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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚04章 ~遊探の旅路編~
118/157

32 エピローグ 遊探の旅路

 漆黒の闇の中、身体の奥から生まれた激しい熱さで目を覚ます。

 ――どうやら、又、死んでたらしいな。

 ずいぶんと久しぶりのその感覚と蘇生直後に特有の激しい喉の渇きを覚え、手探りで落ちていた《バッグ》を探し、光と水を得る。

 魔法光のカンテラをかざして起き上がった瞬間、巨大なモンスターの気配を感じ取り、その場を大きく飛び下がる。落ちていた己の武器を拾い上げ、見覚えのある敵に叩きつける。時が立つごとに徐々に身体の機能が回復し、彼の攻撃力は増していく。先程取った不覚の分も十分に報復を加えると、モンスターはマナの輝きになって消え去った。

「一旦、戻るか」

 換金アイテムを拾い上げ、彼はクナ石の表示を映し出す。だが、相変わらずそこに大きな変化はない。マナLVの最高値に達しても、己の強さへのあくなき欲求は留まる事を知らぬらしく、さらなる可能性を全身が渇望する。

 この場所は冒険者協会ですら把握していない未知のダンジョンである。

 通常のものと大きく異なり、ボスと呼ばれる特殊なモンスターは現れぬものの、遭遇する周回モンスターが最低でもBクラス以上の集団である。層を下りるごとにその強さは増して行き、今やAAは当たり前。そのうちSクラスにもお目にかかるだろうという危険極まりない場所だった。

 この場所で一年近くを過ごし、強さを極め尽くさんと試みた彼だったが、得られたものは当初の予定と少々異なり、不満ばかりが募る。そろそろこの場所を離れ、違うやりかたを模索すべき時が来ている事を理解する。己の足で上方へと向かう彼の前に、再びモンスター達が立ちはだかるものの、闘争本能の赴くままに飛びかかり、傷付く事も恐れずに眼前の敵をせん滅する。傷の心配は必要ない。過去、幾度も蘇生してきたその身体は、腕一本斬りとばされても勝手に再生する。

 ある日、己の身体に生じたその変化に気づいた時、彼は声をあげて笑った。

 己が野心を実現させるべく、手に入れたその力を最大限に利用して、彼はその野望ゆめを現実へと変える切り札を得た事に気づいた。大陸を覇する為に必要な元手に、彼は暴力という手段を選んだ。それは持たざる者にとって最も身近な手段であり、最も効果的な手段でもある。

 立ちはだかるモンスター達の集団を次々に薙ぎ払って、彼は一人、元来た道を引き返す。地上へとつながる出口付近に辿りついた時、彼はふと足先を変え、傍らにある巨大な扉の前に立つ。力任せに押し開けようとするものの、やはり、びくともしない。

 何らかの魔法処理が施され、腕力で開かぬ事は分かっているのだが、それでもこの場所を通るときの日課となっていた。この扉が開いた時は己をとりまく状況が大きく変わる時だろう……そんな予感とも願望ともいえぬ思いを胸に、彼は無意味な行為に暫し没頭する。

 日課の儀式を終えるとフンと一つ笑って、彼はその場を後にする。

 出口から差しこむ光に目を細めつつ、久方ぶりの外界の世界の空気を胸一杯に吸った。




 マナの気配に満ち満ちていながら、それでも神聖な気配の漂う不思議な遺跡。

 三角錘とも尖塔ともいえる形容のその場所は、結界に守られているせいか、凶暴な獣どころか虫一匹すら住みつかず、ずいぶんと長く放置されているにも拘らず風化の気配もない。

 その場所がおそらく大陸の北側にあるだろうという事以外は、何も分からない。周囲を豊かな水と緑に囲まれ、遺跡の外の森を歩けば、食べるものにはほとんど不自由しない。すぐ近くの滅び去った集落の後で寝泊まりしながら、彼は強さのみを極めんと、ほぼ一年の間、その場所でほとんど野獣と変わらぬ生活を送っていた。

 先程の遺跡と同様にやはり奇妙な結界に守られた集落跡で、探索の疲れを癒そうとしていた彼の元に、再び新たなマナの気配が生じる。さほど気にも止めずに彼は粗末な寝どこに寝転がったまま、よく知るその気配の持ち主を出迎えた。

「やれやれ、折角、様子を見に来たというのに、もう少しばかり場に相応しい、あるいは相手に礼をつくした姿で出迎えられてもよろしいのではないのですか、レガードさん?」

 現れたのは一年前に己の前に現れ、その運命を変えた《魔将》と呼ばれる魔人である。魔人の言葉など気にも留めず、全裸に腰巻一つといった格好で寝台に寝転がったままの獅子猫族の冒険者レガードは、さほど興味も示さずに答えた。

「他人の住処にいきなり土足で踏み込んでくるような輩に、礼なぞ尽してもしょうがないだろう、ヒュディウス」

 その名を聞けばだれもが震えあがる《魔将》に対して、レガードは全く動ぜぬ態度で横柄な口をきく。

「住処といわれましても……」

 困ったような表情で、魔人は周囲を見回す。

「屋根も壁も半分以上ないこの場所で、一体どこを境目にすればよろしいのやら……」

 道理ではあるが、互いに非だらけのその議論は不毛であろう。

「……で、何の用だ。世間話をしに来た訳じゃないだろ。話なら早くしろ。俺は疲れて眠いんだ」

 身体が蘇生された時には、失ったマナを回復させるに見合うだけの睡眠を必要とする。蘇生した場所から一切、眠らずに一日以上たっている今の彼の身体は、睡眠を渇望していた。

「そうですか、では、手短に……。そろそろこの場所を離れるつもりはありませんか? 貴方自身、能力の上限に至ってもう飽き飽きしているのでしょう?」

「相変わらず、まだるっこしいな。一体何を企んで、俺をどう利用するつもりだ?」

 寝床から起き上がり、一つ大きなあくびと共に伸びをすると、座ったままヒュディウスを見上げる。

「無駄な事をしたがらないお前が、俺を引っ張り出そうと言うんだから、それなりにでかい事なんだろう。それにしても……」

 しばし、じろりとヒュディウスの全身をねめまわす。やがてニヤリと笑ってレガードは尋ねた。

「お前……、何か失敗したんだろう?」

 ヒュディウスは表情を変えなかった。僅かに肩をすくめて降参のポーズをとる。

「やれやれ、本当に油断も隙もない人だ、貴方は……。おっしゃられる通りですよ。出向いた先で思わぬ抵抗を受けまして、手ひどくやられましたよ。『ザックス』さんとそのお仲間にね……」

 転んでもただでは起きぬこの魔人は、嫌みたらしく『ザックス』という名を強調する事で、レガードを挑発する。これで彼は動かざるを得ないだろう。

「下らん挑発しやがって……」

「私としては彼らへの報復も兼ねまして……、いえ、貴方にも決して損はさせぬことになるでしょうから……」

「ヒュディウス! お前のいうとおり駒になってやろう。それは最初の時に約束したはずだ。だが、お前の手の内をきちんと明かさぬ限り俺は協力しない。お前の企みを利用して、俺の利にならぬのでは意味がないからな。それがいやならここで殺し合いだ!」

 目の据わったレガードの迫力に対して、くつくつと魔人は笑い、生粋の獅子猫族の獣人が黙ってそれを睨みつける。

「分かりましたよ、とりあえず、今回はある方々を潰します。いや、まあ私が手を出さなくてもあの方々、勝手に破滅への道をひた走ってるんですけどね……」

「どうせ、破滅するなら、世界の為に役立っていただこうって訳か……。お前らしいやり方だな。大方、蛇かあるいは熊か……」

 ヒュディウスが心底、嫌そうな顔をして肩をすくめた。

「いや、もうね……、どうしてこう鋭いんですかねえ、やりにくいったらないですよ。貴方と手を組むくらいならまだザックスさんとそうした方がいいんですけどね……。どうしてこう世の中って、思った通りにならないんでしょうか?」

「フン、まあ、いいさ……。で、手始めに何をするんだ」

 レガードの問いに、ヒュディウスはそれまでの人間臭い態度をあっさりと覆して、くつくつと笑う。

「そうですね、まずは《ペネロペイヤ》に。貴方にとってもずいぶんとお懐かしい場所でしょう?」

「下らん。たかが数カ月、弱い奴らと群れあった場所に何の感慨もないな」

「そうですか……。では、時が来たらお迎えに上がります。それまでお風邪など召しませぬよう。お腹を出して寝ていますと如何にこのあたりが暖かな気候とはいえ……」

 瞬間、レガードの武器が投げつけられる。だが、それは消えゆくヒュディウスの身体を素通りし、向かいの通りの壁をあっさりと破壊した。

「それでは、ごきげんよう。レガードさん」

 何事もなかったかのように挨拶をした魔人の姿が消え、再び辺りに静けさが戻る。しばらく宙を睨み据えていたレガードだったが、突然、ドウと音をたてて仰向けに倒れた。そのまま豪快にいびきをかいて眠る彼だったが、実は少しばかり前から、ほとんどその意識はなかった。

 やがて、彼の前に再び現れたヒュディウスが、又、一から説明する羽目になる事にあきれ果てるのは……、まだしばらく先のことである。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



《ドワーフの郷》の中央広場ではちょっとした祭りが催されていた。

 もっとも事あるごとに理由を付けては、その場所で酒盛りをする事に慣れっこの彼らにとっては、いつもとさほど変わらぬことであるが、その日のものは少しばかり事情が違った。

 すっかり人だかりの出来た中央広場の社の前には、郷の評議員と寝不足気味の防具職人集団、そして、疲労困憊しつつもギラギラと異様な気迫をみなぎらせるギノッツ師弟に囲まれたザックスの姿がある。昨日ようやく完成した道具のお披露目に、多くの者達が注目していた。

 何やら大仰な儀式の後で、最初に披露されたのは、苦労して手に入れた《緋緋色金ひひいろかね》で超一流の防具職人達が造った防具、《皇竜の籠手》だった。

 ザックスの両腕の肘から先をすっぽりと覆うその紅の一対の籠手にはそれぞれ、二つに割れた深紅のウルガの竜魂石が輝いている。《皇竜の籠手》を両腕に嵌めた瞬間に感じた圧倒的な力の気配に、ザックスは、思わず身震いする。一度《魔法障壁》を発動させればその威力はかつての物とはケタ違いであり、物理防御も魔法防御も並みの盾など足元にも及ばない。さらに秘められた力があるらしく、その力が発揮されるかどうかはこの先のザックスの力量によるという。

 そして、もう一つ。

 丁寧に布に包まれたそれを手に、当代随一の武器職人である師匠とその弟子が、ザックスの前に立つ。

「ノヴェラ婆ァ、例のもの出来てるかい?」

「ああ、出来てるさ。久しぶりにいい仕事させてもらったよ」

 ヴォーケンの問いに、評議員達の中からノヴェラが現れ、手にした物をヴォーケンに差しだす。おそらくは剣の鞘と思われるそれに、ヴォーケンが布を払って己の手の中にある剣を収めた。剣はピタリと収まり、カチリと何かがはまる音がする。

満足そうな笑みを浮かべるとヴォーケンは改まった手付きで、それをザックスに手渡した。ザックスの腕の中に渡った剣はずんと見た目以上の重さを彼に感じさせた。かつての《剣の魔将》エイルスの持っていた《大太刀》を彷彿とさせる外観のそれがもつ凄まじい密度の詰まった感触に、驚嘆する。

「イスティル刀。かつて遥か東方イスティリアからの技術を、ドワーフの先達が受け継ぎさらに昇華発展させたって言われている。オレ達はかつての先達に感謝と敬意を表し、遥か東方の国のその名前を尊敬と共に戴いて、その技を受け継ぎ磨いてきた」

 疲労困憊しながらも一つの仕事をやり遂げたヴォーケンは充実と満足感に満ち満ちた笑みをこぼした。

「ようやく《ミスリルセイバーあれ》を越えたと確信出来るものが打てたぜ」

 彼らの前でその剣を鞘から引き抜こうとするが、剣はぴくりとも動かない。あれ、と首をかしげるザックスにヴォーケンがニヤリと笑う。

「その鞘にはちょいと仕掛けがしてあってな。抜くときにはその留め金を一度外してから抜くんだ。剣を収めれば、留め金は戻る」

 言われた通りにすると剣は鞘からあっさりと引き抜けた。

 ザックスの腰の高さよりさらに長い刀身は、見覚えのある《神鋼鉄オリハルコン》独自の鈍い輝きがさらに洗練され、滑らかな反りのある片刃の刃の美しさに、おもわず引き込まれる。長い刀身を持つこの剣の扱いには、以前の《ミスリルセイバー》の時よりも遥かに工夫が必要になるだろう。先に穴があいている事を不思議に思いつつ、鞘に再び剣を収めると、カチリと留め金が戻った。

「それからもう一つ……」

 へへん、とヴォーケンは胸を張る。

「引き抜くときに開いた留め金を一緒に弾けば、その刃は炎をまとう。鞘の先の穴から炎を逃がしつつ、引き抜く時に刃はさらに加速する。このオレの渾身のアイデアを、ノヴェラ婆ァとその一門の技術で見事に実現させた……」

 瞬間、ゴツンと鈍い音がして、ヴォーケンがその場に座り込む。

「このバカ弟子が! また、そんな下らん小細工してたのか、オメエ!」

「何しやがる、このクソ師匠! 技術ってのは日進月歩。頭の固い刃物バカのテメエにゃ、理解できねえだろうがな……」

 厳かな儀式などどこへやら。掴みあい、激しい格闘戦の様相を呈し始めた二人だったが、そのような彼らに声をかける者達が現れた。

「よう、ヴォーケン。なかなかの物ができたみたいじゃねえか。こいつはオレ達からの完成祝いだ!」

 おそらく同業と思われるドワーフの武器職人達がにやにやと笑う。彼らの背後には人の身の丈をさらに超える高さの何かが布で覆われていた。その内の一人が背後の布を取り払う。師匠の襟首をひっつかんだまま振りむいたヴォーケンが、現れたそれを一目見て眉を潜めた。

「なんの真似だ、お前ら……」

 現れたのは大人の胴回りほどもある《魔法銀ミスリル》の柱。中までぎっしりと詰まったそれは、城壁破壊用の鉄槌で叩きのめしたところでびくともしない筈である。

「なぁに、十数年ぶりにふらりと帰ってきて、いきなり《イスティル刀》の《大太刀》なんざ打たれちゃ、俺達も立つ瀬がないんでな、ささやかな嫌がらせって奴さ……」

《造り手》同士のライバル意識というものだろう。思わぬ挑戦状を叩きつけられ、ヴォーケンがにやりと笑う。

「面白れぇ。ザックス、ちょいとぶった切って、度肝を抜いてやれ」

「いいのか?」

 ザックスは《魔法銀ミスリル》の柱をドンと一つ叩いて感触を確かめた。ぎっしり中身の詰まったこの柱に一体いくら掛けたか知らないが、度を越した彼らの嫌がらせに、その本気ぶりをひしひしと感じとる。ふと、そこにしっかり刻まれた文字に気づいて苦笑する。

『悩める若手武器職人組合謹製 ドワーフ郷治療師協会及び郷景観調停委員会協賛』

 何やら他にも色々な怨念がこもった柱のようだ。様々な人々の無念を背負いながらもキラキラ輝く《魔法銀ミスリル》の柱を前にふつふつと闘志が湧いてくる。この柱に様々な想いを込めた者達の為にも、ここはひとつ派手にぶった切って、色々とけじめをつけてやらねばならぬのだろう。

 手にした剣を二ヶ所でベルトから吊り下げ、件の柱よりも少し離れた場所に立つ。周囲から一斉に人が離れてゆく。仲間達が心配げに見守る視線を感じつつ、眼前の柱に集中する。

 補助魔法を三重掛けにして柄を握って身構えた。試し斬りの対象として常識外れの固さと太さを前にして不思議と不安はない。身体の中にみなぎるマナが右手の籠手に伝わっていくのを感じながら、ふと一つのイメージが生まれた。

 ――行けるな!

 小さな笑みが浮かぶ。《ミスリルセイバー》を失って以来、久しくこのような感覚はなかった。自身の全てを受け止められるはずのこの新たな剣を手にして、全身が戦慄く。

 ザックスの動きを人々が注視する中、ほんの一瞬、そよ風が巻き起こり、彼の姿が消えた。次の瞬間、柱の反対側に一瞬で剣を抜き切ったままの姿で現れ、同時に今度は激しい風が周囲に巻き起こった。悲鳴が上がる中、すぐに風は止んだものの、柱そのものに変化はない。

 ――失敗か?

 落胆と嘲笑が湧きおこりかけた時だった。

魔法銀ミスリル》の柱が大きく斜めにズレ始め、その切り口で一瞬炎がはじける。おお、と観衆がどよめく中さらに、幾重にも切り刻まれた柱が、無数の欠片になってその場に音を立てて崩れ落ちた。

 その凄まじさに誰もが唖然として言葉を失った。

 抜き放った剣の刀身には傷一つない。それを満足そうに眺めて、ザックスはそれを鞘におさめた。

《抜刀閃》の速度からの連続した《居合斬り》――《居合閃》。

 以前、イーブイから聞いたその技が、ついに完成したことを実感した。制止静止した的が相手であり、実戦での行使はまだまだであるが、それは今後の工夫次第だろう。

 剣と技が合わさる事によって生まれた想像以上の破壊力に、しばし、沈黙していたドワーフ達だったが、すぐに大きな歓声があがった。柱を提供した若手職人たちも、手放しで称賛している。怨念払いは無事に終わったようだ。湧き上がる歓声の中、近づいて来たギノッツがぽつりと呟いた。

「《千薙の太刀せんなぎのたち》……だな」

 聞きなれぬ言葉にザックスとヴォーケンが首をかしげる。

「その刀の銘だ。あらゆる物を薙ぎ払う圧倒的な刃。それを収めるのに、確かにその鞘は有効か……」

 ヴォーケンの師匠によって《千薙の太刀せんなぎのたち》と名付けられた新たな剣と《皇竜の籠手》を手にしたザックスに、多くの者達が祝福する。

「よし、ここからが本題だな」

 まだ、あるのかよと驚くザックスの前に、どんと一つの酒の大樽が置かれる。

 おお、と周囲のドワーフ達がどよめいた。すぐさま、封が叩き割られ、樽の中から芳醇な香りが辺りに漂った。

「なあ、この酒、どうかしたのか?」

 目の色が変わったドワーフ達の様子に首をかしげつつ、ザックスはヴォーケンに尋ねる。ヴォーケンも又、目の色を変えつつ語る。

「こいつは最高の仕事が行われた時に振舞われるものでな……。ここのやつらがいつも飲んでる蒸留前の物を、長い事寝かしつけた奴だから……きついぞ」

「へえ……」

 どちらかといえば酒には強い方のザックスである。この郷で振舞われた蒸留酒の味を思い出しながら、まあ、それなりに飲みごたえはあるんだろう、と軽い気持ちでジョッキを受け取る。

 乾杯の音頭が取られ、それを一口、口にする。少しばかり甘い飲み口にツンとした酒精が感じられた。なんだ、このくらいなら大丈夫、と言いかけたその瞬間だった。

「のわっ!」

 いきなり鈍器で頭をぶん殴られたかのような衝撃が襲う。幻影の街で出会った巨漢の戦鎚の一撃を喰らったらおそらくこんな感じなのだろう。ザックスの反応に周囲の者達がにやにや笑う。

「人間族に初めてはきついかな。まあ、程々にな、兄ちゃん。」

「な、なんの……これしき……」

 こちとら《魔将殺し》に《竜殺し》の冒険者。たかが酒ごときに後れを取ったとあっては、名折れである。立ちふさがる強敵を蹴散らして、最強の冒険者を名乗るべく、手にしたジョッキをザックスは一息に飲み干さんとした。

「ちょっと待て、兄ちゃん……」

 周囲が慌てて押しとどめようとしたがもはや、時遅し。

「はうわっ!」

 ジョッキを飲み干し、酒精に見事打ち勝った事を宣言しようとしたザックスは、ジョッキを高々と掲げたまま、口から炎を吐いてその場に倒れ、悶絶した……。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 そろそろ初夏を迎えつつある満点の星空を視界に入れて、ザックスは起き上がる。少しばかり視界がぐらぐらと揺れるものの、どうにか収まった。

「あっ、目が覚めたのね……」

 傍らに座っていたアルティナが気つけ用の酸味の強い果実汁を差し出す。

「みんな呆れてたわよ。あんな強いのをいきなり一気に飲み干すなんて……。男の子するのもほどほどにね……」

 ドワーフ郷で静養したアルティナの体調は回復し、すっかり元通りのおてんばエルフに戻っている。郷の評議員達のノリもあって、見慣れぬ姫君の顔はすっかり鳴りを潜めていた。

「皆は?」

 その問いに彼女は指で指し示す。郷の中央広場では相変わらず酒盛りの様相が広がっていた。

 クロルは直ぐ傍らでドワーフ職人と何やら熱心に話しこんでいる。手にした球体のさらなる改良について議論しているようだ。試作品ですら《レッドドラゴン》を抑え込む程の強力な威力を秘めたそれが実用段階へと達した時、一体どのような事になるのか……。ザックスはふと、そのような未来を覗いてみたいような気がした。

 リュウガは初めての他種族の人々との間で戸惑いつつも、ぎこちなく笑いながら、酒を酌み交わしている。酒は円滑な人間関係を生み出すと同時に破綻させるもの。この先の様々な人間と様々な酒を酌み交わし、彼は新たな世界を作り出していくのだろう。

 ヘッポイは……。

 神殿よりの使者だったはずのヘッポイは、何故かザックス達に付いてきていた。どうやら、いくらでも代わりの利く同僚達は、彼が《成人の儀》の試練に向かったその日に、彼の事を放って、さっさと竜人族の里を後にしたらしい。最長老からの信書の返事を受け取ったヘッポイは、ザックス達とともに《跳躍門》を通ってドワーフの村へとやってきた。自由都市までの帰り道は一緒であるから、まだしばらく彼との旅は続くことになるだろう。

 自慢の盾を取り出したヘッポイの周囲には、防具職人たちが集まり、誰もがそれを手にとっては「おお」と歓声を上げている。

《レッドドラゴン》との戦いで大活躍した彼の《輝く大盾・イミテーション》は度重なる《レッドドラゴン》のはげしいブレスとアルティナの強力な冷気の結界をその表面で受け止めるうちに変化が起き、《大盾》自体にいつのまにか不思議な魔法効果が生み出されていたという。ドワーフ職人たちの鑑定の結果、盾の表面に世にも稀な全属性減衰効果のある魔法結界が生じている事が判明し、《征魔の大盾》と新たに名付けられた。

 ライアットに心酔し《輝く大盾・イミテーション》の名にこだわりを持っていたヘッポイは、改名についてはまだ躊躇しているようだが、より強力になった《大盾》そのものについては、十分満足しているようだ。

『圧倒的なカリスマを誇るこのオレ様に、相応しき武具よ』

 新たな武勇伝フィクションにおいて、その活躍に欠かせぬアイテムとして、語られ続けることになるだろう。おっちょこちょいな部下達の名が有名にならぬ事を祈るばかりである。

 それから暫くの間、ノヴェラの傍らで大樽を抱え、相変わらずの喧嘩腰の議論を続ける師弟の姿を、ザックスとアルティナは黙って眺めていた。

「ねえ、ザックス。私、貴方の仲間として十分に戦えたかな?」

 不意に、ぽつりと呟くその言葉に驚き、彼女の横顔を見る。決して視線を合わせる事なく、彼女は正面を向いたままだった。

「十分なんてモンじゃないだろ。今回の件、お前やクロルがいなければ、確実に全滅だったじゃないか」

「そう……」

 どこかほっとした様子で、彼女はその表情を緩める。

「オレの方こそ、今回はあまり役に立たなかったしな……」

 世の中、圧倒的な力で問題が解決する一方で、力だけで全てが解決する訳でない。アルティナが、クロルが、リュウガが、そしてヘッポイが……。皆のそれぞれのやり方での協力があってこその今である。絶対脳筋主義思想の幻想は、ザックスの中でついに終焉を迎えていた。

「おまけに、お前達には、オレのことでさんざんに巻き込んじまったし……」

 押し付けられた《解放者》の紋章により、いきなりの《レッドドラゴン》との遭遇戦では、危うく大切な仲間達を失うところだった。アルティナが柔らかな笑みを浮かべた。

「何、言ってるの。私達、仲間でしょ。誰かの厄介事は皆の厄介事。そうやっていつも私やクロルを引っ張ってくれたのは貴方じゃない。今回はたまたま逆になっただけ。貴方が気に病む事じゃないわ!」

「そうかな……」

「それとも、何かしら? 私達は貴方にとって頼るべき程の相手ではない、とでも言いたいのかしら……」

 少しばかり意地の悪い笑みを浮かべて彼女は笑う。ザックスは降参の合図を示した。暫しの沈黙が流れ、再びザックスが口を開いた。

「なあ、アルティナ、お前、いつか、その……、俺達のパーティを抜けて、エルフの里に帰ることになるのか?」

 この旅で彼女の姫君としての振る舞いをまざまざと見せつけられ、身近にいる筈の彼女が遠い存在となりうることに気づく。いつも背を守ってくれていた信頼ある仲間がいなくなる事への小さくない不安に、大きく動揺している己の心に彼は気づいた。

 暫し、黙ったままのアルティナだったが、やがてそっと口を開いた。

「そうね……、いつかそんな時は……、来るのかもしれない。でもね……」

 蒼月の輝きを思わせる端正な美貌に、柔らかな笑顔を浮かべて、彼女は続けた。

「その話はまだ、ずっと先のことよ。貴方と私と仲間達がもっとたくさんの冒険を乗り越えて、冒険者である事に飽き飽きした頃のね……。それに私達には乗り越えなきゃいけない問題だってあるでしょ……」

「そ、そうか……」

 心の中に大きな安堵感が広がる。そして彼は気付いた。もはや彼の仲間達が、彼にとってかけがえのない存在となりつつある事に……。

「誰かの厄介事は皆の厄介事か……。そうやって色んな事を乗り切っていくんだな、これから……」

 仲間達の顔を見比べながら、ぽつりと呟いたザックスにアルティナは無言で微笑んだ。


 やがて、夜空にうっすらと細く輝く夜空の月の光をかき消すかの如く、《ドワーフの郷》の祭りは時と共に賑わいを増していく。広場のあちらこちらで、老若男女お構いなしに騒ぎ立てる人々の歓声が心地良く、それは規模こそ違えど《ペネロペイヤ》の《招春祭》で湧き立つ人々の姿に重なった。

 その光景をぼんやりと並んで眺めていた二人だったが、ぽつりとアルティナが口を開いた。

「そうそう。ザックス……、そういえば、相談しておきたいことがあったんだけど……」

「なんだよ?」

 何気なく彼女の方を向いたザックスの視界に「たいしたことじゃないの」と呟きながら複数の紙片が突き出される。反射的にそれを受け取って、内容に目を通していたザックスの顔がみるみる青くなっていった。

「アルティナ……さん……。一体、これはどういう事……なのでしょうか?」

 受け取った紙片には、なんだかとても愉快な文言と数字が楽しく手を取り合って踊っている。

「えーと、その……、パーティ経費ってことでよろしくね!」

 明後日の方向を向いて彼女は、可愛らしくお願いする。紙片を握るザックスの手がふるふると震え、無邪気なエルフの姫君に対して、すぐさま怒りの追及が始まった。

「お前、何、考えてるんだよ! クエストのないこの状況でこんなに無駄遣いして!」

「し、仕方ないでしょ! ここは母様のことを知って下さる人達もたくさんいるし。ミン達や酒場の人への土産だって必要でしょ! 付き合いよ、付き合い!」

 あの日、釣り竿片手にアルティナと出会った時の事を思い出す。あの時、きちんと釘をさしておかなかった己の愚かさを、ザックスは心底、悔やんだ。

「それはパーティ経費じゃないだろ!」

「バカね。私達のパーティのことでリーダーの貴方の目が行き渡らないところで、私がどれだけ周囲に気を使ってるか、貴方知らないでしょ!」

「それは、お前自身の問題だろうが!」

「あっ、ずるい! 誰かの厄介事は皆の厄介事なんてえらそうに言ったくせに、そんな事、言っちゃうんだ!」

「待て、待て! それは意味が違うだろ!」

 喧々諤々と議論しあう二人だったが、おそらく解答は出ないだろう。そして小さな諍いは更なる混乱を招き寄せる事を、この後の彼らは知ることになる。

「あれ、二人ともどうしたの?」

 それまで、ドワーフ達と何やら話しこんでいたクロルが、二人の間に割り込んだ。

「クロル、聞いてくれよ、アルティナのヤツが……」

 事態を手短かに説明するザックスだったが、二人の言い分を聞くや否や、クロルはあっさりとさらなる《爆榴弾》を放りこむ。

「そうなんだ。じゃあ、ボクの方も頼んじゃおうかな」

 ポンと指し示された紙片には、こちらも又、かなり愉快な数字が楽しげに踊っている。

「いやあ、思った以上に材料費かかっちゃって……。助かったよ。どうしようかな、って困ってたんだ……」

 こちらも、えへへ、と無邪気な笑顔を浮かべている。

 理不尽な紙片の束を手に、ふるふると震える拳を握りしめて二人の仲間達の顔を見比べているうちに、ザックスはついにとある真理へと到達した。


『仲間の数とその信頼度が増すという事は、それだけ厄介事も増え続けるものである』


 そのうち、ここにリュウガも加わる事になるのだろう。理不尽極まりない状況にとうとう、堪忍袋の緒が切れたザックスは、顔を真っ赤に染めて立ち上がると、リーダーとして命令した。

「お前達、ちょっとそこに座れ! 今日という今日は、オレ達のパーティの今置かれてる状況とその将来についての展望なるものを、きちんと理解してもらうからな!」

 遥か異郷の地で、セーザなる姿勢での本格的なオセッキョウが始まり、三人の冒険者達の熱く激しい議論(口ゲンカ)が始まった。




 冒険者にとって最大の敵とは何か?

 多くの者達はまだ倒した事のない強大なボスモンスターの名を上げるだろう。あるいは過去に苦戦したものを思い浮かべる者も……。だが、ある一定のレベルに達した一部の者は皆、口をそろえたように同じ名を口にする。


 曰く、それは『カネ』である……と。




 ――遊探の旅路編 完――




2013/11/16 初稿




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