03 シーポン、唄う!
ただ働きとは非常に疲れるもの。
遭遇したエルフの幽霊については報告する義理もなく、ザックスは胸の内にそれを留め、精神的によろめきながらエルタイヤに帰還した。どこか虚ろな瞳で見知らぬ街の通りを宿に向かって歩く彼の姿は、憐れみを誘った。
『世間は厳しい』という言葉を教訓とともにかみしめ、こんな日はヤケ酒でもして寝るに限る、と考えた彼だったが、ふと、近くの路地裏から何者かの争う声が聞こえてきた。
『ヘッポイの災禍』によってふつふつと湧いてくる欲求不満のはけ口を見つけたザックスは、路地裏へと近づいていく。おそらく争っているだろう者達の会話が耳に入った。
「てめえ、冒険者だろ! ちっとばかりカネを貸してくれればいいんだよ!」
「兄貴、大丈夫なんですか?」
「けっ、冒険者っていってもこいつは《吟遊詩人》だ。戦闘能力なんてありはしねえよ」
世界は広い。
世の中にはそこらの戦士が束になってかかっても太刀打ちできないほどに恐ろしい吟遊詩人も存在するのだが、世間一般ではそれがありきたりな評価であろう。
少しばかりの憂さ晴らしがてら、諍いに割って入ろうとした彼の耳に届いたのは、どこかで聞いた声だった。
「仕方ありません。今手持ちがこれといってありませんので、お詫びといっては何ですが、貴方がたにいま思いついた新曲をプレゼントいたしましょう……」
その言葉にザックスの身体が条件反射をおこす。
特殊スキル《直感》が発動し、すかさず彼は《袋》からマジックアイテム《耳栓》を取り出し装着する。その場所には、彼の予想通りの事態が訪れた。
《耳栓》を装着したまま恐る恐る覗いたその先には、数人の男たちが白目をむいて気絶した姿とその中にぽつりと立っている自身のよく知る者の姿があった。
「シーポン!」
呼びかけたものの、目をつむり演奏に没頭する彼に聞こえる様子はない。近づこうにも彼の紡ぎ出す音波は《耳栓》をつけている彼にもうっすらと聞こえ始め、これ以上は近づけない。どうやら彼の音色は、しばらく見ないうちにさらに力を増しているらしい。追い打ちをかけられぴくぴくと泡をふきながら痙攣する男たちに僅かばかり同情しながら、ザックスはシーポンが曲を奏で終えるのを待った。
「ザックスさん!」
ようやく新曲を奏で終わったシーポンは路地の先に懐かしい顔を見つけ、笑顔を見せる。
「お元気でしたか?」
遠く見知らぬ土地での懐かしい者との再会に、ザックスの心は久方ぶりに晴れたのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ドノヴァンの酒場には相変わらず活気がないものの、夕食時ともなればそれなりに人は集まってくる。そんな店の片隅でザックスはシーポンと共に再会を祝していた。
宿に帰還したザックスはクエストの失敗と一連の事態をドノヴァンに報告した後、シーポンを彼に紹介した。「それは大変でしたね」という言葉とともに事態を把握したドノヴァンは、店に吟遊詩人が訪れた事を喜び、彼の逗留を歓待した。
「では、挨拶がてら新曲をご披露……」
と、竪琴を取り出したシーポンを慌てて止めたザックスは、彼と共に店の一角にある卓で夕食がてら再会の杯を交わしていた。
「実は旅先でウルガ殿の訃報とザックスさんの活躍を耳にしまして……」
今までどうしていたのか、というザックスの質問にシーポンはそう前置きした。
「《ブルポンズ》はこのままではいけない、という結論に達した我々は、暫しの間別行動をとり、それぞれの技芸を磨き、再びガンツ=ハミッシュの酒場で再会しようという事になりました。そして私は……、旅に出たのです」
やおら傍らの竪琴を取り出すや否や、彼は音楽と共に語り始める。
「それは辛い困難な旅でした。自身の音楽の世界に限界を感じ始めていた私は、己の壁を乗り越えるために様々な人々に教えを請うて歩いたのです」
ラララー、と歌いながら彼は続ける。
「ある方には、音色に力強さが足りぬと言われました。私は美しい音色を紡ぐ指を鍛えるために、断崖絶壁を素手で登ったのです。
ある方には、声に艶が足りぬと言われました。七色の声を手に入れるために《虹色の蜜》を求めて、秘境探索を行ったのです。
ある方には、魂が足りぬと言われました。我が音楽に足りぬ魂の叫びを得んがため、ドラゴンの前に立ちはだかり、かの凶獣の咆哮に真っ向から挑んだのです……」
おい、ちょっと待て、というザックスのつっこみに構わず、シーポンは続けた。
「だが、そのどれもが私を満足させませんでした。
そんなある日、私はふと気付いたのです。己の求めるものは己の内にしかないと……。
そして私はついに開眼しました。真の音楽とは何か、誰もがうちふるえる『魂の歌』とは何かという事に……」
時に優しく、時に荒々しく。美しい指さばきで奏でられる竪琴のメロディにのって流れるシーポンの柔らかな歌声に、いつしか周囲の者達までが聞き入り始めている。
「真の音楽……それは……『愛』です。認め合い、許し合い、求め合う。それこそが人々を魅了する音楽の真実……」
「おおー」という周囲のどよめきと共に、シーポンの歌はクライマックスを迎える。
「今こそ、皆様にお伝えしましょう。神話の時代から受け継がれた真実、そして至高の吟遊詩人の奏でる歌、『究極の愛のセレナーデ』を……」
竪琴の音色が激しく鳴り響き、感極まったシーポンは豊かな声量をもって、言葉を紡いだ。
――そしてザックスを含めた店内にいる誰もが、白目をむいて気絶したのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
部屋の扉をノックすると共に朝の到来を告げる従業員の声で目が覚める。
行き届いたサービスというのは気持ちよいものだが、行き届きすぎるのはいかがなものだろうか……。ここ数日、この宿に逗留したザックスの中に事あるごとに生じる違和感だが、それはわざわざ口にするほどの物でもないのが困りものである。親切心の押し付けというものは実に厄介きわまりない。
己の店の前で重低音をたっぷりと効かせた咆哮とともに朝の到来を告げるガンツの姿が、なぜか懐かしく感じられた。
違和感を胸に寝台を起き上がったザックスは、朝食をとるべく階下へと向かう。昨夜、シーポンと再会を祝した後の記憶がまったくない。宿の誰もがザックスと同様で、食堂と化した朝の酒場は実にいつも通りの静かな光景だった。
先に起きて朝食を取り始めていたシーポンが何事もなかったかのように2階席で手を振るのをみて、ザックスは自身もトレイを抱えて、階段を上っていった。
「おはようございます、ザックスさん」
食後のホメヨ茶を楽しむシーポンの前に座ったザックスは何気ない雑談のあとで、彼に尋ねる事にした。
「そうですねえ、私はさほど苦痛と感じる事はありませんが……」
と、前置きしつつ、シーポンは語る。
「確かにこの店はいろいろと行き過ぎのところがあるようですね。一般の冒険者向きではない、そう評価できると思います。しかし……」
僅かに言葉を切って、ホメヨ茶を口にしたシーポンは続ける。
「それも又、この店の味であるともいえるのですよ……。世の中には、他人が敬遠したり見向きもしない場所を好き好む、という風変わりな方もいらっしゃいますからね。そして、そんな人たちに居場所を提供する事で、この都市のかけがえのない構成者の一つとなっている……外部のものがむやみやたらと自身の価値観を押し付けてしまう事で、微妙なバランスを壊してしまうということもありうるのですよ……。かく言う私も……」
言葉と同時に竪琴を取り出して音色を奏で始める。
「己が最も素晴らしいと思うものが周囲に理解されない……そんなジレンマに苦しむ一人なのです」
「そ、そういうものなのか……」
「だが、それでも私は諦めません。いつか私の最高の音楽が多くの方々の魂を震わせ感動に涙するよう、力の限り歌い続けるのです」
「な、成程……。応援するぜ!」
「おお、今、私の頭に素晴らしいフレーズが浮かび上がりました。これこそ当に創世神のお恵み。ではここで一曲、新曲のご披露を……」
「そ、それだけはやめてくれー!」
応援するぜ、といったその口で、ザックスは容赦なく彼を再び制止した。
人の世とは無情なものである……。
「ザ、ザックスさん。た、大変です。た、大変な事になりました……」
朝食の時間も終わり、昨日のただ働きの鬱憤を晴らすべく、ガイドマップを片手にシーポンと共に《エルタイヤ》の観光計画についてあれこれ相談している最中、店主のドノヴァンが血相を変えて、ザックス達の座る2階席に駆け上がってきた。彼の手には一通の封書が握られている。
「どうしたんだ、ドノヴァンさん?」
「大変な事になりました」
混乱したドノヴァンは大変、大変と繰り返すばかりで、一向に要領を得ない。同席していたシーポンと顔を見合わせたザックスは、ドノヴァンが落ち着きを取り戻すまで待つしかなかった。
「こ、これを見てください」
ようやく落ち着いたのか、彼は手に持っていた封書をザックスに差し出した。宛名欄に達筆でザックスの名が書き込まれたその封書は、大げさに装飾が施され、送り主欄には名前が無い。
「で、こいつがどうしたんだい」
どうにも悪戯じみた封書をぽいっと無造作に放り出したザックスに、ドノヴァンは血相を変えて詰め寄った。
「な、なんて事するんですか、ザックスさん。これは最高神殿からの召喚状ですよ!」
「召喚状?」
こくりと頷くドノヴァンを尻目に、ザックスは再び放り出した召喚状なるものを手にとってみた。
「ほう、これが、あの噂の……。私も目にするのは初めてです」
シーポンも興味深げにそれを眺めている。
「これは、ザックスさんにあてられた最高神殿からの呼び出し状なのです。そして、最高神殿からの呼び出しはいかなる事情にも優先され、もしこれに従わなければ、ザックスさんは神殿の敵としてみなされると……」
「な、何……!」
妙に物騒な曰くつきの封書に、目をやる。
「たいていは自由都市や各国家の元首に恫喝の意味をこめて送られるものなのですが……。ザ、ザックスさん、あなた一体、何をやらかしたのですか!」
大変な剣幕で詰め寄ってくるドノヴァンに気圧される。逗留中の冒険者の不祥事はその酒場にも咎が及ぶ事もある為、彼も気が動転しているのであろう。
「ま、まあ、とりあえずは開けてみようじゃないか、考えるのはそれからだ……」
事態はどうにも大事になりそうだ。ヘッポイの件で心当たりは無い事もないが、そこまで大事になるとは思えない。
ドノヴァンに急かされるかのように封書を開いたザックスは、折りたたまれた書面を開きおそるおそる目を通す。……と、ザックスの顔に少しばかり苦渋の表情が生まれた。
「ど、どうでしたか……」
「安心しろ、ドノヴァンさん。これは只の手紙という名の呼び出し状だ。送り主はオレの知り合いだ」
「へっ……」
ザックスの言葉にドノヴァンはへなへなとその場に崩れる。自身の店の危機になりかねぬ事態に、相当に動揺していたらしい。そして、はたと思い出したようにぽつりと呟いた。
「そ、そういえば、召喚状には高位の神殿関係者に親しい方、もしくは神殿に利益を与える方であるということを周囲に示す意味もあったのでしたね……」
「ドノヴァンさん、それを早く思い出してくれ……」
彼の早とちりで無用な不安を与えられたザックスも、大いに迷惑である。
「しかし、さすがはザックスさんですね。最高神殿にお知り合いがおられるとは……。一体どんな方なのか、よろしければお教え願いませんか?」
「ああ、神殿巫女のマリナさんだ」
何気ない、軽い一言だった。
だが、その言葉に店内の時間が凍った。決して《時間凍結の理法》が働いた訳ではない。
「なにぃーー!」
一拍の間をおいて店内にいた二十人近い客の全てが、ザックスに詰め寄った。
「あ、あんた、あの神殿巫女のマリナさんと知り合いなのか」
「その微笑みは『神の微笑み』とまで称えられたあの……」
「一万人の悪人を改心させ、敬虔な神殿の信者にしたという、あのマリナ様か!」
「彼女が流す涙によってマナを込められた神聖水は、あらゆる冒険者達の転職を希望通りにかなえてくれるというのは、本当なのだよな!」
血走った目で詰め寄る冒険者達にザックスは気圧される。
彼の側に崩れ落ちていたドノヴァンは押し寄せた冒険者達にそのまま踏みつけられ、シーポンは我関せずと傍らで竪琴を奏でている。
「お、おい、ちょっと、待て」
噂に尾ひれがつくという言葉を地でいくように、なにやら彼女の伝説は以前聞いたものより、はるかに凄まじいものになっている。《エルタイヤ》は《ペネロペイヤ》から相当離れている分、彼女の伝説も増幅されて伝わっているようだ。もはや、彼女を教祖に新たな宗派が誕生しそうな勢いですらある。
とまどうザックスを尻目に、血走った目をした冒険者達は、次々と彼女の伝説を熱く披露する。
「オレの話を聞けーー」
ザックスの叫びは、シーポンの竪琴のメロディに乗って虚しく散って行った。
2011/08/30 初稿