せ、彼女はただ静かに時を待っていた。
そして、今ようやくその時が訪れた事を感じ取った彼女は、立ちあがり言葉を口にする。
「この度は私めの未熟さゆえに、長老方をはじめとして多くの方々にご迷惑をかけました事、謹んでお詫び申し上げます。最年少で上級巫女になったとはいえ、その事実のみに思い上がった私めはまだまだ未熟者。この度の不始末はそのような私の傲慢さによって引き起こされた神殿巫女としてあるまじき失態であり、実に恥ずかしく思います。つきましては初心に帰って巫女のなんたるかを再度見直し、己の信仰を問いただす為に……」
僅かに言葉を切って小さく息を吸う。そして彼女は続けた。
「……私は、新たな任地として城塞都市《アテレスタ》の神殿に赴きたいと考えております」
室内の空気が凍りついた。
彼女の正面に座る3人の査察官は呆気に取られている。否、ルーザと事情を知る一部の関係者を除く全ての者が、呆気に取られていた。
「ば、馬鹿な、《アテレスタ》……だと? あの都市は今、騒乱の最中。そのような場所に一体何の理由で……」
「そのような場所であるからこそ、今多くの信者達が疲弊し、神殿巫女として、そして創世神に仕える者の一人として、その信仰が試されるのではないでしょうか?」
つまらぬ俗世の駆け引きにうつつを抜かす者達からすれば、実に耳の痛い言葉である。
「だが、待ちたまえ。いくらなんでも貴女がそこに行く必要など……」
「『創世神の御名において必ずや実現されるでしょう』たしか先ほど、そう言われたのではなかったのかな」
割って入る一つの声。
高神官ライアットのその一言が、審問官達の言葉を封じた。
高神官でありながら《魔将殺し》の一人であるライアットの存在は良くも悪くも、創世神殿に所属するものに大きな影響を与える。決してないがしろに出来るものではない。
タイミングのよい援護にマリナは心の中で頭を下げた。
ライアットとてマリナの決断を手放しで認めた訳ではない。幼いころから義娘であるイリアと共に何かと近しい存在だった彼女を騒乱の地に送りこむ事など、論外だった。
だが、それが彼女の意思であり、二人が愛しく思う者を守る只一つの方法である以上、それを受け入れるしかない。無表情を装うその胸の内には忸怩たるものがあるはずだ。
暫し、何事かを話し合っていた審問官の3人だったが、やがて諦めたような顔で結論を述べる。
「では、我ら審問官は創世神の御名において中級巫女マリナを《アテレスタ》神殿へ異動させる事をここに決定する」
彼らの決定に室内がざわめいた。それは創世神殿という組織が揺れ動く様を象徴しているかのように思われた……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
秋の夕暮れは早い。
夕刻近くなるとそろそろ肌寒くなり始めるこの時期は、直ぐそこまで迫ってきている冬将軍の到来を予感させる。家路を急ぐ人々が集う《ガルガンディオ通り》を通る二人は、やがて、とある酒場の前で足を止めた。
「ここが、そうなの?」
「ああ、ずいぶんと変わっただろ?」
考えてみれば、店の再開の日からまだ10日程度しか過ぎていない。自身にとってもあの日の祝宴が遥か昔のように感じられる。
立ち止まる二人の姿に道行く人々の幾つもの視線が集まる。否、視線の中心にあるのは二人の内の一人、女性冒険者らしき人物の方である。
黄金色の髪、妖精族特有の長い耳、誰もが目を奪われる均整のとれた体つき……。
一目でエルフと分かる彼女に視線を奪われ、そのまま他の通行人にぶつかる者の姿もある。そんな彼らの姿に苦笑しながら彼女の側にたつ男――ザックスは、彼女――アルティナを店内に誘った。
ガンツ=ハミッシュの酒場――冒険者協会の認定証付きの年季の入った看板が下げられた店の扉を、二人は静かに押し開いた。
二人の姿が店内に入ると同時に、店のあちこちからザックスを冷やかす声が聞こえる。
「おいおい、ザックス、いつの間に嫁さんなんかもらったんだ」
「綺麗だな、姉ちゃん、こっちきて酌してくれよ」
「バカ、エルフになんてこと言うんだ、テメエは!」
好き放題な事を言う一階席の客達の言葉に顔を見合せて笑う二人に、カウンターを出たガンツが声を掛けた。
「どうやら、ケリがついたみたいだな」
「ああ、ガンツ、心配掛けたがもう大丈夫だ。彼女もこの通りだ」
ザックスの言葉に従ってアルティナがぺこりと頭を下げる。ここに来るまでの間、事前にいくつかの事情を聴いていた彼女だったが、内心は複雑であろう。
――知っているが、知らない人たち。
ここにいる多くの人々が、夢の世界にいたアルティナにとってはけっして初めてではないのだから、戸惑うのは無理もない。
目覚めてから数日の間、アルティナは協会の施術院で時を過ごしながら自身の身の処遇を待っていた。
彼女を強引に連れ戻そうとする3人の使者とそれを拒否する彼女の間に割って入ったのは、件の老人だった。
彼女自身がザックスと同じく魔将の呪いを受けた身である事もあって、最終的に現在の彼女の身柄は協会長預かりという形になっていた。
仕事の丸投げの大得意な件の老人である。
当然の如くその役割をザックスに丸投げし、彼女は暫くの間、監視役であるザックスと共に行動することとなっていた。
「これで一件落着じゃのう」
満足気なその言葉を残して、お気に入りの釣り竿を片手に自室を後にした老人を、部下の男が書類を抱えてあわてて追いかけていったのはいつもの事である。
「徐々に慣れて行けばいいのさ。気のいい奴らもたくさんいるんだから」
ザックスの言葉に店内から歓声が湧く。美人のアルティナとお近づきになろうなどと息巻く冒険者達も多いようだ。
そんな空気の中、ザックスはガンツに一つの注文をした。
「ガンツ、悪いんだが、一番席にオレ達の夕食を。それとウルガの葡萄酒とグラスを5つ程、頼みたいんだが」
その言葉に店内が一瞬沈黙した。
ザックスの言葉に、しばし、じっと二人を見ていたガンツだったが、直ぐに了解の意思を示して、カウンターの奥へと消えて行く。
「来いよ、アルティナ、見せたい場所がある」
そういうとザックスは二階席への階段を上って行く。そのすぐ後をアルティナは僅かに躊躇うようについて行った。
「ザックス、この場所って」
一番席の姿を目の当たりにしたアルティナが言葉を失った。
「ああ、ガンツの希望でな、ここだけはあの日と変わらないだろ?」
「うん……」
その言葉にアルティナは涙ぐむ。
そこは自分のよく知る唯一の場所。そして様々な思い出の詰まった場所。
すっかり様変わりしてしまった店内で、ようやく自身の記憶との接点を見つけた彼女は安心したのだろう。
「まあ、座れよ」
そう言うと彼は彼女にいつもの場所を勧めた。
一番奥のウルガの指定席の左隣のエルメラの席。そのさらに左隣に彼女は躊躇いがちに腰掛ける。その対面に座ったザックスは、ガンツ自らが持ってきた5つのグラスをテーブルに振り分けると、ウルガのお気に入りの葡萄酒を全てのグラスに注いで行く。
その姿を眺めたガンツは一つ頷くと、黙ってその場所を離れて行った。
「話したい事がたくさんあるんだ」
あの日の不幸な出来事以来、たった一人で駆け抜けてきた今日までの日々。多くの人々と出会い、様々な思い出を胸にしてきた彼はその全てを、本来共有すべきだったはずの彼女に語って聞かせる。
時に笑い、時に涙し、時に苦しんだ、そんな日々の物語を、食事の傍らザックスはアルティナに語り続けた。
二人の楽しそうな姿が生み出す空気が一番席から二階席へ、そして店全体へと波及していく。
シーポンを始めとする吟遊詩人達が共演する事で、幾つもの素晴らしいハーモニーが店内を駆け巡った。楽しげな空気の充満する店内を一番席から眺めながら、二人の話が尽きる事はない。
互いの齟齬を、現実と幻想の齟齬を、過去と未来の齟齬を埋めるために、二人は語り続けた。
今、直ぐ側に3人の先達たちと共にいるかのように、一番席に座った者達の楽しげな談笑の時間は尽きる事はなかった。
夕食時が終わり、店内で多くの冒険者達が酒と共にくつろぎの時を過ごし始めた頃、一番席に座っていた二人はその場所から静かに立ちあがった。
「さてと、じゃあ、始めるか」
「そうね……」
名残惜しげにその場所を一度だけ振り返った二人は、顔を見合わせるとそのまま二階席を後にした。
共に並んで階段を下りる二人に、店内のあちこちから冷やかし混じりのヤジがとぶ。そんな中をゆっくりと歩を進めた二人は、やがてカウンターに座るマスターのガンツの前に立った。
「ガンツ、話がある」
「なんだ? 改まって」
今日は機嫌がいいらしく、彼の傍らには珍しく酒のグラスが置いてある。そんなガンツに向ってザックスは静かに告げた。
「パーティの登録をしたい」
ザックスのその言葉に喧騒に湧いていた周囲が静まった。沈黙が徐々に広がって行き、やがて店内全体が奇妙な沈黙に支配される。
二人の顔を交互に見比べていたガンツだったが、直ぐに「そうか」という言葉と共に帳面を引き出した。
二人のクナ石を手に取ったガンツはその内容を帳面に書き記していく。そんな彼にザックスはさらに続けた。
「もう一つ、言っておかなきゃいけないんだけど……」
「なんだ」
一度だけアルティナと目を合わせる。そして、互いに頷いた。
「今後、オレは一番席に座る権利を放棄する」
その瞬間、筆記具を持つガンツの手がぴたりと止まった。一階席からは小さなどよめきが生まれた。
「それは……、そっちのお嬢さんも納得してるのか?」
「はい」
アルティナが答える。
「本当にいいんだな」
ガンツがザックスの目を見据えて尋ねた。ザックスはその視線を真っ向から受け止める。
「ああ、俺達はいつまでもウルガ達に背負われて、甘えているわけにはいかないんだ……」
「そうか」
ザックスの言葉にガンツは小さく笑みを浮かべた。二人のやり取りにさらに店内はどよめいていた。
やがて、登録に必要なすべての作業を終えたガンツは二人にその内容を確認させた。
名前 ザックス
マナLV 34
体力 193 攻撃力 235 守備力 190
理力 MAX 魔法攻撃 0 魔法防御 180
智力 154
技能 184
特殊スキル 収奪 駿足 全身強化 爆力 予感
剣撃術 斧撃術 一刀両断 乱れ斬り 体当たり 抜刀閃
閃光突き
称号 中級冒険者 踏破者 竜殺し 魔将殺し
職業 剣士
敏捷 198
魅力 145
総運値 0 幸運度 MAX 悪運度 MAX
状態 呪い(詳細不明)全属性半減
備考 協会指定案件6―129号にて生還
協会指定案件6―130号にて生還
協会指定案件6―131号にて生還
所持金 131672シルバ
武器 ミスリルセイバー
防具 魔法障壁の籠手 神聖護布の上衣
疾風金剛のひざ当て バトルブーツ
その他 ウルガの腕輪
名前 ルティルの娘アルティナ
マナLV 24
体力 120 攻撃力 69 守備力 145
理力 MAX 魔法攻撃 203 魔法防御 170
智力 185
技能 141
特殊スキル 駿足 部分強化 直感
炎術 氷水術 雷術 風術 輝光術
称号 中級冒険者
職業 魔術士
敏捷 177
魅力 155
総運値 MAX 幸運度 MAX 悪運度 0
状態 呪い(詳細不明)
備考 協会指定案件6―129号にて生還
所持金 7521シルバ
武器 鉄の短槍
防具 冒険者の上衣 フェアリースカート フェザーブーツ
その他 聖輝石の指輪 ガードタイツ 深紅の髪留め
記載事項に誤りのない事を確認した二人から帳面を受けとったガンツは、それをしまうと傍らにおいてあったグラスを手に取った。そしてカウンターを出ると店内中に響く声で告げた。
「よく聞け、冒険者共!今日、この店にまた一つのパーティが生まれることになった! この店の仲間として共に助け合い、そして競い合え!新たに加わった彼らの前途が輝かしいものであることを、心から望む!」
言葉と共に一息ついてグラスに口をつける。大きく深呼吸をしたガンツは万感の想いを込めてはっきりと宣言した。
「宣言する! 本日、只今をもって、この店の最上席である二階の一番席を完全に欠番にする。この俺があの場所に座るにふさわしいと判断できるパーティが現れるまで、以降いかなる特例も認めず、何人たりともあの場所に座る事を許可しない。以上だ!」
ガンツの宣言が終わるや否や、店内に集う誰もが手にした杯を上げてそれに賛同の雄叫びをあげる。次々に酒が注文され、ザックス達のパーティの結成と、そして新しい店のルールの成立に誰もが祝杯をあげた。
割れんばかりの彼らの叫びが改修したばかりの店を大いに揺らす。
ガンツ=ハミッシュの店は、再開後初めてとなるであろう祝事に大いに湧いたのだった。
冒険者達の熱気に湧く店内から一歩外に出れば、すでにその場所には、いずれやってくるだろう冬の訪れを予感させるひんやりとした空気が漂い始めている。
直に到来するであろう冷たい冬将軍は大陸の大半を覆い、そこに暮らす人々の心を凍てつかせ、その絆をひび割らせることもあるだろう。
だが、そんなものにすら負けない熱い魂と情熱を持った冒険者達は互いの絆を信じ合い、助け合って難関を乗り越えて行くものである。
そして、再び訪れた暖かな春の日差しの下で、たくましく成長した彼らの中から伝説のパーティが生まれる事になるに違いない。
そんな予感を多くの者達に感じさせながら、自由都市《ペネロペイヤ》の秋の夜は、虫達の涼しげな合唱と共に静かに更けていくのだった。
――仲間の絆編 完 ――
2011/09/25 初稿




