08 ブラッドン、襲撃す!
昨今の獣人族社会には少しばかり厄介な問題が起きつつあった。
自由都市に身を置き冒険者として長く時を過ごしたものの多くが、そのまま自由都市に住み着きその場所の住人であり続ける事を選ぶ。必然的に優秀な人材が部族の里から外部へと流出し、誇りをもって己の部族を支える者達の質が低下していた。
特に冒険者として現役でいる間は、部族という枠に帰順する事に反発を覚える者も多い。今回の一方的すぎる招集は、個々の意思を尊重する猫族の者達は当然として、集団の理に比較的従順な犬族の者達ですら大いに不満を訴えた。
しかも、彼らへの命令としかとれぬ依頼内容は、重要人物の暗殺である。
正しさだけでは成り立たぬ人の世で生きる以上、世の中に必要とされるクエストが、常に協会より支給されるものばかりの筈はない。ただし、そのような依頼内容は、通常、協会認可の酒場ではなく、裏酒場と呼ばれる場所で支給される事が圧倒的に多い。
重要人物の暗殺、あるいは賞金首の身柄確保を専門に扱う者が重宝されるのも、冒険者の世界の裏側ならではである。
招集された名のある冒険者の多くがそのような汚れ仕事とは縁遠い事もあって、ほとんど全ての者が不平を述べたものの、総族長会議によって選ばれた執行役が、協力せぬなら各部族から永久に追放するという横暴極まりない宣言をする事によって、彼らを唖然とさせた。
総族長会議の並々ならぬ決意に不穏な物を感じつつ、提示されたクエストの内容は誰もが眉をひそめるものだった。
『蛇族新総族長及び幹部数名の暗殺』
それなりの人口を有し、六部族の一角に位置する蛇族だが、他の部族からの評価は、圧倒的に低い。嫌われ者という言葉が妥当だろう。
決して温かみを感じさせぬ青白い肌をはじめとして他者と大いに異なる見た目もさることながら、実のところ彼らが過去に起こしてきたいくつもの混乱が、彼らの評価の低下に拍車をかけていた。
標的が蛇族の新たな総族長とその周囲を固める幹部達ということを聞くや否や、横暴な上層部への冒険者達の怒りが当然の如く彼らへと向けられた事からも察せられる。
――とうとうこうなったか。
――あいつらなら仕方がない。
――いらん手間かけせやがって。
種族的な偏見は、己の身に起きた理不尽に対する怒りを助長させ、修羅場なれしているはずの彼らですら、感情的な結論へと容易に至らしめようとしていた。
さらに問題が一つ。
招集された冒険者達の任務へのアプローチの仕方の違いである。
個々の戦力は圧倒的ながらも、その多くが初めて組む者同士である。
気心の知れたパーティメンバーならばともかく、平時においてはライバル視していた者達が一同に会し、突然難易度の高い裏クエストに挑まされるのだから、その混乱ぶりは想像に難くない。
過去に対立したことすらある他者に対して、冒険者としての手の内を知られる事を好まぬ者も多い。
個々人の相性もあるだろう。
皆それなりに名の通った者達だけに、我の強い者が集まり、誰が主導権を握るかで議論を紛糾させ無為な時間が過ぎていく
時の経過と共に徐々に子供じみた感情論へと発展しながらも、協議の結果、彼らは二手に分かれて行動することでどうにか合意した。
二つのチームのうちの大部分を占めるのが犬族と猫族の冒険者達。
集団の連携を重視して行動する犬族が率いるチームと、個々の自主性と能力を重視しつつ、臨機応変にフォローし合って行動する猫族が率いるチームに分かれて、潜入クエストが始まった。
彼らのうちの誰もが難易度こそ高いものの、クエストの失敗など予想だにしなかった。
獣人族の里はそれぞれがちょっとした小国にも匹敵する面積を有している。《蛇族の里》はその北方部に首府と呼ばれる中央集落を構え、領域内に小さな集落が無数に点在する。
今回のクエストの直接の依頼主は総族長会議ではあるが、彼らにそれを依頼したのは、蛇族の中の現体制に対する反動勢力だという。里に潜入した二つのチームは、その導きの下、やすやすと首府へと接近した。道中、障害となる事態は皆無と言ってよかった。
途中、反動勢力支配下のいくつかの小集落に立ち寄った彼らだったが、そのあまりの窮乏ぶりに誰もが眉を潜めた。
獣人族の里は、人間族の国々、とりわけ自由都市諸国家や古王国に比べれば決して豊かとはいえないが、大陸の各地で勃興を繰り返す小国家群よりは繁栄していた。時に人間族の真似ごとなどと揶揄される統治体制や、創世神殿および自由都市群との文化的経済的つながりによって、部族間に若干の差はあれど、安定した治世が保たれそれぞれの長い歴史を積み上げていた。
だが蛇族の里の各地に点在する集落はどこも困窮し、追い詰められる人の集団にありがちな余裕のなさに満ちていた。中央集落である首府と近辺のごく一部の集落だけが繁栄するその姿は、不公平と不平等、そして理不尽に満ちた彼らの社会の現状を雄弁に物語り、繁栄にあずかれぬ者達の支配層に対する怨嗟の念が里中に渦巻いていた。
数日の強行軍のはてに辿りついた《首府》の街並みを前にして、多くの冒険者達が矛盾だらけの己の立場と役割を正当化せんがため、仮初めの正義を胸にしていた。
夏の盛りのこの時期は、ずいぶんと日が長い。日が暮れてそろそろ宵の口となる時間帯にあって、巨大な石壁に守られた《首府》の街並みは少しずつ静まっていった。たいていの自由都市の盛り場が盛り上がるのはこれからの時間帯であり、秩序と繁栄の証たる明るい灯の下で多くの人々の笑い声が響き合う。
だが、時を追うごとに加速度的に静寂が支配していく《首府》の街並みは、昼間の繁栄の姿が表面的なものであり、その場所に暮らす者達も又、幸せという言葉とは縁遠い事を感じさせる。無秩序を謳歌し、宵闇に紛れて悪逆非道を働く暴漢達を恐れて、多くの無力な者達はその家々の門を固く閉ざして不安な夜を過ごすのだろう。
時折小さな、悲鳴が聞こえては、再び何事もなかったかのように静寂が蘇る。それはこの街に暮らす人々にとっての異常な日常なのだろう。
静まりかえる首府内に、神殿の鐘の音が不気味に響きわたる。城壁の外でそれを耳にした全ての冒険者達の脳裏に、不意に薄気味の悪い予感が浮かびあがり、互いに顔を見合わせる。ゲンが悪いとばかりに言葉にすることなくそれを脳裏に追いやり、彼らはじっと行動の時を待っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「もう、帰りたいわ……」
岩山の影から眼下に広がる《首府》の姿を見下ろしながら狐犬族の女冒険者――シュリーシャが忌々しげに呟いた。その傍らで息を潜めていたブラッドンは相変わらず黙したままである。
「冗談じゃないってのよ、あのクソ族長。このアタシをこんなド田舎に放り出して……。ナニサマだってのよ! だいたいなんなのよ、この陰気な街は……、アイツらの嫌なにおいまで漂ってきそうだわ。臭いったらありゃしない。もうホントに帰ろうかしら……。見てよ、自慢の尻尾もこんなにパサパサになっちゃって! 帰ったら専用のオイルで一番に手入れし直さないと。あれ高いのよねえ。いやだわ、最近何かと物入りだってのに……。クエストのついでにどっかの金蔵で迷惑料を徴収したって罰はあたらないわよね! ああ、やっぱり駄目ね。アイツら貧乏だもん。報酬の上乗せを要求した方が確実ね。冒険者協約に詳しい奴に相談して……。でもあんまりイチャモンつけるとダメかしら。ケチなジジイ共に目を付けられるってのも嫌よねえ。こっちは働きに応じた正当な要求してるってのに。下手したらクレーマー扱いされるし……。若者はアンタらのドレイじゃないっての、全く。正しい事を言う人間を煙たがる最近の風潮ってホントにどうかと思うわ。結局、巡り巡って自分達の首絞めてるだけじゃない。他人の顔色と風向きばかり気にしてる奴らとつるんだって、何時後ろからバッサリ裏切られるか分かったものじゃないってのに……。鬱陶しいったらありゃしないわ。アンタもそう思うでしょ? ねえ、ちょっと聞いてる?」
ゲン担ぎの最中のブラッドンは、相槌代わりに軽く尻尾を振った。彼女の側も別段、返答や相槌を求めるわけでなく、ブラッドンが聞き役に徹する事で、十分に満足しているようだった。
ほとんど独り言のようにこれでもかとまくしたてるシュリーシャもまた、名のある上級冒険者の一人である。この不満だらけのクエストに挑むにあたって、ブラッドンは過去数度、臨時のパーティを組んだことのある彼女に、パートナーとして強引に指名された。
ミッションやクエストの最中には言葉を発しないというブラッドンのゲン担ぎを知っている彼女は、道中、一切黙して語らぬ彼の傍らで立て板に水とばかりに饒舌ぶりを発揮していた。
「アンタの代わりに喋ってあげてんだから、感謝しなさいよね!」
その言葉通り、ここまでの道中、一切喋らぬブラッドンに、事情を知らぬ周囲の者達が気を悪くせぬよう、彼女はその話術で彼をフォローしていた。
本来ならば、感謝してもしたりぬところであるが、不思議とそのような気にはなれない。
三度の飯よりおしゃべり好きというその実情を、かつてうんざりした表情で聞かされた彼女の仲間達のお陰であろう。黙っていればクールな外見の狐犬族の美女も、一度口を開けば、《ガルガンディア》通りを我が物顔で闊歩する『オバチャン』そのものである。外見に騙されて近づき、見た目と中身の修復不能なギャップに絶望し、トラウマを植え付けられた男達も多いという。最近流行りの『残念美人』というのは彼女のような者を指すに違いない。
『喋ってないと生きてらんないわ』と言わんばかりの彼女の相手をするのは並みの神経では不可能であり、立て板に大洪水の彼女と一切黙して語らぬブラッドンのコンビは、犬族率いるチームの中で異様な存在感を醸し出していた。
リーダー格の冒険者も、触らぬ神にタタリなしとばかりに無関心を決め込み、結局、いつ果てるともない彼女のおしゃべりと、相槌代わりに小さく揺れるブラッドンの尻尾だけが宵闇の中に浮かびあがる。
やがて、夜の訪れを告げる不気味な鐘の音と共に閉じていた正門が音を立てて開き始める。おそらく暗殺部隊の協力者の仕業によるものだろう。
「裏切り者……か。あんまり気持ちいいモノじゃないわね。でもこの場合は私達の味方なんだから、目をつぶれってことか……」
大多数の一般人が好む普遍的な正義など所詮、夢物語。むしろ悪同士が凌ぎを削りあうのが現実というものだろう。
これから彼らが行う暗殺行為は、大多数が夢想する正義とは全く程遠い事を十分承知の上で、彼女は周囲の者達の迷いと不安を代弁する。自分達は正しいのだ――後味が苦いという言葉では足りぬであろう行為を正当化するには、彼らはそう思いこまねばならなかった。
リーダー格の男が立ち上がり先頭を切って歩き始め、次々にその後に仲間の冒険者達が続く。ブラッドン達の姿もその中にあった。動き始めた彼らの動作にもはや迷いはない。
迷えば死ぬ。
その理が魂に刻まれているのが上級冒険者である。
凶悪極まりないモンスター達が徘徊するダンジョンに挑むかの如く、冒険者達はきびきびとした態度でやすやすと《首府》へと潜入した。
市壁の内側へと潜入した一行は闇に包まれた大通りを疾走し、目的地へと突進した。補助魔法を三重駆けした彼らの疾走は正に突風のようだった。目指すは首府内中心区画にある創世神殿。音信不通の神殿関係者の安否の確認と身柄の救出、そして暗殺対象の速やかな排除。それが彼らの役割である。
もう一方の門から突入した猫族の部隊も同様に北区画にある政庁を襲撃し、こちらは標的の本命である総族長及び大幹部達を抹殺する手筈だった。
投入された戦力から考えても決してしくじるはずのないクエスト。闇の中を疾走する冒険者達の心の中に小さな油断が生まれつつあった。
首府の中心を西から東へと流れる川のせせらぎが不気味に闇の中を木霊する。橋を駆け抜け、目的地へと辿りついた彼らは小さな驚きと共に足を止めた。
煌々と明かりの灯された神殿の正門前には武装した蛇族の若者達の姿があった。その数およそ百人。見張り番というには多すぎる。明らかに彼らの襲撃を察知して武装した一団だった。
――図られたか!
僅かに生まれた動揺は一瞬にして消える。五倍以上の数の敵を眼前にして、集団が冷静さを保てたのは、圧倒的な実力差故だった。大陸に存在する数多の冒険者達の中でも選りすぐりの実力者たち。戦闘モードに入った冒険者達は顔色一つ変えずに予期せぬ状況に対応した。
数の理に油断したのだろうか。つるりとした蛇族特有の顔にニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべる若者達に対して、冒険者達は一気に襲いかかった。
炎弾が弾け、氷槍が浴びせられ、雷撃の牙が襲いかかる。
そこそこの訓練を受け、一端の戦士きどりの蛇族の若者達も所詮は平凡な獣人である。マナの力を最大限に引き出すことのできる上級冒険者達の集団相手にはなすすべもなかった。分不相応な武器を手にして得意気だったその姿は、すぐに恐怖と絶望に変わり絶叫を上げて事切れる。
あっという間に武装した一団は蹴散らされ、倒れて転がる者に止めを刺して回る冒険者達の姿ばかりが目立つようになった。
臆病風とともに逃げ出した者達を放置し、冒険者達は確実に、冷静に、次なる行動をおこす。
神殿内の捜索と隊路確保の為に隊を二つに分けると、捜索隊の面々の姿が不気味に暗く口を広げる神殿内へと消えていった。
退路確保の為にその場に居残った四人のメンバーを率いるのはブラッドンの相棒のシュリーシャだった。
累々と並ぶ屍の死臭が周囲に立ち込め、神殿の正面を流れる川の水音だけが響きわたる。闘争の音と絶叫が時折神殿内から木霊するも、時間の経過と共にそれらは減っていった。
「遅い! 一体いつまで待たせるつもりなの!」
すでに予定の時間を随分と越えていた。
音信不通の創世神殿関係者の安否の確認と身柄の救出。及び暗殺対象の速やかな排除。
選りすぐりの冒険者達が、暗殺対象の始末に手間取る事はおそらくないだろう。そして前者は当初より絶望的である事は誰もが予想していた。おそらくその確認と証拠品の収拾に手間取っているのだろうが、それにしても時間がかかりすぎる。
我慢の苦手なシュリーシャのとめどない愚痴にそろそろ周囲が限界を覚え始め、ブラッドンが、神殿内に入って状況を確かめようとした矢先だった。
闇に包まれぽっかりと口を開く神殿の中からよたよたとよろめきながら、何者かの足音が近づいた。緊張して武器を手にする四人の待機組の前に現れたのは、先程神殿内へと潜入したはずの冒険者の一人だった。
暗がりの中でバランスを崩し倒れかけるその身体を、慌ててブラッドンが受け止める。ぬるりとした感触と予想外の身体の軽さに全身が総毛だった。傷ついた冒険者の身体を抱きかかえ、暗がりから表に出たブラッドンの顔色が変わる。
「ちょっと、これって、どういう……」
いつも饒舌なシュリーシャが言葉を失った。居並ぶ誰もが同じだった。
肩口からまるまる左腕を食いちぎられ、全身をズタボロに切り裂かれた冒険者はほとんど虫の息だった。まるで巨大なモンスターによって蹂躙されたかのようだった。
「何があった?」
ゲンかつぎを忘れたブラッドンの問いに冒険者は苦しそうに呟いた。
「に、逃げろ……。作戦は……、失敗だ。皆……やられた。ここは……、化け物……の……巣だ……」
大量に喀血し、そのまま事切れる。光が失われた瞳をそっと閉じさせ、ブラッドンはその身体を冷たい石床に横たわらせた。
決してありえぬ筈の事態に誰もが沈黙する。饒舌な彼女すらも……。
彼らの前にぽっかりと口を開ける神殿の暗闇の向こうから、時折何かが這いずるような音が不気味に響く。常に危険と隣り合わせの世界にいる冒険者としての勘も、「この場から一刻も早く逃げろ」と最大限の警報を鳴らしていた。事実を確認する余裕など全くない事を誰もが理解し、互いに頷き合う。唯一の仲間の遺体すら回収できず、彼らは この場を立ち去ろうと身を起こした。瞬間、彼らの背後に三つの気配が現れた。
「あらあら、皆さん、どちらに行かれるおつもり? 私どもの歓待はお気に召さなくて?」
ころころと笑う女の声に誰もが息をのむ。若者達の躯の山の向こうに現れた三人は、やはり蛇族だった。衝撃の事態を前に、虚をつかれたとはいえ、彼らにその存在を気付かせることなくすぐそばまで近づかれた事に誰もが動揺する。
再び真ん中に立つ女が口を開いた。
「ごゆっくりしていって下さいな。皆さん。政庁に向かわれた方達もつい先ほど楽しそうにお揃いで逝かれましたわ。残っているのは貴方達だけ……」
ちろりと一瞬、赤い舌が伸びる。鮮やかな色合いの一枚布を身体に巻きつけた女の姿形は蛇族に近いが、肌の色はどことなく人間族に近い。
その傍らに立つ二人の大柄な男達共々おそらく半獣人なのだろう。先ほどの武装した若者達とは全く異なり、粗末な布切れを身にまとっただけの彼らは、身体の一部に蛇族の特徴を残しつつも、その外見には人間の特徴が色濃く残る。だが容姿以上に奇抜なのはその振る舞いだった。
「ねえねえ、殺していい?」
「引き裂く……。腸をぶちまける……。たっぷりといい声で鳴かせる……。毛皮を剥いでバラバラに……」
年齢に釣り合わぬ幼い振る舞いをする男の傍らで、もう一人の男は蛇の瞳を細く輝かせながらぶつぶつと呟き続けている。明らかに狂気をはらんだその姿に、居合わせた冒険者達は一瞬身を固め、殺気をほとばしらせた。それを感じ取った二人の蛇族の男が腰から短剣を引き抜いた。暗がりに短剣の赤い刃が不気味に輝く。
「ねえ、あれ、なんて言うんだっけ?」
短剣を逆手に持った男が女を振り返る。面倒臭そうな態度で女が答えた。
「我らが偉大なる蛇神に捧ぐ、我こそは正統なる御使いなり、よ」
女の返答に僅かに首をかしげると男はたどたどしく、その言葉を繰り返そうとした。
「われらが……、ええと……ささぐ……? せいとうな……なんだっけ……」
男の振る舞いに女はつきあってはいられないとばかりに溜息をつく。
「ええい、もうめんどくさいや。 ぼく……さいきょう!」
言葉と同時に赤刃を己が胸板に叩きつけるように突き刺す。傍らの男も同じように刃を己が胸に突き立てた。二人の挙動に顔色一つ変えずに女は彼らから離れた場所へと身を移す。
狂気をはらんだ男達の論外の振る舞いに唖然とする冒険者達の眼前で、己の胸に刃を突き立てた男達が苦しむかのような声を上げ始めた。やがてそれは獣の咆哮へと変わっていく。同時に二人の姿が異形へと変化する。
体幹部がみるみる肥大化し、身にまとっていた粗末な布地は瞬く間に引き裂かれた。手足が収縮すると同時に尾が長く伸び、二人の姿は、大木の幹の如き太さの二匹の大蛇と化した。
チロチロと舌を這わせながら二匹の大蛇はとぐろを巻き互いを威嚇し合う。
「あらあら、やっぱり理性は吹っ飛んじゃったみたいね。所詮、失敗作のできそこないは何をやっても駄目だったってところかしら」
少し離れた場所に身を移した女はさほど落胆した様子もなく、その変わり果てた姿を一瞥した。
ブラッドン達は眼前の常識外れの事態に動揺したものの、すぐさま冷静さを取り戻した。《大剣》を手にした山犬族の男が数歩進み出る。それを合図にブラッドン達は隊列を組み直した。理解不能な事態の解明よりも、今はこの場を無事に切り抜けることが優先される――長い冒険者としての経験が彼らにそう選択させた。
山犬族の男を先頭に、ブラッドンともう一人の狼犬族の男が続き、後衛でシュリーシャが待機する。
上級冒険者ともなればこのクラスの大蛇型のモンスターなどさほど珍しくはない。
両手で《大剣》を構えた山犬族の男が咆哮する。
「たかが、姿を変えたくらいで調子に乗るな! この程度の修羅場、俺達には朝飯……」
ブンと空気を切る音と共に山犬族の男の上半身が消失する。一瞬の出来事だった。
残されたのは石畳を真っ赤に染め上げる彼の下半身のみ。ヒィとシュリーシャが悲鳴を上げる。慌ててその場を大きく飛び下がって距離をとる冒険者達を尻目に、その場に立ち尽くしたまま残された下半身に二匹の大蛇が襲いかかる。争うかのように飛びかかり獲物をかみ砕いて丸呑みにすると、互いに威嚇し合う。
飲み込んだ餌で身体の一部を膨らませて睨み合った二匹の大蛇は、さらにあろうことか、互いに襲いかかった。
長い身体を複雑にからめ合って締めあげ、互いの尾を飲み込んだ二匹は、締めあげた身体を大きく軋ませながら石畳の上を暴れ回り、徐々に動きを鈍らせる。やがて二匹は動きを止め、その目から光が消えた。互いを食い合おうとして死んだ二匹の大蛇の身体はマナの光となって消えていく。それらの中にひと際輝く結晶が二つほど不意に浮かびあがり、強い光を放った後で消えた。消滅というよりはどこかに転送されたかのようにみえる。後には無残に引き千切られた山犬族の冒険者の亡き骸だけが残された。
2016/04/20 初稿