24 アルティナ、任される!
異端審問官達に遅れる事数時間、ザックス達は蛇族の里の中心部である《首府》へと向かっていた。
隠れ里から徒歩でおよそ半日、一本道のその場所に向かう一行に、もはや案内役は不要だった。
新たな指導者として主導権を握りつつあるトレイトンに別れを告げ、代わりにシュリーシャを加えた一同は急ぎ次の目的地へと向かう。
《首府》の大神殿へ――。
ライアットの残した言葉を信じ、一行は先を急いでいた。
高い城壁に囲まれた《首府》からは、無数の黒煙が上がっていた。
感情の赴くままに派手に壊された表門をくぐると火事場に特有の焦げ臭いにおいが充満していた。煙や炎に巻かれて逃げ遅れた者達の躯は放置され、闘争の巻き添えを免れた者達は物陰に隠れ、無数の視線が、一行に突き刺さる。
大神殿への道を尋ねようとすると誰もが一斉に逃げ出した。恐怖の表情を張り付けて逃げまどうその姿に、誰からともなく、苦笑いが浮かんだ。
「バンガス、いつも言っているでしょう。笑顔が大事だと……」
「お、俺のせいかよ……」
「只でさえ、図体が大きくて悪人面なんだから、気を付けなさいよね」
三人のやり取りに笑い声が弾け、巨漢の背が小さく丸まった。
誰もが冗談だと分かっており、その原因が自分達とは関係のない第三者の仕業であろうことは、一目了然だった。
「でも一体、誰がこんな事を? もしかして異端審問官達が……」
その意味する事に気付き、慌ててアルティナは口ごもる。その疑問に、ルメーユが答えた。
「いえ、おそらく彼らの仕業ではないでしょう」
「どうしてさ?」
クロルの問いにさらにルメーユは答えた。
「彼らは目的を果たすために必要最低限の事しかしていません。ただし、必要とあらば、どんなことでもする。この破壊の痕跡はそんな理性的な思考に基づく行動の結果というよりは、感情的な憂さ晴らしの色が強いようです。あくまでも推測ですが、私達と同じように戻ってこない仲間達の心配をして、はるばるやってきた者達がいたのではないでしょうか? そして、その結末を知って……」
誰もが沈黙する。
ブラッドン達の言を信じるならば、暗殺部隊の生き残りは彼とシュリーシャの二人だけ。そして逃げ出す事の出来なかった者達はおそらく無残な結末を迎えたはずだった。
例え上級冒険者とはいえ、人の子である。
遥か僻地にまで足を延ばして探し回るほどに大切な仲間を殺された者達の怒りは、相当な物だったはずだ。
「注意してください、みなさん。冒険者に対する蛇族の感情はもはや良い物とはなりえません。感情に任せて襲いかかってくることもありうるでしょうから、その時は……」
誰もがごくりと息をのむ。
「優先順位を間違えないようにしてください」
「優先順位って、一体、何の?」
首をかしげるザックスにルメーユは微笑んだ。
「我々が何のためにここに来たのか、そして、何を失ってはならないかという事をですよ、ザックス君」
「ああ、そういう事か。承知した。ルメーユさん」
その言葉には言葉以上に大きな重みが詰まっていた。それを察したらしく、なんとなく一同が沈み込む。
「じゃあ、もう無駄な笑顔は不要だな!」
重苦しい空気を払うかのように、バンガスが胸を張り、ルメーユが肩をすくめた。
「あのですねえ、バンガス。誰彼構わず喧嘩を売れって訳じゃないんですよ」
「なんだ、そうだったのか」
そのやり取りに一同から小さな笑いが漏れた。
只一人、マリナだけが微笑む事もなく、《首府》の惨憺たる光景に、眉をひそめ胸を痛めていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
一行はさらに先へと進む。
先導しているのは、一度ここに訪れたことのあるブラッドンとシュリーシャだった。
既にいつものゲン担ぎを始めているブラッドンに合わせるかのように、シュリーシャはその饒舌すぎる口を閉じ沈黙を保っている。体調をすっかり回復させたその全身から、湧き立つような闘志が感じられた。
総族長会議に報告の為、一人、帰還を勧めたブラッドンに「冗談じゃないわ、リベンジよ!」と言い放ち、彼女はザックス達に強引に合流した。ブラッドンと同じく『レベル47《聖騎士》』という実力も申し分なく、その加入は一同に歓迎された。ただ一人、なぜか渋い顔をしたブラッドンは、『人生、諦めが肝心か……』とぼやきたげに背を向けた。
何者かの破壊の爪痕をたどり、一同は大神殿へと急ぐ。
街の東西を横断する川にかかる橋を渡ったところで、一行は足をとめた。
大神殿――。
目的地であるその場所は威風堂々たる佇まいでありながら、荒廃した空気を漂わせていた。
その前で待ち受けていたのは、三人の黒衣の男達。
さらに周囲に武器を手にした数人の身なりの悪い者達が立っている。こちらに気づいたらしく、指を指して大声で叫んでいた。
「シュリーシャさん、あれですか?」
ルメーユの問いにシュリーシャは緊張した面持ちで首をかしげる。
「ちょうど、あんな感じだったわね。ただ、アタシ達が戦ったのはあんな根暗な色を好むようなヤツじゃなかったわ、性格の方は引ん曲がってたけど……」
そこまで言って「おっといけない……」と呟き、口を閉じる。
「けど、やりそうだな、あいつら」
バンガスの視線の先には黒衣の衣を着た三人の男達の姿があった。しばし、眉をひそめて彼らの様子を観察していたルメーユが口を開く。
「ザックス君、君達は隙を見て、先に行ってください」
「いいのかい、ルメーユさん」
「ここは私達だけで十分です」
「おいおい、いいのかよ」
バンガスのパーティと、ザックスのパーティが別行動をする事を提案するルメーユにバンガスが問う。
「相手の戦力が未知数である以上、最大の戦力をぶつける事こそセオリーですが、今は時間がありません。異端審問官が先行しているはずなのに、街全体から戦闘の緊張感があまり感じられない事も気になります」
彼らの圧倒的な力は隠れ里で目にしたとおりである。
「でも、ルメーユ、この場合、先行するのは私達のほうじゃない?」
レンディの問いにルメーユは微笑んだ。
「クナ石に表示される数値の総計がそのままパーティの力という訳ではありません。息の合った仲間の生み出す呼吸という数値では決して測れないものこそが結束したパーティの力です。今のザックス君達は、すでに二階席に座るパーティに勝るとも劣らぬように、私には思えます。何よりも彼らには大切な目的がある」
一同がしんと静まった。
「個人の資質のみに着目して、金に任せて戦力をかき集めたところで結果は知れたもの。所詮、それは卑しい成金の発想です。目的を持ち心を合わせた者同士が、互いを信頼し合い、足りぬところを補い合って同じ方向へと力を向けた時、その力は頭数の二倍にも三倍にもなる。ちょっとした冒険者ならば気付いて当たり前です」
古今東西、人間の真理に通じたその言葉は、暗殺部隊の無残な結末を皮肉ったようにも思えた。
「手早く片付けてと行きたいところですが、相手の戦力分析も行いますので、我々は少し遅れると思います」
「了解だよ、ルメーユさん」
アルティナ、クロル、リュウガ。
振り返った仲間達の顔に緊張の色は見られない。誰もが自信に満ちあふれた顔をしている。
「アタシ、ザックス君達について行くわ」
「正しい判断だと思います。彼らをお願いします」
シュリーシャの言葉に、一人緊張気味のマリナに一瞬視線を向けた後で、ルメーユが首を縦に振った。
「マリナ様、我々はここで暫し、別行動となります。どうか、お気をつけて」
「分かりました。皆さまの御武運を、そして再会できる事を心よりお祈り申し上げます」
神殿礼をするルメーユに、マリナが答礼した。
それを合図にバンガスのパーティが、敵を引きつけるために前進する。ふと、ルメーユが足をとめた。
「ああ、そうだ言い忘れていました、ザックス君、ザックス君」
手招きをする彼の微笑みに何やら、不穏な空気を感じ取る。
「なんだよ、ルメーユさん」
訝しげに近づいたザックスに、彼はそっと耳打ちした。
「イリアさんの事も大切ですが、くれぐれもマリナ様に怪我をさせないでくださいね」
このノリは多分、例のノリである。そして予想にたがわぬ言葉が続く。
「なに、大したことではありません。彼女にもしもの事があった時は、君にはのんびりと海で泳いでいただく事になるというだけですから……」
「そ、そうですか……。善処します」
海に浮かんでもらうの間違いでは、などというつっこみは野暮であろう。
ポンポンとザックスの肩をたたき、鼻歌交じりに意気揚々と背を向けるルメーユに、レンディがジト目を向ける。
「何だったの、ルメーユさん?」
戻ってきたザックスにアルティナが問うた。
一同に注目され、ザックスは苦笑する。
「なぁーに、先達からリーダーの心得という奴を少々……ね……」
《亜竜の森》で、発起人たるあの男をきちんと説得すべきであったと後悔する。
『波風立てずに穏やかに……』
その場しのぎの問題解決は、後々の己の首を絞めてしまうという事を痛感した。
「そうね、パーティの頭脳ってのは、ああいう風でなくちゃね」
「苦労症だけど、よく気のまわる人だよね」
「見習いたいものだ」
うんうんと頷く仲間達に、真実を告げるべきかと思い悩む。
その背後ではのろし代わりにルメーユの《火炎弾》がさく裂し、悲鳴と怒声が入り乱れていた。
「じゃあ、俺達も行くか」
一同が頷き合い、緩みかけた空気に緊張が戻る。
待ち受ける者達に戦略的な思考は無いらしく、先手を打たれて感情的になった黒衣の男達の命令とともに、一斉にバンガス達へと引き寄せられていく。
ザックスのパーティと二人の同行者は、その隙をついて一気に大神殿へと侵入した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
大神殿へと足を踏み入れた一同だったが、壮麗優美な建物にふさわしくない腐臭に顔をしかめた。
《亜竜の森》でも、それは無縁ではなかったが、生きた木々の放つ濃い緑の臭いと土の臭いが、そして冷たい水のせせらぎがそれらを覆い隠していた。
「なんと酷い事を……」
その原因となっている放置された者達の姿を目のあたりにして、マリナの表情は硬い。彼女達の同志ともいうべき、神殿関係者や信者達のなれの果てである事はたやすく予想された。
「先を急ぎましょう。今は立ち止っている時ではありません」
自分に言い聞かせるようにした彼女は、放置された者達に略礼し、一同に先を急ぐように促した。
石造りの無人の回廊に、彼らの乱れがちな足音だけが響く。
『首府の大神殿へ。最奥部にある隠し門は《忘れられた遺跡》へと続いている』
ライアットの残した言葉を頼りに、一行はマリナの誘導に従い、神殿最奥部を目指した。
とある曲がり角で、ふと、マリナが再び足をとめ、通路の一方へと目を向ける。
「マリナさん?」
大神殿の構造は基本的にどこも同じであるという。《ペネロペイヤ》大神殿を参考にすれば、その視線の先にあるのは、冒険者達に新たな力を与える洗礼の間だろう。
そこは、神殿巫女達がその第一の務めを果たす場所である。だが今の彼女にとっては、大切な妹分を理不尽に眼前で奪われた苦い記憶を思いおこさせる場所でもあるはずだ。この死臭に満ちた建物内で、その場所がどうなっているのか気にならぬはずはなかった。
「すみません、こちらです」
通路の先にあるだろう洗礼の間に向かって一つ神殿礼をすると、彼女はもう一方の通路へと皆を誘導する。
「いつか、また……」
彼女に肩を並べるアルティナがぽつりとつぶやいた。沈みがちな表情でマリナは、小さく微笑んだ。
「そうですね、いつかきっと……」
死の臭いに満ち溢れたその場所を、一同は無言で駆け抜ける。その場所とは対照的な臭いに満ち溢れるたった一つの笑顔を取り戻すために――。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
中庭に出た一同は、そこから続く回廊へと足を踏み入れた。
「その先にある扉が、最後の間へと続くはずです」
その回廊は、奥行だけでなく結構な幅があり、小さな間といってもよい場所だった。
無言でうなずき合い、その先を目指そうとした時だった。
「おやおや、皆さま、そのようにお急ぎになられて、一体どちらへ? せめて私どもにおもてなしをさせてはいただけないでしょうか」
回廊に響く女の声。瞬間、先行していたシュリーシャが足を止め、その主を探して周囲を見回した。
聞こえてくるのは、ずるりずるりと何かが這いよる音。回廊の天井の方からだった。
「モンスターなのかな、あれは?」
クロルの問いに、シュリーシャは無言で小さく首を横に振る。
シュリーシャ達が経験した遭遇戦の様子とその手の内は、全員に既に知らされている。
回廊の天井を支える柱を渡り、壁を伝って移動するのは半人半蛇の女だった。半裸といってもよいその姿に左手に《短槍》を持ち、あらわな右肩はどす黒く変色していた。
さらにずるりと別方向からも音がする。続けて現れたのは三匹の大蛇だった。
ザックス達一人一人を品定めしながら壁をずるりずるりと這っていた女だったが、ふとその動きを止める。
「おや? 見覚えのある方がいらっしゃいますわね」
女の視線の先には、《短槍》を手にしたシュリーシャの姿がある。時折ボロがでるものの、相変わらず彼女は黙り込んだままだった。
「そういえば、先日はご挨拶申し遅れました。私、司教様の親衛隊の一員を務めますレヴェラと申します。見たところ私の仕掛けた石化の術の後遺症は無いようですね。安心いたしましたわ」
周囲の者達は一瞬、シュリーシャの背に炎の輝きを見たような気がした。
「あらあら、御返事していただけないのはどうしたことでしょう。先日私に痛めつけられた事を思い出して、怖くて声もでないとか。ああ、もしかして舌の方は石化したままなのでしょうか。残念ですわ、貴方のくだらないおしゃべりをもう、耳にすることができないなんて……」
再びゆらりと炎の気配を感じ取る。
睨みあう、両者。
レヴェラの持つ『石化魔眼』の能力は、ほぼ近接武器の間合いの範囲内というのがブラッドンとの共通の見解だった。この距離ではまだその力は及ばない。
いつのまにか回廊の奥部へと移動した一匹の大蛇が、背後の扉の前でとぐろを巻き鎌首をもたげた。大木の幹のごとき胴体が、大きめの扉を完全にふさいでいる。
まだ、互いの間合いは戦闘距離に程遠いものの、回廊内は急速に緊張が高まりつつあった。
その中で一人、軽やかな歩調で冒険者達の前に進み出て、涼やかな声で宣言する者が現れた。
「ザックス、ここは私に任せて、先に行って!」
金色に輝く髪を一つに束ねて、のびやかなプロポーションに程よい肉付きの身体。
背筋を伸ばして堂々宣言したのはアルティナだった。
「おい、アルティナ、お前……」
突然の宣言にザックスは驚いた。
わずかに背後を振り返ると、その凛々しい横顔に微笑みを浮かべた。
「大丈夫。ササっと片付けてすぐに追いつくから。それとも私の言う事が信じられないの?」
自信に満ちた姿から敗北の臭いは感じ取れなかった。
「あらあら、貴方はもしかしてあのエルフって種族の人なのかしら。噂通り綺麗ね。素敵ね。そして理不尽ね。そこの女狐さんもなかなかだけど、それよりもさらに綺麗ね、貴方。素敵で、そして理不尽だわ」
女の言葉に怒気と殺気が混じった。
「貴女、上には上があるって見せつけられる女の気分って分かるかしら。おまけにやっぱりあなたも私にない物をいっぱい持ってる」
「知らないわよ、そんな事」
「そうよね、持ってる人ってみんなそれを当然のように言うのよね。だからとっても腹が立つ。そして、どうやっていじめてやろうかって考えちゃうのが楽しいのよ。恐怖と絶望で泣き叫ぶ貴女の姿を想像しただけで背筋がぞくぞくしちゃいそう。きっとここにいた澄ました巫女さん達の時より楽しめるわよね」
その言葉の意味する事を悟り、アルティナの表情が一瞬陰った。だが、対照的に彼女の全身から感じられるマナの波動がより強いものへと変わっていく。
「おお、これがエルフって奴かよ。本物を見るのは初めてだが……、なかなかの上玉だ」
「俺にやらせろ。たっぷりと泣き声をあげさせてやる」
「おい、てめえら、俺と代われ。こんなチャンスは滅多にないんだ」
「うるせえ、テメエはその人間族の女で我慢してろ!」
「誰に向かって口きいてやがんだ、ぶっ殺すぞ、テメエ」
大蛇達が口々に下品なセリフを吐きながら、アルティナとの戦闘の優先権を主張する。
そんな大蛇達を「ハレンチね」と言いたげに一瞥すると、アルティナは再びレヴェラを正視する。脅威なのは彼女だけだと判断したようだった。自身の魔法の有効射程と相手の石化魔眼の攻撃範囲に気を配りながら、戦術を練っていることはザックスにもすぐに理解できた。
空気が徐々に緊迫していく。背後の扉の前では大きなとぐろをまいて、大蛇がこちらを威嚇する。
その実力は申し分ないものの戦闘では何が起きるか分からない。
本当に一人にして大丈夫だろうかという仲間を失う不安がリーダーとしての決断を鈍らせる、そんな時だった。
「ああ、もうやめやめ。黙して語らぬゲン担ぎなんて、アタシには絶ー対っ、無理。おしゃべりこそは女の華。喋る事のできぬ人生なんて死んでるのも同じよ。こっちが黙ってると思って好き勝手な事いってくれちゃって……。沈黙は損なりって、ホントね。」
短槍の石突きを石床に叩きつけると、それまで黙りこんでいたシュリーシャは大きく伸びをする。
「何の世界でもそうだけど、黙ってたらどんどん忘れられちゃうってのが悲しい現実よね……。それにルーティンって大事なのね。うちにもボス戦前に変な踊りを踊る奴がいるけど、あれって大事なんだってことがようやく分かったわ。今度からは大目に見てあげないといけないわね」
《短槍》をぶるんと振り回し、なれぬ沈黙から解き放たれた彼女は、大きく深呼吸する。
敵味方双方が唖然とする中、シュリーシャは立て板に水のごとく喋り始めた。
「加勢するわ。っていうより、これは本来、アタシのリベンジマッチ。主役の座はアタシのはずよ……って言いたいところなんだけど……、さすがに後からの宣言じゃ、カッコ悪いだけね。他人の手がらを横取りしたなんて噂が立てられようものなら、アタシの評判がた落ちだし。といってここを素直に譲ってしまうのも問題よね。一度背を向けた敵に、また背を向けるのは女の沽券にかかわるわ。そうね……ここはダブルヒロインってことでいいわよね、ティナティナ。そうしましょう!」
「ティ……、ティナティナって……」
「いいわよね?」
「べ、別にいいですけど……」
先輩冒険者の貫録とともにウィンクするシュリーシャに、目を白黒しながら、アルティナは返事をする。
アルティナとの共闘を確約するとシュリーシャはザックスを振り返った。
「そういう訳だから、ザッくん、こっちはアタシ達に任せてアンタ達は先に行きなさい」
「ザ、ザッくん……」
「クロっち、リュウリュウ、リナりんを任せたわよ。特にリナりんは女の子なんだから怪我させちゃ駄目よ!」
たて続けに何やら怪しげな呼び名を振る舞われ、互いに顔を見合わせる。
「いい加減にしろテメエら! いつまで和んでやがる!」
「あっ、テメエ、抜け駆けしやがって」
左上方にいた大蛇がその巨体を全く感じさせぬようななめらかな動きで、するすると壁面を滑り降り、アルティナ目がけて襲いかかる。わずかに遅れて右上方の大蛇が、アルティナに向かった。
《聖輝石の指輪》をはめた左手を伸ばすや否や、左前方にアルティナが氷結弾を撃ち込んだ。だが、その一撃は命中することなく、着弾点の壁が凍りつく。
「どこ狙ってやがる、へたくそめ」
命中する事のなかった魔法を鼻で笑い、迫りくる大蛇が凍りついた着弾点の上を無防備に通過した。
「氷柱よ咲け、鮮やかに!」
凛とした涼やかな声。瞬間、凍りついた着弾点から巨大な氷柱が生まれた。
回廊のちょうど中間点。
出現と同時に容赦なく大蛇の胴を貫いた氷柱の周囲に幾本もの氷柱が生まれ、左壁面にとげとげしく輝く巨大な氷の華が生まれた。
氷の華にあっさり全身を貫かれた大蛇は物も言わずに消滅し、さらに近くにいたもう一匹をも巻き込みかけた。
なんとか身をよじって転がりその攻撃をかわしたかに見えたが、身体の一部が凍りつき、その痛みで石床を転げまわる。
「冗談じゃねえ、チクショウ、な、何だよ、これ!」
本物の冒険者の実力を初めて味わったのだろう。先ほどの勢いが嘘のようにあっさりと腰砕けになった。頭上で事態を傍観していたレヴェラの表情までもが凍りつく。
たいして鮮やかな一撃を決めたアルティナの背は、結わえた金髪をたなびかせ、振り返る事なく「どう、私の実力は?」とでも言いたげに自信に満ち溢れていた。
――大丈夫だな。
そう確信するとザックスは背後の扉を目指し、ゆらりと歩を進める。
「な、何だ、テメエ。や、やろうってのか?」
すっかり度肝を抜かれて扉の前でとぐろを巻く大蛇が、うろたえながらも威嚇する。
「邪魔だ!」
一喝と同時に、石床を割れんばかりに蹴りつけたザックスの姿がその場から消える。
互いの距離を一瞬のうちに詰めたザックスが大蛇の眼前に現れるや否や、カチンと何かのはじける音がした。火炎交じりの幾筋もの閃光が同時に大蛇に襲いかかる。一拍の間をおいて巨大なその胴体がいくつもの肉片となり、炎とともに崩れ落ちた。
その中にぼんやりと輝く結晶が浮かぶ。視界に入るや否や、ザックスはそれを一閃して消滅させた。
立ちふさがる大蛇を《居合閃》で仕留めたザックスだったが、その表情はすぐれない。
《千薙の太刀》の重さと《居合閃》の破壊力が右腕にかけた負担は、予想よりもはるかに大きかった。ドワーフの郷で斬り捨てた動かぬミスリルの柱と違って、弾力性があり動きの定まらぬ目標に対して、《居合閃》という技をまだ使いこなせていない事を実感する。
それでも何事もなかったかのように刀身を鞘におさめ、背後を振り返る。
――どんなもんだ!
フンと鼻を鳴らして自慢げに胸をはる。その視線の先にはアルティナの姿があった。
暫し、互いに無言のまま見つめ合う。やがてザックスは不敵に笑い、彼女に背を向けた。
「じゃあな、ティナティナ。さっさと片付けて追いついてこいよ」
ずきりと痛む右腕を何事もなかったかのようにひらひらと振ると、ザックスは奥の扉を押しあける。
「だ、誰がティナティナよ!」
背後から聞こえる照れ混じりの怒声に仲間達の足音が混じる。
「ティナティナ、頑張ってね」
「うむ、見事な技の冴え、これなら我も安心だ、ティナティナ」
「シュリーシャさん、ティナティナさん、御武運を……」
優雅な神殿礼とともにマリナまでもが悪乗りする。
「お、お願いだから……、ティナティナはやめて……」
先ほどの自信満々の姿はどこへやら。氷雪の使い手たる黄金色の姫君はすっかりいじけていた。
それでも彼女はやるべき事を忘れない。
念には念をとばかりに扉を凍りつかせ、仲間達の安全を確保する。
アルティナの様子を興味深げに眺めていたシュリーシャだったが、やがて「ふーん、そういう事ね……」と、納得したかのように一つ頷いた。
2017/08/14 初稿