25 ザックス、決着する!
光り輝く転移の扉の先にあったのは、忘れようのないあの場所だった。忌まわしき思い出の詰まったそこは、初めて訪れた《初心者向けダンジョン》だった。
「おい、ザックス!」
不意に名を呼ばれて振り返った先に、彼は懐かしい姿を見出した。
同期生の間でどこか浮きがちだった彼をパーティに引き入れてくれた、そのリーダーの男の顔と名前をザックスは今、はっきりと思い出した。
「じゃあ、先頭は任せたぜ、あんまり張り切り過ぎて迷子になるんじゃないぞ」
リーダーの言葉に仲間達が爆笑する。
気のいい奴らばかりだったような気がする。皆、それぞれに事情を抱えて冒険者になろうとした者ばかりだった。
――底辺の生活から逃れ一攫千金を夢見る者。
――騙され親の借金を肩代わりした者。
――ただ強さを求めた者。
――神官として正義を貫くべくそのキャリアを求めた者。
誰もが様々な夢や目的を持っていた。
それが僅かな時間で根こそぎ奪われ、消えて行った。
きっとショックだったのだ。心を通わせかけた仲間達が無慈悲に焼き尽くされてゆく姿を目の当たりにして、どうしようもない無力感の中で、自ら記憶を封じてしまったのだろう。
暖かな思い出がなければ、どんな辛い現実とも向き合える、なぜなら彼の中にはそれしかないのだから……。
そんな道を自分から選んだに違いない。
彼らの先頭を歩きながら、時折後ろを振り返る。だが、その中にアルティナの姿はなかった。彼女はどこへ行ってしまったのか?
「いや、違うな」
ザックスはぽつりと呟いた。
ここは『誰もが望み納得する最後のステージ』であると《杯》の魔将は言った。
ならば、彼女がいる場所はおそらく只一つ。
その場所を目掛けてひたすらに歩を進める。
僅か6階層しかないそのダンジョンの踏破など今のザックスには訳もなかった。そして、いつしか彼と共に歩いていたはずの仲間達は一人また一人と姿を消していった。
まるで自身の記憶の底で再び眠りにつくかのように。
その姿が一つまた一つと、思い出になって消えて行く度に、ザックスの目から涙がこぼれ落ちていった。
今の自分達の命は彼らの犠牲の上に成り立っているのだ。だからこそ、生き残ったアルティナと共に元の世界に返らねば彼らに申し訳がたたない。
――2層から3層へ。
――3層から4層へ。
――4層から5層へ。
そして彼の前に最終階層への扉が立ちふさがった。
――現実には決して見る事のなかった扉。
――そして全てが始まった場所。
重々しく立ちふさがるその扉を押し開いたザックスは、通路を通って大広間へと抜けだした。だが、そこは見慣れた大広間とは全く異なる異空間だった。
ただ無限に広がる広大な空間。その中心にあったのは巨大な《盾》だった。
これも又《狭間の世界》と呼ぶべきものなのだろうか?
すらりと腰から《ミスリルセイバー》を抜き放つ。そして一歩一歩、空間の中心に座する巨大な盾に向かって歩を進める。
――今、アルティナを取り戻すべく、ザックスの最後の戦いが始まろうとしていた。
「アルティナ!」
巨大な《盾》の向こうに僅かに感じられる彼女の気配を頼りにザックスは彼女に声を掛けた。だが、返答はなかった。
代わりに厳かな声がザックスに掛けられる。
「ここは、我が領域。侵入者よ、いかなる理由でこの場所に訪れたか」
それは眼前の《盾》自身から発せられた言葉だった。
慌てて飛び下がりザックスは身構える。
「あんた何者だ?」
ボスモンスターというには風格がありすぎる。だが、攻撃の意思を微塵も感じられぬその姿に戸惑いを覚えた。例えて言うなら、巨大な山と向き合っているようなものだろう。
「我はただ守護する者」
声は凛然と周囲に響く。
「彼の者をあらゆる災厄と外敵から守る為に我は唯、彼の者を守護するなり。そして、それは彼の者の望みでもある」
アルティナの意思と共に《盾》はザックスの前に立ちはだかっているという事らしい。
「立ち去れ、侵入者よ! 我は永久に彼の者を守護するだけなり」
「聞こえねえよ! そんな事は!」
手にした《ミスリルセイバー》を正面に構えた。
「オレは彼女を連れ帰ると約束した。彼女が帰還する事を多くの者が望んでいる。そして、彼女はオレ達の住む世界に戻って、生きる義務があるんだ! それを邪魔する奴は、例え創世神であっても容赦しねえ! 押し通ってでも、引きずり出すぞ!」
「愚かな……。守護する事こそ、我が存在そのものなり。
只その一点に執着した我にいかなるものも敵うはずはない。まして人の身で我に挑むなど笑止千万!」
「やってみなくちゃ分かんないって言葉は好きじゃないが、どうやら今はそれしかないらしい。ご託はここまでだ!
ぶっ壊されて吠え面掻くなよ!」
言葉と同時に攻撃補助呪文を発動させる。《駿足》《全身強化》《倍力》によって自身を強化したザックスは《ミスリルセイバー》を手に、眼前に立ちはだかる《盾》に挑みかかる。
だが、ザックスの初撃はあっさりと弾かれ、その身体は遥か後方に撥ね飛ばされた。
「ちっ……」
のろのろと起き上がる。手始めの一撃だったが、眼前の巨大な盾の壁には傷一つついてはいない。
「仕方ねえな」
《ミスリルセイバー》を鞘に納めると腰だめに構える。体内のマナを左足に集中させるイメージを思い浮かべた。
「これならどうだ!」
特殊スキル《抜刀閃》が発動する。激しい踏み込みと共に一瞬の内に正面に移動したザックスは、刀身を鞘の中で走らせながら引き抜き、その刃を盾の壁に叩きつける。
だが、乾いた音と共にザックスの手から弾きとんだ《ミスリルセイバー》は宙を舞い、ザックスの身体と共に遥か後方に吹き飛ばされた。
「もう一発!」
よろよろと立ちあがり、再び《抜刀閃》で襲いかかったザックスだったが、信じがたい光景を眼にすることとなった。強靱な《ミスリルセイバー》の刃が音を立てて砕け散り、その小破片がザックスの身体を傷つけた。
「嘘だろ、おい」
柄だけになってしまった剣を片手に、傷だらけになりながら呆然と立ち尽くす。過去あらゆる場面で自身を支えてきたその剣が、いともたやすく砕け散ったのである。ショックを受けないはずはない。
「どうするよ」
折れた剣を鞘に戻し、ザックスは考える。
手持ちの武器としては《爆片弾》や《爆裂弾》があるが、数個まとめて放り投げたところで、とてもではないがこの盾の壁を破壊出来そうにはない。じんじんとしびれる傷口から血を滴らせながら、ザックスは手詰まりになりそうなこの状況の打破に智恵を絞る。
と、彼の左手が熱く熱を放ち始め、やがて、それが全身に広がって行く。全身に達すると同時に負傷したザックスの傷か次々に癒え、体中から力が湧きだしてくる。
(この感覚、前にも覚えがある)
それはマリナに掛けられたことのある《巫女の加護》だった。はるか離れた場所でイリアも又、ザックスと共に戦っているのだろうか?
「だったら、へばってられねえな!」
だが、肝心の手持ちの剣がない。
――もっと強く、強靱な剣が欲しい。
その強烈な想いが奇跡となって形になった。
徐々に輝きを放ってそれはザックスの手の中で具現化する。《大剣》――かつてウルガが持っていたそれと全く同じものがザックスの手の中に現れた。
信じがたい光景に言葉を失ったザックスは、己の手に握られた思い出深いひと振りの剣を手にして立ち尽くす。ふと《杯》の魔将の言葉を思い出す。
『この場所は《現世》の理に縛られながらも《揺らぎの世界》でもある故に、時として《現世》の常識では考えられぬ現象も多々起こります。』
これはそんな現象の一つなのだろうか?
「まあ、いいさ、せっかくだから借りるぜ、ウルガ!」
《大剣》を上段に構えると再び体内のマナをコントロールする。全力の踏み込みから飛び込むと同時に上段からの《一刀両断》。自身の中にその明確な技のイメージを思い浮かべる。
イメージが浮かび上がると同時に、再びザックスは盾の壁に向かって飛び込んだ。
体内の微細なマナのコントロールに気を配り、踏み込んだ左足から両腕の筋肉へ。
マナの瞬間的な局所集中によって生み出される強烈な力が十分に乗った《大剣》の一撃が、再び盾の壁に襲いかかった。
だが、無情にもその一撃が盾の壁を破壊する事はなかった。逆に再び砕け散ったのは《大剣》の方だった。粉々に砕け散った大剣の破片で傷ついたザックスの身体は、再び弾き飛ばされる。
「これでも、駄目なのかよ!」
衝突の衝撃をまともに跳ね返されて全身にうけたダメージが、再びイリアの護符の力によって治癒されてゆく。ようやく起き上がれるようになったザックスは、眼前の盾の壁を目にして、傷一つついていないその姿にあきれ果てた。
(もっと強い武器はなかったかよ)
記憶の底からこれまでに見た様々な武器の姿を思い浮かべる。
《剣》、《斧》、《槌》、《槍》。
しかし、そのどれもが眼前の盾の壁を突破出来そうにはない。と、不意にザックスは一本の剣の姿を思い出した。
(あれならば、もしかして……)
すぐさまその姿をイメージする。手のひらにマナを集め、先ほどと同じく具現化を念じる。
彼の試みはどうにか成功し、彼の手の中に再び一本の剣が現れた。
《大太刀》――かつて《剣》の魔将エイルスによって使用され、ウルガと互角以上の戦いを演じたその剣が、彼の手に握られた。
「もう一度だ!」
《大太刀》を鞘ごと腰だめに構え、再び《抜刀閃》の構えを取る。手の中に握った《大太刀》から漂う圧倒的な攻撃力がザックスの中の何かを刺激する。これならいけるはずだ――そんな期待がザックスの中で膨れ上がって行く。
「行けぇ!」
気迫と共に強烈な踏み込みで前に飛び出したザックスは、鞘の中で刃を走らせながら、引き抜くと同時に切りつける。《大太刀》の一閃は閃光となって盾の壁に襲いかかった。
金属同士がぶつかり合う甲高い音が周囲に響き、さらに一方が砕け散る音が続いた。
再びザックスの身体が弾き飛ばされる。
砕け散ったのは《大太刀》の方だった。傷だらけになった身体は衝突の衝撃をまともに受け、全身を凄まじい痛みが暴れまわる。すぐさま護符の治癒が発動したものの、心身に受けたショックとダメージは並々ならぬ物がある。
「もう、止めて!」
突撃の度にボロボロになって転げまわるザックスの姿を見かねたのだろうか。アルティナの声が盾の壁の向こうから響いた。
「どうして、そこまでするのよ!」
「決まってるだろ、お前を連れ帰るためだ!」
「私はここにいられれば、それでいい!」
「そういう訳には、行かねえんだよ」
「どうしてよ……」
泣きながら尋ねるアルティナに、その回答を探すべくザックスは己に問うた。
――彼女を待っている人たちがいるから?
――連れ戻すと約束したから?
――このままでは夢の中の住人となった彼女が死んでしまうから?
どれもが正しいようだが、そのどれもが違うように思える。少なくともアルティナを納得させるだけの言葉とは思えない。
自分はなぜ、ここまでして彼女を取り戻そうとするのだろうか?
暫くしてふと、ある事に思い当たった。そのあまりにも単純な答えに、ザックスは思わず笑みを浮かべた。
――なんだ、そうだったのか。そんな当たり前のことだったのだ。
緊迫した状況に不似合いな笑い声を上げるザックスに、盾の向こう側でアルティナが訝しむ。そんな彼女に向かってザックスは大声で怒鳴りつけた。
「いいか、アルティナ。一度しか、言わねえぞ。お前はオレの仲間であり、パーティのメンバーなんだ!
仲間である以上、目的は同じ! 俺達は《現世》ってとこに一緒に戻って、今度こそオレ達をこんな目に合わせた《杯》のヤロウを探し出し、ぶちのめさなきゃならないんだ。その為にはお前の力が必要だ。そして俺達の本当の絆はここから始まるんだ!
だから……、何が何でも……、引きずってでも、お前を連れて行くぞ!
いいな!」
実にエゴイスティックな言葉だった。
『オレの為にお前の力を貸せ』
そうとしか取れない言葉をザックスは堂々とアルティナに向けた。行きつく先は修羅の道。だが、それでもその場所を駆け抜けてやる――そんなザックスの言葉にアルティナは沈黙した。
「言いたい事を言ったら、すっきりしちまったな」
ぽつりと呟くと再び、盾の壁の前に立ちはだかる。
腰のミスリルセイバーの柄を握るや否やすらりと抜き放つ。剣の刃は折れたままである。
「もう一度だ!」
きっとこれが最後になるだろう。これ以上はおそらくザックスの心が持ちそうにない。彼を支えるイリアの守護にも限界は来つつあるはずだ。だから最高の一撃を叩きつけるしかなかった。
――もっと速い一撃を。
――もっと強い一撃を。
――もっと重厚な一撃を。
再び脳裏にイメージを思い浮かべる。
《ミスリルセイバー》よりも速く、《大剣》よりも強靭で、《大太刀》よりも重厚なひと振りの剣を脳裏に思い描く。イメージが描きあがると同時にザックスは折れたミスリルセイバーの柄にマナを込め、最後の気力を振り絞って具現化を試みる。
柄元から徐々に光が生まれ、伸びて行く。そして再び一本の剣が彼の手元に現れた。
《ミスリルセイバー》に似てはいるが決して同じものではない。僅かに長く重くなった重ねの厚い刃からは圧倒的な攻撃力が感じられる。この剣はもはや今までの鞘に収まる事はない。故にザックスの最強の技である《抜刀閃》は使えなかった。
「まあ、いいさ、小細工はなしだ」
ここからは魂と魂の戦いである。無駄な小細工は気休めにもならないだろう。
「聞こえるか。アルティナ。これが最後だ、オレはこの一撃にオレの命を掛ける!」
「…………」
「だから、アルティナ! お前の最後の答えを聞かせてくれ。お前は永遠にこの場所に一人でいたいのか。それともオレと共に《現世》で足掻くのか。そのどちらを望むのか答えてくれ!」
言葉と同時に剣を中段に構える。体当たりの要領で身体ごと突っ込んで、まっすぐに中段突きを叩きこむ。文字通り玉砕覚悟の一撃だった。
彼女からの返事は返って来ない。
まあ、それでもいいさ、無理矢理にでもこの壁をこじ開けて引きずり出すまでだ――そう考えたザックスは深く息を飲み込んだ。
左手の銀髪が激しく輝く。イリアにもザックスの覚悟が伝わったのだろうか?
剣の柄を両手で軽く握ったザックスは、正面にそびえたつ盾の壁をにらみつける。
『真ん中でござる。相手の重さの真ん中を掴むのでござる!』
不意に、湖畔での特訓の際のイーブイの言葉が思い浮かんだ。
ああ、そうだった。自身が生み出す全霊の一撃を全て叩きつけるための最も効果的な場所。その場所に見当をつけ狙いを定めた。
――やるべき事は全て終えた。後は飛び込むのみである。
大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。続いて攻撃補助呪文を掛け直す。《駿足》《全身強化》の順に、最後に《倍力》を発動させる。と、いつもよりも強力な力が両腕に感じられた。
「行くぞ!」
僅かに眼を閉じた後でザックスは大きく声を上げて、激しく踏み込んだ。
「アルティナー」
中段突きを放ったザックスの身体が一筋の閃光と化す。
そして、放たれた閃光の矢は凄まじい音を立てて眼前の盾の壁に激突した……。
盾の壁の向こうで自身の身体を傷つけながら、己を引きずり出そうとするザックスの姿にアルティナの心は揺れていた。
これ以上はないというくらいエゴイスティックな理由で自分を必要としていると堂々と宣言した彼の言葉は、どこか気持ちよかった。
このまま時の止まった世界でただ守られるだけの存在であってよいのか? そんな疑問が彼女の心を激しく揺さぶった。
(私はどうしたい?)
そんな疑問が脳裏をぐるぐると駆けまわる。だが、彼女に与えられた時間はすでになかった。
当のザックスは命を掛けて最後の一撃を放とうとしていた。
――私はどうしたい? 私は……、私は……
壁の向こうで激しく命が輝いた。その輝きに突き動かされるかのように彼女の胸の中に一つの想いが溢れていく。その想いは素直に言葉となって彼女の口をついた。
「私はここから……出たい! そして、貴方とともに歩みたい!」
瞬間、彼女の叫びが輝く光となった。盾の壁の両面に生まれた光が結びつき、巨大な盾の壁を完全に貫いた。貫通痕を中心にして巨大な壁が音を立てて崩れてゆく。
崩れ落ちる破片の中に、ザックスは輝きに包まれたアルティナの姿を見いだした。
「アルティナー」
再び彼女の名を呼んで、ザックスはその左手を差し出した。彼女はその手を今度は迷わずしっかりと握りしめる。結ばれた二人の手にイリアの銀糸か絡みつき、炎を上げて勢いよく燃え上がった。
銀糸に残った最後のマナが二人を包み、《現世》への道を切り開く。盾の壁と共に崩れてゆく《狭間の世界》の中で、輝きに包まれた二人の姿は、導き手である巫女の力に導かれるままにやがて消えていった。
――そして、全てが消え去った闇の中、只、静寂だけがそこに残った……。
2011/09/24 初稿




