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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚05章 ~狂乱の蛇神編~
134/157

16 ヒュディウス、傍観す!

 再び夜が訪れる。

 幾日、否、幾月の時がすぎたか彼が数えることをやめて随分と経っていた。

 その場所にはかつての壮麗な大神殿の面影はない。建物いれものこそ壮麗であったものの、この地に赴任して以来、その場所が神殿の名にふさわしい尊敬と信頼を集めていたかは甚だ疑問だった。

 建物内の空気は既に淀みきっていた。

 血臭、腐臭、汚物臭。

 すでにそれらが綯い交ぜになった異臭こそが、汚れきったその場所にふさわしいと彼には思われた。

 それはかつての同僚達のなれの果てが放つもの。

 惧れ多くも異端な神とその奇跡までをもねつ造しようとした愚かな狂信徒達の狂宴は、神官を、巫女を、信徒を、一人また一人とその尊い魂を踏みにじり犠牲にしていった。

 絶望的な状況に置かれ、ある者は大いなる神の奇跡にすがり、またある者は物言わぬ神の残酷さを呪った。相反する両者の運命が、ともに等しく『死』であった事は皮肉だった。

 狂気の海に投げ出され、理不尽という言葉が生ぬるいほどの激しい暴行を受け、体中に無残な悪意の痕跡を植え付けられて尚、それでも彼が正気を保っていられたのは、おそらく誰にも劣らぬと自負する偉大な創世神への信仰の力によるものだろう。

 もはや彼は生きる事を望んでいなかった。

 帰るべき場所も、ささやかな日々の喜びを分かち合う仲間達の姿もない。

 闇の中でただ一人、信じる神の名を呼びながら、命の限りを尽くして理不尽にあらがう事を決めてから、彼の世界には神と己だけしか存在しなかった。

 まだ壮年であるはずの彼のヒゲと髪は真っ白になり、伸び放題になっていた。痩せ衰えた外見はもはや老人そのものだった。

 咎人を押しこめる地下牢に鎖で繋がれて幽閉され、冷たい石床の上に転がされてもはや数日経つ。

 拷問で片目を潰され、残された右目はほとんど光を捕らえられなくなっていた。そして彼のもとに近づきつつある足音すらもどこか遠くの世界のもののように聞こえていた。


 地下牢にやってきたのは半獣人の二人の若者だった。

「臭いな……」

 汚物がぶちまけられたような室内の光景とその主に二人は眉をひそめる。

「チクショウ、なんでこのオレがこんな事しなきゃならねえんだよ……」

「ガタガタうるせえ! 黙って言われた事だけしてろ!」

 片方の若者が殴りつけられた。その関係は常態化しているようだ。殴った相手を恨めしそうに見上げながらも、その怒りの矛先は室内の主である老人のような男へと向けられた。

「テメエがさっさとくたばれば、こんな事しなくていいんだ。大体オレはこんなところでこんなことしてるようなヤツじゃない。オレを正しく評価できぬ部族のクズ共が悪いんだ。それもこれも全部、テメエのせいだ」

 枯れ木のような身体を踏みつける。鈍い音がした。だが、やつれきった囚人の反応は無かった。鎖につながれ人形のようにその場に転がっている。

 醜い八つ当たりにふけっている間に、もう一方の年長の男は鎖の鍵を外した。

「そっちを持て、さっさと運び出すぞ!」

 己の存在を歯牙にもかけようとせぬ相方の男への不満を内心にため込みながら、しぶしぶとその言葉に従う。

 二人の若者に両手をつかまれ引きずられる彼は、身体の中で暴れている激痛さえもどこか遠くの世界の事のように感じていた。

 連れて行かれたのは大神殿の最奥部。そこには歴史の中に埋もれた秘密の扉が存在した。

 その場所で三人を待っていたのは、身なりの良い半獣人の男だった。そろそろ若者から壮年へ移り変わる年頃だろう?

「アシェイトル総族長、神官長殿をお連れいたしました」

 自力で起き上がることのできぬ囚人をその場に転がし、年長の男が片膝をつく。もう一方の若い男は、権威にへりくだるかのようなその姿に、侮蔑の表情を浮かべて立っていた。

「御苦労さまでした。神官長殿のお加減はどうですか」

 返事をする者はいなかった。仰向けに転がされ、只息をしているだけのやつれきった神官長の姿にアシェイトルと呼ばれた男はわずかに眉をひそめる。

「死なすな、と言いつけておいたはずですが……。責任者は貴方ですか?」

 年長の男に尋ねる。丁寧な物腰とは裏腹にその視線は冷たい。

「いえ、自分は、つい三日前にこちらに回されたばかりです。詳しい事はそちらの者にお尋ねください」

 傍らで立ったままの相棒を指し示す。アシェイトルと呼ばれた男の冷たい視線を受けた若い男がしどろもどろになる。

「べ、別に……、俺はなにもやってねえよ。やってたとしたら他の奴らだ。俺は悪くねえ!」

「そうですか」

 わずかな侮蔑の表情すらも浮かべずに、アシェイトルは男から視線を外した。

「御苦労さまでした。下がりなさい」

 年長の男が一礼して総族長の言葉に従おうとした。だが、若い男はそれに従わなかった。

「ま、待ってくれ、総族長さんよ!」

「おい!」

 不穏な物を感じ取り拳骨で従えようとした年長の男の制止を振り切って、若い男が総族長に訴えた。年長の男をそっと視線で押さえるとアシェイトルは若い男と再び向き合った。

「どうしましたか?」

「頼む、俺を特務隊に入れてくれ。俺はこんなところでゴミ掃除しながら一生を終わるような奴じゃねえんだ!」

 特務隊――若者たちの多くがあこがれる特別戦務部隊へと配属され、そこで手がらさえ上げれば、総族長直轄の親衛隊及び幹部への道も開ける。蛇族という貧しく絶望的な集団の底辺から抜けだし、部族の上位者となることも不可能ではない。

「いい加減にしろ、バカが! 身の程をわきまえろ!」

「うるせぇ、俺はテメエみてえに上にヘコヘコして下にあたり散らすクズのままで終わりたくねえんだよ!」

「なんだと!」

 激しい敵意とともに二人が睨みあう。その様子を感情のこもらぬ表情で眺めていたアシェイトルが一つ咳払いした。

 年長の男が慌てて片膝をつき、若い男は相変わらず敵意の視線とともに見下ろした。

「つまり貴方は、現状の貴方への待遇に不満があるというわけですね」

「ええっと、そ、そういう事だ……」

「分かりました。よろしいでしょう」

 アシェイトルは衣の隙間から一振りの小ぶりの短剣を取り出した。特務隊の者にのみ与えられる《証の短剣》を目にして、若い男の表情に明るい物が生まれた。年長の男の顔に一瞬、陰りが浮かぶ。

「特務隊は常に人手不足であり、やる気のある人材を求めています。貴方に差し上げましょう。それを持って政庁へ赴きなさい。私の推薦だといえば、つつがなく事が運ぶでしょう」

 総族長直々に手渡された《証の短剣》を手にして若い男が小躍りする。

「あんた、話が分かるじゃねえか。やっぱ大物だよ、へへっ……」

 礼を言う事もなく男はアシェイトルに背を向ける。背後で片膝をついて控える年長の男を憎々しげに見下ろした。

「ざまあみやがれ、これで俺は特務隊の隊員だ! すぐに手がらをあげて、テメエを顎で使ってやるから覚えとけよ!」

 言い捨てると、足取り軽くその場を走り去っていく。

 ――お前の顎が残ってればいいがな……。

 おそらくもう二度と会う事はないだろう。明日になれば顔どころか存在も思い出さぬようになるであろう若者の足音を背に、年長の男はそのまま片膝をついて総族長の言葉を待った。

「あなたはよろしいのですか?」

 アシェイトルの問いに年長の男が速やかに答えた。

「いえ、結構です」

「彼のようなチャンスは欲しくないと?」

「己の身の程は弁えております」

 その答えにほんの僅かにアシェイトルは冷たい表情を崩し、微笑んで見せる。

 己よりさらに年長のこの若い総族長のもとから、男は一刻も早く離れたかった。

 総族長の瞳には年長の男は初めから映っていない、否、誰も映ってはいないだろう。果てしなく遠い場所を見すえる彼はそこにたどりつくためなら、あらゆる犠牲をいとわぬだろう。数多の同胞を犠牲にして……。

 眼前に立つ長の放つ不気味さに年長の男はおびえていた。己の役割に徹し、目立たぬ道具としてふるまうことだけを心掛ける。物言わずに横たわる枯れ木のような囚人を指して男は、総族長に問うた。

「この者の引き取りはいかがしましょうか?」

「不要です。御苦労さまでした」

 長の短い答えに一礼し、男は今度こそその場を立ち去った。その歩みは平時よりも早く、全身にじっとりと脂汗をかいたように思えた。

 部屋を後にし、長い回廊を小走りに走り抜け中庭に飛び出したところでようやく息をつく。見慣れた夜空の星の瞬きに安堵する。

蛇族おれたち未来あすはないな……」

 ぽつりと口をついて出た言葉は、妙にすとんと腑に落ちた。


 二人の牢番が退場し、広めの室内に静寂が訪れた。

 その中央部には自由都市で《転移の扉》と呼ばれるものに酷似した形の門が一対。その前に立つアシェイトルの足元にはかつての神官長だった囚人の身体が仰向けに転がっていた。ひゅうひゅうと途切れがちな息の音だけがかすかに響く。

 その傍らにひざをつき、囚人の様子を確かめるが、残された片目には生気がほとんど感じられなかった。

「消耗が激しすぎるようですね……。さて、どうしますか……。ヒュディウス殿」

 二人のほかには誰もいないはずのその部屋で、中空に向かってアシェイトルは尋ねた。

 暫しの時をおいて空間が揺れる。現れたのは《魔将》ヒュディウスその人だった。

「かまいませんよ、生きてさえいればね。それにしてもいつの時代も人という種の醜さと愚かさは変わらぬものですね」

 囚人の全身に刻まれた悪意の痕跡を見下ろしながら魔人は皮肉気に微笑んだ。あるいは先ほどのやり取りをどこかからながめていたのかもしれない。

 横たわる囚人の頭上に魔人は腕を伸ばす。その手に粗末な杯が現れた。傾けられたそれから一滴の輝きが零れ落ち、その輝きはわずかに開いた囚人の口元に注がれた。アシェイトルがその傍らから離れる。

 わずかな間をおいて囚人の身体がうっすらと輝き始めた。闇と化した瞳に光が戻る。

「あ、あ……」

 枯れ木のような両腕を中空へと差しだし囚人は言葉にならぬ声を上げる。必死の形相で身を起こそうとするが、折られた足では

 満足に立ち上がれない。それでも彼は這いずるように身を起こし膝立ちする。

「仕上げです」

 言葉と同時に魔人は一対の門に近づき、それに触れ何かをつぶやいた。

 ほんの僅かなマナの光の輝きが、閉ざされ朽ちかけた門に蘇ったように見えた。

「おお……」

 両手を広げ、囚人はその輝きに向かってさらに這いずった。すぐに不自由な体の動きにもどかしさを覚えたかのように、折れた脚をものともせずに立ち上がる。すっかり憔悴仕切っていた顔に歓喜の笑みが浮かんだ。

「称えよ、称えよ、ああ、創世神よ。偉大なる我らが主よ。我ら哀れなる子供たちに大いなる導きを与えたまえ」

 創世神話の一節を諳んじる。

 それが門の起動の言葉だった。

 言葉と同時に門が輝きの強さを増した。よろよろとよろめきながら囚人はさらに歩を進め、門の中へと倒れ込む。

 倒れ込むその瞬間、その身体が光の粒子となって消えていく。それは冒険者達が転移する様子とは全く異なり、囚人が消滅し、この世から消え去った瞬間だった。

 輝きを取り戻した門の前で、その光景を見届けたアシェイトルがぽつりと言った。

「何を見ていたんでしょうね、彼は」

「さてね……」

 神殿礼とともにその結末を見送った中空の魔人が答えた。

現世うつしよの苦しみから解放され、ささやかな日々の喜びを分かち合う仲間たちと再会し、ともに神のもとへと召された……、それが彼らの幸せである……。そういうことでよろしいのではないでしょうか」

 皮肉気味な言葉にアシェイトルは相槌を打たなかった。

「神ですか……、そんなもの所詮、人の妄想が生み出した創作物でしかないでしょうに……」

 ぽつりと吐き捨て、輝きを取り戻した門に背を向けて歩き出す。もはやその目的は十分に果たされていた。

 次の段階へと手を打つべく去っていく彼の背を黙って見送ると、魔人は小さく首を横にふり、その場からそっと姿を消した。



2016/05/18 初稿


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