31 ザックス、再会する!
翌日の夕刻、里の東側にある集会場には、里中の人々が集まっていた。錯綜する誤情報にパニック寸前の一夜がようやく明け、老若男女全ての人々が押し掛けたその場所に、ザックス達の姿があった。
どういう原理か分からぬが、《躁運のダイス》の効果によって《終焉の門》から《始原の門》へと転移することで、絶体絶命の窮地を脱した彼らは、混乱する多くの人々に出迎えられることとなった。
まずは最長老のみに全てを報告するとガンとして譲らぬリュウガによって、とりあえずの決着を迎えた一同は、リュウガの一族の厚意に甘え、一晩の宿を借りた。気絶したままのアルティナは翌朝になって目覚めたものの、未だに起き上がれぬほどに衰弱している。《高級薬滋水》でも回復できぬ状態は、大事には至らぬものの数日の安静を要するというのが、里の医術師の見たてだった。クロルとリュウガの母親に付き添われ、彼女は今も眠っている。とてつもないリスクの大技を使った彼女の活躍がなければ、おそらく全滅はまぬがれなかっただろうという事に、パーティの誰もが彼女に感謝をした。
昨夜の異変以降、《始原の門》はいつもの静けさを取り戻しており、ザックス達の後を追って《レッドドラゴン》が現れるという最悪の状況は免れている。理由を全く知らされずに上からの命令で、おっかなびっくりに門を見張る物見番の者達には気の毒だが、おそらく、あのような状況は二度と起きぬだろう。戦いの最中に相手に一方的に放り出され、憤慨したまま大広間にぽつりと一人取り残された《レッドドラゴン》の心情を思えば気の毒なことであるが、勝手に他人に理不尽な試練を押し付けたのだから、仕方がないだろう。例によって、呪いのアイテムと化しつつある件の謎の紋章は、再びザックスの《袋》の中に戻っている。その事を知ってパーティの誰もがうんざりとした顔をしたのは、当然のことだった。
そして――。
昨夜の突然の帰還についての様々な疑問や疑念を払しょくするべく、ザックスは、リュウガとヘッポイと共にこの集会場に呼び出されたのだった。
すべての竜人族の人々が入りきらぬ程にあふれかえったその集会場の中央で、リュウガが、この試練における一連の事情を説明し、多くの者達が耳をそばだてていた。
件の《亜竜》が魔法を使ったというくだりに至った時、場内には大きなどよめきが生まれ、幾人かの長老達が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。中央席に座る最長老は、相変わらず表情を読めぬほどに長い眉を動かすことなく、黙って事態を傍観している。そして例によって、ついに耐えきれなくなって立ち上がってリュウガを怒鳴りつけたのは、先日の長老会議の席でリュウガに絡んだとある老人だった。
「法螺をふくのもいい加減にせぬか! リュウガよ! 誰も見ていないからといって好き勝手なことをいうでないわ、この青二才め……」
だがリュウガはその言葉に顔色を変える事はなかった。彼は試練の経過を話し始めた時から、終始、穏やかな表情で淡々と事実のみを里の全ての者に伝えようとしていた。
『小童から青二才に昇格したみたいだな』
というザックスの茶々に、うっすらと笑みを浮かべる余裕すらある。
「何がおかしい、貴様!」
老人の一括を受け流して、リュウガは穏やかに答えた。
「御老よ。まずその前に先日の我が非礼について謝罪しておこう。未熟な若輩者ゆえの無礼、お詫びする」
突然、頭を下げるリュウガに老人は唖然としている。
「さて、御老よ。我は偉大なる竜人族の戦士達の魂に誓って、嘘偽りなく真実のみを申している。これまで何一つとして、里の役割を全うできなかった我であるが、この試練の立会人として、最長老によって与えられた任を果たす為に最大限の努力をしてきたつもりだ……」
場内のざわめきが徐々に小さくなっていく。
「我は我の良心に従い、こうして我の見てきた事実を述べてはいるが、それを里の者達がどう受け止めるかについて、もはや興味はない。なぜなら……」
僅かに息をついた。
「我と我が朋友達の仇敵であった、件の《タイラン》とその番いは、この者達の協力もあって、我自身の手で葬ることができたからだ」
瞬間、場内に少なくない拍手が一斉に沸いた。この数年、《成人の儀》において、《タイラン》の脅威を肌で感じた若者達とその遺族達から送られた感謝の証であった。
「直に、今年も《成人の儀》が行われよう。その時に我の言葉が真実か否かは、今年、大人として認められる者達によって証明されるはずだ」
穏やかな表情を浮かべたまま、リュウガは老人に告げた。
「御老よ、貴方達がそれを認めたくないのならばそれでもよい。この度の試練で、我は十分に満足し、過去に置き忘れてきた己の魂をようやく取り戻した。今後、真実が若者達によって露見し、その結果、真実から目を背けてきたことに対する多くの者達の怨嗟の念が、あなた達の元に向かうだろうが、それすらも我にはもはや、どうでもよいことだ」
老人が顔色を変える。彼の周囲にいた者達が罵詈雑言を飛ばすが、リュウガは穏やかな顔でそれを聞き流した。そして声を張り上げ、聴衆達に訴える。
「ここにいる多くの者達に我は告げる! かの狂える剛竜はもはや、いない。だが、第二、第三の異常な《亜竜》の出現がないなどという事は決してありえない。彼の《タイラン》の血を引くものが、森のどこかで息を潜めているということも十分にありうるのだ。今後、《成人の儀》に向かう者達は心してこの試練に挑み、先達の戦士達が後進である貴様達に伝えようとした声なき言葉に、耳をすますがよい!」
場内がしんと静まり返る。誰もがリュウガの言葉に引き込まれ、圧倒されていた。しばらくして口を開いたのは、リュウガを非難し続けていた老人だった。
「詭弁だ、そしてこれは茶番だ! 貴様は我々を欺こうとしている! 貴様、人間族とともに時を過ごす中で毒されおったな! 竜人族にあるまじき大罪ぞ!」
その言葉に幾人もの年長の者達が同調する。それに気を良くしたらしく老人は続けた。
「だいたい貴様たちは、僅か四日で逃げ帰って来たのであろう? 過去最短でも十日はかかるはずのこの試練からこのように早く帰還することなどありえぬではないか」
「御老、五人分の証の石は、すでに貴方方に見せた筈だ」
「そのようなもの、どうとでもなる。貴様に同調する者達の協力があれば、いくらでもねつ造できるではないか?」
『云いたい放題だな』というザックスの呟きに、リュウガは小さく笑った。先達と後進、互いの信頼と尊敬があってこそ成り立つその伝統を、根こそぎ否定しかねない己の言動に、この老人は気付かぬのだろうか?
「確かに予期せぬ異変によって、我らが実際に歩いた道のりは片道のみ。だが、その道のりにおいてなんら疾しい事などない。とくに試練の壁においてはこの者達は皆、僅か半日で乗り越えたのだからな!」
その言葉に多くの者達からどよめきが生まれた。大抵、二日がかりで皆が助け合いながら登るのが、彼らの習わしである。
「この試練を通して、我はこれまでの己のあり方に多くの誤りがあった事に気付いた。そして我は人間族や他の種族の中にも、我らが遥かに及ばぬ者がいる事にも気付いた。我らにとっての秘伝の闘技である《倍力の法》は、彼らにとっては当たり前のことなのだ! 長く外界から遠ざかり、我らは大きく後れを取っている、その事に我らはきちんと目を向けるべきだ!」
瞬間、あちらこちらから怒声が上がる。竜人族が人間族に劣るなどと、彼らの矜持が決して許さぬ事を平然と言ってのけたリュウガに、罵詈雑言が浴びせられる。そして件の老人は、したり顔で勝ち誇った。
「リュウガよ! それがお前の本音か! 所詮、貴様は呪われた一族の出。それは貴様の一族の積年の鬱積した思いであろう? 騙るに落ちるとはこのことよ!」
だが、リュウガは怯まなかった。
「御老よ、我が言葉と我が一族の思いは関係ない。なぜなら我は、この目で厳然たる事実を目にしてきたからだ!」
傍らに立つザックスとリュウガは視線を合わせ、頷いた。それは彼らにとって切り札でもある。
「ほう、今度は一体何を言い出すつもりだ、青二才?」
『大人げない奴だな……』
挑発的な笑みを浮かべる老人に、ザックスがぽつりと呟いた。その傍らで、ヘッポイがうずうずとしているが、相変わらず黙りこんでいる。
今日の彼は病床のアルティナに頼まれて、このような場面で冷静さを失いやすいザックスの制動役に徹していた。
『オレ様の一命にかえても必ず留めて見せようぞ、姫』
ザックスが冷静さを失ったならば、右手のメイスでぶん殴るつもりらしい。
暫し、場内からざわめきが収まるのを待って、リュウガは一言、はっきりと告げた。
「皆のもの、心して聞くがよい! 我の傍らにある人間族の戦士にして、半竜人の竜戦士ウルガの魂を受け継ぐザックス。この者こそ、まごう事なき我らの《解放者》である!」
瞬間、場内の時が止まった。彼が言ったその言葉の意味を理解するのに暫しの時間を要したようだった。そして彼らがその意味を受け止めた時、場内に爆笑が起こった。
次々に湧き上がる嘲笑に動揺することなく、リュウガは相変わらず平然としている。彼の冷静さによって、ザックスも又、冷静でいられた。制動役のはずのヘッポイが少々苛立ちを見せているものの、やはり黙ったままである。彼にしては珍しく、忍耐の時を過ごしているようだ。
やがて、笑い終えた一同を代表するかのように老人が歩み出し、リュウガ達の前に立った。そして、冷たい視線と態度で彼を威圧する。
「青二才! 貴様、とうとう竜人族をそこまで愚弄するか?」
「愚弄などしてはおらぬよ、御老。厳然とした真実だ! 確かに我ら一族は伯父サイガの一件以来、この問題について触れるのは禁忌としてきたが、それでも他の一族よりもはるかに造詣は深いつもりだ」
冷ややかな視線と威圧をリュウガは、余裕ある笑みをもって受け止める。己よりも遥かに未熟なはずの若者の尊大な態度に業を煮やし、老人は言葉を荒げた。
「貴様、いい加減にせよ。《解放者》とは我らの中より生まれる誇り高き竜戦士の証! 貴様の言うことが真実だというのなら、その事を証明してみよ! どうだ! やってみろ、リュウガ! 出来まい! 貴様らなぞ所詮、ただその程度なのだ!」
老人は続ける。
「貴様ら未熟な若者共は、黙って、我ら先達の言うなりにしておればいいのだ! 小生意気にも己の主張なぞ、千年はやいわ、タワケが!」
手にした杖を振りかざし、老人がリュウガを叩きつけた。当たり所が悪かったのか彼の額が裂け、血が滴り落ちる。飛び出そうとしたザックスとヘッポイを制止し、額から血を滴らせたままで、薄く笑みを浮かべてリュウガは冷ややかに老人を見下ろした。その迫力に杖を再び振り上げた老人が気圧された。
「御老よ。ではその証を見せれば、あなたは確かに納得するのだな? それをここにいる全ての我が同胞達に約束できるか?」
老人は気圧されつつも、フンと笑う。
「やれるものなら、やってみろ、青二才! 貴様程度に何ができるか!」
リュウガとザックスが視線を合わせる。ザックスは黙って一歩踏み出し左手を《袋》に差し入れ、右手を高く掲げた。《袋》の中にあった件の呪いの紋章がザックスの右手に現れる。
「同胞たちよ。刮目せよ! これぞ、この者が《解放者》たる証。《神竜帝》の紋章と我が先達がしたためた盟約の証である!」
再び時がとまる。そしてざわめき揺れた。《解放者》たる言葉とその由来を知っていても、《神竜帝》なる者や、盟約の内容まで知る者などはいない。リュウガは老人に尋ねた。
「御老! 我より長く生きておられる貴方ならば当然、知っておられるはずだ! これが真のものかそうでないか! 答えられよ!」
彼の眼前で、ザックスが手にした紋章を突きつける。さらに強く迫るリュウガに老人は苦渋の色を浮かべた。彼は言葉を知っていても、その真実に目を向けようとせずに、漫然と時を過ごしてきた者の一人でしかない。長老なる己が責任から逃げてきた事をリュウガに暗に指摘され、顔を赤くして黙りこむ。無知な老人を一瞥すると、リュウガは中央に座る最長老に尋ねた。
「最長老様、お尋ね申し上げます。これは確かに《解放者》なるものの証でありましょうか?」
全ての者達の視線が、黙して語らぬままだった最長老に向けられる。暫しの沈黙の後で彼は立ち上がり、口を開いた。
「是なり! それはまごう事なき《神竜帝》の証!」
場内が大きく揺れた。その事実をリュウガ達が知らされたのは、昨夜ザックスと共に最長老に報告をした時だった。最長老の言葉に周囲が湧く。リュウガはさらに続けた。
「この証は外の世界において、ここにいる戦士ザックスが『覇軍』の影より直接授けられたもの。そして我らは昨夜、《竜神湖の祠》において、《最後の審判者》と名乗るかつての『覇軍』の指導者《レッドドラゴン》と戦い、奮戦むなしく命からがら離脱した! 今ここにおらぬエルフのアルティナ姫の捨て身の献身がなければ、我らはおそらく、この場に立っていることはできなかったであろう! 昨夜の騒ぎはその事が原因である!」
もはや言葉を口にする者は誰もいなかった。己の理解の範疇の外にある問題に、誰もが自分達の無知に気付き、沈黙した。
ザックスにつきつけられた紋章を暫し睨みつけていた老人は、突然それをかっさらうように奪いとった。手にしたそれを抱え込むようにして老人は公言する。
「これが真の《解放者》の証なら、これは我ら竜人族のもの。ならば、我らが持つのが必定! 人間族の手にあるなど汚らわしい!」
奪いとった紋章を手にして彼らに背を向ける。そのまま己の席へと戻っていった。その姿を眺めながら、リュウガとザックスは溜息をつく。
「どうやら、あの爺さん、責任ある先達らしく、オレに代わって厄介事を引き受けてくれるらしいな……。見直したぜ!」
「よいのか、ザックス?」
「構わないさ、どうせ、そのうち、又、勝手に帰ってくるんだろうから……」
ザックスは肩をすくめる。案の定、長老達の席の間で「消えた! どういうことだ!」とざわめきが生まれていた。
しばしの後、ようやく聴衆のざわめきが静まり、リュウガの額の傷はヘッポイに治療されていた。
それまで、沈黙していた最長老がリュウガ達の前に進み出る。聴衆達がその決定に耳をそばだてた。
「リュウガよ。役目、大儀であった!」
「はい、最長老様。これまでの数々の御無礼、この度のことで全て相殺されるとは思いませんが、どうかご容赦ください」
「よい、それよりも、主、吹っ切れたようだな。良い戦士の顔になっておるぞ」
最長老の言葉にリュウガは小さく笑みを浮かべた。照れているのだろう。
「戦士リュウガよ。役目を果たし、己の仇も見事うち果たしたお主は、これよりどうする? 此度の見事な働きにより、今後の里での役割は主の希望通りにいたそう」
聴衆達がどよめいた。拍手をする者、非難するもの、妬む者。様々である。
「おそれながら、最長老様、その件、いかなることでもよろしいのでしょうか?」
「うむ、此度の主の働きはワシだけでなく、多くの者が認めておる。反対の者もおるであろうが、このワシ自ら、主に許そう」
それは彼にとって名誉なことであろう。
『やったな、リュウガ!』『フン、めでたいではないか』というザックス達の言葉に、その背中が僅かに揺れた。
しばし、沈黙した後でリュウガは答えた。
「それでは、最長老様、お願いしたき儀がございます」
「申すがよい」
リュウガは目を閉じて大きく息を吸う。そして、一つの願いを口にした。
「かつての伯父サイガと同じく、我に外の世界へと旅立つお許しを頂けないでしょうか?」
場内全てのものが驚愕した。傍らに立っていたザックスとヘッポイも又、同じである。最長老は眉一つ動かすことなく、静かに問うた。
「何故、そのような結論に至ったか聞かせてくれぬか。リュウガよ!」
「はい。我はこの度の試練で、我の未熟さと狭隘さをこの人間族の戦士ザックスやその仲間達を通して知りました。そして、同時にかつての伯父サイガの残した幾つもの話の中に、我が見落としていたことや気付かなかったことがあった事に思い至りました。そして興味を持ったのです。この者と共に行き、半竜人の身でありながら竜戦士と化したというサイガの息子ウルガが残した足跡を追いかけることこそが、我が竜人族の未来に貢献することではないのか……と」
リュウガはそっと頭を下げる。
「最長老様、どうか、この者達と旅立つ事をお許し下さい。我に竜人族の目指すべき未来を指し示す道しるべを探す機会を、御与え頂けないでしょうか?」
頭を下げて願うリュウガの姿を前にして、眉毛に隠れた最長老の表情の中に柔らかな笑みが浮かんだようにザックスには見えた。
「ほんの僅かな間に大きくなったのう。いや、その芽はあっても、それを主のこだわりと仇敵への怨念がずいぶんと長い間、阻んでおったのだな……。此度の試練、主には本当によい結果となったようだ……」
数歩歩み、自ら手をとってリュウガの頭を上げさせる。
「行くがよい。リュウガよ。そして、多くのものを見聞してくるがよい。今の主ならばワシも安心して送り出せる。主自身と未来の若者達の行く末の為に、広く世界を見てくるがいい」
姿勢を正し、最長老は里の全ての者達に告げた。
「皆の者、聞くがいい。たった今より、このリュウガにワシの権限を預け、里より送り出す事を決める。ワシの目となり耳となってこの者が外界で振舞う事を、竜人族の長であるこのワシ自らの権限において認める! 異議のある者は申し出よ!」
不満の声は上がるものの、それを面と向かって言いたてる者はいなかった。
再び向き直った最長老は、ザックスに問うた。
「戦士ザックスよ。外界には様々なことがある。今のリュウガでは戸惑う事もあるだろう。この者のこと頼まれてくれるかな?」
「ザックス、我からも願う。貴様……、いや、お前達の仲間として、我をこの先の旅路に付き合わせてほしい」
頭を下げるリュウガに、一つ小さく笑みを浮かべて、ザックスは答えた。
「何言ってるんだ。お前、もうオレ達の仲間だし、初めからそのつもりだったんだろ? いまさら、頭なんか下げるんじゃねえよ。固っ苦しいのは、イヤだぜ!」
突然の申し出ではあったが、振り返れば、何となくリュウガがそう言いだすような要素は、ちらほらとあった事に思い当たる。何より彼が、背中を任せるに値する者である事は、《タイラン》や《レッドドラゴン》との戦いで十分に理解できる。きっと良い冒険者になることだろう。
「さて、戦士ザックスよ! 過日の約定通り、貴殿に《緋緋色金》を与える旨、このワシの名をもって速やかに実行しよう。すでにドワーフの郷に知らせは行っており、新たな道具の作成は始まっておるはずだ」
そういえば、それが本来の目的だった事をザックスはようやく思い出す。あまりに多くのことがあり過ぎて、本題を忘れかけていた事に彼は思わず苦笑いした。それにしてもこの老人、仕事の早い、なかなか話せる人物である。
感謝の念を丁寧に示したザックスに、最長老は続けた。
「戦士ザックスよ。貴殿には少し話しておかねばならぬ事がある。リュウガ共々、ついて参られよ」
最長老のあとについてその場を離れるザックス達に、いつしか多くの賞賛が浴びせられていた。来た時とはうって変わった里の空気に戸惑いつつも、彼は仲間達と顔を見合わせて笑った。
ザックスがリュウガと共に連れていかれたのは、里の共同埋葬地のさらに奥にある地下の巨大な室だった。
ヘッポイはアルティナとクロルに事情を話す為に一足先に戻っていた。今頃、新たな物語が生まれている事だろう。
まるで、ダンジョンを思わせるかのような地下空間の中で、広大な最下層に降り立ち、魔法光の明かりにぼんやりと浮かび上がるものの姿を前にして、二人は腰を抜かさんばかりに驚いた。
それは巨大なモンスターの躯。
しかもそれは、つい昨夜、死闘を繰り広げた筈の《レッドドラゴン》の姿そのものだった。
「最長老、一体、これは……」
驚き言葉を失う二人を前に、最長老は静かな笑みを浮かべる。
「見てのとおり。主達もなじみ深いことだろうて。これぞ、『覇軍』の指導者たる《レッドドラゴン》そのもののなれの果て……。そして、《緋緋色金》の正体だ」
ところどころ欠け落ちている《レッドドラゴン》の躯は、全体的に硬質化している。巨大な石の彫像のように見えるそれは、今にも動き出しそうにも思えた。昨夜の戦闘を思い出し、二人の身体が知らず知らずに緊張する。それを振り払うかのようにそっとその深紅の躯にふれたザックスの手には、ひんやりとした感触と同時に、その奥に強力なマナの波動が感じられた。
「激しき闘争心の権化でもある《竜魂石》の力に釣り合いのある素材とはすなわち、同じように生まれたこの聖なるドラゴンの躯が変化して生まれた巨大な鉱石のことだ」
「聖なるドラゴン?」
首をかしげるザックスに最長老は一つ頷いた。
「伝説の『覇軍』の指導者《レッドドラゴン》は闘争心の権化と言われる一方で、高潔な性格であり溢れるような知性に満たされていたとも言われておる。いかなる理由で彼の者の躯がこのような形で里に残されたのかは我らも知らぬが、我らは古来より、その力を借りて様々な難局を乗り越えてきた」
ザックスとリュウガは顔を見合わせる。昨日の《レッドドラゴン》の振る舞いと老人の語る《レッドドラゴン》の資質とやらがどうにも一致しない事に、疑問を持った。
「最長老……様。悪いが、オレにはもう何が何だか分からない。ここにあるのが本物だっていうんだったら、昨日やりあったのは、一体なんだったんだ?」
ザックスの問いに、最長老もまた首を横に振る。
「戦士ザックスよ。残念ながら、それについてはワシにも詳しい事は分からん。遥か昔の言い伝えは、一度失われかけたことがあるゆえな……」
冷たい躯を見上げながら最長老は続けた。
「遥か、古の時代。我ら竜人族と竜族はここではない別の世界で生きて、互いに争っていたという。そしてある時、何者かの意思によってこの地とともにこの世界へと導かれた。そして、この世界でも争った。互いを殲滅するまでその争いは収まらなかったのだろう。やがて、竜族は滅び、竜人族が残った」
「滅びたってのか? 竜族が……」
「そう、戦士ザックス。彼らは遥か古に確かに滅んだのだ」
「待ってくれ、オレは過去何度か竜族にダンジョンで遭遇してるし、他の冒険者だって。上級冒険者の中には《竜殺し》の称号を持つ者だっている。」
混乱する思考の中で、彼は老人の言葉に多くの事実を列挙する。
最長老は静かに答えた。
「戦士ザックスよ。それは『影』なのだよ」
「『影』……だって?」
最長老は一つ頷いた。
「かつてワシも外界に身を置き、冒険者であったことがある。当時のワシは外界への好奇心が抑えきれずに、家出の身であったのでな……」
豪快に笑う最長老の姿に、ザックスとリュウガは顔を見合わせた。どこかで聞いたような話である。
「冒険者として、ダンジョンの中でドラゴンと戦いこれを撃ち果たし、その疑問を持った。何故、滅びたはずの竜族とこのような形で邂逅する事になるのか……と」
最長老はそっと傍らの岩に腰かけた。
「その答えを探してきたのは、そこのリュウガの伯父サイガだった。ワシの疑問を引き継ぎ、彼が見つけてきた答えが、『ダンジョンを彷徨っているのは竜族の影である』ということだった。主にも心あたりがないか?」
暫し黙考し、ふと一つの言葉を思い出す。
「『覇軍の影』って奴のことだな」
「そう。推測するに、主も又、かつての大戦で死んだ三体の『覇軍』の竜の影と対峙したのであろう」
「ちょっと待ってくれ、じゃあ、そんな物がダンジョンにどうして……。いや、そもそもダンジョンのモンスターってのは……」
言葉にならずに黙りこむ。クロルがいてくれれば、もっと良い解答が得られただろうにと、ふと悔やんだ。
「『マナによって形作られた異界から召喚された生物の影が、ダンジョンのモンスターである』というのが、定説でな。サイガもそのように言っておった。故に《亜竜》などとは異なり倒しても、その躯は残らん。竜族の影も同様……。そしてワシらは一つの疑念を得た。滅び去ったはずの竜族はどこかで生きておるのではないのか……とな」
その瞬間、ひとつの考えがザックスの中で閃いた。
「狭間の世界……」
「ほう、そなたそれを知っているか。やはり、主は、只者ではないらしい。《解放者》なるのは、伊達ではないようだ……」
心底、嫌そうな顔をするザックスを、最長老は笑った。
「主の手元にある紋章……。そこにはかつての竜族の長である神竜帝の証と、我ら竜人族の先達との間の盟約が封じられているという事は、昨日話したな?」
一つ首肯する。
この紋章には、まだザックスの知らぬ秘密が隠されている事をリュウガと共に、昨夜この老人から聞いていた。もはや、ぞんざいに扱えなくなりつつある紋章のおかげで、どっぷりと泥沼にはまりこんだ己を自覚する。これも最高の悪運度の賜物であろう……。
「残念ながら、我らはその詳細についての知識がすでにない。盟約とは誰と誰が結んだものなのか? そして、いかなる内容であったのか? 《解放者》とは何を意味するのか? どのような経緯か知らぬがそれらは遥か昔に失われた。今、我らの中にある《解放者》の言い伝えはかろうじて残ったものを繋ぎ合わせている物に過ぎん」
「どうして、アンタ達はそれを自分達の手できちんと探し出さないんだよ? アンタ達自身の問題だろ、これは?」
「お、おい、ザックス」
正論すぎる正論に苦笑する最長老の傍らで、リュウガが青ざめる。
「残念なことだが、我ら竜人族も又、時間という大河の中に揺られ、その本質を変えてしまった。退屈な日常を積み重ねるうちに、遥か古の出来事などに関わらなくても生きられることを知っておる。故に日常を乱しかねぬ者は異端と看做され、弾き出されることになる。腹を満たし、子をなして命をつなぐことこそに重きが置かれる事は、竜人族でも人間族でも変わりはせんのだよ」
その言葉に押し黙る。
現実と理想――。
なにかと現実にとらわれがちなザックスにも、その釣り合いが如何に大切なことかは理解できる。だが、それでも現実に引きずられてしまうのは、所詮、人が一人では生きられぬ所以である。現実しか見えぬ者達が世の大多数を占める以上、如何に正義や良心をもって高潔を貫こうとしても、それは絵空事にすぎない。
汚れた川で己が身だけを汚さずに泳ぐことは、不可能なのである。
「だが、それだけで済まぬのも事実……。多くの者を取りまとめ、竜人族を未来へとつなぐためには、人々の誇りであり精神の礎となる伝統の維持は必要不可欠。それ故にサイガのような不幸が生まれる。いや、サイガだけではない。長い年月の間に、似たような志をもった者達が挫折し、結果としてそれは人間族を遠ざけ、より竜人族を閉鎖的にしていった。誇りを守らんと正しきあり方をしめそうとして真実を求めた結果、同族達に疎まれ、追いやられるという皮肉な結末が生まれる。リュウガよ、それは主達一族がよく知っておる事だろう」
その言葉にリュウガは一つ頷いた。
「もはや、主たちは望むと望まざるとにかかわらず《解放者》の宿命から逃れる事は出来ん。そしてそれは、場合によっては現状に牙を向ける行為に他ならん。己が平穏を乱す者として変化を拒む者達に疎まれる事を覚悟せねばならん……。勿論、無理矢理に放りだすことも不可能ではないだろう。それは主達の自由。だが、一度、踏み込む事を覚悟したのならば、その危険から決して目を逸らさず、反発と調和を旨としながらも、時の流れに耳を傾け、巧みにそれを利用せねばならん」
頷くリュウガの傍らでザックスは沈黙を保つ。腰を上げた最長老は優しく笑みを浮かべてザックスの肩を一つ叩いた。
「戦士ザックスよ。答えを焦る必要はない。いずれ、そなたの歩く道の中でおのずと導かれることだろう。選択すべき時にそれを誤らねばよいだけの事、そして主にはよき仲間達がついておろう?」
「あ、ああ」
リュウガに向き直り、最長老は続けた。
「さて、ワシの話はここまで。後は主達の選択に任せよう。ところで、リュウガよ、この者をあの場所に連れていったのか?」
その問いにリュウガは首を横に振った。一つ頷いて最長老は彼に促した。
「では、リュウガよ、この者を所縁の者の元へと導くがよい」
リュウガに促され、ザックスはその場を後にする。混乱と割り切れぬ思いを胸に抱えたまま、一礼したリュウガと共に立ち去る若者の背を、巨大なドラゴンの躯と共に最長老は黙って見送った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
初夏の匂いがうっすらと混じる春の夜空を眺めつつ、ザックスはリュウガに誘われるままに一晩中歩きとおした。
いろいろと訳の分からぬ事をむやみに背負わされ、割り切れぬままにむしゃくしゃとして悶々と夜を過ごすよりは、徹底的に身体を疲れさせた方がいいだろうと考え、ザックスはリュウガの誘いのままに、里の暗い夜道を松明の光を道標に夜通し歩き続けた。
やがて、東の空が僅かに明け始めた頃、徐々に波の音が聞こえ、さらに歩を進める度に、空気の中にうっすらと潮の香が混じるようになった。
リュウガが案内したのは、竜人族の里の外れのとある海辺の崖の上だった。促され、その場所に辿りついたザックスはそこに墓碑らしき物を見つけた。そこに記された文字を何気なく目にして、ザックスの心音が大きく跳ね上がる。
『我らが友にして偉大なる冒険者ウルガ、ここに眠る』
ダントンとエルメラの名が入ったその墓碑を見て、ここがウルガの眠る場所だということに気付いた。
「リュウガ、これって……」
振り返ったザックスに、少し距離を置いてついて来たリュウガが答えた。
「昨年の秋、彼の友人と名乗る二人の人間族の男女がふらりと現れてな……、この場所に彼の墓を作って去って行った。それが亡きウルガの希望だったらしい」
「どうして、こんな寂れた場所に……」
「ウルガは半竜人だったからな、村の共同墓所に入れる事を多くの老人達が拒んだらしい。尤も彼の希望は、幼い時分に彼が終生の友たちと初めて出会ったこの場所にということだったのだが……」
「そうだったのか……」
再びウルガの墓に向き直る。東の空に昇る太陽が崖の上に顔を出し、さっと差しこむ光の眩しさに目を細める。
ふと、その場所の景色をどこかでみたように思えた。
記憶を巡ってはたと気付く。その場所はウルガが最期を迎えた場所に似ている事に気づいた。
――なあ、ウルガ。オレ、なんだか妙なものを背負わされちまったよ!
――自分達のことで、いっぱいいっぱいだってのに、よく分かんねえ、でかい話に巻き込まれて……。
――あんた達にはまだまだ及ばないけど信頼できる仲間だって出来たんだぜ。そいつらまで、巻き込んじまうと思うとさ……。
あれから一年経っていないというのに、冒険者の先達である彼に言いたい事や尋ねたい事は山ほどある。だが、生者が何を問いかけても、死者が答えを与えてくれることなどありはしない。《袋》から件の紋章を取り出し、握りしめる。
『年を重ね、上級者になっていくほどに冒険者ってのは重荷を背負っていく』
以前、何かの拍子で呟いたダントンの言葉を思い出す。これがあの時、彼が言っていた事なのかとふと思い至った。
ザックスなど足元にも及ばぬほどにはるかに長いキャリアの中で、彼らはこのようなやり切れぬ思いを幾度も抱えてきたのだろうか?
――それでも、どうにかしなきゃいけないんだよな……。
リュウガという新たな仲間が加わり、仇敵とのさらなる邂逅に備えて、リーダーである己の心がここにあらずでは、仲間達も不安がるだろう。やりきれぬ思いを胸に大きな溜息を、一つ吐こうとした時だった。
不意にゴーと風が鳴った。
――甘ったれるな! 忘れてないか? お前は冒険者なんだろう?
ふと、風の音に混じってそのような声が耳に届いたような気がした。はっとして顔を上げるも周囲には、リュウガ以外に誰もいない。気付けば胸の内がスッキリとして、目の前の闇が一瞬にして晴れたような気がした。
くつくつと笑みが自然に湧く。ほとんど悪役のノリで笑うザックスに、リュウガが眉を潜める。笑い終わるとスッキリした顔でウルガの墓に向かってザックスは言った。
「そうだよな……。分かったよ、ウルガ! オレもオレらしく、冒険者の流儀って奴に従ってやろう!」
手にした紋章を思い切り放り投げる。呪いの紋章は断崖のはるか下へとコロコロと転がって、トプンと海に落ちた。
「ザ、ザックス、お前、一体……」
背後で唖然としているリュウガを振り返り、ザックスは不敵に笑った。
「リュウガ、お前、《解放者》になりたいのか? 何が何でも又、あの《レッドドラゴン》とやりたいのか?」
「そ、それは……、しかし、その役目はお前に与えられたもの……。お前が戦うと言うのなら共にいくと決めた以上、我も……」
「そういうことを言ってるんじゃない! お前自身はどうしたいか、って聞いてるんだよ?」
ザックスの問いにリュウガは呆気にとられる。ザックスは続けた。
「いいか、リュウガ。お前も冒険者になるつもりだったら覚えとけ! 欲しい物は己の手で、それができねば仲間達と共に。立ちふさがる邪魔者は堂々とぶつかり排除する。それがオレ達、冒険者だ! かつてウルガが名声を求めたように、お前が冒険者として欲しい物をお前自身の手で見つけ、それが手に余るようならオレ達信頼できる仲間に頼ればいい。誰かに勝手に押し付けられたお前の望まぬ面倒事なら、そんな物はとっとと放り捨てちまえ!」
再び《袋》に手を入れ、放り捨てた筈の紋章を取り出す。
「見ろよ。何が何でもオレに妙な役目を押し付けようという、この清々しいまでのずうずうしさを……。外の世界ってのはこんな奴らがわんさか溢れてるんだ。オレがわざわざ解放者云々にこだわらなくたって、向こうから勝手に無理難題押し付けてくる。そんな奴らの為に、自分達の方から頭を悩まし、いちいち相手してる時間なんて、惜しいと思わないか?」
暴論とも思えるザックスの言葉に、リュウガは絶句する。
「だからさ……、何かのついでに、この問題がオレ達の前に立ち塞がってどうにも邪魔するんだったら、その時は相手をしてやることにするよ。立ち塞がるものを蹴っ飛ばすのも冒険者の流儀なんだからな。ただし、あくまでもついでだ。お前もオレ達と共にくるつもりなら、そのくらいの覚悟でいろ。言っておくが、オレ達が楽をしたいからって、言ってる訳じゃない。自慢じゃないがオレ達の行く道は、とんでもなく険しいぞ。何といっても俺達三人はあんな《レッドドラゴン》程度が、足元にも及ばぬような奴に、命狙われてるんだから。のんびりしてる暇なんて多分、ないぞ!」
「そ、そうなのか……」
驚いた顔でリュウガが答えた。
「ああ、そうさ……。まあ、これからじっくり話して聞かせてやるよ。そのくらいの時間はたっぷりあるんだから……」
再び手にした紋章を、崖の向こうに放り捨てる。
「じゃあな、ウルガ、そのうち又、来るさ。そのときは……、土産話を楽しみにしてろよ」
偉大な冒険者の墓に背を向け、若き冒険者達は歩み出す。墓の下の偉大な先達が、どんな顔で己の魂を受けつぐ者を見送っているのかは、創世神のみぞ知る事だろう。
2013/11/15 初稿