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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚05章 ~狂乱の蛇神編~
122/157

04 レガード、暴れる!

 真夏の日差しが西へと僅かに傾き始めた頃、ザックスとリュウガは《ガルガンディオ》通りにある《ガンツ=ハミッシュの酒場》に向かって足を向けようとしていた。

《ドワーフの郷》における市のにぎわいとはまた趣の異なる街の風景を物珍しそうに眺めるリュウガの為に、寄り道しながらの帰路は、普段の倍以上の時間がかかっていた。あちこちの店先を覗くリュウガの姿にかつての己のそれを重ね合わせながら、過ぎ去った時間に思いを馳せる。

 気付けば故郷から遠く離れたこの街がいつしか『帰る場所』になりつつある。ほんの一年半程度しか過ごしていないはずのこの街での思い出は、知り合った人々と共に過ごした濃密な時間の賜物であろう。

 ふと一人のウサミミ少女の姿が思い浮かんだ。

 ――今頃、何をしてるだろう?

『友人』とも『恋人』とも『肉親』とも違う存在は、不思議な事にいつの間にか確かに己の心の一角を占めていた。

 はるか北地区の高台にそびえる神殿の建物に目を向けつつ、彼女と結んだ柔らかな小指の感触を思い出す。

『約束ですよ……。絶対に……』

 あの日、《招春祭》ににぎわう街で満面の笑みを浮かべた少女は、今も、変わらぬ神殿巫女の務めに励んでいるのだろう。

 ――後で顔を見にいこうか。

 お土産を渡すという大義名分はあるものの、少女を離れて見守る頑固親父や何かと謀略をしかける腹黒神殿巫女の存在が、『すぐに』といえず、二の足を踏ませる。尤も少々苦手な彼らも又、この街で知り合い同じ時を過ごした人達の一人であるのだが……。

「ようやく帰って来たか」

「今夜は宴会だな」

 通りを歩く人々に交じって、知り合いの冒険者の一団がすれ違いざま、ザックス達に声をかけていった。見覚えのある通りの変わらぬ姿に安らぎを覚え、ふと、《ギガント青果店》の店奥でのんびり舟をこぐ老婆の姿に苦笑いして通り過ぎる。

 ようやく辿りついた《ガンツ=ハミッシュ》の店先で二人は足を止めた。

 昨秋、全面改装したばかりの小洒落たレンガ造りの建物は、店名に名を連ねる二人のオーナーのいかつい風貌と今一つマッチせぬものの、この場所こそが今のザックス達の居場所である。

 久方ぶりの帰還の実感をじわりと噛みしめながら、リュウガを伴いなじみの入口の扉を押し開く。嗅ぎなれた酒場の匂いが二人を出迎え、幾人かのなじみの冒険者達から声がかかった。

 ふと、違和感を覚える。

 鍵穴に合わない鍵を差し込んでしまった時のような微妙な落差が、店内の空気に感じられた。

 きょろきょろと店内を見回すザックスの元に、顔色を変えたアルティナとクロルが駆け寄った。リュウガが無事に冒険者になった事を報告しようとしたザックスを押し止め、争うように口を開いた。

「た、大変だよ、ザックス、アイツが……、アイツがこの店に来たんだ!」

「落ちつけよ、二人とも……。アイツって、一体、誰のことだ?」

 のんびりと尋ねるザックスに苛立たしげにアルティナが答えた。

「だから、彼よ、レガードよ!」

「レガード?」

 どうして分からないのよ、と言いたげなアルティナの眼前で、誰だっけとザックスは首をかしげる。クロルが重ねた。

「だから……、ハオウだよ!」

 その一言でようやく事態を理解する。ザックスの表情が瞬時に険しくなった。

 ハオウ――本名をレガードという獅子猫族の男。ザックス達の同期にして、《初心者の迷宮》の惨禍の中を生き延び、今は行方不明になっているはずだった。《魔将》ヒュディウスがその接触を臭わせ、ザックスとその仲間達にとって、今やその動向を無視できない男である。

「どこにいるんだ? あのヤロウ」

 険しい表情のまま、店内を見回しながら尋ねるザックスに、アルティナとクロルは慌てて首を振った。

「分からないわ。昨日の昼すぎにふらりと現れて、全部の肉料理を制覇した後でさっさと店を出ていったって……」

「そういや、大喰らいだったな、あのヤロウは」

 訓練校時代の彼についての些細なエピソードが不意に思い出された。回れ右して慌てて店を飛び出そうとするザックスを、アルティナが引き止める。

「どこに行くつもり?」

「探すんだよ、あのヤロウはヒュディウスの奴に接触してるんだから!」

「だったら少し待って!」

 冷静さを失いかけたザックスの腕をアルティナが強い力で胸元に引き寄せた。クロルが言った。

「今、ブルポンズやナナシさん達がアイツの足取りを探しに行ってくれてるんだ。ガンツからアイツの事を聞かされて飛び出そうとしたボク達の代わりに、皆が動いてくれてるんだよ」

《ペネロペイヤ》市内は広い。一人で動くよりも冒険者同士のネットワークに頼る方が断然、効率がよいに決まっている。

ふと、カウンターの奥に立っているガンツと目が合った。

 ――落ちつけ! リーダーのお前が慌てふためいてどうする?

 カウンターの向こうのガンツに視線で諭され、ザックスは冷静さを取り戻す。

 帰還の挨拶もまだせぬうちのトラブル発生という彼ららしい事態など、ガンツにとってはもはや想定内といったところだろう。

 と、乱暴に入口の扉が開け放たれる。大きく肩で息をしながら飛び込んできたのはイーブイだった。

 懐かしい友人との再会だったが、彼にしては珍しい慌てぶりに当惑する。

「ザ、ザックス殿、ようやく戻られたか、久方ぶりでござる!」

「ああ、イーブイ、元気そうで何よりだ。少し、落ち着けよ」

「そ、それが……、た、大変でござる」

 どこからともなく現れた大山猫族の看板娘が差し出すジョッキの水を一気に飲み干し、イーブイはどうにか呼吸を整えた。《ガンツ=ハミッシュ》に所属する数多のパーティの中でも特異な存在感を示すブルポンズのリーダーである彼が、ここまで取り乱すのも珍しい。呼吸を整えどうにか冷静さを取り戻した彼は、ザックスと改めて向き合った。

「ザックス殿、落ち着いて聞くでござる」

「あ、ああ」

「実は……」

 僅かに目を伏せ、イーブイは淡々と事実を告げる。それは驚くべき内容だった。

「先程、神殿に賊が押しこみ申した」

「賊? 豪気な奴らだな、あんなところに一体何の用だ?」

 常に神官団に警護されたその場所に押し込んで乱暴狼藉を働くなど無謀としか思えない。ましてや押し入ったところで得られる物などたかが知れている。俗世から切り離されたかのように見える伝統と格式の裏側で、人・物・金の出入りが激しい神殿という場所であるが、様々な事情で意外に金目の物は少ないというのが、とある情報源からの内緒の裏話である。

「それが……押しこんだ賊はたった一人。その者は獅子猫族の男で名はレガード。ザックス殿達のお知り合いでござるな」

「あのバカ、とうとう、やらかしやがったか」

 忌々しげにザックスは吐き捨てる。

「レガードという輩はつい先刻、神殿内で暴れ回り……、人質を連れて逃走したそうでござる」

「逃走って……一体どこへ?」

 アルティナが青ざめて問う。イーブイが押さえつけるように続けた。

「あの者は神殿内から忽然と消えさったそうでござる、突然現れた協力者とともに……」

「消えた? 一体誰だ、あの大バカヤロウに手を貸したのは?」

「賊に手を貸したのは《魔将》だった、と。そして、さらわれた人質というのが……」

 僅かに息を継いで、イーブイは驚愕の事実を口にした。

「イリア殿だった……、と。無念でござる」

 アルティナの小さな悲鳴が上がった。

 何かが爆発したかのような音と共に入口の扉が勢いよく跳ね開けられ、ザックスの姿はその場所から一瞬にして消え去っていた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 その日もいつもと変わらぬ一日……のはずだった。

 すっかりおなじみとなった照りつける夏の日差しと海側からの湿気が合わさった真夏の熱気が、《ペネロペイヤ》の街を覆う。

 それらに閉口した老人達が涼を求めて北地区にある神殿にやってくるのは、毎年の見慣れた光景である。

 連日の熱さに閉口したのは冒険者達も同じだろうか?

 有名な神殿巫女会いたさに、他所の都市からも押し寄せてくることが珍しくないペネロペイヤ大神殿にしては珍しく、その日の冒険者の来訪は淡々としたものだった。

 一組、そして又一組。

 なんとなくだらだらと続く務めのペースが、邪悪な睡魔を呼び寄せる。待合所で警護に当たる神官達の中には、その魅惑的な誘いに抗しきれずに、こっくりこっくりと舟を漕ぎかけてははっと目覚めるという事を繰り返す者もいた。

 その日の案内役を務めるイリアも又、その邪悪な誘いと懸命に戦いながら務めを果たしていた。

 つい先ほど、最後の冒険者を洗礼の部屋へと送り出し、彫像と同化するかのように立っている神官達を除けば無人となった部屋の中に、ぽつんと一人立ち尽くす。

 突如として湧き上がってくる「欠伸」なる魔物を、袖口で口元を隠して噛みしめた。幾つもの石像が壁際に並び、訪れる冒険者達の為の長椅子が延々と並べられた案内所は、いつも以上に広く感じられた。

 ――いけない、いけない。しっかりしないと……。

 僅かに涙目になりながら、イリアは姿勢を正して次なる冒険者の訪れを待つ。

 神殿巫女はその振る舞いに常に優雅たれと求められる。創世神に仕える者として特別な扱いを受ける以上、常日頃から他者の視線を意識して振る舞わねばならぬのが、神殿巫女の心得である。今年十四歳になった少女でも例外はない。

 ふと、窓の向こうの中庭の景色が目にうつる。

 氷晶石を媒介にした氷結魔法のお陰で適温に保たれた室内と違って、容赦ない暑さの中に佇む中庭の草木は、ぐったりと元気がないように見える。

 ――あの人は今、何をしてるのかな?

 右手の小指に残る懐かしい感覚を思い出すかのように、そっと手を重ねる。

 出会ったのはもう一年も前になる。神殿巫女と冒険者というありがちな出会いの中で運命的なものを感じ、『友人』とも、『恋人』とも、『肉親』とも違う不思議な関係を周囲に冷やかされながら、いつしかずいぶんと親しい関係になっていた。時に迷惑や負担にすらなってしまって尚、互いの間柄に言葉で表せない確かな繋がりの糸が生まれていた。それはあまりにもか細く危うげではあったが……。

 春先に彼とその仲間達が砂漠の街を一つ征服した、という相変わらずの噂話に笑い転げてからもうずいぶんと音沙汰がない。己が見たこともない世界で自由に振舞うその姿に、憧れとそこはかとない寂しさを感じながらそっと小指を握る。

『キミが困った時には、どこからでもすぐに駆けつけるよ』

《招春祭》の日に彼の残したフレーズを、勝手な解釈を加えて発展させながら脳裏でリフレインする少女の姿を、姉巫女達は面白そうにやんやとはやし立てたものだった。


 思わず緩みがちな頬をはっと引き締め、妄想の世界から戻ってきたイリアは、「はうわっ」と我に返った。

 慌てて周囲を見回すが、眠そうな顔をした警護の神官達と表情一つ変えずに中空を睨む石像群は、彼女の挙動に注目してはいないようだった。ほっと胸をなでおろすイリアの小振りのウサミミが不意にぴくりと動いた。

 待合所にやってくる一団の足音に気づき、姿勢を正して扉へと近づいた。

 武具のこすり合わさる金属音が入り混じった冒険者特有の足音が、待合室の大扉の前でぱたりとやんだ。扉の向こうからわずかに緊張する気配が察せられた。

 室内の神官達に軽く会釈をしたイリアは、大扉をそっと引き開けた。扉の向こうの冒険者達に丁寧に神殿礼をすると笑顔と共に迎え入れる。周囲を明るくするイリアの笑顔が、緊張気味だった冒険者達が放つ空気を暖かく柔らかなものへと変えた。

「やあ、今日の案内役はイリアちゃんかい?」

 現れたのはそろそろ上級クラスに達しようかと思しき六人の冒険者達だった。神殿巫女になって以来、ずいぶんと様々な冒険者達と接してきたイリアだったが、最近はクナ石の表示を見なくても、なんとなく相手の事が見えるようになっていた。

 知った顔は全くいないが、知らない人間が己の名前を知っているのは、イリアにとってもはや当たり前の事。慣れた調子で彼らを手近な長椅子へと案内する。

「今日は皆さまで転職でしょうか?」

「いや、転職するのはこっちの二人だよ。よろしく頼む」

「では、クナ石を拝見させていただきます」

 人間族三人に水牛族と狼犬族の男女、そしてドワーフが一人。中級から上級にかけてのパーティとしては平均的なものだった。

 このレベルのパーティならば冒険者の世界でもそこそこ名前が売れているといったところだろう。

 転職する二人の為に全員でやってくるあたり、おそらくパーティとしてのチームワークも申し分ないのだろう。初級、中級はともかく、上級者ともなるとダンジョン探索の時以外は単独行動をとる者の方が多い。

「残念だな、今日はイリアちゃんに仕切ってもらえねえのか」

「日頃の行いが悪いからさ。神様ってのは、ちゃーんと見てるもんだよ」

 肩を落として残念そうな顔をする人間族の男に半獣人と思える狼犬族の女が突っ込んだ。

「ふふっ、大丈夫ですよ。今日はエルシー姉さまとマリナ姉さまが一切を執り仕切りますから、どうかご安心ください」

 イリアの言葉に落胆の表情を浮かべていた男の顔が輝きを取り戻す。

「ホントかよ、じゃあ、是非に、是非ともエルシー様にお願いしたいんだ、オレ、エルシー様のファンでさ! 頼むよ、イリアちゃん!」

 中級に降格されたとはいえ、神殿巫女としての知名度・人気共に未だにマリナが圧倒的に上ではあるが、上級巫女のエルシーも意外に人気が高く熱心な隠れファンが多いという。とある裏酒場の発行する季刊誌で「武闘派の色気」などという怪しげな見出しの彼女の特集が組まれた時には、姉妹みんなでネタにしたものだった。

 ゆったりとしたデザインの巫女装束からは分かりにくいが、義父ライアットの一番弟子を自称する彼女の厳しい鍛錬で引き締まったメリハリのあるプロポーションは時として同性ながらも目を奪われ、マリナとは違った女性の魅力にあふれている。小柄な背丈に手足こそすらりと伸びているものの、まだまだあちこち発展途上なイリアにとって、二人は目指すべき大いなる目標だった。

 後で眼前の男がファンだと教えてあげれば、きっと彼女も喜ぶ事だろう。

「では、お願いしてみましょう」

 創世神の意志の元に行われる転職という神事に手心を加えるのは本来ご法度ではあるが、この程度ならお目こぼし下さるだろう。

「見ろよ。これもオレの日頃の行いがいいからさ」

 どうだとばかりに胸をはる男に、ふくれっ面をした女がプイっと背を向ける。

「フン、憧れの巫女様の前で恥かかないようにするんだね!」

「な、なに怒ってんだよ?」

 笑顔と共に一旦、その場を離れようとしたイリアの前で、男女が微妙な空気を醸し出す。

 ――二人はもしかしたら恋人同士かな?

 二人の姿に何となくザックスとアルティナの姿を重ねてしまったイリアは、思わずかぶりを振った。

「わ、悪いな、イリアちゃん。この二人はいつもこんな感じなんだ。気にしないでくれ」

 イリアを不愉快にさせてしまったと思ったのだろうか? リーダー格らしき男が慌ててフォローを入れる。なんだか気苦労の多そうなその姿に、イリアは思わず微笑んだ。

「それでは、皆さま、しばらくお待ちください。あちらの様子を窺って参りますので……」

 冒険者達に一礼して、その場を離れようとしたその時だった。

 イリアの小振りの耳が再びぴくりと動いた。鋭敏なイリアの聴覚が待合室の向こうの廊下の小さな異変をしっかりと感じ取った。

 近づいてくる何者かの足跡。

 堂々と何らかの明確な目的をもって真っ直ぐに歩いてくるその足音は、この場に似つかわしくないものだった。

 おそらく冒険者のものであるのだろうが、転職の為に訪れたのではない――そう彼女は直感した。

 神殿の建物は訪れる多くの者に創世神の威容を示すべく、様々に装飾され、独特の空気を醸し出している。訪れた誰もが大なり小なり、その厳かな空気に飲まれ、委縮するものだ。まして、この場所を訪れる冒険者は皆転職をする為にやってくる者かその付き添いのみ。時として望まぬ結果となるかも知れぬ不安が、そのまま足音となって現れる。

 イリアの中で芽生えた得体の知れぬ不安とともに、足音の主はどんどん近づいてくる。

「どうしたんだい、イリアちゃん?」

 イリアのただならぬ様子に冒険者達の一団が僅かに眉を潜めた。

 優雅さを欠いた神殿巫女らしからぬ己の振る舞いに気づいたイリアが、慌てて居住まいを正そうとしたその瞬間、待合室の大扉が大きな音とともに乱暴に蹴り開けられた。

 現れたのは獅子猫族の男。

魔法銀ミスリル》製と思しき《軽装鎧ライトメイル》に身を包み、独特な意匠のスタッフらしきものを背中に背負ったその身なりからして冒険者である事は間違いない。お世辞にも好意的とは呼べぬ空気、否、殺気としか呼べぬ空気を纏ったその男の出現に、和やかだった室内の空気が一変した。

 純粋種特有の野獣の如き容貌とむき出しの殺気。だが、不思議とその目に曇りは見えない。何かを確信したかのようなその表情は、己の欲望のみを突き詰める事に全く躊躇のない野心家のそれだった。

 ふっと一瞬、心の中を何かが過った。初めて出会った時のザックスの顔が脳裏に浮かび、その幻像がレガードに重なる。どうにも落ち着かぬ、自分でもよく分からぬ感覚に突然襲われ、イリアは戸惑った。

 つい今しがたまでにこやかに和んでいた冒険者達の表情がこわばり、異端な来訪者に対する視線が険しさを増す。それは彼らがダンジョンにおいて、モンスター達相手に見せるであろう表情そのものに違いない。

 壁際で彫像と化していた八人の神官達も又、厳しい視線を送っている。

 ――荒れそうだな……。

 一つ大きく深呼吸して、イリアは彼の元へと向かう事にした。

「お、おい、イリアちゃん」

 無謀にも単身厄介事へと向かっていこうとする少女を、冒険者達が制止しようとする。彼らを笑顔で押し止め、イリアは獅子猫族の男へと近づいた。望まぬ結果が受け入れられずに不満を神殿巫女にぶつける者もいる。その矢面に立つことも又、神殿巫女の役目である。

「偉大なる創世神によって与えられた困難に挑む冒険者様、はじめまして」

 丁寧な神殿礼をした後で、イリアは男と向き合った。

「本日はどのような御用件でしょうか?」

 いかなる時も微笑を絶やさずに事にあたる姉巫女の姿を脳裏に思い浮かべながら、彼女は勇気を振り絞って男に応対する。

 広い室内をゆっくりと見回した獅子猫族の男は、憮然とした表情のままイリアを見下ろした。

 口は開かない。黙ったままで、イリアの姿をつま先から頭の先までじっくりと見定める。

 緊張感がさらに高まっていく。壁際に立っている神官達の表情も険しい。

 やがて獅子猫族の男が口を開いた。

「お前が兎族の神殿巫女イリアか?」

 低く唸るような男の声には、粗野な外見とは裏腹にどこか理性的なものを感じさせた。その視線からおそらく己のウサミミを見てそう判断したのだろうと彼女は推測した。

 同時にすばやく洞察する。

 眼前の男は彼女の事を知らないはずなのに、その目的は彼女自身なのだ、と。

 常に神殿という組織の庇護の下で誰にでも屈託のない笑顔を向ける少女の心に、間違いなく初対面の相手の不気味な意思が本能的な警戒心を呼び起こさせた。

「私がこの《ペネロペイヤ》大神殿の神殿巫女イリアです。御名前をお伺いしてもよろしいですか?」

 圧倒的な体格差に気圧されることもなく、イリアは男に尋ねた。

「レガード。見ての通り獅子猫族だ!」

 表情を一切変えることなく簡潔に必要最小限ではあるが、男は堂々と名乗った。全く悪びれる事のないその堂々とした振る舞いに、室内の誰もが息をのむ。

「レガード様、この場所に……、いえ、私にどのような御用件でしょうか?」

 イリアの物言いにレガードが僅かに驚きの表情を浮かべた。瞬時にそれを消して彼は答えた。

「察しがいいな。いっしょに来てもらおう。反論は許さない。お前に拒否の選択肢はない」

 身勝手すぎる物言いに誰もが唖然とする。

 レガードの言葉に動揺することなく冷静に一歩引きさがったイリアは、いつもとは腕を逆に組み替え、レガードに再度、神殿礼をした。同時に踵でカツンと石床を一つ叩く。

 それは警護役の神官達への合図であり、状況の支配権限が神殿巫女から神官達へと移った事を示すものだった。

 イリアの合図と同時に、壁際で事態を見守っていた神官達が瞬時に動いた。

 既に補助魔法をかけて戦闘準備を整えていた神官達は一瞬で二人の傍らに移動し、引き抜いた武器をレガードに突きつけた。

 己を取り囲む神官達を一瞥するとレガードは、口元に薄く笑みを浮かべた。

「邪魔だ! どけ!」

 獅子の咆哮と思しき怒声が室内を突風の如く吹き荒れた。

 びりびりとしびれるような殺気がレガードを中心に爆発し、一人の神官が、武器を取り落として腰から砕けるように尻もちをつく。レガードの気迫に押されて身体が思ったように動かぬらしい。

 それを合図に残りの神官達がレガードに一斉に襲いかかった。剣を、斧槍を、魔法を、それぞれの最も得意な獲物を以て、最初の一撃でぶしつけな侵入者を無力化する。

 相手の命すら顧みない容赦のない攻撃がレガードの肉体に達するかと思われたその瞬間、レガードの姿がその場から消えた。巧みに神官達の囲みの外に身を移すや否や、手近な神官の《斧槍》の柄を無造作に左手で受け止めて奪いとり、逞しい剛腕で殴り飛ばす。長椅子をなぎ倒しながら毬のように転がっていく神官に目もくれず、手にした《斧槍》の柄を振り回して神官達を薙ぎ払った。

 中級クラスの冒険者に匹敵する神官達が、全く力及ばずに蹂躙される場面を目の当たりにしてイリアは呆然と立ち尽くす。手練れである彼らを、全く意に介さぬレガードの実力に戦慄した。

 不意にイリアの肩を何者かが強い力で引き寄せた。見上げれば、そこには狼犬族の女の顔があった。

「お嬢ちゃん、下がってな、ここからはアタシ達の出番だよ!」

 周囲を見回せば、彼女の仲間達はすでに戦闘態勢に入っている。上級クラスに匹敵しようかという彼らの自信あふれる姿は頼もしいはずだったが、何故か一抹の胸騒ぎを覚えた。イリアにそう感じさせる何かが、レガードの全身を覆っていた。不意に初めて会った時のザックスの姿が彼に重なった。

 ――そんなはずはない。

 ふと思い浮かんだ取り留めもない予感を、慌てて脳裏から消し去った。

大斧グレートアックス》を手にした巨漢の水牛族の男が先頭に立つ。その背後にピタリと隠れるかのようにして、エルシーのファンであるという人間族の男が二本の小剣を両手に構えた。さらに左右に盾と短槍を構えたドワーフと人間族の男が立ち、後方に魔術士であるリーダー格の男と回復役らしい狼犬族の女がイリアを庇って立っている。

 両者の激突はもはや回避不能だった。



2016/04/04 初稿



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