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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚05章 ~狂乱の蛇神編~
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38 エピローグ 狂乱の蛇神~巫女の旅立ち

 水のように細かな粒子の砂が遥か彼方にまで広がるその海は、古より《幻砂海》と呼ばれている。

《大砂漠》西部に位置するその砂の海には、生き物の気配はなく、そこを通過できるのは、巨大なカメに引かれる《砂漠の民》の交易船のみだった。

 かつて《社》と呼ばれた建造物は、今ではカメ達の背から綺麗に取り払われている。身軽な様子で悠々と自在に砂漠を闊歩するその姿は、見えない古の悪しき呪いから解き放たれたあるがままの自然な姿だった。

 ただ、それに一役買った冒険者の一人が、既にこの世に存在せぬ事を知る者はない。

 交易に生きる砂漠の民は、日々の生活に追われ、広大な大砂漠は生きとし生ける者達に、試練という名の生きる厳しさをただ与え続けるだけだった。

 そんな砂漠の民の間に近頃、妙な噂が広がっていた。

『《幻砂海》で泳ぐ魚の群れを見た!』

 初めは誰もが笑っていたが、それを目にしたというものが徐々に増え始めていた。

 砂海といっても、所詮は砂。

 細かすぎる砂の粒の満ち溢れるその場所で、まともな生き物が生を謳歌できようはずもない。それが古からの砂漠の民の常識だった。

 生と死が同居する厳しい環境は、大陸のはるか南端に所在する凍てつく山々に匹敵する。

 照りつける日中とは対照的に、夜の砂漠は凍てつく場所である。


 そんなある日の夜の砂漠で――。


 防寒具をしっかりと着こんで《操作士》席に座った男は、長年の相棒に声をかけた。

「おーい、カメゾー。今日はやけに荒れてるなあー」

 カメを操る笛の音に工夫を加えてみるものの、その効果は一向に現れない。

 時折何かにイラつくかのように身体を大きく揺すっては、穏やかな《幻砂海》の水面に大きな波紋を作っている。

「そんなにイライラするなよ。生きてりゃ、そのうち、いい事だってあらーな……」

 先日のカメカメレースでブリトバの一族が失脚して以来、彼らを支持していた男の一族もとばっちりを食い、交易で訪れる先々で何かと窮屈な日々が続いている。

『乗るカメを間違えたか……』

 敗者の側の誰かがぽつりとつぶやいた迷言は、非主流派となった部族の中で諦めたように囁かれている。

 幸い主流派を率いる新たな部族長は、砂漠の民たちの間の亀裂がこれ以上広がらぬよう、その心を砕いている。

 元来、砂漠の民は楽天的な部族である。

 時が経てばまた、かつてのように笑い合い、日々の諍いをカメカメレースで白黒決着せんとその技を競う事になるのだろう。


 その日の蒼月もまたぼんやりと輝いていた。

 夜の暗闇の中、遥か彼方まで広がる水平線を明るく照らし出す。

 生の気配のしない広大な世界。

 砂漠に伝わる様々な怪談は、そんな退屈な世界の中で日々を過ごす先達たちが思いついた退屈しのぎなのだろう。

 ふと、水平線上に何かが見えたような気がした。

 よく目をこらして見たものの、水面にさして変化はない。

 ほんのりと明るい月の光の中、遥か彼方から打ちよせる穏やかな波と、《幻砂海》を泳ぐカメの巨体が生み出す波がぶつかり合い、しぶきを上げるだけだった。

――やれやれ、疲れてるんだな、きっと……。

《ロクセ》についたら、うまい物でも食べてのんびりとしよう、そんな事を考えた矢先だった。

 はるか前方で巨大な水音が響いた。

「な、なんだ……」

 荒れる海面。

 ぼんやりとした月明かりだけでは何がなんだか分からない。

 カメゾーが泳ぎを止め、威嚇するように大きく吠えた。

 初めて聞くカメゾーの声に背後の交易船の中から、次々に一族の者達が現れる。

「どうした、どうした?」

 甲板上に顔を並べる一族の者達に答える術を、《操作士》席の男が持ち合わせるはずもない。

 誰もが不安気に闇の中を見る中、一人の男が大声をあげた。

「なんだ、ありゃ?」

 指差された方向にはただ暗闇のみが広がる。

 やがて、一人の女が気づいた。

「は、柱が立ってるわ」

 水面上に起立する巨大な柱状のなにか。こちらからはるか離れたその場所に、あまりにも巨大すぎるそれが、壁のように立ちはだかっていた。

「た、倒れるぞ……」

「大波が来る!」

 巨大な柱がしなりとともに海面に叩きつけられる。それはまるで生物の尾の動きのようだった。

 巨大な横波を受け、交易船が大きく傾いた。何人かが暗い海面に投げ出された。

 カメゾーが再び吠える。甲羅全体が熱くなりつつある事に《操作士》席の男が気づいた。

 海面が盛り上がり、何かが現れる。

 動く島のように見えるそれは、途方もない大きさの何かだった。

「ゲ、ゲヘルベイノ……」

 甲板に残された誰かがぽつりとつぶやいた。

 それは遥か古、この地に破壊と殺りくをもたらしたと呼ばれる伝説、否、おとぎ話に現れる魔獣の名だった。

――そんなばかな……。

 混乱する一行をしり目に巨大な影は、悠々と暗い海の中へと消えて行く。

 荒れる海面の中に背びれのようなものが消え、辺りが元の静寂に包まれるのには暫しの時を要した。


 同時期……、大陸のあちらこちらで同じような巨大な影が現れては消えた。

『大疫災』の始まり。

 大陸中の人々がそう認識するようになるのは、まだしばらく先の話である。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「いよー、今宵も綺麗な月夜でー、ございっとー」

 閉店間際の酒場から出てきた一人の酔っ払いが、千鳥足で帰路につく。

 自由都市《アテレイヤ》。

 今年の春、そう呼ばれるようになったこの街は、近頃活気に満ち溢れている。

 昨年までは争いにつぐ争いで、人も街も何もかもが疲弊しきっていた。平和が訪れてからは急ピッチで復興が進んでいる。

 都市から離れて行った人々が戻りはじめ、自由都市となって更なる人が流入する。

 増える人口を目当てに、物資が集まり、景気の上昇が加速する。

 都市上層で醜い利権争いに興じる人々を尻目に、街で暮らす市民達は一時の好景気の恩恵を受けていた。

「夏もー、もう終わりだなー」

 なんとなく尿意を催し、壁に立ち小便をひっかけて用を足す。ぶるると身体を震わすと、酔っ払いは再び千鳥足で道を歩き出す。

 待ち人のいない部屋に戻って一眠りすれば、明日もまたいつもと変わらぬ労働の日々。

 数年も真面目に働けばそれなりの額も溜まり、やがては家族の一つも持つことができるに違いない。

 温かく穏やかな自分だけの居場所に帰る事。

 彼もまたそんな夢を見る者達の一人であり、今のこの街ならばそれは決して不可能ではないだろう。

 空にぼんやりとした光が浮かび上がる。

「おっつきさま、おっつきさまー、きょうも美人だねー」

 なんとなく何かが違うような気がするが、酔った頭にはどうでもいいことだった。

 ゆらゆらと揺れる世界の中、ふらふらと歩を進める。

 と、月明かりに照らされた人影が正面に見えた。

 女性のシルエットに見えた気がして、酔っ払いはふらふらと近づいていく。

「おーい、ねぇちゃん! どこ行くんだい? 夜道の一人歩きは危ないぞー」

 なんとなく好みの後ろ姿にどんな顔かと興味をそそられ、好奇心からその肩に手をかけようとした。

 と、目測を誤りバランスを失って、彼はその場に転がった。

 掴もうとした肩をすり抜けたように思えたのは、きっと気のせいだろう。

「痛ってーじゃねえかよ、コンチクショー!」

 酔っているせいか思うように身体に力が入らず、どうにか起き上がろうとバタバタもがく。

――そういやあ。

 子供の頃、転んだ己に手を差し伸べてくれた優しき母の姿が思い出された。

 その母も今はもういない。

 なんとなくじわりとした気分で、すぐ傍に立つ人影を見上げた。

 と、彼は驚愕する。

「かっ、母ーちゃん! いっ、生きてたのか!」

 数年前、内戦に巻き込まれて死んだはずの母の姿。

 身近な人の悲惨な末路を十分に悲しむ事も出来ずに、自身が生きのびるための苦難の日々が思い出された。

 立ち上がり思わず抱きつこうとした彼だったが、再び夜道に転がった。

――確かにその身体をすり抜けた。

 酔っている頭でも、それは理解できた。

 転んだままの姿でおそるおそる背後を振り向く。

 そこにはもう誰もいなかった。

 はっきりと見えていたはずの人影はどこにもない。

 訳も分からずすっかり酔いの覚めた頭で空を見上げた男は、そこにあり得ぬ物を見た。

「なんだよ……あれ……」

 空を見上げた男はその場に呆然と立ち尽くす。


 その日を境に、街のあちらこちらで同じような体験をする者達が現れはじめた……。


「おかあさん、おかあさん」

 開け放たれた窓から夜空を見上げていた子供が、隣室の母親の元へと走っていく。

「たいへん、たいへん、おそらにおっきなおあながあいてるよ!」

「はいはい、それはね……」

 子供の想像力は面白い。時に大人が思いもしない発見をする。大人の世界にありふれたものも、子供にかかれば未知の宝物に早変わり。その日見つけた宝物の正体はおそらく……。

「お月さまっていうのよ」

 だが母親の言葉に子供は懸命に首を振る。

「ちがうよ! 『おつきさま』っていうのはまぁるいけどデコボコしてて、あおくてまぶしいんだよ!」

 日によって違う見え方をする月は、子供の目には光の加減で大きな穴に見えたのだろう。

「はいはい、分かったから、さっさと寝なさい!」

「ほんとにあいてるんだってば!」

「こらぁー!」

 子育てとは駄々っ子との戦い。

 相変わらず寝るのが嫌で、今日も新たな駄々を思いついたのだろう。

 日々知恵をつけて成長する我が子の姿は嬉しいものだが、その大半は忍耐をもっての戦いである。

「さっさと寝ない悪い子は、ダンジョンからモンスターがやってきて、バクバクッと食べちゃうぞ!」

 敵もさるもの。

「いいもーん。そんなの『ましょうごろし』がやってきてぜーんぶやっつけちゃうんだから!」

 昼間遊んでいた友達とのダンジョンごっこで覚えた新しい言葉なのだろう。一向にベッドに入ろうとしない幼子に、母親権限をもって最終兵器を見せつける。

「『魔将殺し』? ふむ、そんなのこの炎弾ファイアーボールで『妾』が丸焼きにしてやろう!」

 指先に浮かべたのは昔取った杵柄ともいうべき光球弾ライティング

 少しばかりアレンジして炎のように見せる実用性皆無の小器用さを身につけたのは、冒険者をやめ、駄々っ子との戦いの中で身に付けた新たな母の境地だった。

「ウガー! ベッドに入らぬ悪い子はどこだー!」

 両手の指に光球を浮かべたその姿。気分は悪の大魔王。あるいは無敵のドラゴンか。

「ウワーン!」

 半泣きになってベッドに入った我が子の姿をしり目に、今夜も堂々、勝利の雄たけびを上げる。


 世界で一番強いのは母である!


 隣室でその光景を呆れたように眺める夫に、どうだとばかりに胸を張り、彼女は開け放たれた窓へと近づいた。

 既に宵の口を過ぎているはずだが、今日はなんとなく外の通りが騒がしい。

――そういえば。

 蒼く輝く蒼月が満ち足りる満月となる日は、一週間も前に過ぎたはずだった。何気なく彼女は夜空を見上げた。

 その顔色が変わる。

「何……、あれ……」

 夜空に浮かび上がったのは白くぼんやりと輝く文字通りの『穴』だった。

 蒼月に倍する大きさのそれは、夜空の真中に堂々と鎮座している。

 代わって、いつも夜空に主役のごとく君臨する月の姿は、半分程度に欠け、申し訳なさそうに西の空に浮かんでいた。

 すでに気づいている者も多いらしく、通りで空に浮かんだ穴を見上げて口々に何かを叫んでいる。

 ふと隣の建物の窓から身を乗り出している隣家の奥さんと目が合った。夫婦仲の悪いせいか近頃何かと愚痴をこぼし、その扱いに苦慮している。

「こんばんわ」

「ええ、こんばんわ」

「なんだか変わった月夜ですね」

「ええ、まるで夜空に浮かんだ穴みたい……おほほほ……」

「まあ、それは大変……おほほほ……」

「ところで奥さん、ウチの亭主ったらまた……」

 延々と続くその愚痴を聞くうちに、夜空に浮かんだ穴についての関心が薄れて行く。 愚痴を聞き終わる頃には、空に穴が開くことだってあるさ、とうんざりした気分で窓を閉めていた。


 その夜初めて現れた夜空の『穴』は、その日以降、毎夜、決まった時刻に現れては消えていった。

 大陸の至る所で同じように見える夜空の『穴』。

 初めのうちこそ人々の関心は注がれたものの、日々これといって代わり映えのしないその姿に、徐々にその関心は失われていった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ガンツ=ハミッシュの酒場――。

 ダンジョンで一攫千金を目指す多くの荒くれ者達が集い騒ぐはずのその場所は、近頃どことなく活気を失いつつあった。

 原因の一旦は己にある。

 店主にして酒場の共同経営者たるガンツは、それを自覚しているものの、自身ではどうしようもなかった。

 店主のその姿が店内の空気に波及するのだろう。陽気なはずの冒険者たちの表情にもどこか暗さが見え隠れする。

 小さくため息をつくと、引き出しの中にある古びた帳面を取り出した。

『未帰還者リスト』

 そう題された帳面をペラペラとめくっていく。

 そのリストに名を書き込むのは、協会から与えられた店主の義務であり、そのリストに赤い二重線を書き込んで項目を抹消する事は店主にとっての喜びであった。

 ところどころ赤と黒の二重線で消されているものの、大半は抹消されずに残っている。

 そのリストの最後の項目に一人の冒険者の名が記されていた。

《未帰還者氏名――ザックス》

 その名はこの店の主だった冒険者達にとって大きすぎる名であり、その名が未帰還者リストに登録される事はあまりにも重い事実だった。


 蛇族の里へのミッションに送りだした者達が帰ってきてから、既に三カ月近くが経とうとしていた。


 極秘ミッション未帰還者の捜索及び救助。

 拉致された神殿巫女の救出。

 神敵及び異端者の掃討、及びその際の神殿関係者への協力。

 未開遺跡の開拓と調査。

 その他複数項目。


 冒険者協会、最高神殿、そして獣人族総族長会議からミッションに協力した二つのパーティへ支払われた報酬の総額は莫大なものとなった。

 だが、それを喜んだものは誰一人としていなかった。

 帰還冒険者達からの報告を受けた神殿は、冒険者協会と連携し、驚くべき早さで人員を送りこみ、蛇族の里、及び《ラヴィロディオン》遺跡を調査した。わずかひと月足らずで《転移の門》が開かれ、《ラヴィロディオン》遺跡は自由都市からも自由に行き来できるようになった。

 教主を失った半獣人を中心とする邪教団は、創世神殿によって徹底的に弾圧され、もはや見る影もない。

 主導権を取り戻したはずの純粋種達は、支配権をめぐっての裏切りと内部抗争に明け暮れ、血で血を洗う同族殺しの日々を送っていた。

 神殿主導の元、獣人族総族長会議によって改めて送り込まれた精鋭達によって首府及びその周辺ではどうにか秩序回復が行われた。だがその過程で、獣人族間あるいは、半獣人族間の諍いから生じた無数の虐殺事件の存在は、歴史の闇に隠ぺいされることとなった。

 貧困と格差、そして同族への不信から首府郊外から里全域でついに内戦へと発展し、未だに解決の目途は立っていない。神殿が意図的にその解決を遅らせているというまことしやかな噂が流れるほどである。

 かつて六部族の一角を占めていた蛇族の権威は地に落ち、総族長会議の参加権までも失うこととなっていた。


 莫大な報酬を手にしたパーティの一つであるザックスのパーティの面々は、《ラヴィロディオン》遺跡へのルートが開通するや否や、再びそこを訪れ遺跡の調査と行方不明者の捜索を続けていた。

 リーダーのザックス、及び同行者であったマリナの行方は依然として不明であり、疲れ果てた様子で帰ってくるその姿に声をかけようとする者はいなかった。

《ペネロペイヤ》大神殿は、同行したマリナを無事に帰還させることのできなかった咎を責める事は一切なく、イリアを帰還させた事に対しての十分な報酬を支払い、労いの言葉が贈られた。

 捜索から帰還する度に、リーダー代行であるアルティナが大神殿へと報告へと向かい、目を赤くはらして帰ってくるその姿は酒場の空気をさらに重くした。

暇を見つけては、酒場に所属するいくつものパーティが遺跡を調査したものの手掛かりは得られず、いつしか諦めムードが蔓延しつつあった。


 めくっていた未帰還者リストをパタンと音を立てて閉じたガンツは、引き出しの奥へと無造作に放り込んだ。

 今朝も早くからアルティナ達は《ラヴィロディオン》遺跡へと向かっていた。また数日の時間を浪費してしまう事となるのだろう。

 そろそろ彼女達に引導を渡す事が、酒場の店主としてのガンツの使命だった。

 冒険者にとって、一攫千金と引き換えに、仲間のあるいは己の死はずっと身近なもの。その死はある時、唐突に訪れる。

 ついさっきまで話をして笑っていた者が一瞬にして肉片と化す。

 周囲がその死にざまを目の当たりにしているのならば、まだよい。

 ちょっとした脇道ではぐれてしまった仲間がいつまでたっても合流しない。


 一日、二日経ち、一週間経ち、一月経ち、一年経つ。


 その死の瞬間を目の当たりにしないからこそ、いつまでもその死に縛られる。

 その凄絶な現実に耐えられずに数多の冒険者達が廃業していった。

 ガンツ自身も同じ。

――将来、大物になるに違いない。

 そんな風に期待した冒険者が、あるいはパーティが、ある日唐突に戻ってこなくなり、死亡や全滅の報が届けられる。

 この仕事について、そのような事はもはや数え切れなかった。否、むしろ当たり前だった。

 あのウルガでさえ、例外たりえなかった。

 仲間の死をいつまでも引きずれば、やがては己が、あるいは別の誰かがその死に引きずられる。

『奴は死んだ。もう諦めろ!』

 その言葉はリーダーを失ったザックスのパーティの面々にだけでなく、ガンツ自身への引導でもある。

『いかなる者も特別にはなれない』

 分かっていても、それでも期待させてしまう何かがザックスにはあった。だからこそ、いつまでも踏ん切りをつける事が出来ぬのだろう。

――帰ってきたら話をしよう。

 それはこの世界に身を置いた年長者としての彼の役割であった。


 日付がそろそろ変わろうとしていた。

 店内の照明から徐々に光源が落とされ、いつもなら酒場に集う冒険者達の多くが席を立ちはじめ、それぞれの寝床へと赴かんとする時刻だった。

 ただ、その日はなぜか席にとどまる者達が多かった。

 活気を失いながらもなんとなくざわつく空気は、いつもとは違う何かが起きる予感をそこにいた者達に感じさせたのかもしれない。

 ガンツ自身も同じ。

 これをよからぬ胸騒ぎとでもいうのだろうか?

 カウンターを出て店内を回る。特に変わった様子はない。

 一階席で飲んだくれている冒険者達も、どこか落ち着かないように見えた。

 二階席へと続く階段を上がろうとしたその時、深夜を示す大時計の鐘が鳴った。

 聞き慣れたはずの鐘の音が妙に大きく店内に響き、誰もが動きを止めた。

 しんと静まり返る店内。

 時が止まったかのような空気の中で誰かが小さく笑った。徐々にそれが周囲へと広がっていく。

「何、びびってんだよ!」

「うるせえ。お前だって顔がひきつってたじゃねえか」

「この前やられそうになったときみたいだったわよ!」

 店内にざわめきが戻り始めた。

 何事もなかった事に胸をなでおろし、ガンツは階段を登り始めた。

 と、中程で足が止まった。二階席の空気に異変を感じた。

 ガンツの店の誇る荒くれ者達。その視線が二階席の一点へと注がれていた。

 視線を送るその先にあるのは、二階の最奥、今は欠番になっている一番席。

 ガンツの許しなくしては決して座れない、それ以前に、二階席の荒くれ者達が決して近づくことを許さぬその場所。

 それはこの店の冒険者たちの誇りの場所でもある。

 そこに一つの人影があった。

 円卓のソファにだらりと身を預けるように座った男は、漆黒の騎士甲冑を纏っていた。

 整った顔立ちに涼しげな目もとのその男は、確かにかつてその場所に座る事を許された者達の一人だった。

 かつてと全く変わらぬ様子でくつろぐその姿。失われたはずの時間が一瞬、戻ってきたかのようだった。

 しかし、それはもはやあり得ぬことだった。

 かつて彼の名は未帰還者リストに載せられ、およそ一年前に黒の二重線で抹消された。

 それはこの店の多くの者達の周知の事実だった。

 なにげなく男が周囲を見回した。階段の中程にいたガンツと目が合った。

かつてと何一つ変わらぬその整った顔立ちに、不器用な笑みが懐かしそうに浮かんだ。

 男が立ち上がる。

 すらりとした長身。左腰にはザックスと同じように大太刀を釣っていた。

 男が歩き始めた。

 ゆったりとしたテンポで一歩一歩踏み出していく。甲冑のかすれる金属音と見た目以上の重さを感じさせるずんとした足音が床板に響く。

 彼がいたころとは全く様変わりしている店内の様子を、物珍しそうに見回しながらゆったりと歩を進める。

「待て!」

 二階席の冒険者達が立ち上がり、男の行く手を遮った。

 男は足を止めた。

 武器を手に殺気立つ冒険者達。魔導士達までもが詠唱準備に入っている。

 涼しげな顔のまま足を止めた男は、冒険者達の顔を一人一人眺めて行く。

 小さく首をかしげた。

「知らぬ顔ばかりだ……」

 男が小さくつぶやいた。一つ溜息をつくとさらに口を開く。

「道を開けてくれるか? 懐かしい友人に挨拶をしたいんでな……」

 この状況で、はいそうですかと要求が通るはずもない。殺気立つ荒くれ者達を適当にあしらわんかとするその態度に、周囲の怒気が強まった。

「寝言、言ってんじゃねえ!」

「どこから、現れやがった?」

「ガンツ=ハミッシュの二階席に無断で足を踏み入れて、唯で済むと思ってんじゃねえだろうな」

 取り囲む殺気立った冒険者達を、男は意に介さない。

「ここじゃ冒険者同志の諍いはご法度だったはずだろ? ガンツの奴、しつけがなってないみたいだな。それとも……年か?」

 おどけるような男の言葉。彼がこの店のルールを知る者である事に誰もが戸惑った。

 だが、彼らは動かない、否、動けない。目の前の存在が冒険者である自分達にとっては敵であるという事を本能的に理解している所以だった。

「昔と違って随分と雰囲気のいい店だというのに……。壊してしまうのは心もとないが仕方ないか……」

 言葉の意味に誰もが緊張する。男の様子は変わらない。ほんの一瞬で言葉を実行できるという事は誰の目にも明らかだった。

 一触即発。

 と、その空気に水が差された。

「よせ、その人に逆らうな!」

 二階二番席の前に立っていたのはこの店の顔であるバンガスだった。緊張した面持ちで愛斧を手にし、背後には彼の仲間達が同じく武器を手にして立っている。

「ほう、見覚えのある面だな……」

 男は無造作にバンガスに近づいた。己よりも少し背の高いバンガスの顔を懐かしそうに覗き込む。

「おう、誰かと思えば、やせっぽちのバンガスじゃないか! 随分と貫録がついたな、お前?」

「ラヴァン……さん……」

 誰もが唖然とする。ラヴァンと呼ばれた男は続けた。

「ひねくれ者のルメーユは元気か? よくいがみ合ってたよな、お前達……」

 冒険者達の視線が一斉に二番席に注がれる。魔法杖を手に顔色を変えたルメーユの姿がそこにあった。

 その顔を懐かしそうに眺めると、ラヴァンは再び口を開いた。

「行ってもいいか? 久しぶりに飲みたい酒があってな……」

 階段の中程に立っているガンツの方を顎で示した。

 ラヴァンに正対したままのバンガスがごくりと唾を呑みこんだ。誰もがバンガスに視線を送る。背後から声が響いた。

「一つだけ、お尋ねしてもよろしいですか?」

 尋ねたのはルメーユだった。ラヴァンが小さく頷いた。

「今の貴方は誰なのですか?」

 ルメーユの問いにラヴァンはわずかに戸惑いの表情を浮かべた後で、小さく微笑んだ。意味を理解したのだろう。

「俺は冒険者ラヴァンさ。お前たちのよく知る……な」

 彼が《剣の魔将》エイルスと呼ばれる存在となった事は、この店ならず冒険者協会でも周知の事実だった。そして件の存在はウルガ達に倒され死んだはずであり、彼を討伐した者達は《魔将殺し》の称号を得ていた。

 バンガスに視線を送ったルメーユが一つ頷いた。それを合図にバンガスが口を開いた。

「道を開けろ。通してやれ」

 店の顔であるバンガスの言葉に従い、荒くれ者達がしぶしぶ道を開ける。否、開けざるを得なかった。ラヴァンの前では自分達は敵になりえないと、彼らは本能的に理解していた。

 ラヴァンが再び歩を進める。ゆったりとしたその足音のみがシンと静まりかえった店内に響き渡る。

 二階席を横断し、階段へと足を踏み入れる。

 相変わらずのテンポで階段を下りると、中程に立ちつくしていたガンツの前に立った。

「久しぶりだな、ガンツ、少し老けたか?」

「うるせえ、こっちはボンクラどもを相手に毎日忙しさで目が回りそうなんだ。で、一体全体……、今時分に何の用だ?」

 ガンツの問いにラヴァンは肩をすくめた。

「おいおい、ここは酒場じゃないのか。酒場でやることといったら唯一つ、酒を飲む事だろう?」

 グラスを持つ仕草をして見せる。緊張気味だったガンツの顔に小さな笑みが浮かんだ。

「ふん、まあいい。ついて来い。ところで……、カネはあるのか?」

「ツケといてくれ」

「そうやってとうとう踏み倒されちまったのは……、気のせいか?」

「どうせダントンの奴が支払ったんだろ?」

「まあな……」

 二人が並んで階段を下りて行く。誰もがその様子を固唾をのんで見守っていた。


 カウンター席に座ったラヴァンの前にグラス入りのワインとボトルが置かれた。

 暫し水面を揺らした後で香りを楽しむかのような仕草をすると、ラヴァンはそのままグラスに口をつける。一口含むとグラスをおいた。

「随分とお上品な飲み方になったじゃねえか……」

 同じくグラスを手にしたガンツの問いにラヴァンは小さく笑う。

「人であることを捨てて一つ後悔したことがあるとすれば……、この酒の味が分かんなくなっちまった事だな……」

 ガンツはわずかに目を見張った。

 グラスを回し、揺れる水面の向こうにラヴァンは過ぎ去りし時の思い出を見ているようだった。

 その酒はかつての僚友であるウルガもまた愛飲した酒。

 大陸一の冒険者パーティには大した値段ではないが、新米冒険者パーティの懐事情には厳しすぎる。

 この店に来た時からそんな酒を二人は競うように飲んでは、ミッションへと出かけた。

『テメエら、酒代稼ぎのためだけに生きてんのか?』

 呆れたようなガンツの言葉を、二人が聞く耳を持とうはずもない。

 決してその酒が好きだったわけではない。

 辺境から飛び出してきた駆け出しの若者達に上品な部類の酒の味など分かろうはずもない。

 ただ、その酒の値段などものともしない冒険者であろう、と二人で見栄を張りあった結果だった。

 エルメラがカネにがめつくなったのは、きっとそのせいだろう。

 己の欲望に正直すぎる彼らが、冒険者として頭角を現すのは当然のことだった。

 グラスを持つラヴァンの顔に憂いはない。

 一口、また一口と味の分からぬ酒を思い出と一緒に味わっているようだった。

 二人はしばし無言で時を過ごす。店内の冒険者達はわずかにざわめきながらも、ガンツとラヴァンの会話に耳をすませていた。

「ところで……、随分と小洒落た店になったじゃないか……」

 一階席を見回したラヴァンは、皮肉気な笑みを浮かべた。

「不満か?」

「いや、大いに満足だね。あの頃から俺やエルメラは言ってたはずだぜ。店を大きくしたけりゃ、もっと気のきいた内装にしろってな。ウルガの奴は反対してたが……。昔からセンスがいまいちだったんだよな……アイツ」

「今風ってやつさ。冒険者共の趣向もどんどん変わっていくからな……」

「移り行くのが《現世うつしよ》って奴か……。おもねるなんて……らしくないな、アンタにしちゃ……」

「それでも変わらぬ物はきちんとってるつもりだがな……、俺も、この店も……いや……」

ガンツが小さくため息をつく。

「そのはずだったんだがな……」

 視線の先には空席のカウンター席。己の不運さゆえに、そこでよく頭を抱えていた一人の冒険者の姿を思い浮かべる。

 それを振り払うように小さく首を振る。

「聞いてもいいか?」

 ボトルを半分程度開けつつある眼前の冒険者にガンツは問うた。ラヴァンが首肯する。

「お前、死んだんじゃなかったのか?」

 ガンツの問いに周囲がざわめいた。ラヴァンが苦笑する。

「ああ、見事に出し抜かれたよ。おかげで随分と辛酸をなめる事になっちまった……」

「じゃあ、今のお前は何なんだ?」

「さあな、詳しい事は俺にもよく分からん。昔から小難しい事はエルメラとダントンの役割だったからな……。ただ……」

 ラヴァンは顔を上げ、ガンツを正視する。

「俺達のような存在に生き死にという概念はあまり意味がないらしい……」

「《魔将》ってやつにか……」

「《魔将》か……。まあ、そんなところだ……」

「じゃあ……」

 それを問う事はガンツですら憚られた。それでも問わずにはいられなかった。

「ウルガ達のした事に……、アイツの死に……意味はなかったのか?」

 店内の誰もがごくりと唾を飲み込んだ。時間が止まったように感じられる。ラヴァンが口を開いた。

「意味ならあったさ……。あいつらは自分たちなりに納得できたんだろう? 俺を倒すことで……」

 その表情にわずかに憂いが浮かんだ。

「報復に来たのか?」

 その問いに緊張が走った。ラヴァンは表情を緩めた。

「報復……? 一体、何に……、誰に対してだ?」

「いや……」

 意外な返事にガンツは言葉を失った。

「二人は冒険者を辞めたんだろう?」

 エルメラとダントンの事を指している事は明白だった。

「ああ……。よく分かったな」

「分かるさ。この店に奴らの気配はもう感じられない。それに随分と同じ時を過ごしたからな。奴らがどんな想いを秘め、どんな選択をするかって事くらいはな……」

 ラヴァンはグラスを傾ける。

「ウルガは戦士として死に、二人は新たな道を選んだ。冒険者としてのあいつらの物語はとうに終わっている。この先のそれに俺の出る幕はない。俺は所詮、止まった時の中に居続けるだけの存在だ……」

 ラヴァンの言葉に店内の空気がわずかに緩んだ。

「だが……」

 ラヴァンが小さく首をかしげた。フムと何かを考えるような仕草をする。やがてぽつりとつぶやいた。

「報復……か。確かにそう言えなくもないか……」

 その言葉に誰もがぎょっとする。ガンツの表情がわずかに険しくなる。

「一体、どういう意味だ?」

 ラヴァンが悪戯っぽく微笑んだ。

「なに……、今、この時……、俺がここに現れた理由さ」

「酒を飲みに来たんじゃなかったのか?」

「味がしないと分かってる酒をか……」

 二人の視線がぶつかった。先に視線を外したのはラヴァンの方だった。振り返り店内を見回した。

「奴はここにいるんだろう?」

「奴?」

「ウルガの後継者さ……」

「お前、どうしてそれを……、いや、それよりも……」

 ラヴァンの求める者はもうここいはいない。それを認める事はガンツにとっても苦痛であったわけだが……。

 ラヴァンが続けた。

「ウルガなら……そうしたはずだ。あの戦いは俺とウルガ個人の戦いではなかったからな……。俺たちの決着はまだついていない。それにあの男、あれも只者じゃなかった……」

 記憶の中に残る駆け出し冒険者の姿。彼から感じられた異様な力は、戦いの中でラヴァンに何かを感じさせた。

「アイツは、ザックスは……負けた……」

 絞り出すようにガンツは事実を告げる。店内が重い空気に包まれた。

 ラヴァンが眉を潜める。

「負けた……? どういう事だ?」

「アイツは戻ってこなかった……。さらわれた神殿巫女を救いだし、仇敵――《杯の魔将》ヒュディウスと決着をつけるべく異界とやらに飛び込んだその先から……」

「成程……そういう事か……」

 ボトルの酒を継ぎ足し、ラヴァンはその表情を緩めた。

「アイツは……、死んだんだ……」

 吐き出すようにガンツがつぶやいた。己に、そして酒場にいる冒険者達全てに言い聞かせんとするかのように……。

 ガンツのつぶやきに店内がざわめいた。

 ある者はその言葉を酒とともに飲みこみ、ある者はそれを否定せんとテーブルにジョッキを叩きつける。

 彼を知る誰もがその受け入れ難い事実に葛藤していた。

 ざわめきは小さくなりやがて沈黙が訪れた。訪れた静寂は店内の時を凍りつかせる。

一人、グラスを煽ったラヴァンは、そっとカウンターにそれを置き、ぽつりとつぶやいた。

「生きているぞ、奴は……」

 誰もがぎょっとした表情を浮かべてカウンターを注視する。ガンツの表情に厳しさが増した。

「どういう事だ……、ラヴァン?」

「言葉通りの意味さ。奴は生きている。《杯》の……つまり、仇敵とやらを打ち倒してな……」

「それは本当なのか?」

 思わずカウンターに身を乗り出し、詰め寄るかのようにガンツは尋ねた。

「落ち着け……、らしくないぞ、ガンツ。年か……?」

 苦笑いしながらラヴァンが続けた。

「直接その場を目にしたわけじゃない……。ただ《杯》の奴が死んだことで、俺は閉ざされた世界から解放され、こうしてここで酒を飲んでいる」

 店内がどよめいた。誰もがラヴァンの次の言葉を待った。

「《揺らぎの世界》、その場所で勝利し力尽きた奴のことを助けよう――そう考えた物好きどもがいたようだ。まあ、何らかの思惑あってのことだろうが……」

 ごくりとガンツが唾を飲み込んだ。

「俺に感じ取れたのは、その場所から奴らが何らかの方法で《現世うつしよ》に奴を送った事だけだ。死んだはずのウルガの気配とともにな……」

「本当に生きてるのか? だったら、どうしてアイツは戻ってこない! もう三ヶ月近くも経つんだぞ!」

 ガンツの問いは店にいる者達全ての問いである。唯一の答えを持つラヴァンの一挙手一投足に注目が注がれた。

「これは、推測でしかないんだがな……」

 手の中のグラスを揺らしながらラヴァンは続けた。

「《現世うつしよ》と《揺らぎの世界》の時の流れは違う……。奴が送られたその先が必ずしも今、この時とは限らない……」

「おい……」

「時を自在に操れる者など存在しない。いや、もし、それができるとしたらそれは……、世界で唯一無二にして絶対の存在だけだろう」

 ガンツはこめかみを押さえた。一介の酒場の主人には理解不能な問題である。

 ザックスの運の悪さここに極まれり、といったところだった。

「ともあれ……だ。奴はいずれこの場所に再び現れるだろう。そして……、ここからが本題だ」

 それまでラヴァンの表情の中にあったわずかな柔らかさが消えた。代わりにその全身から抑えつけられた殺気が漏れ始める。

 店内の冒険者達が一斉に立ち上がり、身体を緊張させた。

 今、店内にいる者達が一斉に飛びかかってもおそらく勝ち目はない。それでも《剣の魔将》が抑えこんだ殺気は、冒険者達の闘争本能を強烈に揺さぶった。カウンター席のラヴァンは、背後の様子を意に介さない。まっすぐにガンツを見据え、口を開いた。

「戻ったら奴に伝えてくれ。《無限の果て》にて『貴様ら』を待つ。次こそ、真なる決着を……、とな……」

 突然の《剣の魔将》からのリターンマッチの申し込みに、店内が大きくどよめいた。

 最後の一杯を飲み干すとラヴァンは立ち上がった。

「邪魔したな、ガンツ……。長生きしろよ……」

「ラヴァン……、お前……」

「安心しろ……、俺がここに現れる事は……、もう二度とない……」

 今生の別れであることを意味していた。

 ラヴァンの姿が徐々に薄れ始め、輪郭がぼやけていく。

「うまかったぜ……、じゃあな……」

 その言葉を最後にラヴァンの姿は忽然とその場から消え去った。その場にいた全ての者達に、彼が人でない者であることを改めて知らしめた。

「ラヴァン……」

――何がうまかった、だ。もう味なんて分からん癖に……。

 一方的に言いたい事を言って去っていく、昔と変わらぬ相変わらずの身勝手さが、懐かしく、そして切なかった。

 ふとカウンターの上に視線を留める。彼が飲みほしたボトルの隣に宝石が一つ置かれていた。

 飲んでいた酒の代金とは全く釣り合わぬ高価なそれに、かつての友の胸の内を推し量る。

――バカ野郎が……。テメエこそ、らしくねえんだよ。

 宝石を手にしたガンツに冒険者達の視線が集まっている事に気づいた。一つ大きく深呼吸をする。

「聞いてのとおりだ。奴は……、ザックスは必ず戻ってくる!」

 おお、と歓声がどよめいた。喜びの声が店内にあふれたのは久しぶりだった。

 一人の冒険者が慌てて店を飛び出した。遺跡の探索へと向かったアルティナ達へと知らせに行ったのだろう。

「今夜は俺の奢りだ。店の酒、全部飲み干してしまえ!」

 ガンツの宣言に店内が湧いた。

 それは活気の消えかけたガンツ=ハミッシュに携わる人々が、再び立ち上がるための儀式である。

 既に夜半を過ぎているにもかかわらず、希望を見出した冒険者達は大騒ぎを始め、その宴は翌朝まで続いたのだった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 それから、およそ一月後、冬支度前の書き入れ時……。


『一人の《魔将》を打ち倒し、別の《魔将》にケンカを売られた悪運豊かな冒険者』

 そんな話題も後押しして、ガンツ=ハミッシュの店内は大いに賑わっていた。

 店の扉はひっきりなしに開閉され、冒険者達のパーティが出入りする。

 店員たちは狭いホールを縦横無尽に走り回り、歓声に怒声、その他様々な声が響き渡る、そんなある日のことだった。


 一人の新米冒険者が活気づいた店の前に現れ、緊張した面持ちでその店の看板を見上げた。

 その姿とあり方は他のいかなる冒険者とも異なるものだった。

 白い鉢巻きを締めたその姿は、自らが選んだ『戦い』の決意の証。

 大きく深呼吸を一つして、『よしっ』と気合を入れると、重い扉を押し開けた。

 見慣れぬその姿に活気づいていた店内が、一気に静まり返った。

 混雑した店内にいた冒険者達が、たった一人の小柄な新米冒険者の為に次々に道を開ける。

 一瞬、驚いた表情を浮かべたものの、周囲にぺこりと頭を下げ、緊張した面持ちのまま、歩を進める。


 まだ、幼さが残るものの将来性を感じさせる整った顔立ち。

 ピンと伸びた背筋とその優雅な物腰は、彼女が育った厳格な環境で培われたものだった。

 かつて豊かにのびていた銀髪は、肩口で綺麗に切りそろえられ、小ぶりのウサ耳がぴょこりと飛び出している。

 背負ったのは銀の魔法弓。

 そして見慣れぬ戦装束は、やがて『戦巫女』とよばれるようになる彼女のトレードマークとなっていく。


 正面を見据え堂々と胸を張って現れた彼女をカウンターで出迎えた無愛想な店主は、彼女に名を問うた。

 シンと静まりかえった空気の中、新米冒険者となった彼女は、大きく澄んだ声で、そこにいるすべての者達にはっきりと宣言した。


「イリア……、神殿巫女イリアです。失くした大切なものを取り戻すために……、私は……、冒険者になります」



 ――狂乱の蛇神編 完――



2018/04/09 初稿



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