06 イリア、頑張る!
様々な不安要素を詰め込んで進むパーティに異変が生じたのは、探索開始から半日が経過し、中階層辺りに差しかかった頃だった。
「うわああーー」
先頭を先走り気味に進んでいたマヌケルの声が通路に響いた。ここまで比較的強力な敵も出ないで順当にやってきた事で、みな気持ちが緩んでいたのだろう。あわてて、彼の元へと駆け寄ったメンバー達の目に映ったのは、負傷して倒れたマヌケルの姿ではなく、腰を抜かして倒れた姿だった。その姿に誰もが吹き出しつつ、その指さす先を見た彼らは皆驚きの声を上げた。
このあたりは魔法光や光苔の恩恵が少なく、通路内は暗い。そんな中に、ぼんやりと一人の女性が静かに立っていた。
(あれは……)
その姿にザックスは息をのむ。
それは先日ヘッポイとのクエストの際にみたエルフの幽霊だった。勝気そうな瞳にしっかりと結いあげた美しい金髪、そしてエルフ特有の長い耳。そのどれもにザックスは見覚えがあった。やがて彼女は音もなく通路の奥へと消えていく。
「チクショウ、バカにしやがって……。待ちやがれ!」
恥をかかされてむきになったマヌケルが起き上がりざま、彼女を追いかける。
「おい、バカ、ちょっと、待て!」
ザックスの叫びを無視して通路の奥へと消える彼を追って、一つの影が走った。イリアだった。
少女の唐突な行動に一瞬、唖然としたザックスだったが、速やかにパーティに指示を出す。
「試験は一時中止。君たちはここで周囲を十分に警戒しながらゆっくり前進、脇道があれば停止。何かあったら大声を上げる事! 自分からの戦闘は極力避けるように……」
言葉と同時に彼は振り返ってイリアの後を追う。スキル《駿足》を発動させ、彼女の後ろ姿が見えたその瞬間だった。
「うわああーー」
再びマヌケルの悲鳴が響いた。
慌てたザックスは追いついたイリアの身体を抱き上げるとスキル《倍力》《全身強化》を発動させてマヌケルの姿を探す。通路のさらに先、開けた空間の広がる場所で魔法光の明かりに照らされたのは、負傷して壁に寄り掛かるマヌケルと彼を襲おうとするオーガの姿だった。
「イリア、ここで待機を。周囲には十分に警戒するんだ」
こくこくと頷く腕の中の彼女を下ろすとザックスはそのまま広間に飛び込み、隙だらけのオーガの背中を《ミスリルセイバー》で《一刀両断》する。戦闘不能となったオーガはあっけなく崩れ落ち、その躯は消えた。
「なんでこんな奴が……」
オーガ……巨人族に分類される最下級のモンスターであるがその強度はC級とされている。中級レベルダンジョンではさほど珍しくないそれも、初級レベルダンジョンであるここではまず出現の機会はないというのが過去の実績だった。
想定ランク以上のモンスター、徘徊するエルフの幽霊。
二つの異常事態に同時に遭遇したのは、もしかしたら自分が原因なのだろうか? そんな不安がザックスを襲う。
そんな彼の元にイリアが、そして遅れてパーティのメンバー達が駆けつける。ザックスは彼らと共に負傷して壁に背を預けているマヌケルの元へと駆け寄った。
「痛ってーよ……」
マヌケルは思った以上に重傷だった。
薬草水と二人の巫女の治癒魔法の同時併用によって事なきを得たが、ショックは大きかったらしい。
「おい、どうなってんだよ。審査官! あんな奴が出るなんて聞いちゃいないぞ」
怪我の回復と同時に悪態をつく。重傷である怪我ほどその回復と引き換えに疲労がたまるものだが、マヌケルはそんな気配を微塵も見せずザックスに喰ってかかる。
「まあ、オレも聞いてはいないな……」
「冗談じゃない、いい加減な仕事してんなよ、審査官! これ以上こんなところにいられるか! 俺は離脱する」
「それはこれ以上の実技試験の参加を拒否して、リタイアするという意味か?」
「当然だろう! 俺達の手に負えない敵に遭遇したんだ。これ以上の前進は無謀。速やかにリタイアする事が正しい判断だろうが……」
「それは他の者達も同意見なのか?」
ザックスの言葉に皆が互いに顔を見合わせる。
「では仕方がないな。お前たちはこの時点でリタイア。戦闘実技試験は失格となり、中級試験は不合格とする。以上だ!」
「なんで、そうなるんだよ!」
マヌケルが喰ってかかる。
「知ってるぜ! この試験はダンジョン踏破だけでなく、状況に応じて適切な行動をとることができたかどうかが試されるって事を! リタイアしたって不合格なんかになるわけないじゃないか!」
思った以上に狡賢い奴らしい。きちんと判定基準を考慮したうえで、自分のわがままを通す術を心得ているようだ。
だが、ザックスは引かなかった。
「お前、何か勘違いしていないか。それを決めるのは審査官であるオレだ! お前たちの行動が不適切だと判断したからこそオレはお前達を失格にするんだ。問題があるか?」
「ふざけんな、俺達に命を侵すリスクを背負ってまで進めって言うのかよ、冗談じゃねえ、なあ、みんな」
同意を求めるものの彼らも混乱しているようだ。同調する気配はない。ザックスは続けた。
「当然だ。過去この試験において命を落した受験生だっていない訳じゃない。ダンジョンに入るってのは、そういう事だ」
「冗談じゃねえ。あんた狂ってるよ。こんな奴につき合ってられるか! 指輪をよこせ! 後であんたの事は神殿に訴えてやるからな」
掴みかかろうとするマヌケルをいなしたザックスは、逆に彼を殴り飛ばした。
「今のお前の行為は審査官に対する暴力行為として報告させてもらうが……、構わねえな」
その言葉に周囲がしんと静まり返る。さらにザックスは続けた。
「マヌケル、お前は度重なる独断専行の上、パーティを全滅の危機に陥れた。さっきのオーガだって、苦戦はしただろうが総がかりで当たればどうにかなったはずだ。お前の行為はリーダーとしても一メンバーとしても目に余る」
「…………」
「さらにイリアさん。君も同罪だ。どういう理由があるか分からないが、君が先行した事でパーティは分裂し、オレは残った彼ら4人をおいて君達を助けに行かなきゃならなかった。それが、どれだけ危険なことか分かるか?」
ザックスの言葉にイリアは下を向く。
「それから他のメンバーもだ。度重なるマヌケルの独断専行を引きとめるものは誰一人としていなかった。忘れてないか? たった一人の独断で自分自身の命が危機にさらされているということに……。お前ら、たかが試験だからうまく要領さえつかめば合格できるはずだ、って勘違いしてるんじゃないか?」
その言葉に皆の顔色が変わった。
「オレは神官ではなく冒険者だ。そして審査官として神殿に臨時に雇われた身だ。だが、ダンジョンに入ればそんな事関係ない。襲い掛かってくるモンスターに冒険者も神官も区別はねえ。戦闘になれば強い奴が勝ち、弱い奴がやられる――優勢劣敗、弱肉強食だけが真実だ!」
誰もが無言であった。
「冒険者としてお前らに一言、言わせてもらう。オレはお前らと仲間としてパーティを組みたいなんて、これっぽちも思わねえ。お前たちが経験不足だからじゃない。ダンジョンに入ってモンスターと対峙するって事をなめてるやつに、背中なんて任せられないからだ!
マヌケル! お前、さっき、俺達に命を侵すリスクを背負ってまで進めって言うのかって聞いたよな。そんな事当たり前だろ。冒険者をなめんじゃねえ!」
「別に俺は……」
「もうひとつ言っておいてやる。お前は自分がミスしたのを棚に上げて、あるかどうかも分からぬルールを身勝手に解釈し、それを盾に我が儘を言ってるだけだ、自分のちんけな面子可愛さにな!
オレはお前のような身勝手な奴を一人知っている。正直、実に気に食わない奴だし、二度と顔も見たくねえ。
でもな……、あいつはどんなに困難な敵や状況に対しても、真っ向から向かって行った。周囲に頼らず己一人でなんとか前に進もうと、がむしゃらにな……。冒険者としてそれがいい事だとは思わないが、それでもお前みたいに卑怯な真似はしなかった。
はっきり言って、お前は奴以下だ!」
マヌケルの顔色が変わった。周囲のだれもが黙りこむ。そんな彼らにザックスは静かに告げた。
「お前らに時間をやる! 今後どうするのか自分たちで結論を出せ!」
その言葉を残してザックスは周囲を警戒するために彼らの側を離れた。魔法光の明かりの下、ぽつりと開けた空間の中に6人の姿が力なく浮かび上がった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あ、あの、ごめんなさい、勝手な事をして……」
残された6人の中でそう口火をきったのはイリアだった。
「私、以前にあの方をお見かけした事があって……、それでつい気になって追いかけてしまいました。その結果皆さんに迷惑をかけてしまって……。どうか許して下さい」
ぺこりと頭を下げる兎族の少女の行動に誰もが息をのむ。やがて、一人の神官が口を開いた。
「済んだ事です。貴女の行為をとやかく責めるつもりはありません。わたしも動転してそれどころではなかったのですから……。それよりも問題なのはわたし達がこの先どうするかという事でしょう?」
「確かにそうよね。審査官殿の言うとおり、少なくとも私達はここに来るまでばらばらだった。責任をマヌケルさん一人に押し付けるわけにはいかないわ」
巫女の言葉にさらに同調する。殿を務め続けた神官がさらに付け加える。
「このままだと審査官は確実に俺達を不合格にするはずだ。悪いが俺はリタイアするつもりはないね……」
「じゃあ、このまま続行しようってのかよ! 踏破したって意味なんかねえんだぞ!」
マヌケルが反発する。
「踏破するかどうかじゃない。このまま尻尾を巻いて逃げ帰ることが嫌なんだ」
その言葉に一同が押し黙った。周囲を沈黙が支配する。
「あ、あの……」
口を開いたのは、イリアだった。
「わ、私も続行に賛成です。いえ、私はそうしたいです」
その言葉に周囲が彼女に注目する。そんな彼らに向かってイリアはその想いを伝えた。
「私は巫女です。いつも神殿という場所で多くの冒険者の方々のお手伝いをしてきました。神殿巫女の仕事が多くの人々が思うように楽な物だとは決して思っていません。でも、神殿はある意味において命を失う危険のない安全な場所である事は事実です。だから私はこの場所にもう少しだけ身を置いて、私達がお世話をさせていただく冒険者の方々が、いつもどんな思いを抱えていらっしゃるのかを知りたいのです」
イリアの言葉に周囲が黙りこむ。やがて一人の巫女が口を開いた。
「あたしも同じ……。いつも難癖をつける冒険者って嫌いだけど、ここにきて怖い思いをしてみて、どうしてあいつらがあんな事を言うのか少しだけ分かったような気がする……」
「俺も続行に賛成だ。ここで逃げるのは負ける事と同じ。この程度の相手から逃げてたら、この先モンスターだけでなく、人間の相手もしなければならない神官の仕事なんてできるかよ」
それまで黙りこんでいた神官が口を開いた。そして誰もがマヌケルに視線を向ける。
その視線に耐えきれなくなってマヌケルはうろたえながら、答えた。
「わ、分かったよ。続行すればいいんだろ。でも、どうなっても知らねえからな……」
その言葉に皆が安堵する。
「それでは、私、ザ……、いえ、審査官殿を呼びにいってきます」
言葉と同時にイリアが駆け出す。不思議な魅力をもつ少女の背を、他のメンバー達は今までとは違う視線で見送るのだった。
「結論は出たのか」
戻ってきたザックスの言葉に返答したのはイリアだった。
「私達はこのまま、進みます。審査官殿、引き続き試験の続行を許可して下さい」
ザックスの目に映るイリアの姿に、いつも神殿で巫女の務めを果たしている彼女の姿が重なった。
「ここから先は難易度があがる。モンスターそのものの強度レベルはさほど変わらないだろうが数か問題になってくる。負傷者も出るぞ……。さっきのマヌケル以上、のな!」
「覚悟の上です」
「死人も出るかもしれないぞ……。それは君自身かもしれない。分かってるのか……」
「それは……」
小ぶりの耳がピクリと動く。
「半端な義務感なら止めた方がいい。次の機会だってあるんだから……」
「違います。そうじゃないんです」
イリアが強い調子で訴えた。
「確かに私達は甘いのかもしれません。目の前で誰かが死ぬということを知らない以上、それを想像するしかありません。それでも私達は前に進みたいのです」
「どうしてだ……」
ザックスの言葉に僅かに躊躇いを見せた後で、イリアは続けた。
「以前にとある冒険者が私に言ったのです。冒険する事が楽しい……と。嫌な事も怖い事もあるかもしれないが、仲間たちと連れだって目的を完遂して、それを共に喜びあってみたい……と。私も同じなのです。今、共にいる彼らと前に進んで何かを掴み取る、そんな喜びを忘れずに神殿巫女としてこれからも冒険者の方々のお世話をしていきたいと、そう願うのです。いけないでしょうか?」
真摯な瞳だった。それはかつてザックスがイリアに語った言葉。彼女は彼の何気ない一言をしっかりと胸に刻み込んでいたらしい。
「他の奴らも同じなのか」
ザックスは周囲を見回す。誰もがイリアの背に立ち、沈黙をもって答えた。
「いいだろう、だったら審査官として命令する」
やおら自身の左手から《跳躍の指輪》を抜き取るとイリアの小さな手に握らせる。
「イリアさん、今後は君をリーダーとして、パーティの全ての事柄を決定すること。離脱のタイミングも君自身が決めるんだ。いいね……」
その言葉に驚いたイリアは周囲を見回した。僅かにマヌケルが顔をそむけたものの、他のメンバーはそれを了承したようだった。彼らの支持が受けられた事を知ってイリアは胸を張ってザックスに告げる。
「分かりました。審査官殿のおっしゃられる通りにいたします。ご迷惑をおかけしますが引き続き、御同道よろしくお願いします」
言葉と同時にぺこりと頭を下げる。そんな彼女の姿を見ながらザックスは、言葉にできぬ想いを抱えていた。
不思議なものだ――快進撃を始めたイリア達を目の当たりにしてザックスはそんな感慨に包まれていた。
個人の能力がさほど変わったわけではない。だが、目の前の彼らは先ほどまでのばらばらのパーティと同じものであるとは思えないほどに息の合った様子を見せ始めていた。
中階層を過ぎ、予想通りダンジョンの攻略難易度は上がり始めた。押し寄せるモンスターの群れに対して、イリア達は互いに声を掛け合い、困難に対応した。
イリアの魔法弓が効力を発揮する事でモンスターの集団に先手をとってダメージを与え、前衛に立った二人の神官が同時に攻撃を掛ける。彼らのすぐ後ろに立った巫女達が負傷した彼らを手早く治療し、その間に殿を務めていた神官が空いた前衛をカバーする。各々が激しく位置を入れ替えながら次々に立ちふさがるモンスターの群れを掃討していく。
一度つき始めた勢いは止められないようで、戦い慣れしていない二人の巫女たちまでが簡単な炎術や氷水術を的確に使用して集団攻撃に幅を持たせはじめた。
そんな中、最も目を引いたのはイリアの変化だった。
それまでの遠慮がちでおずおずとした姿勢から一転して、パーティの中心に立った少女は魔法弓を駆使して敵を掃討する一方で、リーダーとして申し分ない役割を果たし始めた。
あいかわらず先走りがちなマヌケルをマリナ譲りの話術と微笑みで巧みに抑え、周囲に溶け込ませる。いつしか余裕の生まれ始めたパーティには笑みが浮かび、彼らの放つ空気に安定感が生まれていた。
『イリアはとても強い娘なのよ……』
マリナの言葉がふと思い浮かぶ。その言葉にザックスは得心がいった。
ふと、彼らの姿にかつて見たウルガ達の背が重なる。
LVこそ低く戦闘技術も稚拙ではあるが、互いに声を掛け合う彼らの姿は見る者に安心感を与え、彼らはもう問題はない、ザックスにそんな思いを抱かせた。
仲間たちの間で微笑むイリアを見ながら、ふとザックスはヘッポイの事を思い出した。彼への対応の仕方には、もっと違うやり方があったのではないのか、と。
イリアが周囲と協力してマヌケルをうまく同調させたように、ザックスも又彼に対してそうすべきであったのではないのだろうか、そんな後悔がザックスの中に生まれた。
「負けてるな、オレ……」
仲間たちの輪の中で凛々しく前を向くイリアの横顔に、ザックスはぽつりと呟いた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
中級試験が無事に終了した最高神殿内の大広間では、受験者及び神殿関係者の多くが集まり、盛大な打ち上げパーティーが開かれていた。会場内に生まれた幾つもの人の輪の中で、とりわけ大きなものの中心にあったのはイリアの姿だった。
華やかな神殿巫女の正装に身を包み額に《額環》をつけた彼女の周囲には共にダンジョンを踏破するという快挙を成し遂げ堂々と合格をはたした仲間たちだけでなく、他の受験者である巫女達や神官達の姿もあった。数日前に見た頼り無い面影など微塵もなく、周囲の者達と楽しげに談笑するイリアの姿は眩しく輝いていた。
「あらあら、あの娘はすっかり人気者になりましたね」
会場の片隅で泡酒のグラスを片手にそんな彼女の姿を眺めていたザックスの傍らにたったマリナが声をかける。
「ああ、本当によかったよ……」
マリナとグラスを合わせながらザックスはぽつりと呟いた。
「あんたは、きちんと分かってたんだな……」
イリアをリーダーに据えてみてほしい、それは試験開始前に提示されたマリナのアイデアだった。
「うまく誘導していただいたのはザックスさんでしょう?」
「冷や汗ものだったがな……。でもあそこまで上手くいくとは思わなかったよ」
「ふふっ、日頃の仕込みが違いますわ……」
豊かな胸を反らせて得意げにマリナが微笑む。
「あれは、あの娘本来の資質です。周囲を巻き込み明るい花を咲かせる。私達《ペネロペイヤ》の巫女達もそんなあの娘の強さと明るさにとても救われているのです。きっとこれからもあの娘は多くの人たちに明るさを分け与えていくのでしょうね」
少しだけさびしげな表情を浮かべて彼女は語る。ふとイリアを包む輪の中に小さな波紋が浮かぶ。マヌケルがイリアに「ウサギ、お前を俺様のヨメにしてやろう」と妄言を口走り、周囲からタコ殴りにされているらしい。
「イリアの姿を見て、いろいろと考えさせられたよ」
その言葉をマリナは微笑みで受け止める。そんな彼女に一人の巫女が声をかけた。どうやら人気者であるのはイリアだけではないようだ。
「御免なさい、ザックスさん。少しだけ席を外しますね」
そんな言葉と共にマリナは軽やかに去ってゆく。入れ替わるように彼に近づいて来たのはイリアだった。わずかに躊躇いながらも、彼女は彼におずおずと声をかける。
「あの、審査官殿……その……」
「もう、試験は終わったんだ、いつもどおりでいいよ……」
ザックスの言葉にイリアの顔に明るい笑みが浮かんだ。そして彼女は両腕で彼の左腕を抱え込んだ。
「お、おい、イリア……それは……まずいんじゃ」
だが、彼女は怯まない。輝くような笑みを浮かべてザックスに囁いた。
「皆さんが《魔将殺し》の冒険者であるザックス様に興味を持っています。こんなところでお一人でいらっしゃらないで、私と一緒に来て下さいませんか。さっきから囲まれっぱなしで、頬がひきつりそうなんです」
小ぶりの耳がピクリと動き、少女はぺろりと舌を出す。
「私にはとてもマリナ姉さまのような真似はできません。ですから、助けると思って……」
片目をつぶって悪戯っぽく笑いながら、そんな言葉と共にぐいぐいと力強くザックスの腕を引く。輝くような笑顔を向ける少女の仄かな胸のふくらみとぬくもりが、ザックスから抵抗する気力を消し去っていく。
「それと……」
人の波にもまれながらザックスの傍で彼女は小さく呟いた。
「あなたのおかげで私は一人ではなくなりました。ザックス様、本当にありがとう」
その言葉を呟いた少女の横顔は、誰よりも眩しくザックスの目に映るのだった。
2011/09/02 初稿