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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚05章 ~狂乱の蛇神編~
137/157

19 トレイトン、裏切る!

 会談の場は村の入口へと場所を移していた。

 そこで待っていたのは、若者が告げたとおりの姿をした三人の男達だった。その異様な容貌にその場にいる誰もが押し黙る。

『微笑』『悲嘆』『憤怒』の表情をかたどった仮面をつけ、特徴的な武器をそれぞれ手にしていた。

 中央の『微笑』の仮面をかぶった背の高い男は神殿の意匠をかたどった錫杖を手に、向かって左の背の低い男は左右に刃のある鎌を背負い、そして向かって右に位置するがっしりとした体格の男は……。

「ねえ、ザックス、あれって」

「あ、ああ……」

 日よけ外套のフードをすっぽりとかぶったアルティナがザックスの傍らで、その男に着目する。

 ゆったりとした作りの漆黒の神官衣の外側からでもわかる鍛え上げられた厚みのある肉体。まるで、大木の幹を連想させるかのような出で立ちの彼の左腕には、鈍い輝きを放つ半紡錘型の盾があった。

 かつて大金を払ってその偽物を作り上げたとある男の言によれば、それは神殿に伝わる神具の一つであるという。ザックス達の知る限りその持ち主は只一人しかいない。

 今、彼らの眼前で、『憤怒』の仮面をかぶって立っている彼は、過去、幾度もその圧倒的な力量でザックス達を助けてきた。よく知るはずの男ではあるが、今の彼はとても気安く声を掛けられるような様子ではなかった。

 真夏にも拘らず身が凍えるかのような殺気を放つ『悲嘆』の男、対して烈火のごとき怒気を放つ『憤怒』の男、そして二人の間に平然と立つ『微笑』の男。

《異端審問官》と名乗る異様な容貌の使者たちは、言葉一つ語らずにわずか三人でその場を支配し、蛇族だけでなく修羅場慣れした冒険者達までをも圧倒していた。

 誰もが躊躇する空気の中、只一人、マリナだけが進み出て、神殿礼をする。

「《ペネロペイヤ》大神殿の巫女、マリナ殿であるな」

「はい」

『微笑』の仮面の男が彼女に尋ねた。

「大神殿より話は聞いている。目的は果たされたか」

「いえ、未だ……」

 簡潔にしか言葉を発せぬマリナからその緊張が伝わる。

「承知した。これよりこの場は我ら異端審問官があずかる。よいな……」

「はい、よしなに……」

 短いやり取りを終え、恭しく、わずかに硬い礼をすると彼女はザックス達の元へと戻ってきた。小さく丸く息を吐く。

『いいですね、たとえ、いかなる事態になっても、決して反論などしてはいけませんよ』

 この場所に来るまでの間にルメーユとマリナに念を押された事を思い出す。

 なぜか、ザックスへの忠告が他者のそれに倍近い気がしたのは気のせいに違いない。誰もが武器の一切を《バッグ》にしまって、丸腰の状態でその場に控えていた。

「異端審問官ってなんなんだよ?」

「すぐにわかります」

 ザックスの問いに短く答えたマリナの表情の中に、悲しみともおびえとも分からぬ色が混じっている事に彼は気付いた。

『微笑』の男が錫杖を大地に叩きつける。飾り輪がシャラリと音を転がした。

「異端審問である。部族の長は前へ……」

 一同の視線が、四人の老重鎮達へと集まった。すっかり場の空気に委縮した老人達がおぼつかぬ足取りで進み出て、どうにか平伏する。

「問う。どの者が長だ」

 その問いに老人達は互いに顔を見合わせる。残念ながらこの状況で「私が」と言いきる胆力のある者はいなかった。うろたえるその姿を後方で何者かが小声で笑った。

「お、畏れながら、亡き族長アシャリム殿は既に身罷られ、いま、首府にいるのが総族長を僭称する半獣でございます。我らは決して、彼の者を長などと認めておりませぬ」

「重ねて問う。長は……、この地と部族を預かる者は誰だ?」

「ですから……」

 瞬間、『微笑』の男が錫杖で大地を叩いた。

「不敬である!」

 ぞくりとするほどに冷たい声に誰もが黙りこむ。再び顔を見合わせ、ようやくその問いに彼らなりのまともな答えが返された。

「我ら、四人が今や、偉大なる蛇族の指導者でございます」

「承知した」

 ほっとした表情を浮かべる老人達。質問は続く。

「この地には、創世神にあらざる偽神が存するとは真か?」

 一人の老人が答えた。

「我ら、皆、偉大なるそ、創世神様の信者であり、そのような者は……」

「偽神はないと申すか?」

 さらに別の老人が答えた。

「あ、あれは、半獣の小僧どもがでっち上げた真っ赤な紛い物。われらには関わらぬことでございます」

「この地に偽神はあるのだな?」

「ですから、あれは……」

「不敬である!」

 錫杖が鳴る。自らの主張に耳を貸さぬ審問官の態度に老人達がふてくされ、その表情に反抗の色が現れ始めた。

「偽神はいかに!」

「ございます。あの狂信徒共を早くどうにかしてください」

「承知した」

 周囲の人垣にどよめきが生まれた。審問官の言葉に老人達が顔を見合わせ、ほっとした表情を浮かべた。彼らが自分達のやっかい事を引き受けてくれると安どしたらしい。

 ふと左そでを引っ張られる感覚で振り返る。傍らに立っていたアルティナのフードの中の表情が冷たくこわばり、ザックスの袖を握る手が小さく震えている。ザックス自身もいつの間にか緊張の汗で手のひらがわずかに濡れていた。

「再び問う。反乱を起こしたという半獣人の一団。その者達は貴殿らの何だ?」

「恥でございます」

 一人の老人が即答した。

「我らが偉大なる蛇族にとって、あのような雑種共、同じ種族とみなされることすら恥ずかしい事でございます。どうか一刻も早く駆逐してくださいませ……」

 同調の声が人垣の間に広がった。『微笑』の男はその光景をゆっくりと見回す。

「問う。それは部族の総意か?」

「当然でございます」

 老人達が口をそろえる。その瞬間だった。

「お待ちください!」

 一人の若者がその場に割って入った。さらにそのあとに数人の若者達が続き、審問官たちの前に片膝をつき、頭を垂れた。

「何の真似だ、貴様ら!」

 突然の若者達の乱入を老人達が叱咤する。それに耳を貸すことなく代表者たる若者――トレイトンが口を開いた。

「審問官殿。御無礼の程、どうかお許しください。我ら一同、申し上げたき宜がございます」

「トレイトン、貴様!」

「聞こう。続けよ。賢き者の一族の若者よ」

「はっ、ありがとうございます」

 顔をあげると彼は審問官を見上げ訴えた。

「此度の半獣人達の反乱は、我ら蛇族の歪んだ在り方ゆえに起きたものであります。古き世代の価値観にはじかれ、彼の者達は半獣人という弱き立場に置かれ、追い詰められた故の所業。どうか、彼の者達に温情ある御裁きをお願い申し上げます」

 トレイトンの言葉に小さくないどよめきが起きた。らしくない振る舞いにらしくない言葉。老人達は口をパクパクと開け放ったまま、言葉を失った。ザックスの中に違和感が広がった。

『微笑』の男はしばしトレイトンをじっと見つめ、再びどよめく周囲を見回した。やがて錫杖を立て続けに打ち鳴らし始めた。

 シャラリシャラリと飾り輪が音を重ね、やがて、その感覚が少しずつ縮まり、突然止んだ。

「審問が終わりました」

 ぽつりとルメーユが囁いた。

「どうなるんだ?」

「分かりません、只……」

 ルメーユの顔色はさえない。その向こうのマリナの表情もまた硬かった。

『微笑』の男が静かに切り出した。

「方々に問う。罪状やいかに?」

「有罪」

「同じく、有罪」

『悲嘆』と『憤怒』の男達の回答に『微笑』の男もまた有罪を告げた。

 自分達を追放した半獣人達の処遇が定まり、神殿の裁きが下ることとなったことで、四人の老重鎮達の顔に笑みが浮かぶ。一人の老人が立ち上がり振り返って怒鳴りつけた。

「トレイトン、貴様、覚えておれよ、偉大なる我ら先達をいわれなき罪で貶めようとしたその行為、決して許さんぞ。同調した者達ともども、貴様らは追放だ!」

 さらに三人の老人達が口汚く彼らを罵った。

 トレイトンに同調した若者達の何人かが動揺する中で、トレイトンは返事をしなかった。片膝をつき再び頭を垂れたままのその表情は窺い知れない。彼らを無視し続けるトレイトンの態度に、業を煮やした一人の老人が、立ち上がり大股で近づきその頭を蹴りつけようとしたその瞬間だった。

 シャラリと錫杖の輪が踊る。

「不敬である!」

 立ち上がった老人に一瞬で音もなく近づいた『悲嘆』の仮面の男が、老人の襟首をつかんだ。小柄な体に似合わぬ怪力を持って、三人の老重鎮達に向かって片手でそれを軽々と投げ飛ばした。大地に叩きつけられ、うめき声を上げる者とその眼前で震えあがる者達が三人。

 その光景に誰もが言葉を失った。

 錫杖を手にした『微笑』の仮面の男が老人達の前に立つ。挟み込むように彼らの背後に『悲嘆』の仮面の男が立った。

「罪人達よ、貴様らに死を命じる」

 ようやく一同が状況を理解する。罪人として裁かれるのは半獣人たちではなく、彼ら四人の老重鎮達の方であった事を。

「ど、どういうことだ! なぜ、我らが裁かれねばならん!」

「横暴だ、貴様ら一体、何様のつもりだ!」

 審問官を口汚くののしる老人達。蛇族の人垣の中にどよめきが広がる。

「トレイトン、これは貴様の企みか、答えよ、トレイトン」

 半狂乱で叫ぶ老人達の声が聞こえぬのか、トレイトンはそのままの姿勢を変えず、うつむいたまま沈黙を保っている。

 彼に代わって口を開いたのは『微笑』の男だった。

「かつて『賢き者』蛇族が獣人社会の中で窮地に陥った時、総族長アシャリム殿は我ら神殿の力にすがり、歩みを寄せる事を我らに誓った。人間族と融和すれば、当然半獣人は生まれる。いわばそれらは、大いなる和平と友好の証。それを恥といい、蔑む行為の意味を理解せよ! それは我ら神殿の存在とその大いなる決定をないがしろにする行為に他ならん!」

「そ、それは……」

「さらには、その者共を追い詰め、忌々しい偽神にすがらせる始末。先ほどお前達はこの地の今の指導者であると名乗り、偽神の存在を認めた。ならばその咎と責を負うのは指導者として当然の事」

 言葉を失う老人達の眼前に、《バッグ》から取り出した透き通った瓶を置く。

「これは創世神の名のもとに下された聖なる審判である。罪人たちよ、聖水を口に、創世神の元へと侘びに行くがよい!」

 瓶の中になみなみと入っているのはおそらく毒薬なのだろう。眼前に死の世界への扉を開かれ進退極まった老人達が激昂した。置かれた瓶を蹴り飛ばして立ち上がる。

「冗談ではない! なぜ我々が、このようなことで死なねばならぬ! 悪いのは我らを首府から追いたてた半獣共であり、たかが半獣共にすら力及ばぬできそこないの若造ど……」

 その捨て台詞は、最後まで許されなかった。

 ぼとりと生々しい音を立てて、老人の首が地に落ちる。首の重さをなくしてバランスを失ったその身体が音を立てドウと仰向けに倒れた。連鎖するように座っていた三人の首も生々しい音をたてて転がった。鮮血が大地に流れ出し赤黒く染める。

 その光景に誰もが呆然とする。

 時が止まったような静寂の中、アルティナが小さな悲鳴とともにザックスの背に隠れ、マリナがその光景に目をそむける。

 冒険者達が顔をしかめる中、バンガスがぽつりと尋ねた。

「今の……、見えたか?」

 その問いにザックスは首を横に振る。

 四人の首を一瞬にして刈ったのは、背後にいた『悲嘆』の仮面の男に違いなかった。その証拠に、背負っていた両刃の鎌がいつのまにかその手にある。血糊一つなくギラリとあやしく光る刃を手にして、『悲嘆』の男は全く動ずる様子はない。上級冒険者達に一瞬の軌跡すらも見せぬその恐るべき技量に、ザックスは脅威を覚えた。圧倒的な速度を誇る彼の《抜刀閃》ですらあれほど早く、そして正確に同時に標的を落とす事は不可能だった。

何よりも問題なの老重鎮達が処刑されたことで、《忘れられた遺跡》の手掛かりを得る事が出来なくなってしまった事だった。

つい先ほど近づいたはずのイリアの笑顔が、遠くへいってしまったような錯覚をザックスは覚えた。

 気付けば、周囲は大混乱に陥っていた。

 あまりにもショッキングな光景に泣き出す者や取り乱す者、その場を慌てて逃げ出す者すらいる。

 混乱した一人の若者が審問官たちに食ってかかった。

「テメエら、よくもやりやがったな!」

『微笑』の仮面の男に食ってかかろうとしたその瞬間、間に入ったのは『憤怒』の仮面をかぶった男だった。しっかりと握られた鉄拳が顔面にさく裂し、若者は地面を数度バウンドして人垣につっこみ動かなくなる。

 恐慌をきたしかける群衆。

「不敬である!」

 その一声とともに、さらにその場で憤怒の仮面の男がわずかに片足を上げると、そのまま、地面を踏みこんだ。衝撃が走りすさまじい音ともに大地が揺れ、土煙が上がる。あるものはその場にへたり込み、あるものは頭を抱えてその場で神の名を唱え始めた。

 非常識すぎる異端審問官たちの実力に誰もが呆然とする。一瞬にして罪人の刑場と化したその場所は混乱のるつぼだった。その中で只一人、立ちあがり冷静さを保っていたトレイトンの口元に一瞬、小さな笑みが浮かんだ。

「あの野郎、やっぱりわざと……」

 目ざとく見つけたザックスは思わず飛び出そうとした。

「やめておきなさい、ザックス君」

 ルメーユがザックスを引きとめる。その表情はどことなく冷たく見える。

「でも、ルメーユさん……、あいつは」

「ええ、多分そうなんでしょう」

 一連の事態を仕組んだのは、おそらく彼とその仲間たちなのだろう。

 マリナと神殿の権威を利用して周囲の里に己の存在を誇示する一方で、仲間達が異端審問官たちを導き、邪魔な老人達を抹殺し、自分達が部族の主導権を握る――そう画策したのだろう。ここまでの旅は、彼にとって権力を得た後の為の伏線でもあったに違いない。

「気に入らねえ」

「そうですか。でも君だってあのような老人達を見れば、そう思うんじゃないんですか?」

「そりゃそうかもしれないけどよ……。でもなんか納得がいかねえ」

 すでにトレイトンの周囲には幾人もの若者達が集まり、何かを話し合っている。その足元に転がっていた老人の首が、無造作にポンと輪の外へと蹴りだされた。部族内で権威のあった老人達の代表が、神殿という権威によって駆逐された以上、もう蛇族内で老人達の力を若者達が恐れることなどないだろう。

「狭い自分達の世界のやり方しか知らなかった老人達と外の世界のルールを知っていた若者達。全てが思い通りにいってもう笑いが抑えられない、そんな御様子ですね」

 そんな彼の片棒を担がされたのがザックス達である。利用したようで、実は利用されていた、自分達のまぬけぶりに無性に腹が立つ。

 一言言ってやらねば気が済まない――そう考えて歩み出そうとしたザックスの腕をアルティナが引きとめる。

「私達の目的を忘れたの?」

 イリアの行方の手掛かりを得る事。それが今、最優先される事だった。

「でも、どうやって?」

 遺跡の手掛かりを知るかも知れぬ老人達があのような結末を迎えた今、トレイトン達が例え知っていたとしても素直に口はわらないだろう。

「あちらへ行ってみられてはいかがですか?」

 ルメーユが指し示す方向には、審問官たちの姿があった。しばし何かを話し合ったあとで、『微笑』と『悲嘆』の仮面の男が連れだってその場を後にする。只一人『憤怒』の仮面の男がその場に残った。

「多分、今のあの方と話をすることが許されるのは君とマリナ様だけですよ」

 ルメーユの言葉とアルティナに背を押され、ザックスはマリナとともに彼の元へと向かった。

その背を見送った後で、ルメーユはトレイトン達の方へと視線をやる。

「邪魔な古き世代を破滅へと追いやり、自分達がとってかわる。確かに長い歴史の中では決して珍しいことではありません。でもね、いずれそんな貴方達も古き世代として次の世代に疎まれる事を覚悟していらっしゃいますか、トレイトンさん?」

 その口元にいつもの皮肉気な笑みがうかぶ。

「頂点に立って一時の権力の美酒に酔ったところで、きっと貴方は気づくでしょうよ。蛇族という歪んだ種族が背負った巨大な負債。そして貴方達自身が付け足した利息を背負って、己が矢面に立たされる苦しさというものをね……」

 ふと、傍らにアルティナが立っていた事に気付き彼は苦笑いした。独り言を聞かれてしまい、きっと今頃彼女はドン引きに違いない。だが、予想に反して彼女はより辛辣な事態を問うた。

「ねえ、ルメーユさん。もしも、それを承知で彼にそんな役割を背負わせた、あるいは、彼をそう誘導した人がいたとしたら、どうかしら?」

 その問いに思わず肩をすくめる。もしも、それが事実なら、多分、蛇族は……。

「彼の天下はそう長くないかもしれませんね……」

 その顔にいつもの笑みは浮かばなかった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 喧騒で埋め尽くされたその場所で、一人たたずむその男の周囲のみが静寂に包まれていた。

 身に付けた『憤怒』の仮面のせいか、彼に近づこうとする者は誰もいない。

 彼を中心にしてポツンと開けたその場所に、ザックスはマリナとともに向かった。

 互いに言葉は無い。

 つい先ほど目にしたショッキングな光景とそれを演出した『異端審問官』なる者達が見せつけた神殿による絶対的な秩序。

『神殿には逆らうな』

 ガンツが事あるごとに忠告するその言葉の意味を実感する。

 数歩の距離を置いて立ち止り、その『憤怒』の仮面をかぶった彼と対面する。


 偉大なる冒険者。

 ペネロペイヤ大神殿の高神官にしてイリアの義父。


 そのどちらでもない第三の顔を見せたその男――ライアットに、先に声を掛けたのはザックスだった。

「おっさん……」

 それ以上の言葉は見つからなかった。

 再会の挨拶、近況の報告、普通ならば当たり前のはずの行為の全てが、今は場違いだった。

 名のある造り手によって作られたのであろう、その『憤怒』の仮面の形相こそが今の彼の心情そのものなのかもしれない。

「申し訳ありません。おじさま。私達の不注意でイリアを危険な目に……」

 マリナが目を伏せる。その肩は小さく震えていた。

 ライアットは何も答えなかった。

 責めるのでもなく、詰るのでもなく、かといって慰めるわけでもなく……。

 ただ、無言でその場に立ち尽くし、二人と対峙する。

 ふと、《貴華の迷宮》で語り合った事を思いだす。


『見ている場所も目的も違う。同じ方向を常に向いてともに歩き続けるわけではない』

『俺は結局のところ、お前達にとって他人でしかない』

『俺の目的か……それは……』


 時に協力者としてあるいは同行者でありながら、自分とはまったく異なる世界に身を置き、冒険に挑む彼とのいくつものやり取りが、脳裏に浮かんでは消えていった。

 その『憤怒』の表情が、未だにイリアの行方について手掛かりすら掴めぬそのふがいなさに向けられているような気がした。

「おっさん、すまない、どうにかここまでやってきたけど……、未だに手掛かり一つ見つからぬ有様だ……」

 溢れそうになる感情を抑えつけるようにして、ザックスは彼らのおかれた状況を報告する。

 ライアットは何も言わなかった。

 無言のまま二人の前に立つ『憤怒』の仮面の奥にある真の表情は窺い知れなかった。

 暫しの時が流れる。

 やがてライアットは二人に背を向けた。

 その厳のような後姿に、落胆も迷いもなかった。その背に甘える事は決して許されぬだろう。

 ――冒険者なら自分でどうにかせよ。

 ザックスの知るライアットならばきっとそう言うはずだ。

 最高神殿の命を受け、異端審問官という役目を負ってこの地に彼が現れたのは、きっと偶然ではないのだろう。彼は彼なりのやり方でさらわれた義娘を取り戻そうとしているに違いない。

 彼に背を向け、仲間達の元へ戻ろうとしたその時だった。

「大神殿へ行け」

 聞き覚えのある低く太い声。一瞬、マリナと顔を見合わせた後で、慌ててその背を振り返る。

「おっさん……」

「おじさま……」

 二人に背を向けたままでライアットは続けた。

「首府の大神殿へ。最奥部にある隠し門は『忘れられた遺跡』へと続いているという。すでに門は開かれた。時間はない、急げ……」

「ありがとうございます、おじさま」

 マリナが深々と頭を下げる。

 その言葉を背にライアットは歩き出した。二人の同行者の後を追い、歩み進むその道のりは首府へと向かっている。

 その背を見送った二人は、再び顔を見合わせた。

「あのおじさまが……私たちに頼むと……。急ぎましょう。何だか嫌な胸騒ぎがします」

「あ、ああ、そうだな……急ごう」

 その場を離れ仲間達の元へと向かうことにする。

 ふと振り返り、ライアットの去った方角へと目をやった。

 小さくなりつつあるその姿のさらに向こう、地平線のその先に広がる青空に、ザックスは黒煙がたなびいたように錯覚した。



2016/06/02 初稿



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