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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚05章 ~狂乱の蛇神編~
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06 ザックス、呆ける!

 夜の大神殿内には重苦しい空気が立ち込めていた。

 火晶石の明かりが煌々と灯り、重武装した神官達が緊張した面持ちで神殿内を見回っていた。神聖なはずのその場所を暴漢に蹂躙され、一人の巫女を拉致されるという前代未聞の不手際に、誰もが驚きを隠せなかった。

 ――神殿内で乱暴狼藉を働く者などあろうはずもない。

 長い時と共に積み重ねられた権威に対する幻想は、その場所に仕える者達の傲慢と油断を育て、取り返しのつかぬ結果を生じさせた。

 厳かなはずの神殿内に殺気だった空気が渦巻き、険しい顔つきの神官達のチームによって《ペネロペイヤ》市内の見回りも強化されていた。


 救護所の一室の寝台の上には、発熱に苦しむエルシーが寝かされ、神殿巫女のマリナとフロエが付き添っている。少し離れた場所で、急ぎ駆けつけたザックスとアルティナがそれを見守り、開け放たれた戸口からは二人の巫女見習いが不安そうに室内を覗き込んでいた。

 幸いエルシーの傷は、速やかな処置によって大事に至らなかった。身体に受けた一撃よりも精神への衝撃のほうが大きかったらしく、そのせいで発熱したらしい。一晩眠れば収まるだろうという治療師の見立てに、誰もがほっと胸をなでおろした。

 眠ったままのエルシーの額の汗を拭こうとしたマリナの身体が、不意にがくりと崩れ落ちそうになる。

 とっさに背後にいたフロエがその身体を支えた。

「マリナ姉さまも横になって。あんな目に遭われているのに、これ以上無理すれば、お身体に障るわ」

 修羅場特有の緊張感は人の精神力を容赦なく削り取る。事件の渦中に置かれたマリナは、如何に優秀な神殿巫女とはいえ修羅場慣れしておらず、その心にかかった負担は計りしれぬはずだった。

《魔将》ヒュディウスとレガードに立ち向かいながらも、みすみす愛する妹分が拉致される場面を見過ごさねばならなかったその心痛は察してあまりある。

「私は、大丈夫です。せめて、エルシーだけでも……」

 虚勢をはるその表情は憂いを帯び、憔悴しきっている。それでもエルシーの傍らに居続けようとするのは、誰かの為に何かをしていなければ、居ても立っても居られない――そんなところなのだろう。

 不意に廊下の向こうから何者かの足音が近づいてきた。

 すたすたと早足気味のその足音は、常に優雅な振る舞いを求められる神殿巫女にしては、らしからぬものだった。

「あなた達、そこで何をしてるの?」

 戸口から中の様子を覗いて二人の巫女見習いを咎めるかのような声に、一同が振り返る。そこには巫女見習いにして《ぺネロペイヤ》大神殿屈指の悪戯士ルッテとメモル、そしてマリナ達の妹分の一人であるリシェルの姿があった。

「だって、イリア姉ちゃんが……」

「エルシー師匠、負けちゃったんでしょう?」

 直ぐ身近で起きた大事件に、幼い少女達にも思う事があるのだろう。リシェルは不安そうな二人の前でかがみ込み視線を合わせると、そっと二人を抱きよせた。

「大丈夫、今、神殿中の人々が総出で行方を追ってるわ。貴方達にできる事は自分の部屋で大人しくして、イリアの帰りを待つことだけよ」

「はぁーい」

 しぶしぶと返事をする二人の少女達。リシェルの言葉にも決して力がある訳ではない。二人にそのように言うことで、己にも言い聞かせようとしているのだろう。

 すごすごと自室へ戻っていく二人の背中を見送ると、リシェルは室内に入りザックス達に会釈した。

「どうでしたか?」

 マリナの問いにリシェルはそっと首を横に振った。

「駄目よ、全く手掛かりはないみたい」

「そうですか、やはり……」

「すでに神官団が動き、あちこちの都市の神殿にも連絡が行ってるわ。冒険者協会にも報告されてるからどうにか……」

 言葉の割にリシェルの表情は冴えなかった。

 如何に神殿の情報網とはいえ、得体の知れない力を振った《魔将》の行方を簡単に掴む事は困難なのだろう。尤も去年の夏までは伝説の中だけの存在だったのだから、仕方が無いのであろうが……。

「なあ、おっさんはどうしてるんだ?」

 イリアの義父であるライアットが一向に姿を現さぬ事に、ザックスは疑問を覚えた。答えたのはリシェルだった。

「おじさまはここ暫く《エルタイヤ》の最高神殿に詰めていらっしゃるの。勿論、今日の事は報告済み。今頃、胸を痛めていらっしゃるはずよ」

「きっと今頃、《最高神殿》のお力をお借りできるように動いていらっしゃるわ……」

 マリナがぽつりと続けた。彼女達姉妹を長年見守り続けてきた不器用な男だからこそ、できる事をしているようだ。

 ――それでも果たして手掛かりが見つかるのか?

 相手が相手だけに、室内の誰もが決して口にできぬ不安を胸に秘める。

《魔将》――それは創世神の意思とその理に反旗を翻すもの。

 およそ一年前までは、彼らはほとんど物語の中だけの存在だった。あのウルガ達ですら五年間かけて手掛かりを探し続け、ようやく偶然に恵まれただけである。

 感情の赴くままに駆けつけたまではよいが、全くといって、何の対策もとれずに立ち尽くしたままの己の非力さにザックスは悔しさをかみしめていた。

「レガードの野郎! よりにもよってヒュディウスなんかと手を組みやがって!」

《貴華の迷宮》最下層での魔人とのやりとりで分かっていた事だった。事実を楽観視した訳ではなかったが、問題を放置し、先手を取られてしまったのは事実である。

憔悴した神殿巫女達の姿を一人一人眺めていくうちに、ザックス自身が居ても立ってもいられなくなっていた。

 ――何かをしていなければ気が狂いそうだ。

 そんな思いに駆られふらふらと歩きだそうとする、不意にその腕をアルティナが掴んで引き止めた。

「どこ行くつもり?」

「決まってるだろ、探しに行くんだよ、イリアを!」

「どこへ?」

「それは……」

 八方ふさがりの現状で目的地などあろうはずもない。熱くなって感情的に振舞おうとするザックスをアルティナは押し止める。

「ここにいたって……どうにもならないだろ?」

「一人で何ができるの?」

「お前はイリアの事が心配じゃないのかよ!」

 瞬間、パチンと乾いた音が室内に響いた。打たれたザックスの右頬が熱を持つ。

「私だってあの娘の友達よ! 心配しない訳ないでしょう!」

 吐き出すように言ったアルティナは、ザックスを睨みつける。

「しっかりしてよ、ザックス! 混乱してるのは皆同じ。すぐにでも飛び出していきたいのだってね! でもレガードやヒュディウスとやりあってイリアを取り戻せるのは私達だけよ! 彼らの行方が分かった時に肝心の貴方がいなくて、手遅れになったら何にもならないじゃない!」

 押さえていたものを吐きだすかのように声を荒げたアルティナは悔しそうにうつむいた。彼女も又、当事者との一人として胸を痛めていたことを理解する。

「ゴメン、アルティナ。悪かった」

 冷静さを取り戻したザックスの言葉がしんと静まる室内に広がった。沈黙が訪れ、室内に重苦しい空気が広がった。

「姉さま、私が星詠みをしてみましょう」

 沈黙を破ったのはリシェルだった。マリナとフロエの顔色が僅かに変わる。

「リシェル、でも……」

「大丈夫よ、最近は体調もいいし、何よりもあの娘(イリア)の為だもの。それが私にできる精一杯だから……」

 穏やかに笑う彼女に反論出来る者はいなかった。

「分かりました。ルーザ様に掛け合ってみましょう」

「幸い四日後が朔の夜だから。その晩に……」

「そうね……。貴女の星詠みならきっと……」

 与えられた選択肢の実現の為に次なる行動を起こそうとエルシーの傍らから立ち上がったマリナは、数歩歩き出した。と、その場にふらふらと崩れ落ちる。

 側にいたザックスが慌てて彼女を抱きとめた。抱きとめられたザックスの腕の中で、マリナは意識を失いかけていた。膠着しかけた事態を打開する手立てが一つ見つかった事で、その日一日の緊張から一気に解放され、限界を迎えたに違いない。

 リシェル達に促され、ザックスはエルシーの傍らの寝台に意識を失ったマリナを横たえた。

「姉さま達をお願いするわ、フロエ。私はルーザ様の下に……」

視線を合わせた二人の巫女姉妹の意思が重なった。言葉にせずとも全てが通じているのだろう。

「あのさ、その星詠みとやらにオレも立ち会って構わないかな?」

 一介の冒険者でしかないザックスには今のところ他に手掛かりを得るすべはない。ふと、リシェルが僅かに顔を赤らめる。

「そ、その……、あの娘の為にというザックスさんのお気持ちは姉としてとてもうれしいんだけど……」

 何やら言いにくげに言葉を濁す。

「今のところ他に当てもないし……。隅っこの方で邪魔にならないようにしてるからさ」

 ザックスの真摯な願いに、フロエも又顔を赤らめた。

「そ、そのお気持ちはとても分かるのですが、なにぶん神事ですので……、で、出来れば殿方の同席は控えていただきたく……」

二人が言いにくそうにもぞもぞとしている。

 イリアの姉貴分とはいえ、エルシーやマリナと違ってこの二人と直接やり取りするのは、ほとんど初めてという事もあって、互いの呼吸がつかめない。これまでなにかと神殿に関わる事柄に有無を言わさず巻き込まれてきただけに、イリアに近しい人達にやんわりと拒絶される理由がよく分からず、ザックスは当惑する。

 その傍らで小さくため息をついたアルティナが割って入った。

「ザックス。二人が困ってるじゃない。察しなさいよ。星詠みには私が同席することで構わないかしら……部外者だけど……女性なら構わないわよね」

 アルティナの助け船に二人の表情が明るくなる。

「はい、それなら、もう。ごめんなさい、ザックスさん。決して私達は貴方を疎んじている訳ではないのよ」

「そ、そうです、仮にもイリアの大切な……。ただその……色々とまずいこともありますので……」

「あ、ああ、分かったよ……」

 要領を得ない女性特有の物言いに、事態が飲み込めずフラストレーションを溜めこみながら、ザックスはしぶしぶ了承の返事をした。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 事件から三日が経とうとしていた。

 大神殿でおきた忌まわしき出来事は、翌日には《ペネロペイヤ》中にひろまり、蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 だが、所詮己の身に直接降りかからぬ事には興味を失いがちな人々のサガゆえか、三日目には沈静化し、街は表面的には平穏を取り戻したかのようだった。尤も神官達による街の出入りや悪所での取り調べ、《転移の扉》での検問が厳重にされることで、人々の生活に若干の影響は残っていたが……。

《魔将》という伝説の存在が絡んでいることで、神殿も冒険者協会もさすがに事態を楽観視してはいないようだったが、自由都市だけでなく、よそ者に厳しい村々にまで廻った手配書のかいもなく、逃亡者達の動向は杳として知れなかった。

 運悪く立ち寄った獅子猫族の旅人があらぬ嫌疑をかけられるという冤罪事件があちらこちらで多発し、世の中に混沌とした空気を生み出しつつあった。このまま何の進展もなければ近い将来、獅子猫族への悪感情だけがすりこまれ、事件の当事者の不幸が忘れ去られていくのは確実だろう。

 イリアを取り戻すべき具体的手段がなんら見出せぬままのザックスも又、昨日までは《転移の扉》を使ってあちらこちらの協会支部や神殿に問い合わせを試みたが、一行に成果は上がらなかった。

 逆に《魔将殺し》である彼が訪れた事で、《魔将》という存在の実体について取り留めもない質問を浴びせられたり、再度の討伐という無責任な期待を押し付けられる始末だった。

《魔将》という人間の枠では図れぬ存在が相手だけに、その意味を良く知るザックスには、関係者達の果敢な努力も全てが徒労のように感じられた。今や、明日の夜、大神殿で行われる《星詠み》だけが唯一残された手掛かりという、文字通り神頼みという心境だった。


 その日、己の無力さに打ちのめされ、すっかり元気を失くしたザックスは、昨冬、イリアと共に訪れた自由都市《ファンレイヤ》の市の中をあてもなく彷徨っていた。

 見覚えのある街並みの中に昨冬共に過ごした少女の幻像が浮かんでは消える。

 ふと行き交う人々の中に彼女と同じような背格好の後ろ姿を見つけると、慌てて駆け寄って落胆した。

 繰り返される怪しげなザックスの振る舞いに周囲の店の店主から不審者らしき視線を投げかけられているのにも気付かない有様だった。

 夢遊病者のようにあてもなくさまようザックスの腕を、不意に後ろから何者かが掴んだ。驚いて振り返ったその場所にあったのは呆れたような表情を浮かべているアルティナの姿だった。

 黄金色に輝く髪を後ろでひとまとめに結いあげた元気なエルフ娘の顔にも又、疲労の色が浮かんでいる。

「やっと見つけたわ……、探したわよ、本当にもう……」

 力ない表情を浮かべたままのザックスを責めるべくもなく彼女はその腕を引っ張って、彼を導いた。

「どこ、行くんだよ?」

「まず、この場所を離れるわ。話はそれから。周囲をよく見てみなさい。このままだと貴方、不審者としてしょっ引かれるわよ……」

 そんなバカな、と慌てて周囲を見回して、その言葉が正しい事に気づく。エルフのアルティナのお陰で若干和らいでいるものの、己に向けられた敵意と悪意のある視線に思わず身をすくめた。

「ホントに……バカね……」

 言葉の内容とは裏腹に棘のないやわらかな口調の彼女に手をひかれ、ザックスはその場を急ぎ離れたのだった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 町はずれの小高い丘の上に場所を変えた二人は、夏の強い日差しをものともせずに、力強く枝葉を広げて旅人に木陰を提供する一本の大樹の幹を挟んで背中合わせに座り、ぼんやりと《ファンレイヤ》の街の景色を見下ろしていた。

 行き交う人々の足音と子供達の声、そして時折優しく響いて時を告げる神殿の鐘が、乾いた風の音とともに耳朶を打つ。

「よく分かったな、オレの居場所が……」

 ザックスの何気ない呟きにアルティナが答えたのは暫くしてからだった。

「呑気なものね。ふらりと出ていったまま一向に帰ってこないリーダーの事を……、仲間が一体どれだけ心配したかとか、全然考えてなかったでしょう……、貴方」

 図星を刺され、ぐうの音も出ずに黙りこむ。

「その……、悪かったな、心配かけて……」

 三日前にも同じような事を言われてアルティナに強くたしなめられた事を、ザックスはようやく思い出した。

「私の事はいいわ。別にそれほど心配なんてしてなかったし……」

 その場に事情を知る他の人間がいたなら、真っ先に否定していただろう。

 事件の翌日、まだ暗い早朝にふらりと宿を出たまま全く音沙汰のないザックスの事を、たまたま通りがかった知り合いの冒険者が見つけ、《ガンツ=ハミッシュ》で一人帰りを待っていたアルティナの下へと知らせたのだった。

 不機嫌な表情のまま、日がな一日、一階席のど真ん中に居座って店の室温と売り上げを急降下させていたアルティナが慌てて飛び出して行ったことで、ガンツを始めとした店のスタッフ一同と一階席の冒険者達が胸をなでおろしたのは言うまでもない。

 ザックスを見つけ次第、新技の合成魔法を叩きこまんとするかの剣幕で、アルティナは《ファンレイヤ》に乗り込んでいた。だが、あてどなく街を彷徨っては、イリアに似た少女の後ろ姿にあわてて駆け寄って落胆するその弱々しい姿を目の当たりにして、冷静さを取り戻していた。いつもふてふてぶてしいほどに迷いのないザックスのあまりにも憔悴した姿に、どう声をかけていいか分からず、快活な彼女はらしくもなく物陰で二の足を踏み続けていた。周囲の彼への視線が最悪の一歩手前に至るにあたって、ようやく決意と共に彼を引き止めたのだった。

「あとでクロルとリュウガにも謝っておきなさいよ、とくにリュウガには……」

「あ、ああ……」

「貴方、無理矢理協会にねじこんでリュウガを冒険者にしたんでしょう。周囲に同期がいない冒険者になりたての人の不安を忘れたの?」

 アルティナの言葉が雷撃の如くザックスを打ちのめす。それはかつてザックス達が通ってきた道である。まして、リュウガは訓練校で教えられる冒険者の世界の知識を全く知らない。無理を通した分だけ、慣れるまではきちんと誰かがフォローすべきであった。

「やべぇ……。すっかり忘れてた……」

 慌てるザックスをアルティナの言葉が制した。

「大丈夫よ、安心して。クロルがきちんとリュウガについているから……。今頃、初級ダンジョンをあっさり踏破して、手ごたえのなさに別の意味での不安を感じてる頃よ」

その予想に反して、彼らは意外な冒険をする事になるのだが、今の二人が知る由はない。

「その……かさねがさね……ゴメン……」

 ザックスの殊勝な態度に拍子抜けしながら、アルティナは答えた。

「別にいいわよ。忘れたの? 『誰かの厄介事は皆の厄介事』それが私達のパーティでしょ……」

「そ、そうだったな……」

 再び沈黙する。

 しばらくしてアルティナがぽつりと尋ねた。

「どうして、戻ってこなかったの?」

「え?」

「《転移の扉》があるのに……、戻ろうと思えば戻れたでしょ?」

「それは……」

 実際の時間よりもずっと長く共に過ごしているかのような関係の中で、己の迷いをすっかり見抜かれている事に苦笑する。

 暫し、沈黙した後でザックスはぽつりと答えた。

「怖くなった……」

 アルティナは何も言わなかった。ただ黙って、ザックスとは反対側の景色を眺めている。

「帰ってきた時にはあんなに懐かしさを感じた《ペネロペイヤ》の街並みが、イリアがいなくなったってだけで、全く別の知らない街に見えてきて……。そこで暮らすよく知る人達ですら知らない人達に見えちまってさ……。正直、参ったよ」

 ザックスは吐き出すように続けた。

「こんな思いをするくらいなら、帰った時、すぐに神殿に顔を出せばよかった。そうすればオレがレガードの奴を抑えられた筈なのに……。気付けばそんな風に自分を責めていた。あちこち走りまわってくれてる奴らには悪いけど、多分、人の力じゃ、《魔将ヤツ》の行方は掴めねえ。もしも残された最後の手段の星詠みが成功しなかったら一体どうなるのか、そう思うと、どうしようもなく怖くなった」

 雑多な人々が多様な価値観と共に集まり暮らす世界に置いて、人一人が忽然と姿を消す事などさほど珍しい事ではない。

 いつ、どこで、誰が、何故、どのようにして?

 生きているのか、そうでないのか?

 たいていの場合はそれら一つすらも分からずに、突然『いなくなった』という事実だけが残された人々の心に重くのしかかる。そしてやり切れぬ事実をほんの一部の人のみが延々と背負い続け、世の中はそれを忘れていく。


 あたかも最初からなかったかのように……。


 連れ去られた状況や連れ去った相手が分かっているイリアは、ある意味幸運だったともいえる。それでも時が経てば、忘れられていくのだろう。正解が求められなかった己に 関わりのない事実にいつまでも関心を向けている程、世の中は優しくない。

「解決できぬ事が自分の事ならまだいいさ。どうにか足掻いて前に進んだつもりになっていれば、例え結果が出ずとも自分をごまかせる。でもイリアが……、あの笑顔を取り戻せないことが確定しちまったら、オレは多分自分を許せない。始めからイリアが存在しなかったかのようになってしまう世界の在り方も、それを当たり前と妥協して生きるオレも絶対に許せない」

「そう……」

 ぽつりとアルティナが答えた。

 知っているけど知らぬ街。それはかつて夢の世界から帰還したアルティナも感じたことである。

「ねえ、ザックス……。貴方にとってイリアって何?」

 アルティナの問いにザックスはすぐに答えなかった。大樹の幹の向こうから返答に窮した回答者の様子が伝わってくる。暫くして彼は、ぶっきらぼうに答えた。

「さあ、一体何だろうな。『仲間』『友人』『恋人』『家族』。そのどれとも違う……」

「そう……」

 小さく、アルティナが微笑んだ。

「只、絶対に取り戻さなくちゃならない何かだって事は……思い知らされたよ」

 立ち上がったザックスは、一つ大きく背伸びをする。

「だったら……、そうしないとね……」

 その口元にほんの僅かに寂しげな笑みが浮かんだ。

 ――ねえ、もしも……。

 振り返って太い幹の向こうにあるはずの後ろ姿にかけられるはずだったその先の言葉を、彼女は無意識に飲み込んだ。それは多分、己にもよく分からぬ彼女自身の感情からだった。



2016/04/10 初稿



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