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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚02章 ~仲間の絆編~
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20 ザックス、振り回される!




 翌日の夕方、ガンツ=ハミッシュの酒場は大騒ぎだった。

 その日の朝早くに、新米冒険者二人を連れて出発したウルガ達のパーティが、向かった先の《錬金の迷宮》で懸賞金の掛けられたレアアイテム《ハルキュリムの根》を取得し、その祝いがてら店内中の客に酒が振舞われた。

 閉店時間まで確実に続くだろうと思われたその大宴会は大いに盛り上がり、その主賓となったザックスとアルティナの二人はこの店に所属する事を正式に認められたのである。

 ジョッキ片手に、彼らが幸運をもたらしたからだと、あちこちのパーティに吹聴するダントンのおかげで、これからはパーティのメンバーに困る事もないだろう。

 そんな安心からか、ザックスとアルティナは二階の一番席で久しぶりに表情を緩めて美味な料理の数々を堪能していた。

 しばらくすると7番席の周囲が大いに盛り上がり始める。

 輪の中心にはウルガがどっしりと座り、彼の前には幾つものコインがうず高く積まれている。

 店中の力自慢達が集まって始まった腕相撲大会は大いに盛り上がり、一階席・二階席に拘わらず多くの者たちがウルガに挑むものの、誰も彼に敵う者などいない。

 その光景を眺めていたザックスも又、彼に挑んではあっさりとひっくり返される。諦めが悪いのか、何度も彼に挑んではその度にひっくり返され、無駄にコインを消費していくザックスの姿に、周囲はすでに呆れかえっていた。

「やれやれ、あんたのカレシはどうやらあんたの事よりも、ウルガに夢中のようだね……」

 一番席からそれを呆れながら眺めていたエルメラが、傍らに座って初めて飲むキール酒の甘酸っぱい味に目を白黒させているアルティナに声をかけた。


 今日のダンジョン踏破で、エルメラが自身よりもはるかに上手の術者であることを知ったアルティナは、すっかり彼女に入れ込んで、弟子入り状態となっていた。

 気難しいエルメラにしては珍しく、アルティナと波長があったようで、ダンジョン踏破の傍ら、様々な術の使い方から、冒険者生活のあれこれに鬱陶しい男どもの効果的な撃退方法まで、様々なレクチャーを行っていた。

『おい、そろそろ止めとかないと、あの娘、姐さんみたいになっちまうぞ』

 ぽつりとザックスに呟いたダントンの言葉に、師弟関係を結びつつある二人が睨みを利かせたのは、実に印象的な光景だった。


 そんなエルメラの言葉に飲んでいた酒を思わず噴き出してむせながら、アルティナは抗議の声を上げた。

「ちょ、ちょっとエルメラさん、なんてこと言うんですか。あんな奴がカレシなんてまっぴら御免です」

 長い耳の先まで赤くなって抗議するアルティナに、エルメラは笑って答えた。

「なんだい、図星だったのかい。まあ、冒険者同士の恋愛ってのは、意外と熱しやすくて冷めやすいもんだからねえ。つまらん男にひっからないように、あんたも気をつけるんだよ。まあ、あたしの見立てではあのザックスって坊やは悪い奴ではないようだけどねえ」

 すでにエルメラの中では二人の関係は既成事実らしい。慌てたアルティナは、苦し紛れに話題をそらした。

「エ、エルメラさんこそ、どうなんですか。ウルガさんとはまんざらでもなさそうですし、ダントンさんはエルメラさんに気があるようですし……」

 その言葉に今度はエルメラの方が酒を噴き出した。アルティナにはない大人の色気満載の彼女が動揺した表情というのは、はたから見ていて実に可愛らしい。

「バ、バカ言ってんじゃないよ。あたし達はそういう関係じゃないのさ」

 僅かな時間で動揺を収め、冷静さを取り戻した彼女は続けた。

「アタシ達はね、もう、そういう関係にはなれないんだよ。冒険者になってアタシ達は多くの物を手に入れたけど、同時に多くの物を失ってしまった。失った物の中にはそんな感情も入っちまってるってね……」

 どこか遠い目をしながら語る彼女のそばで、アルティナはしおしおとうなだれる。そんな彼女を元気づけるようにエルメラは言葉を続けた。

「あんたの冒険者人生は始まったばかりなんだ。考えたり悩んだりすることもあるだろうけど、意外と走り出してしまえばなんてことはないものさ……。幸運なことに、あんたは一人じゃないんだからね」

 相変わらず熱く盛り上がる7番席の方を眺めながら、エルメラはうなだれたアルティナの肩を抱いた。

 そんな二人の様子に気付く事もなく、ウルガに最後の勝負を挑んでひっくり返されたザックスは、そのまま眠りこけていた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 大宴会の翌々日、朝早くからアルティナに叩き起こされたザックスは、大浴場に放り込まれ身を清めさせられたその足で《ペネロペイヤ》大神殿に乗り込むこととなった。ダンジョンを踏破し、初級冒険者となった二人は初めての『職』に就くべくその場所を訪れた。

「お前、妙に気合入ってるな」

 朝早くからテンションの高いアルティナに呆れかえったザックスに、彼女は答えた。

「当ったりまえでしょ! これから私達は敵地に乗り込むのよ」

「敵地って、お前……」

 彼女が言うにはエルフ達の行動規範となる《妖精憲章》によって、彼女達エルフは創世神殿に対してよい感情を抱いていないらしい。冒険者の転職を創世神殿が一手に引き受ける事もあって、純粋種のエルフが冒険者になるというのは珍しいことのようだ。

「ま、まあ、私はちょっとばかり例外なのよ」

 自身の身の上話になると途端に口が重くなるアルティナに対して、ザックスはあえて詮索する事はなかった。

 ともかく今は、冒険者として新たな段階に踏み出すことこそ優先すべきである。緊張した面持ちの彼女を連れて、ザックスは創世神殿の門を潜った。




 その日は転職によいとされる日取りだったらしく、ずいぶんと待たされたザックス達の順番がようやく回ってきたのは、昼時を遥かに過ぎた頃だった。

 通された部屋の壁面いっぱいに描かれた壁画に、ザックスは小さな違和感を覚えた。

 子供ですら知る世界創造の物語――力強い筆力で描かれた壁面に、創世神と破壊神が背中合わせに描かれている。

 初めて見るはずのその絵に魅入られながらも、どこか違和感を覚えるザックスに、優しげな声が投げかけられる。

「どうやらずいぶんとお気に召したようですね」

 彼に声をかけたのは一人の神殿巫女だった。

 おそらくは彼と同年代くらいなのだろうが、彼女の浮かべる微笑みは実年齢よりも高い女性達の柔らかさを感じさせた。

「失礼しました。私、当神殿で《巫女》を務めさせていただいている『マリナ』と申します」

「ザックスだ」

 アルティナの緊張がそのまま乗り移ってしまったのか、マリナと名乗った巫女の柔らかな微笑みに飲み込まれぬよう、少しばかり居丈高になって、彼は名乗った。

 だが、そんなザックスを優しく包むかのような彼女の振る舞いによってすぐさま緊張を解かれてしまい、導かれるままに席についた彼は、初めての『ジョブ』についての説明を受けていた。

(何かがおかしい……)

 そんな違和感ばかりが、頭の中をぐるぐると回る。

 思えばこの神殿の門をくぐって以来、奇妙な既視感と違和感が交互に訪れていた。特に違和感の元凶となっていたのは彼らの頭上にある壁画だった。そしてそれをきっかけに周囲全ての出来事が幻のように感じられる。眼前に座る巫女のマリナですらも……。

(オレはどうしてしまったのだろうか?)

 答えなど出ようはずもない思考の堂々巡りを繰り返していたザックスだったが、不意にその頬に温かな手の平が当てられ、その感触にハッと我に返った。

「大丈夫ですか? お顔の色が優れないようですが?」

 自身の頬に手をあてたまま、身を乗り出している彼女の豊満な胸元がたゆんと揺れる。その光景に顔を赤くしながらもザックスは彼女に答えた。

「す、すまない。どうも初めての事で戸惑っているようだ」

「そうでしたか。なんだが幽霊にでもあったかのような顔をなさっていらっしゃいましたので、少しばかり心配になってしまいましたわ」

 どことなく鋭い一言にどきりとしながらも、ザックスは深呼吸を一つして気分を落ち着かせる。

「大丈夫ですわ。洗礼などと大げさに言いますが、神聖水の滝を潜りぬけるだけの簡単な物ですから何一つ不安な事などありません。どうか大船に乗ったつもりで、事の一切を私に任せては頂けませんか?」

 きっと彼女の目には、ザックスは情けない冒険者のように映っているのだろう。

「ああ、そうだな、よろしく頼む」

 曖昧な言葉でごまかしながら、彼は自身の中に浮かぶ違和感と既視感を無理矢理追い払うのだった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 洗礼の部屋――。


 上層階から泉に流れ落ちる仄かに青白く輝く神聖水の滝の姿は、やはりこれまで同様に既視感があった。だが、どう頭をひねったところで答えが出る訳でもなく、ザックスは目先の洗礼に集中する事にした。

 マリナから神聖水の入った杯を受け取り、一息に飲み干す。

 何事かを呟いて彼の背にマリナが触れると、体内に入った神聖水のマナが僅かなぬくもりとなって全身に広がってゆく。《巫女の加護》をかけられたザックスは、彼女に示されるがままに滝へと向かってゆく。さほど強い水勢を感じられぬ滝の前で僅かに立ち止まると、思いきって滝の中に入ってゆく。

 その瞬間、ザックスの身に異変が生じた。




 真っ暗な世界だった。

 右も左も、前も後も、上も下もない――ただ果てしなく闇だけが広がっている。だが、その世界はなぜか当然のものとして感じられた。

(戻らなければ……)

 ふと、そんな思いが浮かび上がる。

 だが、どうやって……。

 一介の駆け出しの冒険者である彼に、そんな事が分かるはずもない。

 途方に暮れかけたその時、彼の左手が小さな輝きを放ち始めた。

 よく見れば、輝いているのは彼の左手そのものではなく、そこに纏わりつく銀色の糸状の物だった。伸ばした左手の周囲をふわふわと浮かびながら、その輝きは彼に道を指し示す。

 途端に世界が変転し、気付けば彼は洗礼着である腰布を身につけたまま、滝の向こうに立っていた。

『気をつけて……』

 世界が変転する瞬間、聞き覚えのある小さな呟きが、彼の耳に届いたような気がした。




 自身の眼前で起きた信じられぬ出来事に、マリナは呆然としていた。

 初めての転職であるにもかかわらず、うわの空状態で初級職についての説明を聞くどこか頼りなげな冒険者の姿に、彼女はどこか不自然さを覚えていた。

《巫女の加護》をかけた瞬間、第3者のマナが彼女の加護を僅かに妨げるような感覚を覚えたが、不安を見せる事もなく淡々と洗礼の儀式を執り行う。

 だが、件の彼が滝に身を潜らせた瞬間、彼を中心にして滝の水が輝きを生み出し、その姿はかき消すように消え去ってしまった。

『創世神の奇跡』とも呼べるその瞬間を確かに目撃した彼女は、己の経験と常識からは理解不能な事態に直面し、暫し呆然としていたが、慌てて泉の反対方向に向かって走った。滝の向こう側にあたるその場所には件の冒険者がぽつりと立っているだけだった。

「あ、あの、御気分はいかかですか?」

 後から考えれば、我ながら間抜けな質問だったな、と思うほどに当たり前のことを尋ねた彼女に対して、ザックスはきょとんとした顔で答えた。

「ああ、別に問題はないみたいだが、これで儀式は終わったのかな?」

 その問いに、コクリとマリナは頷くだけだった。

 自身のクナ石を確認したザックスは彼女に礼を言うと、泉から上がって自身の荷物が置いてある部屋に向かって歩いていく。

 初めて直面した異常すぎる事態に大いに戸惑いながら、気付けば引き寄せられるかのようにふらふらとマリナは彼の後を追っていた。




 装備を身につけ、洗礼の部屋を後にしようと扉を開いたザックスは、少々機嫌の悪いアルティナに出迎えられることとなった。

「遅いじゃない、いつまで待たせるのよ!」

 待たされた事に不満を募らせるアルティナの目に、ザックスと共に部屋から出てきたマリナの姿が映った。

 洗礼のショックから直ぐに立ち直ったマリナは、ザックスに興味を覚えたらしく、先ほどから言葉巧みに彼の身の上を聞き出していた。

「あらあら、ザックスさん、こちらのお美しい方とは、どのようなお知り合いなのでしょう?」

 輝く蒼月の美貌という比喩がふさわしいエルフのアルティナに対して、大輪の薔薇を思わせる美貌のマリナが向かい合う。不機嫌そうなアルティナを挑発するかのように、マリナはザックスの左腕を両手で抱え込むとその豊かな胸をしっかりと押しつけた。

「ええっと、マリナさん……、これはいったい……」

 左腕に感じられる柔らかな弾力と彼女のぬくもりにザックスは大きく動揺する。

 そんな彼女の行為を宣戦布告と受け取ったらしく、アルティナは空いているザックスの右腕をつかんだ。マリナに比べれば大きさこそ劣るものの、形のよい彼女の胸のしっかりとした弾力がザックスをさらに刺激する。

「神殿巫女さん、どうやらうちのザックスが、大変お世話になったようですね。でもあなたのお仕事はここまでよ。次の冒険者の方の為に、さっさとお務めに戻ってくださいな」

 ザックスの腕につかまったまま、互いににこにこと微笑み合う。

 さすがのザックスも、「お前ら顔と内心が一致してないだろう」などと不用意につっこむ度胸はない。何の前触れもなく始まったこの事態をなんとか穏便に済まそうと、ない知恵を振り絞ってようやく言葉を思いつく。

「と、とにかく、二人ともここは……」

「ザックスは黙ってて……」

「ザックスさんはそのままでいてくださればよいのですよ」

 あっさりと言葉を封じられ、より強い力で腕をしっかりと掴まれたザックスは、しおしおとしなびた野菜のように二人の美女の間で萎れていく。

 もはや生きた心地もしないとは、この事だろう。

 世の中には何人もの女性を侍らせて手玉に操る男もいるようだが、どうやら、自分にはその資質はないらしい――そんな事を考えながら必死に逃げ道を探すザックスをしっかりと間に挟んで、アルティナとマリナは互いに微笑にらみあう。

 この瞬間、二人の美女が一人の男を巡る壮絶な戦いの運命が幕を開けた……などという物語的な展開はあろうはずもなく、全ては単なる創世神の気まぐれであった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 女の買い物は長い。

 世界中の数多の男達がため息とともに語りつぐその教訓を、ザックスは今しみじみとかみしめていた。

 神殿で二人が《戦士》職と《詠唱士》職を得た翌日、彼らは自身の装備を新調するために、エルメラと共に東地区のエルメラ御用達の店を巡っていた。

 僅か十分足らずで自身の装備の選択を終えてしまったザックスは、あちらこちらの品を見てはしゃぎまわっている二人の女性の荷物持ちと化していた。彼女達が購入した品々を《バッグ》に無造作に放り込もうとして、二人の女性に同時に説教されるという体験は、人生で初めてのことであろう。

 いつも面倒見のよいダントンが珍しく同行を固く拒否したのはこういう事だったのか、とザックスは深く後悔した。我が身が可愛いのは誰もが同じである。

 ウルガ達のパーティは《ペネロペイヤ》市内でも知らぬ者はないといってよいほどの知名度を誇るようで、二人の女性とその従者の一行は、行く先々で丁寧な歓待を受けた。

 この数年、相当な荒稼ぎをしてきたらしく、保有シルバの底が知れないエルメラだったが、その買い物スタイルは実に手堅く、商品についてしっかりと吟味を重ねた上での指摘は、時としてその道のプロである店員達をも唸らせる。と、思えばびっくりするような品をびっくりするような価格で衝動買いするのだから、分からない。

 金銭感覚が少々あやふやなアルティナに、いい影響と悪い影響を確実に与えているであろうと思われる彼女達の買い物行は、倹約家のザックスにしてみれば大いに心臓に悪く、彼女達から少し離れた場所で両手に荷物を抱えて震えながらぽつりと立っている彼の姿は、周囲の同情の視線を集めていた。

 そんな彼の姿を尻目に、当の二人は今、ディスプレイに飾られた一点もののスーツの前で立ち止まっていた。

「ああ、お客様、お目が高い。こちらは彼の防具職人として名高いマイスター・エロームが、全力を注いで作られた最新作でございます。

 機能性とデザイン性を極限まで追求したこの品は、お客様方のようにスタイルの整った方でなければ決して着こなせません。当に選ばれた者のみが着る事を許される御品でございます」

 メリハリの利いたボディラインを誇るエルメラは云うに及ばず、未だ成長途上であるアルティナも、整った胸の形を始めとして各所に大物の器の片りんを覗かせ、その将来が期待される。その品を二人が着用した姿は眼福に値するのだろうが、実際にそれを着用して傍に立たれるとなると、話は別である。

「ふーん、面白いね。マイスター・エロームの防具は定評と実績があるからねえ。アルティナ、ちょっと試着してみな!」

「はい、先生!」

 もはや思考能力を削ぎ落され、エルメラにすっかり洗脳されつつある彼女が、その品を手にいそいそと試着室へと消えて行く。しばらくして現れたその姿は、店内にいる多くの者達のどよめきと溜息を誘った。

 高弾力性を誇る素材でありながら表面はしっかりと磨きあげられ、少々の斬撃や打撃ならはじき返してしまうであろう。魔法処理も施されているようで、魔法防御力も並々ならぬものがあるようだ。

 だが、問題はそのデザインだった。

 いわゆるボンデージスーツ、あるいはラバーコンシャスといった類のその品は、創作者が運動性を考慮した故と思われるスリットが全身の随所に施され、その隙間からちらりと垣間見えるアルティナの白磁の肌と漆黒のスーツのコントラストは、実になまめかしい。

 特に背中から後腰部へと入ったスリットは臀部の真上まで伸び、危険である事このうえない。必要以上に強調された全身のラインは、もはや騒動の種になりかねなかった。

「お客様、後はこちらの仮面を装着して頂ければ、スーツに施された魔法結界が完成し、完璧なものとなります」

 言葉と共に店員が手にした蝶を模したであろうと思われるそれを装着してしまえば、もはや彼女は違った意味での危険な世界の住人となるだろう。

 こんな姿で街を歩かれた日には、たちまちのうちにモンスターどころか有象無象が寄ってきて、傍らに立たされたザックスの日常の安寧は、永遠に失われるだろう。

「まあ、大変お似合いですわ。当にこれはお客様の為だけに生まれた商品といえるでしょう。いかかですか、お客様。いつも大変お世話になっているエルメラ様のご紹介ですし、お値段の方、しっかりとお勉強させていただきます」

「よく似合ってるじゃないか。これは買い、かもしれないねえ」

「先生がそうおっしゃられるのなら……」

 店員の勧めとエルメラの後押しに従って、アルティナの心はすでに精算モードへと移行しつつある。

「ちょっと、待てぇい!」

 これからの探索にかかる諸経費を死守する為、世間知らずのエルフ娘の暴挙を阻止する為、そして己の日常の安寧を守る為……、両手に大量の荷物を抱えたままのザックスは、死地と呼んでもよいであろう購買意欲に燃えあがった女性達の商談の場に、玉砕覚悟で果敢に飛び込み、必死の説得を試みたのだった。




2011/09/19 初稿




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