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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚05章 ~狂乱の蛇神編~
130/157

12 ザックス、謀る!

 酒精は人の心を開放する。

 その性質を心地よく感じるものもいれば、大きな失敗とともに憎む者もいるだろう。

 酒精の勢いを借りて理性から解放された愚か者の姿は、はたから見れば滑稽なもの。

 だが、かわりばえのない退屈な日常に、かりそめの刺激を与えてくれるその魔法の薬は、長き人の歴史とともにあり続ける。

 仕事帰りの職人、漂泊の遊び人、彼らを相手に芸を披露する踊り子や吟遊詩人。

 種族を超えて雑多な人々達が集い騒ぐ『酒場』という場所は、どの町でも活気がある。

 年季が入り少しばかりくたびれかけた建物ではあるものの、十分に活気づいたとある酒場のテーブルの一角に、ザックスの姿はあった。

「遅ぇな!」

 約束の時間を一向に過ぎても現れぬ待ち人に業を煮やし、テーブルをトントンと苛立たしげに叩き続けるザックスの姿に、周囲のテーブルからとがめるような視線が集った。

「まあまあ、落ち着いて、ザックス君。こっちの煮こみもなかなかいけますよ」

 マイペースな様子で隣に座るルメーユが、大皿からよそった小皿の中身を勧める。濃いめの味付けの肉塊をチーズでとろりと煮込んだそれは、酸味の強い果実酒との組み合わせが絶品であり、この店の名物料理の一つであるという。

「こんな時によくのんびりと飯食う気分になれるな」

 呆れたようなザックスの言葉に、ルメーユは笑った。

「こんな時だからこそですよ。食べられるときに食べておくのは冒険者の鉄則でしょう?」

「それはそうだけど……」

 もう一人の同席者がかぶせた。

「こういうときは嘘でもいいから落ち着いて見せるものよ。わざと時間に遅れて私たちの様子を陰でこっそり窺うなんて事を考える輩だっていくらでもいるんだから……」

 二人の対面に座ったレンディの言葉にも一理あると考え、仕方なくザックスは勧められた小皿の上の肉塊にフォークを突き刺した。膨れ上がった苛立ちを濃厚な味わいの料理とともに果実酒で流し込んで一息つき、改めて店内の様子を見渡した。

 自由都市《ケルケイヤ》。

 大陸に点在する自由都市群の中で最も北に位置するその街に転移したザックス達は、《腹黒な裏切り者亭》という物騒な名のこの酒場で、蛇族の里への案内役を務める予定の旅の同行者が現れるのを待っていた。

 つい先ほどまで店内を湧かせていた奇術師一行のパフォーマンスも終わり、少し広めの店内はまたもとの喧騒に包まれつつある。

 店の最奥のテーブルの一角を占める異様な雰囲気の集団の存在に周囲もどうにか慣れつつあるが、周辺のテーブルの客の回転が異常に早いのは気のせいではないようだ。先ほどの奇術師一行も場を盛り上げるのに随分と苦労していたようだった。

 店側としてはクレームの一つも付けたいところだろうが、ここは冒険者の酒場ではなく唯の酒場である為、冒険者の扱いに慣れていない店員では、その集団に文句をつけるだけの度胸はない。

「こちらに注目が集まらないようにほどほどに目立ってください、とは言ったんですけどね……、まったく……」

「他人のふりよ、他人のふり」

 我関せぬと決め込んで酒杯を口にする二人の先達の姿に肩をすくめ、ザックスはその異様な空気を放つ集団に目を向けた。

 テーブルについているのは五人の冒険者風の男女だった。

 片足を通路に投げ出してテーブルの端に陣取り、ほとんど物言わぬ強面の巨漢の対面には、同じように武骨で巨躯な竜人族の若者の姿がある。

 傍らに置かれた使い込まれた巨斧と怪しく輝く槍の穂先がこれでもかというほどに、持ち主の凶悪さと悪漢ぶりを演出する。

 無言の二人が発する圧倒的な威圧感に半泣きになりそうな店員を呼びつけて、あれこれと甲斐甲斐しく注文するのはホビットの少年で、その傍らには怜悧な微笑を口元に浮かべ湛然と座るエルフ女性の姿があった。とがった刃のような美貌は、二人の巨漢とは違った意味で周囲にプレッシャーを与えており、最後の五人目の存在感を消しつつあった。

 フードを目深に被って顔を隠した五人目の人物は華奢な体つきで女性であることは一目了然だった。

 ――この状況、絶対、楽しんでるよな、あの女性ひと……。

 その腹黒さをよく知るザックスはそう確信していた。ふと彼女と視線が合い、ザックスの予想を裏付けるかのようにフードの中の口元にいたずらっぽい頬笑みが、一瞬浮かぶ。その正体を知られれば店内はパニックになること請け合いであり、事情を知る身としては冷や汗ものであるのだが、当の本人はこの状況をしっかりと楽しんでいるようだった。

 星読みの儀式が行われたその日、彼女とその周囲の人々と言い争った、否、言いくるめられた時の事がふと思い浮かんだ。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 あの日――。

『私をともに連れて行ってください』

 らしくもなく真摯な瞳で同行を申し出たのは、心労のせいか心持ちやつれた風情の神殿巫女マリナだった。

 あまりにも突飛なその申し出に、一瞬、呆気にとられたザックスだったが、すぐさまそれを拒絶した。

「バカ言うなよ。マリナさん。相手は《魔将》ヒュディウスなんだぞ。いくらあんたでも足手まといにしかならないってのは、分からないわけじゃないだろう。」

 聡明な彼女らしからぬ正常とはとても思えぬ判断は、彼女が感情的な女性であるが故であろう。

 一日も早く、イリアを取り戻したい。

 彼女を大切に思うその心情は十分に理解できる。だが、二度も殺されかけた魔将との戦いのみならず、旅先でいかなる不安要素が待ち受けているかということすら分からない。

「あんた、《アテレスタ》で自分がイリアに言ったことを忘れたのかよ? あんたに会いに行ったイリアに神殿巫女としての責務を果たせって言った当の本人が同じ事してどうするんだ?」

「それは……」

 ザックスの正論にマリナは押し黙った。痛いところを突かれ、ほんのわずかに口元を歪めながらも、彼女はそれでも頭を下げ続けた。

「それでも、お願いします、ザックスさん。私はあの娘を迎えに行かなければならないんです。そう約束したのですから……」

 論ではなく感情で要求を押し通そうとする彼女を援護したのは、傍らにいた妹巫女たちだった。

「私たちからもお願いします。マリナ姉さまを連れて行ってあげてください」

 エルシーとフロエが、さらには星読みの影響で体調を崩し、傍らの長椅子に横たわって身体を休めていたリシェルまでが、顔色が真っ青なまま起き上がり、ザックスに頭を下げる。

 ほとんど暴力といっても差し支えない四人の巫女姉妹の懇願に、ザックスは途方に暮れた。

「む、無茶言わないでくれよ、あんた達がイリアの事を思っているってのは十分に分かってるからさ。でも、気持ちだけじゃだめだ。無事に帰ってこれるって保証はないんだぜ……」

 何気ないザックスの一言に一瞬、彼女たちの雰囲気が硬直した。少し離れた場所に立っていたアルティナさえも。

 巫女姉妹たちは互いに目を合わせ、小さく頷き合う。

「それは、覚悟の上です。そのうえでお願いしてるのです」

「どうして、そこまでして……。オレ達に任せときゃいいじゃないかよ。そりゃ、頼りないって言われてしまえばそれまでだけどさ……」

「違います、ザックスさん。決してそういうわけではないのです。ただ……」

 マリナが一瞬、口ごもる。

「私たちは、所詮、ニセモノですから……」

 さびしげな頬笑みを彼女は浮かべる。

「ニセモノ?」

 首をかしげるザックスにエルシーが答えた。

「そう、ニセモノ。私たちはそのあり方そのものがニセモノなの」

「どういうことだよ?」

「創世神殿の理によって導かれる世界において、私達は創世神の御意志を伝える巫女であると同時に、『媛』――最も幸せな存在――そう人々に夢見せる存在でなければならない。資質を見出され選ばれし者としてその責務を果たす事。私達は唯一正しい神殿の教えに従いさえすれば、幸福に生きられるとする幻想の実現者でなければならない。たとえ、それが嘘であるということが分かっていたとしても……」

 傍らで黙って聞いていたアルティナの表情に小さな迷いが浮かぶ。エルシーは続けた。

「でも、本当の私達は皆、家族の温もりすら知らぬ者達の集まり。恥ずかしい事だけど、神殿の大人達にどんなに大切に育てられたとしても、心のどこかで無償で愛されることに飢えてるわ。神殿にやってくる屈託のない親子のやり取りに羨望を抱くことだってある……。そんな私達、いいえ、私にとって幼い頃にここで出会ったイリアとおじさまの関係は、とても眩しかった」

「でも、二人は……」

「そう、二人は本当の親子じゃない。でもあの頃の私には、屈託のないイリアの笑顔とそれだけをしっかりと守ろうとする不器用なおじさまの姿が、私達には決して手に入れられない宝物のように思えた」

 過ぎ去った日々を思い出さんかのようにエルシーは微笑んだ。相変わらず顔色の悪いリシェルが続けた。

「だから、私達は望んだの、ずっとともにあり続けたいと。幼い頃の私達の願いはいつしか家族ごっこ、姉妹ごっこになって私達を結びつけてきた。嘘だけど嘘ではない私達が積み重ね続けたたった一つの本物のつながり。だから私達にとってあの娘の存在と過ごした時間は心の拠り所といってもいい。それを失ってしまえば、私達の心はバラバラになってしまう」

 そこまで言うとリシェルはその場に崩れ落ちそうになる。それをフロエが支えた。

「マリナ姉さまがあの娘を迎えに行くこと、それはあの娘の為だけではなく私達の為でもあるのです。あの娘を取り戻そうと私たち自身で行動を起こすことでしか、私達は私達の嘘を本当にすることはできないのです。苦難の運命に翻弄されるあの娘を安全な場所でただひたすらに待ち続ける。それではあの娘にとって、私達は他人と同じ。特別な存在とはなりえない。帰ってきたあの娘に『お帰り、大変だったね、もう大丈夫よ』とかける言葉は、他人のそれと変わらなくなってしまう。血のつながりという歴とした事実に裏付けられないニセモノの関係が理不尽な運命によって打ち壊されることを……、私達は望みません!」

 たとえ、旅先でマリナが命を落としたとしても、イリアの為に行動した結果であるというその事実の方が、彼女たちにとって重いのだと理解する。

 ふと、《アテレスタ》へ連れて行ってくれと言いだしたときのイリアの思いつめた顔をザックスは思い出した。あの時の彼女もまた、今のマリナたちと同じような想いを抱えていたのかもしれない。

 わがままでエゴイスティックな巫女姉妹たちの願い。

 巻き込まれる方はたまったものではないが、そのように相手を想い、振る舞えることに羨望する。彼女たちのあり方こそが、本物よりも本物らしいとザックスには感じられた。

 ――できることならばその願いを叶えてやりたい。

 だが、ザックスはそれを容易に受け入れることはできなかった。冒険者として、人が死んでいく瞬間に幾度も立ち会った経験が、そうさせた。

 肯定と否定の板挟みにあって途方に暮れつつあるザックスに助け舟を出したのは、それまで黙って成り行きを見守っていたアルティナだった。

「連れて行ってもいいんじゃない?」

 一番に反対するだろうと思われたアルティナの意外な一言にザックスは驚いた。ザックスの態度にわずかに首をすくめつつ、アルティナは続けた。

「旅慣れていない彼女を連れていくリスクよりも、先行き不安な道中、神殿関係者、それも名の知れた神殿巫女に同道してもらえることのリターンの方が大きい。そう考えたらどう?」

「いや、そりゃ、分かるけどさ……」

 マリナの事になるといつもならば感情で突っ走るアルティナの正論に、ザックスは小さな違和感を覚えた。

「らしくねえなぁ。なんかオレに隠してないか?」

「そんなことしてどうするのよ? 今、大切なのはイリアを連れてみんなが無事に帰るために最善の方法を模索することでしょ?」

 視線をまったくそらすことなく、アルティナが意見する。四人の巫女姉妹が同調するかのような視線をザックスに向けた。女性五人がかりで作り出す拒絶不能な雰囲気に押され、ザックスは仕方なくマリナの同道を承諾せざるを得なかった。

「ありがとうございます、ザックスさん」

 次々に頭を下げて示される巫女姉妹達の感謝の意に対して、ザックスは照れ隠しにぶっきらぼうに告げた。

「べ、別にあんた達の為ってわけじゃねえよ。このままだとみんなでついてくるって、言い出しかねないからな」

「そうですね、その手がありましたか」

いつものいたずらっぽい笑みを浮かべてマリナが答え、姉妹達が笑い声をあげた。その向こうで何やら物憂げな表情で一人、考え込むようなアルティナの姿に、ザックスは一抹の胸騒ぎを覚えた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ふと酒場の歓声に、小さなざわめきが交じった。

 物思いにふけっていたザックスは、はっと我に返りざわめきの元へと視線を送った。

 酒場の入口の扉を開けて現れた旅行者風の三人組。服の隙間からちらりとのぞく青白い肌と人間族とは大きく異なる風貌に、生理的嫌悪感を覚えた。傍らのルメーユが立ち上がり、丁寧にお辞儀をする。どうやら彼らがザックス達の待ち人だったのだろう。

 はじめのうちこそ物珍しそうに三人に視線を送っていた酒場の客達もすぐに興味を失くし、再び喧騒へと身を投じていく。

 ザックス達のテーブルへとやってきた三人組は慇懃な態度のまま、挨拶もなく対面の席に座った。

「ルメーユ殿というのは貴殿か?」

「ええ、貴方が《賢き者》の一族、トレイトンさんですか」

「蛇族で構わぬ。遡れば、かの竜人族と祖を同じくするのが我らだ。大いなる敬意を払えばそれでよい」

 真中に座る痩身の男。肌の色は青白く、縦細の蛇の瞳が狡猾さや冷酷さを連想させる。外見から年齢を判断しづらいのが獣人の特徴であるが、おそらく青年から壮年へと移りゆく年頃だろう。

 しばらくじっとルメーユの顔を見つめていたトレイトンは、うっすらとあざ笑うかのような笑みを浮かべた。

 そのまま、約束の時間に随分と遅れてやってきた事に侘びすら入れず、彼らは注文を取りに来た給仕に最上級の酒と料理を勝手に注文する。傲慢さを匂わせるトレイトンと呼ばれる男とその二人の連れの振る舞いに、ザックスは嫌悪感を募らせる。

 何気ない会話をしながらお世辞にも上品とはいえぬ作法で彼らが食事を終えた頃を見計らい、ルメーユが本題に切り込んだ。

「ところで、トレイトンさん、《忘れられた遺跡》という場所をご存知でしょうか? 貴方方の領域近くに存在するということまでは分かっているんですが……」

 ルメーユの言葉に、ほんの一瞬、彼らの表情に動揺が走った。すぐにそれを消しさってトレイトンが答えた。

「さてな、我々の世代では聞いたことのない名だな。部族の老人共なら何か知っているかも知れんが……」

「そうですか……」

 その言葉が嘘であることはルメーユだけでなく、ザックスとレンディにも分かった。怒鳴りつけたいのを我慢して、ザックスはルメーユに状況を委ねた。

「では、我々を彼らのもとへ案内していただけないでしょうか?」

「無理だな」

「どうしてでしょうか? お礼の方なら十分にご用意できますが……」

 ルメーユの言葉に彼らが興味を示すことはなかった。

「たかが、冒険者が数人やってきたからといって、今の我らの里で目的を果たすことなど到底叶わぬ」

「全滅した暗殺部隊の二の舞になると?」

 三人の蛇族の顔に大きな動揺が走った。先ほどとは異なり表情を隠すことすら忘れて、ルメーユを睨みつける。一方、眉ひとつ動かすことなく、ルメーユは淡々と続けた。

「彼らを手引きしたのが貴方達の側の勢力だったということは知っています。そして、それが失敗した以上、貴方方は部族内で反逆者として粛清の対象となっているのではないのですか?」

「冗談ではない。誰が反逆者だ。奴ら卑しき半獣共こそが諸悪の根源であって、我ら純粋種こそが正当な部族の後継者だ! あのようなクズ共に我らが劣るなどと侮辱にも程がある!」

 トレイトンの傍らに座る男が激こうし、テーブルを乱暴にたたく。喧騒に湧く店内が一瞬、しんと静まり返った。

「そうでしたか、それは失礼しました。どうやらこちらの情報に偏りがあったようです。なにぶん、貴方方は非常に閉鎖的な種族故、正確な情報を知る者は少ないもので……」

 ルメーユはそっと立ち上がり頭を下げる。その態度で溜飲を下げたらしく、憤慨していた蛇族の男は傍らのジョッキをあおり、そのまま黙りこむ。

 ルメーユの向こう側に座るレンディの手元がわずかに震えているのがザックスの視界の片隅に映った。

 依然としてブラッドンの消息が楽観できるものではないようだった。ルメーユが続けた。

「暗殺部隊が壊滅した以上、貴方方も次の手を早く打つべきではないのですか。一刻も早く、里の外側の者の協力を仰ぐことで……」

「ほう、貴殿らがその役に立つと?」

「そうですね、我々も自由都市や冒険者の世界ではそこそこ顔が利きます。せめて暗殺部隊として送り込まれた者達の中に生き残りでもいれば、その者から情報を引き出しこちらに送ることで、蛇族の状況を変える手助けになると思いますが……」

 ルメーユとトレイトンの視線がぶつかった。相手の一瞬の表情の変化も見逃すまいと、互いにその視線を外さない。

 傍らのザックスはさりげなく手元のジョッキに口をつけ、二人から視線をはずす。

 緊迫しつつある交渉の過程で、同伴者の何気ない反応や仕草から相手にこちらの手の内を読み取られることを防ぐ――凸凹なパーティのリーダーとしての経験のおかげで、その程度の芸当ができるくらいにはなっていた。

「冒険者が……か。残念ながら我々の貴殿達への評価はつい最近、地に落ちたばかりだ」

 それは暗殺部隊が失敗した事実を指しているのだろう。

「自由都市ではどうか知らぬが、貴殿達の保証程度では我々の理解と協力は得られぬな」

「では、神殿ではどうでしょう?」

「何?」

 蛇族一党の目つきが鋭くなる。ルメーユは声を落とす。

「ここだけの話ですが、我々は神殿より内密に派遣された神殿関係者の護衛をすることになっています。先々の事を考え、貴方方も先行投資と考えられてはいかかですか?」

「どうにも、面妖な話だな」

 トレイトンもまた声を落としたが、先刻より厳しいものだった。

「面妖とはどういう意味でしょうか?」

「ここに来る前、我々は同じような話を聞いた」

「つまり、貴方がたは神殿関係者直々に蛇族の里への案内を頼まれたということですか?」

 ――本当かよ?

 思わずそんな言葉が喉元まで出かかったザックスは、それをごまかすためにジョッキの酒を煽った。だが、対面に座る男がわずかに動揺を見せる。ルメーユのはったりは的を射ていたのだろうか? だが、トレイトン自身の表情は動かない。

「何のことかは分からぬが、仲間内の噂話にそんな話があったようだな」

「ありうることでしょうね。《エルタイヤ》も今回の一件を重く見ているでしょう。問題の解決と新たな秩序の構築のためにそろそろ乗り出すはずです。そして事態を調査するために派遣される一団が……必ずしも一つとは……限らない……」

 再び沈黙が訪れる。ルメーユとトレイトンは互いに相手の手の内を読み合っているようだった。

「我々にその方の案内をしろという訳か。一体、何者だ?」

「すみませんが、詳しくは依頼を確かに引き受けていただくことを了承していただいてからです。ただ、様々な方面において影響力のある方とだけ言っておきましょう。なんといっても相手は神殿ですからね。彼の御方に万が一の事があってはこちらも只では済みませんので……」

 傍らの男がトレイトンに小さく耳打ちする。それを合図に彼らは一斉に立ち上がった。

「少し、時間をいただこう。貴殿の話、少しばかり興味が湧いた」

「ええ、どうぞ、我々はこちらでお待ち申し上げております」

「すぐに戻る」

 対面に座る三人の男達は立ち上がり、そのまま店を出て行った。彼らが姿を消したのを確認してザックスは尋ねた。

「ルメーユ、本当かよ。さっきの話? 《エルタイヤ》が動いたとかなんとか……」

「ええ、ガンツの噂話ですがね。まあ、事ここに至って《エルタイヤ》が何もしないという事はあり得ません。神殿の権威を侵すものは微塵も許さない――それが遥か古より揺るがぬ絶対の不文律ですから」

《エルタイヤ》最高神殿――。

 その言葉はいつも奇妙な圧力を伴って、その時々の場の話題に常にうっすらと影を差す。

 今や戦友にして問題児な『あの男』にペチンと潰してもらった方が世の中すっきりするんじゃないか、などと考えるのは、あながち間違っているとは言い切れないだろう。

「それにしても嫌な奴らだったわね。慇懃で無礼で。一体何さまのつもりかしら……あいつら」

 嫌悪感を隠さぬレンディが吐き捨てた。

「蛇族さま……ですよ。まあ、話には聞いていましたがね……。思ったよりも扱いやすくて助かりました」

「そ、そうなのか……」

 彼らとは余り関わりを持ちたくないと考えるザックスの反応に、ルメーユは笑った。

「胸襟を開き積極的に他者と交わる事をよしとしない閉鎖的思考の集団ですからね。それゆえに異質なものへの劣等感は並々ならぬようです。己と他者との関係を上か下かでしか判断できぬようですから、上手に持ち上げてやればいいのです。それが証拠に絶対者である神殿の名を出しただけでころっと態度を変えたでしょ?」

「それは確かに……」

「あなたも随分と嘗められてたみたいね」

 レンディの指摘にルメーユはわずかに肩をすくめた。

「まあ、外見が外見ですからね」

 エルフの血筋を遠く引くルメーユは、外見にうっすらとその身体的特徴を宿す。

 純血であることに重き価値を置き、相容れぬ妖精族と獣人族のあり方を知るものならば当然の反応だろう。

「バンガスが大嫌いなタイプですね。後で注意しておきましょう。ザックス君達の方はどうですか」

「大丈夫だと思うけどな……」

 アルティナは意外にそのあたりが器用だし、クロルは間違いなくうまく立ち回るだろう。リュウガは基本的に我関せずだが、祖を同じくとかなんとか言っているようだから、うまくやれることだろう。

「では、ザックスくん次第ですね」

「オ、オレかよ!」

 にやりとルメーユが人の悪い笑みを浮かべた。

「まあ、なんといってもこちらにはマリナ様という切り札がありますからね……どうにかなるでしょう」

「鼻の下が伸びてるわよ、ルメーユ。あんた、女嫌いじゃなかったの?」

「いえいえ、美しいものを愛でるのは人の常。尤も醜いものの多くに女性がからんでいるというのはよくある事ですがね」

「男同士の嫉妬や足のひっぱり合いだって十分醜いでしょ?」

「そういう事をするのはまっとうな男ではありません。女の腐った奴です」

「だから、あんたは嫌いなのよ」

 はあ、と一つレンディが溜息をついた。二階席で発言力の強い者の一人であるルメーユだが、実はマリナ親衛隊《ガンツ・ハミッシュ》支部の重鎮であったりする。

「それにしても……、やっぱり……、駄目なのかしら……」

 レンディの表情が曇った。会話の端々から彼らにとっての本命であるブラッドンの消息については絶望的なように思えた。

「どうですかね。今の段階であまり悲観的になるべきではありません」

「でも……」

「彼らはまだ何か隠し事をしているみたいですから。後でもう少しつついてみましょう」

「分かったわ。あんたに任せる。もう同じことのくりかえしは御免よ……」

「ええ、分かってます。そのために私達は動こうとしているのですから……」

 かつて苦楽をともにした仲間を失った事から、彼らは長く足踏みをすることになった。その時の事を思い出しているのだろう。

 そんな会話を交わすうちに、再び蛇族の三人が現れた。先ほどと同じように対面の席に座りトレイトンが口を開いた。

「貴殿の話を了承した。私自ら貴殿達の案内を引き受けよう」

「ありがとうございます、実に心強い言葉にほっとしております」

《エルタイヤ》という言葉には頑固者を動かす魔法の効果もあるらしい。

 慇懃無礼な振る舞いは相変わらずだったが、どうにか協力を取り付けることには成功したようだ。当然大きな見返りを求められることになるのだろうが……。

 頭を軽く下げて微笑むルメーユの傍らで、ザックスも彼に続いた。

「ところで、トレイトンさん。我々をどちらまでご案内していただけるのでしょうか。現状、首府は『反乱者』と呼ばれる勢力によって押さえられていると窺っておりますが……」

 先手をとったルメーユの問いにトレイトンが答えた。

「半獣共が押さえているのは首府とごく一部の村落のみ。勢力事態は我らの方が圧倒的に大きい。貴殿達には我らの勢力下の村々をつなぐ街道を通って、首府近くにある隠れ里へと向かっていただく」

「首府の近く……安全なのですか?」

「問題ない、やつらはもともと大きな行動ができるほど組織立っている訳ではない」

「そうですか。で、そちらに何があるのでしょう?」

 ルメーユのペースに乗せられつつあることに気付いたのだろう。暫し沈黙することで彼は間をとった。

「首府を追われた長老共と部族の主だった重鎮共がいるはずだ。詳しい話はやつらとするがいいだろう」

 自らのルーツにこだわりながらも先達への敬意を感じられぬ言葉に、ザックスは小さな違和感を覚えた。

「忘れられた遺跡の詳細についてということでしょうか? ついでに暗殺部隊の詳細についても聞けると彼の御方はお喜びになられるかもしれません」

 マリナはあまり興味ないだろうが、嘘も方便という。

「その期待にも十分に応えられるだろうよ。聞けば部隊の中でごくわずかであるが、逃げのびた者が匿われているという話だからな……」

 ザックスの傍らで二人が小さく息を呑む。


 それはルメーユ達にとって、その日最大の収穫だった――。


2016/05/03 初稿


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