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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚05章 ~狂乱の蛇神編~
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03 ザックス、帰還する!

「うーん、やっと帰ってこれたのね」

《旅立ちの広場》にある《転移の扉》から現れた彼らの眼前に、見慣れた街の光景と懐かしい空気が広がった。

 いそいそと歩く人々の間に広がる確かな秩序の匂い。

 その中で一つ大きく伸びをしながらしっかりと結いあげられた黄金色に輝く髪を揺らめかせたアルティナが、無邪気な笑顔と共に振り返った。出発の時よりも幾分凛々しさを増したその端正な横顔にザックスは思わぬ眩しさを覚えた。

 サザール大陸の中央に広がる大砂漠を越え、さらには《竜人族の里》をも往復する旅路からザックス達が《ペネロペイヤ》に帰還したのは、レガードが現れた日の翌日だった。

《竜人族の里》でリュウガとヘッポイを加えたザックス達一行は、幾つもの旅の成果と共に《ペネロペイヤ》への帰路へと赴いた。


 往路においてザックス達の旅路をさんざん妨害した山賊達は、《白羊山脈山賊協会》を丸ごと買い取るという荒技で、ヘッポイがその配下におさめていた。

『この世にカネで解決できぬ問題などありはせぬ!』

 理不尽極まりない真理で全てを解決し、自称千人切りの豪傑を新たに従者に加えたヘッポイと共に、ザックス達はカメジローに誘われて再び大砂漠を横断した。うだるような真夏の砂漠をものともせずに走り抜けたカメジローは、何事も無く一行を無事、《サンダスト》の街へと送り届けた。

『では、我が戦友ともたちよ、いつの日にかまた会おう!』

 新たな従者を従え、ザックス達に別れを告げたヘッポイは、《エルタイヤ》へと堂々と帰還を果たしていった。

「ボク達、もしかして何かとんでもないモノを……」

 その背を見送りながらの何気ないクロルのつぶやきが聞こえなかったふりをした一同は、そのまま別の《転移の門》へと足を向けた。


 こうして、まだ肌寒い春の始まりの頃に旅立った一同は、およそ三カ月ぶりに《ペネロペイヤ》に帰りついたのだった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「それじゃ私達は一足先に戻ってるわ、協会長さんによろしくね」

 ガンツに帰還の報告をすべく、アルティナとクロルが人ごみの中へと消えていく。

「世話になったな。一息着いたら、また来いや」

 大荷物を背負ったヴォーケンの姿もその後を追って消えていった。彼らの後ろ姿を見送りつつ、暫し、旅の余韻に浸っていたザックスだったが、新たな仲間と共に次なる一歩を踏み出すことにする。

「オレ達も行こうか……」

 すれ違いざまに受ける無数の視線は、ザックスの傍らに立つ大柄な竜人族の若者――リュウガに向けられている。それらを気にする事もなく、珍しそうに自由都市の街の風景を眺めている彼の姿にかつての己を重ねつつ、その肩をポンと一つ叩いた。二人は旅立ちの広場の向かいに門を構える冒険者協会の建物へと足を向ける。

 相変わらずガランとした建物の中はひっそりと静まりかえっていた。前日に、謎の男が建物内の換金所でてんやわんやの騒ぎを起こしていたことなど露知らず、ザックスはすっかりおなじみとなった建物内の廊下を鼻歌交じりに歩いていた。

 二人の姿に時折すれ違う職員達が、ぎょっとした表情と共に足を止める。慌てて会釈をして逃げるように走り去っていくその姿に苦笑しながら、ザックスは建物内の階段を上っていった。

『冒険者として常識外れの活躍を見せる《魔将殺し》と滅多に御目にかかれぬ竜人族の組み合わせは、新たな災厄の前兆か?』

 走り去っていった職員達は、格好の噂話のネタを同僚達にばら撒いている事だろう。

 すっかりおなじみとなった協会長室の扉を勢いよくノックする。

 出迎えたのは協会長の片腕である中年の男だった。

 職員の総元締めともいう立場の彼には、出会ってこの方、老人と二人で様々な迷惑をかけている。

 彼も又一瞬、驚いた表情を浮かべたもののすぐに笑顔を浮かべて二人を招き入れた。傍らに立つリュウガにも臆することなく手を差し伸べる。

「やあ、ザックス君。ようやく帰ってきたんだね。何やら又物々しい友人が増えたようで……、お手柔らかに頼むよ」

 協会長の下で日々様々な方面の折衝に明けくれる彼の容貌は、一見荒事とは無縁の穏やかさに満ちている。だが、一瞬で事態を正しく把握する鋭い洞察力は相変わらずらしく、今後のトラブルを予期したのか、帰還したザックス(騒動のネタ)に事前に釘をさした。思わぬ先制攻撃にザックスは苦笑する。

「爺さん……、いるかい?」

 協会長がいるであろう奥の部屋に視線を向けて、ザックスは尋ねた。

「ここのところ日差しがきついからね。日中は自室で狸寝入りを決め込んでいるよ。尤もここ一月、来客だの陳情だのと重なってね」

 少しばかりわざとらしい大きな声での返答に、扉の向こうからこれまたわざとらしい咳ばらいがゴホゴホと聞こえた。

「何か厄介事でも?」

「この世に厄介じゃないことなんてありはしないのさ、ザックス君」

 なにやら煙に巻かれたようだが、冒険者の世界は相変わらずらしい。

 本来、《冒険者協会協会長》というのは一国の王にも匹敵する立場だが、出会って以来の奇妙な縁ゆえか、あるいは冒険者としての華々しい活躍ゆえか、異端すぎる存在のザックスとの面会には、ある程度の優先権が認められているようだった。彼が頻繁に持ち込む常軌を逸した厄介事ゆえに計られた便宜である、といっても過言ではない。

 リュウガと共に通された奥の部屋では文机に座った老人の姿があった。壁一面に飾られた魚拓と立てかけられた愛用の釣り竿の数々は相変わらずのようである。

「なんじゃ、若いの。久方ぶりじゃな」

「ああ、爺さんも相変わらず元気そうで安心したぜ」

「厄介事ばかり起こす問題児がしばらく顔を見せなかったお陰でな。尤も……」

 コホンと一つ咳払いした小柄な老人の瞳がギラリと輝いた。

「お前さん達が《サンダスト》を壊滅寸前まで追い込んだと聞いた時は、肝を冷やしたぞい」

「さ、さて……なんの事だったかな」

 素知らぬ振りでやり過ごそうとするが、楽しそうな合いの手が入る。

「なあに、関係各所からやってきた山のような苦情のお陰で、協会長は実によく働いて下さいましたよ」

 背後からの予期せぬ強襲に思わずずっこける。

「事態を把握しようにも当のお前さん達はとっくに砂漠の彼方じゃからな、全く……。往生したわい」

 見事なコンビネーションで止めが刺された。アルティナとクロルがザックス達に付いてこなかったのは、この状況を予想しての事だったのだかもしれない。ソファの上で悶えるザックスの姿をリュウガはポカンとした表情で眺めている。

「ザックス、お前、何か大きな悪事を働いたのか?」

 新たな仲間にまで打ちのめされるザックスの背後で男が楽しげに答えた。

「些細な事ですよ。お陰で、自由都市連盟や商業同盟の皆さまのささやかな企みが露見し、裏切っただの出し抜かれただのとなかなかの大騒ぎでしたからね。尤も協会こちらとしては思わぬ臨時収入がガッポガッポ……。おおっと、今のは聞かなかった事に……」

 前代未聞の春先の珍事は、ザックス達の手の届かぬところで、なにやら怪しげな展開へと発展していたようだ。

「ま、まあ……、とにかく終わり良ければ、全て良しという事でさ……」

 さんざんに大騒ぎして逃げ出したことになっている当人が言うべき台詞にしては、あまりに白々し過ぎたが、責任と正論のみで物事が解決するほど、世の中とは窮屈ではないものだ。

「ともあれじゃ……、希少魚の釣期を逃すというワシの些細な犠牲はともかくとして……」

 意味深長な言葉と共にコホンと一つ咳払いをして冷たいホメヨ茶をズズッとすすると、老人は僅かに笑顔を浮かべた。

「お前さんの旅の成果はどうやら実り豊かなものだったようじゃな」

 傍らに立てかけた新たな愛剣である《千薙(せんなぎ)太刀たち》と両の前腕に燦然と輝く《皇竜の籠手》、そして隣に座るリュウガを順に目で追った後で、老人は小さく頷いた。

神鋼鉄オリハルコン刀に緋緋色金イロカネの防具、そして竜人族か……。旅先で今度は何をやらかしてきたんじゃ、若いの?」

「何かをやらかす事が大前提なのかよ?」

「ほほう……。それでは何事もなく順風満帆な旅路であったと胸を張っていえるのか、若いの?」

 意地の悪い笑みを浮かべる老人を前にして、グヌヌと黙りこむ。

「砂漠の向こうは私達協会でも完全に把握しきれている訳ではありません。ザックス君、良ければ旅の土産話を聞かせてくれませんか?」

 背後の男が差し伸べた救いの手を速やかに取る事に決めたザックスは、旅の道のりを振り返った。

 砂漠の横断、山賊街道、ドワーフの郷、そして竜人族の里――。

 そこで起きた様々な出来事を振り返り、ザックスは時折挟まれる二人の聞き手の質問に誘導されながら一息に語り尽くした。目を閉じたままじっと聞き入る老人と、その傍らに場所を移して彼の冒険譚を速記する職員の男。

 語り尽くすには意外に短い物語を語り終えるのに、残念ながらさほど時間はかからなかった。

「成程のう……。時は確かに、そして確実に過ぎていくものじゃ……。それでいてワシでも知らぬ未知の世界はまだまだあるという事か……」

 老人の口からふとした呟きが漏れる。遠い昔、彼も又冒険者であったというからには、砂漠の果ての国々に赴いたこともあったのだろう。そしてそのような彼でも知らぬ事があるというのだから、世界の広さは計り知れぬというところか?

 暫しの心地良い沈黙の中で旅の余韻に耽っていたザックスに、老人が尋ねた。

「で、若いの……。本題はなんじゃ? ワシがまだボケてないなら、たしかお前さんはただ土産話を語りに来るなどと、殊勝で老人孝行な若者ではなかった筈じゃが……」

老人の言葉に苦笑いを浮かべると、ザックスはソファの上で姿勢を正して口を開いた。

「単刀直入に……だ。ここにいるリュウガに《冒険者》資格を与えて欲しい。可能な限り早くだ」

「やはり、そう来たか」

 老人はさして驚く様子もなく手元のグラスをすすった。予想通りというその態度に大いに期待を込めてザックスは僅かに身を乗り出して続けた。

「今季の《ペネロペイヤうち》の見習い冒険者達はもう出てきてる頃だろ? そいつらの同期としてリュウガを加えるって事でさ……頼むよ、爺さん」

「無茶をいうのう、若いの。残念じゃが、無理な相談じゃ……。それは……」

「どうしてだよ? 実力なら問題はねえよ。中級の奴らとなら十分にタメが張れるくらいだからな」

「ほう、それほどのモノか、竜人族の戦士とは」

 僅かに目を細めながらも老人はリュウガの全身を隈なく見定める。

「必要な教育ならオレ達でするし、大体冒険者に必要な知識なんて場数を踏めば誰にでもできる事だろ!」

「うーむ、しかしのう」

 眼前の二人の協会大幹部の表情は硬い。要求がすんなりと受け入れられそうにない気配に小さく落胆しつつ、長期戦の構えでザックスはソファに深く座りなおした。老人の隣に座っていた男が口を開く。

「ザックス君、残念だが如何に協会長とはいえ、協会内の手続きをないがしろにすることは難しいんだよ。ましてや新規冒険者資格のねつ造なんて……」

「全くじゃ……」

 老人が一つため息をつく。

 冒険者協会が新規の冒険者を受け入れるのは年に二回、《ペネロペイヤ》や《エルタイヤ》といった財力のある六つの都市の協会支部が中心となっている。小規模で財力のない自由都市協会支部は大都市の協会に育成助成金を支払う事で、新規冒険者達を確保する。

 昨夏、ザックス達が巻き込まれた不幸な事件のせいで、全ての都市においてその年の冬季の冒険者募集は取りやめとなっていた。その反動からか今年は夏季の冒険者資格取得希望者であふれ返り、空前のにぎわいとなっていた。その実態にはいくつかのからくりがあるのだが……。

「よいか、若いの。そもそも冒険者というのは、創世神の導きによって定められる運命的なものであって、崇高な使命と役割を果たす選ばれし……」

 老人が徐に語り出したのは、冒険者協約の最初の項に定められた薀蓄である。

 冒険者を志す若者達の全てが確実に無視するその御題目は、単なる建前でしかないのだが、この状況での利用は実に効果的である。仕方なく《バッグ》から数枚の紙切れを取り出し、ザックスは声のトーンを上げて読み上げた。

『さあ、一攫千金目指してダンジョンへ! やるならいつ? 今でしょ!』

『冒険者になれば、女の子にモテモテ。私はこうして勝ち組になりました!』

『冒険者資格は次なる転職に有利。資格こそ正義。冒険者資格を得た貴女には無敵の人生を……』

 俗物極まりない文言がこれでもかと並び踊るその紙切れは、何を隠そう冒険者協会発行の正規の勧誘チラシである。協会の建物に入った際に、リュウガの為に何枚か取ってきたものだったが思わぬところで役立つこととなった。若者のクリティカルな反撃に、暫し、パクパクと口を開けたまま老人は沈黙した。ここぞとばかりにザックスは更なる追撃をかける。

「たしか、今年の各都市の勧誘において、『キミも《魔将殺し》になろう』とかいってありもしないとある冒険者のサクセスストーリーを勝手にでっち上げてた……とか耳にしたんだが、オレの気のせいだったか?」

 心地良い誘い文句に踊らされた多くの若者達が一攫千金を夢見て各協会支部の窓口に殺到した、などという噂話もちらほらと流れていた事を思い出す。

ジト目のザックスの指摘に、室内に微妙な空気が広がった。

「ワ、ワシは知らんぞ……。そんな話……」

「さ、さあ、初耳だね……。一体誰がそんな……」

「ううむ、如何に協会長とはいえ末端での事情まではのう……」

「そ、そうだよ、ザックス君。なんといっても協会は大所帯だし……。点数稼ぎに不心得者の一人や二人出ても……ねえ?」

 明後日の方角に視線を逸らして、弁明する二人の協会大幹部の姿にザックスは大きくため息をついた。

「人間、歳を重ねて上手になるのがウソやごまかしだけってのは、褒められた事じゃないよな。創世神、とやらにも顔向けできないんじゃないの?」

 相変わらずジト目での正論だったが、これ以上は悪手だった。時として行き過ぎた正論は相手を開き直らせるものだ。

「と、ともかく……じゃ。駄目なものはなんと言おうと駄目なんじゃ!」

「そうだよ、ザックス君。手続きというものを一度ないがしろにしてしまえば、歯止めが効かなくなってしまうんだ。身勝手な事情で掟を捻じ曲げ常道を外せば、必ず代償を支払わねばならなくなるんだよ」

 すっかり開き直って正論を振りかざし、取りつく島もない横暴な二人の大幹部(おとな)の姿に、ザックスはため息をつく。

 こうなるとリュウガの資格取得は半年後に持ち越しという事となる。しかも圧倒的に実力の劣る見習い達に混じって過ごさねばならぬ無為な時間はあまりに惜しい。

 いつ《魔将》ヒュディウスとの再戦の機会が訪れるか分からぬザックス達にとっても、リュウガが冒険者となるまでの半年という時間を失うのは、余りに大きすぎた。

「しかたない、又、出直すとするか……」

 旗色悪しと見て一旦引き下がってみせる事にしたザックスの姿に、二人は僅かに安堵の笑みを浮かべる。

「そうかそうか、分かってくれたか、すまんのう、若いの」

「すまないね、ザックス君。せっかく貴重な旅先の情報を提供してくれたというのに何の役にも立てなくて……、この埋め合わせは必ず別の機会に……」

 厄介払いモードに入った二人の大人の姿を前に落胆した表情を浮かべてみせるザックスだったが、不意にぽつりと呟いた。

「仕方がない、リュウガ。波止場で釣りでもしながら次の手立てを考えるとしようか……」

 瞬間、ぴくりと老人の眉が動いた。

 三度の飯より釣り好きな老人ではあるが、協会の建物内に軟禁されて来る日も来る日も押し寄せる仕事の毎日に、相変わらずフラストレーションが溜まりまくっているようだ。組織の長とは実は忙しいものらしい。

「ふ、ふん。お前さん如きの腕で釣られる魚なぞおるもんか」

 実に大人げない態度をとる老人の姿に、ザックスは心の中でニヤリと会心の笑みを浮かべた。

 ――かかった!

 釣り針に獲物がくらいついた瞬間が脳裏をよぎる。ポーカーフェイスを保ったままでさりげなく口を開いた。

「そういやぁ、旅先で珍しいものを手に入れたんだっけ……」

 言葉と同時に《バッグ》からとある品を取り出した。

「道具に頼るなどとはまだまだ青いのう。釣りとは技術ウデ才能カンじゃ。竿など所詮……」

 悔し紛れの薀蓄を語ろうとした老人が言葉を失い、唖然とする。暫しの沈黙の後で震えるような声と共に老人は呟いた。

「わ、若いの。ぬ、主、それをどこで……」

 ザックスが取り出したのは、ドワーフの里の福引所で引き当てた至高の一品《真剣勝負リアルバウト竿ロッド》。

『兄さん、頑張りなよ!『目指せ、大陸一の釣り師』だね!』

 あの日、景品係にかけられた声がふと脳裏に蘇る。

 ――任せてくれ! オレがこの竿で釣り上げる獲物、それは……。

 密かな決意を胸に秘め、老人の眼前でこれ見よがしに輝く竿を披露する。その輝きの前にすっかり釘づけになってしまった老人が、愕然としながら呟いた。

「そのしなり具合に、美しく繊細な《魔法銀ミスリル》の光沢。そして巧妙な技術で作り上げられたリールの滑らかさ。若いの、ぬ、主、もしやそれは……あの、幻の……」

 夢遊病者のように手を伸ばそうとする老人の眼前からすっと竿を引き上げる。

 ああ、と落胆の表情を浮かべる老人の頭上に、さりげなく再び竿先を向ける。

「そう言えば、確か造り手が偏屈で年に数本しか作られない幻の竿の新作、とかいっていたかな」

「や、やはりか……」

 頭上の竿先を見上げる老人の姿は、水中をゆらゆらと踊る釣り餌に当たりをつける魚のそれに等しい。

「まあ、確かに俺みたいなヘタクソには宝の持ち腐れ。誰か上手い奴に使われたほうがこの竿にとってもいいかもなあ?」

 思わせぶりなザックスの言葉に老人の顔が輝きを取り戻す。隣に座っていた男が大きく表情を歪めた。

「ザ、ザックス君、キミは何という事をするんだね。すぐにそれをしまってくれたまえ。そんな物がまかり間違って協会長の手に渡れば、一も二もなく飛び出して行ってしまうじゃないか。キミは冒険者協会を潰すつもりかい?」

 いい年をして仕事そっちのけで趣味に没頭しかねぬ老人の振る舞いとか、そんな老人一人の動向に左右されかねぬ大陸をまたにかける一大組織の行く末とか、つっこみどころ満載の言葉に呆れつつ、ザックスは更なる餌をまく。

「釣り竿で釣れるものが別に魚だけだ、とは限らないんだよな……」

 その言葉にさらに眉を潜める男の前で、竿先を軽く揺すってみる。


 ザックスが竿先を右に揺らす――老人の顔が右を向いた。

 ザックスが竿先を左に揺らす――老人の顔が左を向いた。

 ザックスが竿先をくるくると廻した――老人の視線がくるくると宙を踊った。


 その光景を目のあたりにした男が、はっと何かに気づいた。

 ――かかった!

 再び釣り針に獲物がくらいついたイメージが、ザックスの脳裏を踊る。

 だが決して内心を悟られぬよう、かわらぬポーカーフェイスを貫きながらザックスは続けた。

「別にまだ特定の誰かに譲るなんて言ってないんだよなぁ。こいつを手に入れた奴が誰かさんに貸し与えることだってできるんだし……」

男がごくりと喉をならす。

 ――そう、あんたが釣るのは魚じゃない、もっと別のなにかだ!

 手に入れれば協会長を意のままに従わせられるかもしれない、という可能性に気づいた男の目の色が変わった。

「た、確か、リュウガ君は冒険者資格を必要としている……、そうだったね?」

「ああ、残念なことに、協会事務方の厳しい鉄の規律の前には……ね。やっぱりルールってのは、守られてこそ……なんだよなぁ、うん」

 ザックスの何気ない呟きに室内の時間が止まった。再びその場の時を動かしたのは、協会長の片腕たる男だった。

「二時間……、いや、一時間、待ってくれたまえ」

「へっ?」

 顔を見合わせるザックスとリュウガの前で、男は堂々と胸を張って言い放つ。

「一時間で全ての手続きを完了しよう」

「えっ、そんなに簡単なの……」

 数日くらいはかかるものと思っていただけに、思わぬ成行きに大きく動揺する。

「えーと、掟を捻じ曲げて組織の云々というのは……」

「特例を設ければよいのさ! そう、これはあくまでも手続き上の瑕疵。速やかに特例を設けてこの事態にあてる事にしよう。なあにこれでも私は協会事務方のトップだ。多少の無理などいくらでもゴリ押ししてみせよう。異議を申したてる者は、協会長の名前で僻地に飛んで行ってもらえば、なんの問題もないからね……」

 さらりととんでもない事を言って俄然やる気モードの男の姿に、ザックスは沈黙する。何やら危ない方向へと話が進んでいるような気もするが、こちらとしては渡りに船である。

 と、コホンと一つ咳払いをしてそれまで黙りこんでいた老人が徐に口を開いた。

「のう、お前さんがたよ……、全ての決定には、協会長たるこのワシの『許可』がいることを忘れておらんかの?」

 老人と男が睨み合う。二人の顔に既に理性の色は見受けられない。

 ザックスの手元にある竿と交互に視線を交わし、激しく火花を飛び散らせていた。

「そうでした。仕方ありませんね、協会長。ここはひとまず協力という形で速やかに手続きを完了した後で、改めて……」

「フム、たしかにな。よかろう、では竜人族の若者リュウガよ、ワシらについてくるのじゃ」

 そう、その場所は冒険者協会の総本部。

 欲しい物は己の手で、それができねば仲間と共に。時として不可能とも思える目的達成の為に敵対者と手を組む事も、冒険者の流儀である。

 かくして勢いよく部屋を飛び出していった三人が再び戻ってくる僅か一時間の間に、リュウガの冒険者資格及びそれに付帯する全ての手続きが完了し、めでたく《見習い冒険者未満》リュウガが誕生することとなった。

「じゃあ、約束の品はここにおいていくから、二人で自由に決めてくれ!」

 応接セットのテーブルの上に《真剣勝負リアルバウト竿ロッド》を置いたザックスの事などもはや眼中にないかのように、老人と男は睨み合っている。

「協会長、ついに貴方と決着をつける時が来たようですね……」

「ホホウ、造反するか……面白い。老いたりとはいえ、このワシに挑むとは片腹痛いわ!」

「フフフ、忘れてませんか? 貴方の下で過ごすようになってずいぶんになるこの私が、その弱みの一つや二つを押さえてなかったとでも……。この世は力だけが全てじゃないのですよ」

「フッ、気付かぬふりをしてワシを泳がせておったと言うか。そちもなかなかのワルよのう」

「いえいえ、貴方ほどではありませんよ、協会長様」

不敵な笑みを浮かべて立ち上がり、竜と虎の構えで身構える二人の姿を生温かく見守りつつ、ザックスはリュウガを促し、その場を立ち去る事にした。


『アチョー……ヒョー!』

『アイヤー……フォー!』


 幻の竿の所有権を巡って激しく熱いバトルの始まった協会長室の扉をそっと閉じると、ザックスは冒険者となったリュウガと共に、ざわめく館内を歩き始めた。

 階段を降りながら、ふとリュウガが問うた。

「ところで、ザックス」

「なんだ?」

 かつてダントンやエルメラがザックスに対してそうしたように、冒険者となったリュウガに先達として様々な知識を伝えるのは、ザックスの役目である。

「つかぬ事を聞くが、先程のあれが人間族の中で盛んだという『賄賂』なるものか?」

「いや、違うな。あれは歴とした『取引』というものだ」

 胸をはって堂々とザックスは答える。

「同じものではないのか?」

 眉を潜めるリュウガにザックスは平然と答えた。

「例え中身は同じでも、言い方が変わると意外に正しい行いととらえられてしまうものなのさ、人間の世界じゃな……」

「成程。一つ勉強になった」

 本音と建前を巧みに使い分け、生じた無理はすばやく誰かに押し付ける。生き馬の目を抜くかのような組織内で綱渡りをしながら生き残らんとする厳しい人の世の理をじっくりと噛みしめながら、二人の冒険者は協会本部を後にした。



2016/04/03 初稿



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