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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚05章 ~狂乱の蛇神編~
119/157

01 レガード、喰らう!

 冒険者協会――。

 そのいい加減な仕事ぶりやコネだらけの特権職員の存在など、様々に揶揄されながらも、数多の冒険者達を統括する組織である。だが、無責任な陰口、噂話が有象無象に交錯する一方で、その大きくきしむ屋台骨を支えるべく日夜奮闘する真面目で優秀な職員たちも多い。

 時に詐欺師を始めとした様々な厄介者達の依頼を一手に引き受けるクエスト審査部と並び、過酷な業務といわれるのが、アイテム換金部に所属する職員たちである。


 常に物事を力押しで解決することを好む戦士職や、やたらと小賢しい屁理屈を並べ立てて相手を煙に巻こうとする魔法職の冒険者達を相手に、換金相場を巡って議論を交わすその場所は、ダンジョン内も真っ青の修羅場である。

 近頃は妙な知恵を付けて、徒党を組んでゴネる冒険者達も現れ、噛みあわぬ押し問答の繰り返しについに閉口し、泣きながら配置転換や離職を申し出るものも多いという。

『目には目を、数には数を』が戦いのルールの基本であるが、次々に失われていく高度な鑑定技能の戦力補充は当然間に合わず、情熱だけが頼みの新たな若い力は、理不尽な現実の前で、その未熟さゆえに脆くも崩れおちていく。後に残った巨大な敗戦処理の山々を見上げて、心を病みかけた青息吐息のベテラン達の悲鳴がそこかしこで上がっていた。

 さらに追い打ちをかけるかの如く、近頃、巨額の資本を背景に各都市に支店をおく大手の酒場の店主達が徒党を組んで、『換金所の二十四時間開放』を事あるごとに訴えているという。

 多数の冒険者を傘下に抱える彼らは、近年、どこかの頭でっかちの大博士が提唱した『経営の合理化』なる奇妙奇天烈な呪文スペルを唱え、現場の職員達を唖然とさせる要求を次々に行っているという。

『もっと利益を……』という姿勢は経営者としては正しいものであろうが、その煽りを食うのは様々な実務に携わる現場の者達……。長年培われてきた現場のノウハウが破壊されれば、後に残るのはとてつもなく巨大な混沌のみ。

 様々な事物が複雑に絡み合って動く世の理を気持ちよく無視して、目先の儲けに走る事のみを正義とし、己が財力とその絶対性を信じて疑わぬ困った馬鹿者達が、小賢しさという輝きに満ち溢れた知識の剣をむやみやたらと振り回すことで起きる混乱は、もはや職員達の間での笑い話にもならない。

 協会最後の良識の砦である協会長の反対によって、今のところどうにか事なきを得ているが、それもいつまで続くやら。

 老い先短い老人にもしものことがあれば、残されるのは強い者に媚びへつらって自己保身のみに長けた心なき役立たずばかり。

 その状況を好機とみた利己的な野心家達にいいように牛耳られ、無茶と理不尽が正義の顔をして当然の如くまかり通る様になるのは、おそらく時間の問題であろう。

『次の仕事……、決めた?』

『そうね、又、冒険者に戻ろうかしら……』

 正気な判断とはとても思えぬ挨拶が交わされるのが、近頃の異常な日常である。


 そのような修羅場に日々身を投じる彼女の一日は、今日も又いつもどおりに始まろうとしていた。

 手鏡の中に映った己ににこりと笑いかけて笑顔の準備をするのは、仕事始めの大事な日課。

 忙しすぎる日々のお陰でそろそろ婚期を逃しかけ、焦りが食欲へとつながる悪循環に悩む一人の女性であることを忘れ、彼女はその瞬間、協会換金所職員という道具になりかわる。

『窓口業務なら出会いはたくさんあるでしょう?』

 現実を知らぬ無責任な者達が夢見るロマンスなど実に滑稽極まりない。毎日押し寄せてくる冒険者共は『客』という名の『敵』である。『カネ』という名の武器を手に丁々発止とやり合う激烈な大戦は、ダンジョン内のボス戦をも上回る。

「お風呂にくらい入ってきてよ!」と叫びたくなるのを我慢し、攻撃呪文(相場価格)を連発する。

 その朝も始業のベルと共に、戦闘準備完了した彼女の前に、貨幣型の瞳の冒険者(お客様)達が怒涛の如く押し寄せる……はずだった。

 けれども換金所の空気はどこかいつもと違った。換金所内にいる男女種族を問わずに押し寄せる傍若無人な冒険者共の群れからは、いつもの凶暴さが鳴りを潜めている。

 ――何か……、あったのかしら?

 窓口の反対側からその原因を探ろうとした彼女だったが、それは徒労。原因の方が彼女に近づいていた。

 目の前に立ったのは一人の獣人族の男だった。その姿に彼女は笑顔のまま、心の中で眉を潜める。

 身に纏ったぼろ布の端から、これまた見事にくたびれた《軽装鎧ライトメイル》がのぞき、背負った《大斧グレートアックス》も歯こぼれが酷い。典型的な貧乏冒険者の姿である。

 長い間、身を清めていないらしく、饐えた体臭を周囲に振り撒く獣人族の男は、よりにもよって獅子猫族。その気の荒さで右に出る者はいない。

 ――今日は、厄日だわ……。

 顔で笑った彼女は心で泣く。

 喚く、泣きつく、開き直る。

 相場以上の価格でどうにか買い取らせようと、あの手この手で策を弄する冒険者達を相手にする換金所職員にとって、朝一番のお客を無事に捌く事は、その日の平穏な業務のゲンかつぎとなる。それがよりにもよって、これでもかと言わんばかりにトラブル臭を満載した客の相手ともなるのだから泣きたくもなる。

 ――創世神は一体、何の恨みがあって、日々恙無く勤勉に励む私に厄介事を押し付けるのかしら?

 引きつり気味の笑顔を浮かべる彼女の両隣に座る同僚達は、同情と安堵のため息をついている。

 ――ああ、厄介事に当たらなくてよかったわ。

 同情とはカネにならぬのが、世知辛い人の世の中である。

 それでも彼女は、数多の修羅場を乗り越えてきた中堅職員としての精一杯の威厳を持って、男を出迎えた。

「いらっしゃいませ、換金アイテムをこちらに出していただけますか?」

 何百、何千回と繰り返してきた最初の身元確認の手順を思い切りぶっ飛ばしてしまったことに気づかぬのは、彼女の動揺故。自分達の仕事をしながらそのやり取りを見守る周囲も同様である。

 二人の間に置かれた籠の中に、男は黙って、《バッグ》からアイテムを取り出し始めた。

 一つ、二つ、三つ……。

 ずいぶんと溜めこんでるみたいね……、などと呑気にアイテムを眺めていた彼女の顔色が徐々に変わっていく。

 十、二十、三十……。

 数そのものはまだまだ問題ではない。一度に百や二百を捌かねばならぬ時もあるものだ。だが、問題は質だった。

 ――ちょ、ちょっと……。何よ、これ……。

 冒険者から換金所職員に転職して彼女はずいぶんと経つ。

 冒険者としては鳴かず飛ばずだったが、すでに職員としては中堅のベテランともいえる彼女の鑑定スキルは、《ペネロペイヤ》換金所内でもちょっとしたものだった。幾度もの修羅場を乗り越えて磨かれた鑑定眼を持つ彼女は、同僚達にもずいぶんと頼りにされている。

 その彼女ですら全く見覚えのない品々が、次から次へと無造作に放り出されていく。籠は瞬く間にいっぱいになり、さらに次の籠をも征服しつつある。

 ふと、その中の一つに目がとまった。唯一、見覚えのある品をおそるおそる手に取った。

 ――こ、これは……。

 作業台の傍らに張られた張り紙に目が行った。

『この顔にピンときたら要注意!』

 そこにあったのは昨年、冒険者の世界をさんざんに騒がせた一人の男の似顔絵だった。


《魔将殺し》なる前代未聞の称号を持つ彼は、多分にもれず、この換金所内にも度々騒動を持ち込んで換金所内の職員を右往左往させた。

 冒険者達が目の色を変える高価なレアアイテムは、その鑑定に経験とスキルが必要で、Sランク以上のレア度の物の損傷具合を計って値付けする作業は、時として換金所の業務を滞らせる。協会本部が置かれる《ペネロペイヤ》において、日々煩雑で膨大な業務に追われる職員達にとって、迷惑なことこの上ない。

 そのような物を空気を読まずに度々持ち込む憎き《魔将殺し》への職員達の怨意は、想像に難くない。彼らの心情を示すかのように、似顔絵には悪意ある落書きが施されている。


 昨夏、彼が初めてこの場所に持ち込んだのが、今、彼女が手にしているSSランクのレアアイテム《ハルキュリムの球根》だった。時価が最低でも十万シルバ以上、相場次第ではその数倍の値がつくこともあるそれに関わる一連の騒ぎに、この換金所が巻き込まれたのは、およそ一年前の事。以来数度、彼は似たような騒ぎを起こし、協会職員達の密かな顰蹙を買った。

 さらに籠の中の別のアイテムを取り上げた彼女は、予感した。そこそこの経験の中で未だ見た事もないそれらの中には、おそらく、いや、確実に《ハルキュリムの球根》と同等の物がある……と。

 籠を三つ使って、アイテムを取り出した男は「とりあえず、こんなところか……」と呟いた。

 ――まだ、あるっていうの?

 眼前の事態は確実に己の手に負えるものではない――そう確信した彼女がとるべき行動は一つだった。

『申し訳ありませんが、本日、これらのアイテムの精査が可能な者はおりません。日を改めておいで下さるか……」

 そのような常套句で体よく追い払い、厄介事から華麗に身をかわすのが、有能な職員の仕事である。だが、男と視線を合わせたその瞬間、雷にでも撃たれたかのような衝撃を受けた彼女の口をついて出た言葉は全く別の物だった。

「しばらく、お待ちください」

 ふらふらと振り返り、彼女は背後に控える上司の元へと赴いた。『部署の主』にして『究極のイキオクレ』――などと同僚達が密かに陰口をたたくその姿は、未来の己の姿かもしれない。

 己の手に余る事態に助力を仰ぐ彼女の言葉を、上司は迷惑そうに受けとめる。

 ――バカじゃないのかい、アンタ! 一体、何年、この仕事してるんだい! 要領よくやんなさいよ!

 無言の視線で罵倒しながら、上司は彼女と共に男の元へと赴いた。だが、男に断りの申し出をしようと目を合わせた瞬間、これまた態度が一変した。

「しばらく、時間を頂けませんか? 我が換金所の総力を挙げて査定させていただきます」

 そこにいた職員の全てがポカンと口を開く中、前代未聞の号令がかかった。そして、地下倉庫からあらゆる文献を引っ張り出し、換金所職員による総力戦が始まった。


 全ての作業が終わったのは昼近くになっての事だった。支払い総額が三百万シルバという前代未聞の額に達したところで、鑑定作業は打ち切りとなった。

鑑定職員(われわれ)に『できません』という言葉はありません」

 換金所の主自らの迷言とともに総力戦となった鑑定作業に疑問を挟める者などいなかった。その日の支払い可能限度額まるまるを使いきっての鑑定作業は、非番の職員すらも緊急招集された。

 一連の作業が黙々と経過する様を、他の鑑定職員だけでなく、放置されっぱなしの他の冒険者達までもが無言で見守っている。

 作業が終了するや否や、しんと静まり返った換金所内で男の目の前に金貨の袋が山と積まれた。それらを買い取られなかった換金アイテムと共に無造作に《バッグ》に放りこむと獅子猫族の男は立ち上がる。

 その姿に職員達は誰もがそっと涙した。突如として降ってわいた問答無用の理不尽を、一致団結してどうにか乗り越えた彼らの心は今、密かな感動にうち震えている。

「一つ、尋ねる」

 男がふと思い出したように、彼女に尋ねた。換金所内が再び緊張した。

 ――まだ、無理難題を吹っ掛けるつもりかしら?

 だが、男の質問は平凡過ぎるものだった。

「うまいメシ屋を知らないか?」

 空気が一瞬、硬直した。問われた彼女に場内全ての視線が集中する。

 あまりにも凡庸な問いに虚をつかれ暫し呆然とした彼女だったが、すぐさま気を取り直す。

 忙しさに日々追われる彼女にとって、近頃の唯一の趣味は食べ歩き。《ペネロペイヤ》の名店とその絶賛メニューは全て網羅している。

 ――どこがいいかしら?

 得意分野での質問に、思わず彼女の頬が緩む。男の好みに合いそうな店をあれやこれやと検討する中で、ふと、傍らの《魔将殺し》の似顔絵が目に入った。

 ――そういえば。

 昨秋、《ガルガンディオ通り》で開かれたリニューアルイベントで口にしたとあるメニューを思い出す。滅多に手に入らぬ食材をふんだんに使ったそのフルコースは、今や《ペネロペイヤ》市内の食通達の間でも伝説となっている。

 正規の許可証を与えられた冒険者の酒場でもあるその店は、目の前の男にはうってつけの場所に違いない。

 その店の名と、ついでに近くの大衆浴場の場所を教えた彼女にそっけない態度で礼を言い、男はその場を後にした。去っていくその背を見送る場内の誰もが不思議な感慨を覚えた。


 そして……。


 ふと誰もが気付いた。

 ここは換金所で、朝から押し寄せた冒険者達の群れの誰もが未だ目的を果たしていないという事に。

 対する換金所全職員は、慣れぬ作業で誰もが疲労困憊し、昼前の時点で金庫の資金はほぼ空になっているという現実に。

 双方の視線が交錯する。

 互いの陣営から乾いた笑いがどこからともなく湧き上がり、やがて徐々に消えていく。代わりに生み出されたのはどんよりとした空気だった。次いで広がる不気味な静けさは、まるで嵐の前そのものだった。


 しばらくして……。

 当然の如く、そこは阿鼻叫喚の坩堝と化した。


 後に、その場に偶然居合わせた一人の冒険者の描いた一枚の『地獄絵図』が、絵画コレクター達の間で高値で取引される事になったのは……、又、別の話である。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 ――相変わらず人間族という生き物の価値観は、カネと見てくれだけが全てらしい。

 すこしばかり偏見に満ちた持論を再確認しながら、冷めた目をした獅子猫族の男――レガードは大通りを歩いていた。

 今朝方、およそ一年ぶりに訪れた《ペネロペイヤ》の換金所を大混乱させた彼は、近くの大衆浴場へと向かい、そのまま東地区に軒を連ねる武器防具屋へと立ち寄った。

 ギラついた殺気を身にまといボロボロの格好で現れた一見の客に、どの店の店員も始めは眉を潜めたが、金貨の包みを眼前にちらつかせるや否や、ころりと態度を変えた。金に糸目を付けずに高価な品を吟味するレガードの傍らには《装備コーディネーター》なる資格を有する店員がやってきて、見当外れのアドバイスをする。

「今、流行りの……」とか、「比類なき一点もの」などと饒舌にまくしたてる店員に閉口し、金貨を一枚放り投げて黙らせようとしたが逆効果だった。売上に目のくらんだ商人に恐ろしいものなど無いらしく、無愛想すぎるレガードの態度を肯定的なものと誤解した店員による更なるセールストークが炸裂する。

『沈黙は損なり』とばかりに己が商品知識をこれでもかとばかりに披露する店員だが、修羅場を潜りぬけてきた者が欲する実戦向きの品とハッタリと見てくれ優先のそれとは異なるのだという根本的な違いに気づいていないのがいただけない。本質を外した道具など、文字通り無用の長物でしかないのだが、安穏とした平和な世界に身を置く者にはそれが分からぬらしい。的外れな己の価値観と名工とは名ばかりの過去の人が打った二流の品々に陶酔する様は、正直、頭痛・・が痛かった。

『目的を果たすまでは、くれぐれも自重して下さいね』

《ペネロペイヤ》の転移門に彼を放りだした魔人の去り際の嫌みったらしい忠告を思い出し、暫しの辛抱の時が続く。とにもかくにもおよそ百万シルバ近くを使って装備を新調したものの、地につかんばかりに頭を下げて彼を見送る店員達のみえみえの振る舞いが鬱陶しかった。彼らが頭を下げるのは客であるレガードにではなく、彼の持っているカネに対してである事を重々承知しつつ、小さく舌打ちを一つして彼は大股に先を急ぐ。

 らしくもない我慢を重ねさせられた鬱憤が溜まりに溜まり、一刻も早く何かに、否、誰かに晴らしたかった。

 通りに軒を連ねる冒険者御用達ショップで探索に必要なアイテムをあれやこれやと派手に買いあさり、何気なく大通りの一画でふと足を止めた彼は、口元に小さく笑みを浮かべると傍らの狭い路地へと踏み込んだ。

 数歩歩いたところで突然振り向き、右拳を容赦なく一直線に振り抜く。

 足音を忍ばせて背後に迫っていた男の顔面がほとんど手ごたえのないままに叩きつぶされた。殴られた男の身体はさらに二人の別の男を巻き込んでごろごろと転がっていく。そのまま大通りに転がり出て伸びている男達の姿に通行人達の悲鳴が上がる。さらにその仲間達と思われる数人のならず者達の顔色が変わった。

 彼らはレガードの羽振りの良さに目を付け、隙を見せた獲物に襲いかかろうとした訳だが、獲物の方が数枚以上上手だった。最後の店を出た辺りから、ちらほらとまとわりつくような視線を感じていた彼は、新調した装備の具合を確かめるにちょうどいいとばかりに彼らを誘いこんだ。だが、慌てて武器を引き抜くへっぴり腰のその姿を見て大きく落胆する。

 ――時間と労力の無駄……か。

 一年前とは格段に違いすぎる己の実力を測るには、彼らは圧倒的に力量不足だった。レガードがギロリと一睨みした瞬間、彼らもまた雷撃に打たれたかのように、立ち尽くす。あっさりと戦意を喪失した木偶の坊達に向かってレガードは徐に問うた。

「《ガルガンディオ通り》はどっちだ?」

 すでに昼時を大幅に過ぎ、空きっ腹が激しく自己主張している。度重なる欲求不満のはけ口として一刻も早く上手い飯にありつくのが、とりあえずの上策だろう。

レガードの問いに、ならず者達は一斉にふらふらと同じ方角を指さした。そのままの姿で呆然と立ち尽くす彼らの間を堂々と通り抜け、レガードはその場を歩み去る。まるで物語の一場面のような光景に、その場に居合わせた誰もがただ呆然とその背を見送った。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



《ガンツ・ハミッシュの酒場》――。

 冒険者の出入りする酒場としては中規模クラスのその店は、安心と信頼の安定した経営が売りの店主の方針だけでなく、通をうならせるほどの食事の味のお陰で、老若男女種族を問わず様々な客が訪れる。

 その店の看板娘を自負する彼女は、胸はさほどでもないが腰から下の魅力あふれるラインを武器に、毎日押し寄せる客達を相手に先頭を切って鮮やかに捌いていく。すでにそのスキルは職人の域に達しているだろう。

 元来、気まぐれ、わがまま気質の大山猫族だが、らしからぬ生真面目さで時として見目良い尻に伸びてくる不埒な手を自慢の尻尾でぴしゃりとはたき、少しばかり強気な態度と語尾に『ニャン』とつけ忘れる事のない可愛らしい言葉づかいを使い分けて修羅場を乗り切っていく。厳しい世間の荒波に翻弄され、遭難しかけたところを店主のガンツに拾われてから数年。出迎えた客の数はもはや数えることなどできない。

 相手の姿勢や仕草、あるいはわずかな表情を一目見ただけでその人となりを見抜いてしまう奇妙な特技が自然と身につき、日々ホールという名の戦場で縦横無尽に奮戦する。

 客層の大半が冒険者という非常識極まりない理不尽な集団相手の戦いに定石はない。気転とハッタリと愛嬌を武器に羽振りのよい者達から巻き上げた泡銭は、ツキに見放されて凹んでいる者達への励まし(サービス)へと廻る。

 ――持つ者から持たざる者へ。

 リピーターが多いのは、彼女達裏方の目に見えぬたゆまぬ努力の結晶である。


 そのような彼女がその日出会ったのは、これまで全く見た事のない種類の客だった。

 外見から年齢を判断しにくい獣人族であるが、その振る舞いからはまだ若者と呼ばれる年齢であろうと推察される。

 一見、冒険者風の風体のその獅子猫族の男は新調したばかりの装備に身を包んでいる。店の二階席の冒険者達が好みがちな品々は、戦闘狂の匂いを感じさせたものだが、彼のまとう空気はダンジョンという戦場で目的を果たさんとする冒険者のそれではない。どちらかといえば傭兵の類いのものだろう。

 だが、その全身から湧き上がる闘争の匂いが、なにかしら得体の知れない不気味さを彼女に感じさせた。


 昼時の修羅場を大きく過ぎた時間帯にふらりと店に入るや否や、ギロリとフロア全体を見回し、出迎えた同僚達の勧めも無視して、一階席の奥に陣取る。困惑する同僚達に代わって、注文を取りに行った彼女に対して、現れた男はあっさりと全肉料理メニューの制覇を宣言した。

 この店で食い逃げを試みようものならば、居並ぶ冒険者達全てを敵に回すこと請け合いである。あっというまに身ぐるみはがされて、中央広場の《聖者の像》に逆さ吊りにされるに違いない。

 身につけた決して派手ではないどちらかといえば玄人好みの高価な品々から、その心配はないだろうと判断した彼女は、その豪快な注文を厨房へと伝えた。

 思いがけぬ客からの挑戦状に料理長のドワーフを筆頭とした厨房は色めき立ち、店内に盛大なざわめきが生まれた。

 芳醇さと香ばしさの入り混じった香りとともに次々に運ばれる肉料理を凄まじい勢いで平らげていく見慣れぬ男の一挙手一投足に、店内にいる全てのものの視線が注がれる。付け合わせの野菜類の存在など眼中になく、香ばしい肉汁を滴らせる塊のみをむしゃぶりつくように胃袋に収めていく。

と、決して上品とは形容できない飢えた肉食獣の食事風景を連想させるその光景に、不意に割って入る者が現れた。『友好的』というよりは『空気が読めない』といった表現が正しいだろう。

 一階席ではそこそこ顔の売れた山犬族の中級冒険者。

 野獣の如く一心不乱に食事にありつく獅子猫族の男の姿と振る舞いに虚栄心を刺激されたのか、あるいは男が自然に放つ暴力の匂いに引き寄せられたのか?

 ――バカなヤツニャン。

 彼女と周囲の店員達が一斉に溜息をつく。

 この後の光景はおそらく誰もが容易に想像つくだろう。

 激しい乱闘の末に大量の食器が割れ、飛び散ったソースを片付けねばならぬ手間と、食べられる事のなかった無残な料理の姿にその日一日気を悪くするドワーフ料理長に気を使わねばならない。

 裏方の気苦労など気付きもしない能天気な冒険者(おバカさん)の振る舞いに、至る所から同僚達の殺意が陽炎の如く湧き上がった。

 ――あいつの皿、毒入れてやろうかニャ。

 理不尽な事態を引き起こしても全く自覚のないおバカさんへの制裁を夢想するのは、この仕事に携わるものなら誰もが経験することだろう。

「よお、兄ちゃん、ずいぶんと景気よさそうじゃねえか。この店じゃ初めて見る顔みてぇだが、『はぐれ』かい?」

 はぐれ冒険者。

 パーティ内でのいざこざなどを理由に、単独で活動する事を余儀なくされたもの達の総称である。人間関係の煩わしさを嫌い身軽さゆえに好んで単独行動する者もいるが、多くの場合、トラブルメーカーの気質がある。

 巷では長く《はぐれ冒険者》でいると身体が硬くなったり、逃げ足が速くなったりするなどの都市伝説も存在するという。

 獅子猫族の男の対面に座り、ずうずうしく皿の肉きれを一つ摘み上げようとしたその瞬間だった。

 一心不乱に御馳走と格闘していた獅子猫族の男が、手を一瞬止め、男をギロリと睨みつける。

「邪魔だ、失せろ!」

 静かに無機質に言い放たれた。

 ああ……、とばかりに溜息が湧いた。喧嘩の売り方としてはこれ以上ないというくらいに堂々と言い放たれたその言葉に、周囲が色めき立つ。

拒絶された側の山犬族の男も腕っ節には定評がある。予想される一触即発の事態に客達の期待が膨らんだ。だが、直後の光景は予想だにせぬものだった。

「あ、ああ、悪かったな……」

 驚いた事にまるで雷に打たれたかのように山犬族の男はふらふらと席を立ち、その場を離れていった。居合わせた誰もがすっかり虚をつかれ、暫し無言の時が流れた。

 山犬族の男がまるで夢遊病者のように元の席に座るや否や、時が止まったかのようだった店内が一斉にざわめいた。らしからぬ彼の醜態に小さな嘲笑が湧いた。

「はぐれ相手に、何、ビビってんだ」

「ダセェ奴……」

「いつもの威勢の良さはハッタリか?」

 周囲の嘲笑が己に向いていることに気づき、我に返った男は顔を赤らめて立ち上がる。

「テ、テメエ、今、何しやがった!」

 だが、その足が獅子猫族の男の座るテーブルに向く事はない。眼前の獅子猫族の男の得体の知れない力に、危険に敏感な犬族の直感が働いたようだ。

 大声をあげて怒鳴りつける山犬族の男を気にも留めず、獅子猫族の男は堂々と眼前の料理を平らげる。

 引っ込みがつかなくなって立ちつくす男の姿と呆気にとられる観客達の間を縫うようにして、料理を運ぶ彼女は己の職務に没頭する。混迷し始めた事態を打開するのは、別の人間の役割である。

 ――そろそろかニャ。

 予想通りの彼がカウンターから現れた。この店のオーナー、ガンツその人である。

「こんなところで喚いてる暇があったら、ダンジョンに潜って稼いでこい!」

 山犬族の男を店から早々に追い払うと、ガンツは黙々と食事に没頭する獅子猫族の男のテーブルに近づいた。

「初めて見る顔だな、兄ちゃん、冒険者か?」

 見下ろして尋ねるガンツの問いに、手を止めた獅子猫族の男は先ほどと同じくギロリとガンツを睨み返した。二人の間に一瞬、見えない風が沸き起こったように感じられた。だが、ガンツが動じる事はない。僅かに目を細めて彼は口を開いた。

「ほう、お前、《魔眼使い》か……」

 再び周囲がざわめいた。獅子猫族の男はほんのわずかに驚いたような表情の後で、険呑な笑みを浮かべた。

 魔眼使い。

 睨みつけただけで他者を意のままにあやつるというそのレアな特殊スキルの使い手は、上級冒険者ですら滅多に現れない。若干の例外を除いて、一部の純粋種の獣人族の者のみに発現し、その魔力を帯びた視線は、対象の神経系から身体にまで影響を与える。創世神話の一節に出てくる《石化魔眼》を持つ魔獣はこの能力に類するものであろう。

 意思の強いもの、信念を持った者には全く効果がないという欠点はあるものの、その冗談まがいな便利な力の効果は、半ば都市伝説と化している。

「店主のガンツだ。兄ちゃん、見たところ冒険者のようだが、念の為だ。冒険者証を見せてみな」

 他都市からの流れ者のはぐれ冒険者。彼らが必ずしも品行方正でない事は周知の事実。

 冒険者協会公認の酒場の店主には、支配下冒険者達を管理監督すると同時に、その動向を監視する義務がある。

 暫しの沈黙を経て、対面に座って正面から男を見据えるガンツに向かって、《クナ石》の青い輝きが小さな放物線を描いた。


名前    レガード

マナLV  50

体力   MAX 攻撃力   295 守備力   183

魔力   MAX 魔法攻撃    0 魔法防御  188

智力   152

技能   195

特殊スキル 駿速 爆力 全身強化 獣戦士化

      斧撃術 斧閃乱舞 一刀両断 魔眼 再生能力

称号    中級冒険者

職業    闘士

敏捷   164

魅力   130

総運値    ―  幸運度 103 悪運度 MAX

状態    呪い(詳細不明)

備考    協会指定案件6―129号にて生還


武器    オリハルコンスタッフ

防具    ミスリルメイル エレメンタルフォースガード ブレイブベルト

      ハイランダーブーツ

その他   電光石火の腕輪


 表示を見たガンツの顔に険しい表情が浮かんだ。それを見咎めた者たちの間にざわめきが広がった。

 LV50の中級冒険者。上級職の利点を知るはずの冒険者の常識では少し考えられない。

 さらに注目すべきは備考欄だった。

『協会指定案件6―129号にて生還』

 そんな表示をさせる冒険者の存在は、数多の冒険者の中でも数人しかいない。もっとも彼の店には三人も所属し、パーティを組んでいるわけだが……。

 そしてところどころにあるMAX値。

 もはや、冗談か誤表示としか思えぬその数字が示すところは……、たった一つである。

「お前、ザックス達の知り合いか?」

 大きなどよめきが起きる。食事をしていたレガードの手が一瞬止まった。

 彼とその仲間達が砂漠の街一つを壊滅させかけたとか、都市間抗争を未然に防いだなどという噂話がこの店に流れた日から、もうずいぶんと経つ。便りが無いのが良い便りというからおそらく元気にしているのだろう。

 今やこの店で最も注目株の一つである彼らのパーティに所縁あるものらしいレガードに対して、周囲の者達の視線が一斉に注がれた。鬱陶しそうに一つ舌打ちをしながら、レガードは最後の肉片を傍らのジョッキの麦酒とともに流し込む。

 全ての肉料理を完全制覇したレガードの眼前から素早く皿が下げられ、代わりに注文にない新しいジョッキが二つ置かれた。機転を利かせた看板娘のサービスでテーブルの空気が僅かに変わる。

 ガンツとレガードの視線が衝突する。暫しの沈黙の後で口を開いたのはレガードの方だった。

「成程、ここはあの腰抜けフィルメイアの縄張りか……」

 面倒臭そうな言葉にブーイングが起きた。昨年来の《魔将殺し》の活躍は、この店の多くの者達の知るところであり、その活躍を我が事のように誇る者も多い。そのような彼を侮辱する発言に、彼を知る多くの者達が色めきたった。

 だが、レガードは動じない。ざわめく周囲に動ずることなく雑音を一睨みで黙らせ、のっそりと立ち上がる。

「お前、どこか行くあてはあるのか?」

 昨夏、どこへ行っても断られていたザックスの苦労を思い出しながら、ガンツは尋ねた。興味なさげに彼を見下ろしながらレガードは左手を差し出した。

「余計な御世話だ、生憎、忙しい身でね……」

 二人の間に再び青い放物線が描かれた。受け止めたクナ石を懐にしまい、レガードは歩き出す。

 カネに糸目を付けずに全ての肉料理を制覇した彼は、勘定をポンと金貨で支払い、釣りを受け取る事もなく堂々と出て行った。その後ろ姿を呼びとめる者はいない。

 ――もし、あの時、誰かが彼を引き止めていたならば、その後の世界はどうなっていただろう?

 後にその後ろ姿を思い出しながら、彼女だけでなくその場にいた多くの者達がそのように後悔する事になるだろうとは、この時、誰も想像できなかった。



2016/04/01 初稿



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