12 ザックス、敗れる!
その存在を確認されているものの未だに踏破されていないダンジョンは、大陸及び大円洋に浮かぶ大小の島々に多数、存在する。
数多の上級冒険者達によって編成されたパーティが挑戦し、ある者達は踏破を諦め、又ある者達は帰還すらできなかった――そのうちの一つが協会指定案件1-034号と名付けられたこの地下ダンジョンだった。
過去、探索に向かったパーティが到達しえた階層は地下39層。それより下の階層の記録は存在しない。
当のパーティも39層への到達報告を最後に、未帰還のままだった。出現モンスターの強度レベルと想定階層から間違いなく上級レベルダンジョンであると推察されるそのダンジョンの第5層付近にザックス達一行の姿があった。
探索開始と同時に遭遇した周回モンスターはいきなりのBクラス。
巨人族であるジャイアントの出迎えを受けて始まった攻略は困難の連続だった。
いつも通り一行の先頭にたってアタッカーの役割を買って出たザックスは、自身が挑もうとしているダンジョンの攻略の困難さに早い段階で気付かざるを得なかった。
ガンツによって直々に指名されたこのダンジョンは、数多の未帰還パーティを生み続ける事で有名であり、これを踏破したなら、おそらく《ペネロペイヤ》だけでなく、大陸中の冒険者達に羨望されることとなるだろう。だが、それはあくまでも踏破に成功した場合の話で、確率としては彼らも未帰還パーティの一つとして、入り口近くにある管理所内のリストに載ることの方が大きい。
今、彼の立つ第5層付近は、まだ一本道であり、厄介なトラップも存在しない。だがすでにBクラスもしくはAクラスモンスターが集団で現れ始め、一戦一戦に取られる時間も過去に踏破したダンジョンに比べるべくもない。
理力値MAXのおかげで理力切れをおこす心配のないザックスは、踏破開始時から《駿足》《倍力》《全身強化》の3重掛けで自身の身体を強化し、ヴォーケンの再調整で切れ味を増した《ミスリルセイバー》によって、どうにかアタッカーの役割が果たせていた。
(ずいぶん鈍ってるな……)
魔将エイルスと対峙して以来、強敵という強敵に当たってこなかったここ数カ月を密かに反省と共に顧みる。
ザックスが上級レベルダンジョンに入ったのは、ウルガ達と行動を共にしたあの時一回きりである。なぜかあの日は周回モンスターに出くわさなかったものの、最下層部の幻影の中で感じ取った数多の凶悪なマナは、今、思い出しただけでも身体を震わせる。
あれからしばらくの間、彼は臨時メンバーとして多くの依頼を受けたが、それはあくまでも自分の能力で十分に対処できるレベルの問題だった。
今の彼は臨時メンバーという立場こそ変わらぬものの、これはガンツが与えた彼自身のミッションとも呼べるものである。同行者達の力をあてにして、いつまでもお客様気分を味わっているわけにはいかなかった。
さらに、今のザックスには大きな問題があった。
彼の同行者――ガンツ=ハミッシュの2番席に座るパーティは、リーダーであるバンガスを含めた4人で構成されている。
マナLV45《武闘士》バンガス
大柄な体躯のこの男は斧使いとして相当な腕をもつ。パーティのリーダーである彼とザックスとの仲の悪さは周知の事実である。
マナLV46《聖騎士》ブラッドン
狼犬族の獣人である彼は非常に無口である。言葉よりも行動で示すタイプらしく、周囲の者達からの信頼は厚い。《斧槍》と《短槍》を状況に応じて巧みに使い分ける技量と、獣人ならではの力は決して侮れない。
マナLV43《魔導士》ルメーユ
おそらくは妖精族の血をひいているのであろう。彼の耳は僅かにとがり、その容貌はどこかエルフを思い起こさせる。顔立ちこそ柔和だが、その本心は今一つ計り知れない。
マナLV42《大僧正》レンディ
ふっくらとした体格の女性であり、彼女の存在が殺伐としたパーティに柔らかな空気を振りまいている。だが、ザックスとバンガスの険悪な仲に戸惑いを覚えているのか、必要以上にザックスに近づこうとはしなかった。
誰も彼もがザックスより経験も力もある実力者ぞろいである。
そんな彼らに舐められぬようザックスは、武器や特殊スキルで嵩上げされたその力でパーティの先頭に立ち、背後からの冷たい視線を無視して戦い続けた。
ウルガの魂を継承する自身が半端な事をすれば共に戦った彼らの顔に泥を塗ることになる――そんな思いが焦りとなり、彼を不必要に力ませ、周囲とのちぐはぐさを生み出す元凶になっていることに、まだ彼は気付いていなかった。
元来、無口な狼族のブラッドンはともかくとして、バンガスとは視線すら合わせない。
《魔導士》ルメーユや《大僧正》レンディが時折掛けてくる声に生返事しながら、ザックスは眼前の通路に漂う不気味なモンスターの気配に全神経を注いでいた。
このままでは、自分はどこかで潰れることになるだろう――という悪い予感を頭の片隅に追いやって、ザックスは強力なモンスター達の群れに果敢に挑み続けていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
探索2日目・1-034号第20層――。
「大丈夫?」
最初のボスモンスターが控えているであろう大広間へと続く扉の前で、レンディがザックスの肩に手をおいて声をかける。
パーティの中でただ一人、ぜえぜえと肩で息を切るザックスは、彼女の言葉に無言でうなずいた。
まだ中層部にすら達していないこの状況ですでにザックスの体力は限界に近付いていた。
ナナシのパーティのリーダーから手渡された情報によって、出現モンスターの攻撃傾向や弱点がある程度絞れていたため、ここまでの戦闘はどうにか切り抜けてこられた。
「こんな疲れる探索は初めてだな……」
滋養水を口に含みながらザックスはぽつりと呟いた。体力的な問題もそうだが、精神的なものもきつい。
周囲に人はいてもそれは同行者であって仲間ではない。そんな状況にあって、自身の手に余るモンスターの集団と正面切って戦ってきたのだから、仕方のないことだろう。
そんなザックスの姿に「チッ」と舌打ちしながらバンガスは先に扉の向こうへと消えて行く。負けるわけにはいかないという一心でザックスはその後を追った。後に残された3人は無言で顔を見合わせて小さくうなずくと、彼らの後に続いた。
その行く先には暗雲が立ち込めていた。
激しい破裂音と共に二つ目の《爆片弾》が爆発する。ヴォーケンの言うとおり、使い勝手が格段に上がったその武装を以てしても眼前のAAクラスボスモンスター《アイアン・ゴーレム》には僅かな傷しかつかなかった。
「バカヤロウ、突然何しやがる」
《爆片弾》の爆発に驚いたバンガスが、ザックスに大声を上げて怒鳴りつける。
「うるせえ。前に出られない臆病者は、引っ込んでろ!」
負けずに言い返すザックスだったが、今の彼の心には全く余裕はなかった。
文字通り鉄の塊である《アイアン・ゴーレム》の身体は、《倍力》で強化したザックスの《ミスリルセイバー》でも決定的なダメージを与えられず、已むを得ずに使用した《爆片弾》も効果はない。
頑強な巨体から繰り出される《アイアン・ゴーレム》の拳の一撃はスピードこそ遅いものの、当たれば一撃で致命傷である。
限界に近い体力によって集中力すら乱され始め、微細なマナのコントロールを必要とする《体当たり》の応用技を使う事も出来ず、ザックスは徐々に追い詰められていた。
最も弱いものから潰していく――戦闘のセオリー通りにザックスを執拗に追う《アイアン・ゴーレム》によって、いつの間にかザックスは大広間の壁を背にしていた。
強烈なうち下ろし気味の拳をぎりぎりでかわしたザックスは、《駿足》を発動させたまま床にめりこんだ右腕沿いに肩口に駆け上がり、ミスリルセイバーで《アイアン・ゴーレム》の首筋をねらう。
「馬鹿! よけろ!」
その瞬間誰かの声が耳朶を打つと同時に、ザックスは空中で強烈な左の一撃をまともにくらい、吹き飛んだ。嫌というほど地面にたたきつけられた身体には《全身強化》の効果も空しく、凄まじい痛みが駆け巡り、それまで張りつめていたザックスの緊張の糸は根こそぎ断ち切られた。
激しい戦闘音が少しずつ遠のき、薄れて行く意識の中で、「ああ、俺は負けたんだな……」と実感すると同時にザックスの意識は闇に落ちて行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……は無理だ! ……は足手纏いにし……らねえ!」
何者かの怒声でザックスは目を覚ました。目を覚ました彼の視界には、焚火の炎に照らされた満天の秋の夜空が広がっている。周囲の草むらでは虫達が各々の楽器で秋の夜の歌を奏でていた。
起き上がろうとした彼は身体の中の鈍痛に顔をしかめながら辺りを見回す。
「無理しないで、まだ、あなたの身体は完全に回復した訳じゃないのよ」
ふっくらとした体格の《大僧正》レンディが、女性らしい柔らかな手でザックスの身体を支えた。
「ここは? ゴーレムはどうした」
ザックスの問いに答えたのはレンディではなく、近づいて来た《魔導士》ルメーユだった。
「ゴーレムはどうにか倒しました。私達はその足で気絶した貴方を担いで、ダンジョンを一時離脱したのです」
「テメエが足を引っ張ったんだよ!」
焚火の向こうからバンガスが吠える。事実であるだけにザックスは言い返すことができず黙りこんだ。
「そう落ち込む事はありません。分かっていた事ですから……」
意外なルメーユの言葉にザックスは顔を上げる。だが、再びバンガスが追い打ちをかけた。
「お前は実力不足の足手纏いだ。明日からは外れてもらう。これ以上テメエにうろうろされちゃ全滅だ!」
返す言葉もなかった。
自身の失態が招いたこの事態にザックスは大きく落ち込む。だが、そんな彼に意外な援護が入った。
「そうですね、パーティの編成を変えて、明日からはザックス君にリーダーをやってもらいましょう」
ルメーユの言葉にバンガスは唖然とする。
「ルメーユ、テメエ、どういう意味だ!」
「言葉通りの意味ですよ」
怒りに震えるバンガスの厳しい視線をルメーユは何食わぬ顔で受け流し、付け加えた。
「気付いていないのですか。バンガス。足手纏いは貴方のほうなのですよ……」
その言葉にバンガスは呆然とした表情を浮かべる。ザックスも又唖然とした顔で焚火の炎に映えるルメーユの顔を見つめていた。
周囲を明るく照らす焚火に薪をくべながらルメーユは言葉を続けた。
「彼はマナLVも低く、我々上級クラスの冒険者と比べればいささか以上にその実力が劣るのは事実です。
だが、昨日、今日と彼は皆の先頭に立ち、常に戦端を切り開いていった。初めて見るはずのモンスターに全く怖気づくことなく、冷静にその弱点を見出し、攻撃の起点を作っていた。それに対して貴方は何をしていましたか、バンガス?」
「…………」
「確かに戦っていたのはザックス君一人ではない。
おそらく彼は気付いていなかったでしょうが、ブラッドンの冷静なフォローがあったからこそ、この2日間彼は戦い続けられた。だが、貴方はその間、ただ後方に控えて、彼がへばる様子を冷たく笑っているだけだった。
彼よりもはるかに技能も経験もありながら、貴方は何もせずに彼の失態を待ち続けるだけだった」
「それは奴が、出しゃばって……」
「本当にそれだけなのですか? いつもの貴方ならそんな真似をするとはとても思えませんが……。
はっきり言いましょう。
今の貴方はリーダーとしても私達の仲間としてもふさわしくありません」
「ルメーユ、お前……」
「貴方は変わりました。昔の貴方はそうではなかった。どんな時でも強引に前に出て皆を引っ張ってきた。根がそそっかしいですから間違いもずいぶんとありましたが、それでも私達は……、私達4人はあなたがリーダーだったからこそ今日までついて来たのです」
「…………」
「ブラッドン、私、レンディ、ドメッシュ、そして、貴方……。私達5人は互いに信じ合えたからこそ、ガンツ=ハミッシュの酒場の2番席に座る事が出来たのです」
ルメーユの言葉が暗がりに静かに響き渡る。
「貴方がウルガに憧れ、彼の背を追い続けることに必死であったことも知っています、長い付き合いですから。
そんな時に突然に現れ、彼らと共に魔将を葬ったザックス君の存在が疎ましいのは、仕方のない事でしょう。
だからといって冒険者の誇りを捨ててどうするのですか! 貴方と私達とのこの数年間という時間はそれほどにつまらぬものだったのですか!
死んだドメッシュに今の貴方は堂々と顔向けができるのですか!」
ルメーユの声が僅かに揺れながらもその口調は少しずつ厳しい物になっていく。その言葉にバンガスは弱々しく返答する。
「あいつの死は俺の責任だ。確かにもう俺はリーダーに向いていないのかもな……」
「思い上がるのもたいがいにしてください! 貴方は何様ですか! 私達は貴方にずっと守られてきたとでも言いたいのですか?
それは、私への、ブラッドンへの、レンディへの、そしてドメッシュへの侮辱です」
「ああ、そうだよ、俺はどうせ、ウルガにはかなわねえ! 俺は所詮2番席どまりの冒険者だ!」
バンガスが吐き捨てるように呟いた。その言葉と同時に周囲は沈黙に包まれ、秋の草むらに潜む虫達もいつしか黙りこんでいた。
暫くしてその沈黙を破ったのは、起き上がったザックスだった。
「当たり前だ! テメエ程度の2流の冒険者がウルガにかなう訳ねえだろうが……」
その言葉に周囲が驚きの色を示し、バンガスもあっけにとられる。
よろめきながら立ちあがったザックスは腰の《ミスリルセイバー》を外し、さらに防具を外した。
「図体のでかい、いい年した大人がつまんねえ事で当たり散らしやがって! そのひん曲がった根性、叩き直してやる!」
ザックスの言葉にバンガスは憤慨する。
「小僧、黙って聞いてりゃ、つけ上がりやがって……。上等だ、やって……」
バンガスの言葉を最後まで聞く事もなく、ザックスは立ちあがろうとするバンガスの顔面にひざ蹴りを叩きこんだ。容赦のない奇襲攻撃にバンガスは後方へとひっくり返る。
よろめきながら立ちあがったバンガスは、自身も身につけている装備の一切を取り外すとザックスに襲い掛かった。
強力な両の拳がザックスの顔面を捉え、今度はザックスが地面に転がった。
「テメエには前々からムカついていたんだ。目上の者への尊敬ってのが欠片もないテメエの態度の悪さは、目に余るってな」
だが、起き上がったザックスも負けていなかった。左前蹴りをバンガスの鳩尾に放り込むとそのままバンガスの鼻っ柱に頭突きを叩きこむ。自身の重さを利用した一撃にバンガスは片膝をついた。
「目上の者への尊敬だと。笑わせんじゃねえ。尊敬される人間ってのは自然に頭を下げさせるもんだ! オレを尊敬しろだの、他人に礼儀を強制させる奴ってのは、結局はテメエの薄っぺらい自己満足の為に、虚勢を張ってるだけだ!
何年生きようとバカは永遠にバカのままだ、救いようはねえ!」
吐き出すように言葉を叩きつけたザックスを、立ちあがりざまにバンガスが蹴りつける。そこからは互いに拳を繰り出しての殴り合いへと発展し、焚火の炎で仄明るい周囲に、肉体の激しくぶつかり合う音だけが不気味に響く。
「ちょっと、あんた達、止めなさい……」
二人を制止しようとするレンディの腕をルメーユが掴んだ。
「無駄ですよ、今の二人は誰が何を言おうと止まりませんよ。ああやって積もり積もった互いへの感情を吐き出して、ぶつけ合ってるだけですよ」
「でも……」
「馬鹿なんですよ。二人とも……。ああいうやり方でしか、分かり合えない、古いタイプの……ね」
「…………」
「互いに武器も防具も捨て去って、マナの力も使わずに己の肉体だけで殴り合う。あれは只の喧嘩です。その証拠にブラッドンは関心を示していないでしょう」
焚火の直ぐ側に座り込んだ狼族の男は、静かに目を閉じている。
「治すのは私なのよ……。ついさっきまで苦労してザックス君の治療をしてたってのに……」
ふっくらとした頬をさらに膨らませてレンディはそっぽを向く。
「すみませんねえ。でもそろそろ決着がつきそうですよ」
当の二人は互いにふらふらになりながらも拳を振るい続ける。すでにはれ上がった顔は血にまみれ、肋骨も数本ひび割れているようだ。
それでも構わず放ったザックスの渾身の一撃をよろめきながらかわしたバンガスは、かわしざまにその丸太のような左腕を伸ばしたまま振り回し、ザックスののど元を強襲した。カウンター気味に入ったその一撃をまともに受けたザックスは、そのまま地面にあおむけにひっくり返ると動かなくなる。
「けっ、バカが、思い知ったか!」
倒れたザックスを見下ろして自身の勝利を確信したバンガスは、捨て台詞を残してよろめきながら闇のなかへと消えて行く。すぐさまレンディがその後を追い、その姿は闇の中へと消えていった。
「大丈夫ですか? ザックス君」
地面に倒れたままピクリとも動かないザックスに、ルメーユが声をかける。
「チクショウ、図体の分だけ、やっぱり、強えな……あの野郎」
顔面を二倍に腫らしたザックスはゼエゼエと荒い息を吐きながら満天の秋の夜空を見上げる。自身よりも頭一つ以上、大柄な男と真正面から殴り合えば、当然の結果である。
「すみませんね、いやな役を押し付けてしまって……」
彼の傍らに座り込みながら、ルメーユは詫びの言葉を述べた。
「結果、そうなっただけだ。別にあんた達の為にやったんじゃねえよ。俺があいつを殴りたかったから殴ったんだ」
「そうかもしれません。だが、私たちでは駄目だったんですよ。今のバンガスに自分を見つめ直させるには仲間の言葉は甘えにしかなりません。外部の者である君の力が必要だった。それに私の細腕では、君のような真似はできません」
「……たく、知らずに乗せられたって訳か……。あんたタヌキだな……」
「ええ、よく言われます。おかげで友達がいなくって……」
そんな会話を交わす二人の元に足音が近づいた。
それはザックスの傍らで止まり、倒れている彼の傍らに何かを置くとそのまま立ち去ってゆく。手を伸ばしたザックスは傍らに置かれていた高級薬滋水の瓶を取り上げ、まじまじと見つめる。
「珍しいですね。それはおそらくブラッドンから貴方へのお礼ですよ」
「珍しい?」
「彼ね……、ケチなんです。犬ですから……」
ルメーユの言葉に焚火の側へと再び座りこんだブラッドンが「ガウ」と小さくうなり声を上げる。狼族の彼の聴覚はルメーユの小さな声を、しっかり捉えていたらしい。肩をすくめながらルメーユは小さな笑みを浮かべる。
手の中の瓶の中身を一息に飲み干したザックスは、薬滋水の効果で己の傷が治癒していく様を感じ取りながら、その懐かしい味と共にふとエルメラの顔を思い出した。
「なあ、ドメッシュって……」
先ほどのバンガスとルメーユとのやり取りの中で上がった一つの名前についてザックスは尋ねた。
その質問にどこか悲しい色を帯びた笑みを浮かべながら、ルメーユは答えた。
「ドメッシュは君が酒場に現れる数日前、とある上級レベルダンジョンの中で死んだんです。ほんの一瞬の出来事でした。あまりにもあっけなく彼は逝ってしまった。ドワーフでしたが気のいい奴でした。私達はパーティを組んで6年近くになりますが、初めて仲間を失うという経験をしたんです」
「…………」
「彼の死に私達は皆、傷つき、悲しみました。中でもリーダーだったバンガスが心に受けたダメージは相当なものでした。それからしばらくして君が現れ、嵐のような一カ月と共にウルガが逝ってしまった。
決してあるはずはない、そんな事態にバンガスは混乱していたんです。私達冒険者にとって人が死ぬというのは、普通の人たちよりもずっと身近であるはずなのに……」
ルメーユの言葉が闇へと吸い込まれてゆく。彼の言葉を聞きながらザックスはぽつりと呟いた。
「人は死ぬ。どんなにあがいても、生まれた命はその運命からは逃れられない。ならば、いかに死ぬか、それを考えよ……」
「誰の言葉ですか……」
「オレ達の部族の教えさ。戦う事しか頭にない奴らの生き方が嫌で、抜け出してきたんだけどな……」
「そういえば、君はフィルメイアでしたね……。染みついた生き方からは人は逃れられないのでしょうか……」
「さあな……」
言葉と共にルメーユは立ち上がる。そして、ふと、彼は思い出したように尋ねた。
「ザックス君、君にとってウルガとは何だったのですか?」
その問いにザックスはぼんやりと夜空を眺めながら考える。
目に浮かぶのは彼のあの背中。
そして、あの日己の前に立ち塞がり、残した『さらば……』という言葉を思い出す。
「壁だな……」
「壁ですか?」
「ああ、乗り越えるべき、あるいは叩き壊すべき壁だ。オレの行かなければいけない場所は、たぶんその先にあるんだ……と思う」
ザックスの言葉にルメーユは微笑んだ。
「そうですか。さて、もう一人の駄々っ子の様子を見に行ってきます。ザックス君、君はもう休んでください。明日の事は又明日考えましょう、お休みなさい」
枯葉を踏むルメーユの足音が少しずつ遠のいてゆく。
満天に広がる秋の夜空を眺めながら、ザックスはふと故郷の山でみた星空を思い出していた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「馬鹿、痛てぇ、もっと優しくやれよ……」
「うるさいわね、あんたたちみたいなバカにはこの程度でちょうどいいのよ。まったく、只ですら悪い人相をこれでもかってくらいに悪くして……」
「うるせえ……」
「ちょっと、どさくさにまぎれてどこ触ってるの……。ミッションの間は禁止だって言ってるでしょう……」
暗がりの中、レンディの温かな膝枕に身を任せて、バンガスは、彼女の治癒を受けていた。
「あのガキ、えげつない技で容赦なくやりやがって……」
「そうさせたのは、あんたでしょう。悪いけど今回の事に関しては、みんなザックス君の肩を持つでしょうね」
「へん! どいつもこいつも薄情な……」
そんなやり取りをする二人に落ち葉を踏みしめる足音が近づいた。ぼんやりとした魔法光が周囲をほのかに照らし出し、そこに浮き上がったのはルメーユの姿だった。
「おや、お邪魔のようでしたね」
「うるせえ、この裏切り者が! 何の用だ!」
バンガスは地面に横になったままルメーユに背を向けた。そんな彼につかつかと歩み寄ると、ルメーユは容赦なく彼の背を蹴りつけた。
「なにしやがる、この腹黒魔導士が……」
「ザックス君を見習って、私も一発、実力行使をしておこうと思いましてね」
二人のやり取りを傍らに座っていたレンディは呆れた様子で眺めている。その場に腰を下ろしたルメーユに背を向けたまま、バンガスは黙り込む。空中に浮かぶ魔法光が、ただぼんやりと3人を照らし出していた。
それからどのくらいたっただろうか……。背を向けたままバンガスはぽつりと呟いた。
「なあ、俺ってそんなにブザマだったか……」
「そりゃ、もう……」
「見ていて、こっちが恥ずかしかったわ」
二人の容赦のない肯定の言葉にその大きな背が小さく萎む。その背に二人はさらに追撃を加える。
「酒場で彼とブルポンズを吊るし上げて得意になってる貴方の姿ときたら……」
「こんな情けない男だったなんて、思いもしなかったわ」
「仮にも二階の二番席に座るパーティのリーダーが率先して騒ぎ立てるなんて……」
「他の席のやつらはみんな呆れて何も言わなかったじゃない……」
「ガンツが怒鳴り付けなかったら、多分、私が燃やしてましたね……」
「その前にこの中身のない軽い頭の上に、私が《鉄槌》を落としてたわ……」
「だあーー、俺が悪かったよ……」
言葉は剣より強い。容赦のない二人の言葉にバンガスは心を抉られる。
「そろそろ新しいパーティを探そうかと本当に悩みましたよ」
「冒険者なんかをオトコにするよりも、もっと頭のいい生き方する人を、探そうかしら……」
「悪かった。俺が間違ってた、勘弁してくれ……」
強力な言葉のハンマーを叩きつける二人に、バンガスはとうとうその場に土下座する。そんな姿を目にしながらルメーユは口調を変えた。
「で、もう気が済みましたか?」
「いや、まあ、それはな……」
いくら全力で殴り合って叩きのめしたからといって、そうそう割り切れるものではない。
口ごもるバンガスの姿に一つため息をついたレンディは、その背に己の背を重ねた。
「なあ、ルメーユ、お前、あいつをどう思う?」
いぶかしげな視線を投げかけるルメーユを意識しながら、足を崩したバンガスは言葉を続ける。
「長い事、色眼鏡で奴を見てきたからな、正直、今の俺にはどうすればいいかわからねえ。お前と違って俺は頭も悪いしな……」
その言葉に僅かな黙考の後にルメーユは返答する。
「信頼に値する人物であると私は見ますがね。だからこそ、ウルガ達も彼を頼りにしたのでしょう」
「あいつが……頼りにされてたのか?」
「そうでしょう? 結果が全てを物語っているではないですか?」
「…………」
「昔、貴方に尋ねた事がありましたよね。あなたにとってウルガとはなんなのか……と。
その時あなたはこう答えた。『俺は奴のようになりたい』と。
先ほど彼に同じ事を尋ねてみました。彼はこう答えましたよ。『乗り越えるべき、あるいは叩き壊すべき壁だ』と。
貴方達の差は分かりますよね……」
ルメーユの言葉にバンガスは沈黙する。
「でもね、ウルガはもういないんです。そして、あなたはウルガではない。私達のパーティのリーダーなんです、かけがえのない……ね。もう、ウルガの背を追う事も、ザックス君と己を比べる事も、そしてドメッシュの死を一人で背負う事も、いい加減にやめませんか」
ルメーユの言葉が静かに響く。
「私達は今、この瞬間を生きているのです。そして、私達のパーティもガンツ=ハミッシュの酒場も過去最大の試練の中にあります。
にも拘わらず、前を向く事なく、互いの足を引っ張り合おうとする愚かしさにそろそろ気付くべきではないですか?」
そう告げるとルメーユは沈黙する。沈黙に包まれた3人の頬を秋風が優しく撫でて行く。
「これ以上は、もう言いません。後は貴方が自分で考えてください。私達は明日に備えて、もう休みます」
バンガスを残して、ルメーユとレンディは立ちあがる。
落ち葉を踏みしめながら去ってゆく二人の足音を耳にしながら、バンガスは一人残された闇の中に寝転んで、夜空にまたたく秋の星座を眺めていた。
「考えるのは苦手なんだよ……」
ぽつりと呟いたバンガスの言葉は、闇の中に潜む虫達の楽器の音色に優しくかき消されていった。
2011/09/09 初稿