30 イリア、立ち向かう!
《封邪の塔》。
《忘れられた遺跡》の外れにあるその三角塔の名を、その場所に初めて訪れたザックスとその仲間たちが知る事は無い。勿論、それがいかなる目的によって、その場所に存在するかということもまた同じである。
バンガス達一行と合流したザックスは、何者かが開け放ったままの扉を通って塔内に侵入し、マリナの言に従ってその最上階を目指していた。
小さいながらも不気味な振動に揺れるその内部は、冒険者にとってはおなじみのダンジョンであったが、上にいくほど狭くなっていくはずのその場所は、階をすすめるごとに広さを増していくように感じられた。
途中、上級冒険者達には物足りぬモンスターたちを蹴散らす彼らの前に、幹部クラスの蛇族の若者達が障害となって立ちはだかった。多少てこずりはしたものの、イリア救出という目的に燃える冒険者達の前では、さほどの脅威とすらなりえなかった。
相変わらずの異常な思考とその言動を、秩序の中に身をおく冒険者達が理解する事は不可能であり、蛇族という種族への嫌悪感のみを助長させた。
最上階の間へと続く扉の前で全員の無事を確かめた彼らは、意を決しその向こうへと侵入する。
開かれた扉の向こうに、ダンジョン内で凶悪なボスモンスターが待ち受ける大広間とは比べ物にならぬ緊迫感を感じ取った。
冒険者達の本能を刺激する危険と闘争の臭いが充満するその場所に、二つのパーティのリーダーであるザックスとバンガスを先頭に、冒険者達は一気になだれ込んだ。扉の外側からは想像だにつかぬ広大な空間内にあったのは、ゆっくりと矛を収めんとする五つの巨大な蛇の頭とボロボロになって力なく横たわる一人の男の姿だった。
「おい、おっさん!」
仮面が外れた良く知る者のその姿を一目見て、ザックス達は慌ててかけよろうとした。
不意に眼前に光の輝きが現れた。予期せぬ事態に冒険者達は武器を手に誰もが身構えた。
現れた光は、人型となっていく。
「イリア!」
眩しいシルエットに最初に駆け寄ったのはマリナだった。
呼びかけに応じるかのようにシルエットは求める少女の姿をとる。連れ去られた時と同じ巫女服姿の少女の肢体を、マリナは折れんばかりに強く抱きしめた。
「イリア、よく無事で……」
「姉様……、義父様が……」
抱き合う巫女姉妹に再会の喜びをかみしめる余裕はなかった。
手をつないだままの二人は急ぎ倒れたライアットの元へとかけつけ、その周囲を警戒するように冒険者達が取り囲んだ。
「マリナさん、おっさんの状態はどうだ?」
イリアに視線を向けたザックスは、周囲を警戒しつつも尋ねる。
「大丈夫、ひどい状態ではありますが息はあります。イリア、手伝ってください」
「はい、姉様」
ザックスとわずかに視線を合わせると、すぐにイリアはライアットの介抱を始めた。レンディもそれに力を貸す。
「ザックス、どうしたもんかな、この状況?」
義父を必死に介抱する少しやせ気味の少女の背をじっと見守っていたザックスだったが、すぐに彼はリーダーとしての役割に引き戻された。
先頭に立つバンガスとルメーユの傍らに立ち、少し離れた場所で沈黙を保ったまま立ちつくす若い男へと視線をやる。
黒地に金の縁取りの法衣を着たその男の容姿から蛇族の半獣人であることは理解できる。状況から考えれば、この男こそが事態の中心人物なのだろう。
「彼との戦闘は……、あまりお勧めできないようですね……」
周囲をぐるりと見回して、ルメーユが溜息混じりに言う。
がらんと広がる石畳の上に持ち主を失って力なく転がる二つの仮面と武器。ボロボロになったライアットの姿を重ね合わせ、そこで何があったかは容易に想像がついた。
隠れ里で圧倒的な力量を見せつけた異端審問官たちの無残な結末に誰もが言葉を失っていた。
まともな冒険者ならば、早々に撤退するだろう。否、それ以外に選択肢は無かった。眼前の男が黙ってそれを見逃してくれればの話ではあるが……。
少し離れた場所に立つその男は、ライアットを介抱する冒険者達の姿を黙って見つめている。
否、同じ場所に立ちながら、遥か高みから見下ろしていたといった方が正しいだろう。
その気分一つでザックス達の運命は決まる――そのような意思と疑いない状況がひしひしと感じ取れた。
「イリアさん……、あの男について知っている事を教えていただけますか?」
ルメーユが背後を振り返り少女に問う。介抱の手をとめるとイリアは立ち上がり振り返った。
己から目をそらし、無言のまま立ちつくすアシェイトルを警戒するザックスに視線を合わせたその顔に、ほんのわずかな微笑みが浮かぶ。
すぐにそれを消すとルメーユに視線を移し、イリアは自身が見聞きした事柄を彼らに簡潔に伝えた。
アシェイトルという名の蛇族の総族長と《首府》の大神殿内での様々な出来事、そして兎族総族長の老人の使命とその別れ。
その内容に冒険者達の顔色が変わる。
「おい、ちょっと待て、じゃあ、あいつは手にした訳のわからん力で『世界』なんてもんに復讐しようってのかよ……これから」
荒唐無稽な事態に、バンガスが理解不能とばかりに呆れたような声を上げる。その傍らでルメーユの表情はいつになく厳しかった。誰もが沈黙する。心情的には皆バンガスと似たようなものだろう。
「ザックス……」
アルティナが、クロルが、そして周囲の誰もが不安げに彼を見つめていた。
同行者も含めて一人一人の顔を見回した後で、ザックスは立ちつくす男へと視線を移す。
全くの無表情でこちらを見下ろすように眺めるその男の考える事は窺い知れない。
『世界』などという、膨大であいまいすぎるものに復讐しようというその思惑も、今のザックスには理解できなかった。
とはいえ冒険者の身にあまりある事態に放り込まれるのは、彼にとって当然の事。わずかな逡巡の後で、ザックスは最優先すべき己の行動原理を思い出した。
「イリア、この一連の事態を裏で操っているのは、ヒュディウスで間違いないんだな?」
少女に背をむけたザックスは彼女に尋ねた。
『遅くなってゴメン』
『もう大丈夫だ』
『一緒に《ペネロペイヤ》に帰ろう』
本当にかけたい言葉はもっと別のものだった。
少女へのいたわりや気遣いの言葉は、仲間たちの命運を握るリーダーとしての今の彼には許されなかった。
「はい、そうです。間違いありません」
わずかな沈黙の後で、少女のしっかりした返答がザックスの背を押した。進むべき道は決まっていた。
一つ大きく深呼吸をすると、ザックスはルメーユに問うた。
「ルメーユさん、こういうとき普通の冒険者なら、即時撤退だよな?」
「そうですね……。無謀かつ無益な戦いばかりしていては命がいくつあっても足りませんからね」
肩をすくめたルメーユがバンガスと顔を見合わせる。
「じゃあ、悪いけど、おっさんとイリアとマリナさんを連れて、ここから撤退してくれないか?」
「君たちはどうするんです?」
ザックスは背後を振り返る。
アルティナが、クロルが、そしてリュウガが小さく頷いた。皆考える事は同じらしい。
正面を向き直り、ザックスは小さく笑った。
「オレ達はここに残る。あいつとケリをつけなきゃなんないからな。まあ、その前に大仕事をしなきゃならないみたいだけどな」
背後で小さく息を呑む音が聞こえた。バンガスとルメーユが顔を見合わせる。
「……無茶です」
しぼりだすように小さな声が聞こえた。
「無茶です。ザックス様。あの方の力はすでに……。義父さまたちだって……」
審問官と教主との激しい戦闘を一人傍観していた少女の言葉は決して的外れではなかった。むしろ正しい判断といえる。
「そうだな、イリア、オレもそう思うよ……少しだけ……だけどな……」
振り返らずにザックスは答える。
「だったら、どうして……」
無謀な戦いに身を投じようとするその背をひきとめる言葉を、イリアは必死で探す。彼女もまた、本当にかけたい言葉は別のものだったはずだ。
己を心配してくれる彼女にうまく心情を伝える言葉が見つからず、ザックスは小さく歯ぎしりする。そんな彼の気持ちを読みとるかのように、合いの手が入った。
「イリア、私達はね、あいつから逃げられないの、絶対に……」
アルティナがザックスの傍らに立つ。
「今度こそ、決着をつけなきゃいけないんだ。ラフィーナの為にも……」
クロルがそれに続く。
「万全の準備が叶った頃には、敵ははるか手の届かぬ所にいってしまっているものだ」
愛槍を片手にリュウガが前に進み出る。
仲間たちの言葉に背を押され、ザックスは振り返ってイリアと視線を合わせた。少し痩せたように見える彼女と、ようやく正面から向き合えたような気がした。
「例え、どんな状況だったとしても、それをあいつが仕組んだのならオレ達は逃げられない。初めて出会って以来、あいつのやる事はいつも、結局はオレ達に跳ね返ってくる。現に……」
暫し言葉を止め、イリアを見つめる。
「あいつはバカネコを使ってオレの大切なものをまた一つ奪い取ろうとした。この先、同じ事が絶対にないとは言い切れない。だから……」
一瞬、ザックスの両腕の小手がゆらりと炎をあげたようにイリアには見えた。
「ここで、決着をつける。あいつのまいた種をことごとく刈り取ってな」
「ザックス……様……」
良く知るはずの彼が……、すぐそばにいるはずの彼が……、どこか遠くにいるかのような錯覚をイリアは覚えた。
不安げな表情を浮かべるイリアに初めて小さく微笑むとザックスは背を向ける。
その背に思わず手をのばそうとしたイリアだったが、その行為を止めた。
「じゃあ、バンガス、悪いけどあとは頼んだぜ……」
パーティの先頭に立ったザックスは、教祖である若い男――アシェイトルと対峙する。
冒険者達を前に平然としたその姿は、決してハッタリではないのだろう。
どちらかといえば凡庸な印象の風体ではありながら、その纏う空気は尋常ではなかった。
――まったく、嫌になってくんな。
これも悪運度の賜物ってやつかよ、と小さく愚痴りながらも《千薙の太刀》の柄に手を掛ける。
不意にザックスの隣に大きな影が進み出た。
「……たく、仕方ねえな」
自慢の巨大な愛斧を手にしたのはバンガスだった。振り返ればその後ろで彼の仲間達が戦闘準備に入っている。
「お、おい、ちょっと待てよ。何、考えてんだよ」
「うるせえ!」
慌てるザックスをバンガスが一睨みする。
「ル、ルメーユさん……ここは撤退だろ?」
「ええ、そうですよ……『普通』の冒険者だったらですけどね」
凝った装飾の長めの魔法杖に持ち替えたルメーユは飄々と答える。レンディとブラッドンまでもが、その選択が当然のような顔をしていた。
「残念ですけれどね、君はすっかり忘れているようですが、我々もまた普通の冒険者じゃないんですよ、ザックス君」
悪戯っぽくルメーユは笑った。
へっ、と首をかしげるザックスに彼は続けた。
「私達バンガスのパーティは、これでも二階席の筆頭に座り、ガンツ=ハミッシュの看板を背負ったウルガの後継とみなされていますからね」
「テメエら下っ端のペーペーとは背負ってるモンが違うんだよ!」
バンガスが誇らしげに言う。レンディが続けた
「そういう冒険者はね、こういう状況では、自分と仲間の命をチップにかけてでも逃げ出すわけにはいかないのよ。因果な商売よね……冒険者……って」
「そういう訳ですからザックス君、どうやらここはまた共闘という事でよろしくお願いしますよ」
小さく片目をつぶってルメーユが笑った。
どうしていいか分からず振り返ったその先では、アルティナが「もう、あきらめなさい」というような顔をしている。
「オッケー、分かったよ。じゃあ、オレ達の足、引っ張んじゃねえぞ、バンガス!」
「おいコラ、誰に物言ってやがる。テメエらとは修羅場の数が違うんだ。舐めんじゃねえ!」
相変わらずの二人のやり取りに仲間達が顔を見合わせる。そんな中でルメーユが背後を振り返った。
「すみませんね、そういう訳で我々はこれから大仕事にかかりますんで、お三方の護衛と脱出の方、お任せしますね、シュリーシャさん」
「やーよ!」
シュリーシャまでもがぷいっとふくれっ面で答える。えっ、とばかりに一同が振り返った。
ブラッドンと同じく、いつのまにか武器を《斧槍》に持ち替えたシュリーシャは、既に戦闘準備を終え、らんらんと目を輝かせている。
「アタシをいったい誰だと思ってんの! アンタといいウチのといい、全く男の魔導士ってのは、どいつもこいつも口と計算ばかりが先に立って!」
「ええっと……、シュリーシャ……さん?」
珍しくルメーユが困惑の表情を浮かべている。
「そりゃ、この状況で三人の安全確保ってのがセオリーなのは分かるけどね、こんな冒険者好みのおいしい状況で、はいそうですかってそんな物分かりいい女じゃないのよ、アタシ。大体ね、ここですたこらさっさと逃げ出せば、普通の冒険者ってことになるじゃない、このアタシがっ! 冗談じゃないってのよ!」
「いえ、その……、そこをなんとか……」
「お黙りなさい!」
ビシッとシュリーシャに指差され、ルメーユは気圧された。
「いいこと、アンタ! アタシが戦うっていったら、戦うの! んでもって、そこのアホ教主の首根っこフン縛って、無茶なクエスト押しつけた総族長会議のジジイ共に叩きつけ、死んだ奴らの分もたっぷりと追加報酬ふんだくって豪遊しなきゃいけないのっ! 分かってる? そこんトコッ!」
そういえば事の起こりは彼女を含めた獣人冒険者達による暗殺部隊のクエスト失敗からだった、という事を一同はようやく思い出す。言っている事は無茶苦茶だが、冒険者としての生者と死者へのシュリーシャなりのけじめのつけ方なのだという事にザックスは気づいた。
追加報酬の取り分についてはブラッドンにも権利があるはずでは、などという些細なツッコミをそっと胸にしまって……。
感情論で突っ走り、理屈の成り立たぬ相手にすっかり言葉を失ってしまったルメーユの肩を、レンディがポンと叩いた。
「彼女の勝ちよ、あきらめなさい、ルメーユ。それに……あちらの方々もこの場を離れるつもりはないみたいよ」
少し厳しい表情へと変わったレンディの視線の先には、大けがからどうにか回復したライアットとつき従う二人の神殿巫女の姿があった。
「怪我はいいのかよ、おっさん」
ザックスの問いにライアットは一つ頷いた。かぶっていた憤怒の仮面を再びつけるつもりはないようだった。
ボロボロの装備はそのままに、傷一つない《輝く大盾》を手にしてしっかりと己の足で立ち上がるとザックスを見据える。
「若いの、相手は一筋縄ではいかんぞ」
「ああ、分かってるよ……頭じゃな……」
多分、今の彼の想像以上の現実にさらされるであろうことは、もはや悪運度MAXの冒険者には至極当たり前のことである。
その事を周囲の者達までもが諦め顔で納得しているのは、非常に心外ではあったが……。
「マリナさん達はどうするつもりだよ」
最高神殿から送られた異端審問官としてライアットがこの状況から退けないのは理解できる。しかし、そのことにマリナとイリアを巻き込む事は納得できなかった。
だが、ライアットは彼女達を振り返る事なく非情にも宣言する。
「二人にはこのまま付き合ってもらうことになる、神殿巫女として……な」
「ちょっと待てよ、おっさん!」
眉ひとつ動かさずに告げるライアットの決定に、ザックスは異議を唱えようとした。
「いいんです、ザックスさん」
「マリナさんまで……」
ザックスを制止するマリナ。傍らに立つイリアとは対照的にその瞳に迷いはない。
対して今のイリアには明らかに迷いがあった。曇りがちな顔に如何にか笑顔を貼り付けようとするものの、神殿巫女として己を誇り、明るく振る舞う常日頃の姿からは程遠い。
突如として神殿から連れ去られ、神殿の威光の及ばぬ地において過酷な現実と理想の差を見せつけられ、心に迷いが生まれるのは当然のことだろう。
今の彼女には、身も心も休息が必要なはずだった。
最も近しいはずの二人がその事に気づかぬはずはない。
繋いだマリナの手を握りしめたまま少女はじっと下を向く。この状況で自身が再び足手まといになりかねぬ事に、賢明な彼女が気づかぬはずはない。
つないだままの小さな手を両手でそっと包むとマリナは続けた。
「イリア、あちらの大神殿に行ったと言いましたね?」
「はい」
目を伏せたままイリアは答えた。
正気とは思えぬ蛇族の人々、薄気味の悪い集会の様子、そして老人の安全を図るための取引に失敗したこと。様々な出来事が胸をよぎる。自身が神殿巫女として正しく振る舞えなかった――そんなことまでをも思い出し、表情が曇る。
「ではあなたもあの惨状の中で、私達の同志ともいうべき、神殿関係者や信者たちの身に何が起きたかという事に気づいているはずです」
はっとイリアは顔を上げた。
自身の過酷な運命をも顧みず、神殿巫女としての誇りとともに洗礼の間を封じ守った名も知らぬ巫女たちの事を思い出す。
「人は創世神の前において皆等しく幸福であり、そこに生まれも育ちも関わりない。その理想の体現者である私達創世神に仕える者は、それを踏みにじるものに対し、断固とした意思を示さねばなりません」
目の前にいるのは優しい姉貴分ではなく、眩しい先輩神殿巫女だった。
心の中にあった様々な葛藤や迷いが一瞬にして霧散していく。
「私もまた……、逃げるわけにはいかないのですね」
表情にわずかに明るさをとりもどしたイリアにマリナは微笑んだ。
「イリア、創世神に与えられた貴方の過酷な試練も直に終わります。その前にもうひと踏ん張りです。それが終わったら、ここにいる皆さんとともに胸を張って《ペネロペイヤ》に帰りましょう。皆が貴女の無事な帰還を心待ちにしているのですから……」
「はい、姉様」
繋いだ手から伝わる温もりが少女を勇気づける。
高神官として決して表情を緩める事のない義父。
己を迎えにはるばるやってきてくれたザックスとその協力者たち。
連れ去られ孤独と不安な日々を過ごした自分が、一人ぼっちでは無い事を実感する。
そして、今、この瞬間、己が神殿巫女としての本来の役割と覚悟を問われていることをも。
「例え、この場で倒れる事になったとしても、皆さんと一緒なら私は平気です」
無力さをかみしめ、ただ逃げまわることしか出来なかったこれまでとは違う。それでも何ができるかは分からないが、今できる事を全力で……。それが自分の意思なのだとイリアは決意する。
「違うわ、イリア!」
アルティナがそんなイリアの言葉を否定した。
「一度、戦いの場に立ったら負けるなんて考えちゃダメ。石にかじりついてでも眼前の敵に勝つ事にこだわるの。それが冒険者よ!」
「は、はい!」
周囲の冒険者達を見回せば、誰もが厳しい表情ながらも小さく微笑んでいる。
圧倒的に不利な状況でありながらも、自分たちの未来を信じている者たちの顔だった。己に背を向けたままのザックスもまた同じ顔をしているのだろう。
一つ大きく深呼吸をしたイリアは、わずかに彼女らしい微笑みを取り戻し、少し離れた場所からじっとこちらを見ているアシェイトルと視線を合わせた。
――よいのですね?
――はい、ここから先の行動は私の意思です!
言葉にはせぬものの、互いの考えは伝わったようにイリアには思えた。彼に老人との大切な約束を違えさせる事に、少しだけ胸が痛む。しかし、イリアにもまた譲れないものがある。
――あの人もこんな気持ちだったんだろうか?
自分との約束を平気で反故にし、振り回され続けた獅子猫族の男の仏頂面を思い出す。彼にもまた、譲れないものがあったのだろうという事に気づいた。そして、眼前に立ちはだかるアシェイトルにも……。
「姉様、あの方は……」
けれども、それ以上は言葉にできなかった。否、してはならなかった。
『あの方は決して悪い人ではないのだ』
そんな弁護はもはや何の意味もなさない。
――分かっています、イリア。
繋いだマリナの手の温もりがイリアにそう告げる。
「それじゃあ……、始めようか」
先頭に立ったザックスが《千薙の太刀》を抜き放った。きらりと光る太刀の刀身の輝きを目にした冒険者達の空気が変わった。そして対峙するアシェイトルのそれもまた変わる。
禍々しい力が解放され、五つの蛇の頭と巨大な尾が姿を現した。
かつて、遭遇した事のない凶悪なモンスターを前に、冒険者達はひるむことなく敢然と立ち向かっていった。
2017/09/18 初稿