25 ザックス、暴れる!
夜が明けて、再び川沿いを進む一行は、やがて、大きく開けた草原へと出た。
ところどころにこんもりと木々が集まる小さな森が見えるものの、周囲は見渡す限り草地である。その草地を大きく分けるように巨大な川が流れ、水浴びをする巨大な《草食亜竜》の姿も見える。
肉食の《水生亜竜》が潜んでいる事を知らねば、うっかり川でひと泳ぎをしたくなるような陽気である。
《カメジロー》程の大きさもあるものから、小動物程度のものまで、様々な種類のものが広大な平原で群れを作って生きている。時折、巨大な角をぶつけ合って、威嚇し合い、時に血を流して争い合うその姿に、彼らが決してただ大人しいだけの生き物ではない事を思い知らされる。
リュウガが警告する。
「テリトリーさえ侵さねば、奴らは大人しい。気をつけることだ」
「わ、分かったわ……」
つい先ほど、美しい花を見つけて不用意に近づき、巨大な食虫植物の餌になりかけたアルティナが答えた。雄大さと危険さが隣り合わせのその場所を、一行は川沿いに足早に進む。
目的地はまだはるか先らしく地平線の果てまで広がる平原の光景に感嘆しつつも、警戒は怠らない。光と影の世界であるダンジョンとはまた違う緊張感に、一行は包まれる。時折、足自慢の《草食亜竜》達の地響きが地を揺らし、壮大な迫力に目を奪われる。
全く未知の世界を歩く冒険者と案内人の一行は、果てしなく広がる緑の野をひたすらに歩き続けていた。
そして太陽が西に傾き始めた頃――。
一行の目には、遥か遠くに目的地らしき山の頂が見え始め、そろそろ草地よりも木々が生い茂り始めたその場所で、それまでのんびりとしていた《草食亜竜》の群れの見張り役達が、警戒音らしき数種の鳴き声をあちらこちらに、響かせた。周囲の《草食亜竜》達が一斉に緊張し、小さなものは慌ててその場を逃げ出していく。
異常にいち早く反応したクロルが、フックを使って傍らの小さな木の枝に飛び乗り、周囲を見回し警告する。
「来るよ、右前。すごい数だ! 多分、《ルプト》だよ!」
慌てて木から飛び降り、パーティに合流する。
「西に手ごろな岩場があるから、そこで様子をみよう!」
クロルの言葉に従い、全速でそちらへ向かう。確実に背後にせまりつつある集団の気配は、明らかにザックス達を意識していた。
背後に大きな森が佇む岩場に辿りつくと、ザックス達は険しい段差のある岩場に登り、周囲を見下ろした。いかに強靱な足腰を誇る《亜竜》でもこの場所を登りながらの戦闘にはかなり、苦労する事だろう。
リュウガは岩の上にあがって、迫りつつある群れの様子を見下ろした。その顔に緊張が走る。
「何だ? 一体、こいつらは……」
状況を確認すべくザックスも又、彼の隣に立ち、状況を確認する。
統率のとれた集団が三方向から草地の中を、地響きをたてて迫ってくる。クロルが言ったようにおそらく《ルプト》の集団であろう。だが、そのうちの幾匹に、派手な色のとさかの亜種らしき存在が確認できる。群れの数はおそらく百頭前後といったところだろう。
騎馬に乗った騎士団の突撃を連想させるその光景は、着実に岩場のザックス達に向かって迫りつつある。
「これほどの数の《ルプト》の群れなどありえん。しかもあのような個体まで……」
亜種らしきものの数は僅か五、六匹程度ではあるが、どれも並みの《ルプト》よりも身体が二回り程度大きく、群れの上位種であることは間違いない。
「昨日、出会った群れは、おそらくこいつらにテリトリーを追い出されたか、あるいは斥候だったか」
「斥候? 《亜竜》がか?」
驚くザックスにリュウガは頷く。
「狩りをするという点においては、奴らはプロだ。罠やおとりを仕掛けるものだっているのだから、当然、それも考えるべきだろう?」
「それは、確かにそうだが……」
この場所では、もはや冒険者の常識は通用しそうにない。生存するという一点において、人間よりも遥かにその能力に優れた彼らを侮る事は、己の寿命を縮めかねない。
岩場に近づきつつある群れが、リーダー格らしきものの鳴き声と共に一斉に立ち止まる。そこから徐々に周囲を包囲し始めた。
右手に黒々と口を開く森を避けるかのように、正面からの群れは右翼の群れと合流し、一大集団を形成した。さらに左翼からの集団が、段差の大きな岩場に取りつきつつある。
「ど、どうして、ボク達……、狙われてるんだよ?」
クロルの問いに誰もが首をかしげる。
「さあな、答えはあいつらに聞くしかないな」
決して正解とはならぬ正解に、一同は溜息をつく。
「ザックス、どうするの?」
緊張したアルティナの問いに、ザックスは暫し沈黙する。だが、直ぐにニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて答えた。
「敢えて、言うなら……引かぬ、媚びぬ、顧みぬ……といったところかな?」
まさかのリーダーの答えに、誰もが唖然とする。
「こんな時にふざけないでよ!」
別段、ふざけている訳ではない。数の上では圧倒的に不利ではあるが、ザックス自身は、群れの様子を眺めながらもそれ程脅威を感じていなかった。のんびりといつもとかわらぬ己の鼓動を感じとりながら、仲間達に指示を出す。
「リュウガとヘッポイは、クロルとアルティナを守りつつ、登ってくる奴らを各個撃破。クロルはアルティナに絶対、敵を近づけるな。そしてアルティナは、リュウガとヘッポイが戦いやすいように魔法で援護してくれ」
「友よ! お前はどうするのだ?」
ヘッポイの問いに、ザックスは再びニヤリと笑う。
「ちょっとばかり、奴らの頭と語り合ってくるさ!」
背の《地斬剣》を引き抜き、足元の群れに目を向ける。ふと、《ルドル山》でのアンデッドとの戦いを思い出す。あの時とは己の力も協力者の数も勝っていることを思い出し、そこはかとなく自身が湧きあがる。
「ザックス、貴方、まさか……」
仲間達も彼の意図に気づいたのだろう。
「キミ、それは無茶だよ、いくらなんでも……」
クロルが慌てて制止する。ザックスは、自身に満ちた微笑みを浮かべて答えた。
「多分、皆、忘れてるんだろうけど……。オレ、上級冒険者になってたんだよな、一応……」
実のところ、当の本人もすっかり忘れていたのだが……。
「だから、少しばかり、それらしい仕事をしてくるんで、ここは頼んだぜ!」
言葉と同時に岩場からひらりと飛び降り、唖然とする仲間達を尻目に《ルプト》達の真っ只中に身を置いた。
着地と同時に剣を一閃し、手近にいた二匹の首をまとめて撥ね飛ばす。それが戦闘開始の合図となった。
飛び散った血しぶきが《肉食亜竜》の本能を刺激したのだろう。四方からザックス目掛けて彼らの爪と牙が襲いかかる。
《瞬速》《爆力》《全身強化》と補助魔法を三重がけしたザックスは、《地斬剣》でそれらを受け止め、力任せに薙ぎ払う。三匹が肉片と化して、一瞬にしてはじけ飛んだ。
《ルプト》にも仲間を思うという感情があるのだろうか? 周囲の殺気が一斉にザックス目掛けて集中する。
怒りの叫びらしき鳴き声が周囲に響き渡る。ザックス只一人に的を絞り、襲いかかろうとする彼らの間を、さらに先手をとって《瞬速》をかけたザックスが一気に駆け抜け、次々に《ルプト》を斬り捨てる。圧倒的な破壊力を誇る《地斬剣》の巻き起こす旋風が周囲を蹂躙し、あっというまにさらに十体近くの《ルプト》の屍が地に伏していた。
たとえ狩猟の技に精通し、狡猾さを備え、人間以上の身体能力を有しようとも所詮は獣。
マナで己が力を倍加した上級冒険者の力の前では、その凶暴さも赤子同然である。そして、圧倒的な数に臆することなく逆に先手をとって集団内を掻きまわし、獲物を殺戮して回る標的の予想外の抵抗に《ルプト》達の鳴き声は徐々に悲鳴へと化し、本能的な恐怖に、少しずつしり込みを始める。これまで獲物として狙っていたものに、逆に獲物として狙われる恐怖が理解できるのだろうか?
弱った者、群れからはぐれた者を集中して襲う生存競争としての狩りの鉄則に従う《亜竜》達の性質を利用してしかけた戦闘は、上級冒険者としての圧倒的な力量の裏打ちの上に、ザックスに有利な展開で進みつつあった。
多数の《亜竜》に囲まれつつも奮戦するリーダーの姿に岩の上で戦う仲間達も徐々に冷静になり、《ルプト》の集団の数を確実に削っていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
強靱な足腰を利用して岩場に飛び上がる《ルプト》の首を愛用の三叉槍の一薙ぎで無慈悲に切断する。血を振りまいて音を立てて落ちる仲間の躯に憤慨し、次々に飛び上がるものの、後方からの魔法の援護を受けたリュウガによって、確実に仕留められていく。
繰り返される単純作業の中で、このまま何事もなければいずれ訪れるであろう勝利の予感を、リュウガはひしひしと感じ取る。
ふと、その原因になっている一人の戦士の姿に目をやった。
無数の《亜竜》に囲まれても、全く動ずることなく、逆に《亜竜》の群れを掻きまわし、惨殺していくその戦士は、自分が軽蔑してきた人間族である。認め難い事ではあるが、リュウガよりも年下の彼のその戦士としての力量は、竜人族の己よりも明らかに上である。
そのような彼とその仲間達と過ごした時間には、成人して以来、同胞達には感じえなかった楽しさがある。今も彼らとともに戦うこの戦いを、心のどこかで楽しんでいることに気付いていた。
《冒険者》――彼らは自分達の事をそう呼ぶ。最強であるはずの竜人族の戦士すら凌駕するその力に強い興味を覚えた。己が見たこともない広い世界の予感を感じ取る。
だが、同時に不安も湧く。
外の世界というものを強く意識させる彼らとともに行動し続ければ、いずれ己は竜人族としての矜持に疑問を持ち、それを捨てかねぬ――そこまで考えて、思考を止める。
――いや、今はいい。やらねばならぬ事があるのだから……。
例え、刺し違えてでも倒さねばならぬ相手の存在。それがリュウガの戦う動機であり、戦士としての彼の存在意義でもある。例え、彼らを利用する事になっても必ずや目的を果たす。
その決意を胸に秘め、次々と襲いかかってくる有象無象の《亜竜》達をリュウガは磨き抜いた槍技の一撃で、無力化していった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《ルプト》達の攻撃は徐々に緩慢になりつつあった。集団に伝染する恐怖が彼らの本能を刺激し、その身を縛りつけているように感じられる。混乱する《亜竜》の群れの中に身を置いていたザックスだったが、不意に背後に異質な気配を感じ、反射的に《地斬剣》で己が背を庇った。
剣の平を背後にかざした瞬間に、強烈な衝撃を背後から受け、前に数歩たたらを踏む。そのまま転びそうになる勢いを利用して大剣を振り回し、背後を振り向きながら薙ぎ斬るも、そこには何もない。
剣を構え態勢を整えるザックスの周囲を、素早く四つの気配が囲んだ。
彼を取り囲んだのは四匹の《ルプト》の亜種。怪し気で鮮やかな色のとさかが特徴的なそれらは、仲間達の躯の山など気にも留めずに踏みつけ、彼を包囲する。
――こいつら、一体なんだ?
他の《ルプト》達と異なり全く怯える様子もなく、彼らはザックスを獲物として品定めする。その囲みの向こうにさらに一匹の大きな亜種の姿が目についた。群れの中でもっとも大きいものらしく、おそらくリーダー格なのだろう。さらにその背後に二匹の亜種が控える。
どれもが並みのものよりも二回り程度大きく、それ以上にまとう気配に異様な物が感じられる。ザックスの《直感》が強い警告を発した。
先手必勝とばかりに、最も手近な亜種に飛びかかる。斬りかかった《地斬剣》が確実にその身体を捉えたと思ったその瞬間、獲物は横へ跳んで、その一撃をかわした。背筋にぞくりと悪寒が走る。
――こいつら、まさか……。
ザックスが攻撃したことで生まれた隙を見逃さぬかのように、他の三匹が次々に襲いかかる。爪と牙の一撃を剣の平で受けつつ、カウンターを加える。一匹の身体をかすめたものの、後はかわされ、攻防の隙をついて四匹は大きく間合いを取った。
――間違いない。こいつらは……。
僅かな攻防で、ザックスはその異常な気配の正体を理解する。
この《ルプト》の亜種達は見事にザックスの動きを見切っていた。それも《補助魔法》で強化された彼の動きを……。それは予想だにせぬ事実を意味した。
――こいつら、魔法を使うのかよ……。
愕然とするが、事実は事実である。常識にしがみついて相手の力を侮れば、如何に上級冒険者であるザックスとて、敗北は免れまい。
再び亜種達に囲まれぬように大きく迂回するザックスに対して、群れのリーダーが小さく鳴いた。瞬間、それに応えるかのように手近な二匹の《ルプト》がザックスに襲いかかる、一瞬にしてそれを斬り捨てたザックスの隙を突くかのように、再び先程の四匹の亜種が攻撃を仕掛けた。
後手に回ったザックスは《地斬剣》の平を立てて、防御する。鋭い牙と爪が鈍い音を立てて激突し、その反動を利用して飛び下がるザックスにさらに二頭が襲いかかる。振り回された尾の一撃を飛び上がってかわし、着地したところを、別の亜種がその大きな体躯を活かして上から飛びかかった。ゴロゴロとその場を転がってそれをかわしつつ、起き上がりざまに剣を薙ぐものの、手ごたえはない。
再び四匹と睨み合いつつ、その向こうで森を背後に隙を窺う群れのリーダーにも気を配る。
ザックスを最大の脅威とみなし、その排除に全力を尽くすつもりらしい。
――このままだと、まずいかもな。
先程から、《地斬剣》がかすりもしない。明らかに自分と同じ世界にいる四匹の脅威とその背後に控える強いプレッシャーに強い焦りを覚えた。
不意に、背後の岩場から吹くはずのない一陣の弱い風が、ザックスを撫でるように吹く。
――アイツ……。
それだけで十分だった。互いの意思の疎通に言葉などいらない。
迷わず《地斬剣》を地面にたたきつける。同時に背後から強い風が吹きつけ、土煙が濛々と舞う。
予期せぬ奇襲に一瞬戸惑った亜種達の前に、飛び込むように現れたザックスが、先頭の亜種に剣の柄ごと体当たりし、後方へと弾き飛ばす。さらにそのまま前進し、巻き込まれた二匹目ごと一気に両断する。二匹の亜種が胴体ごと真っ二つにされて地面に倒れた。さらに慌てる残りの二匹を目掛けて、ザックスが襲いかかる。 瞬間、身構えた二匹の足元に《氷結弾》が着弾し、一匹の足が地面に凍りつけられた。動きを封じられた《亜種》を難なく斬り捨て、ザックスはさらに残りの一匹に襲いかかろうとした……。
――その瞬間だった。
巨大な咆哮が背後の森の中から響き渡った。
さらに地響きとともに木々をなぎ倒し、一匹の巨大な《亜竜》が顎を開き、森の中から突然現れた。
不意をつかれたリーダー格の直ぐ側にいた亜種を一口で捕まえ、不気味な音を立ててかみ砕く。一瞬で絶命した躯を口にしたまま突進する《亜竜》の勢いに、巻き込まれそうになるのをぎりぎりでかわしたザックスは、転がるように慌ててその場を離れた。
数匹の《ルプト》をその巨体で踏みつぶし、《亜竜》は口にした亜種の躯を放り捨てる。大柄な躯が遥か離れた場所に音を立てて落ち、ズンと鈍い地響きが周囲に轟いた。
突然の乱入者の出現に、ザックス達だけでなく、その場にいた《ルプト》達までもが唖然とする。ザックスと同じく突然現れた《亜竜》の突進をぎりぎりでかわした亜種のリーダーが、これまでになく高い声をあげて鳴き、その声で、全てのルプトの意識が《亜竜》へと向けられた。
《ルプト》達の躯を足蹴に立ち尽くすその《亜竜》の背には、数本の槍が刺さったままである。その姿は、昨夜戦ったはずの《タイラン》そのもの。だが、その身体の大きさは、昨日のものとは比較にならなかった。
再び亜種のリーダーが声を上げ、《ルプト》達は一斉に現れた《タイラン》に襲いかかる。それまで戦っていたザックス達のことなど、もはや眼中にないかのように《ルプト》達は《タイラン》に飛びかかった。ザックス達との戦いで既に半数近くまで数を減らされているとはいえ、その集団戦での戦闘力は健在であり、さらに亜種達までもが目の色を変えて戦いに参戦していた。
四方八方から襲いかかる群れの中に立ち尽くす《タイラン》が一瞬天を仰ぎ、周囲に響き渡るような巨大な咆哮をあげた。その瞬間、その眼前に巨大な火の玉が生まれ、襲いかかる《亜竜》達の群れに直撃する。数匹が直撃を受け、一瞬にして消し炭と化した。
その光景に誰もが目を疑った。
バカな、というリュウガの声が、ザックスの背後の岩場の上から聞こえた。
《ルプト》達は一瞬ひるんだものの、再びリーダーの号令の元、《タイラン》に飛びかかる。続けざまに火球を吐きだす事はできないらしく、《タイラン》に数匹の《ルプト》が果敢に飛びかかった。
身体の数カ所を同時に噛みつかれながらも、さほど気にすることなく《タイラン》はその巨大な尾の一振りで、《ルプト》達を薙ぎ払う。遥か、離れた場所にはね飛ばされて、大きな音とともに地面に落ちた《ルプト》達は、やがてよろよろと起き上がり、再び敵に挑む。強靱な生命力だった。
まるで親の仇同士が戦うかのような激しい憎悪を振り撒きながら、《亜竜》達の戦場は岩場から徐々に離れ、ザックス達のやってきた草原へと移っていく。
既に日は西に傾き、空は怪しげな色とともに闇に染まりつつあった。
2013/11/05 初稿