28 ザックス、悟る!
四日目の朝早く、ザックス達は巨大な《亜竜》が幾度も踏みしめて作った森の中のけもの道を辿り、激しい水音が周囲に木霊する広大な壁面を有する崖へと至った。リュウガによれば、目的地である祠はこの上にあるという。
狂える剛竜《タイラン》を倒した後、長年の宿敵への怨念から解放されたリュウガは、その態度を大きく軟化させた。ザックス達を共に戦った者として認め、種族のこだわりを捨てて、彼らの名を呼ぶようになっていた。
難敵に遭遇する事もなく徐々に深くなる森の中を、相変わらずのヘッポイが振り撒く騒動に皆で翻弄されつつ、五人はようやくこの場所に辿りついた。
頂上付近が一部反り返ったその崖の上には竜神湖と呼ばれる巨大な湖があり、そこから流れ落ちる大量の水が、滝となって崖の左右から激しい音を立てて流れている。流れ落ちた水はそのまま森を抜け、草原へと至る二つの大きな川となって、その場所に生きる者達の命の源となっていた。
「なんだか、空飛ぶヤツがいそうだな……」
クロルの感想にリュウガが答えた。
「その心配は無用だ、クロルよ。確かに昔はいたというが、とある時代の先達が狩り尽くして全滅させたらしい」
とある時代、《成人の儀》に参加した若者達が苦労して調達した昼食をかっさらわれて激怒し、この場所に巣食っていた翼竜達を根こそぎ全滅させたという。食べ物の恨みはどこへ行っても恐ろしいものだ。
お陰でその年の者達の里への帰還が大幅に遅れ、里の大人達はずいぶん心配したという。無事に帰還した若者達の姿を見て、誰もが喜んだものの、理由を聞いて一転、若者達は彼らに三日三晩、説教される羽目になったという。
「ところで、この崖……、どうするんだ?」
反り立つ巨大な壁を見上げながらのザックスの問いに、リュウガは一言、簡潔に答えた。
「登る。ただそれだけだ」
竜人族――どこまでも体力と筋力が物をいう種族のようである。帰り道は滝壺に飛び込んで、とか言い出さぬ事を願うばかりである。
「以前は、この崖を一番に登り切った者には、里で最も人気のある女性に求愛する権利が与えられるなどという慣例もあってな……。尤もここ数年は《タイラン》のお陰で、誰もそのような呑気な気分にはなれなかったが……」
ふと、過去を懐かしむように振り返りつつ、リュウガの表情に僅かな陰りが生まれた。
「フン、面白い。このオレ様の行く先を阻むとはいい度胸だ。見事、征服してくれようぞ!」
相変わらずのヘッポイが自信満々に胸を張る。
「うーん、面白そうだね。一つ、挑戦してみようかな」
意外な事にクロルまでもが、やる気である。
「それでは我も久方ぶりに挑むとするか」
三叉槍を背にして、リュウガが指をならす。
「アルティナ、お前はどうするんだ?」
振り返って彼女に尋ねる。本来、《成人の儀》はザックスのみに与えられた試練である。女性である彼女に、この挑戦は少々不向きとも思える。目的地が直ぐそこである事もあり、この場所で暫し待っているという選択もあるだろう。ザックスの問いにアルティナは肩をすくめた。
「私は大丈夫よ。それよりも、呑気にしてていいの? みんなもう準備を始めてるみたいよ」
再び振り返ると皆、それぞれの思惑を持って準備を始めている。
高価な防具を外して《袋》におさめたヘッポイは身軽になると、取り出した鉤爪を両拳につけ、ひざ下にも何やら大仰な具足をつけている。その鈍い輝きと色をした材質に心当たりのあったザックスが彼に尋ねた。
「ヘッポイ、まさかと思うが……。その鉤爪……」
「フッ、気付いたか、我が友よ。さすがだな……。これぞ、いかなる崖をも征服せんとオレ様が職人に作らせた至高の一品。《神鋼鉄》の鉤爪だ!」
相変わらずカネにあかせた道具で以て、立ちふさがる難事を切り抜けるつもりのようだ。
多くの職人たちの憧れであり、その技術習得にしのぎを削る《神鋼鉄》を、このような事に使う『オオガネモチ』なるものの傲慢に呆れ果てる。今頃、《ドワーフの里》で元気すぎる師匠と口論を続けながら修業しているヴォーケンが聞いたら、さぞかし嘆く事だろう。
「甘いな、友よ。使うべき場所で躊躇い、ケチケチため込むのは所詮、成り金の小金持ち。真の大金持ちとはいかなる些事にも全力以上のものを尽くす。故に、他者と一線を画すのだ!」
気持ちよく言い放つ。
《武の試練》においてもその思想をもって挑めば、あのような苦戦をせずに済んだのでは、と突っ込まずにはいられない。
自慢の鉤爪を壁面に突き刺し堂々と、ど真ん中を登っていくその姿を見送るザックスの右手で、クロルが籠手の《スリング・ショット》を上方に向けて構え、複雑な形状の鉤爪をとり付けたフックを射出する。数度の失敗を経て、起伏の激しい崖のくぼみに鉤爪を引っ掛けてしっかりと手ごたえを確認する。
「それじゃあ、お先に」
と言い残し、ウィンチを巻き上げて登っていく。
「ぬ、ぬう、やるではないか、クロルよ。だが、このオレ様も負けはせん」
上の方では早くも競争が始まっている。
「では、我も行くとするか」
崖の左手に手をかけたリュウガが手慣れた様子で登り始める。過去に一度、登っている事もあって、壁面の様子を熟知しているらしい。すいすいと岩に手をかけて登っていくその姿を暫し、呆気にとられて見送った。
「ザックス、キミ、何してるんだい。早くしないと置いて行くよ」
「これは貴様の試練であるからな。急げよ!」
「フン、最下位の者は、このオレ様に《エルタイヤ》の超高級店でスペシャルディナーを、おごってもらう事にしよう」
好き勝手なことを行って仲間達は登っていく。背の《地斬剣》を《袋》にしまいこみ、ザックスは慌てて崖をよじ登り始めた。
「行ってらっしゃーい。みんな、頑張ってねー」
呑気なアルティナの声援をその背に受け、ザックスは突如として始まった、仁義なき崖登り競争へとその身を投じたのである。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
昼下がり、崖の中腹に張り付いた四人はそれぞれの方法を駆使して、めいめい巨大な壁面の攻略に挑んでいた。
先頭を争っているのはヘッポイとクロルである。
自慢の《神鋼鉄》の鉤爪を壁面に力任せに突き立て、ヘッポイは上を目指して一直線に登っていく。
その右側では、クロルが射出した鉤爪付きの鋼線を壁面に引っ掛けて、登っている。壁面を登る時間よりも、射出した鉤爪を引っ掛ける場所を探る時間の方がはるかに長いクロルは、一旦ヘッポイに大きく差をつけられるものの、あっという間に挽回する。
激しいデッドヒートを繰り広げる二人の後を、堅実なスピードを保ってリュウガが追う。二人との差はさほど大きくなく、余裕あるその仕草には何か含むところがあるようにも見える。壁面の反りが目立ち始める後半の追い上げには、注意しなければならないだろう。
そして――。
三人に大きく、水を開けられているのがザックスである。
カネにあかせた道具もなく、知恵と工夫もできず、過去の経験もない彼は一人、苦戦を大きく強いられていた。
どんどん先を歩み遥か上の方で先を争う仲間達の姿を尻目に、近頃、冒険者の世界で密かにささやかれているという『格差』なる言葉をひしひしと感じる。
いかに戦闘能力に優れた上級冒険者であっても、この場所では何の役にも立たない。
人が生きる様々な場面では、それに適した様々な能力が要求されるという現実を、強く実感する。
戦バカとは所詮、地を這う生き物。物理的にも精神的にも、立体的に物事を思考し行動する人間の前には、人生の選択の幅という点において圧倒的に負けている。
時が経つごとに体重を支える指先が徐々にしびれ始め、休憩の時間が多くなっていく。崖の壁面はかなりの起伏があり、今のところ休憩場所には事欠かないが、いずれ上方ではそのような場所も少なくなるだろう。この高さで滑落してしまえば、たとえ《全身強化》を施しても即死は間違いないだろう。
そう考えて、先行きに大きな不安を感じ始めた時、とある一つの考えが脳裏をよぎる。
――あれ?
ふと、サックスは気付いた。
――補助魔法使ったら、楽になったりして……。
戦闘時には常に当然のように行使するそれを、応用する事に思い当たる。
試しに《爆力》を使用し壁面に指をかけた。力の加減を間違えると壁面の岩を砕きかねぬものの、指への負担がウソのように軽くなる。慌てて、《全身強化》を施し、さらに《瞬速》をかける。それまで身体にかかっていた負担があっさりと消え、苦行と化しつつあった崖登りが一転、楽しいレクリエーションと化す。
思わぬ大発見に暫し呆然とするものの、やがてふつふつと喜びが腹の底から湧き出してくる。
これまで苦渋と共に見上げていた仲間達の姿に追いつき、追い越す手段を手に入れた事に気づいた彼の胸に、明々と希望の炎がともる。負けの確定した戦いなどよりは、やはり勝ってこその勝負である。ザックスは確信した。
――今こそ、このオレの時代である!
あらゆるものを圧倒的な力でねじ伏せてこその最強の冒険者! 大地の上での強者は、ここでも又、強者であり、あらゆる場所で強者となりうるという事を世に知らしめねばなるまい。
「うりゃーー」
勝てる、勝てるぞ、と歓喜の声をあげながら、壁面を登るペースを突然上げたザックスの姿に、先を行く三人が気付いたらしい。
「あっ、やっと、気付いたんだ……」
「バカめ、今更、遅いわ。このオレ様の勝利を脅かすことなど、到底無理なことよ!」
「ならば、そろそろ、本気を出すか」
上方から聞こえてくるその容赦ない言葉に暫し、はたと手が止まる。つい今しがたザックスが見つけた革命的な発見に、仲間達はとっくに気付いていたらしい。
そして、勝利の為に、最も有利な恩恵を受けるザックスに気づかれぬように黙っていたようだ。一切道具を使わずにひょいひょいと壁を登っていくリュウガも又、《倍力の法》なる秘伝を駆使していたことにようやく気付いた。
――あ、あいつら……。
ふつふつと怒りが湧き上がる。
どうやら彼のパーティは、己が勝利の為ならば仲間をも平気で欺くという、実に油断ならぬ集団へと変貌しつつあるようだ。
人の道を誤りかけた仲間達に、リーダーとして正しき道を示すべく、ザックスの力任せの猛追が始まった……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
古人は言った……。
人は何故登るのか。そこに壁があるからだ。
目の前に壁が立ちはだかる限り彼らは登り続けるのだ。永遠にたゆたう時の中、征服者としての栄光を背負って……。
壁を登る為に生まれ、壁を登る為に育ち、壁を登り切って逝く。
常に壁を乗り越え続けることこそが、我々、人間の生きる道である。
かつて《カメカメレース》の名物実況の残した文言を、適度にアレンジを加えて呟くザックスは、その勝利への頂きに向かってひたすらに崖を登り続けていた。
そろそろ日が西に傾き、崖登り競争が終盤を迎え、その結果もはっきりしつつあった。
一同の先頭を切って最初に頂上付近に近づきつつあるのは、序盤の不利にもめげず、圧倒的劣勢を不屈の精神と強引すぎる力技で跳ね返したザックスだった。
壁を登りながら、彼はふと一つの真理に気付いたという。
『いかなる『技術』も『経験』も圧倒的な『力』の前には無力である』
試練をとおして、絶対脳筋主義の竜人族の先達が後進に伝えたかった境地へと辿りつく。
『鍛えよ、若人よ! 圧倒的な筋肉に不可能はなく、積み重ねた筋肉はキミを裏切らない!』
頂上に近づくに連れて呪いのように湧きあがる危険思想に徐々に汚染されつつ、ザックスは並み居る強豪たちを差し置いて、最強への頂きを目指してひたすらに登り続けていた。
ザックスに次いで、終始安定したスピードで登り続けていたリュウガがそれに続く。
彼の敗因はやはり、マナを扱う力量差であろう。拝筋主義の竜人族でありながら、人間族に敗れかけているという現実は、このことを良い教訓として、彼にさらなる筋力強化とあくなき強さへの探求を新たな人生の目的とさせることだろう。
そして序盤から中盤にかけて激しいトップ争いを繰り広げていたヘッポイとクロルは、終盤に至ったところであっさりと脱落した。
頂上付近に近づくに連れ徐々に脆くなる岩質のせいで、スバ抜けた性能を誇るヘッポイの鉤爪があっさりと岩を斬り裂き、しっかりした手がかりを確保し難くなった彼は、登頂スピードを大きく落とした。クロルに至っては、反りかえった頂上付近の地形のせいで、射出したフックを引っ掛ける事が難しくなり、幾度もコースを大きく変更したものの、ほぼ立ち往生の状態である。後でロープを垂らして上から引き上げねばならぬことになるだろう。
両者ともに共通する敗因は、その優れた道具に頼り過ぎたことといえる。
『便利すぎる道具は使い手を甘やかし、横着にする』
老ドワーフの薀蓄ある言葉を、クロルは今頃、しっかりと実感していることだろう。
兎にも角にも、二位以下に圧倒的な差をつけて引き離し、今、ザックスは栄光の勝利の瞬間に手をかけ、その頂きへと辿りつこうとしていた。
《爆力》で腕力強化を施して、反り立つ壁の頂きに両手を掛ける。
通り過ぎてきた苦難の道を脳裏に浮かべつつも、全身の力を一点に集めて、身を起こし、さらに片足をかける。
「これで……最後だ!」
さらに身体を引き起こし、前人未到の頂きに、ついに腹ばいになって辿りついた。そのまま、ごろごろと転がり、暫し、仰向けになってぜいぜいと全身で息を突く。いかに冒険者とはいえ、無茶なマナと体力の使い方に、身体がかなりの悲鳴を上げている。後で《薬滋水》の一本でも飲んでおかねばならぬところだろう。
障害物など一切ない、鮮やかな夕日に彩られた視界いっぱいに広がる空のグラデーションが目に沁みる。
両の拳を強く握りしめ、ザックスは一時の勝利の余韻に浸った。
暫しの後、呼吸を整え身を起こすと、崖の上からの雄大な光景をのぞむ。初めて見るその光景に思わず息をのんだ。
眼下には《亜竜》達の暮らす濃緑色の絨毯の如き森が広がり、さらにその向こうに薄緑色の草原が、滔々と流れる二本の大河によってくっきりと分断されていた。少し離れた場所で流れ落ちる滝の水しぶきが生み出す虹の輝きが美しい。
そして、うっすらと差す西日の色に染まった空と豊かな緑の大地との境界を示す地平線が、延々と伸びる光景に筆舌し難い感動を覚えた。この場所に只一人立ったザックスに、視界に入って見下ろす全ての世界が己のものとなったように錯覚させる。
得もいわれぬ高揚感が腹の底からわき上がった。
圧倒的な絶景を前にして、「この世の全てはオレのものだ!」などと、理不尽に世界征服をたくらむ魔王のような気分になってしまう事を、誰が責められよう。
喜びのままに自然に湧き上がる本能の慟哭に従って、雄叫びをあげようと大きく息を吸い込む……その時だった。
「なーんだ。やっと着いたんだ。遅かったのね……」
背後から聞こえたなじみのあり過ぎるさわやかな声。
瞬間、体温が一気に数度下がり、勝利の喜びを胸に熱く燃え上がったザックスの魂が、瞬時に凍りついた。
ギギギ、と首だけで振り向いたその場所には、いるはずのない彼女――アルティナが立っている。
昼寝でもしていたのか、ふわわ、と眠そうな顔で欠伸をしながら彼女は目をこすっていた。
予期せぬその登場にしばし呆然としていたザックスだったが、はっと気を取り直すと慌てて尋ねた。
「ア、アルティナ……。な、なんでお前、ここに……」
驚くザックスを尻目に、アルティナは小首をかしげる。
「なんで、って……、登ってきたからに決まってるじゃない。変なこと言う人ね……」
さらにザックスは驚愕する。
「登ってきた、って……、この崖をか?」
「そうよ。気付かなかったの?」
「一体、いつの間に?」
「そうねぇ。辿りついたのは……昼前くらいかしら……」
聞くも涙、語るも涙の苦闘のドラマの末に、半日がかりでようやく登ってきたこの栄光の頂きに、彼女は己の気付かぬうちにあっさり辿りついていたという。いや、もしかしたら《ルドル山 》での時のように、裏側の斜面に楽な道が隠されていたのかもしれない。
「変ね。皆、気付いてたんだけど……。ああ、そういえば、貴方一人でなんだか変なことしてたわね。わざときついやり方で壁にぶら下がって……」
「いや、わざと、って訳じゃ……」
昼前といえば、まだ、ザックスが補助魔法の行使に気づく前である。先を行く仲間達から大きく後れて、一人苦渋を舐めていた頃だろう。
「まあ、ヘッポイさんの例もあるし、人間族って時々ちょっと私の考えつかない行動をするから、あまり邪魔にならないようにと思って、声を掛けなかったんだけど……」
麗しき相棒にとうとうヘッポイと同列に扱われたザックスは、がっくりと片膝をつく。
「参考までに聞いときたいんだけど……。お前、どうやって上がってきたんだ?」
ザックスの問いに、アルティナはその端正な顔に不思議そうな表情を浮かべた。
「どうって、決まってるじゃない。魔法を使ったのよ。貴方だって、補助魔法で自分を強化して上がってきたんでしょう?」
いくら彼女が魔法に堪能であるとはいえ、己に気づかれる事なく遥かに速く崖に登れるだろうか? 首をかしげるザックスにアルティナは笑って答えた。
「バカね、そんなわけないじゃない。こうしたのよ」
言葉と同時に手を組んで精神統一をする。暫くしてふわりと足元に風が舞い、彼女の身体が宙に浮かんだ。そのままふわふわと浮きあがる。やがて風が止み、再びアルティナがふわりと地面に下りたった。
「風の結界を応用したのよ。まだ、コントロールが少し難しいんだけど。幸い今日はさほど風も強くなかったし、この崖は休む場所も多いから……。でも慣れてしまったらすぐだったわ。……って、どうしたの、ザックス?」
得意そうに説明する彼女の足元で、両手両膝をついて力なく項垂れる。
紆余曲折を経て、『圧倒的な力こそがこの世の全てである』という絶対脳筋主義思想の真理に目覚めかけたザックスだったが、『いかなる強者も根本思想の異なるものによってあっさり駆逐される』という当たり前の結末にすっかり打ちのめされた。
「な、なあ、それって、もしかして皆を運べたりできるのか?」
ザックスの問いに彼女は小さく首をかしげた。
「うーん、そのうち、出来るようになるかもしれないけど、今はまだとても無理ね。これだけの崖になると私一人で精一杯。それにみんな張り切って男の子してたじゃない。水を差すのも野暮ってものでしょ?」
これぞ気配りの達人とばかりに、アルティナは整った形の胸を張る。
「あ、ああ、そうだな……」
力なく頷き、その場に仰向けに寝転がる。
苦労の甲斐あってようやく辿りついた感動と喜びを、根こそぎ破壊し尽くしてくれた無邪気な姫君の言動に、心の内でひしひしと抗議する。男のロマンに浸るリーダーに対しての気配りというものを、もう少し学習してほしいと訴えるべきであろうか?
西日の差した空の色が、ザックスには何故だかとても目に沁みた。
そのような彼の内心を推し量ることもなく、アルティナは無邪気に続ける。
「そんな事よりもごらんなさいよ、あれ。すごいわよ……」
積み重ねた様々な葛藤や苦悩を『そんな事』と一言で一蹴され、若干いじけ気味のザックスは、何気なく彼女の指し示す方向に目を向けた。瞬間、息がとまる。
「な、なあ……。アルティナ……」
彼が口を開いたのはそれから随分とたってのこと。
「オレ達が目指してたのは、確か竜神湖とかいう場所にある『祠』だったよな……」
「そうね……」
視界一杯に映るそれから目を離せず、彼は続けた。圧倒的なその光景に、一蹴された様々な葛藤も苦悩も、もはや記憶の彼方である。
「リュウガの奴、言ってたよな。ここが最終目的地だって……」
「ええ」
「じゃあ、『祠』って……、あれのことか?」
ふらふらと起き上がって、アルティナに尋ねる。
「私に聞かれても分からないけど、多分、そうじゃないかしら……」
最終目的地であるはずのその場所にあったのは、そびえ立つような巨大な建物だった。ペネロペイヤ随一を誇る大神殿をも軽く凌駕するその規模にザックスはあきれ果てる。ここまでの大きさのものとなると、《エルタイヤ》の最高神殿クラスに匹敵する。
「使う言葉を間違えてるよな、どう考えても……」
「そうね……」
もはや宮殿とか城塞といった言葉の方が、ふさわしいだろう。
「竜人族って……、スケールが大きいのね」
しみじみと的外れな感想を述べるアルティナに、気の効いた相槌を打つ事も忘れて、ザックスはその場に呆然と立ち尽くした。
2013/11/10 初稿