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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚05章 ~狂乱の蛇神編~
143/157

25 ティナティナ、キメる!

――何なのよ、これは!

 眼前でおきている事態にレヴェラは戦慄していた。


 前族長の指導のもと、蛇族を父に、人間族を母に持ち、半獣人として生まれた身は、純粋種である事にこだわりすぎるほどにこだわる蛇族内では息苦しかった。

 常に自らより弱い者、地位の低い者を虐げることでアイデンティティを構築する。浅ましい社会構造の中で身を守るには、女であることを武器として、時に血を流し傷つきながらも他者を出し抜かねばならなかった。

 やがてたどり着いたのは、自らに似た境遇の者達の集団だった。

 男女問わず半獣人の若者達が集い、身を寄せ合う中で過ごす日々。

 初めは居心地の良さを感じたそこにも、やがて強者弱者のヒエラルキーが生まれ拡大していく。

 結局のところ、人の生み出す温もりを知らず、他者を貶めるやり方しか知らぬ者達が集まったところで、優しさごっこはすぐにメッキが剥がれ、自らの身に刻まれた浅ましさを他者にぶつけるのが関の山だった。

 そんな中で指導者的立場であった一人の若者が、古の文献から古い神の伝承を発掘した。

 蛇族内では半獣人と蔑まれ、神殿の威を笠に着る神官達には背教者と罵られ、鞭打たれる者もいた。

 でっち上げだと言われようとも、自らの安住の場所が欲しくて、彼女はその身を異端なる古の神にささげた。

『我らが偉大なる蛇神に捧ぐ、我こそは正統なる御使いなり』

 言葉と同時に己が身に突き立てた刃は、その身体を侵食する。数日の苦しみの後、彼女はどうにか神の与えたもうた試練を乗り越えていた。そして、彼女は他の誰にも持ちえぬ力が己の身に備わっている事に気付いた。

『貴女は我らが神に選ばれたのです』

 司教となった若者に、生まれて初めてその存在と力を認められた彼女は有頂天になった。その神が作り物、紛い物の類いかもしれぬことなど、どうでもよかった。

 やがて純粋種を軽く凌駕する力を備えた若者達の集団は、小さな反乱を起こした。

 有力者とその子弟を次々に闇打ちし、それを対立する派閥の仕業として、罪をなすりつける。もともと猜疑心の強い蛇族内で内部闘争が拡大するのはすぐだった。

 半獣人だけでなく、弱者の立場にあった純粋種達をも受け入れ、拡大する邪教集団の魔の手は、ついに創世神殿に及んだ。

 力の裏付けさえあれば『偽物』は『本物』へと容易に変わる。あるいはなり代わる。

 それが真実であることを彼らは身をもって証明した。

 禁忌を犯して得た力によって、さらなる禁忌をおかし、そしてより大きな力を求めて、さらなる禁忌を犯す。


――もっと、もっと……。

――さらに、そして、さらに……。


 時が経つうちに、司教の側近の一人となっていた彼女に向けられる視線は、恐怖そのものとなった。

 非力で蔑まれる側ではなく、畏怖され恐怖され、その庇護を求める者達が列をなす快感。

 いつしか彼女はそんな快楽にどっぷりとつかる日々を送っていた。


 だからこそ、眼前の事態は、彼女にとって容認できぬものだった。

 たしかに暗殺部隊との交戦で、冒険者として圧倒的なスキルや魔法の威力を見せ付けた者はいた。その被害も決して小さくはなく、幹部の数人は打ち取られた。

 圧倒的な力を持つ暗殺部隊が自分達に向けたのは蔑みの視線であり、それらを踏みつけて蹂躙し、己の足の下で恐怖の表情を浮かべて命乞いする様はとても痛快だった。

 だが、眼前に現れた者達は己に恐怖を感じるどころか蔑みもしない。自分の存在を歯牙にもかけていない。冷笑や嘲笑とは全く異なる感情から生まれる笑みを浮かべ、示した圧倒的な力以上の何かで、彼らはつながっているように見えた。

 そんな彼らに彼女は密かに恐怖した。

――彼らは私が決して手に入れる事のできぬ圧倒的な何かを持っている。

 その正体不明な何かに今の己の力が全く叶わぬ事を本能的に悟り、彼女は心底恐怖した。

――もっと力を高めねば。

 さらなる力を求め、さらなる禁忌を犯す。

 己の力を高めるための唯一の手段を行使する対象は、すぐ身近にあった。

「た、助けてくれ、レヴェラさん。お、俺はまだ死にたくねえ」

変化へんげ》を解き、身体の一部を凍らせた男が自分の元へと這いずってくる。

「仕方ないわね、こちらへいらっしゃい」

 ニセモノの微笑みを顔に張り付け、半人半蛇の姿でそっと手を広げ、男をその腕の中に迎え入れる。

「もう大丈夫、貴方を助けて差し上げましょう」

 安心した表情を浮かべた男を引き寄せ、互いの唇をそっと合わせた。

 暫しの心地よさに陶酔する男の顔が苦しみに変わる。苦悶する表情とそれを与えた事が自分である事に、レヴェラは恍惚感を覚えた。

「あ、あんた……、一体、何を……」

 全てを言葉にする事なく、男の全身が硬直し、瞬時に石化する。

「素敵な表情だから、少し惜しいわね」

 恐怖の表情のまま、石化したその身体を持ち上げ石床にたたきつける。

 その身体が一瞬にして砕け散り、結晶が浮かび上がった。それを素早く手にして、口に含む。ぬるりとした口腔内でかみ砕きごくりと飲み込んだ。

「我らが偉大なる蛇神に捧ぐ、我こそは正統なる御使いなり」

 それは幾度も口にした禁忌の味。そして、行為を肯定し、罪深き身を正当化する魔法の呪文。

 そしてその効果はすぐに発揮された。

 全身が熱を持ち、体中を力が駆け巡る。

「くっくっくっ、あっはっはっは……。もっともっとよ!、私はもっと強くなる!」

 体内からあふれるどす黒い力はさらに膨れ上がり、半身半蛇の彼女の外見を変えていく。その髪は真っ白になり、無数の蛇へと変化した。

 肩口に黒々と広がっていた傷跡はすっかり回復し、代わりに長く伸びた両手の爪が真っ黒に染まった。蛇と化した下半身を包むうろこの先も黒ずみ、ぬるりとした液体に包まれる

 そしてさらなる変化がその背に起きる。

「あっ、ああっ……」

 背から全身へと走る激痛に、レヴェラは恍惚の表情を浮かべ、嬌声をあげてもだえる。

 めりめりと不気味な音を立てて、背に生えたのは新たな二対の腕だった。

「ふふっ、私は新たな力を手に入れた。でもまだ足りない。だからあんた達もさらなる私の糧となりなさい」

 すでに引き返せぬラインを越えてしまったレヴェラは、今や邪教の生み出した完全なるモンスターと化していた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「女の欲ってのは……ホントに怖いわね……」

 その光景を目の当たりにしみじみと呟くシュリーシャの傍らで、アルティナはそっと首肯する。

 自らの仲間すらも平然と殺し、その力を己のものとする。むしろ、その事を喜びにすら感じているようだった。倫理のタガが完全に外れたその姿は、獣人族という範疇すら軽々と飛び越え、モンスターそのものだった。

――獣鬼化だったかしら。

 ダンジョン内のモンスターの力と《亜竜の森》に住み着いた狩人達のずる賢さを併せ持つ、最悪の敵といえるかもしれない。

「こっちも少し、相手を舐めてたわね」

 その言葉にアルティナは再び首肯する。

 これまで数多の強敵と戦ってきたものの、戦闘中に眼前で爆発的に戦闘力を増加させた敵など皆無だった。

 その力の増加具合は冒険者流にいえば《転職クラスチェンジ》したといったところだろう。

《亜竜の森》で散々、己の常識の壁を打ち砕く現実に触れてきたつもりだったが、ここにきて己の見積もりの甘さゆえに、さらなる危機を呼び込んでしまった。

「で、どうするのティナティナ、逃げるなら急いだ方がいいわよ」

 背後の氷漬けになった扉を指差し、シュリーシャは微笑んだ。

 氷漬けの扉を解凍し、扉を開いて向こう側からもう一度氷漬けにする。

 敵も案山子ではないだろうから、まず時間的に無理だろう。例え成功したとしても相手の力量が不明な以上、氷漬けにした扉ごと力技で突破される事もありうる。

 背後に一旦目をやると、アルティナはシュリーシャに微笑み返した。

「進退極まった冒険者がとる道は只一つ。前進するのみでしょう、シュリーシャさん?」

「正解よ、ティナティナ。アンタ、見かけによらず、タフそうね」

「それはきっと仲間のせいです」

 その言葉にふーんとシュリーシャが意味ありげに笑う。

アルティナにしてみれば、『私に任せろ』と堂々と宣言した以上、あっさり尻尾を巻いて逃げ出すのは余りに恰好が悪すぎる。

 といって無様に負けて、醜い躯になってその姿を仲間達の前にさらすのは、女として許せない。

 ゆえにとりうる道は只一つ。

「「勝って先へ進め!」」

 二人の女冒険者の声が重なった。

「で、勝算はあるの?」

 シュリーシャの問いにアルティナが一つ首肯する。

「少し、時間が欲しいのですが……。それと……」

 アルティナがシュリーシャに近づき、耳打ちする。その提案にシュリーシャは思わず目を見張る。

「できるの、そんな事?」

「はい、タイミングだけが問題です」

「了解、了解。じゃあその役目、お任せさせてもらいましょう」

 シュリーシャは楽しそうに言うと前方へ歩き始めた。回廊の中央部に咲いた氷の華を越えたところで立ち止る。戦闘領域はもう少し先である。

 身体の内側からあふれる力に恍惚とした表情を浮かべてとぐろを巻くレヴェラの前に立つと、手にした《短槍》を無造作に下げる。

「随分とオシャレしたわね。最近の流行りじゃないけど……」

「あらあら、力を得た私の輝くような美しさに嫉妬なさっておいでなのですか?」

「嫉妬なんかしてないわ。美しさなんて人それぞれ。アタシが一番輝いてれば、他人が どんなカッコしてても気にしないってのが、粋な女の流儀ってものよ。人目ばかり気にして流行に振り回され、人とおんなじカッコで満足してる三流の女なんて、見ててとっても恥ずかしいわ。そういう奴らに限って、足を引っ張って陰口叩くのがせいぜいなんだけどね」

「同意するわね。でも、そんな醜い有象無象共がいてこそ、一番が輝くってのは御存知?」

「ええ、よく知ってるわ。おかげでいつも嫉妬されて足引っ張られる側だもの」

「そう、じゃあ、今までの私は足を引っ張る側だったのかしら。でも今の私は違うわ。足を引っ張られる側になったもの……って、引っ張られる足は無かったわね、今の私」

 半人半蛇の六本の腕を持つラミアと化した姿でレヴェラは肩をすくめた。

「そう、じゃあ同じ足を引っ張られる者同士、仲良くしない?」

「それは、無理。だって私の一番を脅かしそうだもの……貴女達」

 剣呑な笑みを浮かべ、アルティナに視線を送るレヴェラにシュリーシャは肩をすくめた。

「言われてみればそうね、一番は二人も三人もいらないわ!」

「そう、だから仲良しごっこはもうおしまい!」

 瞬間的に殺気が膨れ上がる。

 三対の両腕を交互に、さらに巨大な尾を振りぬいた。シュリーシャが消えたその場所に、爪がバラバラと突き刺さり、少し遅れて無数のうろこが石床に突き刺さる。硬い石床がどろりと溶けた。

 少し離れたところへ飛び下がったシュリーシャは、その様子を冷静に観察する。

「毒つきの飛び道具ってわけね。正確さは今一つ。ただし、当たれば相当なハンデになる。カッコ悪いわね。毒なんて性格の歪んだ陰気な女が使うものよ」

「何言ってるの、この毒は貴女がくれたんじゃない。この槍と一緒に……。返した方がいいかしら?」

 女が手にしていたのは、前回の戦いでシュリーシャが彼女の身体に突き刺した《短槍》だった。六本の腕の血管が黒く浮き上がり、徐々に指先へと移っていく。時が経つにつれその爪が再び長く伸び始めた。同時に禿げた鱗の部分がまた黒く覆われていく。再生能力によって時間が立てば、また同じ攻撃が使えるようだった。

 しばし、首をかしげた後で、シュリーシャは首を横に振る。

「記憶にないわね。都合の悪い事は綺麗に忘れ去るのがいい女の特権なの……」

「じゃあ、その特権、奪いとってあげる」

 レヴェラが《短槍》を手に襲いかかる。扱いは全くの素人だったが、突然振り回される毒尾の存在で、間合いを容易に詰める事が出来ない。

 ちっと一つ舌打ちすると、一撃離脱で態勢を入れ替え、距離をとる。

 再び襲いかかるレヴェラの攻撃を華麗にかわし、すれ違いざまの一撃と同時に、再び距離をとる。

 巨体をうまく扱いきれていない彼女の攻撃後の硬化時間をうまく利用して、先手を取るが、与えられるダメージは今一つだった。

 敏捷性とスキルの数では有利であるが攻撃力と回復力ではレヴェラに分があった。

 数度の攻防の後で、互いに距離をとるとレヴェラが問うた。

「ねえ、あれ、いつになったらやるの?」

「あれって、何?」

「ほら、この間、貴女素敵な変身したじゃない。金色に輝いて、炎を背負ってるみたいにさ」

 おそらく獣戦士化の事を言っているのだろう。

「ほめられてうれしいんだけど、御免なさい。あれ、とっても疲れるから、今日はやらない事にしてるの。後々の事もあるし……」

「ふーん、戦闘後の事を考えてる余裕があるんだ。気に入らないわね、それって私に勝つってことでしょ? 私、もしかし舐められてる?」

「そんな事ないわ。アンタは十分に脅威よ」

「じゃあ、どうして全力出してくれないのよ?」

――全力ってのも、色々あるんだけどね……。

 中級クラス以上の冒険者で、強敵と当って苦戦した経験を持つものならば、誰もが理解できる事である。

 相手に合わせず自分の戦闘スタイルだけにこだわるのは所詮下策。

 状況に応じて戦術を変え、敵をしとめるための最も効果的な戦術を模索する。

 上級クラスの冒険者程度の力を持ちながら、全く闘いのセオリーを知らぬその言葉。

 この敵は、姿こそそう見えるが、モンスターではない。

 例えて言うなら、金で経験値を買いあさり、高価な武具で身を固めたヘタレ冒険者といったところだろうか。

 潜在能力こそ高いものの戦略眼に乏しく、今のレヴェラの意識から、アルティナの存在は消えているだろう。ぎりぎりの場面での場数と経験が圧倒的に足りなかった。

とはいえ、その潜在力は絶対に侮れない。

 そこそこの修羅場は経験しているようで、戦闘の勘どころも少しずつ掴んできている。

 時とともに、得た力を使いこなすようになるのは時間の問題。心に余裕を持ち始め、戦闘が長引けば長引くほど、不利になるのは明らかだった。

 そして今、組んでいるのは近接型のブラッドンではなく、遠距離攻撃の得意なアルティナである。

 シュリーシャの役割は、『相手の全力を出させずに勝つ』という強敵との戦闘のセオリーに忠実に従い、時間稼ぎと相手を消耗させることだった。

 不意に後方で一つパチンと指を鳴らす音がした。

 アルティナの準備が整ったらしい。その場にそっと屈みこみ、ブーツの汚れをふき取るふりをしながら砕けた石床の石粉を一掴み握った。

 さらにもう一芝居打つべく、シュリーシャは挑発する。

「まあ、気にしないでよ。強い者が勝ち、弱い者が負けるのが世の理って奴よ。強いから私が勝ち、弱いアンタは負けて身を滅ぼす。それだけのこと……」

「じゃあ、その認識改めてあげる、勝つのは私よ!」

 レヴェラが再生した左腕の爪を飛ばす。

 素早くそれをかわしたシュリーシャが前に出たところを、時間差で右の爪がとんだ。

短槍を回転させて、それを打ち払い、前進する。

 ブンという鈍い音ともに振り回される尾を素早く飛び上がってかわし、さらに強引に前へ。

 至近距離にまで迫った瞬間、《石化魔眼》を発動すべく一瞬、その動きが止まった。

手にした石粉を顔面に投げつける。思わぬ奇襲に右手で顔を押さえて暴れ始めた。

「どう、全力出さなくたって勝てるでしょ?」

「このアマ、よくもやりやがったな!」

「またキャラが変わっちゃってるわよ。いい女はいつだってエレガントに振る舞わなきゃ!」

 後退しながら挑発するシュリーシャをレヴェラはしゃにむに追い回す。まだ視界がクリアにならぬはずだが、ジグザグに後退するシュリーシャを、レヴェラは正確に追いかけていた。

――ふーん、《蛇の眼》ってやつね。

 暗闇でも正確に獲物の位置を把握する蛇特有の能力。目の前の蛇女にはそんな力もあるようだ

「ティナティナ。気をつけて、こいつ、見えなくても見えてるわよ」

 背後のアルティナに警告しつつ、彼女は回廊の中央部に咲く氷の華のそばを通過する。左手で両眼を押さえたままのレヴェラがそれに続く。

 その長い胴体が回廊の中間点を通った瞬間、反転したシュリーシャは背後のレヴェラに襲いかかり、まだ完全に回復していないその両眼を再び《短槍》で薙いだ。

 突然の奇襲にレヴェラが絶叫を上げてその場をのたうちまわる。

 そのままアルティナのいる場所とは反対側の通路の出口へと退避する。

 アルティナとシュリーシャ。

 二人の視線が交錯する。それが交代の合図となった。

 アルティナがパチンと指を鳴らすと、氷の華がさらに巨大化し、回廊を完全に塞ぐ氷壁と化した。

 氷壁を挟んでアルティナとレヴェラ、そして反対側にシュリーシャが位置する。氷壁に阻まれてもはや、シュリーシャは戦闘に参加する事は出来なくなっていた。

 悲鳴を上げるレヴェラの巨大な尾がやみくもに振り回され、周囲に毒液がまき散らされる。だが、アルティナのいる場所にまでは届かない。

「よくもやってくれたね!」

 どうにか両眼の傷を再生させながらも、レヴェラの視界は、まだぼんやりしている。

《蛇の目》の能力を使ってシュリーシャの位置を如何にか掴んだレヴェラは、怒りにまかせて襲いかかった。だが、厚い氷壁がそれを阻み、レヴェラを跳ね返した。

 氷壁に張り付き、ずるずると崩れ落ちるその姿とアルティナの造り出した氷壁の頑丈さに、シュリーシャは思わず口笛をふく。

 激突の痛みからどうにか回復したレヴェラは、憎悪の矛先を《蛇の目》でとらえたアルティナに向ける。

「よくも、この美しい私を……。バラバラに引き裂いてやる!」

 三対の腕の爪と《短槍》を武器に、レヴェラはアルティナに襲いかかろうと前進した。

 その状況にアルティナが動じる事はない。

 控えめな口もとから生まれた言霊がこぼれ落ち、涼やかな声がそれを謡いあげる。

「氷雪よ。涼風と交わりて、凍てつく氷室と化せ。生きとし生ける全てを凍てつかせよ!」

 アルティナを中心にして冷気が渦と化し広がっていく。足元の床が凍りつき始めると、周囲を急激に侵食していく。

 冷気の渦に巻き込まれかけ、レヴェラは慌ててとぐろを巻いて六本の腕でガードした上半身を隠した。

 床から壁へ、そして柱から天井へ。天井部の大きな隙間すら氷壁で塞がれ、その場所は、一瞬のうちに氷の密室と化した。

《氷の回廊アイスバーン》の中にアルティナともども閉じ込められたレヴェラだったが、呪文の威力はレヴェラに大きく影響を及ぼしてはいないようだった。

「ふん、なんだい、只のはったりじゃないか、バカにしやがって!」

 とぐろを解くと、怒りにまかせ毒液を纏った鱗を飛ばそうとする。だが巨大な尾が振り回されただけで、毒鱗がアルティナに襲いかかる事は無かった。

――どういう事?

 あわてて己の身体を確かめると、下半身をぬるりと濡らしていた毒液が凍りかけていた。身体をねじると小さなひびが入り、もはや武器としては使えなかった。同様に両腕の爪も凍りつき、しばらく使い物にはならない。

 飛び道具を封じられるという思わぬ状況に置かれ、動揺したレヴェラは持っていた《短槍》をたのみに、無我夢中でアルティナに襲いかかる。

 再びアルティナが指を鳴らした。

 氷に覆われたレヴェラの足元から氷柱が現れ、その身体をとらえると空中に放りあげた。不意をつかれて投げ出されたレヴェラは、そのまま氷床にたたきつけられる。

「よ、よくも……」

 起き上がろうとしたところで、再び指が鳴る。

 足元から再び生まれた氷柱がレヴェラを放りあげ、さらに天井から生まれた氷柱がレヴェラに激突し、そのまま氷床に叩きつける。

 くらくらしながら起き上ったところで、左右の壁から生まれた氷柱の同時攻撃。呆気なく挟みつけられ、ぐうの音も出ぬところで、さらに足元からの攻撃。

 もはや、レヴェラになすすべはなかった。

 放り出され、叩きつけられ、挟みつけられ続けた彼女だったが、戦意はまだ喪失していなかった。

 執念を燃やし、憎悪と怨念を頼りに起き上がる。シュリーシャの事はとっくに頭から消えていた。少し離れた場所で、己に冷たい微笑を向けて悠然と佇む生意気なエルフ女への復讐だけで、頭がいっぱいだった。

 言葉では表現したりぬ怒りとともにレヴェラは器用に発動する氷柱の間をくぐりぬけながら、アルティナへと接近する。

 再び指の鳴る音ともに生まれる氷柱をうまくかわしながら彼女は、アルティナへ猛然と詰め寄った。

 何度か同じ攻撃を受けているうちに、身体がタイミングを覚えたようだった。

「いつまでも同じ手を食う訳ないだろ、バカ女!」

 その場から一歩も動こうとせぬアルティナめがけて《短槍》を振り上げる。

「これで、終わりだよ」

 その瞬間、アルティナが両手で指を鳴らした。彼女を中心に円筒形の氷壁が出現し、術者であるアルティナを守るように上方へと伸びた。

 突き出した《短槍》を氷柱に阻まれ、再びレヴェラは舌打ちする。氷壁の周囲をぐるりと回ってその隙間を探すものの、つけいる隙はない。腹立ち紛れに尾で叩きつけたもののびくともしなかった。氷壁の中のアルティナが涼しげに微笑んでいるのが気に入らなかった。

 二人を阻む氷壁を憎々しげに見上げたレヴェラだったが、ふと思わぬ発見をする。してやったりとにやりと笑みを浮かべる。

「お嬢ちゃん、残念だったね。今すぐそこに行ってあげるよ。逃げ道を失くしたアンタをゆっくりと嬲ってあげるからね」

 六本の腕と長い胴体を生かして、氷の円柱を螺旋状に上っていく。円柱の上部が開いている事に気付いた彼女は、そこから攻撃するつもりだった。

 ほとんど時間をかけずに頂上へとたどり着いた彼女は、円柱の底で逃げ場をなくして慌てた様子でこちらを見上げる獲物に、舌舐めずりする。

「好き勝手やってくれて、たっぷりとお返ししてあげるよ」

 手にした《短槍》を放り出し、凍りついた爪で獲物を引き裂くべく空洞内へと飛び込んだ。己の勝利を確信する。

 瞬間、凛とした声が円筒内に響いた。

「噛み砕け、氷狼の牙よ!」

 氷壁の内部に無数の氷のとげが螺旋状に生まれ、飛び込んだレヴェラの身体をズタズタに貫いた。

 氷の刃に貫かれ、切り裂かれたレヴェラは空洞内で宙づりになっていた。

 絶命してもおかしくなかったが、その意識はかろうじてまだ残っていた。

 毒で漆黒と化したその血液が周囲に飛び散って凍りつき、円筒内の冷気がさらにその表面を凍らせる。

 薄れゆく意識の中で鏡面と化した氷の表面に、彼女は初めて変化(へんげ)した己の姿を見た。

「なぁーんだ。やっぱり私が一番きれいじゃない」

 無意識に《石化魔眼》が発動する。鏡面に反射されたその力が彼女自身を捉え、その身体は石化していった。

 完全に石化したところで、その光景を下から見上げていたアルティナは、氷床を踵で一度打ち鳴らした。

「散れ!」

 瞬間、回廊内のすべての氷が細かく砕け散った。光の屈折によって氷の粒がきらきらと輝く幻想的な光景の中、石化したレヴェラもまた、マナの光となって消滅した。

 空中にふわりと浮かび上がったレヴェラの結晶は、一段と強い輝きを放ちながらどこかへと転送される。

 戦闘が終わり、回廊内は、先ほどの激闘が嘘のような静けさに包まれた。

 緊張が解け、ほんの一瞬ふらつきかけたアルティナだったが、如何にかその場に踏みとどまる。

 久しぶりに使った融合魔法は、前回のものよりも威力の小さい物であり、それ自体がかける付加はさほどでもなかった。

 だが、細かい集中力を要する連続攻撃とその発動のタイミングは、思った以上に彼女を消耗させていた。

バッグ》に手を突っ込み、《高級薬滋水》を取り出してそっと口に含む。

 一瓶飲み干す頃には、冷え切った身体に徐々に体温が戻り、消耗した力も回復しつつあった。

 戦闘を終えて一息つくアルティナに、シュリーシャが近付いた。

「お見事だったわね、ティナティナ」

 シュリーシャの中ですっかり定着してしまったその呼び名に、もう突っ込む気力はなかった。

「シュリーシャさんも、無理難題に応えてくださってありがとうございました」

「あのくらい上級冒険者なら当然、当然」

 余裕の表情とともにアルティナにウィンクする。

 とはいえ、シュリーシャから見てアルティナの実力は、すでに上級冒険者レベルの魔法職と比べてもそん色ないように思えた。

 先ほど一瞬見せたザックスの恐るべき剣技、そして幻といってもよい竜人族の戦士は、中級クラス以上の冒険者の凄みを持ちながらも、まだ見習い冒険者だという。そしてそんな彼らと堂々と渡り合うホビットの少年。

 このまま成長すれば、末恐ろしいパーティになるに違いない。あの大陸一と言われたウルガ達の後を引きつぐのはバンガス達ではなく彼らかもしれない。

――アタシ達も、うかうかしてられないわ。

 はるか離れた自由都市に放り出してきたのんき者の仲間達の顔を思い出す。

 付き合いも長いというのに、心配して迎えにも来ない薄情さはどうにも許せない。もし彼女が死んだとしても、報復に街一つ滅ぼしてくれるなどという事はまずないだろう。きっと口うるさいシュリーシャがいないのをいい事に、今頃存分に羽をのばしているに違いない。

――帰ったら仲間のあり方について、きっちりお説教しなきゃダメね、アイツらは。

 ふと床に転がったまま放置された《短槍》が目についた。それはシュリーシャがレヴェラに性質(タチ)の悪い毒とともに贈りつけたものだった。

 既に穂先も柄もボロボロになっている、長年愛用してきたなかなかの一品だったが、武器としての使命はとうに終えていた。

 それを右手にとると、その場に突き立てる。 

 突き立てた反動で、《短槍》はブーンと低い振動音で空気を揺らした。

 それは、躯一つ残さず消えさった強敵の為の墓標だった。

――もし、次の世界で出会う事があったなら……、今度は私達とパーティを組みましょう。

 人は死ねばその魂はこの世の果てへと赴き、創世神に定められた別の世界へと導かれる――それが創世神の教えである。

 神の教えなどというものをあまり信じてはいないシュリーシャだったが、それでもいつかまた出会えるのなら、そんな未来もよいと思えた。

「それじゃあ、バンガス達を呼びに行くわ」

「そうですね」

 一度、背後の扉を振り返ったアルティナだったが、すぐにシュリーシャと並んで歩こうとする。

「ちょっと、ちょっと……、ティナティナ。アンタが行くのはあっちでしょ?」

先ほどザックス達が消えた背後の扉を指差した。

「えっ、でも……」

 アルティナが戸惑いの表情を浮かべる。

 今の彼女は、先ほど強敵を前にして、一歩も動かずにその場でエレガントに勝利した実力派魔術士には見えない。

――ホントにバランスが悪いわね、この子たち。

 内心で、そんな事を考えながらも、シュリーシャは問う。

「行かなくていいの? 彼、待ってるわよ、きっと」

「ですが、ここでシュリーシャさんを一人にしても……」

「アタシは大丈夫。ティナティナのおかげで、結構楽させてもらったもの。向こうに合流するのはアタシ一人で十分。これでも冒険者の世界じゃ結構、名が売れてるのよ」

 勿論、彼女の名が売れているのは、その美貌と実力のせいだけではない。

 アルティナとしても一刻も早く、ザックス達に追い付きたいのは山々であるが、この場で戦力の分散はあまり良い事ではないと承知している。戸惑う彼女を前に、シュリーシャはにやりと人の悪い笑みを浮かべた。

「早く行っちゃいなさいよ、彼の事、気になるんでしょ?」

「なっ、何を……、言ってるんですか、シュリーシャさん! いい加減な事言うと怒りますよ! 私とザックスは……」

 すっかり動揺し、声が裏返って語るに落ちた事にも気付かぬアルティナを、シュリーシャは笑った。

「だーれもザッくんのことだって、一言も言ってないんだけどなあ……。クロっちやリュウリュウだって男の子でしょう?」

「なっ、なっ、なっ……」

 きめ細かい真っ白な肌を真っ赤に染めて、アルティナは言葉を失った。

「ティナティナ、アンタ達とさらわれたっていう巫女さんとがどんな関係か知らないけどね、好きな相手の幸せだけを願ってそっと身を引くなんてネクラな話、今時、流行らないわ。遠慮し合ってると横からズバッとかっさらわれるのが人生ってもの。たとえば、ほら、リナりんとかにね……。冒険と同じく、恋も闘い。退いたら負けよ!」

小さくウィンクするシュリーシャの言葉にアルティナはさらに赤面する。

「で、ですから……、私と彼はそういうのじゃなくって……」

「はいはい、じゃあ、行ってらっしゃーい!」

 強引に後ろを向かせ、女性らしい華奢な背中を軽く押しだした。押される勢いのまま歩み出したアルティナだったが、数歩歩いたところで足を止め、振り返る。

「べ、別にザックスの事が好きだからってわけじゃ、ないんですからね! シュリーシャさんに言われて仕方なくなんですから!」

「はいはーい、行ってらっしゃーい、ティナティナ!」

「ちゃんと聞いてください!」

「頑張ってねー」

 聞く耳持たずのシュリーシャの声援を受け、アルティナの姿が扉の向こうに消えていく。

 それを見送り、がらんとした回廊に只一人残されたシュリーシャは、来た道を引き返すべく歩きはじめた。

――まだまだこの先、長くなりそうね。

そんな予感とともに……。



2017/08/17 初稿



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