17 エピローグ 魂の継承者
その世界は凍てついていた。
《現世》に留められてしまった《揺らぎの世界》の欠片。その中央に彫像の如く立ちつくす凍りついた魔人が一体。
その驚愕の表情は、自身が失って久しい感情だった。彼も又、それを失くしてしまって久しいはずなのに、侵入者たちはそれを、取り戻させてしまったらしい。
「やってくれましたね、と言うべきでしょうか、もしくは、油断でしたねと言うべきでしょうか」
静寂に満ちた空間に一人の魔人が姿を現した。《杯》を司る《魔将》ヒュディウス。陰気な面相の顔をフードで隠した魔人は、世界の中心に立つ魔人にふわりと近づいてゆく。
驚愕の表情を浮かべて凍りついたその姿にゆらりと手を伸ばす。と、触れようとしたその指先に魔人の彫像から現れた氷の蛇が、顎を広げて噛みついた。だが実態を持たぬ彼の《幻像》をすり抜け、目的を失い当惑する。
「やっかいな事ですね……。《時間凍結の理法》ですか」
その言葉とは裏腹に魔人は嬉しそうに笑う。目を瞑り、気配を探ったその先に、僅かに彼の知る者のマナの残滓を感じ取る。
「おやおや、成程、そういう事ですか。それならば、このような事態もあり得ることですね。だが、しかし……」
僅かに眉を潜めた。マナの残滓の中にかすかではあるが異質な物を感じ取る。
「まあいいでしょう、ともかく、これで、始まってしまったのですね」
世界の一角である《魔将》がたかが人間如きにしてやられる――この前代未聞の事態を、他の彼らはどう捉えるのか……。
口元に笑みをほころばせながら、周囲を見渡した魔人はふと、思い出したように呟いた。
「ああ、そうでした。この世界を閉じておかねばなりません」
《魔将》に時間という概念は存在しない。だが、それはあくまでも彼らが《揺らぎの世界》に身をおく事が前提である。
《現世》に身を置けば、魔将とてその世界の理に縛られる。《剣》の魔将はこれから永遠の時をこの場所に縛り続けられる。勿論、彼を解き放つ事は大きな困難を伴いながらも可能ではある。だが、《杯》の魔将にとってはなんら利益とはならない。むしろ今、この状況が魔人にとっては都合がよい。
「申し訳ありませんが、このままこの場所の守護者であり続けてくださいね……」
動かぬ同輩にそう告げ、魔人の《現像》が揺らいでいく。やがて、姿の消えたその場所には、再び永遠の静寂が訪れた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
冒険者協会協会長執務室――。
「……成程のう、以上が事の顛末と云う訳か」
雑然とした執務室のソファに座っていたのは、三人――ザックス、ライアット、そして冒険者協会協会長という肩書をもつ一人の老人――だった。
「何じゃ、お前さん、ワシに何か言いたい事でもありそうな面じゃのう」
「言って欲しいのか? 爺さん」
カッカッ……と笑いながら老人は答えた。
「礼ならいくらでも受け付けるぞ。なんたってワシは協会長じゃからのう」
年寄りの戯言に頭痛を覚えながら、聞き流す。
ウルガ逝去の翌日、酒場を上げての彼の葬式の最中に現れたのは、空気の読めない冒険者協会の事務方達だった。
魔将に関する詳しい調査をその場で行おうとした彼らの姿勢に、怒りを爆発させたザックスは協会職員の一人を殴り飛ばした。それがきっかけで暴動寸前といった様相を呈したところに現れたのが、いつも波止場で釣りをしていた老人だった。
自身を冒険者協会の協会長であると初めてザックスに名乗った老人のとりなしで、事は丸く収まり、正式な調査と過日の謝罪に彼らはこの場所に訪れていた。
「まあ、気にするでない。担当の者達も深く反省するために、ちっとばかし、僻地に飛んでいったからのう」
さらりととんでもない事を言ったようだが、気のせいだろう。
「しかし、ライアットよ。お前さん、ええ加減、もう少し大人しくなってくれんかのう……」
協会長の言葉に、ライアットは珍しく神妙な顔つきになっている。
「現役にこだわるのもいいが、ほどほどにしておかんと周囲が混乱するでのう。只でさえ、人材不足の協会じゃ。しっかりと支えてくれる人間がおらんと収拾がつかんようになるわい」
「はあ……」
「ウルガも逝ってしもうた。将来の協会を背負って立つ人材と期待しておったんだが、残念でならん……。わしらも、いい加減、年じゃからのう、ちっとは心休まる日々を送らせてもらっても、罰は当たらんと思うぞ……」
先ほどから黙って聞いていたザックスだったが、老人の言葉にどうにもハラの虫が収まらなくなり、思わず啖呵を切った。
「おい、こら、爺さん。さっきから黙って聞いてりゃ、好き勝手言いやがって……」
「なんじゃと……」
「あんた、前にこう言ったよな。『冒険者なぞ、なったその時から己の命は捨てたようなもの。己の命をチップ代わりにどれだけ広い世界を手にする事が出来るのか』ってよ。協会の将来だの、背負って立つ人材だのと、そんな事、俺達にはどうだっていいんだよ! 俺達は冒険者だ! 未知の場所に踏み込んで道を切り開いてなんぼなんだ! それができる奴はいくつになっても冒険者だ! 手前らみたいな鄙びた年寄りが若いものに未来を期待するようなふりして、いざ、そいつらが転んで怪我すれば、手の平返したように責任押し付ける。だから、『リスクを取る事を嫌って、堅実な金儲けばかりに目がくらんだケツの穴の小さな奴ら』が、溢れ返るようになったんじゃねえか!」
ザックスの激しい剣幕に周囲の誰もが気圧される。彼は続けた。
「前に進めなくなったら、そういうやつが後ろを守ればいい。後ろを守ることに疲れたら、その時は波止場で釣りでも楽しんで余生を過ごせばいいんだ! ウルガは自分の為に走り続けた……後先なんて考えずにな。おっさんもダントンもエルメラもそれに続いた。 だから俺も走るんだ。皆の背中に恥じないようにな! 周りがどうだかとか、後に続く奴がどうだかなんて、考えてる奴は冒険者なんかじゃねえ! 未来はその未来に生きてる奴が決めて行くんだ、ってことを忘れんな!」
激しい啖呵の末に、老人と若者は睨み合う。だがしばらくして老人は相好を崩し、笑い出した。
「カッカッカッ……。お前さんの言う通りじゃ、こいつは一本取られたのう。だがのう、若いの」
笑みを収めて真顔になる。
「この都市にも多くの人間がいる。だれもが正攻法で己の生きる場を確保できる訳ではない事を、よーく覚えておくんじゃぞ」
「んな、難しい事なんざ、そうそう分かるかよ! 転んでからゆっくり考えるさ」
「全くじゃのう。さて、ところで、面倒くさい爺の小言はここまでじゃ。お前さんたちの引き取り人も来ておるでの……」
「引き取り人?」
老人の笑顔にただならぬものを感じた二人は、顔を見合わせた。
「どれ、入ってこんかい」
いそいそと手ずから開けた扉の向こうから現れたのは、ザックスのよく知る巫女服姿の二人だった。
「イリア、に、マリナさんまで……」
絶句したザックスの隣で、やはり顔面蒼白のライアットの姿があった。兎族の巫女少女は目を赤くしたままぽつりと呟いた。
「お義父様に、ザックス様……。大変……危ない事に関わられたと伺いました」
「お義父様?」
ライアットの顔をまじまじと見つめる。ザックスはこれまでの全てをようやく理解した。これまでのライアットの態度は、イリアを思う故であるらしい。
「イ、イリア、これは、その……」
ライアットのうろたえる姿は珍しい。
「イリアはとても心配したのですよ……。おじさま」
マリナの言葉と共に彼女の瞳から大粒の涙がこぼれおちる。
「イ、イリア、そうではないんだ。これは……。おい、若いの! お前もなんとか言わんか!」
「ちょっと待て、俺も、なのか?」
「あらあら、ザックスさん、御自身の立場がまだ、よくお分かりになられてないようですわね……」
「はい?」
「イリアはあなた方の無謀な行為に小さな胸を痛めて泣いているのですよ。ええ、そうです。神殿巫女達の可愛い妹分のイリアが……、ふふっ」
「ちょっと待て、確か、この間は英雄譚に胸をときめかせた、とか言ってなかったか……」
「あれは偶然巻き込まれただけ……。今回は、自分からのこのこと出向かれたのでは?」
「のこのこ、って……。とにかく、俺は冒険者としてだな……」
「私達にとっては可愛いイリアが泣きじゃくっている事が、何よりも優先されるのですよ……」
「そんな、理不尽な……」
彼らのやり取りを己の机の上で頬杖をついた老人は、ニヤニヤと楽しんでいる。
「協会長、これはあんたの差し金か!」
「まあ、人間カッコばかりつけて生きてはおれん、ということじゃの。いやいや、若いというのはええことじゃ」
「ジジイ、テメエ……」
「ザックスさん、おじさま、お二人には罰を受けて頂かなければなりませんわね。そうですねえ、ああ、いい事を思いつきましたわ。これならばきっとイリアも笑顔を取り戻してくれるはずです……」
マリナの出した迷案に、ザックスとライアットの絶叫が響く。
「若いの、貴様、よりにもよって……。そこに直れ。叩き飛ばしてくれるわ」
「うるせぇぞ、おっさん。俺を責めるのは筋違いだろうが……」
――その後、冒険者協会協会長執務室がどのような事態に陥ったかは、定かではない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
早朝の《旅立ちの広場》は、今日も《転移の扉》を通ってあちらこちらへ行き交う人々でにぎわっている。そのような人々を目当てに朝市を立てた店の店主たちが、こぞって客引きに精を出していた。この都市に暮らす者ならば、見慣れた光景である。
「こんな時間にわざわざ出発しなくても……」
「こんな時間だからだよ……。俺も姐さんもこの空気が好きだったんだ。そしてウルガの旦那もな……。何かが始まるかもしれない、一日の始まりにそんな期待に満ち溢れた人々の生み出す熱気がな」
大きな荷物を背負ったダントンがぽつりと呟いた。傍らには身軽な格好のエルメラが、名残惜しげに周囲を見回している。
「本当に行っちまうんだな……」
「なんだ、寂しいのか」
「そんな訳……、ねえだろう……」
ウルガの死によってエルメラとダントンは冒険者を廃業し、この都市を離れる事を決めていた。
「悪いね、本当ならあんたの事を手伝ってやるってのが、筋なんだけどね」
「気にするなよ」
ラヴァンとの決着をつけ、ウルガが死んだ事で、自分の中にあった冒険者であり続ける理由がなくなった――ガンツ=ハミッシュの酒場のいつもの席で、彼女はそう言ってザックスに頭を下げた。
「まあ、普通の冒険者としてなら、おまえさんはもう大丈夫だよ。気がかりな事はなくもないがな……」
「奴の事はなんとかするさ、今日明日に解決しそうじゃない問題だしな」
上級冒険者には必ず向き合わねばならなくなる問題がある。マナLVの限界値……ダントンはLV47の時点で己の限界と向き合わねばならなかった。それが、魔将との決着を焦った理由の一つでもある――いつもの場所でそう言って、彼は笑った。
「これからどうするんだい?」
ザックスの問いに二人は顔を見合わせた。エルメラが答える。
「まずはあたしたちの故郷に……。ウルガとの約束を果たさなければならないからね、その後はまたどこかへ、風の向くまま、気の向くまま、だね」
「そうか。気をつけてな」
別れの言葉を告げるザックスに、エルメラは向き合った。
「はじめは、とてもじゃないが無理だ、と思ってたんだけど……ねえ……」
「姐さんの口移しが効いたんじゃねえ、って、わっ、アチッ」
相変わらずのダントンが飛び上がって足元の炎を消す。
「本当にあんたのおかげだよ。あんたには返しきれない借りができちまった」
懐から腕輪を取り出しザックスの右腕に装着する。赤く輝く宝石が埋め込まれた《精霊金》製の腕輪だった。
「これは?」
「半竜人は一生に一度だけ竜戦士化した後、己の力を結晶化して残すのさ」
「これって、もしかして……」
「こいつはウルガの魂さ、あんたに渡してくれって。これから先のあんたの戦いの力になるだろうから、ってあいつの遺言でね……」
「そうか、ウルガが……」
大柄な男の背中を思い出す。ああ、そういえば、俺はあの男の背中ばかりを見ていたんだな、とザックスはようやく気付いた。
「さて、それじゃ、そろそろ行こうかね。冒険者をやめた奴らがいつまでもうろうろしてちゃ、後に続く者の邪魔にしかならないって言う奴がいるからね……」
そう言い残して彼女は軽やかに歩み出す。
「じゃあな」
大きな荷物を背負ったダントンが片手を挙げてそれに続いた。二人が《転移の門》を通って消えて行くのを見送ったザックスは、小さく鼻をこすった。
「さて、俺も行くか……」
ザックスの冒険はこれから始まる。
未踏破ダンジョンに様々な未知のアイテム、そしてこの世の謎ともいえる魔人達との邂逅……。
世界はまだまだ謎に包まれている。そこへどんな仲間たちと共に向かっていくのか?
己のこれまでの軌跡を振り返るかのように、ザックスは胸元のクナ石にマナを込めた。
名前 ザックス
マナLV 25
体力 152 攻撃力 203 守備力 167
魔力 MAX 魔法攻撃 0 魔法防御 159
智力 134
技能 134
特殊スキル 収奪 駿速 全身強化 倍力 直感
剣撃術 斧撃術 一刀両断 乱れ斬り
称号 中級冒険者 魔将殺し
職業 剣士
敏捷 160
魅力 102
総運値 0 幸運度 MAX 悪運度 MAX
状態 呪い(詳細不明)全属性半減
備考 協会指定案件6―129号にて生還
協会指定案件6―130号にて生還
協会指定案件6―131号にて生還
武器 ミスリルセイバー
防具 魔法障壁の籠手 神聖護布の上衣
疾風金剛のひざ当て バトルブーツ
その他 ウルガの腕輪
ステータス値を確認したザックスはクナ石を戻すと、エルメラ達とは正反対の方向へ歩き始めた。
「兄ちゃん、クエストを受けてくれないか?」
「パーティのメンバーを募集しています」
「ええい、武器はいらんかい、うちのは安くて頑丈だぜ」
「薬滋水のセット販売よ。混ぜ物は一切なしね!」
「創世神の御心のままにお祈りをさせてくださいませ……」
雑多な声と喧騒の充満する人ごみの中に踏み出したザックスの姿は、やがて溶け込み消えていく。そして、いそいそと日々の日課に明け暮れる自由都市に住む人々の一日は、静かに幕を開けていった。
――魂の継承者編 完 ――
2011/07/31 初稿
2013/11/23 改稿