11 イリア、語り合う!
そんなイリアを暫しじろりと眺めていたレガードだったが、やがてつまらなそうな顔で告げた。
「なるほど、惚れてるわけか。あの腰ぬけに……。下らんな」
僅かばかりに示したイリアへの関心を失くしたかのようにぽつりと言い放つと、レガードは無造作に手元の薪を焚火に放り込む。
「ザックス様は来ます、必ず」
「あり得ないな、小娘!」
「どうしてですか?」
「お前がただ一方的に惚れてるだけだろう? そんな相手のためにわざわざこんな辺境にやってきはしないさ、奴は」
「あなたが彼の何を知っているのですか!」
「知ってるさ、よーくな。奴は強者と手を組むことから逃げ、弱者共と群れることを選んだただの腰抜けだ」
ザックスへのひどい侮辱の言葉にイリアはレガードを睨みつける。
「小娘、愛だの恋だのというのはしょせん幻想だ。現実には決してありえないからこそ、人はそれを美談や悲劇にする。お前がいなくなれば、すぐに別の者が代わりとなる。 獣人族だろうと人間族だろうと妖精族だろうとそれは同じ。本当に欲しいものを手に入れるのが困難ならば、尤もな理由をつけて目先のもので満足してしまうのが『人』というものの卑しさだ」
一瞬、イリアの脳裏に金色に輝く髪が躍った。反射的にそれを振り払いイリアは反論する。
「そんなことはありません! あなたは間違っています!」
「間違ってなんかいないさ。ただ、お前がぬるま湯の中で他者に守られて生きてきたからそんな夢を見ていられるのさ。覚えておけ、小娘! 人は変わる。奴だけじゃない。お前も俺も。大切だったはずのものもいつしか色あせ、そうして人はみじめに老いていく。俺たち獣人は確かに人間族よりも長命かもしれぬが、結局のところは同じさ!」
「そんなのはおかしいです。あなたは一人のままだから、大切なものがないから、そんな風にしか言えないんです!」
神殿でイリアを守ろうとしてレガードに立ち向かった六人の冒険者たちの顔が思い浮かんだ。
仲の良さそうな彼らを、そして家族のような神殿の人々を次々に叩きのめして、ケロリとしているレガードの事が心底苛立たしく……、そして悔しかった。
じわりと胸に熱いものがこみ上げる。
――泣いちゃだめだ。今、泣いてしまえばきっと心が折れてしまう。
それでも熱いものは止まらない。
溢れそうになる感情を必死で押さえ、目を赤くしかけて睨みつけるイリアと焚火の向こうで悠然と夜空を見上げるレガード。
二人の間で火のついた薪が再びぱちりとはじけ、紅の火花が宙を踊る。
不意にそんな二人に予期せぬ方角から声がかけられた。
「やれやれ、いけませんね。小さなレディを泣かせるとは……。レガードさん、少し大人げないのではありませんか?」
からかうような人をくった口調。少し離れた闇にぼんやりと浮かび上がったのは、件の魔人だった。
杯の魔将ヒュディウス――ザックス達の宿敵にして、一連の事態の仕掛け人たる彼の唐突な登場のおかげで、イリアはどうにか己を保つことができたようだった。
「遅ぇ! ヒュディウス、何やってた!」
怖いもの知らずのレガードが現れた魔将を怒鳴りつける。周囲の空気をびりびりと振るわすような怒気にもうろたえることなくヒュディウスは平然と笑みを浮かべた。
「すみませんね、レガードさん。なかなか狙ったタイミングで現世に現れるのは、どうにも難しい芸当なものでして……。一日程度の誤差は大目にみてほしいところです」
まるで死霊のごとくわずかに宙に浮かんだ魔将は、焚火の傍らに近付いた。おぼろげな全体の輪郭からそれが、幻像であることはイリアにも理解できたが、その存在感はあまりにも異質だった。
《魔将》――創世神話の中にのみ存在し、たとえ冒険者であろうとも凡人には縁などあろうはずもない存在。
アテレスタでの偶然の邂逅の様子をマリナから聞いていたものの、いざ、その伝説の存在を前にした彼女は妙に落ち着いていた。日常とはあまりにもかけ離れた存在に実感が湧かないのだろうか? 突然修羅場のど真ん中にたたき落とされた神殿で見たときは気づかなかったが、神話の中の恐怖の対象であるはずの眼前の魔人から感じられるのは、不気味さだけだった。
「はじめまして、というのも変ですが……」
イリアの全く知らぬ作法で丁寧に挨拶する魔人に、あわてて神殿礼で返礼する。
なんとなく滑稽でいて危うげなその状況に、もうどうにでもなれとイリアは開き直りつつあった。
焚火を挟んで三者は向かい合って腰を落ち着ける。
「このたびは少々強引すぎるお誘いをお受けいただき、誠にありがとうございます」
それは、イリアに選択の余地などなかったことを十分に知っておきながらの白々しい言葉。
「私に一体、何の御用ですか」
中級といえども神殿巫女としてはまだまだ未熟。自慢ではないが、《魔将》に頼りにされるような素養など微塵も持ち合わせた覚えはない。
「協力をお願いしたいのですよ、あなたの力とその存在そのものに」
要領を得ない魔人の物言いに眉をひそめる。だが、回答だけは決まっていた。
「あり得ません。私は神殿巫女です。絶対にあなたに協力することなどありえません」
創世神の敵たる魔人、それは創世神話に記されたもっともはっきりとした悪の概念そのもの。まして彼はザックス達の仇敵である。
だが、魔人は笑って答えた。
「あなたの意志などどうでもよいのですよ。あなたが拒否しようとも、運命の歯車はすでに回り始めている。創世神、神殿巫女という枠にしがみつき離れられぬだけのあなたは、激しい運命の濁流に飲まれ、流され続けるだけですから」
不気味に微笑みながら、残酷な言葉の刃を突き付ける。己が魔人の手の上で踊らされ続けることを宣告され、イリアは底知れぬ恐怖を感じた。
「どうしてもいやだというなら、ほら、お腰のものをお使いになられてはいかかですか?」
言われて何気なく手をやった先には、レガードから奪い取った《魔法銀》のナイフがある。
「簡単ですよ。神殿でなされようとしたようにその刃で己の喉を刺し貫けば、あなたは私に利用されることはありません。敬虔な神殿巫女として創世神の御許へと召されることでしょうよ」
己の喉元に刃を突き付けた感触を思い出す。
あのときはエルシーとマリナを助けたい一心で無我夢中だった。今、同じことをしようとしてもおそらく無理だろう。
己の死と引き換えに神殿巫女としての誇りを守るのか?――その意味を理解し、実行するには彼女はまだ幼く未熟すぎた。
そんなイリアの心理を巧みに利用し、彼女の生への欲求を刺激する魔人の手口に気づいたのは、対面で黙って座るレガードだけだった。
「ところでレガードさん、あなたのほうは彼女にご協力いただけることになったのですか?」
レガードは何も言わなかった。
燃える炎の向こうで沈黙を保ち、じっとイリアを見つめていた。代わって答えたのは魔人ヒュディウスだった。
「レガードさんはあなたに洗礼の手伝いをしていただきたいのですよ。ザックスさんと同じようにね」
「私に洗礼を?」
「ええ、彼らの洗礼を無事に執り行うことができるのは神殿広しといえど貴女だけでしょう?」
眉をひそめ、焚火の向こうのレガードを見つめる。先ほど放られたままのクナ石の存在を思い出した。LV50にして中級冒険者のままの彼が冒険者として望む事を瞬時に理解する。
――冗談じゃない!
勝手に拉致して勝手に協力しろというのは、あまりに虫がよすぎる話だろう。
「先ほども言ったはずです。私があなた達に協力することなど絶対にあり得ません」
「おや、どうしてですか?」
おどけた口調でヒュディウスが肩をすくめる。
「だって、あなた方は悪人ではないですか!」
一瞬、その場が沈黙した。
顔を見合わせたレガードとヒュディウスだったが、やがて大声をあげて笑いだした。
「まあお前ら《魔将》は創世神に敵対する魔王とやらのパシリらしいからな……。たしかに悪人だ」
「それを言うならレガードさん、あなたはそのパシリのパシリじゃないですか。あなただって同じですよ」
互いに悪人比べをし始めた二人の姿にイリアは暫し、呆気にとられる。
やがて旗色が悪くなり始めたヒュディウスが、イリアに向き直った。
「協議の結果、どうやら私のほうが悪者度が高いようです。いやはや、何やら残念な気もしますが、おかげで随分と楽しませていただきました。まったく創世神殿というのは、いつの時代も、面白おかしな主張を声高に唱えるもの……、いや、人の世というものこそが本質的にそうなのか……」
「何がおかしいんですか!」
「いえいえ、気になさらないでください。何かを絶対だと信じる者にそれを覆す事実を示したところで、それをたやすく受け入れることができる者などまずおりません。愚者はどこまでいっても愚者なのですから」
眼前の魔人がイリアを侮辱していることは彼女にも理解できた。
「ですが、巫女殿。レガードさんの洗礼は、創世神とやらに与えられた貴女のお役目ではないのですか?」
「だから、先ほども申し上げたはずです。貴方方に協力はできないと!」
「彼が悪の冒険者だから……と? なるほど、ではあなたの言う正義の冒険者とは一体どのような方なのでしょうか?」
「そ、それは……」
「ああ、なるほど。創世神に反逆する悪の《魔将》と対峙するザックスさん達のような方がそうなのでしょうか? では、《魔将》や《魔王》とか呼ばれる者たちと戦う気概もなく、日々ダンジョンを這いずりまわって一攫千金を夢見るだけの冒険者なんてとても正義の冒険者などとはいえませんね」
ヒュディウスの指摘こそがほとんどすべての冒険者のありのままの姿である。
「欲しいものは己の力で……。一つの物をめぐっての競争が生まれれば、そこに勝者と敗者が生まれるのは当然のこと。多くの冒険者がなされるように、レガードさんもまた 己の実力を持って必要なものを手に入れた。そこに一体、どんな差があるのでしょう?」
「あなた達は多くの人を傷つけたではないですか!」
「競争の中で勝者と敗者が生まれ、人が傷つけあい、命を落とすことなど当たり前のことでしょう? 一つの結果を得るために時として醜い足の引っ張り合いをすることだってあるはずです。神殿に来る冒険者達の誰もが、あなたの理想に沿った人生を送っていると本当にお思いなのですか?」
魔人の指摘にイリアは押し黙る。
神殿巫女として多くの冒険者と接していれば、その指摘が的を射ていることくらいは理解できた。
人間族、妖精族、獣人族。種族を問わず『冒険者』というカテゴリーでくくられる者達にとって共通するものは、『冒険者であるというただ一つの事実のみ』である。
酒場に属し、信頼する仲間達とパーティを組んでより困難な迷宮へと挑戦する。そうして得られる名誉と富。
それが冒険者にとって恵まれた環境であるというのは、《アテレスタ》で彼女自身が見てきたはずだった。
種族が違えば価値観も異なる。
時として一つの国を滅ぼすこともある価値観の隔たりを埋めんがための要素の一つが、神殿の規範であるのだが、今のイリアにはまだその真の意味と価値は実感できなかった。ヒュディウスがたたみかける。
「ねえ、お嬢さん。力持つ者が己を生かすために、その欲望に正直になることは悪い事なのですか? 冒険者達に新たな力を与える貴女達巫女の役割というのは結局のところ、それを手助けすることなのではありませんか?」
もはや、イリアには反論できなかった。
ただ彼女の感情だけが彼らを否定する唯一の要素となり、それを言葉として表せぬもどかしさに唇をかみしめる。
「その辺にしたらどうだ、ヒュディウス。神殿の教義のみを絶対とする巫女の前で、それを否定する愚かさをお前自ら実践してどうする? それとも何か? 小娘を泣かせるのは駄目だが、泣く寸前まで言葉でいたぶるのはいいという訳か? 随分といい趣味してるな、お前」
「おや、レガードさん、私は貴方に代わって、貴方の為に巫女殿を説得していたつもりなのですが?」
「余計な御世話だ。当の本人にその意志がないのに無理やり協力させたところで、まともな結果が得られる訳がないだろう? 大体、その気もないのに『貴方の為』だなんて言葉を使うな、偽善者め、気持ち悪ぃ……」
「その言いようはあまりというものですよ、レガードさん。」
「傷つくタマか、お前が?」
ヒュディウスは肩をすくめる。
「まあ、いいでしょう。貴方へのお仕置きは、やがてこの地を訪れるだろう、ザックスさんにでもお任せすることにしましょう」
何気ないその言葉にイリアとレガードの表情が変わった。
「ヒュディウス、テメエ!」
絆の力は明日への活力となる。イリアの心に希望を与えるその一言は、レガードにとって障害でしかない。
「おや、レガードさん、ザックスさんの事が恐ろしいので?」
レガードが表情を消して魔人を睨みつける。もしも彼が幻像でなければ、間違いなく一戦交えていたことだろう。
眼前で不穏な空気を発してにらみ合う二人をよそに、イリアの心に暖かな希望がふくらんだ。
――ザックス様が来てくれる。
小さな希望の火種は同じ時を過ごした思い出とともに、眼前の焚火の炎のごとく赤々とイリアの心に燃え上がる。
――大丈夫、私は絶対、頑張れる。
打って変わって明るくなったイリアの表情を、ヒュディウスがめざとく見つけた。
「これはこれは、お嬢さん。随分と嬉しそうですね」
「当然だろう。その小娘は奴に惚れてるんだからな」
イリアの頬にわずかに赤みが差したのは、焚火の炎のせいだけではないだろう。
「成程、若いというのは実によいものですね。純粋でうらやましい限りです。ただ……」
ヒュディウスが意味ありげに笑う。
「ただ本当にそれが愛だの恋だのという温かな感情であるかは別問題ですがね」
その言葉に何か不穏な気配をイリアは感じた。
「どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味ですよ。お嬢さん。とある冒険者と神殿巫女が運命的な出会いの果てに恋に落ちる、まあそんなところでしょうか? では、彼女は彼の何に惹かれたのでしょう?」
「そんなこと貴方には関係のない事です!」
他人の心と思い出に土足でずかずかと入ろうとする魔人の言葉にイリアは憤慨する。だが、ヒュディウスは構わずに続けた。
「眼前に現れたのは冒険者としてはあまりに異質な存在だった。そう、彼の中に溢れる初めて見る異常なマナを敏感に感じ取った貴女が大きな錯覚を起こした……こんな解釈はいかかでしょう?」
何を馬鹿な事を、そう一笑に付すべきはずの場面だった。だが、イリアの心に走ったのは大きな動揺だった。心のどこかで何かがかっちりと噛み合う――そんな感覚を覚えた故だった。
「ねえ、お嬢さん。初めて、エルフの姫君を目にした時、あるいはレガードさんを目にした時、貴女は何も感じませんでしたか? ザックスさんの時と同じように……」
「そんなこと……知りません!」
心の奥底をのぞきこまんとする魔人の視線から、彼女はあわてて目をそらした。
こん睡中のアルティナの時は、異常を感じるどころの騒ぎではなかった。状況そのものが異常だったというのが本音だろう。
けれども神殿に現れたレガードを一目見たとき、彼女の中に生まれた奇妙な感覚、その正体をずばりと言い当てられたような気がした。だが、それをイリアが認めることはできなかった。認めてしまえば、ザックス達と過ごした時間のすべてが嘘になる――そんな気がした。
動揺を隠せぬイリアの姿に微笑みながらヒュディウスは続けた。
「まあ、お気になさらないでください。人は所詮、錯覚の生き物ですから。嘘から出た真実など世の中にはいくらでも転がっていますしね。でも、私にとって最も興味あるのはそんな貴女が本当は一体何者なのかということですよ、お嬢さん」
「私が……ですか?」
「人の身でありながら《現世》を超えた世界に力を及ぼす巫女、あり得ないことです」
「そんなの知りません! 私は唯の神殿巫女です」
血のつながりのない義父ライアットの娘として、マリナをはじめとした義姉達と共に神殿で育ったはずの十余年の人生。それがまぎれもないイリアの真実である。
二人の様子を剣呑な瞳でレガードが見つめる。
「面白そうな話だな、ヒュディウス。お前、まだ俺に何か隠してたのか?」
「さあ、何のことでしょうか?」
睨みつけるレガードに対して魔人はすっとぼけて見せ、そのまま宙へとふわりと浮かんで見せた。
「さて、それではそろそろ行くとしましょうか。私もいろいろと忙しいのでね」
「小細工しすぎて墓穴を掘らなきゃいいけどな」
「ご忠告、肝に銘じておきましょう」
言葉と裏腹にそれを望むようなレガードの皮肉に魔人はわずかに顔をしかめた。イリアに向き直り、魔人は続けた。
「すみませんが、お嬢さん、もうしばらくご不便をおかけしますね。なに、そう遠くない未来に事態は大きく動くはずです。ただ、その時、貴女の身が無事であるかどうかは保証できませんが……」
不気味な予言を残して魔人は姿を消す。
後に残されたのは、煌々と闇を照らす焚火の炎だけだった。
2016/05/01 初稿