表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚04章 ~遊探の旅路編~
115/157

29 ヘッポイ、立ちはだかる!

 静謐かつ壮麗な建物の中を一同は粛々と歩む。

 既に日がとっぷりと暮れたその巨大な祠の中は静謐な空気に満ち満ちており、悪しきもの気配が全く感じられない。リュウガによれば巨大な建物全体を覆う結界が、この地の《亜竜》を一切寄せ付けないという。さらに何らかの魔法処理が施されているらしく、建物全体に劣化の兆候も見られない。

 ザックス達が祠に近づくや否や、来訪者を歓待するかのように建物全体が魔法光で輝き、湖面にそびえ立つようなその巨大な祠は、どこか幻想的に夜の闇の中に浮かびあがっている。

 一歩進むごとに身の引き締まるような厳かさが漂う、巨人が闊歩出来る程に広い廊下らしき通路の中で、時折、ザックスは周囲を見回しては足を止めて首をかしげる。

「どうしたの、ザックス?」

 尋ねるアルティナに、彼は何気なく答えた。

「気のせいなのかもしれないけど、なんだか、最高神殿の雰囲気に似てるなと思ってさ……」

「そうなの?」

 数日過ごしたとはいえ、行動を制限され神殿内の全てを見て回った訳ではないが、目に映る風景にかつて見た最高神殿内の建物の光景が幾度も重なった。もっともその中に漂う気配は、神聖さとは程遠いものであったが……。

「たしかに我が友のいう通りだな。ここはあのバカでかいだけの場所とよく似た造りになっているようだ」

 ヘッポイが同意する。そういえば、彼は最高神殿から『友好の信書』という名の挑戦状を携えて、この地にやってきたのだという事を改めて思い出した。

「ダメだね、やっぱりどの扉も開きそうにないよ」

 廊下の左右にある幾つもの巨大な扉を丹念に調べていたクロルが、残念そうにいう。

「それは無理というものだ。クロルよ。かつて我らも仲間達と共に数人がかりで、全力で押しても引いてもダメだったのだからな……」

「うん、多分そうだろうね。だから何か別の方法があるかなと思って調べてみたけど、手がかりもないし、全然、見当もつかないや」

 完全にお手上げ状態である事を態度で示す。拝筋主義の竜人族の若者達の行動を予想して、別の可能性を考慮したクロルでさえも見当がつかぬようだ。

 建物の中央を二分するかのように延々と伸びるその廊下の突き当たりに、ようやく開いたままの扉が見える。その入口の傍らに、周囲の景観に全く調和しない一つの巨大な岩の塊があった。

 先頭を歩いていたリュウガが、その前で立ち止まる。

「ここが一応の終着点。最終目的地だ」

 岩の前に立ち止まって一同を振り返る。

「あら? 確か《終焉の門》とかいうのがそうだったんじゃ?」

 アルティナの問いにリュウガが頷いた。

「うむ、その門はそこの入口から覗いたところにある」

 一同はおそるおそる部屋の中を覗き込む。魔法光が輝く広大な大広間の入り口近くに確かにリュウガの云う通り《始原の門》と同形上の三角形の一対の門が見える。

 コツコツと何かを砕くかのような音を耳にし、一同が振り返ると、リュウガが岩の裏側に回り、槍の穂先で岩を砕いていた。五片の欠片を拾い上げ、それをザックス達に一つ一つ配った。

「持っているがいい、皆が無事に試練を越えた証だ」

 クロルが石の欠片を面白そうに観察する。

「見慣れない石だね、断面がとてもきれいだし、キラキラ輝いていて固いけど脆い……」

「この大岩はかつて天空より、そこの湖に堕ちたものだと言われている。それを二人の《竜戦士》の兄弟が引き揚げて、この場所に安置した。以来、《成人の儀》の試練を乗り越えた証として多くの若者達が、その欠片を持ちかえるのが慣例となっている」

 置かれた大岩は、その整った表側に対して、裏側はずいぶんといびつに刻まれている。

「これ、なんて書いてあるんだ?」

 岩の表に彫られた竜人族の文字について、ザックスは尋ねた。

「『汝、試練の果てに、何を思わんや』引き上げた竜戦士の兄弟が刻んだ、と言われている」

 リュウガの答えに一同が沈黙する。誰もが、ここに至るまでの道のりでの様々な出来事を振り返った。

「命と生きる事かな。時に踏みつけ、相手を殲滅してでも自分達の次代の命を守る。決してきれい事じゃすまない命のルールを、改めて思い知ったな」

「そうね。生存本能から生まれる狩りとしての闘いの技術は、時として倫理に縛られる人間を相手にしているよりも性質が悪いわ。攻撃力の比較というのなら、眼前の敵にしゃにむに襲いかかるダンジョンのモンスターの方が上。でもそれだけじゃない意思を持ったものの恐ろしさってのもあるのね。私、ダンジョンというものの存在に、初めて疑問を持ったわ……」

「フン、オレ様の強さを改めて思い知ったな。尤も友と部下達の協力も多少の貢献こそあったが……。よい試練であったぞ」

「我は二度もこの試練に挑み越えられたこと、竜人族として、幸せなことなのかもしれん。己が世界の狭隘きょうあいさを思い知らされた。仇を撃ちとりその後のことなど、これまで思いもしなかったが、新たな目的も生まれた……」

「新たな目的ってなんだい?」

 クロルの問いにリュウガは微笑んだ。

「いや、今はまだ言えん。全ては無事に里に帰りついてからだ……」

 岩の文字を見上げるリュウガの顔には、何かが吹っ切れたようなスッキリとした表情が浮かんでいる。

「……で、貴方はどうなの?」

 アルティナがザックスの顔を覗き込む。

「みんなが、それぞれ口にしたのに、貴方だけダンマリってのは、ずるいんじゃない?」

 一同の視線がザックスに集まる。しぶしぶ、口を開いた。

「ま、まあ、竜人族の先達がこの試練で伝えたかった事だろうな。生きるという事の本質。人生の中で迷った時には、難解な空論なんざ放り捨てて、この森でしゃにむに生きる《亜竜》や生き物達の姿を思い出せ、って言いたかったんじゃないのかな?」

「なぁんだ、つまんない。てっきり『筋肉こそ全てだ!』とか『あらゆるものを力でねじ伏せる!』とか言い出すと思ったのに……」

 クロルの茶々に、一同が噴き出した。ウンウンと頷く者達の多さに、唖然とする。

「そんな訳ないだろ。どこのハオウだよ。人をなんだと思ってるんだ!」

 そんな訳は十分にある。

 道中、危うくそのような危険思想に目覚めかけた事は、内緒にすべきであろう。そのような彼の心を的確に見抜く仲間というものは、実に恐ろしい。ザックスは慌てて話題を逸らした。

「でも、リュウガ。さすがにここまでの試練だと、やはり試練の過程で死ぬ者だっているんだろ? 尻ごみする奴もいたんじゃないか?」

 リュウガが一つ頷いた。

「過去、そのように考え、不正を犯すものも確かにいた。我らも又、未熟で完全な存在ではない。誰もが勇敢というのは所詮、理想論だからな」

 その手を開き、そこにある石を見つめる。

「本来、試練をのりこえたという事を示す証などは必要ない。今回のような例外的な場合を除いて、無事に帰りついた我らが、これを大人達に見せることもない。そのような事をしなくても、互いに信頼と尊敬があれば、先達が守ろうとしたものを、後進は必ず受けつごうとするからな……。そして、先達と後進の間で引き継がれる確かな伝統によって、我ら竜人族の価値と尊厳が保たれる……。だが……」

 リュウガの顔に厳しいものが生まれる。

「過去、それを逆手にとって不正を働き、臆病という風に吹かれて試練から逃れる者達もいたのは確かだ。そのような者達は大人となっても必ず周囲に悪影響を与える。そのような腐った思考を持った者は、必ずより大きな不正に手を染める。己が不正を働いたという負い目から目を逸らし、弱さを正当化する為に、伝統を否定し、要領を語り、言葉巧みに楽な道へと周囲の者達を上手く引き摺り込んでな……」

「フン、どこにでもある話だ」

 ヘッポイが頷いた。

「だが、そういった者の言動は我ら竜人族の中では必ず違和感を生じさせる。我らは力の種族である故、意味もなく楽をしようとそそのかす者達の言動には、拒否感を覚えるのだ。そしてそのような者共を、我々は決して許さない。奴らが我らの中で認められるにはもう一度、《成人の儀》に挑むか、《武の試練》で戦いの場に立って己の正当性を証明するかの、どちらかなのだ」

「貴方達って本当に厳しいのね……」

 アルティナの言葉にリュウガは笑う。

「厳しさがあるからこそ、優しさに意味が生まれる。どちらか一方が欠けては意味がない。尊敬できる良い大人とは、優しさと厳しさを兼ね備えたものだと我は考えるがな……」

 コホンと軽く咳払いしたリュウガの顔には、少しばかり照れが浮いている。

「少し喋りすぎた。我も浮かれているようだ。さて、これから、どうするのだ。貴様たちはリーダーとやらの決定に従うのであろう?」

 一同がザックスに注目する。クロルとヘッポイが微妙にそわそわしているのを目にしながら、ザックスは少しばかり思案する。

「今夜はここで、野営だな。幸い危険はないみたいだし……。リュウガ、あっちの部屋に入ってもいいんだろ?」

 その問いにリュウガが一つ頷いた。よし、と一つ咳払いすると、ザックスは宣言する。

「じゃあ、決まりだ。そういう訳で、我がザックスのパーティは、本日このよき日に、この記念すべき《竜神湖の祠》で、野営を決行することとなった。各自、それぞれの役割を完了する事! 以上、解散!」

 リーダーの宣言を聞いたのはリュウガとアルティナだけだった。すでにヘッポイとクロルの姿はなく、開かれた扉の向こうで未知の事象の探求を開始している。

「あ、あいつら……」

「まあ、いいじゃない。あの二人の湧きあがる好奇心をおさえることなんて、多分、誰にもできないわよ」

「人間族の世界には、団結力なる言葉があると聞くが、貴様らはそうではないようだな……」

 痛いところを突かれたリーダー・ザックスは、傍らの大岩に手をついてどんよりと落ち込む。

『汝、試練の果てに、何を思わんや……』

『我、試練の果てに、落胆を覚えん……』

 ふと、そのような言葉が、悩めるリーダーの頭に浮かび上がったという。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 その日の野営場所に選んだのは、祠の最も奥にあたる突きあたりの部屋だった。

 広大な半球状のドームのような構造の大広間のさらに奥には、果てしなく広がる竜神湖の水平線のみが見え、無数の星と共に空と湖面に浮かぶ三日月が美しく輝いていた。穏やかな湖水のせせらぎの中に、僅かに激しい滝の音が混じる。

 この竜神湖のさらに向こうには、竜人族ですら足を踏み入れたことのないという、《亜竜の森》よりも遥かに広大な前人未到の大地が広がるというのだから驚きである。

 入口から《終焉の門》を通って、ザックスは部屋の中へと入った。天井を見上げると、複数の魔法光に彩られた模様が輝き、それらに目を奪われた。意味こそ理解できぬものの、そこには何かを伝えたいという何者かの意思が感じられる。

「ザックス、アルティナ、ちょっとこっちに来てよ」

 かなり離れた場所でクロルが呼ぶ。彼の元に近づくと、クロルがはるか上方を指さした。

「見覚えがあると思わないかい?」

 指摘されて初めて気づいた。クロルの前には巨大な台座があり、その上にあるのは石でできた《ドラゴン》の彫像。そしてその姿に二人は見覚えがあった。そこにあったのは紛れもなく《貴華の迷宮》の中で死闘を繰り広げたあの《イエロードラゴン》の等身大の姿である。

 しばし、言葉を失っていた三人だったが、ふとザックスがあることを思いだし、慌ててその場を走りだした。少し離れた場所から、部屋の周囲を見回してようやく気付いた。半球状の室内には、円周に沿って似たような台座が五つ程あり、その上に四体のドラゴンの姿がある。

 中央奥にある台座のみ、空である。きょろきょろと周囲を見回すザックスの元に、四人が集まってくる。

「どうしたのよ、急に」

 駆け寄ってきたアルティナが尋ねた時、ザックスの動きが止まった。

「あった、あれだ!」

 指さすのは右から二番目の台座の上にあるドラゴンの像。それはバンガス達と共に戦った《ブルードラゴン》の姿であった。

 ダンジョンの中で邂逅し、ザックスに曰くありげな呪いの紋章と共に《解放者》なる役割を押し付けた張本人。ダンジョンとは全く縁も所縁もない場所での思わぬ再会に疑問が湧く。

「ほう、お前達はあれらを伝説の覇軍の竜の姿だというのか?」

 リュウガがぽつりと呟いた。

『覇軍』――あの日狭間の世界に飛ばされた先で《ケット・シー》なる怪しげな猫のぬいぐるみが何気なく呟いた言葉を今、再び耳にして、ザックスの心がざわめいた。

「リュウガ、『覇軍』って一体何だ? あいつら、なんで、ダンジョンの中にいるんだよ?」

 突然己に詰め寄るザックスの剣幕に、リュウガが驚いた。

「待て、焦るな、ザックスよ。一体、どうしたというのだ」

 アルティナが間に立つ。

「ザックスはね、このドラゴン達に《解放者》とかいう変な役割を推しつけられてるのよ」

「何?」

 リュウガの顔色が変わった。

「それは本当か、貴様が《解放者》だと……」

「ああ、訳が分からなくて、とても迷惑してるんだ……」

 捨てても捨てても、いつの間にか戻ってくる奇妙な紋章を取り出す。《貴華の迷宮》内で放り捨てた筈のそれが、いつの間にか《バッグ》の中に戻っていたのに気づいたのは、《騎士の迷宮》の中でのバンガス達とのクエストの最中だった。

 青と黄色の光が封じられたそれを手に取ったリュウガは暫し、呆然とした表情を浮かべている。

「これは、大変なことになるな……」

 そう呟くと紋章をザックスに返して、彼はおずおずと語り始めた。

「『覇軍』とはかつて竜人族と竜族の間で起きたといわれる戦争の最中に、竜族の指導者であった《神竜帝》直属の五頭の部下達のことだ。激しい戦いの末に三頭が死に、我ら竜人族も膨大な数の戦士を失ったと聞いている」

「それで、竜族との戦争はどうなったの?」

 クロルの問いにリュウガは首を振る。

「知らぬ。遠い遥か昔のこと故な。詳しい事は里の長老達に聞くしかないだろう。ただ……」

 一つ息をついて、リュウガは続けた。

「《解放者》――我らはそれを、はるか古に何者かとの間に結ばれし盟約から我ら竜人族を解放せしもの、と聞いている。そしてそれは《竜戦士》としての力を持つ者のみに与えられる役割であるとだけな……。それが……、人間族である貴様がそうであるとなると……」

 アルティナが尋ねる。

「ちょっと待って、リュウガ、どうしてザックスがそうだと言えるの? 貴方がいう事が正しいとして、ザックスが推しつけられたのは竜族の側からでしょ?」

 リュウガがザックスの手にした紋章を指さす。

「そこに書いてあるのだ。我ら一族の古い文字で……『彼の者に《解放者》の資格を試さん。我、盟約の解放を望む者なり』とな……」

「マジかよ……」

 紋章を手にしたまま、目眩を覚えて座り込む。彼の傍らに座りこんだアルティナが、優しく止めを刺した。

「貴方って、やっぱり、厄介事に愛される性分なのね……」

 その言葉でどっぷりと闇に引きずり込まれる。周囲の仲間達も気の毒そうな表情を浮かべている。ぼんやりとしたまま、ザックスは手の中の紋章を眺める。リュウガの言葉を何気なく思い出し、ぽつりと呟いた。

「彼の者に《解放者》の資格を試さん。我、盟約の解放を望む者なり……か」


 瞬間……、室内の空気が一変した。


 異常なマナの気配が周囲に生まれ、一同は反射的に背を向けあって立つと周囲を警戒する。生まれつつあるマナの気配は加速度的に密度を増していき、殺気にも似た空気が醸し出された。

「見て、入口が……」

 アルティナの言葉に目を向けると、開いていたはずの入口がいつの間にか閉じている。さらに部屋の奥から見えていた外の景色も消えている。

 魔法光の色が変わったのか、室内の空間そのものに微妙な閉塞感がある。それはダンジョンの大広間での空気に似ていた。

「もしかして、閉じ込められた……のかしら?」

 アルティナの問いに、クロルが答えた。

「そうみたいだよ。それに、どうやらお客さん、いや、この場所の主の御登場みたいだ……」

 クロルが指さしたのは中央の台座。何もなかったはずのその場所に現れたのは深紅の竜の姿。さらに不思議な事に、他の四つの台座の上にあったドラゴンの石像が姿を消している。

 折りたたんでいた巨大な翼を大きく広げ、現れたドラゴンは一つ大きく咆哮する。室内が大きく震えた。

『ようこそ。我が領域へ。《解放者》の資格持つ者よ。汝に最後の試練を与えよう』

 頭に直接響いてくる聞き覚えのある声。この地に住まう者達は皆、つくづく『試練』なる『イチャモン』を他人に押し付けることが好きなようだ。一歩、進み出たザックスは胸をはって答えた。

「断る! 迷惑だ!」

 仲間達がずっこける。だが、敵もさる者。あいかわらず他人の話は聞かない性分らしい。

『我こそは《レッドドラゴン》。最後の審判者なり。資格ある者よ、我を倒して先へとすすむがよい!』

 ザックスも負けじと言い返す。

「だから、いやだって言ってるだろ。謹んでその役目、返上させてもらう! 他をあたってくれ!」

 一方的に試練を押し付け、さらにまだその先においても、ザックスの運命を弄ぶつもりらしい。竜族とは竜人族より傲慢な種族であるに違いない。兎にも角にも、この問題にこれ以上踏み込めば、間違いなく、何かとんでもなくヤバい事になるのは明らかである。世界の救世主を目指す能天気な者ならばともかく、《魔将》と呼ばれる厄介者に命をつけ狙われる一介の冒険者には、明らかに手に余る問題だった。

「ほう、貴様、このオレ様に喧嘩を売るとはいい度胸だ! 何者だ! 名を名乗らぬか!」

 前に進み出ようとするヘッポイの襟首を慌ててひっつかむ。どうやら彼にはドラゴンの思念が伝わっていないようだ。

「《レッドドラゴン》だと。バカな。絶対にあり得ん……」

 一同の背後で、大きくリュウガが動揺する。

「リュウガ、どうした?」

 襟首を掴まれ、身動きが取れずにじたばたするヘッポイをひっつかんだまま、ザックスが尋ねた。リュウガが顔色を変えたまま答える。

「《レッドドラゴン》といえば、《神竜帝》の腹心中の腹心にして、かつて覇軍の中心に立った者。その力は他のドラゴンのそれを圧倒的に上回ったと聞いている。だが、戦争の最中、数人の竜戦士と共に戦い、相討ちとなって果てた筈だ」

 その説明を聞いて、ついにザックスは思考を放棄する。

 もはや、何がなんだか分からぬ状況で、謎が謎を呼び、さらに《解放者》なる奇妙な役割を押し付けられて、再び命の危機にさらされたとんでもないこの現状。出てくる言葉は唯一つである。

「もう、やってられるか! 責任者、出てこい!」

 手にした紋章を放り捨てる。そのぞんざいな扱いにリュウガが唖然とする。

 キレ気味のザックスの言葉に、《レッドドラゴン》は態度で応戦する。大きく首を振り上げ、顎を開く。

 見覚えのあるその姿にドラゴンの思惑を読み取り、とっさに仲間達に声をかける。

「皆、散れ。ブレスが来るぞ!」

 ヘッポイとアルティナと共に右の台座の陰へと走る。リュウガとクロルが反対側へと走った。間一髪で高熱の炎が吹き荒れる。

 脅威を誇った《タイラン》の火球など及びもつかぬ、その攻撃に誰もが青ざめる。力量が圧倒的に違いすぎるその状況は、ここ数日の試練の日々が全く生温く感じられた。

 アルティナが蒼白になり、さすがのヘッポイも状況が理解できたらしく、黙りこんでいる。

「アルティナ、あのブレス、どうにか出来ないか」

「無茶、言わないで。魔法での相殺はとても無理。せめて以前の貴方の装備があったとしても、大やけどくらいで済むかしら?」

 駄目元で尋ねた答えは、やはり駄目だった。

 ブレスの届かぬ距離に逃げた冒険者達を追うかの如く、《レッドドラゴン》は翼を広げて宙を舞う。そのままザックス達の隠れている右端の台座に飛び乗った。

「ま、まずい」

 三人で慌てて走り出し、右から二番目の台座の陰に飛び込んだ。間一髪、ブレスがほとばしり、激しい炎が周囲を焼く。

 再びドラゴンの飛翔音が、耳に届いた。

「二人は、あっちに走るんだ」

 アルティナとヘッポイに中央の台座の陰に逃げるように言うとザックスは元来た場所へと引き返す。ザックス達のいた台座に飛び乗った《レッドドラゴン》は、最初の台座の陰に飛び込んだザックス目掛けて、再びブレスを放った。

 ――どうやら、やはり、目当てはオレだけみたいだな。

 台座の陰で呼吸を整えながら、ザックスは状況を分析する。

 《レッドドラゴン》の熱烈歓迎的な激しい炎の吐息を台座の陰に隠れてやり過ごしつつ、その隙を窺う。尤も高い所にいられると、こちらとしては手も足も出せない。翼をどうにかするか、あるいは引きずりおろすか。それ以前にあの苛烈な炎のブレスをどうにかせねば、攻撃すらできないのが現状である。

 ――どうするよ?

 右から二番目の台座の上に留まって、陰に隠れたザックスに向かってブレスを吐き続けるドラゴンの様子を窺いながら、打開策を考える。だが、効果的な手段が思いつかない。この難敵に対して、今のパーティでは、明らかに戦力そのものが不足している。

 全てが足りない――どうしようもない現実への不満が不安を呼び込み、彼の思考が悪しき循環へと陥りかける……、その時だった。

「いい加減にせぬか! この卑怯者! 高い所から弱い者いじめばかりしおってからに! 貴様も誇りある竜族ならこのオレ様と正々堂々、戦うがいい!」

 慌てて威勢のいい声のした方の様子を窺い、目を疑う。中央の台座の陰からヘッポイが飛び出し、さらにその背後にアルティナが控えている。

 ザックスにのみ集中攻撃を浴びせ続ける状況に、しびれを切らせて飛び出したようだった。

「バカ、何やってる。隠れてろ! こいつの狙いはこのオレだ!」

 だが、ヘッポイは引く事はない。

「フン、我が友よ。そこの赤トカゲと同じく、お前は少し我らを侮り過ぎだ! オレ様の本気、目にもの見せてくれよう!」

 言葉と同時にヘッポイは歩み出す。その直ぐ背後をアルティナが続く。ヘッポイが左手に構えているのは《輝く大盾・イミテーション》。けた外れの物理防御性能は折り紙つきだが、この状況で必要なのは特殊攻撃を防ぐ能力である。

 雑音にいら立ちを覚えたのか、台座の上の《レッドドラゴン》がヘッポイに向かって顎を開く。

「よせ、やめろ!」

 立ち止まって《大盾》を構えるヘッポイとその背後で精神を集中するアルティナ。ザックスの制止も聞かずに飛び出した二人に向かって、灼熱のブレスが一気に放たれた。

「アルティナ、ヘッポイ!」

 飛び出したザックスが目にしたのは、一面の炎に巻き込まれた二人の姿だった。直ぐに炎の中に二人が消える。

《レッドドラゴン》がブレスを吐き終わるまでのほんの僅かな時間。それはザックスには永遠の時のように感じられた。

 激しい、灼熱のブレスがようやく止む。燃え盛る炎の中で何かが光っていた。

 やがて炎が燃え尽き、周囲に静寂が戻る。強烈な炎のブレスの余韻の熱気が冷めやらぬ中、淡い光に包まれた盾を構えたヘッポイとアルティナの健在な姿が現れる。二人の無事な姿に、ザックスはほっと胸をなでおろした。

 いかなる手段で激しい炎を相殺したのか知らぬが、少しばかり髪がチリチリになったヘッポイが、再び立ち上がって胸をはった。

「はっはっはっ。効かぬ、効かぬぞ、赤トカゲよ! 貴様のブレス、もはや完全に見切った! かくなるうえは正々堂々、立ち向かってくるがいい。このオレ様が相手になってやるわ!」

 右手のメイスをブンブンと振り回して挑発する。ヘッポイの背後で全く無傷のアルティナが、ザックスの方を向いて小さく片目を瞑る。あわてて台座の陰から飛び出すと、全速力で駆けだし、二人と合流する。

「一体、どうやったんだ、お前達……」

「特別な事なんて何もしてないわ。あえて言うなら、ヘッポイさんの《大盾》のお陰よ」

 その言葉に驚愕する。圧倒的なカネの力は、理不尽な暴力をも凌駕するものらしい。

「又、来るぞ、我が友よ。我が背に隠れておるがよい。アルティナ嬢、もう一度、頼む」

「分かったわ、ヘッポイさん!」

 再びブレスが放たれる。ヘッポイが《大盾》を構え、アルティナがその盾に冷気の結界を張る。

 《大盾》を中心に冷気の魔法障壁が出現し、吐き出された火炎が視界一面に広がった。だが、障壁に守られている三人に、全く被害はない。先ほどよりもさらに完全にブレスを阻む事に成功したようだ。

「効かぬと言っておろうが、たわけめ! このオレ様を侮るでないわ!」

 ドラゴン相手に挑発しまくるチリチリ髪の男、その名はヘッポイ。足りないものだらけのザックスのパーティ内で、今や最も頼れる男と変貌しつつある。

 自身のブレスが効かぬ事を理解したのか、あるいはヘッポイの挑発が気に障ったのか……。

 忌々しげにその場で翼を広げ、数度羽ばたくと、《レッドドラゴン》はついに台座の上から飛び降り、ザックス達と同じ地に立った。

「ブレスはこのまま私達が引き受けるわ。だから……」

 瞬間、ドラゴンの咆哮が響き渡る。大きく態勢を崩したドラゴンのわき腹に、リュウガが槍を突きたてようとしていた。

「役に立つかどうか分からないけど……」

 アルティナがザックスの手にした《地斬剣》に冷気の結界をかける。ひんやりとした空気を放つその剣を手に、ザックスは一気に駆け出した。ドラゴンの懐に飛び込み一息に薙ぎ払う。だが、その一撃はあっさりとかわされた。

 次いで太い尾が振り回される。その場に伏せてやり過ごし、再び起き上がったザックスは《レッドドラゴン》に果敢に挑む。

 懐に飛び込み《地斬剣》を叩きつける。だが、甲高い音とともにその攻撃は防がれ、身体に傷一つつけられない。強靱な防御力に舌を巻く。

 それでもザックスの攻撃は止まらない。剣も折れよとばかりに、果敢な連続攻撃で大剣を振り回して《レッドドラゴン》に襲いかかる。

 だが、その全てがドラゴンの身体を鱗一つ傷つけられなかった。

 とはいえ、対する《レッドドラゴン》にも、攻撃に転じる余裕はない。おそらく全能力を防御へと回しているのだろう。その戦い方はかつての《ブルードラゴン》を彷彿とさせた。

 ザックスとリュウガの攻撃に傷つくこともなくじっとその場で耐えている。そして二人の息が切れた瞬間の隙をついて、素早く宙に舞い上がった。ふわりと空を舞いつつ、ドラゴンはその巨大な顎を開く。

「皆の者、オレ様の背に隠れよ!」

 リュウガとザックスがヘッポイとアルティナの背に隠れた瞬間、再び激しい炎が吹き荒れ、それを二人が完璧に防御する。

 左端の台座の上に降り立つと《レッドドラゴン》は大きく咆哮した。入れ変わるようにして慌ててその場を逃げ去る小さな影が、左から二番目の台座の陰に滑り込む。そこから顔を出した影の主――クロルがザックスと視線を合わせた。

 ――ゴメン、ザックス。今のボクにはどうしようもできない。

 すまなさそうな顔をするクロルに、ザックスは首を横に振る。正しい判断でクロルが行動しているようにザックスには思えた。

 リュウガや、ザックスの攻撃ですら傷一つつけられぬというのに、クロルの《スリング・ショット》で撃ち抜く事は不可能であろう。中途半端な攻撃は逆に命取りとなる。状況を冷静に判断し、完全に戦場から存在を消して、彼らの足手纏いにならずに身を置くことも、ひとつの正しい作戦である。

 クロルのことである。

 客観的に戦場を観察して、そのうちザックスでは思いもつかない打開策を見つける事が出来るかもしれない。しばらくは彼の事を意識から消し、四人で事態に対応する事を仲間達に指示した。

 再び激しいブレスが台座の上から放たれる。ヘッポイとアルティナが完全にそれをガードし、ヘッポイが又もや挑発する。二人のおかげでまだまだ余裕のある状況ではあるが、その先の展開が思い描けない。

「厳しいな……。あれを引きずりおろしたとしても、その先の決め手がない」

 リュウガも冷静に状況を把握する。先ほどの不意打ちで三叉槍の突撃による多少のダメージは通ったとはいえ、鱗一つ傷をつけられなかったのは相当なショックだったようだ。

《貴華の迷宮》の時に勝つことができたのは、ライアットの力と《ドラゴン・キラー》の恩恵があってこそである。やはりウルガと同じくマナLV最高峰の彼の存在があってこその《竜殺し》といえよう。

「フン、皆の者、何を縮こまっておるか! 我らは冒険者! いかなる状況でも突進して前のめりに敵を踏みつぶすのが本懐である事を忘れたか!」

 一人、《輝く大盾・イミテーション》の力で奮闘するヘッポイの言葉に、三人が顔を見合わせる。《武の試練》でのザックスの言葉を拡大解釈しすぎてはいるものの、その言いたい事はよく伝わった。

 振り返ることなく《大盾》を構えたチリチリ髪の男の背を、ふと頼もしく思う。

 ――ザックス、何とかしないとヘッポイさんに美味しいところ全部持っていかれて、新しい武勇伝フィクションが生まれるわよ!

 ――お前、余裕あるな……。

 アルティナのひやかしにザックスが呆れる。

 兎にも角にもそのような状況だけは御免である。一つため息をついてザックスは新たな指示を出す。

「皆。入口まで後退する。ついてきてくれ。ヘッポイとアルティナはブレスの防御を最優先で……」

 突然過ぎるその指示に一瞬、誰もが躊躇したものの、すぐに了解の意思を示す。

 再度のブレスが途切れたところで、四人は閉じられた入口近くの《終焉の門》に向かって走り出した。それを追うように、ドラゴンが宙を舞う。《終焉の門》に辿りついたところで素早く防御陣を組み直し、地に下りた《レッドドラゴン》の再度のブレスを《大盾》が受け止めた。ブレスの有効距離を利用して引きずりおろすところまでは成功したものの、そこから先はザックス次第である。

 ザックスが再び剣を抜き、《バッグ》から《閃光弾》を取り出し、マナを込めつつ腰を落とす。その姿を横目で見ながらアルティナは彼の意図を読んだ。

 ――又、無茶するつもりね……。

 常にスマートとは程遠い戦い方になってしまう感覚に慣れつつある事に、溜息をつく。

 ――でも、仕方ないわよね。

 どんな理不尽な強敵に対しても、勝ち残る為に……。

 そして生き残る為に……。

 初めての敗北の時から、それは彼らのパーティにつきまとう呪いのようなものである。

 ――私も覚悟を決めなければならないのね。

 アルティナの心の内に秘められた未完成の切り札と、それを譲り渡した老婆の言葉が思い浮かぶ。一つの大きな収穫を得た小旅行で訪れた湖での出来事と共に……。




2013/11/11 初稿




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ