04 ザックス、大いに楽しむ!
「親父! 飯だ! 最上級の奴を頼む。それから店中の奴らに酒を出してやってくれ! 今日は俺達からのおごりだ!」
その日の晩のガンツ=ハミッシュの酒場は大いに賑わっていた。
所属するパーティの中でも古株であり、酒場の顔でもある彼らが手にした巨額の懸賞金によって、店内は大騒ぎとなった。
目的のSSランクアイテムを手に《錬金の迷宮》を離脱したザックス達一行は、協会指定のアイテム換金所で長く待たされた。滅多にお目にかかれぬSSランクのレアアイテムが持ち込まれた事で、換金所内の職員達は大いに驚き、鑑定から懸賞金の支払いまで、てんやわんやの騒ぎとなっていた。
《ハルキュリムの球根》は市場には決して流通する事のない強力な秘薬の原材料として高値で取引され、懸賞金をかけたのはとある年老いた貴族である、という話をダントンから聞きながら、ザックスは退屈な時間を紛らわしていた。
球根以外にダンジョン内で収集したアイテムを全て換金した総額は、およそ四万シルバに及んだ。球根の取り分の五万シルバと合わせてザックスの懐には実に九万シルバもの大金が転がりこんだ。暫くは遊んで暮らせるだろうその額をいきなり手にして、ザックスは冒険者のかけはなれた金銭感覚に驚きを覚えた。瀕死の重傷を負わされた際に使われた高級薬滋水の価格を弁償すると言いだしたザックスに、エルメラは「男がケチな事にこだわるんじゃないよ」と笑った。
「せっかく口移しで飲ませてやったんだから、その分、ふっかけたらどうなんだい」
ニヤニヤと笑いながら、意外な事実を知らせるダントンの一言で、エルメラの顔を正視できなくなってしまったのは、些細なアクシデントであろう。
換金所内の人々の羨望の眼差しを背に、堂々と出ていくウルガ達にザックスはついていく。ミッションの打ち上げと称して連れて行かれたのは見覚えのある酒場だった。
《ガンツ=ハミッシュの酒場》――ウルガ達のパーティが根城としている酒場兼宿屋であり、ザックスが三十件目に訪れた際に彼の身に起きている状況を丁寧に説明してくれたマスターのいる酒場だった。
豪快に料理と酒の注文を終えると、店内の客達の喝采を浴びながら三人は堂々と二階席へと上がって行く。
「何やってるんだい? あんたもこっちに来るんだよ!」
二階席に上がっていく彼らを呆然と見送っていたザックスに、振りむいたエルメラが声をかけた。褐色の妖艶な美貌を誇るエルメラが声をかけられたのが、まだ見習い冒険者の風体の若者である事に、今度は店内から様々な奇異の視線が向けられた。一部では敵意すら込もる視線を感じ、ザックスは慌てて二階席へと駆け上がった。
いそいそと階段を駆け上がったザックスは、二階席に広がる光景にぎくりと一瞬、足を止めた。
広さこそ一階席のおよそ半分程度であるものの、八卓程度しか置かれていないその場所は、すし詰め気味の一階席に比べてはるかにゆったりとした造りだった。その八卓に座っている者達は皆、明らかに熟練の冒険者の匂いを漂わせ、誰もが駆け上がってきたザックスに好奇の眼差しを送っている。
「おい、ザックス、こっちだ」
ウルガ達は二階席の最奥部、そこからおそらく店内全体を見渡せるであろうと思われる一卓についていた。足早に熟練冒険者達の好奇の視線の中を潜り抜けたザックスは、彼らの席へとたどりつき、ようやく一息ついた。
促されるままに彼らの卓の末席に着いたザックスの前に、なみなみと注がれた麦酒のジョッキが置かれる。氷術魔法を使ってしっかりと冷やされたその麦酒を運んできたのは大山猫族の女性だった。スレンダーな姿態に猫族特有のしなやかな仕草の彼女は、尻尾をピンと立てたままザックスに「いらっしゃいニャン!」と軽くウィンクする。
やがて、店内全ての人々に麦酒のジョッキが行き渡ると、ダントンはやおら立ち上がり、店内の景色を見下ろして大声で叫んだ。
「明日の今頃はどこかのダンジョンの中でおっ死んでしまってるかもしれない冒険者共よ! 酒は行き渡ったか? 今夜、俺達は素晴らしい獲物と信頼に足る良き仲間を手に入れた。この一杯は俺達三人とここにいる勇敢な見習い冒険者ザックス殿からのおごりだ! 心して味わってくれ。足りないならば樽を開けろ! 今夜、この店の酒は俺達が全て買い占めた! ガンツの親父がもうやめてくれ、と泣きだすまでしっかりと飲んで騒いで、最高の夜を味わってくれ!」
『バカヤロウ、その程度で俺が泣くもんか』というガンツの言葉が、冒険者達の感謝の声にかき消される。
頑丈な作りの店が震えるような雄叫びを上げて騒ぎ立てる冒険者達を尻目に、ザックスの目の前には次々に旨そうな料理が並べられた。それはザックスにとって、この都市に来て以来、初めての至福の一時だった。
宴もたけなわ、夜も十分に更けてそろそろお開きといった頃だろうか。十分に酒を飲まされ、若干、酩酊気味の頭を抱えたザックスは周囲を見回した。
向こうの卓では、賭け腕相撲で店内の力自慢達を根こそぎ倒したウルガの前に、空になった幾つものジョッキと硬貨がうず高く積まれている。一階席では一夜の床を賭けてエルメラと飲み比べを行い、無様に敗北した男達が折り重なるようにして倒れ、それを肴に、エルメラがちびちびとグラスに口をつけている。
「楽しかったかい……」
ザックスの眼前ではやはり彼と同じく酩酊気味のダントンが、麦酒を呑んでいた。
「こんな夜はこの街にきて初めてだな」
ザックスは、ぽつりと呟いた。
どこか陰気な空気のこもった故郷にいられなくなって飛び出して以来、いつも肩肘を張って過ごす日々が続いていた。昨日の今頃は、開けぬ未来への不安で気がおかしくなりそうな夜を過ごしていたはずだ。
「そうかい……」
ザックスの姿を懐かし気な眼差しで眺めながら、ダントンはぽつりと呟いた。
「誰もがこの街で夢を見る。大きなもの。小さなもの。そして様々な思い出を胸に、皆いつかは去っていく。ここはそんなところさ……」
しみじみと呟くダントンの言葉が染みわたる。再び心地良い沈黙が広がるが、それもやがて店内の小さな喧騒にかき消された。人々の姿を二階席から見下ろしながら、ザックスは、ふと心の中に抱えていた疑問をダントンにぶつけた。
「なあ、あんた達の目的っていったい何なんだ?」
今日のSSランクアイテムの収集は、あくまでもザックスに対するテストである。ザックスなど足元にすら及ばぬ圧倒的な実力を誇る彼らが行き詰まりを抱えている問題。そして自分のような駆け出し冒険者の力すらあてにせねばならぬ状況。それがいかに困難なことかと云う事は、新米冒険者である彼にすら容易に想像がつく。
ザックスの質問にダントンは直ぐに答えなかった。ジョッキの中の麦酒の泡が消えていく様を、どこか焦点の合わぬ目でぼんやりと眺めていた。
それからどれだけの時間がたったのか……。ぽつりとダントンが口を開いた。
「俺達は《十二魔将》の一人を追っている。もう五年近くになるかな……」
《十二魔将》――ああ、どこかで聞いた懐かしい言葉だ。何だろう。
酩酊する頭をフル回転させ、それに関連する記憶を脳内から引っ張り出す。と、過去のとあるシーンが思い浮かび、ザックスは背筋を震わせた。酒気が吹き飛んだザックスが思い浮かべたのは、ダンジョン内にふわりと浮かんだ陰気な魔人の顔だった。
慌てて周囲を見回す。
幸いなことに、まばらになった二階席の客達は皆酔いつぶれているようで、ザックスとダントンの会話に聞き耳を立てていそうな者は一人もいない。ホッと胸をなでおろすザックスに、曖昧な笑みを浮かべてダントンは続けた。
「気にするな。この事は酒場の常連やマスター達は皆、知ってる事だ」
「そ、そうなのか……」
「ああ。俺達は五年前、奴に全てを奪われた。それ以来、奴の消息を求めて様々なところへと向かった。いつの間にかそれこそが俺達の最終目的になっちまった。無茶な事もずいぶんとやった。僅かな手掛かりを求めて未踏破ダンジョンを探索した事もある。おかげで手に入れた物は大きかったが……、失った物も大きかった」
未踏破ダンジョン――全く情報のないその場所を探索、踏破して名を残す事は冒険者にとって名誉の一つである。と同時に、最大級の危険でもある。既踏破ダンジョンに比べて圧倒的な生還率の低さは、その困難さを裏付けていた。
「五年という時間をかけてようやく分かったのは、奴らが俺達の住む世界とは別の時間の流れの中に身を置いている事、過去に俺達と同じ人間だったということぐらいだ」
「たった、それだけなのか……」
ダントンは小さくうなずいて、ジョッキの中の麦酒に再び口をつける。
「一月前の事だ。ほとんど手詰まりに近い状態だった俺達はある情報を得た。奴が再び現れる、とある星詠みがそんな神託を受けた」
占いを生業とする星詠み達のそれは決して確実なものではない。だが一部の霊感能力の著しく高い星詠みのみが、創世神からうける神託の実現率は完璧であった。
「俺達は急ぎその場所へと下見に向かった。だが、そこはかなり厄介な場所だった。無限回廊ってのを聞いた事は?」
ザックスは首を横にふる。
「ある空間の中に幾つもの異なる事象が、同時にしかも無限に存在する場所の事をそう言うんだ。特に目的がなければ、踏み込んでもさほどの問題はない。適当に一つの事象が確定するだけだからな……。だが、ある特定の目的をもって踏み込むとなると途端に厄介度が跳ね上がる。無限の事象の中から目的であるたった一つのみを確定させねばならないんだからな。魔将と対峙するというたった一つの事象を……」
その言葉に眉を潜めた。困難の果てに出会った魔将と彼らはさらに戦うのだろう。その道の険しさは、今のザックスには想像を絶するにあまりある。
「今からおよそ一月後の満月の晩、奴はそこに現れる。その機会を逃せば、いつ又遭遇できるか分からない。神託だってそうそう都合よく下るものじゃないからな……」
「オレはそこで何をすればいいんだ?」
「俺達がお前に望むのは、無限回廊で奴と対峙する状況へと導いてくれる事だ。回廊の扉を開け、無限に存在する世界の中からたった一つを選びとって、俺達をそこに誘ってくれればそれでいい……」
「なぜオレにそんな事ができるんだ?」
「お前さんには悪運度MAXというパラメータがある。つまり最悪の選択肢を選びとる事ができるのさ。回廊の中で起きうる最悪の選択肢――魔将と対峙するという……な」
「そんなに都合よくいくものなのか?」
「多分な、それを今日、お前さんは、俺達の前で証明して見せただろう」
ダントンは再びジョッキに口をつける。
「実のところ旦那も、姐さんもこの計画には反対なのさ。例え上手くいったとしても、結局、お前さんを魔将との戦いに巻き込むことになるからな。こいつは俺達の問題だ。俺達のわがままの為に、これ以上関係ない人間を死なせる事はできない――それが二人の言い分さ」
「どういう事だ?」
「五年間、俺達はずいぶん無茶な事をやってきた。そんな俺達と組んで命をなくしたり廃業しちまった奴らは、一人や二人じゃないってことだ。この酒場の二階席に座る奴らだって、間違いなく尻込みをする――魔将と戦うってのはそういう事なんだ」
この店の二階席に立ち入る事が出来るのは、マスターに許可を得たパーティかその客分のみ。それがこの店の暗黙のルールの一つである。二階席に座るパーティとなるには、それなりの実力をマスターに認められねばならない――そんな話を宴の間に誰かから聞いた事を、ザックスは思い出した。
「ぶっちゃけて言えば、お前さんの話を聞いた時、俺は間違いなく仲間に引き込めると思った。総運値の問題を除いても、魔将に出会いながら、只一人、冒険者であり続ける道を選んだお前さんなら、きっとモノになるだろうってな。お前さん自身、自分に降りかかった呪いをどうにかしなければならないと考えてるんだろう?」
その問いにザックスは首肯する。
「だが、《ドラゴン》に撥ね飛ばされて死にかけてるお前さんの姿を目にして考えが変わった。やっぱり駄目だ、とな。いかに明確な動機があったとしても実力の差は如何ともし難い。旦那や姐さんの言いたい事ってのがよく分かっちまった。優しいんだな、あの二人は……。自身の目的の為に他者を平然と犠牲にする非情さってのを持ち合わせちゃいない。まあ、それが二人の魅力だからこそ長い事付き合っているんだろうが……」
ダントンは小さく微笑みジョッキに口をつける。彼の言葉を裏付けるかのような年月の重さが、ザックスの心に沁み入った。
「でもな、それでも諦められないんだよ。今、目の前に長い事待ちわびた機会が転がっている。お前さんの成長を待って次の機会を待つなんて、俺にはもうできそうにねえ。『時間による忘却』って名の敵には、人は絶対にかなわねえからな……」
ジョッキを飲み干したダントンは階下に向かって、代わりの杯を注文した。大山猫族のウェイトレスが運んできたそれに再び口をつけると、表情を変え、それまでとはうって変った明るい様子で再び口を開いた。
「まあ、湿っぽい話はここまでだ。今日はめでたい日だからな」
「めでたい日?」
「ああ、お前さんはマスターだけでなくこの酒場の奴らに仲間として認められたんだよ。店中のやつらが俺達四人の杯をみんなたらふく飲んじまったんだからな。文句なんて言えやしねえ。これからはパーティのメンバー集めに苦労する事もないだろうし、妙な奴らと組む必要もない」
冒険者協会公認の酒場に所属する事――それは冒険者として様々なメリットがあるだけでなく、極めて重要な意味合いがある。
「ところでいつ行くんだ?」
「へっ、どこに?」
「何、言ってんだ。お前さんのマナLVはとっくに10を超えちまってるんだろ。だったらいよいよ『職』に就けるんじゃねえか」
「そ、そうか……」
「多分、今が一番楽しい時だろうな。目の前に無限の可能性が開けている。そんな錯覚と期待の中でいろんな夢を見る事が出来るんだから……」
ダントンは手にしたジョッキをザックスへと差し出した。
「見習い……じゃないな。初級冒険者ザックス殿の前途を祝して……乾杯」
宴のあとの静けさに満ちた二階席の空気の中、カチン、と二人のジョッキの合わさり、澄んだ音色が広がった。
2011/07/18 初稿
2013/11/23 改稿