26 リュウガ、語らう!
戦う相手を突然見失い、アルティナ達と合流しようとしたザックスの傍らに、リュウガが血相を変えて、飛び降りる。そのまま走りだそうとする彼の腕を思わず掴んで、ザックスは引きとめた。
「やめろ、リュウガ、どうするつもりだ!」
「知れた事! 貴様達には言っておいたはずだ。ヤツが現れたら、我は役目を放棄して、己の為に動くとな! 今がその時だ!」
「待て、リュウガ。今はダメだ!」
「何?」
二人の周りに三人の仲間達が集まってくる。
「人間よ! 貴様、何故、邪魔をする。貴様に我の復讐をとめる権利はない」
権利がないわけでないが、己の役目より感情を優先してしまうリュウガは、聞く耳を持たぬだろう。
再び先程と同じ咆哮が轟き、少し離れた場所で何かが大きくはじけて輝いた。
「リュウガ、悪いが、今すぐには行かせられない。状況の確認が先だ。お前には聞かなければいけない事がある。悪いが、きっちり口を割ってもらうぞ?」
「どういう事だ?」
訝しげに尋ねつつも、リュウガは遥か彼方の戦場の様子に気を取られている。その腕をしっかり握ったまま、ザックスは静かに尋ねた。
「リュウガ、お前達、竜人族は、魔法をつかえるな?」
瞬間、リュウガの動きがぴたりと止まる。
「い、一体、何のことだ。魔法は我らにとって邪法。それは……」
「能書きはいい。正確にはお前たちは、マナの力を使って己の力を倍加させる技を知っている。そうだな?」
リュウガは答えない。代わってクロルが答えた。
「今更、どうだっていいじゃないか、そんな事。昨日の《タイラン》との戦いでとっくに分かってた事だし……」
そうね、とアルティナも相槌を打つ。その言葉にリュウガは酷く驚いた表情を浮かべた。
「何を言うか、友よ。オレ様なぞ、《武の試練》の時に気付いておったぞ。あやつは、明らかに力を倍加させておったではないか」
ヘッポイの言葉に皆が驚く。ザックスの目から見て、あれは純粋な技の一撃にしか見えなかったが、今は置いておくことにする。
「リュウガ、答えろ。何故、《亜竜》が魔法を使う事をオレ達に黙っていた?」
ザックスの言葉にさらに皆が驚いた。リュウガが黙りこんだ事を確認して、ザックスはその手を離した。
「ザックス、一体どういう事? 《亜竜》が魔法を使うって?」
さすがのクロルもそれを見抜けなかったようだ。
「ここの《亜竜》達の中にはオレ達と同じくマナで力を倍加させることのできるやつらがいるんだ。さっきのルプトの亜種だけでなく、おそらく昨日の《タイラン》も。ヤツは身体を硬化させて防御力を高めていた。おそらくさっき現れた奴もそれができるんだろう。そうだよな、リュウガ?」
しばし、無言で下を向いていたリュウガは重々しくその口を開いた。
「そうだ。人間よ。あれは我らの戦いの秘伝でもある《倍力の法》。《速の法》《剛の法》《堅の法》という三種からなる。無事に成人した者のみが先達から口伝でそれを伝えられる」
一つ、大きくため息をついてからリュウガは続けた。
「本来これらの法は使い手の成長を妨げる故、成人するまでは教えられる事はない。我はたまたま、成人前にその使い方を知っていた為、いち早く《亜竜》の異常に気づいた。あの日、我らの前に現れたヤツの尋常ならざる力について訴えたものの、誰も聞く耳は持たなかった。そんなことある訳がない。己の未熟を棚に上げて見え透いた嘘で他者を欺こうとするなとな……。貴様たちに黙っていたのは悪意からではない。竜人族の秘伝に関わること故、極力、触れるつもりはなかったのだ……。許せ」
暫しの沈黙が流れる。ザックスは厳しい視線でリュウガを見つめていたが、やがてふっとその表情を緩めた。
「分かった、お前を信じよう。さらに、重ねて一つ聞きたい。さっき、《タイラン》が放った炎のブレス……。ヤツにあれが出来る事をお前は知らなかったのか?」
リュウガは無言でこくりと頷いた。
「あれには我も心底驚いた。半年前に戒めを破ってここに来た時には、ヤツはあのような真似などしなかった。《倍力の法》をさらに使いこなして、初めて会った時よりもはるかに強く、速く、固くなってはいたが……。その事実もやはり誰にも信じてもらえなかった……」
「そうか……」
真実を目にしながら、誰にも信じてもらえぬ時間を過ごし、さらにその《成人の儀》以降、同じく試練に挑んだ若者達が、力を強化した《亜竜》にぶつかり、無謀な闘いの果てに散って行くことを防げなかったのだから、彼の抱えてきた無念は計りしれない。
「一刻も早く、あれを倒さねば、いずれあれはさらに強大な力を持つに違いない。人間よ、我の言えることはここまでだ。もう、よいだろう?」
「ダメだ、リュウガ!」
ザックスが厳しい声で制止した。
「お前、あの炎を防ぐ手立てがあるのか? あんなものをまともに食らったら《亜竜》達と同じように一瞬で消し炭だぞ!」
ザックスの問いにリュウガは唇をかみしめる。
その凄まじい威力をつい先ほど目の当たりにしたばかりである。魔法で強化した防具を使わぬ限り、あの一撃をかわす事は不可能だろう。
「では、人間よ。貴様はあれを防ぐ手立てをもっているのか?」
「それは……」
今のザックスも又、その手段を持ち合わせていない。以前、己の左腕にあった《魔法障壁の籠手》はすでになく、ウルガの石による魔法弱体化の恩恵もない。《上級冒険者》とはいっても、特殊な攻撃に対する備えがからっきしである事を自覚する。
暫し、ヘッポイがもぞもぞとしていたが、やがて大きく胸を張る。そして口を開こうとした。
「手はないわけじゃないわ。リュウガ。多分、あれを使えなくする事は出来ると思う」
アルティナが割り込み、ザックスに向き直る。
「ザックス。一つ訂正してもいいかしら? あれは竜族の使うブレスなんかじゃない。攻撃魔法よ。間違いないわ」
思いがけぬ言葉に、一同が再び驚きの声を上げる。
「アルティナ、《亜竜》が攻撃魔法を使ったっていうのかよ?」
「何、驚いているのよ。マナで力を倍加させることができるって言ったのは貴方じゃない。だったらマナをイメージに変換させる攻撃魔法だって使えるに決まってるじゃない。自分が一番苦手なものを思い浮かべて吐き出した。別に言葉が使えなくてもできるはずよ。そうでしょ?」
「あ、ああ」
「さっきの技は身体の中の器官から吐き出されたというよりは私の使う《火炎弾》と同じ。威力がけた違いなのが悔しいけど。魔法なんだから、アイツを精神的に疲労させれば、自然に使えなくなるわ」
「疲労させるって、どうやって?」
「別に何もしなくていいわ。このまま、《ルプト》達にアイツの相手をさせて、消耗させる。そして消耗しきったところで、私達が叩く。それでどうかしら?」
アルティナが小さく微笑む。ザックスが笑った。
「お前にしちゃ、ずいぶんと阿漕な作戦だな?」
「何、言ってるの。先に仕掛けたのはあの《タイラン》でしょ。私たちと《ルプト》をぶつけ、奴らの群れの消耗を図った。おそらく狙いは強大な力を秘めた亜種達の排除。アイツらさえ、排除すれば、あとの奴らは有象無象。軽く蹴散らせると考えたんじゃないかしら? だからあのタイミングで現れた。あの時、狙ったのはおそらく群れのボスだったはず。だけど、運悪く狙いは外れた。それでも半分の亜種を葬ることができたんだから、後は……」
その言葉を肯定するかのように、再び遥か彼方で咆哮が響き渡り、次いですっかり日の落ちた空が、一瞬明るく輝いた。《タイラン》の狡猾さに気づいた一同が絶句する。しばし、沈黙した後でアルティナはぽつりと続けた。
「ここの《亜竜》達は戦闘力こそダンジョンのモンスター達に遠く及ばない。けれども彼らの生きようとする力が生み出す、ずる賢さや用心深さは正直、恐ろしいと思う。そして、その激しい想いが生み出す更なる成長は、私達にとって脅威以外の何物でもない。そんな奴らを相手に、私達も卑怯だとかフェアじゃないなんて言っていられないわ。相手がなりふり構わず死に物狂いで向かってくる以上、私達も同じようにかからなきゃ……」
「そうだね……。アルティナの言うとおりだと思うな……」
クロルがポツリと呟いた。
「命の力を舐めていてはダメだよ。自然を侮れば手痛いしっぺ返しをくらう。用心深いくらいで丁度いいんだから……」
一同のリーダーとしてザックスがパーティの方針を決める。
「もう夜も更けつつある。今夜はここで夜を明かし、明日の朝、奴らに仕掛けよう。それまでに奴らの決着がついたらその時はその時だ……」
「相変わらず、行き当たりばったりだね……」
「オレ達らしいだろ?」
実に頼りないリーダーの言葉に、一同は苦笑いする。
「リュウガも今夜は休め。 決着は明朝、オレ達とともにつけるんだ。抜け駆けは無しだ。いいな!」
しばし沈黙したままだったリュウガが、一つ大きく頷いた。
闇の中、遥か彼方で再び咆哮が轟く。いっこうに勢いの衰えることのないその様子に一同は脅威を感じつつ、ひと時の休息をとるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
すっかり日の落ちた岩場では、軽く食事を終えた一同が交代で眠りについていた。
明々と燃える薪の炎を絶やすことなく、最初に寝ずの番についていたリュウガは一人、遥か彼方の草原での戦いの様子を窺う。
暗い夜の闇の中、遥か離れたその場所では、《タイラン》の咆哮と多数の《ルプト》達の鳴き声が響き渡り、ときおり火球の着弾が生み出す輝きが天を焦がした。互いに死力を尽くして、相手を殲滅せんとする激しい戦いの様子が手に取るように分かる。
己の《成人の儀》以来、抱え続けてきた鬱屈した思いをようやく晴らす事ができる。彼が望んだ形とは程遠いものの、その機会を渇望し続けてきたリュウガにとっては何者にも代えがたかった。そして、それが、眼前で眠る奇妙な一団の力である事に未だ戸惑いを隠しきれない。ふと、その一団の中で眠っていた一人が起き上がる。
「そろそろ、交代の時間よ、リュウガ」
起き上がってきたアルティナが、口元をかくして欠伸をしながら、リュウガの元へとやってくる。
「あの者達、この状況でよくこれほどにぐっすりと眠れるな……」
間抜けな寝顔の三人の姿を前に、リュウガは呆れたように言う。
「多分、それは仲間を信じてるからじゃないかしら。いざという時は必ず支え合ってくれる、その信頼関係があるからぐっすりと眠れるのよ……。そしてそれは次の戦いに万全の状態で挑む事につながるわ」
「仲間……か」
「貴方にだっていたのでしょ。そしてそのためにあなたはこだわり、今ここにいる」
その言葉に返事はない。アルティナも特にそれを求めた訳ではなかった。しばらく沈黙した後でリュウガが問う。
「エルフの姫よ。あなた達は何故、我の復讐に付き合おうとする。あなた達には何の得にもならぬというのに?」
アルティナが微笑を浮かべる。
「だって、貴方はとっくに仲間でしょ。少なくともザックスはそう思ってるわ。そして私達のリーダーがそうである以上、私もクロルもそのつもり……。ヘッポイさんはどうだか知らないけど……」
むにゃむにゃとヘッポイが寝言を言う。その姿に肩をすくめ、アルティナは続けた。
「それに私達も、貴方と同じような事情を抱えている。だからきっと他人事とは思えないのね……」
「そうだったのか……」
案内人という立場にありながら、《タイラン》への報復しか頭になかったリュウガは、彼らの事を何一つしろうとしなかった事に気づいた。
「我が案内人として失格である事は十分承知している。否、案内人だけではない。《成人の儀》を終えて以来、我は里でいかなる役目を与えられてもそれをまっとうに務めあげる事は出来なかった。里の誰もが我の心がどこにもないと言って我を非難する。そしてそんな我が訴える未来の危険に対する忠告を聞く者などおらず、我はずいぶんと鬱屈した時間を送り続けてきた……」
アルティナは黙ってリュウガの言葉を聞く。
「あの日、死んでいったこの友の槍を受け継いだあの時から、我の心は止まったままだった。寝ても覚めてもあの《タイラン》に襲われ、多くを失いかけた時のことが思い出される。あやつの危険を何としても老人たちに認めさせねば、再び多くの後進達が犠牲になる。里の内外に将来の禍根を残さぬためにも、この事は我ら自身の手で決着をつけねばならなかったのだ」
リュウガは再三、精鋭を組織し、問題を解決すべきだと訴え続けてきたという。
ぽつりとアルティナがいう。
「もし、貴方がいうように事が行われたとしても、きっと長老達はその事実を認めなかったと思うわ」
リュウガが驚いた顔で尋ねる。
「何故だ、姫よ?」
「それはね……」
暫し、沈黙した後で彼女は答えた。
「貴方達が彼らの後進だからよ。己よりも未熟なはずの貴方達のいう事が正しく、先達である自分達が間違っていると認めたら、彼らは彼らの立つ瀬がなくなってしまう。そしてその不満はいずれ里の中での大きな齟齬を生むわ。もしかしたらそれは里の崩壊にだってつながりかねない……」
「そんなこと、信じられぬ」
リュウガが首をふる。アルティナは淋しそうな表情を浮かべて答えた。
「そうね、きっとそれは貴方が里の大人達に反発しながらも、心の奥底で信じているからよ、きっと。でもね、貴方達の最長老様も私のように考えたからこそ、貴方を私たちと共に送り出したんじゃないかしら? 竜人族の外側にいる者が客観的に事実を見つめることで、他の長老達に冷静な判断を促す、そう考えたのね……。それに、……」
しばし沈黙した後で、アルティナは首を横にふる。
「ううん、いいの。これは私の考え過ぎ。忘れて……」
やってきた外部の厄介事と一緒に、内側の厄介事であるリュウガを葬るように仕向けたい者にも利を与える――そのように考える事は少し淋しいことだ、と彼女は思った。
「我にはとても考えつかぬ。姫よ、それは外側の世界では常識なのか?」
それを尋ねるリュウガに、アルティナは首をかしげた。
「そうね、そのように考える者達も種族を問わずいることは事実ね。私がそのことに気づいたのは、やはり私が姫と呼ばれる立場に生まれたことも影響している。でもね、リュウガ……」
少しだけ悪戯っぽく笑う。
「私ね、実をいうと、里を飛び出してきたの。今の私は家出娘ってとこかしら?」
思わぬ彼女の告白に、リュウガは呆気に取られている。
「でもね、こうして色々なところを旅して、色々な場所で色々な立場の人に出会うと見えてくるものがある。そして過去の自分を振り返ってふと気付くの……。自分が正しいと信じ込んでいた事が、実は全然、見当違いなことだったという事に……。そんな時、それを誰か別の人のせいにしてその事実から目を逸らそうとする弱い私がいるわ。でも、私はそれと向き合わなければいけない……」
アルティナの顔に淋しげな笑みが浮かぶ。
「人の上に立つとね、足元で自分を支える下にいる人達とは違う世界の見方ができるし、又、そうしなければならないの。時にそれは下にいる人達を傷つけることだってあるわ。あるいは時に己をも傷つけてでも、やりとおさなければいけないこともある。周りの人達を敵に回してね……。そうやって自分が背負ったものの重さを実感しつつ、皆の行く末を正しい方向へと導かなければいけない……。今の私には里を出て、いろいろな事を知る為の時間がどうしても必要なの。貴方達の里にだってそう考えて、外の世界へ出た人がいたのでしょう? 貴方の一族にだって……」
リュウガの顔に戸惑いと躊躇いが同時にうかぶ。
「だが、人間と交わった者は皆、心を病み、絶望して……」
「本当は逆じゃないの、リュウガ? 貴方達、竜人族の里の内側にのみ生きる人々が、変化を恐れ、帰ってきた彼らを追い詰めた。長く閉じているが故に、種族全体がおかしな形式にとらわれ、物事の判断基準が誤った方向に向かいつつあるという現実。それを違う価値観にふれて最も客観的に見ることのできる同胞の警告に耳を塞いで、その言葉を一切受け入れることなく排除した。それを都合よく色々な物のせいにして、目をそらしているだけじゃない?」
「そのような事は……」
「絶対にないって……、貴方は言いきれるの?」
アルティナがリュウガの瞳を真っ直ぐ覗き込む。その強い視線に耐えきれずリュウガは目を逸らした。
「姫よ、あなたの言葉は強い。だが、我はそれを認める事ができる程強くはない……。もしもそれを認めてしまえば、我は竜人族としての誇りを失いかねん……」
肩をすぼめるリュウガに、アルティナは微笑んだ。
「気にしないで、別に貴方を責めている訳じゃないの。だってこれは私自身の問題でもあって、いつか私の身に必ず降りかかる事でもあるんだから……」
しっかりと晴れ渡った夜空を見上げながら、アルティナはかつて故郷で見たそれを重ねて、小さくため息をついた。
――今の私にはまだ、確信が持てない。だから、まだしばらくはこうして共に旅を……。
相棒の呑気な寝顔を眺めながら、いつかくるであろう別れの時を思って、アルティナは淋しげに微笑んだ。
2013/11/06 初稿